2026年3月31日火曜日

DNAの生存が第一

P150
  チータに宿っているDNAの配列は、宿主のチータをしてガゼルを殺すように仕向けて、自らの生存を最大化する。ガゼルの体に宿るDNAの配列はその反対の目的を強く推進することで自らの生存を最大化するのである。
しかし、いずれの場合も最大化されるのはDNAの生存である。

P151
 野外個体群における性比―雌雄の割合―はたいてい五〇対五〇である。
このことは少数の雄がハーレムよろしく雌を不当に独占する多くの種では、経済的見て理屈に合わないように思われる。
あるゾウアザラシの個体群のくわしい研究によると、四パーセントの雄がすべての交尾の八八パーセントを独占している。
この場合、神の効用関数が独身の大多数にとっていちじるしく不公平であることは気にかけないとしよう。さらに悪いことに、経費節減を旨とする効率一点張りの創造主なら、恵まれない九六パーセントが個体群の食料源の半分を消費している(実際には、ゾウアザラシの成獣の雄は雌よりも体格がはるかに大きいので、半分より多い)ことを見抜いていることだろう。
はみだした独身者は何もせず、ただ四パーセントにあたるハーレムの主にとってかわる機会を待つばかりである。こうした不条理な独身者の群れの存在をどう正当化できるのだろうか?
社会の経済効率に少しでも注意を払う効用関数なら、独身者などなくしてしまうだろう。そのかわり、雌に生殖させるのにちょうどよい数の雄が生まれるようにするだろう。
この一見異常と見えることも、真のダーウィン的効用関数、つまりDNAの生存を最大化することを理解すれば、明快かつ単純に説明できるのである。 

遺伝子の川
リチャード ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
草思社 (2014/4/2)

文庫 遺伝子の川 (草思社文庫)

文庫 遺伝子の川 (草思社文庫)

  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2014/04/02
  • メディア: 文庫

 

九州自然動物公園アフリカンサファリ 大分県宇佐市安心院町

神経細胞の新生は起こっている

  大人になったら脳の神経細胞は新しくはできず、あとは死んでいくだけ、という考え方がずっと続いていました。
~中略~
 今では「成体神経細胞の新生は起こっている」というのが常識になっています。
 とはいえ、大人になってからは脳の全体で神経細胞が生まれてくるわけではなくて、できる場所は決まっています。それも2か所しかない。そのうちのひとつは「側脳室」というところで、もうひとつが「歯状回」なのです。

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
宮川 剛 (著)
NHK出版 (2011/2/8)
P106

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

  • 作者: 宮川 剛
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: Kindle版

 

北海道 旭山動物園

人類みな親戚

P6
DNA解析をする学問を分子生物学と言いますが、二〇世紀の終わりの一〇年間に、分子生物学は人類学の分野で二つの大きな貢献をしています。
それらはいずれも人類学の分野に大きなインパクトを与え、分子生物学的な研究が人類の分野で持つ大きな可能性を示したものでした。
ひとつはミトコンドリアDNAの多様性から導かれた新人ホモサピエンスのアフリカ起源説です。それはこれまで主流の学説だった、人類の進化は一〇〇万年以上前にアフリカを旅立った原人が各地で独自の進化を進めてそれぞれの地域の新人に移行したという「多地域進化説」を全面的に否定するものでした。
新人のアフリカ起源説は、現生人類はすべて二〇万~一〇万年前にアフリカで生まれ、七~六万年ほど前にアフリカを出て全世界に広がったものだと主張します。この説にしたがえば北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人といった各地の先行人類はすべて絶滅したことになります。じゅうらい考えられてきた人類の歴史を根底からくつがえす学説です。
~中略~
 人類進化の過程から考えれば、私たち現代人が生まれたのは非常に新しい時代であるとするこの学説は、人類学の進化の分野だけではなく社会にも大きな影響を与えるものでした。
なぜなら、この学説は、いわゆる「人種」というものの歴史の短さを示しているからです。ヒトの生物学的な分類基準である人種区分は、人類の歴史のなかでいわれのない差別を生む原因となっていました。人種というものに積極的な価値を持たせようとする人の多くは、その成立の歴史が非常に古いものであると捉えていましたから、この学説は、そのような考えの持ち主にダメージを与えるものだったのです。
 もうひとつの成果は、ネアンデルタール人の系統に関する問題です。二〇万~三万年前まで、ヨーロッパから中東の地域に住んでいたネアンデルタール人と私たちの関係については、一〇〇年以上にわたって論争が繰り広げられてきました。~中略~
一九九七年ついにネアンデルタール人骨からDNA抽出に成功します。このDNAの解析の結果、彼らは私たちと七〇万~五〇万年前に分かれたグループであることが判明したのです。現代人のDNAを用いて導かれた新人のアフリカ起源説は、その学説が予想したネアンデルタール人と新人の関係を、古代DNA分析の技術によって確実なものにしたのです。

P192
 さらにアフリカ以外の世界中のY染色体の系統は、六万八〇〇〇年ほど前た時期にアフリカから世界に向けて旅立ったことになるのですが、この数字は、ミトコンドリアDNAから導かれた女性の旅立ちの時期とほぼ一致しています。最初の「出アフリカ」は男女が同時に成し遂げたものと考えられますから、この結果も当然のことでしょう。

P205

言うまでもないことですが、日本という国ができる以前に、日本列島には人々が住んでいました。
人がいて国ができたということは、国というものの有り様を考えるときに、大切な認識だと思います。
そして私たちの直接の祖先である人々と、親戚に当たる人たちの子孫が日本の周辺には住んでいます。
とかく国同士の関係は、近いところほど複雑になるのですが、そこに住んでいる人たちのルーツを中心に考えれば、本質的にはいがみあう必然性がないことがわかります。


P206
  日本人の先祖集団の成立に際しては、大陸の広い地域の人々が関与したために、私たちの持つDNAは、東アジアの広い地域の人々に共有しているのです。これはこの地域に限ったことではなく、多くの研究で、地理的に隣接する集団が互いに似た遺伝子を持っていることが示されています。
たとえばレバノン人のY染色体DNAを用いた研究でもキリスト教徒とイスラム教徒が互いに似たハプログループを持っていることが明らかとなっています。地理的に近い集団ほど類似した遺伝子構成を持つというのは普遍的な現象なのです。

悲しいことに、隣接した国同士ほど、いがみ合いの歴史を持っているというのも普遍的な現象なのですが、隣接して暮らす人々同志は、実は地球上でもっとも多くのDNAを共有する人々なのです。 


日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造
篠田 謙一 (著) 
  日本放送出版協会 (2007/02)

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

  • 作者: 篠田 謙一
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2007/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

P78
私は、ヒトのミトコンドリアDNAについてバークレー・グループが独創的な分析によって達した結論を紹介しようと思う。
彼らの結論はきわめて興味深く、かつ刺激的だった。それによると、最節約的な系統図はアフリカにしっかりと根をおろしていた。これが何を意味するかというと、一部のアフリカ人はほかのアフリカ人との類縁が、世界中の他の地域のどの民族とよりも遠いということである。
世界の他の地域の人びと全体―ヨーロッパ人、アメリカ先住民、オーストラリア先住民、中国人、ニューギニア人、イヌイット人などすべての人びと―は、一つの比較的緊密なグループを形成している。アフリカ人の一部はこの緊密なグループに属するのである。だが、それ以外のアフリカ人はちがう。 ~中略~ そこでバークレー・グループはわれわれすべての大祖先はアフリカに生きていた、すなわち「アフリカのイヴ」であると結論した。

P80
 ミトコンドリアのイヴがアフリカ人だったかどうかはともかく、別の意味でわれわれの祖先がアフリカからやってきたことは疑いもなく真実である。こう言うと混乱しそうなので、まず整理することが肝要である。
ミトコンドリアのイヴはすべて現生人類の最も新しい祖先である。彼女はホモ・サピエンスという種の一員だった。
もっとはるかに古い原人やホモ・エレクトスの化石はアフリカはもとより、それ以外の地域でも発見されている。ホモ・ハビリスやアウストラロピテクスのさまざまな種のように、ホモ・エレクトスよりもっと遠い祖先の化石はアフリカでしか発見されていない。
だから、もしわれわれが二五万年前ごろにアフリカから四方に離散(ディアスポラ)したものの子孫だとするなら、それは2回目のアフリカからの離散だということになる。
もっと以前、おそらく一五〇万年前に大脱出があって、そのときにホモ・エレクトスはアフリカからあてもなくさまよいいでて、中東やアジアの各地に移住したのだ。
アフリカのイヴ説は、これらの大昔のアジア人が存在しなかったと主張しているのではなく、彼らが生きのびる子孫を残していないと主張しているのである。どちらの観点から眺めても、二〇〇万年前までさかのぼれば、われわれはつまるところ、アフリカ人なのである。
アフリカのイヴ説はそれに加えて、わずか数十万年前までさかのぼると、現在生きているわれわれ人類はみなアフリカ人であると主張しているのだ。

遺伝子の川
リチャード ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
草思社 (2014/4/2)

文庫 遺伝子の川 (草思社文庫 ド 1-1)

文庫 遺伝子の川 (草思社文庫 ド 1-1)

  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2014/04/02
  • メディア: 文庫



北海道 旭山動物園

漢委奴国王

とにかく、甚兵衛さんはびっくりして、腰を抜かしたのかもしれない。
 天明四年(一七八四)二月二十三日、筑前の国(福岡県)志賀島の、叶(かな)の崎で甚兵衛さんが鍬で田の溝を直していたら、不思議なものを掘り起こした。
「貴重なものかも知れん」と、庄屋にとどけでた。報告をうけた黒田藩がのりだし、藩に差し出すことを命じた。そして、藩の学者亀井南冥たちが調査し、「後漢書」の記事の「東夷の委奴国が、遣使によって紫綬金印を賜った」などから、その金印であると判明した。
~中略~
 それにしても、古墳でもない田の溝なんかから、副葬品でもない金印がどうして出たのか?ナゾは残る。
ことによったら、「委」も「奴」も、ともに文字としては差別的なもの。誇り高い倭人がこんなもの貰えるか、と怒って放り投げたんじゃないか、と思っている。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P179

この国のことば

この国のことば

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本

 

博多港 福岡市

月代(さかやき)

  宮崎(住人注;宮崎 駿) だいたい蝦夷の恰好がよくわかりません。蝦夷は農耕民だと思うんですが、蕨手刀(わらびてとう)という山刀を腰にぶらさげていたといわれます。すると、ブータンやタイの北のほうで焼き畑農法をしている人たちの格好に近いんじゃないか。勝手な想像ばかりなんですが、結構楽しいんです。じゃあ頭の格好はどうしていたんだろうか。
司馬 これも難しい。京都のお公家さんを除いては、農民に至るまで月代(さかやき)を剃っていました。
陳舜臣さんの説ですが、中国の周辺民族は皆、一種の月代を剃っているんです。モンゴル人は辮髪(べんぱつ)だし、ツングースも角度は違いますが、剃るということでは同じでした。ではいつから日本では月代を剃ったのかはわかりません。もしかして月代は弥生式農耕のグループの印だったのかもしれない。そうすると蝦夷は剃っていなかったかもしれないな。
宮崎 蝦夷の風俗は見事に残っていませんね。描いている絵を見ると、鬼みたいなものばかりです。アイヌとも全然違いますし。

対談集 日本人への遺言
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1999/01)
P50

日本人への遺言: 対談集 (朝日文庫 し 1-48)

日本人への遺言: 対談集 (朝日文庫 し 1-48)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1999/01/01
  • メディア: 文庫

 

熊野速玉大社 和歌山県

蓑笠

  いずれにしても祭りに携わる者の蓑笠は、決して南の島ばかりの奇風俗ではなかったので、おそらくは「月笠着る、八幡種播く、いでわれらは」と高く唱えて神を送ってきた時代よりも以前から、近くはわれわれの田舎の盆の月夜にいたるまで、神に代わって踊り舞う者の、必ず隠れ笠によって現世と遮断し、まずわが心霊を浄くかつ高くせんとした、素朴な信仰のはじめの形であるように思われます。
~中略~
もとよりノロと称する人間の女性が、かりに神を装うて出るのではありますが、信仰厚き者の笠の内の心持ちは、扮するというよりもむしろ成るという方が当たっていたようでありまして、かくのごとき精神作用にはまたコバの葉の力が多いのであります。

海南小記
柳田 国男
(著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P248

海南小記 (角川ソフィア文庫)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫

 

熊野那智大社 和歌山県

沖縄人

 沖縄に何度か旅行して感じたことは、沖縄人の温和さである。
 沖縄に住むひとびとは、いかにも固有のにおいの高い日本人的形質をもち、ことばも、奈良朝もしくは室町時代に分化した日本語を話している。
日本人よりも日本人であるこの地のひとびとが、日本人が集団になった場合のたけだしさや、鋭敏すぎる好奇心からまぬがれているのは、歴史的に鉄器が不足していたことに有力な原因があるのではないか、とふと思ったりした。
 沖縄は、この稿の沖縄の旅(第六巻)ですでにふれたように、石器(木器をふくめて)時代が、本土の室町時代までつづいた。その後も、鉄器はつねに寡少で、農具は生産性のひくい木器がしばしば主力であるという歴史がつづいた。
木器の稼働能力が人間の欲望の限界をなしたということが沖縄人のおだやかな性格をつくるのに、よほど重要な原因をなしたかと思える。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P193

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

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  • メディア: -

和歌山県 那智の浜

サバニ

P65
 恩納のの仲泊から美里の石川まで、島の幅がこの辺ではわずかに三十町しかない。大昔、神がいまだ草木をもってこの国を恵まざりしころ、東海の波が西海へ打ち越し、西の波はまた東へ越えたと伝えるのは、あるいはこの近所のことかも知れぬ。
今でもサバニと称する小さな刳船(くりぶね)だけは、人がかついで陸の上から往来し、遠く辺土名喜屋武(へんとなきやん)の岬を廻る労を避けている。
内地の府県で船越という多くの地名はいずれもかつてこの方法によって、小舟を別の海へ運んだ故跡である。島尻郡の方にも玉城(たまぐすく)村富名腰(ふなこし)がある。
また同じ郡の佐敷村、八重山石垣島の伊原間(いばるま)などに、フナクヤという地名があるのは、皆この船越のことだろうと思う。
 近いころまでのサバニは、みな国頭の山の松の樹を刳って造っていた。
糸満の漁師たちは遠く屋久島の杉を買い求めて、おいおいにその船を改造し、なお鱶(ふか)の脂を船と船具とに塗って水を防ぎ、飽くまでも軽快に海上を馳駆しようとしている。
しかも山のよい樹は次第にとぼしく、真の丸木舟はもうほとんど見られなくなった。
刳舟の縁にも他の材を綴じつけて形を作り、その隙間を白い漆喰で留めている。よってまた綴じ船の名もあるのである。

P66
 遠い国地の珍しい文明を、まず見てくるものは船であった。それゆえに最初は蒲葵の帆を掛けてシナの物見の役人を驚かした島人も、久しからずして福州あたりの造船所に依頼して、新しい立派な進貢船を造らせ、次では那覇の船大工がその型によって、大きい船を工夫するにいたった。
淋しい山原の磯山蔭で作り出す船が、西南数百里の外を走っているシナのジャンクと、このようによく似てきたのも偶然ではなかった。
しかもその改造のさらに以前をさかのぼってみると、島人は出でて新しい物を求めんがために、とにかくみずから渡海の船を思っていたのである。
 島では人よりも船のほうが早かったわけである。しかるに八重の汐路の先島においては、アマミコが碧空より降ったという神話はもうなくて、かえって船の始めの物語が伝わっている。
竹富島では島仲粟札志の幼き兄弟、ある日浜に遊んで形半輪の月のごとくなる物が、海上に漂い来るを見て、木を伐ってその制にならい、初めて船というものを作り、これを五包み七包みと名づけて浜に浮かべて楽しみとした。
その玩具の小船、後にまた流れて隣の黒島に行き、黒島の人はこれを大きくこしらえて、漕ぎ乗って竹富にやって来て、初めて子供たちの神から学んだ術であったことを知ったとある。

 同じ話の変化かと思う話を、また宮古島の仲間御嶽にも伝えている。 

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫
山口県下関市 角島

禅と詫茶

 茶祖といわれる村田珠光が一休禅師に参禅(座禅して公安を参究すること)し、中国の圜悟克勤禅師の墨跡を大切にしていたことはご存じかもしれないが、その後の
武野 紹鴎も茶聖の千利休も本格的に参禅している。
利休などは「三十年飽参の人」といわれ、長い参究の末に古渓禅師から印可証明(お悟りの証明書)までいただいているのである。
「利休」というのは古渓禅師につけてもらい、正親町天皇から下賜された名前だが、「名利共に休す」とか「名利頓に休す」という禅語に由来しているらしい。
一言で言えば外に名誉や利益を求めない寂然たる「無事」の境地。ほかに「鋭利休歇(えいりきゅうけつ)」が根拠で、鋭利さのとれた老古錘(ろうこすい)の意味だという説もあるが、ともあれ彼等は、禅室でなく、娑婆のなかに茶室という妙用の場を設け、そこを修行の場にしたのである(老古錘は閑古錘と同義。一八六ページ参照)。
 派手なバサラ文化を背景にした大名茶などと反対の方向に進んだ詫茶の底流には、仏教の「寂(寂滅)」の思想がある。これはお悟りによって波立たなくなった静謐な心だが、これが「さび(寂)」を生み、さらには「我がさび」から「「わび」が発想されていくのである。
「数寄(すき)」というのも「空(くう)」(すき)に通じている。
 千宗旦は「茶禅同一味」という書物を残しているが、そこでも「自己の心法を観ぜしむる茶道」であることが説かれる。
またその本分を踏まえた妙用をお茶では「体用露地」と云うが、そうして言葉も宗旦は禅語からでていると言う。「露地」とは「露わになった清浄な心」。地は心のことだと、宗旦自身が定義している。だから清浄な心が露わになるべき場所が露地であり、清浄な心という本体がいかようにも現象に応じて用(作用)していくのが「体用露地」なのである。ちなみに悟りの世界、仏性そのものをお茶では「白露地」とも云う。

禅的生活
玄侑 宗久 (著)
筑摩書房 (2003/12/9)
P141

禅的生活 (ちくま新書)

禅的生活 (ちくま新書)

  • 作者: 玄侑宗久
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/08/02
  • メディア: Kindle版

 

伊藤久右衛門 京都府宇治市

能は地獄の芸術

 このように能の構成を考えるとき、能は正に地獄の芸術とよばれるものであると思う。天台や浄土思想の教えた地獄の世界が、数々の地獄図に似た戦乱の体験の中で、見事に文学に定着していったのである。
そしてこの思想は、むしろ以上語るひまをもたないが、能はふつう考えられるように禅的でも、時宗的でもなく、台密的なのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P177

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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千如寺大悲王院 福岡県糸島市雷山