紀伊は木の国、山の国。
この半島を旅する者はみな、重畳と波打つ山々のはてしのない連なりに驚き、森の深さに気圧(けお)される。
だが、見晴るかす緑の山並みに目をこらすと、そのほとんどがスギ、ヒノキの人工林であることを知る。熊野川をはじめ豊かな水流は、いたるところ大きなダムによって寸断されている。
下流域は水量が減り、清らかだった流れが濁り、生態系が変わってしまった。
時代が変わり、拡大造林は時代から見放された。山と川に依拠して暮らす木の国の人々は、山から離れ川から離れた。造林とダムは土地にわずかな富をもたらし、山の文化を殺した。
熊野を古来、隠国(こもりく)という。隠国とは使者の隠れるところ。「日本書紀」によると、熊野はイザナミが祀られる黄泉の国であり、根の国だった。奈良、京の都の文化とは異質の文化をもつ謎の国だった。
~中略~
その表と裏を結ぶ山岳道がある。修験の道、奥駈(がけ)道である。紀伊半島の中央から少し東、背骨のように南北に横たわる全長一八〇キロに及ぶ大峰山脈の稜線伝いに、ける奥駈道はつけられている。
山脈の北の端が吉野、南の端が熊野である。その吉野と熊野に、それぞれ別々の修験道が発達した。一〇世紀ごろ、ふたつの修験道、生の国の修験道と死の国の修験道とが大峰山脈で結ばれた。
以来、大峰山脈縦走は奥駈修験道場として、修験道最高の行場となった。
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ
加藤 則芳
(著)
平凡社 (2001/01)
P178
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ (平凡社新おとな文庫)
- 作者: 加藤 則芳
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: 単行本
P181
つまり、役小角を開祖とする立場をとれば、修験道は七世紀に成立した日本独自の山岳宗教と理解されることになるが、平安後期になって観音信仰、浄土信仰が浸透し始めてからの山伏の登場を修験道の成立とすれば、十二世紀末ということになる。たしかに「修験道」を一つのまとまった実体としてとらえようとしても、なかなか一筋縄ではいかないだろう。
山間の呪術は七世紀よりはるか以前から流行しており、そこまで遡って考えないと、山中におけるさまざまな祭場跡の発見や祭具・経文などの出現については説明がつかなないのではないか。
久保田展弘は、「弘法大師空海が、中国の、当時の国際都市長安から密教を持ってくる以前に、すでに大和の葛城山(かつらぎさん)から吉野山・金峯山のあたりは、必ずしも大日如来を中心とはしない〈雑部(ぞうぶ)密教〉(=雑密(ぞうみつ))が活動していたものと思われる」としている(久保田展弘、「修験道・実践宗教の世界」新潮社、一九八八年、二-四頁参照)。
彼ら山岳修行者らの信仰は、実際のところ、神道とも道教とも関係していたであろうが、とりわけ仏教の正式な伝来にによって大きな影響を受け、さらに空海・最澄による密教の伝来によって、その理論的基礎がつくりあげられていったというのが全体の流れではないかと想像される。
あくまでも彼らの信仰の根源には、病気を治したり作物の収穫を祈ったりする加持祈祷の類が取り入れられており、それこそが実践的な宗教である修験道成立のバックグラウンドとなっていたはずである。
P182
修験道の開祖とされる役小角こと役行者(えんのぎょうじゃ)は、奈良時代に大峯山(山上ヶ岳)で一千日の修業に入って金剛蔵王権現を感得し、山上に祭祀したと伝えられており、一説にはそれが修験道の始まりとされている。
まだ仏教が一般庶民に広がりをみせていない時代のことであった。そして、役小角が大峯開山のときに、蔵王権現に先立って感得した弁財天を鎮守として弥山に勧請したのが、天川大弁財天社の始まりである。
では、役小角は、山上ヶ岳で厳しい修業に励んでいたとき、なぜ「最初に」弁財天を感知したのだろうか。それというのも、天川および洞川は修験にとって大峯山系に入るきわめて重要な地点であったからである。そのような場所に女性神格である弁財天が祀られているというのは一見奇異な感じを与えるかもしれない。しかし、ここで思い出すのは高野山における
丹生都比売の存在である。~中略~ かつて、「聖地の想像力」のなかで、山上ヶ岳と弥山とは、あたかも男性原理と女性原理との対照を表すかのような位置づけにあると指摘したことがある(植島啓司「聖地の想像力」、一四三頁、一四八頁)。
修験の肉体鍛錬は男性原理であり、天川における「籠もり」や「瞑想」による受身の喜びは女性原理を表しているのではなかろうか。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/04/17
- メディア: 新書
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