2026年5月22日金曜日

我見を離るべし

P88
 学人の第一の用心は先ず我見を離るべし。
我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず。説ひ古人の語話を究め常座鉄石の如くなりとも、この身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからず。

P113
学道は須く吾我を離るべし。
設ひ千経万論を学し得たりとも、我執を離れずんば終に魔坑に落べし。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1992/10/01
  • メディア: 文庫



私が結核で死にそうになったとき、知らないで無我になったら神の世界が目の前に出てきてしまったんですね。そうすると、ただただ感動ですね。

どうしたら見られるかといったら、我をなくすこと以外に神を見る方法というのはない。理屈では見られない。それが神道でいう祓いですね。
罪・穢というのはすべて我ですから、我を祓いなさい。なくしなさい。そういしたら神さまがみられますよと言っているんですが、人間というのはなかなか我をなくすことができない。

葉室 頼昭 (著)
神道 見えないものの力
春秋社 (1999/11)
P215

神道 見えないものの力 〈新装版〉 ( )

神道 見えないものの力 〈新装版〉 ( )

  • 作者: 葉室 頼昭
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2013/10/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


P332
まずは<私>の視点や認識を疑う、<私>の判断や思考を疑う、そのことによって逆に<私>がありありと浮かび上がってくる、そんなプロセスから始めましょう。
 (求める)心さえあれば、眼の見えるところ、耳の聞くところ、みなことごとく教えである。
 (「華厳経」)

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


七九八 ひとが何か或るものに依拠して「その他の者はつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真理に達した人びと>は語る。
それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。
七九九 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P179

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版



P50  人が悩んでしまう理由の一つは、「判断しすぎる心」にあります。
「判断」とは、この仕事に意味があるとかないとか、人生は生きている値打ちがあるとかないとか、彼と自分を比較すれば、どちらが優れている、劣っているといった「決めつけ」「思いこみ」のことです。
「どうせ自分なんて」という自虐も判断。「失敗した」「最悪」「ついてない」という失望や落胆も判断。「うまくいかないのでは?」という不安や尻込みも、「あの人はキライ、苦手」といった人物評も、判断です。
 こうした判断は、不満、憂鬱、心配事など、たくさんの悩みを作り出します。~中略~
「判断」が、人の心をいかに縛りつけているか、今一度振り返ってみましょう。
 たとえばこんな人がいます。占い好きで、運勢がいい、・悪いといつも判断している。噂話に花を咲かせて、「あの人はこんな人物らしい」と詮索している。人と別れた後は、彼はいい人・悪い人、好きだ・嫌いだと評価している。
「自分は絶対に正しい」と思い込んでいる人もいます。人の意見を聞かずに、自己主張ばかりするほと。それどころか、人に意見されると逆上する人。~中略~
「判断」は、自分の性格にも影響します。「こうでなければ」という思い込みは、「潔癖さ」や「完璧主義」「頑張りすぎてしまう」性格を作り出します。「自分はダメな人間だ」という自己否定のレッテルにもなります。
「どうせ失敗するに決っている」「わたしにはそれだけの能力がない」と、ひとりで「結論を出してしまっている」こともあります。これらは全部「判断」です。
~中略~
 目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとに囚(とら)われない。
 彼は、善し悪しを判断しない、判断によって心を汚さない。心を汚す原因も作らない。
 ブッダは、正しい道(方法)のみを説く。かくして「わたしが」という自意識から自由でいる。
                   ―スッタニパータ <心の清浄について>の節

P68
「今日はついていない」「失敗したかも」「あの人は苦手、嫌い」「自分はダメな人間」といった思いがよぎった時は、「あ、判断した」と気づいてください。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)

 

P82
 一度、自我というものを徹底的に殺し尽くすことです。
禅的に申せば、一度死にきれということです。つまり、いまのお前を支配しているのは全部自我じゃないか。だから、まずその自我を殺し尽くせ、と言うのです。
 じゃあ、どうすれば自我は殺せるのか。禅宗では、そのために、座禅というようなものを行ないます。いわゆる無念無想の境地です。

P96
 なぜ、禅では、これほどまでに修行を厳しくするのか。それには一つの目的があるのです。つまり、禅においては、自由とか平等とか、そういういっさいの人間的なものは末梢的なものと見ます。
そして修行の目的は、あくまでも「自我」というものを殺し尽くすことにあるとする。すなわち、、自我を殺すためには、そういう不自由とか不平等とかいうことをいっさい黙殺しなければならない。自我とは、じぶんのしたいことをしたい、あるいは自分を主張したいということですから、そんなものはこんりんざい認めない。求めるものはただ一つ、つまり自己とは何か、ということです。~中略~
 自己を確立するためには、まず自我を殺さねばなりません。そうしてこそはじめて、自由ということが言いうるのです。

P104
 この、「おれが」「わたくしが」という自我を捨て去るには、それではどうすればよいか。
そこに仏教の本領があります。  仏教では、そのために、いったい自我とは何か、ということをとことん求めていくのです。またそのための懇切なる解説書が数限りなくあります。
何千巻とある仏教経典は、すべてこの自我とは何か、人間とは何か、ということの解脱であると見てよろしい。それを読んでいくうちに、なるほど人間とはそういうものか、ということがわかるようになっている。これは、一つの哲学的な方法であります。
 しかしながら、仏教にはもう一つ方法がある、たとえば、比叡山の修業には「籠山(ろうざん)の比丘」と「回峰の行者」という二つの修業方法があります。
籠山の比丘とは、比丘、すなわち坊さんが、約一二年の間、山に立てこもって勉学にいそしむことをいうのですが、これなどはいま申しました哲学的方法です。
 ところが、人間には二とおりあって、非常に知恵に走る人と、あまり知恵は回らないが体は頑健であるという人と、だいたい二種類のタイプに分かれる。
前者は「籠山の比丘」となってその知恵をひたすら磨く。
しかし、後者は「回峰の行者」、すなわち峰を歩き回る行者となって、一日に十六里以上も山を歩きつづける生活を送るのです。それはもうくたくたの、すべてを忘れ果ててしまうほどの過酷の生活であります。ただやらなければならないからやる、それだけの生活です。 そうした修業を、およそ千日もつづけていますと、最後にはもうわれも彼もなくなっている。自我などというものはどこかに吹き飛んでいます。それは、行より入るところの無我の境地であります。

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

  • 作者: 立花 大亀
  • 出版社/メーカー: 里文出版
  • 発売日: 2011/03/15
  • メディア: 単行本

 

福井県 永平寺

諍論(じやうろん)するな

君子の力牛にも勝れりといへども牛と諍そはず。
我法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠(かす)め難ずべからず。
若し真実の学道の人ありて法を問はば、法を惜しむべからず。為に開示すべし。
然あれども猶それも三度問はれて一度答ふべし。多言閑語することなかれ。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P112

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1992/10/01
  • メディア: 文庫

学識の豊かな人は、知識に自信があるあまり、人の意見に耳を貸さないことが多い。そして一方的に判断を推しつけたり、勝手に決めつけたりする。
 そんなことをすれば、どういうことになるだろう。そう、抑えつけられた人たちは、侮辱された、傷つけられたと感じ、おとなしく従ってはいない。憤り、反抗するだろう。

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P121

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2011/03/22
  • メディア: 文庫


[第七十九段] 何事も、深く立ち入らぬ様子をしているのがよい。人柄のよい者は、知っていることだからといって、そんなに自慢顔にしゃべったりはしないものだ。
~中略~
自分が精通している道には、必ず口が重く、相手が問わぬ限りは、しゃべらないのが、よいのである。 

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P227

徒然草 (講談社文庫)

徒然草 (講談社文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: Kindle版

  自分の考えにしがみついている人が、「俺様の考えだけが真理であり、貴様はまちがっている」と論争をしかけてくるなら、
「なるほど、そういう考え方もあるのですねえ。あなたがそう考えたくなる気持ちはわかるような気がします」
と言ってヒョイッとかわしてやるとよい。
~後略
経集832

超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
〇四八  

超訳ブッダの言葉

超訳ブッダの言葉

  • 作者: 小池龍之介
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2012/10/18
  • メディア: Kindle版

八二四 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。
「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。
八二五 かれらは議論を欲し、集会に突入し、相互に他人を<愚者である>と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交す。―みずから真理に達した者であると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。
八二六 集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ(論敵の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。
八二七 諸々の審判者がかれの所論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「かれはわたしを打ち負かした」といって非泣する。
八二八 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。
八二九 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。
八三〇 心の高ぶりというものは、かれの害われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。
~中略~
八三二 (特殊な)偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、―「論争が起こっても、汝と対論する者はここにいない」と。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P183

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版

仏の教えは前に触れたように、大きな声をあげて「論争」することを好まない。やはり、弘法大師も静かに沈黙することをすすめるのだ。意見の違う人に対して、言葉を尽くして説明することは、僕自身これから何度もあるだろうけれど、同時に、釈尊や空海が「黙」というものに込めた真意に、思いを巡らすものでありたい。
「方円の人法は黙するに如かず」
【現代語訳 四角になったり円くなったりする人間のあり方に対しては黙している方がよい】
(弘法大師 空海 遍照発揮性霊集」巻第一)

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P235

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本

 相手が過剰にしゃべっているときには、私は逆に沈黙を武器として使います。相手が得意げに話し続けているときや、相手の言っていることが要領を得ないとき、私はとにかく黙って聞くようにしています。
饒舌な人間はこちらが黙っていると、何時間でも話し続けるものです。聞いているこちらとしては、「相手に口をはさませずに一人で二時間、三時間しゃべるアホがどこにおんねん」という心境ですが(口が悪くてごめんなさい)、まずは何も言わずに聞きます。
 なぜか、こういう相手は調子に乗りすぎないよう、ボディーブローを打ち込んでおく必要があるからです。
ずっと黙って聞き続け、最後に相手が「すごいだろ、これでわかったか?」と得意げに言ってきたときに、「いや、全然わかりませんでした」と真顔で切り返すのです。
 実際、これはかなり堪(こた)えます。

交渉プロフェッショナル
島田 久仁彦 (著)
NHK出版 (2013/10/8)
P43

交渉プロフェッショナル 国際調停の修羅場から (NHK出版新書)

交渉プロフェッショナル 国際調停の修羅場から (NHK出版新書)

  • 作者: 島田久仁彦
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2013/10/11
  • メディア: Kindle版

人が君の議論を認めない場合も、忍耐を失うな。(コーランから)
(「格言と反省」から)

ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P92

ゲーテ格言集(新潮文庫)

ゲーテ格言集(新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: Kindle版


 いくら見事に論破しても、こういうアホたちが自分の考えを変えるとは思いにくい。美しく論破されたら、あなたに対する恨みが増すだけだろう。次は姑息な手段を使ってでもリベンジしてくるかもしれない。
その前に、誰からん見てもいくら見事に論破したと思われても、アホは論破されたと思っていない可能性が高い。言いがかりをつけられたとか、屁理屈で言いくるめられたと思って、被害者意識を持ちながらあなたを憎むことだろう。
 おせっかいの傾向のある人は、たいていはお人よしで純粋な人が多い、ある意味、自信家であり、自分は問題を解決できると思っているから、いろいろとおせっかいという形で介入してくるわけだ。

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)
P27

頭に来てもアホとは戦うな!

頭に来てもアホとは戦うな!

  • 作者: 田村耕太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/09/25
  • メディア: Kindle版

福井県 永平寺

明聞我執を捨つべきなり

仏菩薩は人の来て請ふときは身肉手足をも截れり。
況や人来て一通の状をこはんに、名聞計(ばか)りを思うてその事を聞かぬは是れ我執深きなり。

~中略~
理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ状にも載すべけれ。
請け取て沙汰せん人こそ理非をば明らむべけれ。
吾が分上にあらぬ此(かく)の如きのことを、理を枉(まげ)てその人に云んことも亦非なり。

~中略~
所詮は事に触て明聞我執を捨つべきなり。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P38

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

正法眼蔵随聞記 (ちくま文庫 ミ 1-1)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1992/10/01
  • メディア: 文庫

 

「第一には須く、先ず世間の窮通得失栄辱(貧乏と出世、成功と失敗、栄誉と恥辱)を将(もつ)て一切之を度外に置き以て霊台(心)を累(わずら)はさざるべし。
既に此の心を弁得すれば(明らかにできれば)、則ち患ふるところ、已(すで)に五七分は休歇(きゅうかつ)せり」
李退渓

横井小楠―維新の青写真を描いた男
徳永 洋 (著)
新潮社 (2005/01)
P39

 

横井小楠―維新の青写真を描いた男―(新潮新書)

横井小楠―維新の青写真を描いた男―(新潮新書)

  • 作者: 徳永 洋
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/08/03
  • メディア: Kindle版

 

 

P204
 九四四 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。

P402
 総じて人間の習性であろうが、年老いた者は昔を懐しみ、昔あったものを何でも良いものだと思う。
他方若い人は何でも新奇なものにひきつけられ、古いものを破壊しようとする。この二つの傾向は互いに矛盾し抗争する。
これは、いつの時代でも同じことである。最初期の仏教における右の詩句は、明言しているわけではないが、恐らくこういうことに言及しているのであろう。
 しかしどちらの傾向も偏っていて、一面的であると言わねばならぬ。もしも昔のもの、古いものをことごとく是認するならば、人間の文化そのものが有り得ないであろう。文明は過去からの人間の努力の蓄積の上に成立するものであるからである。だから、新しいというだけで跳びついてはならぬ。
 人間はどうかすると、人間の根底にひそむ、眼に見えぬ、どす黒いものに動かされて衝動的に行動することがある。だが、それは、進路をあやまり、破壊のもととなるから、「牽引する者(妄執)」に、とらわれてはならない。
 では、過去に対して、「どちらでもない中道をとるのだ」といって、両者の中間をとるならば、それは単に両者を合して希薄にしただけでにすぎないのであって、力のないものになってしまう。
 転換期に当って、或る点に関して古いものを残すか、或いはそれを廃止して新しいものを採用するか、という決断に迫られるのであるが、その際には、その決断は一定の原理に従ってなされねばならぬ。
 その原理は、人間のためをはかり、人間を高貴ならしめるものでなければならぬ。それを仏典ではサンスクリット語でarthaと呼び、漢訳では「義」とか「利」とか訳しているが、邦語でいえば「ため」とでも言い得るであろう。それは「ひとのため」であり、それが同時に高い意味で「わがため」になるのである。
 人間のよりどころであり、人間を人間のあるべきすがたにたもつものであるという意味で、原始仏教ではそれを「法」(ダルマ)と呼んだ。仏はその<法>を見た人であり、仏教はその<法>を明らかにするものである(だから「仏法」ともいう)。その法は、民族や時代の差を超え、さらに諸宗教の区別をも超えて、実現さるべきものなのである。

P229
一〇八六(ぶっだが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
一〇八七 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執着を乗り超えているのである」と。 

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版

 

 

 人は三つの執着によって苦しむ。
①求めるものを得たいという執着(だがかなわない)。
②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる)。
③苦痛となっている物事をなくしたいという執着である(だが思い通りにはなくならない)。
 では、これらの苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因である”執着”が完全に止んだ状態なのだ。
                   ―サルナートでの五比丘への開示 サンユッタ・ニカーヤ

 人が苦しみを感じるとき、その心には必ず「執着」があります。本来心は、サラサラと流れつづける小川のように、苦しみを残さないはずなのに、執着ゆえに、滞(とどこお)り、苦しみを生んでいるのです。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P56

 

福井県 永平寺

欲望

P160
 欲望というのは人間を走らせる駆動力でもあります。それが枯れるというのは、ガス欠した車のような状態になることであり、そのことこそ「苦しい」と思う人も少なからずいるはずです。
 欲望にまみれて突っ走っている人間には、怖いものはありません。突っ走れなくなったときに初めて、恐怖を感じ始めます。

P163
そもそも文化と呼ばれるものには、欲望が必要です。
「カッコいい」ものを作りたい、という欲望のないものが、後世まで残るはずがありません。
「みんなバラバラで、それがいい」という価値相対化の時代になると、どれが「カッコいい」一等賞なのか、判断しづらくなります。つまり「みんな平等」というお釈迦さんの言うことを全面的に認めると、文化というのは生まれにくくなるのではないでしょうか。
~中略~

 文化は欲望からしか生まれない―。このことについて、お釈迦さんはどのようにお考えになるのでしょうか。

 そもそも、「文化を残す」という考え方自体が執着そのもので、諸行無常に反するのかもしれませんが、数百年の時を経て残った仏像やお寺に夢中になって仏教に興味を持った身としては、少なくともそこは否定できないと思うのです。 

マイ仏教
みうらじゅん (著)
新潮社 (2011/5/14)

マイ仏教 (新潮新書)

マイ仏教 (新潮新書)

  • 作者: みうらじゅん
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: Kindle版

P46
 この鴨長明のように「隠棲する」「枯れる」、というのは日本人の一つの理想の姿ではある。
歌人の西行にしても、「徒然草」で知られる兼好法師も、上皇に仕える武士から出家している。 出家まではできなくても、「欲」を持たず、恬淡(てんたん)と生きることに心を惹かれるという人も多いだろう。
 しかし「欲」とは生きていくうえでのガソリン・エネルギー源である。
 精神分析学の開祖、フロイトは「性的衝動を発現させるエネルギー」を リビドーと呼んだ。
彼の弟子で、後に彼と決別したユングはリビドーをもっと広く、「すべての本能のエネルギーの本体」と捉えた。

 P48
 年を取っても何でも楽しめる人でいられるか、何をしてもつまらない人になってしまうかは、自分の「欲」とのつき合い方にかかっているのだ。
 鴨長明や西行、兼好法師らは、なるほど隠棲した人たちかもしれない。だが、彼らは自分で日記や随筆を書いたり、和歌を詠むなど創作活動に打ち込んでいたのだ。
生きかたは「枯れている」ように見えても、何かを表現したいという「欲」までは枯れていなかったのだ。 彼らの感情は老化しているどころか、老いてますますいきいきとしていた。

P31
 作家の赤瀬川源平さんは、加齢による衰えを肯定的に捉える言葉として「老人力」と名付けたが、欲がなくなるもの確かに「老人力」だろう。
老成ゆえに信用されることもある。しかし、一方では、欲がなくなったがゆえに枯れてゆくという面は否めない。
 何かにつけて「めんどくさい」「もうこんなことしなくてもいいだろう」と感じて、そんな言葉が口をついて出るようになってくると、本当に老け込んだ年寄りになってしまう。
「欲」を持ち続けるのも、感情の老化と闘っていくために大事なことなのだ。

人は「感情」から老化する―前頭葉の若さを保つ習慣術
和田 秀樹 (著)
祥伝社 (2006/10)
人は「感情」から老化する: 前頭葉の若さを保つ習慣術 (祥伝社新書 52)

人は「感情」から老化する: 前頭葉の若さを保つ習慣術 (祥伝社新書 52)

  • 作者: 和田 秀樹
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 新書

 

 

P25
文明社会では、人間はいつも多くの人たちの協力と援助を必要としているのに、全生涯をつうじてわずか数人の友情をかちえるのがやっとなのである。
他のたいていの動物はどれも、ひとたび成熟すると、完全に独立してしまい、他の生き物の助けを必要としなくなる。
ところが人間は、仲間の助けをほとんどいつも必要としている。
だが、その助けを仲間の博愛心のみ期待してみても無駄である。むしろそれよりも、もしかれが、自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ、そしてかれが仲間に求めていることを仲間がかれのためにすることが、仲間自身の利益になるのだということを、仲間に示すことができるなら、そのほうがずっと目的を達しやすい。
他人にある種の取引を申し出るのはだれでも、右のように提案するのである。
私の欲しいものを下さい、そうすればあなたの望むこれをあげましょう、というのが、すべてのこういう申し出の意味なのであり、こういうふうにしてわれわれは、自分たちの必要としている他人の好意の大部分をたがいに受け取りあうのである。
われわれが自分たちの食事をとるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるものではなくて、かれら自身の利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、かれらの自愛心(セルフ・ラブ)にたいしてであり、われわれが彼らに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてである(1)。
同胞市民の博愛心に主としてたよろうとするのは、乞食をおいてほかにはいない。乞食ですら、それにすっかりたよることはしない。

P27
(1)前略~
ここでは、私人の「利己心」が東インド会社という独占会社の職員の性格として説明されているが、スミスはむしろ人間一般の利己的本性の抜きがたく深いものであることを「国富論」全体を通して繰り返し述べており、またそれがかえっておのずから一定の経済秩序を生み出し、無意識のうちに、社会の富裕の増大と適正な分配の秩序をつくり出すものであることを強調した。
分業も、交換も、節約も、蓄積も、みなこの利己心=自愛心に発するものであり、この人間性は、われわれが母親の胎内から生まれ出、墓場に入るまでの生涯にわたって、われわれの行動を左右するものだと、スミスは考えている。

利己的本性や憐愍の情ではなく、人間のこの利己的本性、自分の境遇を改善しようとする、人間に本来ひそんでいる常住不断性向こそが、経済進歩の起動力であり、またひろく社会生活における人間関係を規律していくものである、とスミスは述べるのである。 この点は、「国富論」に先立つスミスの著作「道徳情操論」(The Theory of Moral Sentiments,1759 )においてすでに明瞭に描き出されている。 

国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)

国富論 1 (中公文庫 D 20)

国富論 1 (中公文庫 D 20)

  • 作者: アダム スミス
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1978/04/10
  • メディア: 文庫

 

 豊かになれば、人間というものは、歌舞音曲と恋愛と宗教にしか興味をもたなくなる。これは古今東西を通して歴史の法則であるといってよい。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P252

 

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
  • メディア: 文庫

 

 

P39
(1)貪欲―これは、過剰な欲求に駆られている状態です。平たくいえば、求めすぎ、期待しすぎ。焦りや、人間関係をめぐる不満は、たいていが、この「求めすぎる心」から来ています。
  自分に、他人に「求めすぎていないか」を、つねに気をつけたいものです。
貪欲に支配されると、自分自身が苦しいし、関わる相手も必ず不幸にしてしまいます。
  貪欲に駆られて求めすぎる人間は、本来力のなかった煩悩に負けて、さまざまな苦悩を背負い込む。あたかも自ら打ち破った舟の穴から、水が浸入してくるように。
P124
「自分が快を感じるかぎり、欲求も大切にしていい」と考えるなら、承認欲(認められたいという願い)も「活かし方次第」ということになるでしょう。
 たとえば「仕事で評価されたい」「人に感謝されたい」「ほめられたい」という願いがやる気を刺激してくれるなら、その欲求を否定する理由は、少なくともその人にとっては存在しないはずです。
 だから、もしくあなたの中に、やってみたい、チャレンジしたいことがあるなら、その欲求は大切にしてください。その動機が、仮に「おカネを稼ぎたい」とか「人より上に立ちたい」「競争に勝利したい」といった「煩悩」であっても、目指すことに「快」があるなら、大いにやってみることです。
 ただし―ここで一つの条件がつきます。というのは、欲求の満足が幸せにつながるのは、本人が「快」と感じる場合だけです。
逆に、もし欲が膨らみすぎて、「焦り」とか「不安」とか、「結果が出ない」「頑張っても認めてもらえない」という不満になってしまうなら、その欲求はいったん手放さないといけません。「苦(不快)を感じたら仕切り直しなさい」というのも、ブッダの思考法です。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)

 

三たび復(かへ)して後に云へ

 古へに三たび復(かへ)して後に云へと。
云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さ付して後に言行すべしとなり。
先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。

~中略~
我が思ふことも言ふこともあしきことあるべき故に、まづ仏道に合ふや否やとかえりみ、自他の為に益ありやいなやと能々(よくよく)思ひかえりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。
行者若しかくのごとく心を守らば、一期仏意に背かざるべし。

永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P94

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: 文庫


  前略~
 君の胸に秘めている言葉が、事実でありしかも相手にダメージを与えず、相手にとってメリットがあるとわかるなら、あくまでもタイミングをみて、それを伝えるとよい。
~後略
中部経典「無諍分別経」

超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一〇〇  

超訳 ブッダの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

超訳 ブッダの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

  • 作者: 小池 龍之介
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2011/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 

「ま、しゃべるよりさきにちっと偉い人たちの書いたものでも読んでごらん」というにきまっている。
「そこいらは、とうの昔から写真入の道案内一部三銭5厘、誰でも知ってる風景だあね」といわれそうでもある。

幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P27

幸田文しつけ帖

幸田文しつけ帖

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/02/05
  • メディア: 単行本


福井県 永平寺

悪口を以て僧を呵嘖し毀呰(きし)すること莫れ。

  悪口を以て僧を呵嘖し毀呰(きし)すること莫れ。
設(たと)ひ悪人不当なりとも左右なく悪(に)くみ毀(そし)ることなかれ。
先ずいかにわるしと云とも、四人巳上集会しぬればこれ僧体にて国の重宝なり。
最も帰敬すべきものなり。
若(もしく)は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、弟子不当ならば慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし。
其時設ひ打つべきをば打ち、呵嘖すとも、毀呰謗言の心を発すべからず。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P24

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2023/03/23
  • メディア: 文庫

永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。

 

  子弟をおしゆるに、いかに愚・不肖にして、わかく、いやしきとも、甚しく忿(いかり)の罵りて、顔色とことばをあららかにし、悪口して、はづかしむべからず。
  かくの如くすれば、子弟、わが非分なる事をばわすれて、父兄のいましめをいかり、うらみ・そむきて、したがはず、かへつて、父子・兄弟の間も不和になり、相やぶれて、恩をそこなふにいたる。
只、従容(しょうよう)として、厳正にをしえ、いくたびもくりかへし、やうやく、つげ戒むべし。
是子弟をおしえ、人材をやしなひ来す法なり。

>>>従容

和俗童子訓 巻之二 
総論 下

養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P234

養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2023/03/23
  • メディア: 文庫

 

福井県 永平寺

法華経の真実

P23
   法華経の救いの構造は、法華経を信じることで仏の国に生まれ変わり、次々に善い行いを積んで、ついには自分が仏になるというものである。
それを歴劫成仏といい、長い過程を経なければ仏になれないとされる。
法華経は弥勒菩薩に普通の人の役割をあて、悟りへの階梯を示す。

P238
法華経を信じれば仏の智慧を得られるという。それを一切種智ともいい、すべてを見通すことができるという。
これはどういうことか。むしろ逆ではないか。
十方の諸仏とか天やら龍やらがやたらと出てくる法華経を信じるのは迷信にとらわれており、知性を失っている。
そう考えるのが通常の良識ある態度ではあるまいか。

~中略~

宗教でいう真理は、事実とか現代の実証科学の真理とは、まったく別のものである。
人間にとって、事実は単に物質として存在しているのではないのだから。

 たとえば、なぜ自分が生きているのかわからないといった不安に陥るとき、あるいは人生そのものが無意味に感じられるようなときには、みずみずしい山並み、海や空や星々でさえ輝きを失ってしまう。
人間にとって周りの事物は、そのような精神的なものとして存在しているのである。

だから仏教ではよく「生かされている自分」という。何に生かされているのか、理屈をつけてもはじまらない。
何か大きな力といってもいいし、それを仏と呼んでもいい。

 

自己を包む空間には何か大きな力が働いているということが、宗教の真理にほかならない。
そして、何か大きな力に包まれている自分というものを発見するとき、人生は新たな意味を獲得する。
智慧とは、まず、それに目覚めることである。

大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)

図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)

図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)

  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2020/07/16
  • メディア: 単行本


島根県 荒神谷遺跡

安心(あんじん)

 どんな時にも心が安定していて、何の苦悩もないこと。
 禅では、そんな「安心」を得るために、修行に励みます。
 心が静かに澄み渡り、ひとかけらの不満も不安もない状態。自分の中に仏性があると気づき、生かされていることのありがたさにただ感謝だけがある状態です。
 不安や心配事は、ともすると心を占領して私たちを悩ませますが、それらは自分自身が心の中で作り出しているものです。不安や怖れ、怒りなど、マイナスの感情を手放して「安心」を得ると、日常のささやかなことに大きな幸福感を感じられるようになります。

怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)
P190

 

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

  • 作者: 俊明, 枡野
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/04/06
  • メディア: 文庫


P201
 面白いことに、人間では、理性的に先の展開を予測すればするほど(こうした個体は経済的に有利になりやすいということがわかっているにもかかわらず)、悲観的な未来を詳細に想像して準備する力が高いために、現在をネガティブにとらえる傾向が高いのです。
 この現象は思春期からすでに見られ、こうした知覚の鋭い成績優秀者では、ほかの生徒と比べて悲観的な傾向が強いと考えられています。だからこそ勤勉になり、結果を出すことが可能なのだとも言えますが、本人の内観を想像すれば、ネガティブな未来からのリアルな脅迫を感じながら毎日をすごさなければならないのは、かなりの苦行でしょう。

P203
 宗教性が人間にもたらす知覚体験は、それなしでは生き残ってこられなかった「ネガティブな未来に対する不安」から私たちを絶妙な精度で解放し、遠い未来や手の届かない過去を認識させることによって逆説的に、”今”と”ここ”に私たちの目を向けさせ、生きる力を与えてくれるものだということができます。
 これは観念の遊戯というよりも、もっと実際的に活かされるべき知見と言えます。長期的な視座に立ち、「ナガティブな未来を感じる力」こそが、あらゆる不測の事態に対する準備を私たちにさせて、より生き延びる、確度を上げる能力と同じものだということを、多くの人は感覚的に知っているでしょう。
 すでに述べているように、不安傾向の高い人のほうが長命を維持する割合が高く、健康でいられるという研究結果も知られています。
 苦痛を忘れて芸術の快楽や知の遊戯に溺れるなどということではなく、不安によるストレスを和らげつつも鋭く未来を見据える力を一定の水準に保ち、冷静に力強く対処する―その工夫のためのツールとして活用できるものを積極的に思考の中に取り入れることが、「弱み」を、生き延びる強さに変える生き方を構築する助けになります。

空気を読む脳
中野 信子 (著)
講談社 (2020/2/20)

空気を読む脳 (講談社+α新書)

空気を読む脳 (講談社+α新書)

  • 作者: 中野信子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: Kindle版

 

福井県 妙楽寺

接物宜従厚

P115
 物に接するよろしく厚きに従うべしというは黄山谷の句である。人は心を存するすべからく温なるべきである。
~中略~
 性癖は如何とも為し難いにせよ、人はなるべく「やわらかみ」と「あたたかみ」とを有したいものである。
仮にも助長の作用を為して剋殺の作用を為したくないものである。

~中略~
 他人の宗教を奉ぜんとするに会えばこれを嘲笑するは、科学を悦ぶものの免れざるところであり、他人の科学を尊信するを見ればこれを罵倒するは、宗教を悦ぶものの免れざるところである。
しかし、人の性情は多種であり、人の境遇は多様である。自己の是とするところのみを是とせば、天下は是ならざるものの多きに堪えざらんとするするのである。
故にいやしくも不良でなく兇悪でなく狂妄でない限りは、人の思想や言説や行為に対しては、いやしくも剋殺的でなく助長的であって然るべきである。
(明治四十四年二月)

努力論
幸田 露伴 (著)
岩波書店; 改版 (2001/7/16)

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2001/07/16
  • メディア: 文庫

 

氣比神宮  福井県敦賀市

無所得・無所求・無所悟

 仏道を学ぶ道において最も重要なことは座禅であり、座禅が第一である。大宋国(中国)の人が、数多く得道した(悟りを開いた)のも、みな座禅の力である。
であるから、修行者はただ座禅をして、ほかのことに関わってはいけない。仏祖の道はただ座禅であり、ほかのことに関わってはいけない。
(中略)

古人の悟りの言葉を学んで、少しばかり分ったようなつもりになっても、それがかえって仏の道から遠ざかる原因になることもある。
所得を求めず、悟りを求めないで、ただ座禅して時を過ごすことが、そのまま修行者の生き方なのである。
古人も、語録を見ることとただ座禅することを共に勧めているが、それでも座ることの方をよりもっぱらに勧めている。
古人の言葉を学んで悟りを開いた人もあるが、それも実は座った功徳によって悟りを開く因縁となったのである。本当の功徳は座ることにあるのである。
(巻六)

角田 泰隆 (著)
禅のすすめ―道元のことば
日本放送出版協会 (2003/03)
P102

禅のすすめ―道元のことば (NHKライブラリー)

禅のすすめ―道元のことば (NHKライブラリー)

  • 作者: 角田 泰隆
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2020/09/08
  • メディア: 単行本


(住人注:オークションで)もっとも長いあいだ最高額の入札者だった人は、最終的に仮想の所有意識をもっとも強く抱いていた。
もちろん、最高額入札者の立場は危ういものだ。そのため、いったん自分が所有者だと感じると、その立場を失わないように、しかたなくどんどん高い額を入札していた。

 「仮想の所有意識」が広告業の推進力のひとつになっているのは言うまでもない。
幸せそうな夫婦がBMWのオープンカーでカルフォルニアの海岸線を走るのを見て、そんな自分の姿を想像する。
~中略~
 ほかの方法でも、所有権に釣りこまれることがある。
企業はよく、販売促進のため「おためし」を設ける。
~中略~
 同じように客を誘惑する罠の例には、「三〇日間返金保証」というのがある。

所有意識は物質的なものに限ったことではない。ものの見方のもあてはまる。~中略~
もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。その結果、残るものは何か。
かたくなで柔軟性のないイデオロギーだ。

所有意識という病を治す既知の方法はない。
アダム・スミスが述べたように、所有意識はわたしたちの生活に織り込まれている。だが、そうと気づくことは助けになるかもしれない。

予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P236

 

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/10/22
  • メディア: ペーパーバック


 君が川を渡るために筏(いかだ)をつくって、
川を渡ったあとでこう考えたとしてみよう。
「この筏はとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と。
そんなお荷物をかかえ込んでしまっては、
重たくて重たくて、まともに歩けはしなくなる。
それが君の業績であれ学歴であれ職歴であれ、この筏と同じこと。
私の言葉も教えも心理すらもまた、
この筏のようなものにすぎないのだから、
君が私の教えを使い終わったなら、惜しむことなく捨て去るように。
中部経典「蛇喩経」

超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一五六  

超訳 ブッダの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

超訳 ブッダの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

  • 作者: 小池 龍之介
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2011/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


信仰と、愛と、希望、この三者がキリスト教のいちばん大切なものと考えられている。
仏教では、この希望ということがないように、他の宗教者が批判することもあるけれども、仏教も詮索してみると、希望というものがはっきりはいっている。
禅宗などは、もっとも希望のないような宗教のように、昔から言われているけれども、よく吟味してみると、やはり、希望という感情はある。これがなかったならば禅宗の禅宗たる面目もないように思う。
知的、直覚的の思想で固めた人でも、やはり一種の希望というものはあるように感ずるのである。
この希望ということから出て来るものがある。だんだん出て来るものがある。すなわち今言った信頼するとか、畏敬するとかいうようなものは、それから出て来る複雑な感情である。それがないと宗教にならぬ。
安心というものがある。信任するということは安心と見てもいいが、しかし信任するだけでは、その意味を十分表わすことができないと思う。これがいいという安心するところがある。この安心というというものが宗教にないといかぬ。
~中略~ いかに恐怖の念があっても、その外に信任と言ってもいい、希望と言ってもいいが、ここに確固たる安心というものがなかったならば、やはり宗教は成り立たないと思う。

禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P183

禅とは何か (角川文庫ソフィア)

禅とは何か (角川文庫ソフィア)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2020/09/08
  • メディア: 文庫


福井県 永平寺