2026年5月21日木曜日

内子町

 谷がひろければ、町がある。  松山から大州への古街道ぞいにある内子町もそうで、三方の渓谷を削って流れおちてくる三つの川(中山川、麓(ふもと)川、小田川)がやや広い谷をつくって人々に集落をつくらせている。
「実家は内子でございます。櫨鑞(はぜろう)の問屋をいたしておりました」
 と、この夜、泊まった大洲の旅館「油屋」の女主人がいったが、内子の町はどこか古風で道をゆくひとびとの歩き方までが悠長にみえた。
 この町は、市から発達したらしい。奥のほうの谷々から山の物を持ち寄り、それを売って里の物を買ったようである。
 明治以前、諸藩の重要な産業のひとつは鑞であった。櫨の木の実からとつのだが、採ったばかりのなまの鑞を採集して晒し、諸国に出荷していたわけで、内子の鑞問屋といえば大きな資本であったらしい。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P51

街道をゆく14

街道をゆく14

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/10/07
  • メディア: Kindle版

愛媛県 内子町

食事できることへの感謝

食事をするときに考えなければいけないことが五つある。

 一つは、誰から食事を与えられているかである。父や上司、兄弟や親類、あるいは他人から与えられているかもしれない。それらの人には感謝の気持ちを忘れてはいけない。
自力で食物を得ているものも、自分の住んでいる国にたいして恩を忘れてはいけない。

 二つは、食物を農民が作り出してくれたことに感謝しないといけない。自分で食物を作り出していないものは、特にそうである。

 三つは、自分がなにも貢献をしていないときに食事を取る場合は、とても幸福であることを忘れてはいけない。

 四つは、自分の食事より貧しい食事をしている人がいるのを忘れてはいけない。自分が餓死しないで生きていることに感謝しないといけない。

 五つは、昔の人は米、麦、粟、豆、黍(きび)を食べることができずに草木の実や根や葉を食べていたのに、今ではそれらを食べられることに感謝しないといけない。
また、火を使い温かい食事をとれることも感謝しないといけない。味もよく、胃腸にもやさしい食事がとれることも感謝しないといけない。

 今の時代はとても恵まれている。これら五つのうち、二つくらいでいいから、食事をするときは思い出してほしいものである。

養生訓 現代文
貝原 益軒 (著) , 森下 雅之 (翻訳)
原書房 (2002/05)
P70

養生訓: 現代文

養生訓: 現代文

  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2002/05/01
  • メディア: 単行本

 

前出のプラセーナジットがブッダから教えてもらった文言ですが、漢訳では「人、当(まさ)に自ら繋念(けねん) して、毎食、量を節するを知るべし。ここにすなわち諸々の受薄く、安消にして寿(いのち)を保つ」となっています。
~中略~

 日本の禅では食事前に<五観の偈>をとなえます。禅寺に行ったことのある人は知っていますね。
「一つには 功の多少を計り彼の来処を量る(多くの人の苦労を思い感謝していただく)。
二つには 己が徳行の全缺(ぜんけつ)をはかって共に応ず(自分の行いを反省し静かにいただく)。
三には 心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす(好き嫌いをせず欲張らず味わっていただく)。
四つには 正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり(健康な身体と心を保つため良薬としていただく)。
五には 成道の為の故に今この食を受く(円満な人格完成のため合掌していただく)。」
これが<五観の偈>です。
さまざまなネットワークに感謝して食事をすることは、宗教の基本的態度です。

 天台宗では、食前に
「我今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵により此の美わしき食を受く。謹しみて食の由来を尋ねて味の濃淡を問わじ。謹みて食の功徳を念じて品の多少を選ばじ」
「頂きます」。
食後に
「我今此の美わしき食を終りて、心豊かに力身に満つ。願わくは此の心身を捧げて己が業に勤しみ、誓って四恩に報い奉らむ」
「御馳走様」
と言います。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P140

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

上高地 嘉門次小屋 長野県

熊野

 P36
熊野には古代の歴史からはみ出てしまうものがいくらでもころがっている。しかも、それならそれで熊野はつねに歴史の外側にあったのかと思えば、それがまったく逆で、もっとも重要な場面になるとたちまち歴史の表面に浮かび上がってくるのである。
 丸山 静は「熊野考」で次のように書いている。「たとえば、「保元(ほうげん)物語という本を読んでみる。すると、すぐに次のような記事が出てきて、それが気になりだす。
久寿(きゅうじゅ)二年(一一五五年)、熊野に参詣した鳥羽法皇は、「明年の秋のころかならず崩御なるべし。そののち世間手のうらを返すごとくなるべし」という、熊野本宮の託宣をこうむった。果たして翌保元元年の夏、法皇不豫になり、七月二日に逝くなった」。
 熊野本宮の託宣? なぜ、この脈絡で熊野に出番が回ってくるのだろうか。ここで丸山も次のように問うことになる。わが国古代から中世への一大転換、未曽有の内乱の幕が切って落とされる。そんな重要な事件に熊野が「神の託宣」といったひどく神秘的な仕方で介入してくる。そこには何か必然があるのか、と。
 そう、熊野は、特別な権力の集中する場所でもなければ、中央から隔離されたただの辺境の地でもなかった。それが伊勢谷高野山と一線を画すところである。ここは当初、精神史上もっともプリミティブな信仰の地にすぎなかった。だが、それゆえに熊野は、逆説的に、日本の歴史のなかで大きな位置を占めるようになったのかもしれない。
熊野の語源からして、「隠国(こもりく)」「隈(くま)」なども含めて、「籠もり」の地という響きがあるし、熊野とほぼ同意語とされる「牟婁(むろ)」にも「神奈備(かんなび)の御室(みむろ)」などと呼ばれるように、紳霊の籠もる聖なる山や森というニュアンスがこめられている。
E・R・ダッズは、古代ギリシャ文化の古層に「籠もり」(インキュベーション)の習俗をみたのだが、熊野でも同じようなことが行われていたといえないだろうか。
「籠もり」とは、神の加護を求めて寺社などに行き、そこで眠って夢のなかでお告げ(託宣)を得るという行為である。後述するデルフォイとアテネの関係のように、熊野もそれと似たかたちで中央となんらかの強い結びつきをもっていたのではないか。

P57
熊野をかたちづくる、その核心部分とは何か。それは、一般にいわれるような「死者の魂の集まるところ」「死者の国」ではなく、むしろその正反対の、「万物を生み出す力」なのではなかろうか。人は生き、そして、死ぬ。熊野にいるだけで、われわれは、いつまでも巨大な子宮の内部に包まれているような印象を受ける。そう、ここでは石は子宮の比喩であり、万物の始まりを象徴しているのである。
 そして、熊野信仰は、ごとびき岩の下から銅鐸の破片や祭祀の用具がみつかったことでもわかるとおり、その歴史は神武東征以前、およそ三千以前にまで遡る可能性がある。
ここは、まだ日本がはっきりとした国家のかたちをとる前から、多くの人びとが何かを感じて集まり祈りを捧げた特別な場所だったのであろう。その痕跡がいろいろなところに見え隠れしている。「古事記」「日本書紀」どころか、仏教が入るずっと以前から、霊的な地として多くの信仰を集めていたにちがいない。

P136
一応、整理してみると、古くから鎮座していたのは、おそらくただ「神」というくらいの意味しかもちえなかった熊野坐神ではなかったかということである。この熊野坐神は南紀一帯の一地主神にすぎなかったのだが、とんでもない霊力を示したこともあって、そこに他から来た神々が吸収され合祀されるようになったのではないか。それでもその全体像はまだ漠然としている。
 熊野坐神、熊野速玉神、熊野牟須美神が世に知られるようになったのは奈良時代からであるが、速玉と牟須美とは対になる神格で、現在も新宮に残されている一対の彫像によれば、速玉は男性、夫須美(新宮、那智ではこちらを使う)は女性の神格であったと思われる。
「牟須美」はそのまま「結び」であり「産霊」「産土」であった。この世のさまざまな自然や事物を産み出していく力の表象である。つまり、速玉と牟須美で「たまをむすぶ」というひとつながりのイメージを形成していることになる。

P140
 もう一度確認してみよう。熊野では、熊野坐神、牟須美(夫須美)神、速玉神、家津御子神がその代表的神格であるが、それらの神々の意味するところは、それほどかけ離れていないということである。
そうなると、熊野本宮大社の主神は牟須美神であり、さらに、熊野坐神であり、家津御子神でもあるということになる。
熊野速玉大社の主神も速玉神に代表されているが、おそらく速玉神と夫須美神とが合わせて祀られていたことになる。そちらも牟須美(夫須美)とは不可分の関係にあるということである。そして、のちに、牟須美神は記紀の体系に組み込まれて伊弉冉尊(いざなみのみこと)と同体とされ、速玉神は伊弉諾尊(いざなきのみこと)あるいはその唾から生まれた神とされるようになり、そして、家津御子神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同体とされるようになる。さらに、神仏習合によって、家津御子神は阿弥陀如来に、速玉神は薬師如来に、牟須美神は千手観音に擬せられるようになる。
そうやって神々のイメージ群はどんどん肥大していくことになる。それでも、熊野全体の地主神といわれるのは熊野坐神であり、熊野牟須美(夫須美)神なのであって、本宮も新宮も那智もそれらの神格を下敷きにしなければ存在しえなかったということは、深く心にとどめておかなければならないだろう。

 

P236
 そうしたさまざまな謎から、熊野だけがもっている特殊性とはいったい何かと考えてきたわけだが、その解答はきわめてシンプルなものである。
熊野の神々は、もとからそこに住む地主神、産土神の集合体であり、そこに神道、仏教、修験道などの影響が積み重ねられたものだと考えられる。
人びとが熊野に参拝に訪れた理由も、そこに籠もってさまざまな困難、病気、悩みについての託宣を得ることにあった。。
熊野はかなり特殊な地勢のもとにあり、それゆえに古くから山岳修行者の行場として人々の関心を集めてきたが、彼らが行くところには鉱物資源があり、温泉が湧き、なによりも豊かな自然があった。それを求めて、一遍をはじめとする多くの宗教者がそこを訪れ、さまざまな霊感を得て新しい境地を開いていったのである。そうした力はいまも熊野に息づいている。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書

 

和歌山県 熊野本宮大社

日本教ワールド

P107
 日本では、「決議は百パーセントは人を拘束せず」、という厳然たる原則がある。
戦争直後、ヤミ米を食べずに餓死した裁判官がひとりいた。ということは、その人が例外なのであって、他の裁判官はもちろんのこと、この法律を議決した議員も、その議員 を選出した国民も、だれひとりとして、国会の議決によるこの厳然たる法律に、百パーセント拘束されていなかったことを示している。

P108
日本では、満場一致の決議さえ、その議決者をも完全に拘束するわけでもないし、国権の最高機関と定められた国会の法律さえ、百パーセント国民に施行されるわけで はないから、厳守すれば必ず餓死する法律ができても、別にだれも異論はとなえない。法律を守った人間はニュースになるが、破った人間はもちろん話題にものぼらない。
といって全日本が無法状態なのではない。ここに日本独特の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という断固たる不文律があるからであ る。
~中略~
 ではこの法外の法の基本は何なのであろう。面白いことに、それは日本人が使う「人間」または「人間性」という言葉の内容なのである。
~中略~ 
このどこにでも出てくるジョーカーのような、「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は、日本における最高の法であり、これに違反する決定はすべて、まる で違憲の法律のように棄却されてしまうのである。
守れば餓死するような法律などは、「そんな人間性を無視した法律した法律を守る必要はない」と全国民が考えると、その 瞬間に違憲として棄却されるから、ないも同様になる。

P110
 日本人が無宗教だなどというのはうそで、日本人とは、日本教という宗教の信徒で、それは人間を基準とする宗教であるが故に、人間学はあるが神学はない一つの宗教 なのである。そしてこの宗教は、「人間とはかくあるべき者だ」とはっきり規定している。
つまり一つの基本的宗規が存在するのである。全ての法律、規則、規定、決議は、満場一致であろうとなかろうと、この宗規に違反していないかどうか厳密に審査されねば ならない。従って議決は常に最終的決定でなく、いわば満場一致の決議案に過ぎないのだから、日本人は、これにさして神経質にならない。

P123
川端康成氏がハワイの大学で行ったことをお忘れなく。
日本では「以心伝心」で「真理は言外」であるのだから。
従って、「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教「ヨハネ福音書」の冒頭なのである。
くれぐれも忘れないでほしい。あなたの生きて来た世界がユークリッドの世界だと仮定したら、日本教の世界は非ユークリッドの世界である。

 

P125
 前章でのべた法外の法と、今のべた言外の言、この二つが日本教の根本理念である「人間性」を定義しており、一切の異邦人は、この聖域に近寄ることを許されない。
ロ ーマ軍はエルサレムの神殿の支聖所に乱入することができたが、日本教のこの支聖所には、たとえ原爆をもってしても押し入ることはできない。
また異邦人は、日本語がペラペラにしゃべれても、この支聖所をうかがい知ることはまずできない。せいぜい、言外の周囲にあってこれを守っている言葉に近づくことができ るだけである。
従って何時間議論したって対話したって無駄である。ましてやその結果「日本人は結論をはっきり言わない」などという感想をのべるなら、言う方にはじめから 、日本人と語る資格がないのだ、と言わねばならない。
 とすればわれわれ異邦人が日本教に近づく道は三つしかない。まず日本人が、一民族・一国家・一宗団であることを、他の国との比較の上で証明し、第二に、日本教を体 現している人の言行と生涯を考察し、第三に日本教徒の他宗教(この場合はキリスト教)理解の仕方の特質を探ることである。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1971/09/30
  • メディア: 文庫


 

P205
 愛、親子の情、師弟の恩、仲間同士の連帯意識、感動、自己犠牲、忠誠心、誇り、絆・・・・・・・
そういったものをふわっと感じさせるだけで、なぜ世の中の大部分の人は押し黙り、納得して、大人しくされるがままになってしまうのでしょう?ずっと疑問に思っていました。
 まるで知能のスイッチが切られでもしたかのように思考停止して、そのあとはもう話になりません。
ふわっとした何かに当てられて酔っぱらったようになってしまっている人に、ちょっと酔いを醒(さ)まして冷静に話をしましょうよ、と呼びかけるだけで、相手はたいてい怒りはじめるのです。
自分の立場や、時には命が危うくなるような場面すら、酔ったままでいることを選ぶように見えます。
 そんなに快感なの? 「それ」は?
 知能のスイッチが「それ」によって切られ、思考停止すると、攻撃や抵抗をやめてしまったり、さらには自分の命を絶ってしまったりすることさえ少なくありません。
 もっと不思議なのは、その行動を「美しい」と言って、多くの人が称賛することでした。
現実に起きる出来事ばかりでなく、小説や映画やマンガや、さまざまな媒体でそれが推し進められているように見えました。ひどく奇妙に感じられたのです。そして、奇妙に感じている自分を悟られてはならない、隠さなければいけないと全身の毛が逆立つような恐ろしい思いもしました。
 ただただ「集団」というものの振舞いが知性を持った生き物のようには思えず、原理が理解できなくて不可思議なもののように感じられたし、なぜ私にはこの情況がわからないのだろうと焦るような気持ちがありました。
~中略~
誰かに言ったとしてもほぼ確実に理解されず、頭がおかしいかまたは危ないやつだと思われて、ひどい目に遭(あ)わされるに決まっていました。「それ」を理解できない者は、排除されてしまいます。こいつは人間じゃない、何か別の危険な存在だ、などと言われることになるのはわかっていたのです。
 成績が良いことはまったく救いにならず、勉強だけができてしまったりしたら、なおさら、集団から遠ざけられるのです。
 ~中略~
 観察していると、理解できないよりもむしろ、集団の中にいながら「それ」をうまく運用できない者のほうがよりキツそうでした。攻撃され、排除されていきます。
 疑問がふくらんできました。なぜ大多数の人間はオートマチックに「それ」を運用できるのか? みえてすらいないようなのに? なぜ「それ」を理解できないだけで苦しまなければならないのか?
~中略~
 どうもここは、「「それ」法則」に支配された生き物の世界であるということはわかりました。それは多分どう足掻(あが)いても、直ちに変わることことはないようでしたから。
 私は望むと望まざるとにかかわらず、この世界にすでに生まれてしまって、何十年かをこの条件ですごすことを運命づけられ、リセットも基本的には許されず、ゲームを続けなければならないのです。
 ならば、このゲームにおいて勝つこととは何なのでしょうか?
 まずは「それ」の概要と仕組みを把握する必要があるだろうと思いました。ルールを把握するのはゲーム攻略の大原則でしょう。時間がかかりましたが、ようやく私にも、こういうことなのか、と概要は理解できるようになってきました。
~中略~
 私がいちばん困ったのは、目の前の相手の思考のスイッチが切れてしまったときでした。
もうその相手は知性でやり取りできる状態ではなくなってしまいます。今のところ、そうなったらもうできるだけその相手とはかかわらないようにしています。
 私はかなり人を選ぶし気難しいと自認してしていますが(そんなことはない、と言う方もそれなりの数いてくださいますが、その方たちはほぼ確実に「それ」に酔わないタイプの人たちです)、この方法の良いところは、知性と思考の体力のある人だけが周囲に残ってくださるという点ですね。
 ゲームのルールが把握できたら、次はゴールの設定です。このゲームでは、いつタイムアップになり、終わってしまうのかはっきりせず、あらかじめわかりもしないという特徴があります。
100年続く人もいればごく短い人もいます。ただ有限の時間しかない、というところだけはみな同じなのです。どう生きても、いずれ誰もが平等に時間切れになり、ゲームオーバーとなります。
 その中で、何をどうすればクリアなのか?
 金持ちになること? 有名になること? それとも何か作品を創り上げる? ちょっと古臭い感じもするけど家名を上げるとか? モテること? よい相手と結婚? 学術的なアチーブメント? 人気者になること? 歴史に名を残す?
 どれも一見それなりに価値はありそうな気もしなくはありません。実際に多くの人がそうなるにはどうすればいいのかという答えを求めて、手当たり次第にセミナーに出てみたり本を買って買ってみたり情報商材に手を出してみたり宗教にハマったり、ですが・・・・・こうして言葉にしてみると、何だか陳腐(ちんぷ)に見えてきませんか?
~中略~
 こうした自己利益の最大化を目指すのではなく、利他的に生きればもっと幸せになるんだよという言説ももちろん、知らないわけではありません。むしろよく知っているくらいです。
ですがたいていの場合それを声高に言う人は、それこそ自己利益の最大化を目指していたり、搾取を目的とした詭弁(きべん)を弄(ろう)しているのであって、善良で利他性の高い人物であればあるほど、さんざんな目に遭うのを見ることも多く、単純に利他性だけを軸に生きろと誰かに勧めることは私には到底できませんでした。
 利他性はバランスと器用さを備えていなければ、自己を本当に幸せにするための確実な武器とはなりにくいのです。なぜなら利他性とは「それ」のために自己犠牲を強いる脳内の装置であるからです。

空気を読む脳
中野 信子 (著)
講談社 (2020/2/20)

空気を読む脳 (講談社+α新書)

空気を読む脳 (講談社+α新書)

  • 作者: 中野信子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: Kindle版

 

宗像大社 福岡県

玉依姫

 宇佐の姫神の御名を玉依姫と伝えた理由は、久しい間の学者の問題であって、あるいはこれによって山に祀った御神を、海神の御筋かと解する者さえあったが、神武天皇の御母君が、同じく玉依という御名であったことは、だだ多くの例の一つというばかりで、前にも言うごとく賀茂でも大和でも、およそ神と婚して神子をもうけたもう御母は、皆この名をもって呼ばれたもうのである。
玉依はすなわち霊託であった。人間の少女の最も清くかつ最もさかしい者を選んで、神がその力を現したもうことは、日本神道の一番大切なる信条であった。神のお力を最も深く感じた者が、御子を生み奉ることもまた宗教上の自然である。
今日の心意をもってこれを訝るの余地はないのである。真野長者が愛娘も、玉世であったゆえに現人神はすなわち訪い寄られた。それがまた八幡の古くからの信仰であった。

海南小記
柳田 国男
(著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P176

海南小記 (角川ソフィア文庫)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫

 

宇佐神宮 大分県

神道

  神道というのは宗教じゃないですからね。日本の古来からのものの考え方、生活習慣といったものでしょう。それを戦後無理やりに宗教法人にしたから、これがまた間違いのもとなんです。
別に宗教でもなんでもないわけで、日本人の本当の自然感、人生観というのか、そういうものをずっと伝えていくのが神道です。

葉室 頼昭 (著)
「神道」のこころ
春秋社 (1997/10/15)
P152

〈神道〉のこころ(旧版)

〈神道〉のこころ(旧版)

  • 作者: 葉室 頼昭
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 1997/10/15
  • メディア: 単行本

 

日本の神で最も古く、そして人気があるのは「田の神」だ。
わが国で、稲作農耕が始まって以来の「神」といっていい。のちになって、この田の神が昇格して稲荷神になった。

~中略~
そして、その本家の所在地が、京都の伏見稲荷にあることは誰でも知っている。
 稲荷神とならんで由緒の古いのは、八幡神である。
八幡神は、古く大分県宇佐の地に降臨したと伝えられ、そこの宇佐八幡宮がつくられた。

~中略~
次に、右にかかげた農耕神(稲荷神)と武神(八幡神)とともに忘れてならないのは、祟り神として位置づけられる神々である。

~中略~
このほかに、伊勢神宮や出雲大社のような国家の祖先神が古い伝統を誇ってきたことも忘れてはならない。
神話や伝説や系譜などにもとづいて祖神をまつる風習が、昔からあった。

山折 哲雄 (著)
神と仏
講談社 (1983/7/18)
P51

 

神と仏 (講談社現代新書)

神と仏 (講談社現代新書)

  • 作者: 山折 哲雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1983/07/18
  • メディア: 新書

 

 

P22
 およそ神道という言葉が最初に文献に現れるのは、「日本書紀」用明天皇の条(くだり)。「天皇は仏法を信じ、神道を尊ぶ」とされている。六世紀の終わり頃のことであり、その語の用法はあくまでも仏法との対比においてである。大陸から仏教が入ってきたのに対して、それまでの自分たちの信仰に独自の名前をつける必要が生じ、「神道」という語が選ばれたのである。
それに対して仏教は、諸説あるものの、五五二年(欽明天皇十三年)に百済の聖明王が使いをよこしたのが最初とされており、その教えも、儀礼も、信仰体系も、神道に比べればはるかに明確にされている。しかし、だからといって仏教伝来についてもよくわかっているというわけではない。
~中略~
おそらく、もっとはるか以前から仏教は伝来していたはずで、そのことは人びとの間では広く知られていたにちがいない。
日本中の山々には山岳修行者、聖、修験、優婆塞(うばそく)らfがすでに存在しており、彼らはそれぞれ独自のやり方で修業を続けていたのである。
仏教は庶民の間ではかなり以前から徐々に浸透し始めており、しかも、想像するにそれは神道と対立したかたちではなかったのだった。

P26
 仏教が入る前後の信仰のかたちはいろいろに記載されているが、それらは互いに絡み合いつつ重層的な様相を呈しており、それらを単に「神道」という名のもとに統一して理解するわけにはいかないのである。
それゆえに、神道は、それが問題となった当初から仏教とのかかわりにおいてのみ論じられたのであって、それ自体は「祖先崇拝」とか「自然崇拝」とか「アニミズム(霊魂崇拝)」などの言葉の連なりによってしか表現できない信仰の複合体だったのである。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)

島根県 出雲大社

 

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書

仏教が出現した時代

一夜に「五十金」や「百金」を受ける遊女によって代表されるような都市の文化、―それは、進展しつつあった貨幣経済の所産であった、ヴェーダの祭りに代表されるような農村共同体の文化とは本質的に異なったものである。 そうしてこのような爛熟した、退廃的な雰囲気の中から、それに対する解決、それからの脱離として、仏教などの新宗教が現れでたのであった。(ペリクレ-ス時代のアテナイがしばしば引き合いに出される。)

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1980/6/16)
P225

 

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1980/06/16
  • メディア: 文庫
山上ヶ岳 奈良県吉野郡天川村

維摩経

P93
「維摩経」という経典は、徹底した在家主義をとる経典ですから、出家とはなにかという問題が折にふれて出てきます。出家とは、家庭生活や世間的なことがらにわずらわせられず、もっぱら修行生活にうちこむことをいいます。
そうだとすると、出家することによって、なにか功徳があるとか、利益が得られるとか考えること自体がおかしい、ということになります。

P252
娑婆世界といううちの娑婆とは、サンスクリットのサハーの音写で、語源的には「耐え忍ぶ」という意味を表すことばです。そこで娑婆世界は「忍土、忍界」と訳されることもあります。
この世界に住む衆生はさまざまな煩悩によって苦しみ、また、風雨や寒暑に苦しめられ、常に煩悩を耐え忍ばなければならないので娑婆=忍土といわれる、と解釈されています。

 

P103
一般に、宗教においては、絶対的な存在者、教祖、あるいは師などから、「あなたは必ず救済される」という予言を受けることは、きわめて大切な問題だと思います。
このような師のことばに励まされ、修行の道をすすんで行く場合も少なくないでしょう。しかし、維摩は大乗仏教の原理を示し、他の人から予言を受けるのではなく、自分自身で真如と一体となることを自覚するのが、仏教の救済というものだ、と言っているのです。

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
 

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)

  • 作者: 菅沼 晃
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2020/11/11
  • メディア: 単行本

 

山上ヶ岳 奈良県吉野郡天川村

別所

五木 前略~
 比叡山の中には黒谷などの別所というところがあった。比叡山の中にはたくさんのお堂とか院があるわけですが、公の仏教儀式に参加せず、ひっそりと勉学一筋に打ち込んで、叡山の中での出世機構とか官僚的システムから自らはずれた人々の集まる地域が、別所としてあったわけです。比叡山の別所は黒谷で、法然はまずそこに行く。
 それとは別に、また大原の別所とか何の別所とかいうのがあって、そこではそういう人たちが、自分たちで群れをつくった。その人たちは宗教官僚システムからはドロップアウトしたわけです。給料をもらえないわけですから、生活は自分たちで賄わなければいけない。それで結局、托鉢をするとか、加持祈祷のようなことをやるとか、いろいろなかたちで民間の人たちの布施を受けることによって生活を支えた。

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P132

親鸞と道元 (祥伝社新書)

親鸞と道元 (祥伝社新書)

  • 作者: 五木寛之 立松和平
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 新書

 

比叡山

目出たい

ブッダがいつも口にされたのは、悪い経験は悪い行為を行った結果であるということでした。
ですから本物の修行者にとっては、元旦だからめでたいということもありませんし、
日よりの良し悪しとうこともありません。

ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ (著), Tenzin Gyatso H.H.the Dalai Lama (原著), 谷口 富士夫 (翻訳)
ダライ・ラマ 365日を生きる智慧
春秋社 (2007/11)
P104

ダライ・ラマ 365日を生きる智慧

ダライ・ラマ 365日を生きる智慧

  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2007/11/01
  • メディア: 単行本

 

 「勝つべき合戦、取るべき城攻め等のとき、吉日を選び方向を考えて時日を移すこと、はなはだ口惜しく候。
いかに能き日なるとて、大風に船を出し大勢に独り向かわば、その甲斐あるべからず候。
たとえ難所悪日たりとも、細かに虚実を察して奇正を整のえ、臨機応変して
謀りごとを本とせば、必ず勝利を得らるべきこと」
朝倉敏景

奈良本 辰也 (著)
宮本武蔵 五輪書入門
学習研究社 (2002/11)
P94

宮本武蔵 五輪書入門 (学研M文庫)

宮本武蔵 五輪書入門 (学研M文庫)

  • 作者: 奈良本 辰也
  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2021/10/19
  • メディア: 文庫

[第九十一段] 赤舌日ということは、うらないの陰陽道の方では、何も言わないことである。昔の人は、これをかれこれ言っていない。
この頃、何者がこんなことを言い出して、気にしはじめたものか。この日に起こったことは、成功しないなどと言って、その日言ったことは、うまくいかず、手に入った物は、なくなってしまい、計画したことは成就しないという。
これは、まことに愚かなことだ。吉日を選んでしたことの、成功しないのを数えて見ても、(その割合は)同じであろう。
~中略~

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著),  講談社 (1971/12)
P232

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/10/19
  • メディア: 文庫