2026年3月6日金曜日

生存欲求とソウショク系男子

釈(住人注;釈徹宗) 負のエネルギー、負の連鎖ですね。人間はエネルギーが過剰なので、常に調えないと負の連鎖が始まる。イデオロギーの基盤もそこにあるがゆえに次第に極端な方向へとすべっていくのですね。
 仏教はそこに苦悩の根源があるとするので、えらい恐ろしい話ですよ。仏教で癒されるなんてとんでもないかも(笑)。
いわば、生存欲求まで滅してしまって、野に咲く花のように生きるいいますか・・・・・。ある意味、そこに理想があるようなものすごい体系だったりして。
宮崎 野に咲く花にも生存欲求みたいなものはあると思うけどね。
釈 ありますかね。とにかく、仏教の語りを聞いていると、動物より植物のほうが偉いような気がしてくるでしょ。
宮崎 うん。その気持ちは少しわかります。とすると、草食系男子の増加はいいことなのか(笑)。日本の若い男の子たちのあいだで心性レヴェルにおける仏教化が進みつつある!?
釈 そうか、草食系男子は仏教徒か。どうだろう、違うと思いますけど(笑)。ん?。いや、草食系男子は僧職系男子かな。

宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥 (著)
サンガ (2011/12/22)
P84

宮崎哲弥 仏教教理問答

宮崎哲弥 仏教教理問答

  • 作者: 宮崎哲弥
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

七六二 他の人々が「安楽」と称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている。
七六三 覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良なる人々には開顕される。あたかも見る人々光明のあるようなものである。
理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。
七六四 生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この心理は実に覚りがたい。
七六五 諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を悟り得るのであろうか。この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P172

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版

「(ブッダが答えた)、ナンダよ。世の中で、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。
(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく望むことなく行う人々、―かれらこそ聖者である、とわたしは言う」(「スッタニパータ」一〇七八)

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P044

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本

立松 前略~
 「月のウサギ」という話があります。これはすごく有名な話で、「ジャータカ(本生教)」にもあるし、「今昔物語」にも載っている話なんだけれど、大乗仏教の究極の理想というのは自己犠牲だと思うんです。人々のために、自分が犠牲になるということ、究極の行ないといったほうがいいかな。
「月のウサギ」はこういう話です。サルとキツネとウサギがとても仲良くしていました。
実際に生態的には考えられないですが、お話ですから。とにかく三匹仲が良く、かつ信心深かった。
帝釈天がそれを見て、彼らの信心が本物かどうか確かめようとした。そして行き倒れになった老人を装って三匹が来るのを待った。やがて三匹がやってきて、「どうしたのですか」とたずねる。老人は「お腹が空いて死にそうだから、何か食べさせてくれ」と言うわけです。
 サルは木に登って、木の実をたくさん取ってきました。キツネは川に入って、魚をたくさん取って食べさせました。ウサギは何もできません。
それでみんなに怒られるわけです。「あんたは口だけで、何もできないじゃないか」と。そうしたらウサギは「おサルさん、薪をたくさん取ってきてください。そしてキツネさん、そこに火をつけてください」
とお願いする。そして自分がそこに飛び込んで、自分の体をその老人に供したのです。
帝釈天はもとの姿に戻り、その心根を大変に憐れんで、慈しみの心をもって、ウサギを月に連れていって供養しました、という話です。

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P292

親鸞と道元 (祥伝社新書)

親鸞と道元 (祥伝社新書)

  • 作者: 五木寛之 立松和平
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 新書

  学校教育の現場でも、子供たちが先生に褒められることで自己愛を満たされる体験が、昔よりも減りました。「キミはすごいね」と子供を褒めるのは、とうぜん「あなたは他人より優れている」と認めることにほかなりません。
しかし、いまの教育現場は、平等意識が強いあまり、生徒に差をつけることを嫌います。
~中略~
努力して結果を出しても褒められないのでは、コフートのいう「野心の極」が満たされないでしょう。すると、さらなる困難にチャレンジしようという意欲が育ちにくいのです。
 一方で、子供でも会社の部下でも「褒めて育てよう」と考える人は少なくありません。ならば自己愛が満たされそうなものですが、これも形骸化すると実効性に疑問符がつきます。
「みんな褒められる」となったら、結局は差がつかないからです。
 それに、相手が「とにかく褒めて育てよう」と考えていることがわかれば、いくら褒められても、その言葉には真実味が感じられないでしょう。
実際、無理に相手の良いところを探して褒める人の言葉は、建前の「お世辞」と区別がつきません。それこそフェイスブックで友達の投稿に何でもかんでも儀礼的に「いいね!」ボタンを押しているのと、大差ないのです。
 このような「鏡」の足りない環境で育った人たちは、健全な自信や自尊心を持つことは困難です。
「オレはすごい」とか「私はみんなより優れている」などと発言することはもちろん、心の中で思うことさえ許されないようになっているのですから、ガツガツした野心や意欲はなかなか育たないでしょう。
 そんな風潮の表れのひとつが、いわゆる「草食系男子」の増加だろうと思います。~中略~
 草食系男子であること自体は、本人に辛さや苦しみをもたらすものではないので、個人の心の問題として考える必要はないかもしれません。
ただ、もしそれが社会の活力を低下させるのだとしたら、放置してよいものでもないでしょう。

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門
和田 秀樹 (著)
青春出版社 (2015/4/16)
P168

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門 (青春新書インテリジェンス)

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門 (青春新書インテリジェンス)

  • 作者: 和田 秀樹
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2015/04/16
  • メディア: 新書

北海道 風のガーデン

みんな横並びの弊害

森 毅
  先ほどの養老さんのお話で、自然選択説の論理がありましたが、まったく同感です。
戦後、僕らが貧乏していても、その中でも目先が利いてけっこう羽振りのいい人というのはいたものです。そんなところからホンダなどが出てきたりしているのですから、本当に才覚だとしか言いようがありません。
 それでも当時は、「あれはうまいことしているな」と羨みこそすれ、「みんなが苦労してるのに、あいつだけいい目を見て」という妬みはあまりなかったように思います。

 ところが今は逆でしょう。この頃は不況で、銀行も全部横並びの状態です。それはかえって不自然な状況なのではないか、という思いが僕にはあります。
その原因の一つに、僻みが増えているような気がしてなりません。「みんなが困っているのに、あいつらだけうまいことしている」という僻みです。

~中略~
いまの時代は妬みや僻みが原因となって、少数派をつぶしているような気がします。そういう僻みや妬みはここらで終りにしたほうがいいのではないでしょうか。
僕らは新たな時代を築く「はみ出し者」を育てないといけないのですから。 

森 毅 (著), 養老 孟司 (著)
寄り道して考える
PHP研究所 (1996/11)
P95

寄り道して考える

寄り道して考える

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 単行本


 (住人注:陸奥宗光は)
「この種の妄説(住人注:共産主義)は、公平、平等などという人類第二の性を、人類第一の性とした誤謬から発したものである。
公平、平等・・・の目的は、そもそも人類の幸福を増進し、快楽を最大限にするためである。
もし、これ(住人注:共産主義)を強制して、かえって人類の幸福を損ない、快楽を制限するようならば、本来の効果を期待できない」
と、「平等」が独り歩きして人民の幸福を破壊してしまった共産主義の問題点をみごとに指摘しています。

岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P150


教養のすすめ

教養のすすめ

  • 作者: 岡崎 久彦
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: 単行本



 平等という概念語を好んで使う人は、二つの欲望のどちらかを隠し持っている。
 一つは、他の人々を自分のレベルまで引き下げようという欲望だ。もう一つは、自分と他の人々を高いレベルまで引き上げようという欲望だ。
「人間的な、あまりに人間的な」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
059

 

超訳 ニーチェの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

超訳 ニーチェの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/01/12
  • メディア: 単行本


あらゆる人との対人関係の中で横の関係でいられるとすれば自分をよく見せようという努力をしなくてよいことになるでしょう。
横の関係であれば、自分が優れていることを誇示することでよく思われようと背伸びをすることは必要でなくなります。なにかを証明しないといけないと感じるときは、いつでも行きすぎる傾向がある、とアドラーはいっています(「子どもの教育」一九二頁)。
横の関係であれば、自分が優れていることを誇示することで、よく思われようと背伸びをすることは必要でなくなります。

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P99 

 

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

  • 作者: 岸見 一郎
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 新書



 日本は基本的に[みんないっしょ」の文化で、抜け駆けが許されない社会です。「能ある鷹は爪隠す」という行動がよしとされ、能力主義より努力と根性主義です。それは、能力差を認めたがらないので、結果の差を努力と根性の差に求めたくなるからです。
しかし、社会秩序のためには、リーダーが必要です。リーダーとフォロアーとの差をつける指標に、能力よりも年齢が使われます。努力と根性から得られたと思われる、円熟した人格が尊ばれます。これが重なったのが、いわゆる「年功序列」です。
 年齢による順序、つまり長幼の序によって成員の順位が決まりますが、不思議なことにこうなると、順序の上の人が話すようになりがちです。ですから、上司(年齢の上のもの)は話すばかりで聞くのが下手になります。
能力で選ばれたリーダーでないだけに、聞くのが下手な上司には、部下が心からついていくことができなくなります。

プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)
P106

 

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

  • 作者: 東山 紘久
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2000/09/01
  • メディア: 単行本


P207
全員入学の際は知能に応じて進学振り分けをきちんと行わないかぎり、日本の高等教育は破綻します。いま日本の多くの大学はすでに破綻しかかっている。
機会の平等は結構です。しかしそれは競争という切磋琢磨の場を提供するための出発点の横並びであるべきで、到達点であるべきではない。
 しかし日本人は国内的には結果の平等を求めたがる。出る杭を叩こうとする。そんな正義面(せいぎずら)が罷(まか)り通る知的雰囲気は健全ではない。私はそんな空気は読みたくありません。
皆さん、お子さんやお孫さんの運動会を参観して、競争で一番やビリが出て子供が傷つかないようにと配慮しているのを本当にいいこととお考えですか。
 国内的に平等を理想に掲げていると、国際的に競争力の低下した見劣りする国になる。これでは日本は停滞する。 

P243
今のような戦後の文部省の悪平等主義の教育方針を惰性的に踏襲していると、どんぐりの背比べの嫉妬社会になってしまいます。
大学教授会で学内官僚の発言を聞いていると、その焼餅やきの性質が実によくわかる。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)

 

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書


北海道 風のガーデン

学習性無力感

 40歳くらいになると、子ども時代のような強いポジティブ・イリュージョンはなくなります。
たとえば40歳を過ぎてから「将来プロ野球選手になろう」と思う人は(ゼロではないにせよ)さすがに少ないですよね。
~中略~

 人は、長いことストレスを回避するのが難しい状況にさらされていると、「なにをやっても無駄だ」という無力感を経験から学びとってーすなわち「学習」してしまいーそこから逃れようとする努力さえ行わないようになってしまうのです。
これは心理学の世界で「学習性無力感」と呼ばれる有名な理論で、うつとも深く関係しているのではないかと考えられています。
~中略~

 「学習性無力感」の理論を確立した心理学者、マーティン・セリグマンは、その後の研究から次のような結論に達します。
 無力感を学習する人と無力感から立ち上がる人の違いは、その「原因」をどこに求めるかにある、と。
 たとえば仕事で大きな失敗をしたとしましょう。このとき悲観的な人は、「自分の能力が足りないから失敗したんだ。能力の低さは変えられるものではないし、この先ずっといい仕事はできないだろう」と考え、無力感を学習してしまいます。
 一方、楽天的な人は、「たままた失敗しただけで、自分のせいじゃない。そのうちうまくいくだろう」と考えるため、無力感を学習しません。
~中略~

 もっとも、この楽観的な人の説明スタイルだけを見ると、独善的でかなり嫌な人間のように映るかもしれません。
しかし、我々はもともと楽観的な説明スタイルを好むようにできているし、多かれ少なかれ(無意識のうちに)実践しているのです。
~中略~

 こうした解釈ができるかどうかは、結局、失敗なら失敗と言う事実をどれだけ広い視野で眺められるか、という問題に行き着きます。
視野が狭いと、失敗という事実から抜け出せず、ひたすら自分を責めて無力感の学習につながってしまいますよね。
菊池聡

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)
P112

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

北海道 風のガーデン

コーピング

P4
 ストレスは消失するものではありません。また、本書はストレスを治療したり、ストレスから逃避したりすることをおススメする本ではありません。
ストレスの特性を理解し、コントロールする術を身につけて、それを上手く活用することにより、必ず道は開けます。
 コーピングによるストレスコントロールは、誰でも身につけられるスキルです。

P30
 コーピングとは、英語で「Cope(コープ)」という動詞に「ing」を付加したものです。
「Cope」の意味は、「難局に対処する」「負けずに戦う」というようなもので、認知行動療法に基づいた心身調整によるストレス対処法を指します。
 この「コーピング」について、よく尋ねられるのはその「ルーツ」です。
 私の調査したところによれば、実はその歴史はまだ浅いようです。
 初めて「ストレス」を定義したのは、カナダの内分泌学者、セリエです。一九三六年に動物実験による「生理的・疫学的研究」でストレス学説を提唱したことがストレス研究の始まりとされています。
一九五〇年代になると心理学領域でも「ストレス」研究が盛んになり、一九六七年にアメリカの社会生理学者ホームズとレイによる「ライフイベント研究」、アメリカの心理学者 リチャード・S・ラザルスらによる「心理的ストレスとコーピングについての認知的理論」のように発展してきました。こののちに早稲田大学の客員教授にも就任したラザルスが一九六五年に刺激への対処手段を「コーピング」と呼んだようです。
 次に、コーピングの定義ですが、「自分の感情に気づき、能動的に行動することで、感情をコントロール(自己調整)する技術です。

ワーキングストレスに向き合う力-スポーツ分野で話題のストレスコントロール手法<コーピング>でビジネスに強くなる-
坂上 隆之 (著)
日刊工業新聞社 (2015/2/25)

P95
 つまり問題は、「どんな刺激を受けるか」ではなく、「その刺激をどう”評価”するか」なのです。
 それならば、刺激から逃げるのではなく、刺激を受けても、それに対する評価や解釈を鍛えていこう、というのが私の専門とする「コーピング(Coping)」という技術の基本的なスタンスです。

コーピングのコープ(Cope)とは、「立ち向かう」「難局に対処する」といった意味の言葉で、ストレスを自分自身でコントロール(調整)するためにスポーツ心理学や認知行動療法の世界で生まれた技術なのです。
田中ウルヴェ京

P100
子どもに与えるべき感覚
 第1条 「わたしは愛されている!」(自己親愛感)
 第2条 「わたしはできる!」(自己効力感)
 第3条 「大事なのは挑戦すること!」(チャレンジ精神)
 第4条 「自分の行いに責任を持つ!」(自己責任感)
 第5条 「失敗しても大丈夫!」(失敗受容感)
 第6条 「間違っても修正できる!」(逆境対処能力)
 第7条 「自分のやっていることが楽しい!」(自己幸福感)
 第8条 「わたしは変わることができる!」(自己変容感)

P104
 なぜなら、人間は自分の「快」のためには努力できるけれど、明らかに「不快」とわかっていることのためには努力ができない生き物だからです。

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

北海道 風のガーデン

アドラー心理学

P214
 非行にせよ、不登校にせよ、リストカットにせよ、あらゆる問題行動とは「安直な優越性の追求」である、とアドラーは言います。

 本来、他者から注目を集めたり、他者から認めてもらうには、それなりの努力が必要です。
ところが勇気をくじかれた子どもたちは、その努力を抜きにして自分を認めてもらおうとします。
その安直な行動こそが、問題行動なのです。
岸見一郎

P216
 たとえば、「不安だから、外に出られない」と考える。これはフロイトに代表される「原因論」の立場です。

 一方、アドラー心理学では、「外に出たくないから、不安という感情を創り出す」と考えます。
外に出たくないという「目的」が先にあって、その目的を達成するために不安という感情を創り出している、決して「原因」に突き動かされているのではないのだ、という考えになります。

P218
 アドラーの目的論は、よくよく考えてみるとかなり厳しい話でしょう。
一般的にカウンセラーは、「あなたはこれまで誰のせいにもできなかった。でも、人のせいにしてもいいんだ」と優しく語りかけるものですが、アドラー心理学では、そうした免罪符のカウンセリングは行いません。
他者のせいにすることもなく、環境のせいにすることもなく、過去のせいにすることもありません。

 

 かといって、「すべてあなた自身のせいだ、あなたが悪いのだ」と断罪するわかではないことは、頭にいれておいてください。
アドラー心理学は、「これまで人生になにがあったとしても、あなたが今後人生をどう生きるかについて、なんの影響もないのだ」「自分の人生を決めるのは、ほかの誰でもなくあなたなのだ」と言っているのです。

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

P3
日本ではフロイトやユングの名前はよく知られていますが、同じ時代に生きたオーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーの名前はあまり知られていません。
アドラー(一八七〇~一九三七)は、一九〇二年からフロイトのウィ―ン精神分析学会の中核的メンバーとして活躍していました。しかし、学説上の対立から学会を脱退し、フロイトの理論とは相容れない全体論、目的論などを特徴とする独自の理論を構築し、これを「個人心理学」(individual psychology,Individualpsychologie)と称しました。
分割できないもの(in-dividu-um)としての人間を扱うという意味で個人心理学と呼んだのですが、この名称ではアドラーの意図が必ずしも伝わらないこともあって、今日では創始者の名をとってアドラー心理学と呼ぶのが一般的です。

P5
 今日、アドラーの名前に言及することなく、アドラーの思想は至るところで語られています。具体的には、例えば古くはデール・カーネギー(「人を動かす」創元社)、最近ではスティーブ・コヴィー(「7つの習慣」キング・ベアー出版)、リチャード・カールソン(「小さいことにくよくよするな!」サンマーク出版)などを読むとアドラーにちかい考えが表明されているのがわかります。とはいえ、基本的なコンセプトが違いますからアドラー心理学とは言えません。
後の二人はアドラーのことをそもそも知らないのではないかと思います。カーネギーはさすがにアドラーを引用しています。 アドラー心理学は宝の山のようであり、皆がどんどん持っていったというふうにいえるかもしれません。

P25
アドラーが自分の創始した心理学の体系を「個人心理学」と呼んだのは、最初に見たように、人間を分割できない全体ととらえ、人間は統一されたものである。と考えるからです。 そこでアドラーは、たとえば、人間を精神と身体、感情と理性、意識と無意識に分けるというようなあらゆる形の二元論に反対します。

P42
アドラー心理学の基本として、人は誰もが等しく同じことを経験をしているのではないという考え方があります。すなわち、人は客観的な世界にいきているのではないということです。

P48P48 アドラーは、このような行動について「なぜ」と問う時、行動の「原因」ではなくて「目的」を答えとして期待しています。人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目標を設定してそれを追求する、と考えるのです。 ~中略~  杆状を例に目的論と原因論の違いを説明すると、普通はついかっとなってたとえば子どもを叩いてしまったというようないい方をしますが、そういうふうには考えないのです。  感情が原因で行動が結果であるとは考えません。 感情は多くの場合相手にこちらのいうことをきかせようというふうに相手を動かすために使うのです。 怒りを使うと相手がいうことを聞くだろうと考えて、怒りをその目的のために創り出します。 また、悲しみという感情は相手からの同情を引くために創り出すと考えます。感情はこのように私たちの心の中にあるのではなく、私たちと相手との間にあるのです。

P48
アドラーは、このような行動について「なぜ」と問う時、行動の「原因」ではなくて「目的」を答えとして期待しています。人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目標を設定してそれを追求する、と考えるのです。
~中略~
 感情を例に目的論と原因論の違いを説明すると、普通はついかっとなってたとえば子どもを叩いてしまったというようないい方をしますが、そういうふうには考えないのです。
 感情が原因で行動が結果であるとは考えません。
感情は多くの場合相手にこちらのいうことをきかせようというふうに相手を動かすために使うのです。
怒りを使うと相手がいうことを聞くだろうと考えて、怒りをその目的のために創り出します。
また、悲しみという感情は相手からの同情を引くために創り出すと考えます。
感情はこのように私たちの心の中にあるのではなく、私たちと相手との間にあるのです。

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)

 

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

  • 作者: 岸見一郎
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2014/06/27
  • メディア: Kindle版

北海道 風のガーデン

 

常に内部被ばくしている

早野 すべての地上のカリウムの中には、ちょっとだけカリウム40というものが常に混ざってます。割合でいうと、地球上に存在するカリウムの中に0.0117%、放射性同位体であるカリウム40というのが必ず入ってる。それはもう土の中にもあるし、海水の中にもあるし、植物の中にもあるし、人間の中にもある。
それは地球が生まれたときからあるんです。カリウム40というのは、半減期が13億年ぐらいなんですね。
~中略~
早野 そう。たとえば、植物の中にあるものを動物が食べて、それを人間が食べて、排泄によって出して、って、もうぐるぐる回りながら、ずっと存在しているわけです。
 さきほども言いましたが、生き物は体内のカリウムの濃度を一定に保っています。
どんな植物、どんな動物、どんな人間も、体内のカリウム量というのは、1年を通じてほぼ一定です。そして、その中に必ず放射性のカリウム40が一定の割合で入っていて、それが人間の大人であれば、大体4000ベクレルぐらいあります。
糸井 つまり、人間の大人は、体内に4000ベクレルの放射性物質をいつも持っているということですか。
早野 そうです。4000ベクレルってことは、今この瞬間、体の中に毎秒4000個ずつカリウム40が壊れているわけですね。で、壊れる時に放出する、放射線のβ線やγ線が、ある意味体を傷つけてるわけです。だから、食品なんかの放射線量を考えるときに「1ベクレルでも危ない!」というのは、ちょっとおかしな考え方なんです。
我々は体内のカリウム40から、常に4000ベクレルずつ影響を受けていて、この数値は、我々の努力で減らしたり増やしたりすることはできないんです。
糸井 つまり、カリウム40によって、常に内部被ばくするっていう前提で人体も他の生き物もできているわけですか。

早野 そういうことになりますね。

知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P128

知ろうとすること。(新潮文庫)

知ろうとすること。(新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: Kindle版
北海道 風のガーデン

だめなものはだめ、できないことはできない

魚網の設( もう )くる、鴻( こう )則ちその中に罹( かか )る。

鏜蜋( とうろう )の貪る、雀またその後に乗ず。

機裡に機を蔵し、変外に変を生ず。

智巧何ぞ恃(たの)むに足らんや。

                  洪自誠 

                  守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)

                  菜根譚の名言 ベスト100

                   PHP研究所 (2007/7/14)

                  P133

 

魚を捕らえようとした網に以外にも大きな鳥のかかることがある。
餌を狙っているカマキリを、後ろから雀が狙っていることもある。
まったく油断もすきもない。

からくりのなかにからくりが隠され、予想もつかない展開をするのが、この世のなかだ。
人間の知恵や術数では、どうすることもできない。

菜根譚の名言 ベスト100

菜根譚の名言 ベスト100

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2007/07/14
  • メディア: 新書

 

だめなものはだめ、できないことはできない。
個人の努力も善意も、むくわれないときはむくわれない。
いや、むしろそのほうが多いのが人間の世界である、

五木 寛之 (著)
他力
幻冬舎 (2005/09)
P20

 

他力

他力

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2013/09/02
  • メディア: Kindle版

扉に変るかもしれないという、勝手な希望にとらわれて、
壁をたたき続けていてはいけません。
[ココ・シャネル] フランスのファッションデザイナー | 1883-1971

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)

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「神様、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ちつきを
変えられるものは変えていく勇気を そして、二つを見分ける賢さを」
これは有名なラインハルト・ニーバーの祈りの言葉です。

イラッとしない思考術
安藤 俊介 (著)
ベストセラーズ (2014/11/26)
P182

 

イラッとしない思考術

イラッとしない思考術

  • 作者: 安藤 俊介
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本
北海道 風のガーデン

釈尊の教え

釈尊の教えの中核になるのは縁起という考え方である。
それは次の三項目にまとめられている。
◎因・・・種があって草が生えるように、それが生じた直接の原因をいう。
◎縁・・・すべては、いろいろな関係(状況・条件)によって生じる。
◎果・・・因と縁によって生じた結果。その結果がまた、因となり縁となっていく。この果を受けることを「報(果報)」という。

この縁起を基本に、声聞は四諦、縁覚は十二因縁、菩薩は六波羅蜜によって仏道を修めるものと法華経は語っている。

四諦八正道
「諦」は「あきらめる」ではなく「あきらかにする」という意味。
◎苦諦・・・人生は苦である。いたずらに苦から逃れようと考えてはならない。
◎集諦・・・苦はさまざまな原因が集ったところに生じる。その原因を見きわめなければならない。
◎滅諦・・・苦しみの原因を知り、それを取り除けば、苦は滅びる。
◎道諦・・・苦を滅ぼすためには、正しく修行しなければならない。それには、次の八正道がある。

①正見・・・偏見にとらわれず正しく見ること。
②正思・・・考え方を正しくすること。
③正語・・・正しく語ること。
④正業・・・行いを正すこと。
⑤正命・・・正しく生活すること。
⑥正精進・・・正しく努力すること。
⑦正念・・・正しく思念すること。
⑧正定・・・「定」は禅定と同じ。心を統一すること。

>>>十二因縁 

>>>六波羅蜜 

三法印と空
縁起の思想もまた、「三法印」と呼ばれる三項目にまとめられている。
◎諸行無常・・・「諸行」はあらゆる現象のこと。それは常に変化している。
◎諸法無我・・・「諸法」はあらゆる事物。自我を含めて、すべてはあらゆるものとの関係において存在している。
◎涅槃寂静・・・「涅槃」も「寂静」も悟りの平安な境地を言う。「諸行無常」「諸法無我」を見つめることによって平安に達せられる。
諸法は無我であって固定的な実体を持たない。この事を「空」という。
空の場においては、すべての事物・現象は因・縁・果の連鎖になり、すべてが関連しあって変化してゆく。この空を「虚空」ともいう。

大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P56

図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)

図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本


 仏教はこれらの苦しみを回避する道を教えているのではない、と私は思います。
むしろ、これらの生・老・病・死などの苦しみを避けようとするのでなく、これらの苦しみ悲しみをそのまま受け入れる覚悟を持ち、前向きに生きる生き方を教えていると思うのです。

角田 泰隆 (著)
禅のすすめ―道元のことば
日本放送出版協会 (2003/03)
P187

禅のすすめ―道元のことば (NHKライブラリー)

禅のすすめ―道元のことば (NHKライブラリー)

  • 作者: 角田 泰隆
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本


  キリストは、三十代で亡くなりました。若くして死んだキリストの宗教観は、いわば青春の熱情が横溢(おういつ)しています。キリスト教は、青春の宗教と言っていいかもしれません。

 西洋の文化に、一種の青春主義の匂いがまとわりつくのは、このキリストの青春期の死と、おおいに関係があると、私は考えています。
 それに対し、ブッダは長生きをしました。旅先で八十歳で亡くなりました。三十代の宗教家と、八十代の宗教家では、神の概念や人間観が違って当然です。
 すでに日本という国は、戦後の青春期、繁栄期を終え、下山の道を歩みはじめました、これまでの青春主義では、下山の道のりは通用しません。しかも高齢化社会を迎え、国民も下山の道を歩みはじめています。 いま私が、ブッダの思想の可能性に思いをめぐらすのも、そのためです。

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
P37

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Kindle版
鈴熊寺 福岡県築上郡吉富町

釈迦の仏教

P114
釈迦の教えには、現代でこそその価値を発揮するすぐれた特性が含まれているが、それは業や輪廻といった神秘的要素とは別のところ、つまり「世界の現象を法則性によってとらえ、その法則性に沿ったかたちで自分の精神構造を改良し、それによって死の苦痛を取り除く」という一点にある。
それはいかなる怪しい神秘も含まない、科学的世界観と同一線上にあるものの見方であり、そこにこそ、仏教独自の価値があるのだ。

 

P149
仏教が目指すのは、輪廻の鎖を断ち切って、二度と生まれ変わらない状態、すなわち涅槃に入ることなのだ。つまりこうだ。
「良い行為を行うと、楽なところに生まれるが、それも輪廻の一部にすぎないから、仏教の目指す涅槃には入れない。
好い行為だろうが悪い行為だろうが、なにをやったって我々は輪廻してしまう。この世に輪廻を止める方法などない」という絶望的状況の中で、仏教は次のように言う。
「そのとおり。良かろうが悪かろうが、とにかくなんらかの善悪行を行なえば、我々は輪廻してしまう。もしそこから逃れたいと思うなら、一切の悪行も、一切の善行も離れて、自分を完全なニュートラル状態にせよ。そうすれば輪廻は終わる。
だが我々の心の中には、煩悩という要素があって、それが心を動揺させ、様々な行為を無理矢理引き起こしてしまう。
自分をニュートラルにするには、その煩悩を完全に消し去らねばならない。それが修行の道である。だから、涅槃を望む者は、出家して、修行のための特別な生活に入れ。そしてその生活の中で、煩悩を少しずつ消して涅槃を目指せ」。

P151
 絶対者を認めるか認めないか、その違いは、各宗教の善悪観の、最も根底まで影響する。西洋の哲学者が、仏教の教えに触れて恐れおののいた、という話はよく聞くが、それももっともである。
日常的な善悪の両方を、「本質的な悪」として振り捨て、虚無的状態を最高善として目指す仏教のあり方は、神との契約によって永遠の快楽を獲得しようという一神教の世界観とは、全く相容れないものだからである。

P176
釈迦の仏教の目的は、その機械論的因果関係の本質を解明し、それに沿った形で自己の精神構造を変革していくことにある。
その改革が完成して、一切の好ましからざる要素が心の中から消滅した段階が最終のゴールである。
そこにはいかなる神秘的存在も関与しない。すべては「法則性で動く非情の世界の中に生きる我々が、自己の努力で、より良い状況を切り拓いていく世界」なのだ。

P179
釈迦は、「老いや病や死をなくそう」とは思わなかった。ここが釈迦の真骨頂である。
そんなことは不可能だと、最初から見抜いていたのだ。~中略~
外的原因としての老いと病と死が除去不可能なものであるから、その苦しみから逃れるには、外的原因によって喚起され、種々の過程を経て最終的に「苦」を生み出す、我々の内部にある精神作用を改造するしかないと考えた。
佐々木 閑

生物学者と仏教学者 七つの対論
斎藤 成也 (著), 佐々木 閑 (著)
ウェッジ (2009/11)

 

生物学者と仏教学者七つの対論 (ウェッジ選書 37)

生物学者と仏教学者七つの対論 (ウェッジ選書 37)

  • 出版社/メーカー: ウェッジ
  • 発売日: 2009/11/01
  • メディア: 単行本
鈴熊寺 福岡県築上郡吉富町

十牛図

  (住人注;十牛図頌は)禅の修行の段階を牛と牧童に喩えて巧みに図解したものであって、宗の廓庵師達が考え出したものである。
悟道を牛にたとえ、牛を探ねる童子―求道者を表わす―が山中を逍遥する所から始まり、十図を作って、禅の最後の究竟の境地を示そうと企てたものである。ここに簡単に十牛図の一々を証明してみよう。

 一、尋牛 一童子が牛をもとめて山中をさまよう姿を表わすもので、童子は牛を捉えた時の用意に綱と鞭とを持っているが、山中をいくら歩いても牛は見つからない様が描かれている。これは悟りを得ようといろいろ修行を始めたが、何が悟りかわからず、苦心惨胆しながら暗中模索をすることを示したものである。
 二、見跡 童子はあてもなく山中を逍遥する時、突如として一道路上に牛の足跡を発見した。それでこの跡を進めば牛を捕捉することが出来るのに気がついた。即ち漸く悟道への曙光をおぼつかないままつかむことができたのにたとえたものである。
 三、見牛 彼は牛の足跡をたどって山道を進むと遂に本当の牛の姿を見ることが出来た。岩角から牛の尻だけが見える所が描かれている。いよいよ悟道に近づきつつあることを示したものである。
 四、得牛 牛の姿を見た彼はその次に遂に待望の牛を捕えることが出来た。しかし牛は野性を発揮して従順でなく、出来れば彼の手から逃れようとあばれる。これは悟道を得たが、はたしてそれが真であるかどうか心中甚だ不安で落ちつかない有様をたとえたものである。
 五、牧牛 牛は漸く馴れて自由自在に牧することが出来るようになった。
絵は牧童が牛の綱を取り歩むと牛はおとなしくその後から随って来る所を表わしている。。身に修練を離れず、悟りに入ってのちの調心にたとえたものである。そろそろ一人前の禅僧となった。
 六、騎牛帰家(きぎゅうきか) 彼は手綱をはなして牛の背に騎り、村歌をうたったり、笛を吹いたりして家に帰る所を表わしたものである。情操妄想の羈絆を脱し、本具の心牛に騎って、自己本来の家郷に帰るのにたとえたものである。信仰として安定した所に到達した心境である。禅僧はよくこの絵を描いている。
 七、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) 彼は牛に騎って家に帰ったが、家に帰ると苦心して捕えた牛を忘れ、唯自己だけが存在することに気がついた。家には彼独りねむる所が描かれている。自分の外に牛がいるものと思い、懸命にその牛を捕えることに努力したが、捉えて見れば牛は自分の心の中にあるもので、外部に索めるべきものではなかったことに気がついた。即ち本覚無為の家に帰れば修練の要もなく、求めた牛もまた必要なく、ただ無事安閑であるだけが本来の面目であることをたとえたものである。
 八、人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) 彼は前項で牛を忘れたが、さらに考えると自己もまた忘れるに至った。即ち万物は一切空であり無であることを示したもので、自分があると思うことすら迷いであるという。絵はただ円相だけを描いて、何者をも表していない白紙のままである。九、返本還源(へんぽんかんげん) 自己の本心は本来清浄であって、煩悩妄念など一切なく、春が来れば百花爛漫とし、秋が至れば万山紅葉するように、目前のこの世界、即ち諸法実相であることを説いたものである。一塵も一埃もとめない山水画や花鳥図を描いている。
一〇、入鄽垂手(にゅうかくすいしゅ(住人注;にってんすいしゅ)) 彼はさらに進んで利他を志し、慈悲の手を垂れて衆生済度のために市井の塵境に入ることを示したもので、絵は多くの場合布袋が腹を出して大道を歩み、唐児と遊ぶ様が描かれている。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P192

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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