真木和泉(真木和泉守、名は保臣(やすおみ)。明治維新の先駆者。久留米水天宮の祠官 一八一三~一八六四)の「何傷録(かしょうろく)」の中にも、
「胸襟を綽々と(しゃくしゃく)と余裕のある様にしてこそ大義に当たりて忠孝の道もゆるりとなし得べけれ」
さすが真木和泉、あのきかぬ気の清川八郎(庄内藩郷士出身、幕末尊攘夷派の志士。一八三〇~一八六三)が”鎮西第一の風格”と言った真木和泉、まことにそうなければならない。いかにも、せっかく大義に当たって忠孝の道もヒステリックではとてもいけない。
真木和泉は、また言っている。
「世の末の習にて兎角胸襟狭隘、懐抱忌刻にして、萬事に疑猜おほく、よく氣のきゝをる様なれども、せはせは敷(しく)して人も嫌ひ、吾身もとかう氣遣ひおほく、苦心することあり。 とても世にあらん限り首尾きづかひのみせんも無益のことなり。
丈夫たらんものは、世俗に所謂(いわゆる)大竹を打割りたらん様に磊塊洒落 とあれば、出でて人に交り、入りて家人に接するに、おのずから彼よりも吾に化して、忌刻なるものさらさらとなるものなり。 生涯にていかばかりの得なるべき。これ長寿を祈る一助にもなりぬべし」
安岡正篤
運命を開く―人間学講話
プレジデント社 (1986/11)
P114

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