2026年4月30日木曜日

大和古寺の塔

 大和古寺には様々な塔がある。法隆寺の塔の持つ巍然(ぎぜん)たる威容は、上宮太子の御人格そのままと申していいほど立派なものである。
鳥仏師の釈迦(しゃか)三尊にみられるような、絶対帰依(きえ)に由(よ)る厳格さを偲(しの)んでもよかろう。
また法起寺と法輪寺の三重塔は飛鳥の小仏のごとく古僕(こぼく)で可憐な一面を持つ。二上山を背景に、中腹に立つ当麻寺の東西両塔の典雅な有様、あるいは室生寺(むろうじ)の大杉の間に立つ五重塔の華麗な姿も忘れられない。
しかし私は結局、薬師寺の東塔に最も関心するのである。~中略~ 西塔はすでに崩壊して、わずかに土壇(どだん)と礎(いしずえ)を残すのみであるが、東塔はよく千二百年の風雨に耐えて、白鳳の壮麗をいまに伝えている。
某という僧が定(じょう)に入って夢みた竜宮の塔を、うつつに現出したものといわれるが、かような様式はわが国にも唯(ただ)一つこの東塔あるのみ。
         ―昭和十七年秋―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P160

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

法隆寺
法起寺
法輪寺
當麻寺
室生寺
薬師寺

唐招提寺

法隆寺や薬師寺や東大寺に比べると格式もちがうし由緒(ゆいしょ)も深いとはいえない。しかし唐招提寺には他のどんな古寺にもない独特の美しさがある。伽藍配置のかもしだす。整然たる調和の美しさであって、私はそれをみたいためにやってくるのだ。
奈良朝の建築の精華はここにほぼ完ぺきな姿で残っていると云(い)ってもよかろう。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P163

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

唐招提寺

東大寺

P176
 天平の美は、正倉院御物と万葉集と仏教美術によって代表されることは周知のところであろうが、とくにこのみ代の仏教を語るものにとっては、聖武天皇ならびに光明皇后の御名は、忘れ難いであろう。東大寺―わけても今日「奈良の大仏」として親しまれている毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)鋳造や、法華滅罪時の建立は御二方の名を不朽ならしめた。
御二方なくしては天平仏教の開花はありえなかったであろう。何故かくも信仰が深かったのだろうか―。
~中略~
すでに仏教はわが国の上層にあまねく行きわたり、また唐との交通も益々繁(しげ)くなったので、優秀な僧侶(そうりょ)や博士やその他様々の専門家が渡来し、皇室に重用されたことはここに一々挙げるまでもない。
とくに隣邦僧侶の、芸文あるいは政治経済にも及ぶ指導力はこの時代一層つよいものがあった。聖武天皇が幼少の頃より、未曽有(みぞう)の「文明開化」の影響のもとに生育されたことは申すまでもなかろう。
 しかし御信仰を、ただ外部よりの影響とのみ断ずるのは不当である。まことの信仰は、必ず内奥の苦悩より発する。天平仏教が単に唐文化の模倣であり、東大寺建立が国富の大浪費であるとなすのは正しい見解ではない。 あの豪華荘厳の背景ふかく、ひそかに宿るであろう天皇の信仰をまず考えないわけにはゆかない。
天皇の御生涯(しょうがい)を偲ぶとき、私は一層その感を深くする。小野老朝臣(おののおゆあそん)が「あをによし寧楽(なら)の都は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」と詠じたように、天平のみ代はたしかに稀有()けう)の黄金時代であったろう。
飛鳥白鳳(あすかはくほう)を通じて興隆し来(きた)った文化の、更なる昂揚(こうよう)があったであろう。だがそういう開花の根底には、必ずしも天国のごとき平和が漂っていたわけではない。
 私は日本書紀や続日本紀を読みつつ、後代より慕わるる美しい時代が、その底につねに暗澹(あんたん)とした苦悩を、悪徳の深淵を湛(たた)えているのをみて驚く。
平和とはそもそも何だろう。平和とは内攻した地の創造の日々である。対外的には静謐(せいひつ)であろうと、一歩国内の深部に眼をむけると、そこには相変わらぬ氏族の嫉視と陰謀と争闘があり、煩悩(ぼんのう)にまみれた人間の呻吟(しんぎん)がある。ひそかに流された血のいかに多いことであるか。歴史は私に平和の何ものであるかを教えた。飛鳥のみ代がそうであったし、天平といえどもこの例に洩(も)れない。
そして激烈な信仰や美しい詩歌(しいか)や絢爛(けんらん)たる美術は、すべてこの暗黒を土壌として生育しているようである。

P180
その他日本紀を読むと、この時代には盗賊や殺人や掠奪(りゃくだつ)も多く、人心不安だったことがうかがわれる。~中略~
要するに天平時代は、今日考えられているような平穏の日ではなかった。仏陀(ぶっだ)の教えを真に学び信じた者は、当時の一部上層の人々に限られ、一般国民には未だその感化及ばなかったのである。聖武天皇の御念願はそういう事情から発せられたのである。
私は徒に天平の暗黒面を指摘しているのではない。かかる暗黒の裡(うち)にこそ信仰の光りは輝き出(い)ずるのであり、聖武天皇と光明皇后の信仰も、泥中(でいちゅう)の蓮華(れんげ)のごとく咲き出でたのである。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/04/23
  • メディア: 文庫

東大寺

比叡山

 叡山というのは、ゆらい、政治的現象に敏感でありすぎたようである。すくなくとも、越前永平寺にくらべればこれはわかる。
中世末期までの宮廷政治の裏面にはかならず叡山の黒い影がみられた。そうした延暦寺の政治への過敏さに対して総決算を強いた人災は、元亀二年の織田信長の延暦寺焼討であったように思われる。
 信長という人物が日本歴史に果たした役割は、なんといっても中世の体系と中世的な迷妄を打破して歴史を近世に導いたところにあったろう。
この人物は、不条理や不可知なるものを並はずれて憎悪した。その点ではあるいは異常性格者であったかもしれない。
彼は叡山が、仏法の精舎たることをわすれて武力を貯え政争に容かいする不条理を憎み、火を放ち衆徒を殴殺して地上から延暦寺のすべてを抹殺することを考えかつ実行した。
この時以来、叡山は半ば衰退し、そのまま数世紀を経てこんにちに至っている。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P104

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

 

延暦寺

2026年4月28日火曜日

鳥仏師

 鳥仏師は決して独創的な仏師ではなかったし、飛鳥時代の代表的彫刻家というような意識で造仏したのでもなかった。
彼は驚くほど誠実に勅願を承(う)け、また太子の御心に服従した人である。御悲願を正しく心にとめて、北魏伝来の形式にそれを刻まんとしたのである。
鳥の偉大さは、彼の全き畏敬(いけい)と服従にあると私は思っている。
像においてはひたすら先人の作を模倣した。厳格に一つの手本を学び、自己の何ものをもつけ加えようとしなかった。彼はただ御悲願の完璧に盛られることを念じつつ創(つく)ったのであって、あらゆる点で絶対服従のみが彼の最大美徳だったのである。

P87
 これによって明らかなように、鳥は帰化人司馬達らの孫にあたるが、祖父より代々朝廷に仕えて仏法のためにつくした家柄である。
~中略~
金堂の釈迦像もかような心情を無視しては真に解することは出来ないであろう。推古天皇と上宮太子、及び鳥仏師との間の信仰に結ばれた君臣の情が、あの無比の畏敬となってあらわれたのであろう。しかし、釈迦像には感傷的な何もない。おそらく鳥の、「私」を滅却した全き帰依が然らしめたのである。
                    ―昭和十七年秋―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P85

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

奈良県 法隆寺

丹霞焼仏

  九世紀の初めに唐に丹霞天然(住人注;たんか・てんねん)とよぶ禅僧がいた。ある寒い朝に蒔割りで木造の仏像を割り、それを燃やして身をあたためていた。
それを見た信者は驚いて、「もったいないことをしている」となじった。
天然和尚は、「なんの、あなた方が大切にしている舎利を取るために荼毘に附しているいる所だ」と答えた。
舎利とは八十才で入滅した釈尊の遺体をインドの風習として荼毘(=火葬)に附し、その遺骨を弟子どもが分けて、これを礼拝した。その遺骨のことを舎利というのである。
天然和尚は木仏像を焼いて舎利を取るのだと答えたところ、信者は、「木の仏を焼いても舎利は出ませんよ」という。
和尚はすかさず、「舎利の出ないような木のはしくれを焼いて何がもったいないか」と答えたという話がある。
~中略~
従来の礼拝の対象としての偶像は禅門ではさまで重要性を認めず、そのほかにもっと重要なことがあると説く。
たとえば、「自仏是真仏」というように考える自分または自分の心の完成が先決問題であり、仏像や仏画を拝んだり、経文を読んだりする様な従来の宗派の在り方には飽き足らなかったものにほかならない。
「直指人心、見性成仏」が最初であり、同時に最後の問題なのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P180

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -


九州国立博物館

虚空蔵菩薩

P50
 仏教の菩薩としては、上述の四尊(住人注;弥勒・観音・普賢・文殊)の他に重要なものといえば、大地と空との恵みを象徴した地蔵と虚空蔵の両菩薩がある。~中略~
虚空への信仰は星宿、日月の信仰とも関係をもつものであり、大日如来の信仰とも関係をもつものである。そのために虚空蔵菩薩の性格は理性的な面を多分にもっているといいうるのである。
 この虚空蔵菩薩は既に奈良時代から知恵のほとけとして信仰されており、既に奈良時代には僧道鏡も虚空蔵求聞持法を修していたことが知られている。また弘法大師も入唐以前にこの法を修していたことが伝記によって知られる。
弘法大師の虚空蔵信仰は深かったものとみえ、金剛峰寺講堂にその像を安置していたことが知られ、またその思想を体系化した五大虚空蔵菩薩図を弘仁十二年に描いているのである。神護寺の五大虚空蔵菩薩像(→四八ページ)は弘法大師の歿後あまり時代を経過していない時期の作品として著名であり、東寺(教王護国寺)山内の観智院には恵運が請来した五体の尊像が本尊として安置されている。
 広大にして、無辺な虚空に対する哲学的解釈はインドにおいてはさまざまに考えられている。
又、その考えを根底としたほとけも成立するのである。それが虚空蔵菩薩である。
蔵とは大宝あり、自在にこれをとり、貧乏を受けざらしむ」といっている。そのために、この尊は大日如来の福智の二徳を司るとされている。又他の経典では虚空蔵菩薩を金剛界の大日如来、地蔵菩薩を胎蔵界の大日如来の変化身とすると説く説くものもある。

P51

地蔵菩薩は大衆の信仰のなかに入っていったが、虚空蔵菩薩信仰は両界曼荼羅図における虚空蔵菩薩の信仰によったものではなく、虚空蔵求聞持法を修することによって、叡智を得る信仰である。この法は、大安寺道慈律師が受法して帰ったもので、善議・護命・勤装・空海と伝えられたものである。 

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

京都市 神護寺

律院

   「律」というのは僧侶の生活規範のことで、その律をもって専門的に成立している寺をどの宗旨(天台宗、真言宗、浄土宗)でも律院という。
カトリックにおける修道院のようなものである。修道院がそうであるように律院というのは寺の建築にも余計な装飾がなく、建物の規模も小さい。
ただ境内が嵐気を帯び、ちりひとつとどめず、全体が凛然としていて、むろん観光料はとらないという点でいずれも共通している。
たとえば浄土宗の律院は谷崎純一郎氏の墓のある京都の法然院で、法然院に入れば山内の空気が緊張していていかにも律院というにふさわしい。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P235

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

京都市 法然院

邪鬼

 私は、仏教芸術の単調さをやぶるものは、むしろ邪鬼にあるのではないかと思う。
邪鬼の「痛テエヨォ、痛テエヨォ」という声により、本堂にただよう、神秘的で厳粛で、単調な静けさが破られ、そこから芸術に欠くことの出来ない自由とユーモアとが出現するのである。しかめ面の詩人、島崎藤村でさえ、「ユーモアのない一日は耐えがたい」といったそうであるが、われわれが、仏教芸術における唯一のユーモアの源である邪鬼を所有しなかったら、われわれは仏教芸術の単調さに耐えがたかったかもしれない。
邪鬼をふみつける四天王にも、この邪鬼の自由とユーモアがいくらか伝染しているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P131

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

奈良県 安倍文殊院

新しい時代を望む弥勒菩薩


 広隆寺の弥勒菩薩は何を考えていられるのであろう。深く世界と自己を見つめているようなうつむいた眼、明晰な知性を示しているかのようなすじの通った鼻、そして慈悲と喜びにあふれた口もとの微笑、仏像全体から何ともいわれぬ清潔感と神秘感がただよってきて、多くの人を詩人か哲学者に化すのである。
~中略~
 いったい、何を思惟し、何を考えていられるのか、われわれは、すでに望月先生から、弥勒の本質について話を聞いた。
それは五十六億七千万年の未来に、この世に出現して、釈迦によって救済されなかった衆生を救済する仏なのである。
この未来の仏、弥勒は、現在では兜率天という浄土にいて、未来の理想の世界について思いをこらしているのであるという。
してみるとあの弥勒菩薩は、五十六億七千万年の未来に来たるべき理想の社会を、兜率天という所で、じっと考えていられる姿なのである。
 未来の仏、弥勒菩薩。仏教では未来を示す仏はこの弥勒だけであろう。
阿弥陀も、われわれが未来にゆくべき極楽浄土を支配する仏であるが、阿弥陀は死者を迎えに来るのみで、この世に王国を作ろうとする野心はない。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P28

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

P35
 このように弥勒信仰は、阿弥陀信仰と比べて、はるかに困難で、絶望的な信仰であるかに見える。しかし、弥勒信仰は依然として、人びとの心に大きな魅力を投げかけるのである。
なぜなら、阿弥陀のように、極楽浄土へ行きっきりではなく、再び、この世の中に帰ってきて、しかもそこでは、理想の国が実現されているというわけである。この世の中に帰ってくるという思想の方が、行きっきりの思想よりはるかに魅力ある思想のように思われるからである。
 たとえば道長、われわれは先に、弥勒浄土、五十六億七千万年後に、弥勒が現れる所であっると考えられた吉野の金峰山に、道長がうずめた経筒の話を聞いた。その経筒に道長は自らの地でもって、法華経八巻を書いて入れたのである。
五十六億七千万年後に再び生き返ろうとする道長の悲願、恐らく日本歴史においてもっとも幸福な人物であるかに見える道長にとって、あらゆることが可能であった。
かれはどんな財宝をも、どんな地位をも、どんな美女をも、たちどころに手に入れることが出来た。しかし思うにまかせぬものは死だけであった。
死の運命は、乞食も大臣も同じように人を襲う。この死の不安からの解放の方法が、道長にあっては、一つは阿弥陀信仰であり、もう一つは、弥勒信仰であった。われわれは道長が、二つの救済の方法に同じように期待をかけたのを知る。
~中略~
 われわれはこのような道長に現れた弥勒信仰の名残りより、もっと明白な、もっと生々しい弥勒信仰の名残りを見るのである。
それは主として、東北、出羽三山を中心として地方に残存するミイラなのである。このミイラは、自発的にミイラを志願した弥勒信者の遺体なのである。
このミイラは鎌倉時代から江戸末期まであるけれど、ミイラの前身は、多くは武士や金持ちというめぐまれた階級の出身ではなく、人足、百姓などの下層階級の出身であり、現世において罪を犯したりした人が多いのである。
現世に罪を犯した彼にとって、出家が唯一の安全な生の場所である。こうして現世に希望を失った彼は、来世に弥勒の世界に希望をつなぐ。
~中略~
弥勒信仰には、このような永世への願望がふくまれる。もしも五十六億七千万年という時間を文字通りに取るならば、われわれは皇円阿闍梨のように蛇となるか、道長のように経筒を弥勒浄土にうめるか、出羽三山のミイラ志願者のようにミイラになって兜率天へ行き、そこで弥勒下生の時をまつかより仕方がないように思われる。

P38
 日本最大の変動期、それは古い氏族制度の日本が崩壊し、新しい統一国家として日本が出発するときであろう。
恐らくこのような時期に日本の礎石をきずいたのは、聖徳太子であったろう。
広隆寺の弥勒菩薩、中宮寺の如意輪観音と称せられてきた弥勒菩薩、野中寺の弥勒菩薩、聖徳太子に関係のあるお寺に弥勒の像が多いのへ決して偶然ではない。
それは変革の政治家、聖徳太子の理想の反映なのである。

P39
 変革期の仏、弥勒は、同時に変革を望む民衆によび求められる仏ともなる。~中略~
この新しい時代の到来を望む傾向は、ずっと日本の民衆の中に生き続け、天理教や大本教、観音経など、

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -
京都市 広隆寺

仏さまの数だけ人間の苦しみも多かった

 大和古寺を巡るにしたがって、私の心に起った憂(うれ)いとはつまりこうだ。代々の祖先が流血の趾(あと)を見て廻るものの不安といったらいいか。何故こんなに多くの仏像が存在するのだろう。三千年のあいだ、諸々の神仏あらわれて、人々の祈りに答え、また美しい祈願の果の姿となって佇立している。
かくも見事な崇高な古仏がたくさん列(なら)んでいて、しかも人間はいつまでも救われぬ存在としてつづいてきた。どちらを向いても仏像の山、万巻の経典である。古来幾百人の聖賢は人間のため道を説き血を流した。
いま我々はその墓場を訪れ、そうかしてこの現世の大苦難を脱(ぬ)けきる道を示し給(たま)えと祈るのであるが、そして素晴らしい啓示や教(おしえ)に接し、日々その言葉を用いるのであるが、苦難は更に倍加し人間は何処へ行くべきかを知らない。古典を受け継ぐことなのか。
はじめ古典はその甘美と夢によって我らを誘うであろう。だが、汝等固有の宿命に殉ぜよという追放の宣言がその最後の言葉となるのではなかろうか。
 かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一軀(く)の像、一基の塔、その礎(いしずえ)にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋もれているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるだどと見物して歩いているは実に呑気(のんき)なことである。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P78

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/10/06
  • メディア: 文庫

滋賀県 己高閣

何を見るにしても、ある時間と手つづきが要る

 それにひきかえ、最後に夢殿へ行った時のことはよく覚えている。東大寺観音院の上司さんと、佐々木茂索さんがいっしょだった。お二人ともなくなられて久しいから、十五、六年は経つだろう。
度々拝んだ仏さまなので何の気なしに厨子の前に立ったが、扉が開かれたとたん、私は思わず泣き出してしまった。

こんなことを書くのはまことに羞しい話で、同行の方Tたちに対しても失礼に当るが、何としても涙が止まらない。涙はやがて嗚咽(おえつ)に変って、私は当惑した。お二人もびっくりされたに違いないが、本人はもっとびっくりした。あれはいったい何だったのだろう。何のための涙か。今そのことについて考えてみたいと思うのだが、巧く言えそうにない。

単に美しいとか、神秘的とか、崇高だなどといってみてもはじまるまい。感涙に咽(むせ)んだのは事実だが、そんな言葉で片づけたくはない。何かとてつもない力に打ちのめされ、縛りつけられて、身動きができなかったという感じである。
依然として、巧く言えないことに変りはないが、「仏を見る」とはそういう心身の状態をいうのではなかろうか。
仏でなくても、何を見るにしても、ある時間と手つづきが要る。

 

名文で巡る国宝の観世音菩薩
白洲 正子 白洲 正子 (著),広津 和郎 (著),岡倉 天心 (著), 亀井 勝一郎 (著), 和辻 哲郎 (著)
青草書房 (2007/06)

 

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 青草書房
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本

 

 ふもとのお宮に詣でただけでもまんぞくさせてあげてください。気づかないうちは、ふもとのお宮さまも石清水八幡宮なのです。
本人が気づいたときが、もう一度石清水八幡宮に参詣するタイミングなのです。

プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)
P192

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

  • 作者: 東山紘久
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: Kindle版

三二五 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P69

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版
滋賀県 向源寺

博物館

 僕は近頃、博物館について益々(ますます)疑惑を抱くようになった。便利といえばこれほど便利なものはない。僅(わず)かの時間で尊い遺品の数々に接することが出来る。しかし僕らは博物館の中で、何かしら不幸ではないか。東京の国立博物館でも、奈良博物館でも、法隆寺宝蔵殿でも、ふっと空虚な寂(さび)しさを感ずることがある。病院の廊下を歩いているような淋しさだ。
僕ははじめそれが何に由来するかわからなかった。古仏が本来その在るべき仏殿から離れて、美術品としてガラスのケースに幽閉された時の淋しさはむろんである。
だがケースに陳列してそれほど不自然に見えない筈の工芸品にしても、博物館にあると急に白々しくなる。
この空虚とは何か。寂しさとは何か。僕は近頃になって、それが愛情の分散であることにはっきり思い当った。
つまり博物館とは、愛情の分散を強(し)いるようにつくられた近代の不幸なのではなかろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P49

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/10/30
  • メディア: 文庫

奈良国立博物館

仏像における彫刻性あるいは写実性とは

 美的関心あるいは様式技術論のみをもって仏像に対することの不可は、誰しも一応認むるのであるが、悲願を体得するという困難のゆえに、つい我々は美術品としてのみこれをあげつらい易(やす)い。そこに一見学問的にしてしかも無意味な比較研究が起る。
白鳳天平(はくほうてんぴょう)の諸仏に比して、飛鳥仏の稚拙と固定性は美術家のすべてが論ずるところである。~中略~
 しかし私は仏像における彫刻性あるいは写実性とは何か―今日美術家の説くところに対して多大の疑問をもつ。白鳳天平となれば、仏像は完全に立体性をもち、つまりは人体に近くなる。人体に近いほど我々に親しさをもたらすのも事実である。飛鳥の釈迦像よりも天平の聖観音の方が我々を喜ばしてくれる。
更に三月堂や戒壇院の四天王像となれば益々面白い。
この面白さとは、結局彫刻としての面白さであり、そこに写実性乃至(ないし)人間性に立脚する古美術論が成立つ。
これに接したときの我々の情感も、体軀の柔軟なくねりに応じて自由になるように思われる。これは仏像の進歩というものなのだろうか。信仰の発展というものなのだろうか。

 だが私は最も始源の意味に―即ち第一義の道に還(かえ)りたい。仏師が仏を彫る所以(ゆえん)のものは、さきに述べた人間の悲願に発するのである。まずその根本へ還りたい。
写実といったときの「実」とは即ち「仏」であって「像」ではない。仏像とは彫刻ではなく、一挙にただ仏である。これは大事な根本でなかろうか。
然(しか)るに現在用いられている写実という言葉は、人間性と聯関(れんかん)した、言わば人間の「実」を写すという意味が非常につよい。
人間の「実」を求めて、遂にそれを超えた仏の「実」に達したところを見るならば私も一応納得するけれど、古人が「仏」の「実」として写したものを、人体にひきおろして鑑賞する態度は果たして正しいだろうか。
「私」の美的恣意(しい)に基く鑑賞によって仏像を解しうるだろうか。信仰の上から云って冒瀆(ぼうとく)であるのみならず、あらゆる点から云ってそれは虚偽ではなかろうか。造仏本来の意味に反する。現代の古美術論の多くはこの虚偽の上に成り立っているように思われてならない。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P83

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

東大寺戒壇院戒壇堂 奈良県

信仰か鑑賞か

P35
フェノロサがこの観音(住人注;夢殿の久世観音)の白布を解くとき寺僧達が逃げ去ったというが、逃げ去った寺僧の方にも道理はある。

フェノロサがいかに立派な美術史家であり、久世観音に驚嘆の声を放ったにしても、この秘仏の真の無気味さについては、一介の寺僧ほどにも通じていたとはいえまい。
すべての秘仏にふれるには、あつかましさが必要かもしれない。あつかましさの故に、今は我々も拝観料を払って見物しうるのかもしれぬ。

P50
比較しつつ信仰する人間の信仰を信用できるだろうか。比較しつつ愛する人間の愛情を信じうるだろうか。
大和に散在する古寺を、僕らはいつのまにか博物館の一種として感じるようになったのである。
僕らはもはや昔の人が感じるように古寺を感じてはいない。 僕らの感じているのは、実は寺でなくて博物館ではないか。この無意識の変貌(へんぼう)を僕は最も惧(おそ)れる。
信仰にとっては致命的だ。云わば神と仏の博物館を巡るといったような状態に知らず知らずの間に堕(お)ちて行くのではなかろうか。僕が戦争中に太子伝をかこうとした気持の中には、この状態に対
する意識的な戦いがあった。

P61
その後、屢々大和を訪れるようになってから、次第に自覚してきたことであるが、多くの古寺、諸々の仏像を同じような態度で見て廻り観察することは、つまり自分の心にそぐわぬのだ。一度の旅には、ただ一つのみ仏を。そこへ祈念のために一直線にまいるという気持、私はいつのまにかそれを正しいとするようになった。
尤もついでに(ついでにと申しては他のみ仏に失礼であるが)多くをみるけれど、その旅に念ずるものは唯1つ。現在の私はそうである。

P71
 はじめて古寺を巡ろうとしていた頃の自分には、かなり明らかな目的があった。即ち日本的教養を身につけたいという願いがあった。 
~中略~

仏像は何よりもまず美術品であった。そして必ず希臘(ぎりしゃ)彫刻と対比され、対比することによって己の教養の量的増加をもくろんでいたのである。
~中略~
 だがはじめてみた諸々の(もろもろ)の古仏は、「教養」を欲する乞食に見向きもしなかったということ―これは私のつねに感謝して想起するところである。 美術品を鑑賞すべく出かけた私にとって、仏像は一挙にして唯仏であった。半眼にひらいた眼差しと深い微笑と、悲心の挙措は、一切を放下せよというただ一事のみを語っていたにすぎなかったのである。
教養の蓄積というさもしい性根を、一挙にして打ち砕くような勁(つよ)さをもって佇立(ちょりつ)していた。

P73
 この秋法隆寺へ行って新たに完成した大宝蔵殿を拝観した。金堂の壁画は模写中であり、修理もはじまるとみえて、堂内の諸仏は多く宝蔵殿に移され、その他の仏像とともに漸(ようや)く整備陳列された頃だった。
しかしこの宝蔵殿ほど現代人の古仏に対する心理状態をあらわに示しているものはないように思われる。そこにまず看守されたことは、仏と美術品との妥協であった。
美術品として鑑賞出来るように、つまり博物館式に陳列してあるが、同時に仏としての尊厳も無視しえないとみえて、まさに仏として拝することの出来るようにも並べられてある。

P74
 百済観音のみならず、ガラスのケースの中にも多くの古仏は並べられ、造花が添えられ、崇められているようにみえるが、また見世物式であることも否定できない。寺僧は必ずやこれらのみ仏の前に礼拝するだろう。心から保存を念じているかもしれぬ。
礼拝しつつ、だが一方では、古仏を美術品として鑑賞に来る「教養ある人々」の勿体ぶった顔にながし眼を使っているのだろう。これは私の邪推だろうか。「古典の復活」時代であるから、誰しも法隆寺を口にする。法隆寺は当代の人気を得ている。法隆寺の方では、その声に応じるがごとくすべてがアトラクション的になる。
おそらく無意識の裡に異邦人の、乃至(ないし)は異邦人的な眼をもった教養ある日本人の好奇心と鑑賞を予定しているのだ。法隆寺は寺でるかショウであるか、私は疑わざるをえなかった。

P97
西洋は、その思索に全身を焼く人間をそのままに追求するのに対し、わが古人は、むしろこれを内に抑えて、人間を超えた秘愍(ひびん)の微笑をもって有情の救いの手をさしのべる仏を念じたのである。この像(住人注;中宮寺の思惟像)を拝したであろう飛鳥人が必ずしも幸福でなかったことを思うとき、私は東洋の深淵(しんえん)を感嘆せずにおれない。
 天平末期から鎌倉にかけては、ロダンのごとき名手がわが仏師の中に幾人も輩出したことは明らかである。三月堂や戒壇院の四天王、あるいは興福寺の八部衆、傑僧の諸像、また仏弟子の像や鎌倉の諸像をみるとき、私はこの方が比較に都合よいように思う。 とくに彫刻という概念が確立したのは鎌倉である。運慶の世親、無著像に至ってはじめてルネッサンス以来の巨匠が対比されると言っていいのではあるまいか。
しかし、仏陀(ぶっだ)と菩薩像の深さは、飛鳥白鳳(はくほう)天平前期において世界に冠絶すると考えないわけにはゆかないのである。彫刻という概念では律しられないのである。

 

P203
ルネサンス以来の西洋美術に関する知識が流入してから、仏は人身にひきさげられ、美術館のガラス箱に陳列され、「教養ある人士」の虚栄となった。
彼らは古仏を目して彫刻とよび、微に入り細を穿(うが)って様式を論じ、比較研究し、無遠慮にこれを写して公衆の面前にさらす。伝統からいえば奇怪事である。  私の大和古寺巡礼は、一面からいえばかかる状態からの脱却でもあった。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

奈良県 法隆寺

何か神聖なもの

ぼくたちはもう仏教に対する信仰心を失って久しいが、(住人注;室生寺金堂)内陣に入ると、やっぱり何か神聖なものを感ずる。
内陣で仏像の写真を撮っていると、一日本人として率直にその伝統にひたってしまう。撮影を終わったときには、必ず合掌礼拝する。もっともぼくの場合「南無阿弥陀仏」とはいわない。「大変失礼しました」と腹の中で詫びるのである。

土門拳 古寺を訪ねて―奈良西ノ京から室生へ
土門 拳
小学館 (2001/09)
P152

 

土門拳 古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生へ(小学館文庫)

土門拳 古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生へ(小学館文庫)

  • 作者: 土門拳
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2018/07/01
  • メディア: Kindle版
奈良県 室生寺

2026年4月27日月曜日

カリスマ性

 カリスマ性のある人は、感化する能力を生まれつき備えているわけではない。そうなる潜在能力を秘めて生まれてくる。その潜在能力がつちかわれると、カリスマ性のある人は自分のエネルギーの強さで他人を引きつけられるようになる。
前向きで刺激的なエネルギーがみなぎっている人―室内を自分の存在感で満たしてしまう人や、生の情熱をもっている人―といっしょにいると、その人に引きつけられる。その人のエネルギーは伝染する。
そのようなカリスマ性は神から生じる。その人にカリスマ性があるのは、元気旺盛で、まわりの人と感応するからだ。その人の高純度の気は、ほかの人のもっともよい部分を呼び起こし、神を引き出す。
~中略~ カリスマ性のある人は、人を魅了する独自の特別な個性をもっているからカリスマ性があるのではない。カリスマ性のある人は自己を修養しているのではなく、エネルギーを修養している。気を修養している。
カリスマ性があって生き生きしているのは、その人の内にある高純度の気が、まわりに存在する高純度の気とまったく同じだからだ。まわりの気と強く感応するからこそ、ものごとを変えられる。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)
 P170

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: Kindle版