2025年11月1日土曜日

南京大虐殺はなかった

日本軍が入城した十二月十三日から翌年二月九日までに、国際委員会は日米英独の大使館に六十一通の文書を提出しており、そこには殺人四十九件、傷害四十四件、強姦三百六十一(うち被害者多数三件、被害者数名六件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものでなく中国人からの伝聞によるものでした。
また国府軍側の何應欽将軍が直後の一九三八年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
 当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞社が出版していたもです。これにも虐殺の影はありません。
一言で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。

日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P107

日本人の誇り (文春新書)

日本人の誇り (文春新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/04/19
  • メディア: 新書

 

愛媛県 石鎚山

なぜアメリカは日中戦争で中国を支援したのか

P179
 アングロサクソンとは、先に述べましたように世界で最も長期戦略にたけた民族です。 その彼らが(住人注;日中戦争で)中国支援に傾いたのは、心に五つの要素があったからと考えられます。
第一は市場としての中国です。いつか世界一の巨大マーケットになる可能性を秘めた中国市場を、日本に独り占めされたらたまらない、と考えたのです。
~中略~
第二はナチスドイツの台頭です。日本を中国と戦わせておけばソ連はソ満国境にそれほど兵を置かなくてもよくなり、西側のドイツとの国境に兵を回すことができるようになります。
~中略~
第三は人種です。アジアの最強国日本と最大国中国による戦争を長引かせておけば両者が共倒れとなり、白人の独占してきた植民地権益への脅威となり始めていた有色人種、なかんずく日本の勢いを当分抑えることができる、という阿吽の呼吸が米英にあったように思われます。
 そのうえ、日本は第一次大戦後のパリ講和会議で、「人種差別撤廃」を提案したとんでもない国なのです。その時は議長のウィルソン大統領がどうにかうっちゃりましたが、日本が大きくなったらやっかいなのです。
~中略~
第四は中国の世界一の宣伝力と、それに動かされた米国世論です。
 中国へ日本が無法無慈悲な侵略を行なっている、と「国民党中央宣伝部国際宣伝処」が中心となり国際世論に、とりわけアメリカに、一八番(おはこ)と言える嘘八百の大宣伝を行ったことです。
 それだけではありません。米国世論の工作には蒋介石夫人の宋美鈴が大活躍をしました。
~中略~
 第五はアメリカに広く深く根付いていた親中反日の精神です。中国に来た多くの宣教師は、日本人よりはるかに教化しやすい中国人に好意を持ち、数億の民をキリスト教徒にするという壮大な夢を描きました。先述のタイム社長ヘンリー・ルースの父親もその一人三十年以上も当地で布教をしていました。

P191
 このような親中反日の感情が、主に二千五百人という在中国宣教師やその関係者からの偏った情報によってアメリカで醸成されました。~中略~
宣教師達は中国があたかもキリスト教国になりうるかのような錯覚をアメリカ人に広め、中国への援助を増加させました。在中および本国の宣教師たちはアメリカにおける一大ロビイストとなっていたのです。

 

P193
 日本軍の北部仏印進駐は中立国米英からの軍事物質援助を絶ち、無意味な戦争を一刻も早く終わらせるために必要だったのです。
~中略~
日中とも戦争などしたくなかったのです。ソ連が火をつけ、その火が消えぬよう米英が懸命にあおり続けた戦争だったのです。米英ソの目的は十二分に達せられました。日中とも多くの犠牲者を出し大いに疲弊しました。
 日本軍は百万近い軍隊を占領地と補給線の防衛のため中国に駐留させることとなり、ソ連やアメリカとの戦いに備えるべき国力をすり減らしました。またスターリンの思惑通り、反共の国民政府軍はとことん打ち破られたため、終戦後には主敵の共産軍にあっという間に負けて台湾に追い出されました。
しかし、米英は最終的に策士スターリンに完敗しました。日本を追いだした後の満州、中国、北朝鮮はすべて共産化され、門戸開放どころではなくなってしまったからです。

日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)

日本人の誇り (文春新書)

日本人の誇り (文春新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/04/19
  • メディア: 新書

 

九重連山 大分県

運命を受け入れる

 日本人が肉食をするようになりましてから、西の世界から久しくわたくしどもをきりはなしていた伝統の壁も、随分と打ちこわされました。
そして、こうした急激な変化には、大きな代償が支払われたのでございます。が、これもいたし方ないことでしょう。
御維新後は、大勢の武士が、それまで扶持されてまいりました制度からきりはなされ、一朝にして零落してしまいました。
そればかりか、金銭にかかわらないことを根強く教えられた武士達は、当世には全く水を離れた魚同様でございました。この人々のうちには、年若く青雲の志に燃えて一旗挙げようとした方も多勢ございましたが、世に申す武士の商法で、失敗だらけでございました。
 戸田さんという方も、そういう中のお一人でありました。

~中略~
 この方は、過去の武士を代表していられた方です。今は迎えられそうもない、古い教養の外には、この新しい世代に、何の捧げるものをも持ちあわせていない故に、不運を静かに受けて、うらぶれの身を生きぬかれたのでございます。
こうした人々もまた、皆、英雄ではございますまいか。

杉本 鉞子 (著), 大岩 美代 (翻訳)
武士の娘
筑摩書房 (1994/01)
P42

武士の娘 (ちくま文庫)

武士の娘 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/01/01
  • メディア: 文庫

 

奈良県 法隆寺

常なるものなどない

P68
 四八 絶えずつぎのことを心に思うこと、すなわちいかに多くの医者が何回となく眉をひそめて病人たちを診察し、そのあげく自分自身も死んでしまったことか。
またいかに多くの占星術者が他人の死をなにか大変なことのように予言し、いかに多くの哲学者たちが死や不死について際限もなく議論をかわし、いかに多くの将軍が多くの人間を殺し、いかに多くの暴君がまるで不死身であるかのように恐るべき傲慢をもって生と死の権力をふるい、そのあげく死んでしまったことか。
~中略~
要するに人間に関することはすべていかにかりそめでありつまらぬものであるかを絶えず注目することだ。
昨日は少しばかりの粘液(50)、明日はミイラか灰。だからこのほんのわずかの時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい。
あたかもよく熟れたオリーヴの実が、自分を産んだ地を讃(ほ)めたたえ、自分をみのらせた樹に感謝をささげながら落ちて行くように。

P85
 二三 存在するもの、生成しつつあるものがいかにすみやかに過ぎ去り、姿を消して行くかについてしばしば瞑想するがよい。
なぜならすべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、その活動は間断なく変り、その形相因(アイティア)も千変万化し、常なるものはほとんどない。
我々のすぐそばには過去の無限と未来の深淵とが口をあけており、その中にすべてのものが消え去って行く(22)。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

  • 作者: 神谷 美恵子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版

福岡県 英彦山

つねに近道を行け

 五一 つねに近道を行け(58)。近道とは自然に従う道だ。そうすればもっとも健全に言ったりおこなったりすることができるであろう。
なぜならばこのような方針は、〔労苦や争いや、ひかえ目にしておくとか虚飾を避けるとかいうすべての心づかいから(59)〕君を解放するのである。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P70

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

  • 作者: 神谷 美恵子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版


大分県 九重連山

チンパンジーはリンゴのみにて生きるにあらず

 こういう発達検査をしていると、ほかにも面白い発見がある。一つは、積み木を積むということを教えるときに、どう積むかということまでは細かく教えていないにもかかわらず、自発的に角を合わせるということだ。
こうした調整をする行動の発現は、単純な学習理論ででは説明できない。教えていないのに、チンパンジーの側に自律的な目標があるのだろう。

 もう一つ、単純な学習理論でうまく説明できないことがある。 
検査では、積み木の塔が倒れたところで一回の試行が終了したと定義して、ごほうびとしてリンゴのひとかけらをあげる、というようにする。これは、次々やってもらうための工夫だ。定義によって、塔が倒れたら試行終了だから、「はい」とリンゴ片を与える。そして、ガラガラガラと積み木をかきまぜて「はい、じゃあ積んでみて」と渡す。あるいは、一個ずつ手渡して、「積んでみて」と促すわけだ。

 単純な学習理論に従うならば、塔が早く倒れたほうがよい。ごほうびがもらえるわけだから、適当に積んで倒すか、あるいは2個目か3個目で倒してしまった方がいいことになる。
でも、チンパンジーたちはけっしてそうはしない。なんとか高く、高く、積もうとする。そして、もう一個載せたら倒れそうだという時点で積むのをやめる。

 だから、積み木を積むという行動では、明らかに「積む」ということ自体に強化力、報酬があって、塔が倒れるのが嫌なのだ、ということがわかる。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P136

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

  • 作者: 松沢 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本