2026年4月28日火曜日

鳥仏師

 鳥仏師は決して独創的な仏師ではなかったし、飛鳥時代の代表的彫刻家というような意識で造仏したのでもなかった。
彼は驚くほど誠実に勅願を承(う)け、また太子の御心に服従した人である。御悲願を正しく心にとめて、北魏伝来の形式にそれを刻まんとしたのである。
鳥の偉大さは、彼の全き畏敬(いけい)と服従にあると私は思っている。
像においてはひたすら先人の作を模倣した。厳格に一つの手本を学び、自己の何ものをもつけ加えようとしなかった。彼はただ御悲願の完璧に盛られることを念じつつ創(つく)ったのであって、あらゆる点で絶対服従のみが彼の最大美徳だったのである。

P87
 これによって明らかなように、鳥は帰化人司馬達らの孫にあたるが、祖父より代々朝廷に仕えて仏法のためにつくした家柄である。
~中略~
金堂の釈迦像もかような心情を無視しては真に解することは出来ないであろう。推古天皇と上宮太子、及び鳥仏師との間の信仰に結ばれた君臣の情が、あの無比の畏敬となってあらわれたのであろう。しかし、釈迦像には感傷的な何もない。おそらく鳥の、「私」を滅却した全き帰依が然らしめたのである。
                    ―昭和十七年秋―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P85

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

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奈良県 法隆寺

丹霞焼仏

  九世紀の初めに唐に丹霞天然(住人注;たんか・てんねん)とよぶ禅僧がいた。ある寒い朝に蒔割りで木造の仏像を割り、それを燃やして身をあたためていた。
それを見た信者は驚いて、「もったいないことをしている」となじった。
天然和尚は、「なんの、あなた方が大切にしている舎利を取るために荼毘に附しているいる所だ」と答えた。
舎利とは八十才で入滅した釈尊の遺体をインドの風習として荼毘(=火葬)に附し、その遺骨を弟子どもが分けて、これを礼拝した。その遺骨のことを舎利というのである。
天然和尚は木仏像を焼いて舎利を取るのだと答えたところ、信者は、「木の仏を焼いても舎利は出ませんよ」という。
和尚はすかさず、「舎利の出ないような木のはしくれを焼いて何がもったいないか」と答えたという話がある。
~中略~
従来の礼拝の対象としての偶像は禅門ではさまで重要性を認めず、そのほかにもっと重要なことがあると説く。
たとえば、「自仏是真仏」というように考える自分または自分の心の完成が先決問題であり、仏像や仏画を拝んだり、経文を読んだりする様な従来の宗派の在り方には飽き足らなかったものにほかならない。
「直指人心、見性成仏」が最初であり、同時に最後の問題なのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P180

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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九州国立博物館

虚空蔵菩薩

P50
 仏教の菩薩としては、上述の四尊(住人注;弥勒・観音・普賢・文殊)の他に重要なものといえば、大地と空との恵みを象徴した地蔵と虚空蔵の両菩薩がある。~中略~
虚空への信仰は星宿、日月の信仰とも関係をもつものであり、大日如来の信仰とも関係をもつものである。そのために虚空蔵菩薩の性格は理性的な面を多分にもっているといいうるのである。
 この虚空蔵菩薩は既に奈良時代から知恵のほとけとして信仰されており、既に奈良時代には僧道鏡も虚空蔵求聞持法を修していたことが知られている。また弘法大師も入唐以前にこの法を修していたことが伝記によって知られる。
弘法大師の虚空蔵信仰は深かったものとみえ、金剛峰寺講堂にその像を安置していたことが知られ、またその思想を体系化した五大虚空蔵菩薩図を弘仁十二年に描いているのである。神護寺の五大虚空蔵菩薩像(→四八ページ)は弘法大師の歿後あまり時代を経過していない時期の作品として著名であり、東寺(教王護国寺)山内の観智院には恵運が請来した五体の尊像が本尊として安置されている。
 広大にして、無辺な虚空に対する哲学的解釈はインドにおいてはさまざまに考えられている。
又、その考えを根底としたほとけも成立するのである。それが虚空蔵菩薩である。
蔵とは大宝あり、自在にこれをとり、貧乏を受けざらしむ」といっている。そのために、この尊は大日如来の福智の二徳を司るとされている。又他の経典では虚空蔵菩薩を金剛界の大日如来、地蔵菩薩を胎蔵界の大日如来の変化身とすると説く説くものもある。

P51

地蔵菩薩は大衆の信仰のなかに入っていったが、虚空蔵菩薩信仰は両界曼荼羅図における虚空蔵菩薩の信仰によったものではなく、虚空蔵求聞持法を修することによって、叡智を得る信仰である。この法は、大安寺道慈律師が受法して帰ったもので、善議・護命・勤装・空海と伝えられたものである。 

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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京都市 神護寺

律院

   「律」というのは僧侶の生活規範のことで、その律をもって専門的に成立している寺をどの宗旨(天台宗、真言宗、浄土宗)でも律院という。
カトリックにおける修道院のようなものである。修道院がそうであるように律院というのは寺の建築にも余計な装飾がなく、建物の規模も小さい。
ただ境内が嵐気を帯び、ちりひとつとどめず、全体が凛然としていて、むろん観光料はとらないという点でいずれも共通している。
たとえば浄土宗の律院は谷崎純一郎氏の墓のある京都の法然院で、法然院に入れば山内の空気が緊張していていかにも律院というにふさわしい。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P235

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

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京都市 法然院

邪鬼

 私は、仏教芸術の単調さをやぶるものは、むしろ邪鬼にあるのではないかと思う。
邪鬼の「痛テエヨォ、痛テエヨォ」という声により、本堂にただよう、神秘的で厳粛で、単調な静けさが破られ、そこから芸術に欠くことの出来ない自由とユーモアとが出現するのである。しかめ面の詩人、島崎藤村でさえ、「ユーモアのない一日は耐えがたい」といったそうであるが、われわれが、仏教芸術における唯一のユーモアの源である邪鬼を所有しなかったら、われわれは仏教芸術の単調さに耐えがたかったかもしれない。
邪鬼をふみつける四天王にも、この邪鬼の自由とユーモアがいくらか伝染しているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P131

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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奈良県 安倍文殊院

新しい時代を望む弥勒菩薩


 広隆寺の弥勒菩薩は何を考えていられるのであろう。深く世界と自己を見つめているようなうつむいた眼、明晰な知性を示しているかのようなすじの通った鼻、そして慈悲と喜びにあふれた口もとの微笑、仏像全体から何ともいわれぬ清潔感と神秘感がただよってきて、多くの人を詩人か哲学者に化すのである。
~中略~
 いったい、何を思惟し、何を考えていられるのか、われわれは、すでに望月先生から、弥勒の本質について話を聞いた。
それは五十六億七千万年の未来に、この世に出現して、釈迦によって救済されなかった衆生を救済する仏なのである。
この未来の仏、弥勒は、現在では兜率天という浄土にいて、未来の理想の世界について思いをこらしているのであるという。
してみるとあの弥勒菩薩は、五十六億七千万年の未来に来たるべき理想の社会を、兜率天という所で、じっと考えていられる姿なのである。
 未来の仏、弥勒菩薩。仏教では未来を示す仏はこの弥勒だけであろう。
阿弥陀も、われわれが未来にゆくべき極楽浄土を支配する仏であるが、阿弥陀は死者を迎えに来るのみで、この世に王国を作ろうとする野心はない。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P28

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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P35
 このように弥勒信仰は、阿弥陀信仰と比べて、はるかに困難で、絶望的な信仰であるかに見える。しかし、弥勒信仰は依然として、人びとの心に大きな魅力を投げかけるのである。
なぜなら、阿弥陀のように、極楽浄土へ行きっきりではなく、再び、この世の中に帰ってきて、しかもそこでは、理想の国が実現されているというわけである。この世の中に帰ってくるという思想の方が、行きっきりの思想よりはるかに魅力ある思想のように思われるからである。
 たとえば道長、われわれは先に、弥勒浄土、五十六億七千万年後に、弥勒が現れる所であっると考えられた吉野の金峰山に、道長がうずめた経筒の話を聞いた。その経筒に道長は自らの地でもって、法華経八巻を書いて入れたのである。
五十六億七千万年後に再び生き返ろうとする道長の悲願、恐らく日本歴史においてもっとも幸福な人物であるかに見える道長にとって、あらゆることが可能であった。
かれはどんな財宝をも、どんな地位をも、どんな美女をも、たちどころに手に入れることが出来た。しかし思うにまかせぬものは死だけであった。
死の運命は、乞食も大臣も同じように人を襲う。この死の不安からの解放の方法が、道長にあっては、一つは阿弥陀信仰であり、もう一つは、弥勒信仰であった。われわれは道長が、二つの救済の方法に同じように期待をかけたのを知る。
~中略~
 われわれはこのような道長に現れた弥勒信仰の名残りより、もっと明白な、もっと生々しい弥勒信仰の名残りを見るのである。
それは主として、東北、出羽三山を中心として地方に残存するミイラなのである。このミイラは、自発的にミイラを志願した弥勒信者の遺体なのである。
このミイラは鎌倉時代から江戸末期まであるけれど、ミイラの前身は、多くは武士や金持ちというめぐまれた階級の出身ではなく、人足、百姓などの下層階級の出身であり、現世において罪を犯したりした人が多いのである。
現世に罪を犯した彼にとって、出家が唯一の安全な生の場所である。こうして現世に希望を失った彼は、来世に弥勒の世界に希望をつなぐ。
~中略~
弥勒信仰には、このような永世への願望がふくまれる。もしも五十六億七千万年という時間を文字通りに取るならば、われわれは皇円阿闍梨のように蛇となるか、道長のように経筒を弥勒浄土にうめるか、出羽三山のミイラ志願者のようにミイラになって兜率天へ行き、そこで弥勒下生の時をまつかより仕方がないように思われる。

P38
 日本最大の変動期、それは古い氏族制度の日本が崩壊し、新しい統一国家として日本が出発するときであろう。
恐らくこのような時期に日本の礎石をきずいたのは、聖徳太子であったろう。
広隆寺の弥勒菩薩、中宮寺の如意輪観音と称せられてきた弥勒菩薩、野中寺の弥勒菩薩、聖徳太子に関係のあるお寺に弥勒の像が多いのへ決して偶然ではない。
それは変革の政治家、聖徳太子の理想の反映なのである。

P39
 変革期の仏、弥勒は、同時に変革を望む民衆によび求められる仏ともなる。~中略~
この新しい時代の到来を望む傾向は、ずっと日本の民衆の中に生き続け、天理教や大本教、観音経など、

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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京都市 広隆寺

仏さまの数だけ人間の苦しみも多かった

 大和古寺を巡るにしたがって、私の心に起った憂(うれ)いとはつまりこうだ。代々の祖先が流血の趾(あと)を見て廻るものの不安といったらいいか。何故こんなに多くの仏像が存在するのだろう。三千年のあいだ、諸々の神仏あらわれて、人々の祈りに答え、また美しい祈願の果の姿となって佇立している。
かくも見事な崇高な古仏がたくさん列(なら)んでいて、しかも人間はいつまでも救われぬ存在としてつづいてきた。どちらを向いても仏像の山、万巻の経典である。古来幾百人の聖賢は人間のため道を説き血を流した。
いま我々はその墓場を訪れ、そうかしてこの現世の大苦難を脱(ぬ)けきる道を示し給(たま)えと祈るのであるが、そして素晴らしい啓示や教(おしえ)に接し、日々その言葉を用いるのであるが、苦難は更に倍加し人間は何処へ行くべきかを知らない。古典を受け継ぐことなのか。
はじめ古典はその甘美と夢によって我らを誘うであろう。だが、汝等固有の宿命に殉ぜよという追放の宣言がその最後の言葉となるのではなかろうか。
 かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一軀(く)の像、一基の塔、その礎(いしずえ)にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋もれているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるだどと見物して歩いているは実に呑気(のんき)なことである。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P78

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/10/06
  • メディア: 文庫

滋賀県 己高閣

何を見るにしても、ある時間と手つづきが要る

 それにひきかえ、最後に夢殿へ行った時のことはよく覚えている。東大寺観音院の上司さんと、佐々木茂索さんがいっしょだった。お二人ともなくなられて久しいから、十五、六年は経つだろう。
度々拝んだ仏さまなので何の気なしに厨子の前に立ったが、扉が開かれたとたん、私は思わず泣き出してしまった。

こんなことを書くのはまことに羞しい話で、同行の方Tたちに対しても失礼に当るが、何としても涙が止まらない。涙はやがて嗚咽(おえつ)に変って、私は当惑した。お二人もびっくりされたに違いないが、本人はもっとびっくりした。あれはいったい何だったのだろう。何のための涙か。今そのことについて考えてみたいと思うのだが、巧く言えそうにない。

単に美しいとか、神秘的とか、崇高だなどといってみてもはじまるまい。感涙に咽(むせ)んだのは事実だが、そんな言葉で片づけたくはない。何かとてつもない力に打ちのめされ、縛りつけられて、身動きができなかったという感じである。
依然として、巧く言えないことに変りはないが、「仏を見る」とはそういう心身の状態をいうのではなかろうか。
仏でなくても、何を見るにしても、ある時間と手つづきが要る。

 

名文で巡る国宝の観世音菩薩
白洲 正子 白洲 正子 (著),広津 和郎 (著),岡倉 天心 (著), 亀井 勝一郎 (著), 和辻 哲郎 (著)
青草書房 (2007/06)

 

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 青草書房
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本

 

 ふもとのお宮に詣でただけでもまんぞくさせてあげてください。気づかないうちは、ふもとのお宮さまも石清水八幡宮なのです。
本人が気づいたときが、もう一度石清水八幡宮に参詣するタイミングなのです。

プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)
P192

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

  • 作者: 東山紘久
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: Kindle版

三二五 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P69

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版
滋賀県 向源寺

博物館

 僕は近頃、博物館について益々(ますます)疑惑を抱くようになった。便利といえばこれほど便利なものはない。僅(わず)かの時間で尊い遺品の数々に接することが出来る。しかし僕らは博物館の中で、何かしら不幸ではないか。東京の国立博物館でも、奈良博物館でも、法隆寺宝蔵殿でも、ふっと空虚な寂(さび)しさを感ずることがある。病院の廊下を歩いているような淋しさだ。
僕ははじめそれが何に由来するかわからなかった。古仏が本来その在るべき仏殿から離れて、美術品としてガラスのケースに幽閉された時の淋しさはむろんである。
だがケースに陳列してそれほど不自然に見えない筈の工芸品にしても、博物館にあると急に白々しくなる。
この空虚とは何か。寂しさとは何か。僕は近頃になって、それが愛情の分散であることにはっきり思い当った。
つまり博物館とは、愛情の分散を強(し)いるようにつくられた近代の不幸なのではなかろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P49

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/10/30
  • メディア: 文庫

奈良国立博物館

仏像における彫刻性あるいは写実性とは

 美的関心あるいは様式技術論のみをもって仏像に対することの不可は、誰しも一応認むるのであるが、悲願を体得するという困難のゆえに、つい我々は美術品としてのみこれをあげつらい易(やす)い。そこに一見学問的にしてしかも無意味な比較研究が起る。
白鳳天平(はくほうてんぴょう)の諸仏に比して、飛鳥仏の稚拙と固定性は美術家のすべてが論ずるところである。~中略~
 しかし私は仏像における彫刻性あるいは写実性とは何か―今日美術家の説くところに対して多大の疑問をもつ。白鳳天平となれば、仏像は完全に立体性をもち、つまりは人体に近くなる。人体に近いほど我々に親しさをもたらすのも事実である。飛鳥の釈迦像よりも天平の聖観音の方が我々を喜ばしてくれる。
更に三月堂や戒壇院の四天王像となれば益々面白い。
この面白さとは、結局彫刻としての面白さであり、そこに写実性乃至(ないし)人間性に立脚する古美術論が成立つ。
これに接したときの我々の情感も、体軀の柔軟なくねりに応じて自由になるように思われる。これは仏像の進歩というものなのだろうか。信仰の発展というものなのだろうか。

 だが私は最も始源の意味に―即ち第一義の道に還(かえ)りたい。仏師が仏を彫る所以(ゆえん)のものは、さきに述べた人間の悲願に発するのである。まずその根本へ還りたい。
写実といったときの「実」とは即ち「仏」であって「像」ではない。仏像とは彫刻ではなく、一挙にただ仏である。これは大事な根本でなかろうか。
然(しか)るに現在用いられている写実という言葉は、人間性と聯関(れんかん)した、言わば人間の「実」を写すという意味が非常につよい。
人間の「実」を求めて、遂にそれを超えた仏の「実」に達したところを見るならば私も一応納得するけれど、古人が「仏」の「実」として写したものを、人体にひきおろして鑑賞する態度は果たして正しいだろうか。
「私」の美的恣意(しい)に基く鑑賞によって仏像を解しうるだろうか。信仰の上から云って冒瀆(ぼうとく)であるのみならず、あらゆる点から云ってそれは虚偽ではなかろうか。造仏本来の意味に反する。現代の古美術論の多くはこの虚偽の上に成り立っているように思われてならない。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P83

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

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東大寺戒壇院戒壇堂 奈良県