ある意味、中世の終わりは、「知性」による支配の幕開けの時代であった。それは、ナポレオンの生きたヨーロッパも、光政(住人注;名君とされている岡山の池田光政)の生きた日本も変わらない。
近世になると、中世のような、神仏への信仰ではなく、人間の知的な判断でもって、社会が動くようになる。
のちに近代とよばれる時代の幕開けであるが、まだこの時期には官僚制が完全には発達してない。
官僚制が十分でなければ、個人の人格がそれをになうほかない。ゆえに、この時代、すべての判断が、一人の「生身の治者」に集中してもとめられた。治者は超人的知性をもたなければ、つとまらない。
この時代の要請からして、ナポレオンも池田光政も「超人的知性」をもとめられており、膨大な本を抱えて、旅行していたのであろう。
殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P59

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