2026年6月1日月曜日

ラマ教

 この仏教は、たしかにインドで成立したものだが、仏教というよりも、いわゆる左道密教なのである。
左道というのは、邪道という意だが、インド仏教の衰亡期の寸前にあらわれた派で、人間の欲望を積極的に肯定し、性交を密教原理の具象的あらわれとし、かつ秘儀とするものであった。これがインドから北上して八世紀のチベット高原に入り、九世紀以後、定着した。
 モンゴルに入るのは、ずいぶん遅かった。十六世紀の明代だった。土着の宗教であるシャーマニズムを衰弱させる勢いでひろまったのは、清朝になってからである。
 ラマ教にあっては、生身(いきみ)の活仏を観音菩薩または阿弥陀如来であるとするのである。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P214

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: Kindle版

 

九重連山 大分県

慈悲の念を送ろう

  自分の上方に慈悲の念を向け、自分の下方に慈悲の念を向け、
自分の横、前後左右に慈悲の念を向け、
わだかまりなく、分け隔てなく、
恨みなく、敵意なく、
優しい念を送るよう、
練習するように。
経集150

超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一六四  

 

超訳ブッダの言葉

超訳ブッダの言葉

  • 作者: 小池龍之介
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2012/10/18
  • メディア: Kindle版

人間というものは悪いことばかりを思いつくばかりでなく、よいことも思いつく。われわれのような下らぬ者でも、よいことを思いつくかもわからぬものである。
それは悲というところから働きでるのである。凡人はただ一時本能的に発作的にこの働きを出すが、至人はこの働きが、なんらの支障なしに、いつもすらすらと流れ出る。ここに宗教的訓練がある。  悲ということは他人を憐れむという本能的な事実から起こる。

禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P77

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫 H 101-2)

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫 H 101-2)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2008/12/25
  • メディア: 文庫

 

九重連山 大分県

仏像

さて、みなさん、喜びも楽しみも悲しみも怒りも、すべての感情や心身のバランスを完全にコントロールしきった顔って、どんな顔だと思いますか?想像できますか?それは仏像のお顔です。あの顔、あれは仏教の理想を端的に表現しています。
~中略~

 仏像は大別して四つくらいの機能を発揮していると思われます。
 ひとつは<①信仰の対象>です。そもそも仏像は、仏教の大衆化に沿って発達してきました。人々の宗教的熱情が投影されたものでもあるわけです。仏像と対面すると、スピリチュアルな関係性が共振現象を起こすこともあります。~略~
 ふたつ目として、<②修業の補助>という機能があります。仏教はイマジネーションの修業がすごく豊富です。中でも「観想」という「仏の姿」や「浄土のありさま」を観るトレーニングは重要です。その手助けとして仏像や荘厳(この場合は、仏像のまわりにあるさまざまな飾りつけ)を活用するのです。~略~
 さらに<③教えやメッセージの象徴化>という機能があります。仏像の姿勢、手の形、視線、持ち物、脇時から台座や光背に至るまで、さまざまな教えや意味を象徴的に表現しています。~略~
 そしてもうひとつクリエイター自身の<④霊性の発現>という意味があると思います。古来、自分自身の内面から溢れ出す宗教性を創作へと向ける人は数え切れません。
円空上人や木喰上人などによる造形は、まさに霊性の発露といった趣です。また仏師さんが「私が仏を彫るのではない。材料の中にもともとおられる仏様を出すのだ」などと言うのを聞くと、宗教と芸術は通底していることをあらためて確認することができます。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P305

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 仏像はこうして、見る人間の状況、体調によっていくらでも伝えることを変える。それが私にとっての仏像の魅力のひとつだ。人間の似姿をとる仏像の中に、我々は自己を投影し、自己カウンセリングのように様々な発見をする。

見仏記ガイドブック
みうらじゅん(著), いとうせいこう(著)
角川書店(角川グループパブリッシング) (2012/10/19)
P64

 

見仏記ガイドブック

見仏記ガイドブック

  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 単行本
九重連山 大分県

見仏

P28
 本堂の奥がそのまま宝物館になっているというベストな構造の文殊院では、内陣の奥に大きな扉が見え、その向こうにあの夢にまで見た獅子乗りの文殊が出る。

P30
見ほれていると、みうらさんが言った。
「シーンとしているのが不思議なんだよ。すごく躍動感あるじゃん、この像全体に。
だからほんとは木魚とか鳴ってるときにこそ見るんだなってわかるんだよね。今はオフだよ」
「ああ、そうか。そうだよね。お経の中でこそ生きるのかもね」
 もし我々が美術的な視点でだけ仏像を見ているならば、木魚の中で復活する生命を想像することはない。また、逆に宗教的な視点だけで見るならばどんなときでも文殊は生きている。
ならば”木魚の音の中でこそ生きる”と感じる我々はどの視点から仏像を見ているのだろう。
 おそらく我々は美術と宗教のどちらにも身を置かず、ただ双方を限りなく尊敬し、称えているのだろう。
二つが接点を持ち得る地点を一瞬ごとにサーチしながら仏像を見、その生命の奇蹟的なよみがえりに感動する。

「獅子、もうすぐ飛び出るね。柵を越えるよ」 

見仏記ガイドブック
みうらじゅん(著), いとうせいこう(著)
角川書店(角川グループパブリッシング) (2012/10/19)

見仏記ガイドブック

見仏記ガイドブック

  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 単行本

 


(二二)このようであるから知るべきである。尊者は釈迦牟尼仏の面授の弟子として、すでに四果(注;阿羅漢になるまでの修行の四階停。)を証して後に続く仏の出現を待っているのであって、どうして釈迦牟尼仏に会わなかったことがあろうか。
釈迦牟尼仏にただ会っただけでは見仏ではない、見仏とは、釈迦牟尼仏をまさしく釈迦牟尼仏として見るのである、釈迦牟尼仏の覚りと境地を等しくすることを「見仏」と云うのである。

現代文訳 正法眼蔵 3
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳)
河出書房新社 (2004/9/4)
P319

現代文訳 正法眼蔵〈3〉 (河出文庫)

現代文訳 正法眼蔵〈3〉 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/01/09
  • メディア: Kindle版

 

九重連山 大分県

愛染明王

 愛染明王は空海がはじめて請来した金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経一巻によって作られたもので、人間の愛欲などの煩悩が菩提心、即ちほとけの心に通じるものであることを教えるものである。
愛の神であるキューピットのもっている弓と矢をこの明王ももっていることは、東西の愛の表現の根源が一つのものであったことを示す。
 仏教は禁欲の宗教であると考える人も多い。しかしそれは悟りへの厳しい道程における戒律の一つとしてきめられていることである。
人間の理想的境地を自覚する宗教としての仏教は人間を否定するような禁欲に徹したものではないと考えられる。そこから即身成仏の考えが出発するといってよい。
知性も本能も円満に発達した人間の正しい生き方に徹するのが即身成仏への道である。愛染明王像はこの意味を象徴しているのである。

P89
 今までわれわれは、如来と菩薩の像を見てきた。如来はすっかり仏になった仏像、菩薩はこれから仏になろうとする仏像、いずれにしても、お顔はあまり変わらない。
深い思索を示すかのようなすんだ眼、そしてまっすぐな知性を表わすととのった鼻、そして慈悲にみちた微笑の口もと、完成したお顔であり、静かに永遠を見つめるお顔である。
しかし、これからわれわれが考察しようとする明王は全く違う。
それは怒った顔なのである。そこに支配するのは、静かなる瞑想ではなく、荒れ狂う情熱であり、おだやかな慈悲ではなく、はげしい怒りなのである。
 フリードリッヒ・ニーチェは人間の精神を二つに分かった。アポロ的精神とディオニソス的精神、アポロ的精神とはじっと物を観る精神、造形芸術の精神、ディオニソス的精神とは、猛り狂う精神、音楽の精神である。前者が、静かにものの本質を眺める冷静な精神であるならば、後者は、生に対する陶酔におどり狂う熱狂の精神である。
~中略~
 明らかに明王は、バラモン教(後のヒンズー教)の産物である。そしてバラモン教は躍るシバ神などの像に見るように、生の歓喜と恍惚を歌う宗教なのであろう。密教の隆盛と共に、このバラモン教の神が仏教にとり入れられる。
ディオニソス的なものが、アポロ的仏教の体系に組み入れられる。

われわれは、明王という像を、このようにアポロ的仏教精神の中にとり入れられたディオニソス的ヒンズー的精神として理解することが出来るであろう。 

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P87

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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九重連山  大分県

絶対知

P50
「精神現象学」が語るのは、学問に至る意識の悪戦苦闘の旅である。そして、旅の最後に「絶対知」が来る。
 絶対知とは、知が自己と世界のあいだを自在に、のびやかに、行きかう境地をいうことばである。自分の感情や感覚にとらわれず、生活上の利害や他人の思惑や時代の嗜好や世の常識に引きずられず、さまざまな権威や権力の圧迫にも屈することなく、冷静に、客観的に、現実の総体をとらえ、知ること―絶対知とは、そういう精神の姿勢をさすことばである。

意識は透明な思考の世界に身を置いて、ひたすら事実と論理を追いかけ、それを理路整然たることばの世界に移しかえる。そういう純粋無雑な知と思考の働きをヘーゲルは"Begreifen"(概念作用ないし概念的思考)という用語でよくあらわすが、絶対知とは、日常的な、欲望や思いこみや偏見や打算や恣意や好悪を脱却して、概念作用(Begreifen)が自由自在にその運動を展開する境地をいう。

P57
道徳や宗教とちがって、知には現実にたいするおよび腰の姿勢はまったくない。知はどんな極悪非道にも光を当てるし、どんな瀆神行為や無神論にもたじろがない。自分の内面にむかっても、まわりに大きく広がる外界にたいしても、涯の涯までその真相を見きわめようとするのが、知の働きというものである。
自分の足場をしっかりと固めつつ、現実のどんな事態にたいしても、成心なく冷静に立ちむかうのが知的な姿勢というものである。
 そういう姿勢は、一定の明確な形式や体系を備えた学問の周辺だけに見られるものではない。あるいは、なになに学と名のつく学問にたずさわる学者や知識人だけに要求されるものではない。

新しいヘーゲル
長谷川 宏(著)
講談社 (1997/5/20)

新しいヘーゲル (講談社現代新書)

新しいヘーゲル (講談社現代新書)

  • 作者: 長谷川宏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: Kindle版


九重連山  大分県