P112
小野寺先生(住人注;小野寺直助先生、九州帝国大学教授、久留米医科大学学長を歴任。消化器内科の権威であった。)には名言がいっぱいあってね。一つは「繁雑な処方箋を書いてはいけない。
パッと見たときに、横に長い処方箋を書きなさい」と言われていました。今横に長いような処方箋なんかありゃあせん。(住人注;同時に多くのお薬が処方されているということ)
2026年7月22日水曜日
薬は少ないほうがいい
疑問に答えすぎない
P227
子どもが「あれ、何?」とか、「どうしてお日様はあっちから上がってきて、向こうに沈むの?」とか、何か疑問を持って、聞いたりする。それにどう答えてあげればいいのか。
「こうこう、こうよ」と教える人もいるし、そうじゃなくて、「今ここから出ているでしょう。明日も見てごらん。あすはちょっとずれるかもしれんよ」と言う人もいる。そして五日くらい見ていたら、すこし場所がずれていて、「ああ、位置が変わるんだ」と子どもが気づく。
子どもの知的な好奇心に全面的に答えを出して「おしまい」とせずに、さらに伸びていくようにすると教育として上等なの。 精神療法も同じです。精神療法で答えを与える、何か方法を示してあげるときにも、示し過ぎないでできるだけちょびっと示して、そしてあとは、この示すという行為に対する患者側の自発的な活動に期待する
の。
因果は複雑系
P205
たとえばこういうことがあるでしょ。社会的に大きな業績を上げている人は、だいたいメタボな人が多い。
特に実利的なこと、学問の業績とかではなくて、大きな事業を起こしたりする人はお金が入って、いいものを食べるから太っていて、それで早く死んだりするとしばしば言われるけど、実はそうではないの。
そうではなくて、糖尿病の遺伝子を持っている人たちはしばしば尿酸値が高くなる体質で、日常、普通に健診して尿酸値が高い人は社会的アクティビティが高いんです。これはどういう因果関係なのか分からないけれど、経験的にそうです。
それから躁病の遺伝子を持っている人も尿酸値が高いことが多い。尿酸値の高い人は社会的アクティビティが高いから、睡眠時間が短くて、活動的で、事業を起こして、お金を儲けて、派手にやっています。そして、いいものを食べて痛風になる。
痛風が「帝王の病」と言われていたのも、帝王はいいものばかりを食べて、運動をしないから痛風になるのではなくて、いいものを食べて痛風になるような人は、王様になりやすいの。絶対にそうなの。
そうするとメタボに対峙して、いつもジョギングなんかして痩せていれば、社会的活動はあまりしないので、その人は帝王になれないのかもしれない。その種のことが、いろいろとあるわけです。
それから、メタボを治そうと思って一所懸命やっているうちに、メタボ治療の方法とかを発明して、メタボになるような人はそれを売って金儲けをして、その結果、またメタボになったりするかもしれん。
今のは分かりやすいように例を引いただけで、複雑系とは、そういういろんなものの組み合わせなんです。
内なる声を聞こう
P108
これはあんまり確かじゃないけれど、現代は注意を払わなければならないような外界状況の変化が非常に増えている結果、人の脳はもっぱら外側に注意をたくさん向けざるを得ないようになっている。
だから脳が苦しいとか楽だとか、怒り、嫌だとかいうような、脳を含めた身体のコンディションの判定のほうに注意を向ける余裕が非常に少なくなっている。
それで瞑想とか、フォーカシング(哲学者であり、ロジャーズ派(来談者中心療法)の心理学者でもあるユージン・ジェンドリンが開発した心身の内面に注意を向ける技法。)とか、黙ってじっと座るとかいうような形で、外側にばかり向けていた注意を内側に向ける生活習慣を、健康法としてどこかに取り込む必要があるんだと思うの。
それが心を健全にするというのではなくて、危険を察知して、「こうしようよ」とか「ちょっと休もうよ」とか「こうしてみたいね」とかいう内なる促し、内側から出てくる声、「うちなる促しは神の声である」と言いますが、それを受取ろうとする姿勢を生活の中でどこか部分的に持つようにするのがいい。
精神療法
P091
「精神療法は心を取り扱う」と言いますが、心は脳の機能ですので、心を取り扱っているけれども、治療しようとしている目標は脳なんです。脳の治療です。
脳は生命体ですから、自然治癒の能力があります。そうすると精神療法は結局のところ、「脳の自然治癒力ができるだけ十全に発揮されるような心のありようを作る」ということに帰結する。
それで、精神療法の定義は全部終わりです。
P162
名医とヤブとの違いは、一つは見立てが合っているか、間違っているかというのもあるけれども、同じ薬を同じように使っても、よくなるお医者さんとよくならん、つまり薬の効きめ以上に何もプラスアルファされないお医者さんとがいる。名医は精神療法の勉強なんかせんでも、すばらしい精神療法家です。
P164
では精神療法はどういうことをするのか。プラセボ・エフェクトがまず心に働きかける。心に働きかけるという意味では、さっき言った「権威」は、それに「ゆだねる」ということでしょう。ゆだねる、それから安心、信頼。; 「あなたのお医者さんを信頼しなさい。信頼しないとよくなりませんよ」と言うでしょ。それで一所懸命信頼すると間違えますね。信頼するという努力によって作った信頼は、不信感を抑え込んで作った信頼ですから、無意識のところに不信感があって、意識のところに信頼感があって、ぐちゃくちゃになる。そうでなくて「湧いてきた信頼が」治療に役立ち、プラセボ・エフェクトを賦活します。
そして「この先生に任せてみようかな」という安心が出てくるために、一つには情報の開示があります。情報開示は、みなさんは「インフォームド・コンセント」として習っていると思います。
P170
薬も飲んでみて、おいしいかどうか自分に聞いてみる。「良薬口に苦し」というのは、あれは嘘なんだよ。ほとんどの薬は自分の身体に合っていれば飲み心地がいいんです。「飲み心地がいい」と言っても、錠剤じゃわからんけれども、噛み潰して飲んでもいい薬は、潰して飲んでみると、喉を通るときに、「ああ、効きそうな感じ」と分かるんです。ほとんど分かります。そしていらなくなると味が悪くなります。
P171
三日間、リンゴばっかり食べてみて、「身体さん、身体さん、どう思いますか?」と聞く。それで、身体が前より疲れる感じなら、そこで「精神一到何事か成らざらん」などとせんで、「ああ、や~めた」とやめる。「三日坊主が大事だ」と患者さんに教えてあげたらいい。
それは結局、身体という五万年前に完成しているシステム、それをいつも尊重してやっていくということが精神療法のいちばん根本であり、かつ、治療のいちばん根本だということです。
P181
「暗いあの辺の道は危ないらしいよ」というような情報を言葉で教えてもらって、そこは避けて行くとか、あるいは護身術を身につけるとかして、生命体を守ってゆく。これが学習されたものです。
そして通常、この学習された行動パターンに関わる部分を、せまい意味で精神療法と呼んでいます。だけど少し丁寧に考えてみれば、この学習されたものは環境との間を調整するんですから、環境と生命との間のバッファーですね、衝撃緩衝ですね。環境の影響が直接、生命体に及んでいくのをできるだけ和らげて、生命体を保護するバッフアーとしての部分に関わるものが精神療法だというのが、ボクの今のところの位置づけです。
P220
これはイヌでもそうですが、生物が困った状態になったときに、誰か自分の困っている状態を理解して付き添ってくれる人がいるということが精神療法になります。
それは哺乳動物として生まれてきて、お腹が減ったときに、おっぱいを飲ませてくれるもう一つの大きな存在があることによって、本能として、脳の中にあらかじめセットされているか、あるいはそういう体験の中で作られたか、おそらくその両方だと思いますが、そういうことに根差している。
寄り添って同じ方向を見て、チームを作っているペアということ、それが精神療法の原点です。
P223
精神療法を少し根本的なところから考えると、非物質的治療というものの中に必ず入るだろうと思うんだ。
物質を使わない治療、レーザーとか薬物とか温度とか、そういうものを使わない治療ということになると、結局、その根本は何かと言うとケアだね、ケア。
赤ん坊がここにいると、赤ん坊は無力ですから、ケアする環境が必要でしょう。ケアして、必要なものを供給し、悪いものを除去するケアのシステムが必要です。
それは通常は親がやるんですが、少し特殊になると保育器とか、そういうものがケアです。これが精神療法の原点であるということ。
そのケアされた中で、生命体のホメオスタシスでもいいし、自動機能でもいいし、自然治癒力でもいい。
揺らぎながら、フィードバック機構で、ある範囲を維持する「命」という動きが行われている。これは赤ん坊でなくてもいい、アメーバでも同じです。ここから考えていくと、精神療法はいちばん分かりやすいと思います。ケアする環境。
ケアする環境を作るわれわれの作業の中に、精神療法は全部入るの。なぜかと言うと、ここが精神療法をすることの原点だからです。
P286
治療は全部終わって、もう何もうることがない、あとは死を待つだけだという人がホスピスに来られて、亡くなるまでに入院期間は二八日。
その余命二八日の人に医療をやれば命を縮めるだけ、あるいは苦痛を強いるだけだから、何をやるかと言うと、ここに精神療法があるわけ。
二八日という残り少ない命をどんなふうに生きていけば、その人は息を引き取るときにいくらかでも納得が増えた状態になるか。
今、精神療法はそういうことに、とても大きな力を注ぐようになっきてきているの。
~中略~
そしてもう一つ、ホスピスの看護師さんとかお医者さんは一所懸命、人間関係を作って、少しでも楽になるようにしてあげる。でも相手は二八日すると死んでしまうわけだ。
そして、また次の人が来る。その人に献身的にしてあげると、また死んでしまう。~中略~
そうすると、今度はそういう環境にいる職業人に対する精神療法をどうするか。外国では宗教家がほとんどそのサポーターをやっています。日本はもはや、宗教がそれだけの支える力を持たない社会になっていて、これをどう精神療法で支えるか。
そのためには、どうしても哲学が入って来るしかない。生きるとは何か、死ぬとはどういうことなのか、会うとはどういうことか、援助とはどういうことか、ということを考える哲学が精神療法の中に入ってこざるを得ないというのが現在の精神療法が直面している大きなテーマだと思います。
P305
〔二〇一三年追想〕
情報氾濫が脳のキャパシティを超えてしまっていることが、最近の精神現象の混乱を思わせる社会現象の因である、というのがボクの物語である。
それに依拠して、さまざまな社会現象を脳の機能の破綻とその修復の活動とが織りなす絵柄として理解している。修復活動の先端にあるのは宗教と哲学の興隆であるように思う。これもボクの物語なのだが。
統合失調症
統合失調症は高い遺伝率を持つ疾患であるといわれています。一卵性双生児では、片方が統合失調症だと、50%の確立でもう一方にも発症します。
ゲノムがまったく同じにもかかわらず、発症する人とそうでない人がいるということは、統合失調症発症には遺伝的な要因だけでなく環境の要因も重要であることを示しています。
この統合失調症の発症のメカニズムはどういうものか、よくわかっていません。
「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
宮川 剛 (著)
NHK出版 (2011/2/8)
P125
「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)
- 作者: 宮川 剛
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/11/30
- メディア: Kindle版
精神科では、統合失調症の患者さんたちは言葉を正確に受け取る傾向がありますから、「頑張れ」といわれると「無理をしろ」と言われている聞こえちゃうのね。
統合失調症の人というのは、非常に正確なの。統合失調症の人は論理がむちゃくちゃだと思ってたら間違いで、実はとても論理的な場合が多いのね。
だからたとえば、患者さんが何かこちらに言ったときに、ボクらが「ああ、そうですか」と言うと、これはやり取りとしては自然だけれども、論理上は疑っていることになるの。
「ああ、そうですか」は疑問文だからね。ですから「先生はボクが嘘を言っていると思ってるんですか」と反論してくる。それほど統合失調症の人は、しばしば論理的なの。
統合失調症の主だった症状として思考障害があります。考えがまとまらなくなったり、考えの進行が中断したり、抽象的な概念が理解されにくくなったり、ひどい場合には支離滅裂な応答しかできなくなるということがあります。
こちらの質問にも、的外(まとはず)れな回答しかできなくなってしまうのです。こうなるといわゆる言語を介してのやり取りが不可能になります。
言語上のやり取りが不可能になるわけですから、この時点で積極的な心理療法の対象にはなりません。 ~中略~
答えが噛み合わない原因に何らかの意識障害が関与していることがあります。特にせん(譫)妄と称されるような状態では、場にそぐわない言動が見られたり、猛獣や蟻の大群に襲われると思い込み、興奮して怯えることがあります。〈せん妄〉とは、「意識の異常(意識の内容の変化)の一つ。中等度からかなり高度の意識混濁(こんだく)を土台に、活発な精神運道興奮を示し、激しい不安や恐怖を呈する」(杉本敏夫他編著「ケアマネジメント用語辞典」二〇〇五年、ミネルヴァ書房、改訂版は二〇〇七年)のです。
精神科医はどのように話を聴くのか
藤本 修 (著
平凡社 (2010/12/11)
P126
南京大虐殺はなかった
日本軍が入城した十二月十三日から翌年二月九日までに、国際委員会は日米英独の大使館に六十一通の文書を提出しており、そこには殺人四十九件、傷害四十四件、強姦三百六十一(うち被害者多数三件、被害者数名六件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものでなく中国人からの伝聞によるものでした。
また国府軍側の何應欽将軍が直後の一九三八年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞社が出版していたもです。これにも虐殺の影はありません。
一言で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P107
2026年7月21日火曜日
言霊
口から出た言葉は、現実化してゆく。
口先でなく、
心情のこもった言葉を遣っているだろうか。
言葉を軽視してはいけない。
丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P36
例えばこの机でも、机をつくろうという波動がなかったらできないでしょう。単に板を置いておいて机になるか、ならないですね。
だれかがつくろうと最初に思う。それからいろいろできてくる。
一番最初にあるものは、心の波動です。心の波動として出てくる言葉にも当然、ものを造り出す力が宿っているのだから。心にいい波動を出しなさい。
そうすればいいものが現れる。いい言葉を使うと現実にいい世界が現れてくる。悪い言葉を使うと悪い世界が現れてくる。
これが本当の話なんです。これが言霊信仰です。
葉室 頼昭 (著)
「神道」のこころ
春秋社 (1997/10/15)
P159
言葉でいえば、それが形になっていく。それが日本語の言霊というものです。
ですから、悪い言葉を吐けば、そこに悪い世界が現実に現れるということです。逆にいいことを言えば、いい世界が現れるんですね。
いまはテレビでも何でも、悪いことばかり言っているから、悪い世界が現実に出てくるんです。
葉室 頼昭 (著)
神道 見えないものの力
春秋社 (1999/11)
P84
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
(ヨハネによる福音書/第1章1節~3説)
~中略~
この時代の哲学の流派のひとつに、ストア派というものがありました。そのストア派の考えに、世界中のすべてのものには、世界を世界として秩序づける原理が備わっている、というものがあり、この原理を彼らはロゴスと呼びました。「ヨハネの福音書」の書き出しの「言」(ことば)とは、このロゴスのことをいっているようです。
~中略~
実際ギリシア以来の哲学の思想は、聖書宗教の考えにも少しずつ影響しはじめるようになっていました。
大城 信哉 (著)
あらすじと解説で『聖書』が一気にわかる本
永岡書店 (2010/4/10)
P207 新訳聖書
持ち合わせの言葉が貧しければ、表現も貧しくなっているし、考えや感情を本当は充分に表しているとは言えない。
同時にまた、その言葉の質と量が自分の考えや心を決めてもいる。 「曙光」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
202
身体で行う行動も、口から出る言葉も、心の中での思考も、ネガティブな方向に暴走しないようにじょうずに運転できていること。
これが最高の幸福。
これまで心の中に蓄えてきた善い業(カルマ)のエネルギーがたくさんあるなら、 これから先も安心できる。
これが最高の幸福。
経集260
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一一三
フリードリヒ・ニーチェは著書「悦ばしき知識」の中で、韻文は本来神々に直接語りかけるものであり、魔術的な力をそなえ、人間の心の原始的な部分に訴えると書いている。
この見方は広く認められてはいないが、最近の研究で口調のいいことばに大きな力があることが証明された。
~中略~
口調のいい言葉のほうが覚えやすく、好感がもて、口にしやすいためだろうと科学者は分析している。
その科学が成功を決める
リチャード ワイズマン (著), Richard Wiseman (原著), 木村 博江 (翻訳)
文藝春秋 (2012/9/4)
P70
ソクラテスは、自分はある呪いを知っていて、それをトラケ王の医者の一人で、ザモルクシスの流れをくむ医術師から従軍中に教わった、と言った。
この医者がソクラテスに語ったところによると、全体をきりなはなして部分だけの治療を試みてはならないし、魂を別にして身体の治療にとりかかってはならない。
したがって、頭にしても、からだのほかの部分にしても、うまく働かしたければ、まずなんといっても、とりわけ、そのたましいの世話をしなければならないそうだ。・・・・
ここでソクラテスの言う呪いとは、美しい言葉にほかならない。その言葉によって魂の中に節制が植えつけられるのである。
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P94
「悉曇(しったん)の妙章、凡書の字母、体、先仏より凝(こ)り、理、種智を含めり。
字は生の終(をはり)を絡(まつ)ひ、用、群命を断ず(中略)文字の義用、大いなる哉(かな)、遠い哉」(弘法大師 空海「遍照発揮性霊集」巻第四)
【現代語訳 インドの悉曇文字の十八の各章、摩多・体文より成る梵字の字母など、その書体は、仏が世に出でます以前から定まり、その文字のもつ理法は一切の種智(すべての存在の相を知る仏の全智)を含んでいる。 文字は人の生死の始めや終りにかかわりなく永遠に及び、文字のはたらきはあらゆる迷いを断つ(中略)文字の意義と功用は、まことに広大であることよ、深遠であることよ】
こういった密教の文字や言葉に対する繊細なとらえ方は、古来より言霊のような感覚を強くもつ日本人の心情にも、しっくりとくる場合が多いようだ。
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P71
言葉は脳を自由にも不自由にもする
P090
つまり情報の有無によって、心は不自由になる。だけど、もっと不自由になっていく「からくり」があるの。それはおそらく集団からの規制の一種です。
たとえば自爆テロなんかはせんほうがいいんだけれども、彼らが信奉する教義の中で「聖戦として自爆テロをするのがいい。しないやつはだめだ」と「我らの大義に反する」というような考えが埋め込まれる。これは洗脳です。
集団の一つの考えによって、脳がある一定の方向にしか動きにくいようになってしまう。集団の拘束に使われている道具は、ほとんどが言葉です。 そして言葉を使って、集団の意志が心を拘束するときに起っているのは学習です。
一つの生命体としての、それぞれの脳が持っている限界、二つ目は脳に蓄積されている情報の量と質によって起ってくる限界です。そして三つめは、むしろ積極的に脳の自由自在性を拘束する倫理観やその他の学習で、なかでもほとんど言葉によって拘束されるようなものです。だいたいこの三つによって、心は不自由になります。
ところが、言葉こそは心がさらに自由度を得るために作ったものなんです。心が生みだしてきた最高の方法が言葉かもしれない。どうしてかと言うと、たとえば時間の概念、こういうものは言葉なしではおそらく出てこなかったでしょう。過去・現在・未来、あっち・こっち、空間・時空間を飛び回っているかのようなシュミレーション的活動が言葉によって可能となったのです。と
P105
あとのほうから申し上げますと、臨済宗の問答というのは、言語に束縛されているものを壊すために問答をやるんで、やはり最終的には「不立文字」に帰っていくということです。
それじゃ「不立文字」に帰っていくとどうなるかと言うと、今度は自由自在に言葉が湧き出るようになるわけですね。だから、言葉が人の心を支配するものではなくて、人の心を粗雑ながら一所懸命表現するものになる。
ちょっと粗雑な道具として、自在に心によって使われるようになることを禅は目指すんだろうと思います。
好奇心は危険を伴う
P106
みなさん、子どもを育てるようになったときに、子どもは好奇心があるから、ストーブが赤くなっていたら、「面白そうだ、何だろうか」と思って、触るでしょう。あれを止めたらいけません。火傷をすれば、すぐに学習できますから、 好奇心には危険なこともあるんだ、という学習になりますから、ちょっと火傷をさせてあげるようにするのが教育です。
そうすると、子どもの脳の中で、好奇心と、危険を察知しなければいけないということで葛藤が生じます。
それが子どもを、用心もするが好奇心もある人にしていきますので、「それは危ないからやめなさい」と言うと、危険を察知する能力が育つんじゃなくて、好奇心を抑制するようになります。
だからやっぱりナイフを使わせないなんていう今の教育は、どんどん健全さを落としてくことになるね。
好奇心のもう一つの危険は、好奇心は平和を壊すのね。だから社会のほうから好奇心を抑制する動きが起こってくる。
~中略~
だから、二つ危険がありますけれども、好奇心というものは常に前向きに行こうとするものですから、危険なほうへ危険なほうへと近づくものです。
個体にとっては危ないけれど、マルコ・ポーロでも誰でも、時代を拓いてきた人はみな好奇心の赴くままにそういう危険を冒してきた。 そういうことです。












