2026年3月18日水曜日

藩の秩序

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前近代日本では、身分に応じた「場」と「席」の体系が、しっかり出来上がっている。天皇であれば京都御所の常御殿、将軍であれば江戸城の奥、水戸藩主なら水戸藩江戸屋敷の奥、というように、身分によって居場所がきまっており、そこから抜け出すことは「身分にかかわる行為」として許されなかった。日本では身分は場所に強く結びつけられて存在していた。
 城のなかでも、席次がうるさい。藩主の席は城の一番奥にあって一段高くなっており、必ずその次に、家老の席がある。ヒラの侍たちは大広間に詰め、それ以下は屋外に控える。こういう決まりごとで、藩の秩序は保たれていた。
 ただ、それも行き過ぎると、おかしな話になる。江戸時代も末期になると、
「家来なのだが、実は、殿様の顔を知らない」 
ということが現実におきていた。
~中略~
殿様は「席」にしばられて身動きがとれず、下っ端の家来とは、顔をあわすことさえできないのである。
~中略~
 時代劇で、よく殿さまが、
「苦しゅうない、近こうよれ。もうちっと、近う」
という場面を見るが、たいてい客のほうは遠慮して、膝をたてて五〇センチほど、にじりよるだけでさほど殿様には近づかない。日本人なら誰でもみたことあるこのシーンは、やはり史実といってよく、結局、江戸時代の殿様は「公式会見」にしてしまうと、膝詰めで親しく話などできないものであった。~中略~
 この点、ヨーロッパの王室などは、はるかに自由であった。

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 こういう日本社会において、殿様が他人と親しく話をする方法は、二つぐらいしか残されていない。一つは茶室である。茶会によび、狭い茶室空間にいれてしまえば、膝詰めで、誰とでも話ができる。だから、江戸時代の大名は、ほとんど例外なく、茶道が好きである。これがなければ、精神的に生きて行けないといってよかった。もう一つは、かなりまずい。御殿からこっそり出ていく「お忍び」であった。
 ただ、これも江戸時代の初期だけで、世の中が安定してくると、しだいに殿様は御殿から出なくなった。徳川将軍やその子供が江戸の町に忍び出たのは、三代将軍・家光までである。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

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  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
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