2026年8月13日木曜日

人間の心の根底にあるのは「無力感」である


 すべてを思いどおりにできない、望みは叶うことのほうがむしろ珍しい、自分1人では生きていけない―そんな具合に、赤ん坊のときから我々は無力感を痛感しつづけて成長してきている。
すると、それに対して人はどのように考えたり振る舞ったりすることになるのか。そこに、人それぞれの生き方や考え方が析出してくる。
 ある人は、無力感を克服するべく奮闘努力しがんばり抜き、しかし成功者となってもなお無力感を払拭できぬままうっ屈した気分で日々を過ごしているかもしれない。別な人は、無力感ゆえに努力も忍耐も放棄し、その場しのぎの無気力で怠惰な毎日を送っているかもしれない。~中略~
 もともとは「無力感」という切ないものからスタートしているにもかかわらず、成長していくうちに、どのように無力感を手なずけ飼い慣らすかで全然傾向の違った人柄ができあがっていく。
そのような多様性と不思議さとを、我々は念頭に置いておくべきだろう。

はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P012

援助者必携はじめての精神科 第2版

援助者必携はじめての精神科 第2版

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本

 

新穂高ロープウエー 長野県

アイデンティティ危機に陥れる患者たち

心気症者は身体科では疎まれ、冷遇されることが多い。心気症では、自覚症状の強さと裏腹に他覚所見にまったく異常が見出せない。これはすなわち、身体科治療者が拠って立つ自らの診療体系に対する確信をぐらつかせ、治療者に不快な無力感を生み出すこととなる。
 治療者は、精神科・身体科を問わず、自らをアイデンティティ危機に陥れる患者たちとの遭遇に、どう対応してゆくべきか。当然のことながら、治療者の感情は大きく波打つだろう。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ
熊木 徹夫 (著)
中央公論新社 (2004/05)
P80

精神科医になる 患者を〈わかる〉ということ (中公新書)

精神科医になる 患者を〈わかる〉ということ (中公新書)

  • 作者: 熊木徹夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: Kindle版

 苦労したり努力したぶんだけ相手が喜び、あるいは望ましい結果がもたらされるとしたら、我々の仕事はまことに充実感に富んだ素敵な活動ということになるだろう。
 ところが実際には、逆恨みをする者もいればどんなに手厚く扱ってもらっても文句しか言えない者もいる。図々しい人間、恥知らずな人間、愚かな人間、心のねじ曲がった人間が世の中にはあふれている。
 そしてときには我々は、必ずしも相手の希望どおりに行動するわけにはいかない。相手の判断が不適切であったり、まったくの「こだわり」にもとづいているだけだったり、常識をまったくわきまえていなかったり・・・・・・。
 そうなると、たとえ相手の幸せを願っても、結果的には恨まれたり憎まれたりしてしまうことはいくらでもある。実際い、だからこそ我々は「げんなり」した気分にとらわれたり、自尊心を著しく傷つけられたり、天職を考えたりすることがしばしばあるわけである。
 しかもこうした「誠実に尽くしているのに、恨まれたり憎まれたりクレームをつけられる」といった事態は、その経緯や感情のすれちがいの要因をうまく他人に説明することがあんがいむずかしい。おまけに微妙なニュアンスが絡んでいることが多い。
むずかしいのにそれを一所懸命説明しているうちに、馬鹿らしさや虚しさや不全感がどんどん心に広がってきて、ついには「もう、どうでもいいや」「はいはい、私が悪うございました」と投げやりな気分になってしまうこととてあるだろう。
こちらが正しくとも、だから話がシンプルであるとは限らない。ましてや相手が「俺は患者だ、弱者なんだ!」と声高に主張するときには。

はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P142

援助者必携はじめての精神科 第2版

援助者必携はじめての精神科 第2版

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本

新穂高ロープウエー 長野県

2026年8月10日月曜日

青春

 また、思春期になると、性欲を中心としたC(住人注;幼児的な自我状態)の本能的な部分が急速に発達してくる。しかし、A(住人注;大人の自我状態)の発達はこれに伴わず、現実を吟味する力はまだ弱い。さらにこの時期になると、社会生活の拡大とあいまって、観念的なレベルでのP(住人注;親的な自我状態)もにわかに発達し、大人の世界の歪や矛盾が見えてくる。
青くさい理想主義の発展である。青年たちが声を大にして、人間のあるべき姿を世に訴えたり、宗教やイデオロギーの追求に熱中したりするのも、このためである。
このように、未だ現実に即した思考や判断の力をもたぬ未熟なAの状態で、いわば地獄ともいうべき本能的なCと、天上的ともいえる高遠な理想主義のPとの間で振り回される時期こそ、思春期なのである。
思春期では、このように P、A、Cの間に大きなアンバランスがあることが、むしろ自然な姿なのである。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P49

セルフコントロール 交流分析の実際

セルフコントロール 交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: Kindle版

 

脚本

交流分析では、人生におけるこのような反復傾向を「脚本」と呼ぶ。脚本とは、子ども時代に親たちを中心とする周囲の影響のもとで発達し、その後の対人関係を含めた人生体験によって強化された人生のプログラムであり、個人の人生の最も重要な局面で、行動を左右するものである。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P103

セルフコントロール 交流分析の実際

セルフコントロール 交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: Kindle版

 

2026年8月5日水曜日

親離れのタイミング

 子どもの発達を見ると、あまり特別風変りでない普通の子どもの場合は、「自分の親は最高の親だ」と信じるわけ、全然そうじゃなくても。信じて、ずっとやっているうちにだんだんボロが見えてきて、「なあんだ」とか言って、離れていく。
 その流れで、信じているあいだに、自然治癒力とか自然な発育ができて、十分、独り立ちができるようになった頃に、だんだん夢が破れて、「なあんだ、うちの親も大したことないな」とか言って、ボロが見えて、離れていくといいのよ。タイミングが合うといい。
 あまり早く「自分の親はしょうもないやつだ」と分かると、信じているあいだに発育するところが、早めにストップするから可哀想だよ。
 それからめちゃめちゃ立派な親御さんだと、「いつまで経っても、自分はどうしても乗り越えられない」となる。みなさんのなかにも、すばらしく偉い立派な親御さんのお子さんがいて、そのために不幸な人もいると思うんです。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
P231

神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: Kindle版

 

平均値と正常値

P063
確かに平均値を取れば、だいたいこの辺が正常という値がありますけれど、それぞれの個体にとっての正常値は、必ずしも平均的正常値と一致するとは限らない。
臨床家というものは、その個体にとってどこが正常値なんだろうかという思考を、いつもどこかに持っていてほしい。 そうでないと、検査成績を治療していることになる。
今の医学はそうなっていますから、「果たしてこの検査成績が正常になってくることが、この人にとっていいのかな?」と考える習慣を持ってください。
~中略~
その藤島先生(住人注;元九州大学医学部内科学教授)に「血圧はどのくらいが、いちばんいいんですか?」って聞いたの。年を取ったら、だんだん血圧が上がってくるでしょ。
そしたら、「朝、目が覚めて、頭の気分がいいときの血圧を測ってください。それが、その人のいちばんいい血圧です」って。
やっぱり優れた臨床家が最終的に到達する結論はそういうことなんです。

P081
自分に合うようにしているかどうかは「気持ちがいいか、どうか」です、これが大事です。
「気持ちがいい」というよりも、「気分がいい」と言ったほうがいいかもしれません。これは今やっている自分の行動も含めた環境が、その生体にとって無理がないということ、自然治癒力を含めたその生体の活動にとって、よい環境、行動、自分がやっている行動も環境ですから、「生体にとってよい環境」を表わしているわけで、前に藤島名誉教授が言った血圧のことも同じです。
 そしてそのときに何が起こってくるかと言うと、「快食」「快眠」「快便」というような生理的なよさがありますし、「自分らしい」という感覚があります。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)

神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2013/09/03
  • メディア: 単行本

 

福岡空港

2026年8月4日火曜日

私とは

P28
京極 でも、近代的自我って結構堅固ですから、「私は私なんだから」と言っている人に、「根拠は何?」ときいた時に「だって私なんだもん」と無為な問いかけのループしか起きないでしょう。
そこがちょっと悲しいですね。
私はほんとに私なんだろうかと疑問に思い、そうでないとしたら何なんだろうと考え、やがて私は私でなくたっていいじゃないと思う気持ちが幅をつくる。

「私は私なんだから」と言い続けていると、悪いことをしたくなるかもしれないし、死にたくなるかもしれない。
つまりは行き場がなくなるということですよ。
京極夏彦

P29
京極 私たちは異常と正常の間のどこかに常にいるわけです。
カッカしているときの自分と冷静な時の自分、お互いに接点は何もないわけですよ。
人間なんてそんなもので、無段階に変わっていく位相をたくさん持っているんだと認められれば、それは一つの許しなんだろうし、多生のことではへこたれないと言う気はします。
京極夏彦

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)

多生の縁 玄侑宗久対談集

多生の縁 玄侑宗久対談集

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/03/24
  • メディア: 単行本

 

P37
近代社会とは、確たる「個人」が成立前提です。だからこそ、近代になって「自分とは何か」という問題が生きていくための一般的な主題になったわけです。
近代以前では、「集団の要素」「集団において、それ以上分割できない単位」としての概念でしかなかった個人が、意思決定や行動決定の主体としての個人へと転換されたわけです。その転換は、宗教中心の文脈で言えば、プロテスタンティズムというムーブメントによってもたらされたと見ることができます。
 さて、この近代「個人」を規定するものとして重宝されたのが、「自我」という概念です。日本語の「自我」はもともと仏教用語です。アートマンというサンスクリット語の訳で、他者に対する我れ、というニュアンスです。ヒンドゥー文化の宗教では、こいつが私の本性であって、輪廻の主体とされています。
 近代になって、「自我」は人間を考える上で重要な概念となりました。エゴやセルフの訳語として使われ、<私>というものをうまく説明するための仮説としても使勝手のよいものとなったと言えます。

P46
 経済のバブルは崩壊したものの、自我のバブルは続いているのではないでしょうか。実体もないのに情報によって泡立てられている。”バブル状態”です。もはや自分でコントロール不能なほど肥大した自我を抱えて苦しんでいるのが、今の私たちです。
新書のような教養本がよく売れたり、宗教本が売れたりするのも、肥え太った自我と現実との落差を埋めるための理論武装じゃないかと思うのです(自分でも書いていて、こんなこと言うのもなんですが)。

P330
私たちは自我を機能させないと社会適応できない、反面、その自我をもてあますのです。
肥大した自我をどこかで点検しなければ、この苦悩は低減できません。そのためには、自分を読み解く手順、この世界を読み解く手順を身につけなければなりません。もちろん、それに応える体系は「宗教」だけではないでしょう。読み解く手立ては、社会学や文学や医学にもあるにちがいありません。でも、宗教という回路でしかありえない領域があるのです。
 それは、宗教がもつ非日常体系という世界です。今回、これを「出世」や「外部」と表現しました。宗教は、外部へと行く力を提供します。だからこそ、この世界を、この私を相対化できるのです。
 でも、それだけじゃありません。宗教と言えば、外部へ向かう方向性ばかりが注目されますが、そこから戻る力が大切なのです。練り上げられてきた「宗教」には、日常の多重性へと回帰する道筋が描かれています。非日常の回路を開き、日常へと還元し、豊饒なる日常を味わうことができるからこそ、私たちは「社会と異なる価値体系」や「不合理」を生きる力にすることができるのです。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)

 

 

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

いかに精神分析的な知識が豊であっても、それが己を知る方向に活用されないかぎり、当人の救いにはなりがたいものである。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P245

セルフコントロール 交流分析の実際

セルフコントロール 交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: Kindle版

 

思い通りに動くのは自分だけ

私たちは環境に自らを合わせなければならない。
他人様が自分の思い通りに動くなどと期待してはならない。

デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P280

こうすれば必ず人は動く

こうすれば必ず人は動く

  • 作者: デール・カーネギー
  • 出版社/メーカー: きこ書房
  • 発売日: 2015/08/09
  • メディア: Kindle版

世の中に変わってほしい、人に変わってほしい、と思う人が多い。
火のない暖炉にいくら手をかざしても、一向に暖かくはならない。
自分で薪をくべ、火を点けたらどうだろうか。
さっさと自分がやり、自分が変わってしまうことである。

丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P56

文部科学省生涯学習政策局認可の社会教育団体で、全国に五十万人を超える会員をもつ団体、社団法人倫理研究所。その創始者である丸山敏雄が唱えた、生活の法則と幸せの法則、彼の人と生涯、思考・美学・感性などをまとめる。

幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝

幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝

  • 出版社/メーカー: 近代出版社
  • 発売日: 2020/06/03
  • メディア: 単行本

本当に肝心なのは、今、ここで、対人関係に悩んでいるあなたの心が、少しでも楽になることです。
 交流分析には、「今、ここ(here and now)」という大原則があります。
これは、人は誰でも、「今、ここに生きている」という事実がもっとも基本的で重要なことである、という意味です。
突き詰めて言うと、「過去と他人は変えられない。変えうるのは、現在の自分だけである」というのが、交流分析の基本的な哲学なのです。
”困った人たち”に「ゲーム」をやめさせたくても無理です。

~中略~
だから、相手を変えさせようとやっきになったり、もっとうまく立ち回ろうとあくせくしたりするのは、もうやめにしましょう!

芦原 睦 (著)
なぜか同じ失敗を繰り返してしまう人たち
扶桑社 (2006/07)
P196

なぜか同じ失敗を繰り返してしまう人たち (扶桑社文庫)

なぜか同じ失敗を繰り返してしまう人たち (扶桑社文庫)

  • 作者: 芦原 睦
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2006/07/01
  • メディア: 文庫

この世の中、自分がコントロールできることは意外に少ない。私のモットーでもあるが、”自分がコントロールできることだけに時間もエネルギーも集中するべき”だ。
他人の気持ちはコントロールできない。どれだけ説得しても、どんなにわかったと口に出されてもわかったような顔をされても、まあ「万が一」でも0.01パーセントでもわかってくれたらもうけくらいに思っておくのがいいと思う。
つまり、「万が9999」は憎まれて倍返しにされる可能性が高いので、おせっかいほど危険なものはない。

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)
P28

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法

  • 作者: 田村耕太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/07/08
  • メディア: 単行本

2026年8月3日月曜日

急いでも慌てるな

 知性のある人間と言うものは、急ぐことはあっても慌てることはない。慌てると、事をし損じることを知っているからだ。
だから、急いで仕事を仕上げることはあっても、急ぐことによって仕事がいい加減にならないように、常に心を配っているものだ。

 小心者が慌てるのは、課せられた仕事の荷が勝ちすぎている(たいていはそうだ)、とわかった時だ。
自分の手に負えないと思うものだから、慌てふためき駈けずり回り、頭を悩ませ、結局混乱して何が何だかわからなくなる。何もかもを一時にやってしまおうとするので、どれも手がつけられなくなるのだ。
~中略~

けれどもすべてをいい加減にやるくらいなら、半分は完璧にやり、残りの半分は手つかずのままにしておいた方がずっといい。

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P141

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2011/03/22
  • メディア: 文庫

 

 穏やかな気持ちでいて、決して動揺してはいけない。落ち着いていて、むやみに気を動転させてはいけない。ゆっくりして、慌ててはいけない。
口数を少なくして、気をあまり使わない。たえず、体の力を腹の下にためておく。
これらが、気を養う術である。

養生訓 現代文
貝原 益軒 (著) , 森下 雅之 (翻訳)
原書房 (2002/05)
P55

養生訓: 現代文

養生訓: 現代文

  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2002/05/01
  • メディア: 単行本

 

波津漁港 福岡県

流れを見る

「病」といのは流れなんです。ずうっと流れているの。そして、流れのある時点で、今ここに患者が現れてくる。
今の時点で、これまでの流れを「どういう流れなのかなあ」と思って見る習慣をつけることによって、流れを見るセンシティビティが高まる。「こういう症状があるかな?ないかな?」と見るのとは違うの。
「病気全体がどういう流れかなあ」と、病の全体の流れが見える医者になれます。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
P017
神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: Kindle版

P104
禹王は用水路や排水路を掘って環境を激変させたが、まず水の自然な流れや動きを理解し、その上で変化を起こした。
 物語の要点は、なにもせず水が自然に流れるにまかせるべきだという話ではない。なにもせずに芽が自然に育つにまかせるべきでないのと同じだ。~中略~
 能動的であるとは、水の流れを強引にせき止めるという意味ではない。水は低いほうへ流れる傾向があるという事実をうまく利用して水の管理に役立てるといったことだ。
孟子も言っている。」”智者が嫌われるのは、むやみに穿鑿(せんさく)するからだ。水の流れを導いた禹(う)のようであるなら、嫌われるところはなにもないはずだ。禹が水の流れを導いたときは、むりをせず害になら何ほうへ流した”【17】
 能動的であるとは、最適な状態をつくり出し、どんなさまざまな状況が生じても反応することだ。変化が育つような土壌をつくるかとだ。~中略~
 これは、「わたしはなんだろうとなりたいものになれる」と考えるのではなく、「自分がなにになれるかは、まだ自分でもわからない」という気持でいろいろためしてみるやり方だ。
どの可能性が自分をどこへ連れていってくれるかはっきりしない。それはまだ知りようがないからだ。
けれども、自分自身について、そして自分がどんなことにわくわくするかについて発見できることは抽象的ななにかではない。実践の経験から得たとても具体的な知識だ。
時間とともに想像もしなかっった道がひらけ、それまで気づくことさえなかった選択肢が姿をあらわす。長い年月をかけて、きみは文字どおり別の人間になる。
人生のすべてがどう進展するか計画を練ることはできない。しかし、ものごとが決まった方向へ進みやすいような状況、すなわち可能性が豊かに実る状況をつくるという観点から考えることは可能だ。
※17 智に悪(にく)む所の者はそのうがつがためなり。もし智者にして禹(う)の水を行(や)るごとくならば、すなわち智に悪むことなし。禹の水を行るや、その事なき所に行るなり。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: Kindle版
角島 山口県