ぼくが桂離宮を撮って三年目のこと、楽器の間の飛石を撮影しているときに、飛石がピントグラスを割って目に突き刺さるように見えた。
あ、写るというのはこれだな、と。
そのとき喜びが足の裏から噴水のように上がってきて頭のてっぺんからビューっと中央に伸びるような体験をしました。
それから自分の写真が変わりました。事務所でそれまでに撮った二千枚くらいのカラー・フィルムを鋏でちょん切り、その後の写真でまとめたのが「桂離宮」(講談社・一九七七年)です。
土門拳の作品は実存に直接アタックしていく写真ですから、学問では探求できない世界。言葉で聞いてわかるというものじゃないんです。
土門さんは「自分が小さくなって消えてしまう写真がいい」といっていますが、~中略~
現代の芸術は作家の主観が出ていることを尊重しますが、土門拳はそんなもの完全に否定した。作家の個性が出ているような写真は失敗作だという考えです。
西川 孟
古寺を訪ねて―東へ西へ
土門 拳 (著)
小学館 (2002/02)
P194
P44
「個性を伸ばそう」なんていうようなことが書いてある学校は、欧米にはありません。そんなこと当たり前の話だから、わざわざ書く必要がないです。日本とは大違いです。
~中略~
外国の教育学者の人と話をしていると、すごくよく言われます。 「日本人は、少しでも変わった事に対する寛容度が低い」と。
P45
みなさん、外国へ行かれた時に、できたら一度向こうの小学校とか中学校でも見に行かれたらいいと思いますが、それはすごいやかましさです。それから、アメリカの高等学校なんかでは、治安を保つために警官が入っています。~中略~
校内暴力とか言っても、日本の現状を向こうの人に話したら、そんなものは暴力の内に入らないくらいですね。それほど向こうの学校はすごいんです。
そしてガヤガヤ言うにしても、暴れるにしても、喧嘩をするにしても、スケールが日本とはぜんぜん違います。 それほど、みんな一人ひとりが「自分が生きないといけない」と思っていますから、大変なんです。
P48
私は、カウンセリングをしながら、ある人がだんだんと個性が強くなって行ったときに、「あなたはその勢いで生きていったらいいけれども、日本の国であなたが生きようと思うと、ある程度考えないとだめですよ」ということを言う時があります。
P97
先日、アメリカの臨床心理学者が来まして、いろいろと話をしていたら、その人がおもしろいことを言いました。
~中略~
西欧人は、個性を伸ばす、個人を生かすということをものすごく大事にしてきた。ところが最近、個性を伸ばし個人を生かすこわさを心理学者が感じはじめていると言うのです。
あまりに個性、個人と言いだすと、場を壊してしまう。あるいは、さきほど言ったように、偉い者や大将はいいけれど、大将に従わなければならない者はだめだということが、すごくはっきりしてしまう。
心理療法では、個性を伸ばし、個人を生かすということを目標にしてきたけれども、やはり全体ということも考えねばならないと、この頃反省している。日本はどうだ、というようなことを言いました。なるほどと思いましたね。
河合隼雄のカウンセリング講座
河合 隼雄 (著)
創元社 (2000/06)


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