たとえば茶道で作法があるでしょう。いまは作法を一生懸命に練習して、茶道の奥義を極めようとしている。ところが最初は違うわけです。無心になってお茶をたててたら、ああいう作法になった。逆なんですよ。最初の人は無心にやって、ああいう作法をつくりあげた。だけどあとの人は無心になれないから、作法から入って無心になろうと。逆なんですね。
葉室 頼昭 (著) 「神道」のこころ 春秋社 (1997/10/15) P189
〈神道〉のこころ(旧版)
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