2026年3月18日水曜日

大名は、植木

 会津藩はこの当時、日本最強の武士団という評判があったが、しかしこれはあくまでも武士階級だけのことで、のち、会津若松城の攻防戦のとき、領民はこの武士たちの戦いを冷淡に見ていたばかりか、官軍に協力し藩軍の様子を通報する者もいた。
おなじ戊辰戦争のときの越後長岡藩の戦いもそうで、領民は傍観していた。
領民をもって藩の防衛力をつくるなどとてもできるものではないほど、両者のあいだは断絶している。どの藩も、江戸期を通じ、徳川家の大名対策によって転封やら移封やらさせられており、
「大名は、植木」
 とまでいわれていた。大名という植木をひき抜いて、他の鉢―領土領民―へ植えかえるということをやっており、このため藩と領民の一体感というものはない。
 地生(じば)えの大名というのは長州藩のほかに、仙台伊達家、薩摩藩島津家、津軽藩、南部藩などがあるが、これらのどの藩でも、
「諸隊」
 をつくるなどは不可能であった。この四藩は武士階級の優越意識が、長州藩とはくらべものにならぬほどに強烈で、武士からみれば百姓階級は虫けらにちかい。
 ともあれ、長州藩には高杉晋作がその独創によって創設した騎兵隊があり、その後その方式によってつくられた諸隊というものがある。ついでながら、軍隊のことを「隊」と言いだしたのは、日本史上、長州のこの諸隊が最初である。

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)
P300

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 文庫

P26
 ロシア貴族(皇帝をふくむ)は、領地をもつ場合、地主であっただけでなく、その所有地の上に載っている農奴も私物でした。農地・農奴は持主の貴族の意思によって売買されます。おなじ土地でも農奴が何百人、何千人載っているかで、値段の上下がきまります。
 これからみると、江戸期の大名(将軍を含む)は、はかないものでした。ロシア貴族個人にとって、「おれ」という意識は「おれのもの」という私的所有の実感と不離なものだと思うのですが、これにひきかえ、日本の大名個人には、「おれ」も「おれのもの」もまことに希薄なものでしかありませんでした。
 たとえば江戸期の大名には、自分の城を売却する権利がありません。それどころか、お国替という配置転換の命令があると、城を空け、掃除をし、つぎの大名にあけわたしたのです。

P28
 長州藩毛利家の版図はいまの山口県で、三十六万九千石でした。ロシア史のほうから「日本史における江戸期の大名はロシア貴族と似たようなものだろう」と見るのは大まちがいだというのは、毛利家が、山口県の地主ではなく、また農民の私有者ではなかった、ということでもわかると思います。
江戸期における地主はあくまでも農民でした。大名は、かれらを統治し、そこから行政費として(という思想はあったと思います)租税をとりあげ、行政をしてゆく、という存在でした。

P30
 維新後、太政官府は、諸藩の反乱をふせぐため、大名を東京にあつめ、やがて大名の時代はおわりました。明治政府は、実質をうしなった大名に対し、廃藩置県したあと、石高に応じ、家禄をあたえました。~中略~
 ここで旧大名は、はじめて「私有」という権利を得ました。”大名の解放”というべきものでした。家屋敷も一般の者と同様、元大名たちにとって完全な私有になりましたし、政府から給与されるものも、それをどう使ってもいい性質のものになりました。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: Kindle版
萩城址 山口県

地付きの大名

   実は、教科書で教えられているような、侍が城下町に住み、農耕をしない、というような江戸時代の兵農分離の姿は全国的なものではなかった。
とくに南九州、延岡から南には、とても、兵農分離とはいえない社会がひろがっていた。第一、侍の人口比率がまったくちがった。
 延岡藩(住人注;譜代大名)支族比率が全人口の三・四四%である。ところが、その南の高鍋藩(秋月氏)では一八%になり、佐土原藩(島津氏)は三五%、飫肥(おび)藩(伊東氏)では二〇%宮崎県内の鹿児島藩領では三一%ととなっていて、十倍ぐらい士族の比率がちがう(日高次吉「宮崎県の歴史」)。
 つまり日向の国情を見ると、延岡の内藤氏だけが、徳川系の大名で、おも立った家士とともに、この南の地に移り住み、占領軍として小さな延岡城にしがみついていたといってよい。
あとは、みな地付きの大名たちであった。地付きの大名というのは、先祖代々その地に住み、場合によっては島津のように源頼朝公の命によって地頭として赴任してきて、そのまま住みつき、戦国時代にはその地の一大勢力になって来たような大名たちで、高鍋の秋月、飫肥の伊東などはみな地元出自の大名であった。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P189

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
  • メディア: 文庫

 

霧島神宮 鹿児島県

藩の秩序

P17
前近代日本では、身分に応じた「場」と「席」の体系が、しっかり出来上がっている。天皇であれば京都御所の常御殿、将軍であれば江戸城の奥、水戸藩主なら水戸藩江戸屋敷の奥、というように、身分によって居場所がきまっており、そこから抜け出すことは「身分にかかわる行為」として許されなかった。日本では身分は場所に強く結びつけられて存在していた。
 城のなかでも、席次がうるさい。藩主の席は城の一番奥にあって一段高くなっており、必ずその次に、家老の席がある。ヒラの侍たちは大広間に詰め、それ以下は屋外に控える。こういう決まりごとで、藩の秩序は保たれていた。
 ただ、それも行き過ぎると、おかしな話になる。江戸時代も末期になると、
「家来なのだが、実は、殿様の顔を知らない」 
ということが現実におきていた。
~中略~
殿様は「席」にしばられて身動きがとれず、下っ端の家来とは、顔をあわすことさえできないのである。
~中略~
 時代劇で、よく殿さまが、
「苦しゅうない、近こうよれ。もうちっと、近う」
という場面を見るが、たいてい客のほうは遠慮して、膝をたてて五〇センチほど、にじりよるだけでさほど殿様には近づかない。日本人なら誰でもみたことあるこのシーンは、やはり史実といってよく、結局、江戸時代の殿様は「公式会見」にしてしまうと、膝詰めで親しく話などできないものであった。~中略~
 この点、ヨーロッパの王室などは、はるかに自由であった。

P20
 こういう日本社会において、殿様が他人と親しく話をする方法は、二つぐらいしか残されていない。一つは茶室である。茶会によび、狭い茶室空間にいれてしまえば、膝詰めで、誰とでも話ができる。だから、江戸時代の大名は、ほとんど例外なく、茶道が好きである。これがなければ、精神的に生きて行けないといってよかった。もう一つは、かなりまずい。御殿からこっそり出ていく「お忍び」であった。
 ただ、これも江戸時代の初期だけで、世の中が安定してくると、しだいに殿様は御殿から出なくなった。徳川将軍やその子供が江戸の町に忍び出たのは、三代将軍・家光までである。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
  • メディア: 文庫

 

関門海峡

調略

 朝廷が決めた攘夷決行の日は文久三年(一八六三)五月十日。しかし、そんな攘夷開始の命令は、政治的なかけひきとどこの藩も適当に考えていた。
ところが長州は違った。ただちに実行に移し、馬関(下関)海峡を通る外国船につぎつぎと攻撃をしかけた。
そこから「長州藩を何とかしないと、日本全体が大混乱になる」と薩摩藩と会津藩は政界の主導権をにぎるため同盟し、長州藩の京都追放策をひそかにめぐらした。

 この調略にカンカンになったのが、佐賀の過激派の真木和泉守、長州の福原越後らの面々である。
~中略~
元治元年(一八六四)七月十九日、突如、彼らは大軍を率いて京都に突入してきた。しかし、御所に発砲したというので、すぐ長州藩は賊軍になる。
圧倒的な兵力の反撃を受けて、戦いは一日にして終わり、長州軍は敗退、これを蛤御門の変という。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P215

この国のことば

この国のことば

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本

 

薩摩藩の大久保一蔵(利通)は、この時期、政局の舞台裏で、魔術師のような暗躍をし、ついにはのちに佐幕派の会津藩と手を組み、長州勢力を京都から一掃してしまうことになる。政治は感情であるという。薩摩藩の、長州藩の独走に対する強烈な嫉妬が、この間にははたらいている。

長州藩の攘夷とは、まず関門海峡を通過する外国艦船を、長州領下関側の沿岸砲台から発砲して、うち沈めることであった。
 この海峡は、一昨年ごろから外国艦船の通行量がふえている。海峡は狭く、狙撃もしやすい。
 五月十日になった。
 不幸な商船が通りかかった。米国の貿易商ホールという者の持ち船ペンブローク号(二〇〇トン)で、横浜から上海へ向かおうとし、夕刻この海峡にさしかかった。長州藩は、停船を命じ、やがて藩の軍艦の艦砲と沿岸砲をもって砲撃したから、ペンブローク号は数発の被弾をして逃げた。

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)

 

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 文庫
関門海峡 下関市

貨幣経済のはじまり

  肉屋はその店に自分が消費する以上に多くの肉をもっており、酒屋とパン屋はその肉の一部をそれぞれ購買したいと思っている。ところが、かれらはそれぞれの職業の生産物のほかには、交換に提供するものをもっていないし、また肉屋にはすでに、かれがさしあたり必要とするパンとビールはすべて手持ちがあるとしよう。
この場合には、かれらのあいだにはどんな交換も行われない。肉屋は、かれらの商人になることができないし、またかれらも肉屋の顧客となることができない。
こういうわけで、この人たちは、すべておたがいに相互の役に立つことが少ないのである。
このような事態の不便を避けるために、社会のあらゆる時代の世事にたけた人たちは、分業がはじめて確立されたあと、おのずから事態を次のようなやり方で処理しようとつとめたにちがいない。
すなわち、世事にたけた人は、自分自身の勤労の特定の生産物のほかに、ほとんどの人がかれらの勤労の生産物と交換するのを拒否しないだろうと考えられるような、なんらか特定の商品の一定量を、いつも手元にもっているとういうやり方である。
 おそらくこの目的のために、さまざまな商品がつぐつぎと考えられ、また使用されてきたようだ。
社会の未開時代には、家畜(牛や羊)が交易の用具であったといわれている。家畜はそのような用具としてはたいへん不便なものだったにちがいないが、それでも昔は、物の価値が、それと交換される家畜の頭数にしたがって示された場合が多い。~中略~
しかしながら、どの国においても人々は、反対しようのない理由から、貨幣として用いるために、他のあらゆる商品に勝るものとして、最終的に金属類を選ぶことにきめたように思われる。
金属類ほどもちのよいものは他にないのであって、金属は他のどんな商品にくらべても保存による消耗が少ないばかりか、なんの損失もなしに任意の数の部分に分割できるし、またこの分割部分は、損耗なしに溶解によってふたたび容易にひとつにすることもできる。


国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P40

国富論 1 (中公文庫 D 20)

国富論 1 (中公文庫 D 20)

  • 作者: アダム スミス
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1978/04/10
  • メディア: 文庫

 

奈良県 平城宮跡

権威による統治の弊害

権威による統治には幾つかの弊害がある。
第一に、失敗を認めることができない。~略
 第二に、抜本的な対策をとることができない。抜本的な対策とは、従来の政策を否定することだ。~略
 第三に、ルールが変更されたときに、意外な脆さを露呈する。~略
 第四に、権威が及ばない外部には無力である。
 第五に、権威による統治では、統治者は保護者として振る舞うから、統治される側が鍛えられることがないし、統治者と被統治者が運命共同体として結びつくこともない。
       権威による統治では、統治者の権威に傷が付くような情報は可能な限り隠そうとする。結果として「知らしむべからず、依らしむべし」という統治形態になる。
~中略~
また、依らしめられた、統治される側は、任せておけばいいのだから、自分で判断したり、責任を取る訓練を受けていない。
何が起きても他人事であり、悪いのは統治者である。
 第六に、技術革新や変革を、秩序維持の名において妨害する傾向がある。~略
最後に、権威による統治では行政の中に専門家が育たない。~略

「借金棒引き」の経済学 ―現代の徳政令
北村 龍行 (著)
集英社 (2000/8/17)
P201

「借金棒引き」の経済学 ―現代の徳政令 (集英社新書)

「借金棒引き」の経済学 ―現代の徳政令 (集英社新書)

  • 作者: 北村 龍行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2000/08/17
  • メディア: 新書

 

権威。権威がなくては、人間は存在し得ない。
しかし、権威は真理と同様に誤りを伴うものである。
それは個々のものとして消滅すべきものを永遠に伝え、固く把持さるべきものを拒み消滅させる。
こうして権威は往々人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原因となる。
(「格言と反省」から)

ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P36

 

ゲーテ格言集(新潮文庫)

ゲーテ格言集(新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: Kindle版
奈良県 平城宮跡

思想と政治

P149
この戦い(住人注;蛤御門の戦い)のあと、長州びいきの土佐の中岡慎太郎が薩摩の西郷のもとへゆき、
「思想(すじ)のとおらぬことをなさる。あなたもまた尊皇攘夷であるのに、なぜ兵をもって長州を撃ちなされたか」
 と、詰問したが、西郷の唇はしばらく沈黙したままであった。なぜなら薩摩のほうが、思想をとびこえてきわめてきわめて政治的であったからであり、政治的である以上「そのほうがわが藩の政略上都合がよかったから」とは言いづらい。
長州人は形而上的な思考に昂奮し(松陰がそうであったように)薩摩人が現実から決して宙に浮かず、その点ではおとなであった。

~中略~
この元治元年七月の時期では、薩摩は幕府と手をにぎって長州に対抗した。が、やがて後年、長州と手をにぎって討幕主力に変化するのである。薩摩によって背負投げをくらわされたのは長州だけでなく、のちの慶喜も同様であった。
慶喜はその晩年、明治になってからも、
「長州は幕府を敵とし、憎悪し、武力と権謀をつくして挑んできたが、しかしあれはあれでそれなりの筋がとおっていた。

だから、自分はなんのうらみもかつての敵であった長州にはもっていない。しかし、薩摩はべつである。これを思うとこんにちですらなんとも言えぬおもいがする」 

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 文庫

 

奈良県 平城宮跡

リスク分析

生命や健康,財産,環境,人間関係などは,私たちにとって重要で価値がある.そういった価値に対する脅威はさまざまだが,それらをリスクという概念で統合的にとらえ,対処していこうというにがリスク分析の考え方である.
訳者まえがき

P66
内科医のジョン・スノウ卿は,当時の限られた健康科学の中でさえ,注意深い観察と明敏な判断力があればコレラの原因を特定できることを,彼の有名な分析によって証明している. ~中略~
スノウ卿の研究は,感染源に対するぜい弱な仮説であっても,思慮深い観察と計数によって何をなしうるか示している.
それは「疑わしい水の利用を停止せよ」ということである.
それ以降,コレラに関する科学的な理解が深まったが、今日でも流行が発生したときにリスク分析者が用いるのはスノウ卿と同じ基本的アプローチである.
すなわち,死者数をカウントし,ありうる原因を調べ,その原因の状況を改善し,危険の削減を期待して見守る,というものである.
もし,その”リスク管理”が機能したなら問題は解決し,理論は支持されることになる.スノウ卿の仕事はさまざまな情報源からの不確実な知識を統合して分析を進めるという,現代のリスク分析の嚆矢といえる.

 

P219
 社会の重要な価値には,リスクを避けることだけでなく,達成すべき前向きな目標がある.
それには,若い世代を育てたり,文化的な伝統を維持したり,自由を共有したり,意義ある労働や自己表現を見つけ出したり,といったことが含まれる.
アリストテレスがいうところの”善き生”を達成するための最適な冒険は,個人的,共同体的,そして,社会的価値の文脈の中で,リスクについての意思決定をとらえることである.
"risk"という言葉は古代ローマの"risicare"という言葉からきており、”思い切ってやる”あるいは”不確実性に直面しての行為”という意味を持つ.
リスク分析は危険を削減し,偶然の果たす役割を小さくすることで幸福に到達するための知的道具なのである.
~中略~ リスクは私たちの認識や生活の中に深く組み込まれていて,ほとんどそれと気づかないこともありうる.それに対して,リスクについての研究は,リスクについての意思決定がいかにフレーミングされているのか,リスクがどのように定義されているのか,自分たちの信念がいかに世界を浮き彫りにするか,自分たちの優先順位をどうやって明らかにできるのか,といった問題を意識化し,明示的に深く考えることでリスクの存在に気づかせてくれる.

リスク 不確実性の中での意思決定
Baruch Fischhoff (著), John Kadvany (著),中谷内 一也 (翻訳)
丸善出版 (2015/4/26)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2015/04/26
  • メディア: 新書
奈良県 長谷寺

死ぬ確率


豊かな国々における年間死亡率というのはだいたい100人に1人くらいである(0.8%).1年間は約10000時間なので,生存する100万時間(=100人×100000時間)あたり1人死ぬことになる.つまり,ある人が豊かな国に暮らしていれば,死ぬ確率は平均すると1時間あたり100万分の1ということになる.
事実上,これが生きていることのリスクということになる.もちろん,リスクはかなり多様であり,年齢,性別,社会経済的状況その他の要因で変わってくる.赤ちゃんが1歳になるまでと,55~64歳の間はだいたいこの平均に当てはまり,来年死亡する可能性はおおよそ100分の1となる.
(出典:V.Smil,"Global Catastrophes and Trends",:the next 50 years,MIT Press(2008),P226)

リスク 不確実性の中での意思決定
Baruch Fischhoff (著), John Kadvany (著),中谷内 一也 (翻訳)
丸善出版 (2015/4/26)
P63

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2015/04/26
  • メディア: 新書

奈良県 長谷寺

小作

P68
 明治維新直後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
 維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。 「欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。米というのは豊凶さまざまで、来年の獲れ高の予想ができなから、従って米を基礎にしていては予算が組みあがらない。よろしく金(かね)を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである」
 明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。
 が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
 農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。「米もまた商品であり、農民は商品生産者である」というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などごとんど見ることなく暮らして来たし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。
~中略~
「安い金で買ってもらったんです。地主に金納してもらい、自分は先祖代々耕してきた田を依然として耕し、以前、藩に米を納めたように、地主に物納してゆく。つまり、小作になったわけです」
 と、池田翁はいう。全国的にその傾向があり、これによってどの府県でも圧倒的な大地主というのはこの時期にできあがるのだが、その間(かん)のことを、池田翁のように父親からなまに聞いてきた人が肉声で言うのを聴くのは、ちょっと凄味があった。
 この消息を池田翁は、やや諧謔をこめて、
「地主だって、小地主はそう田地を持ちこまれても、金納の能力はない。そこをなんとかお願いします、といって、酒や赤飯を持って行ってただで引きとってもらった例も多いんです。そういうぐあいにしてみな小作になった」
 やがて小地主も倒れてゆき、大地主だけは膨れ、明治政府は大地主から得た金で財政をまかなってゆくのだが、大正期になると、小作農は暮らしの苦しさと政治意識の自覚が高まって、各地に小作争議が頻発する。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
 

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

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