2026年4月9日木曜日

評価コスト

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自己評価委員長のとき、「教育評価システム」を導入しました。教員一人一人の個人的な能力を査定して、数値的に格付けして、それによって教育資源を傾斜配分する。そういう仕組みです。
立派な業績をあげ、多くの学生院生を指導し、煩琑な学務を担っている教員と、ろくに授業も持たず、論文も書かず。学務もさぼる教員とが同じ待遇を受けているのは不合理である、能力業績に応じて合理的に資源を分配しようではないかと、成果主義的な教員査定システムを考案し、それを教授会に提案しました。
 もとろん、教授会から批判の十字砲火を浴びました。でも、そのときは文部省も大学基準協会もそう言っているんだから、これがトレンドなんだと言い張って、むりやり採決に持ち込みました。
今日の「グローバリスト」の言い分そのままの「選択と集中」のロジックを駆使したのです。結果的に神戸女学院大学は日本のリベラルアーツ系の詩学では初めて、教員個人についての評価システムを導入する学校となりました。  しかし、自分が旗振り役をして鳴り物入りで導入したこのシステムがまったく失敗であることに気づくまで、たいして時間はかかりませんでした。最大のミスは「評価コスト」を過小評価していたことです。

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結局、評価制度を導入したことのもたらした成果は、会議の時間が増え、読まなければならないドキュメントが増え、書かなければならないほうこくしゃが増えただけでした。 もちろん、僕が目の敵にしていたような「動かない教員」に対する恫喝という効果は多少はありました。でも、それがもたらす最大限は「せいぜい給料分働いてもらう」ことに過ぎません。その結果を得るために、それまでもらう給料の数倍のオーバーアチーブをこなしていた教員たちをバーンアウトさせてしまった。差し引き勘定してみたら、大損害です。
 でも、九一年の大学設置基準の大綱化から始まった「大学改革」の流れの中で、僕たちは教養を改組したり、学部学科を新設したり、評価制度を導入したり、シラバスを書かせたり・・・・・・という作業の中で、同じような「大損害」を生み出し続けて来たのでした。
 特に独立行政法人化という大きなタスクを抱え込んだ国立大学の教員たちの苦しみは想像を絶するものがありました。
九〇年代、二〇〇〇年代にこの仕事を押し付けられたのは、三〇代、四〇代の、「仕事のできる」若手教員たちでした。彼らの多くはそのような事務作業に押しつぶされて、研究者として最も脂の乗る時期を五年、一〇年と空費しました。それが日本の学術のアウトカムにもたらした被害はどれほどのものだったでしょう。
それが教育改革がもたらしたメリットよりもはるかに大きいものであったことは確実です。それはデータ的にもわかっています。
独立行政法人化の直前から、つまり会議とペーパーワークの「大波」が日本の国立大学を呑み込み始めた時から、日本の学術論文の点数は減少し始め、かつてはアメリカに次いで世界二位だった論文数が、中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、イギリスに抜かれ・・・・さらに急坂を転げ落ちるように減少し続けている。この学術的アウトカムの劣化が「大学改革」と無関係であるとは、よほど厚顔な文科官僚でも言い抜けられないでしょう。

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内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

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門司港 北九州市

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