凡そ( およそ )事を作( な )すには、須( すべか )らく天に事( つか )うるを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。
「 言志録 」第三条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P13
仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといったきもちがあってはならない。
もうひとつ、日本代表の選手たちに提案したことがありました。
「ラグビー以外の行動をきちんとやろう」
きちんと食事をとる。疲れを残さないために決められた量のプロテインやスムージーをきちんと摂取するといったことは当然ですが、ほかにも靴を脱ぐときは揃えて脱ぐ。ちらかっていたらきちんと並べる。ペットボトルなど放りっぱなしにしない。
バスを降りるときは、ゴミが残っていないか必ず確認する・・・・・。
一見、些細な、どうでもいいように見えることでも、きちんと守ろうと提案したのです。
「ラグビーとどういう関係があるんだ」
そう思われるかもしれません。
けれども、そうした規律の部分は絶対に試合に出るのです。
しなければいけないことをする。これは自分の行動の責任をとるということにほかなりません。
それは、ピッチの上での自分の役割と責任を明確にし、やるべきことを責任を持ってするのと一緒。規律をないがしろにしていると、ピッチの上でも自然にそうなってしまうのです。
~中略~
「つねに個々が自分の役割ご責任をしっかり確認できるよう、ラグビー以外での行動にも責任を持つ、人から言われなくても、するべきことは自分でちゃんとできるようになろう」
と提案したのです。
ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」
荒木 香織 (著)
講談社 (2016/2/19)
P80
自分の脱いだ靴の始末ができない人は、「そんな小さなこと、どうでもいいじゃないか」と思っているのかもしれません。あるいは、頭の中が忙しく、自分が靴をそろえていないことにすら気づいていないのかもしれません。
それだけ、心が乱れているということです。
小さなことをきちんとできない人が、大きい目標を達成できるわけがありません。
遠くへ行きたいと思えば、今は便利な交通手段がたくさんあります。しかし、どんな方法を使うにせよ、結局は一歩ずつ、自分の足で歩みを重ねて体を運んでいくしかないのです。着実な一歩を重ねられる人だけしか、目的地にはたどり着けません。
靴をそろえる。数秒もかからない小さなことですが、生き方全体を変える大きな力を持っています。
怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)
P115
江戸時代の会津では六歳から九歳までの藩士の子どもが、一〇人前後で「什」と呼ばれる集まりをつくっていました。そして年上の子が座長となり、家に集まって次の項目に沿って「お話」をみんなに聞かせ、反省会を開いていたのでそうです。
「什(じゅう)のおきて」
一、年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、戯言(うそ)を言うことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
一流の男は「気働き」で決める
高野 登 (著)
かんき出版 (2014/4/23)
P162
P98
先進諸国では大量の肉やアルコール飲料が消費されていますが、それらは身心に破壊的な影響を及ぼします。
肉とアルコールを生産するために多くの土地や大量の資源が消費され、それによって世界中に貧困と飢餓がもたらされます。
大量の小麦、米、トウモロコシ、大麦などが、アルコール製造や食肉用の動物の飼料として使われています。毎日おびただしい数の子どもたちが、栄養や食糧不足のために死んでいっています。
P100
私はマインドフルに食べ、飲むことを誓います。肉を食べることやアルコールを摂ることを減らしていきます。
健全な農業を推進し支えるように努め、あらゆる生き物のいのちと環境を尊重します。
できれば自宅の庭(または僧院)で、有機的な方法による耕作を試みます。食料品店では、有機農業によって育てられた野菜や果物を買うよう努め、有機農産物を生産する農家を支えていきます。
本当に必要な食物だけを摂るよう心がけます。
そうすれば、有機的に育てられた野菜、穀物、豆類、果物などを買うための金銭的余裕が生まれますから。
大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
「いつもお話をうかがっておりますと、自分より他人を愛せとおっしゃっておられます。それなのに、なぜ、自分が最高にいとおしいということが、正しいのでしょうか?」
すると釈尊は、こうお答えになったのです。
「人は己より愛おしいものを見出すことはできぬように、他もまた己が、こよなく愛しい。己を愛しいと知る者は他を害してはならぬ」
この話は、「相応部経典」三巻の八「末利」という巻に出てきます。
松原 泰道 (著)
人生百年を生ききる
PHP研究所 (2004/08)
P24
私はかって「自分」よりも愛しいものを探して世界中を求め回ったけれども、「自分」より愛しいものはどこにも見つからなかった。 それは他者にとっても同じこと。 ~中略~ ゆえに自分を愛しいと思うなら、他の生き物を傷つけないように。 小部経典「自説(ウダーナ)」
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一六〇
三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 ~後略
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想
西郷 隆盛 (著), 猪飼 隆明 (翻訳)
角川学芸出版 (2007/04)
P131
西郷隆盛「南洲翁遺訓」 (角川ソフィア文庫 349 ビギナーズ日本の思想)
故に戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも必ず戦いて可なり。
戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦う無くして可なり。
故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは、国の宝なり。
新訂 孫子
金谷 治 (翻訳)
岩波書店; 新訂版 (2000/4/14)
P136
心こそ 心惑わす心なれ 心の駒の 手綱ゆるすな
良寛和尚
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P19
心を守る以上に大切なことはありません。
心という野生の象をたえず見張り続けて、
それを注意深さと用心深さで調教しましょう。
こうすれば、外のさまざまな条件に振り回されることはありません。
ダライ・ラマ 365日を生きる智慧
春秋社 (2007/11)
P187
祖父の春豊が、晋作の監督をしていた。その祖父はつねに、
「わき見をしてくれるなよ。人間は馬とはちがい、自分で自分の手綱をもたねばならぬ。おまえは自分の手綱をよほどひきしぼっておらねば、どこへ跳ねるかわからぬ子だ」
といっていた。
世に棲む日日〈2〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P71
相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、状況があまりにも悪すぎるから、逆転できる条件がそろわないから負けるのではない。
心が恐れを抱き、おじけづいたときに、自分から自然と破壊や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」
074
本当に自由になりたければ、自分の感情をなんとか縛りつけて勝手に動かないようにしておく必要がある。
感情を野放しにしておくと、そのつど感情が自分を振り回し、あるいは感情的な一方向にのみ顔と頭を向けさせ、結局は自分を不自由にしてしまうからだ。
「善悪の彼岸」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
怪我が治ったあとも、「また怪我をするんじゃないか」という恐怖心から全力で投げられなくなったり、走り込みをセーブしたりする。おかげで身体が衰えて、二度と昔のようなプレーができなくなる。
怪我で潰れていく選手って、意外とこのパターンが多いんですよ。
怪我そのものが原因ではなく、復帰後のトレーニング不足によって満足なプレーができなくなる、というパターンです。
工藤公康
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)
P201
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
P237
たとえば怒りの反応は、自発的に誘発されるプログラム。ひとたび怒りが誘発されると、脳から放出された化学物質がからだに満ち、生理的な反応が引き起こされます。
最初の誘発から九〇秒以内に、怒りの化学的な成分は血液中からなくなり、自動的な反応は終わります。もし九〇秒がすぎてもまだ怒りが続いているとしたら、それは回路が機能し続けているようにわたしが選択をしたからです。
瞬間、瞬間に、神経回路につなげるか、それとも、現在の瞬間に戻って、つかの間の生理機能としてその反応を消散させるかのどちらかの選択をしているんです。
~中略~
ほとんどの人は、自分がどう反応するか、無意識のうちに選択をしていることに気づきません。(辺縁系の)プログラム済の反応に身をゆだねるのは楽なので、自動操縦にたよって快適なペースで生活しがちなのです。
辺縁系の中で起きていることに大脳皮質の細胞が注意を向ければ向けるほど、考えたり、感じたりすることに口出しができるようになります。
自動回路が行っている選択に注意を払うことによって、自分で手綱を握り、意識的な選択を増やすことができます。長期的に、自分の人生全般に責任を負うのです。
~中略~
自分に苦痛を与えるような思考を巡らすことは、自分でその回路を選んだと承知しているかぎり、悪いことじゃありません。
それと同時に、そうした思考に飽きてきたら意識的に止められる、という能力を持っているんだと知ることが、解放感につながるのです。
肉体や精神の環境がどうであれ、右脳の領域に踏み込んで、思考を現在の瞬間に引き戻し、平和と愛の心(右脳マインド)に戻れることを知っていれば、束縛から解放されます。
P248
脳とからだの中の九九・九九九%は、わたしが幸福で成功することを望んでいるはずです。でも、ほんの一握りの物語作家は、わたしが喜ぶことと無条件にはつながっておらず、内なる安らぎの感覚を台無しにする可能性をもつ思考パターンばかり試そうとするのです。
~中略~ この連中は頭の中の言葉を使って、悲観に満ちたループを走らせることに情熱をもやします。この連中は、嫉妬、恐れ、怒りといったマイナスの属性を利用します。この連中は、しくしく泣いて、不平を並べ、あらゆることがいかに酷(ひど)いかをみんなに言いふらすのが生きがいなのです。
P251
からだが疲れていたり、精神的に参った状態にあるとき、つまり、油断しているときを狙(ねら)って、否定的な思考回路が人を傷つけようと頭をもたげることに気づきました。
脳が言っていることに注意し、その考えがからだにどのような感覚をもたらすかに気づけば、自分が本当は何を考えたり感じたりしたいのか、意のまま選べるようになります。もし内なる平和を保ちたいなら、ぶれることなく、いつでも心の庭を育てなければなりません。
奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき
ジル・ボルト テイラー (著), Jill Bolte Taylor (原著), 竹内 薫 (翻訳)
新潮社 (2012/3/28)
P262
天性実に美わしく生まれて人がある。嫉妬羨望の念なく、ほとんど悪の観念なきかと思われる人がある。しかし、こんな人は極めて希だ。十中の八、九人はこれに反し修養を積まなければ善に進まれぬものである。
善悪の両性を有するものは、たゆまず失望せず徳を貯えるようにせよ。~中略~
徳を積むものは、前に述べた富とか知識とかを積むもののごとく、この世に栄華を極めることの保証は出来ぬ。人から偉いと言われるや否やも分からぬ。月給も多く多くもらえるかどうか分からぬ。
~中略~
しかし、徳には名誉も黄金も及ばぬ保存力と快楽とがあるものと見ゆる。金ある者は、あるいは失敗して一夜にこれを失うことがある。知識は病気のために忘れることもある。
人に嫉まれたりうらやまれたりすることもある。しかし、徳のある人は火災に喪失するの憂いもなく、人に嫉まれることもない。
しかも、最初の種はすでにかくじにももっておるから、今から・・・、今晩からでもすぐに積み始めることができる。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
性急にやらねばならぬこともたくさんありますが、
節度を保ち、不自由を忍ばねば、手に入れることのできぬものもあります。
徳はそれだと申します。
徳とは縁続きの愛も同様です。
(「タッソー」一一一九行以下)
ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P12
第一に勇気の修養に必要な心得は「正を守りて恐るることなかれ」(Be jusut and fear not)というシェークスピアの名言を守ることが大切である。
「正を守る」ということは勇気の根本で、「恐るるなかれ」はすなわち勇気である。正を守ることは勇気修養の最大条件で、正義に基礎を置かない勇気は匹夫の勇である、猛獣的である。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P140
P150
「真勇は怯のごとし」と古人の言にもある。沈勇というような人でなければ、堪えぬことができぬ。人におだてられて、乗り出したくなる時はよろしく「待てしばし、これは俺の出る場所でない。俺の現れる幕はこの次だ」と自ら時を計るの明を要する。 勇気を修養する者は進む方の勇ばかりでなく、退いて守方の沈勇も、またこれを養うように心がけなければならぬ。両者が揃うて真の勇気が成る。
天性忠厚の人にても、勇猛心なき時は、徒善となりて、実用をなすこと能(あた)はず。
(「続資治通鑑網目講説」)
山田方谷のことば―素読用
山田方谷に学ぶ会 (編集)
登龍館 (2007/07)
P38
「大学」に「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知るを致す。
知るを致すは物に格る にあり」
とあり、また「天子よりもって庶人に至るまで一にこれ皆身を修るをもって本となす」とあり、
治国、斉家、修身と列挙せることより見るも、自己がその意志の力により、自己の一身を支配することであると思う。
すなわち修身とは克己なることが本となって、肉体情欲のために心を乱さぬよう、心が主となって身体の動作または志の向く所を定め、整然として、順序正しく、方向を誤らぬよう、挙動の乱れぬよう、進み行く意であろうと思う。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P24
「大学」に「いにしえの明徳を天下に明らかにしようと欲する者は、まずその国を治める。その国を治めようと欲する者は まずその家を斉(ととの)える。
その家を斉えようと欲する者はまずその身を修める。その身を修めようと欲する者はまずその心を正す。
その心を正しくしようと欲する者はまずその意を誠にする」とあり、要するにおのれの明徳を社会において発揮しようと思うならば、なによりも片寄った心の原因となる「意」をまことにすることにある。
この意について、朱子はわたくしごころの「私意」と説明しているが、藤樹はこの意が形成されるもとになるのが、「好悪の執滞」「是非の素定」「一切の将迎」「一毫(いちごう)の適莫(てきばく)」であり、これらが識らず知らずのうちに混ざりあって、日常生活のなかで習癖と化してしまう、と解き明かす。
たとえば、一切の将迎とは、すべて自分の意に沿うことのみを求めること、一毫の適莫とは、ささいなことで人にたいし親切・不親切の片寄ることである。
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P189