2025年4月16日水曜日

中国には神はいない

P86
 黄河の水は、ゆたかな沃土(よくど)をその流域にもたらしてくれるが、いったん水が暴れだすと、人家や田畑を呑みこんでしまう。
 だが、この荒れ狂う黄河も、人間の力ではどうしようもなかったかといえば、砂漠のように処置なしというほどひどくはなかった。
なんとかすれば、水の害は防げたのである。人海戦術というか、人民を動員して堤防を築き、水路を補修さえすれば、あるていど水はなだめることができた。
 その自然が人間の力でどうにかなるものだったから、神様を頼らずに、人間の力を重んじるというふうになったのだろう。キリスト教のような神は、中国にいない。中国では神のかわりに、聖人というものを崇拝する。聖人とはなにか?
古代の聖王堯(ぎょう)・舜(しゅん)たちが崇拝の対象であるが、彼らは人間であり、しかも、おもに「治水」に成功した人たちなのだ。
 人間の力をもってすれば、どんなことでもできる。―この人間の力によせる信仰が、中国で人間至上主義をうんだ。
 この根から形式主義がうまれる。
 中国人は面子を重んじるといわれている。これは形式主義にほかならない。

P93
 中国の文芸の根はどこにあるのか?
 人間への訴え、人間にたいする説得、そして最後に人間への信頼である。はじめから終わりまで、「人間」につながる。
日本文学の水源は「万葉集」であるように、中国文学のそれは「詩経」である。この「詩経」は、古代のフォークソングのアンソロジー(詞華集(しかしゅう))のようなもので、西周(せいしゅう)時代から東周にかけて、すなわち、紀元前一一〇〇年から紀元前六〇〇年にかけて、中国各地の民謡をあつめ、孔子がそのなかから約三百編をセレクトしたものだ。~中略~
 この「詩経」の国風(こくふう)(諸国民謡)の注をつくった吉川幸次郎氏は、国風百六十篇のほとんど全部が誰かにむかっての呼びかけである、ときわめて明快に述べておられる。立派な君主をたたえる、あるいは暴君をそしる。あるいは恋人に呼びかける。・・・・・いろんなタイプはあるが、すべて人間への呼びかけであって、直接、神へ呼びかけて訴えるといったものは見当たらない。


日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)



日本人と中国人――“同文同種”と思いこむ危険 (祥伝社新書)

日本人と中国人――“同文同種”と思いこむ危険 (祥伝社新書)

  • 作者: 陳舜臣
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: Kindle版

奈良県 談山神社

意志執行代理人

 がんの進行による臨死期にあたって、胸を押す、喉に管を入れて人工呼吸で呼吸させる、心臓を動かす薬を注射するような蘇生行為を家族は希望した方がいいのか?
という場面では家族は2つの連帯の責務を感じていると考えられる。
 1つ目は少しでも長生きしてほしいと願うことが、家族としてあるべき姿であるという責務を感じること(道徳感情)(22)である。
この道徳感情は、医療者の側にもあるはずである。医療者として、たとえ1分1秒でも生存期間を延ばすことが正義であるという考え方は、偏った道徳感情だと感じる。
 2つ目は、死に目に会えないのは不幸であるという道徳感情である。そして、医療者には、この家族の道徳感情に最大限、配慮しなければならない(適合性)という道徳感情がある。
しかし、このようなスピリチュアルな問題に、家族が最も患者のそばにいるべき瞬間は、科学的根拠に基づいた心肺停止の瞬間であるという(功利主義的な)価値観を持ち込むことが本当にいいのだろうか?
 1つ目の道徳感情に対しては、「患者さん自身の苦痛のことを一番に考えた方がいいんじゃないでしょうか?」と問うことで家族として道徳的にあるべき姿を見直してもらうことができる。
 2つ目の道徳感情については、「確約はできませんが、兆候があったときにはお知らせするよう努力します」と約束することと、死亡確認はそろうべき人がそろってから行なうことであろう。
 このように、「蘇生しない」をデフォルトに設定すること(ナッジ)で、終末期の患者の幸福とともに家族の道徳感情にも配慮した意思決定支援ができるだろう。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P94

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本

P236
 医療における自律性の原則とは、治療案に対して、する、しないの選択権が患者にある、ということを意味する。
しかし、病気になって入院しているときは、選択能力が最も落ちているときでもある。
研究によれば、成人入院患者の実に四〇%は鎮静剤を使っている状態、あるいは意識の混濁を認める状態、もしくは昏睡の状態にあり、自分自身の治療についての判断が不可能であるという。
判断能力のない患者は自分の希望を能動的に伝えることもできず、そうなると家族や他の代理人が彼らに代わって決断を下さざるを得ない。そうした代理人の中には、患者に代わって積極的に自立性を行使しようとするひともいるかもしれない。また中には主導権を医師に委ねたいというひともいるだろう。病気の複雑な経過の間には、その状況の変化に応じて意思決定を下す役割が代理人と医師の間を行ったり来たりすることもある。

P268
 代理判断の概念は、一九七六年の有名なカレン・アン・クインラン判決のときに確立された。カレンが持続的な植物状態に陥ったため、ニュージャージー州の最高裁判所はその父を意志執行代理人として指名した。
裁判官の言い渡しは、もし彼女自身が意志決定可能な状態にあればしたであろうことを反映して、彼女になり代わって医療上の意志決定を行うように、というものだった。
 それ以来、生命倫理と法律においては、「代理判断」が、代理意思決定の方向を決める枠組みとなった。
というのも、それが患者の「自立性」の原則を守るものだったからである。
しかし、一方で、たとえ代理人が患者と事前に治療の意向について話し合っていたとしても、また患者の事前意志表明書を書面で持っていたとしても、患者本人の希望に合致しない選択がしばしばなされていることが多くの研究によって示されている。

P269
 患者が自分自身で決断を下せなくなったとき、二つ目の原則が適応されうる。「与益(beneficence)」である。
この原則は、医師や他の医療スタッフは患者自身の「最も合理的な利益」にかなうように行動する義務がある、とする。
しかし、自立性と与益の原則が一致することもあるが、患者自身が事前意志表明書の中で希望していること、あるいは患者が望むであろうと代理人たる家族が想像することと、治療にあたっている医師が医学的に見て最も患者の利益になるだろうと考えることが衝突することもある。そのような場合はどうすべきであろうか。
裁判所、そして大多数の倫理学者は。「自立性」のほうが「与益」より優先される、と結論づけている。

P276
 自律性と与益の他に、倫理学者と法律学者は医療上の意志決定に適用される。もう一つの原則を挙げている。「無危害(nonmaleficence)」である。
わかりやすく言えば、害を及ぼさない、ということだ。ヒポクラテスが言ったとされる格言「何よりも害を為すなかれ」は西洋医学の土台となる教条であり、その歴史は二〇〇〇年以上前に遡る。
この「無危害」の原則が用いられるのは、行ったとしてもほとんどあるいは全く益がない、場合によっては害を及ぼすこともありうると医師が考える治療を、患者あるいは代理人が自らの自立性を主張して希望した場合である。
倫理学者も法律学者も、そのような場合医師は自分が患者に危害を及ぼすことになると判断した治療は行わなくてもよい、としている。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)

決められない患者たち

決められない患者たち

  • 作者: Jerome Groopman MD
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/04/05
  • メディア: 単行本


奈良県 談山神社

共働的意思決定(シェアード・デシジョン・メーキング)

P69
 がん治療にあたる医療者は、がん患者やその家族に対して、病状を告げること、および、その後の方針について話し合うことを日常的に行なっているが、多くの場合、それぞれの医療者の経験に基づいた手法が用いられている。

そして経験豊かな医療者は、真心をこめれば、相手に気持ちが伝わり、よい意思決定ができると信じている。はたして、それは本当なのだろうか?
 一定の期間、がん治療に携わっている医療者は、十分に説明したつもりでも、患者にわかってもらえなかったり、予想外の返答をされることをしばしば経験する。
しかし、多くの医療者はそれが偶然のこと、すなわち相手(患者や家族)が(理解力が)悪かったと片づけてしまっていて、そこに一定の理由があることに目を向けないことが多い。
~中略~
IC(住人注;インフォームド・コンセント)の導入後、患者の権利は確立される方向にあるが、一方で、説明だけして、後の意思決定は患者や家族にゆだねてしまうインフォームド・チョイスの傾向が強まってきた。しかし、この意思決定の方法は、人間は合理的に判断し、選択可能な生き物であるという考えに基づいており、その考えは伝統的な経済理論における人間観と同じである。
近年、多くの研究により、人間は必ずしも目の前にある情報を的確に処理し、より合理的に意思決定をしているわけではないことが明らかにされている。とくに医療についての知識や経験が欠如している患者やその家族が(さらに当事者であるというバイアスがある中で)合理的に考えるという前提には無理がある。
 そこで、最近になり、医療者と患者の意思決定は、ともに行うべきものとして、共有意思決定あるいは共働的意思決定(シェアード・デシジョン・メーキング)という概念が導入されてきた(1)。
患者やその家族は、医療の知識に明るくなく、医療者からの丁寧な説明においても、十分にその内容を理解できるわけではない。これまでの報告では、医師による1回の十分な説明ののちに、患者が自分の病状を理解しているのはおよそ60%であり、さらに投薬された薬剤の副作用にいたってはおよそ4割しか理解していないことがわかっている。(2)。
このようにICの原則のもとで患者の意思決定には大きな欠陥があるとわかりながらも、医療者は説明し、自立原則を守っていれば説明責任を果たしと考えて、訴訟などの難を 逃れられるとしてきたのだ。
 共有意思決定の概念は、知識や理解力に乏しい患者やその家族とともに、専門家として、たとえて言うならソムリエのように意思決定支援をしていこうとという考え方である。
共有意思決定の考え方は、人間の意思決定には様々なバイアスがあり合理性には限定があるという行動経済学の考え方と対応している。

P85
 数値のもつ意味の違いについても同様なことがいえる。
英国で行なわれた調査において、とある治療によって得られる効果が最低何%であればその治療を受けるか/勧めるか、ということを患者と医師に尋ねたところ、その判断基準となるパーセンテージは患者の方が医師よりも低かった。
この結果はつまり、医師が推奨しないレベルの確率であっても治療を希望する患者が存在する、ということを意味している(16)。
 このように、同じ数字を見ていても、その数字から受け取る意味は医師と患者とでは異なっている。これは先に紹介した事例Bのケースにも当てはまる。この場合、そこで起こっていることは、「伝えた医学的根拠(エビデンス)を理解していない」のではなく「理解はしているが、捉え方が医師とは異なる」ということになる。
したがって、正確な「数値」をいくら追加で説明したとしても、状況は改善しない。
 患者とのコミュニケーションにおいて「なにか不思議なこと」が起こっているとき、そこには合理的には説明がつかない、感情やバイアスといった要因が影響している可能性がある。まずはそのことに気づき、一歩ひいたところから、患者の考えていることを理解しようと努めることが、解決のための糸口になる可能性がある。

P168
高齢者ががんなどの病気になったときに、治療の方針を自分自身で決めることが難しい場合が多くある。
たしかに、いきなり「がんの治療を決めろ」と言われても、初めての経験であるし、何をどう考えてよいのか見当もつかない。治療を比較すると言われても、何を比べたらよいのかわからない。
インターネットで調べてみれば、いろいろな人がブログに体験を書いているが、自分に当てはまるかどうかもわからない。皆目見当がつかないというのも当然と言える。
「患者の意向に沿った治療」を実現し、適切なインフォームド・コンセントを患者が与えることができるようにするためにも、適切な意思決定支援の方法が必要である。

P177

 本人の意思決定とあわせて高齢者の診療の特徴となるのが、付き添いの家族がつくことである。 がんなどの治療を受ける。その点で、家族が同伴する・しないはどうしても治療方針に影響を与える。 

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本

氣比神宮 福井県敦賀市

2025年4月15日火曜日

同じことを六回以上言わなければならない

  ビジョンを常に徹底して共有しておく重要性を、強く感じます。いま現在も。
そのためには、当たり前ですが、共有する前にあらかじめビジョンを描いておかないといけない。
~中略~

人は、他の人に対して新しい考え方を100%伝えようと思ったら、同じことを六回以上言わなければならない。
同じ相手に同じことを、ですよ。

小阪裕司 (著)
リーダーが忘れてはならない3つの人間心理
フォレスト出版 (2010/3/10)
P155

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

  • 作者: 小阪裕司
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: 新書

 

経営者として大事なことは、当たり前ですがとにかく言い続けることです。
「それは知っている、聞いている」と言われても、挨拶の重要性を理解してもらえるまでしつこく何度でも言い続ける。
やはり、言っていることがブレるとよくないんですよ。
~中略~
言う側が信念をもち、譲らないことが大切です。

こうして企業は再生する 2011年11月
大久保 恒夫 (その他), 野田 稔 (その他)
NHK出版 (2011/10/25)
P20  

 

こうして企業は再生する 2011年11月 (仕事学のすすめ)

こうして企業は再生する 2011年11月 (仕事学のすすめ)

  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/10/25
  • メディア: ムック

 

 

 

P52
「大事なことだから言わないわけにはいかない。私だって毎回同じことを言いたくない。でもできていないから毎回言わないといけないんじゃないか。できるようになるまで何度でも言うぞ」
~中略~
 特に基本的な事柄については、新しいことをするより、同じことを延々と継続していくことが大切です。

P66
間違った指示は出していないはずなのに、なぜ成果につながらないのでしょうか。
その答えは非常に明解です。現場が指示したとおりに動いていないからです。  どんなに的確な指示を出しても、指示を出しただけでそれを理解し行動に移せる人は、全社員の二〇%ぐらいです。
~中略~
六〇%の普通の人たちは、経営者がちゃんと気持ちを伝えて納得すれば行動する人たちなのです。

P70
本部から通知を出しても、1回二回はやってみるけれども、それが続かない。そういう現場の実態が改善されない限り、教育の成果はまったくないのと同じです。
 教育というからには、人材として成長させなくてはなりません。あいさつのやり方を教え、品出しの段取りを教えたところで人は成長しません。それは作業にこなれていくだけです。
 私が身につけてほしいのは、常にお客様の立場に立ってものを見る姿勢、お客様に満足していただくことに喜びを感じる感性、お客さまに満足していただくことで自分を成長させていく意欲、前向きにチャレンジしていく精神です。そういう気持ちを社員に持ってもらいたいのですが、もちろん一朝一夕にはいきません。
 これを「モラール」と私たちは表現していきます。モラールの高い人材は、マニュアルで教えられた作業を通り越し、お客様に喜ばれる方法を自分で率先して考え、実践し、結果を出します。紙一枚の通達を出しただけでも、自分で工夫して課題を乗り越え、実績につなげていきます。

利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!
大久保 恒夫 (著)
ビジネス社 (2007/08)

利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!

利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!

  • 作者: 大久保 恒夫
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2007/08/01
  • メディア: 単行本

 

人の心にスイッチを入れる

P55
人の心にスイッチを入れる人間心理の3大原則
三大原則のその一、それは「「快」と結びつける」。
そもそも人は「ワクワクすること」しかやろうとしない。
人は「快」を求めるものなのです。
人はすべて快楽主義者?
いえ、主義主張の問題ではなくて、それは人間のメカニズムなのです。
~中略~

「快」と結びつけるために最も必要なもの、それは「報酬」です。
「報酬」って何?「お金}?
いえいえ。ここで言う報酬というのは、お金のことではありません。
ここで言う報酬とは「魂のごちそう」です。

P79
「神話となるチーム」をつくる二つめの大原則は「「意味」を与える」。
「意味」というものは、人にとって不可欠なものです。

P86
なぜ、お客さんの心からの「ありがとう」が、その人からの「ねぎらい」が、あれほどまでに魂のごちそうになるのか。
 それはその刹那、人は自分の存在の「意味」を感じることができるからではないでしょうか。

P89
 多くのチームリーダーやマネージャーがよく忘れていることがあります。
それは、「何をやるか」という指示は出すが、「なぜやるか」を言わない、ということです。
 本当は、人が知りたいのは、「何をやるか」ではなくて、「なぜやるか」。つまり「意味」なんです。

P97
三つめの原則は「演じさせる」。
ここで、不思議かつ深遠な人間のメカニズムをよく知っていただきましょう。
「人は演じた通りの人間になる」。本当です。
>>>ピグマリオン効果

期待を態度にする
P106
それはどういう期待かというと、こういう役割を演じて欲しい、というものです。
そしてそれを、言語と非言語の両方で表すことが大切です。態度にしなければ、決して伝わることはないからです。

P165
この「プロジェクトX」のそれぞれのエピソードには共通項があります。
一、普通の人々の物語である
二、不可能と言われていたことに挑戦する
三、数多くの困難がある
四、しかし最後にはやり遂げる
 不可能に挑戦する、普通の人たちが、すべてのエピソードに共通しているのは、「みんな不可能と言った。でも、ヤツらはやり遂げた」。これです。

P175
ヒーロー変身メカニズム
「不可能と思える(あるいは言われている)目標が設定される」
       このとき掲げる目標は 
       ①不可能だと言われている(チームメンバーもそう感じている)
       ②あなたは(不可能とは)感じていない
       ③計測可能な目標である
       ④始まりの期日が明確である
       ⑤終りの期日が明確である
「その目標達成に挑む人々が結集される」
「旅立ちの儀式」
最初の試練をいかに感動的に乗り越えるか
考える力を育てる助言者になる
 「帰還の儀式」

 

P212
「仕事」とは、自分と社会とを切り結ぶ窓なのです。
人は「作業」をやるためにいるのではない。「仕事」をやるためにいるのです。
そうして自分と誰かを、自分と社会を切り結ぶためにいるのです。
では、「作業」と「仕事」の境界線はどこでしょうか。
そう、スイッチです。

小阪裕司 (著)
リーダーが忘れてはならない3つの人間心理
フォレスト出版 (2010/3/10)

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

  • 作者: 小阪裕司
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: 新書

 

 P49
子どもに、なにかを好きになってもらいたいと考えてごほうびを約束すると、その約束が楽しさややる気を奪ってしまう。あっという間に、遊びが仕事に変わるのだ。

P50
「楽しい仕事なら、謝礼の額は多くなくてもいい。今回の礼金はほんの少しだ。きっと楽しい仕事にちがいない」。
この実験結果からすると、やる気を出して仕事を楽しむには、多すぎる報酬はマイナス効果になりかねないようだ。
 これらのことは、さまざまな研究でくり返し証明されている。報奨の額や仕事の内容に関係なく、ニンジンを先にぶら下げられて人たちは、報奨を約束されなかった人たち以上の成績をあげられなかった。 報奨は短期的には励みになっても、長い目で見るとかえって仕事に取り組む意欲をそこなう傾向がある。
 というわけで、人にやる気を起こさせようとして、報奨を約束しても効果がない。では、効果的な方法とはなにか。その仕事内容が当人にとって楽しいものである場合は、作業が終わったときにときどき思いがけない小さなプレゼントをする、るいはその仕事をほめることだ。
仕事の内容が当人にとって楽しくないものである場合は、最初は控えめで現実的な額の報酬を約束し、あとで励ましになるような言葉をかける(「みんなが、あなたみたいに公園をたいせつにしてくれるといいんですけどね」など)。そのほうが効果的である。

その科学が成功を決める
リチャード ワイズマン (著), Richard Wiseman (原著), 木村 博江 (翻訳)
文藝春秋 (2012/9/4) 

その科学が成功を決める (文春文庫)

その科学が成功を決める (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/04
  • メディア: 文庫

 

 

 

 「仕事の報酬は仕事である」とは藤原銀次郎さんの言葉である。
 私どもの従業員意識調査でも、この立言を肯定する結果が出ている。簡単にいって、満足感(働きがい)の源泉が、賃金に代表される金銭的要因よりも仕事に代表される非金銭的要因に、より多く求められている。~中略~
 仕事の報酬が仕事であるような仕事をつくりだしてゆくのは、容易なことではない。そんな仕事は数多くは存在しないという反論もあろう。しかしそれはまちがった考え方だ。
どんな仕事であろうと、それが自発的主体的に行動できるような仕組みになってくれば、人々はそこから働きがいを感ずるようになるのだ。仕事の種類や程度よりも、仕事のやりかたが問題にされねばならない。

経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P78

 
経営の行動指針―土光語録

経営の行動指針―土光語録

  • 出版社/メーカー: 産能大出版部
  • 発売日: 2009/10/15
  • メディア: 単行本

 

 

 

 従業員のモチベーションを高める要諦として、まずは、
①従業員をパートナーとして迎え入れ、
②彼らに心底惚れてもらい、
③仕事の意義を説くこと、さらには、
④ビジョンを高く掲げ、
⑤大義あるミッションを確立すること、そして、
⑥フィロソフィーを語り続けること、
⑦経営者自ら心を高めること
の大切さを述べてきました。

稲盛和夫の経営問答 従業員をやる気にさせる7つのカギ
稲盛 和夫 (著)
日本経済新聞出版社 (2014/2/25)
P37

稲盛和夫の経営問答 従業員をやる気にさせる7つのカギ (日本経済新聞出版)

稲盛和夫の経営問答 従業員をやる気にさせる7つのカギ (日本経済新聞出版)

  • 作者: 稲盛和夫
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2015/03/06
  • メディア: Kindle版

 

2025年4月14日月曜日

「差し控え」と「中止」は違う?

P204
 死の避けられない終末期の患者において生命維持治療を望んでおらず、医療者も生命維持治療のメリットが乏しいと判断する場合、生命維持治療を差し控えること(以後、「差し控え」と記載)は一般に広く許容されている。
例えば、全国のほとんどの緩和ケア病棟は患者に対して病状悪化時に人口呼吸管理、血液透析、心肺蘇生術などの濃厚な生命維持治療を行わないことへの合意を前提に利用を認めている。
また、自宅で死を看取られるがん患者も濃厚な生命維持治療を行わず死を迎えるのが一般的である。
一方、生命維持治療の中止(以後「中止」と記載)については「一度始めた生命維持治療はやめられない」と考え躊躇されることが多い(1)。
 つまり、「中止」は「差し控え」と倫理的に異なり、してはいけない(悪い)行為であるとみなされていることになる。しかし、もし「差し控え」と「中止」が倫理的に異なる行為なのだとすると、以下に占め主要ないくつかの矛盾が生じる。
~中略~
 このように、「差し控え」と「中止」を倫理的に異なる行為であると仮定すると様々な矛盾が生じてくる。
一方、逆に「2つの行為は倫理的に同質である」と見なすと、これらの矛盾は全て解消される。実際、アメリカやイギリスなどで出されている生命維持治療の差し控え・中止に関する法律、判例、ガイドラインなどを見ると、一貫して「差し控えと中止は倫理的に同質の医療行為である」と明記されている(2)。
~中略~
 ただ最終的に、「差し控え」と「中止」を異なる行為とみなすか、同質の行為とみなすかは、我々の判断次第である。
たとえ、「差し控え」と「中止」を倫理的に同質の行為とみなすことが合理的であったとしても、様々な心理的、感情的なバイアスの影響から逃れるのは難しいことである。

P207
 あらゆる医療行為において、その行為を行うことの医学的妥当性は、期待しうるメリット(利得)とデメリット(損失)を比較考量して判断することになる。
したがって、生命維持治療の是非を判断するにあたっても、そのメリット(生命の延長)とデメリット(治療を行うことによって生じる苦痛)を天秤にかけて比較することが必要である。
「差し控え」を考慮する際には、治療を開始することによって生じる「心身の苦痛」という「損失」の方が、治療を開始することによって得られる「生命の延長」という「利得」よりも大きいと評価され、最終的に「差し控え」が医学的に妥当であると判断されることは通常の医療において珍しいことではない。
 ところが、同じ状態の患者において、いったん始まった生命維持治療の中止を考慮する際には、治療を中止することによって「生命が短縮する」という「損失」の方が、治療を中止することによって「苦痛から解放される」という「利得」より大きいと評価され、治療の中止は妥当ではないと判断する傾向がある(たとえ患者が生命維持治療を希望していなかったとしても)。
当然ながら、「差し控え」でも「中止」でも、生命維持治療によって生じる「利得」と「損失」は本質的に変わるものではない。ところが、同じものを見ているはずなのに、「差し控え」のときと、「中止」のときとでは、「利得」と「損失」のどちらがより大きいかの評価がまったく逆になってしまうのである。
~中略~
「差し控え」を検討するときの「参照点」は治療開始前の状態である一方、「中止」における「参照点」はすでに治療が開始された状態の患者である。
このようにして各々の「参照点」から見た生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。このときの生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。
~中略~
我々は「損失回避バイアス」の影響によって、各々の「参照点」から見て「損失」を与えるような変化を生じさせたくないという心理が働く。その結果、「差し控え」においては生命維持治療を「開始する」という行為によって生じる「損失」が、一方の「中止」においては生命維持治療を「中止する」という行為によって生じる「損失」が、より重視されることになる。
こうして「中止」においては「差し控え」とは逆に、「患者の死が早まること」を「避けるべき損失」と感じる心理がより強く働くことになる。しかし、もし「治療を行うことの苦痛」よりも「治療を行わないことで患者の死を早めること」の方が重大な問題なのだとすると、そもそも「差し控え」を許容することもできないはずである。
 さらに、この「損失回避バイアス」から生じる人間の心理として、「現状維持バイアス」「保有効果」「不作為バイアス」も「差し控え」と「中止」が異なって見えることを強化している。 

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本

開聞岳 鹿児島県

SPIKES

P23
 1960年代前半までは,米国においても「がんの告知」は稀であり,患者への医療上の説明も十分には行われていなかった。しかし,1960年代の公民権運動に引き続いて,病院での患者の人権を重視する運動が高まり,医師の「パターナリズム」(家父長主義:独善的に物ごとを決め,押し付けること)が批判されるようになった。
裁判上の判断基準として,「ニュールンベルグの倫理綱領」を参考に確立したのがインフォームド・コンセントの法理(法の原理)である1)。
患者には「真実を知る権利」があり,医師には「説明する義務」がある。
患者の同意を得ることにより,違法性棄却が行われ,医師は患者に侵襲的な医療行為を行っても傷害罪に問われないことになる。しかし,同時に患者には「真実を知る権利」を放棄する権利,「知らないでいる権利」もある。
また,米国,カナダは移民社会であり,さまざまな文化的背景をもった患者/家族が存在する。1970年代は,悪い知らせを不適切に伝えられた精神的衝撃によって,苦悩する患者/家族も多く存在していた。
このような状況の中で,とくに「悪い知らせ」を患者に伝えるための実践的ガイドとして開発されたのが,SPIKESである。

P24
表4-1 SPIKES 各段階のまとめ (文献2より引用,改変)
Spikes:場の設定
     ①環境を整える
     ②タイミングを図る
     ③患者の話を聴く技術を働かせる
sPikes:患者の病状認識を知る
spIkes:患者がどの程度知りたいかを確認し,患者からの招待を受ける
spiKes:情報を共有する
     ①伝える内容(診断・治療計画・予後・援助)を決定する
     ②患者の病状認識,理解度に応じて始める
     ③情報の提供
      ・情報を少しずつ提示する
      ・医学用語を日常用語に翻訳しながら説明する
      ・図を描いたり,小冊子を利用する
      ・患者の理解度を何度も確認する
      ・患者の言葉に耳を傾ける
spikEs:患者の感情を探索し,対応する
     患者の感情に気付き,思いやりを示すBr> spikeS:今後の計画を立て,面談を完了する
     ①今後の計画を立てる
     ②面談のまとめを行ない,質問がないか尋ねる
     ③今後の約束をし,面談を完了する

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2007/10/19
  • メディア: 単行本

富山県 室堂平

SHARE

P11
 わが国のがん患者は,悪い知らせを伝えられる際に医師に対してどのようなコミュニケーションを望んでいるのだろうか。この疑問を明らかにするために,筆者らは国立がんセンター東病院において42名の外来通院患者,および7名のがん専門医を対象とした面接調査を実施した1)。~中略~
その結果,がん患者の悪い知らせを伝えられる際に望む,あるいは望まないコミュニケーションとして70のコミュニケーションがあげられ,それらは内容の類似性から「supportive environment 支持的な場の設定」,「how to deliver the bad news 悪い知らせの伝え方」,「additional infomation 付加的な情報」,「reassurance and emotional support 安心感と情緒的サポート」
という4つのカテゴリーにまとめられた。~中略~
 これらの研究結果から得られた悪い知らせを伝えられる際の患者の意向の構成要素をその頭文字からSHAREとした。

P12
1.Supportive environment (支持的な場の設定)
目標
・落ち着いた環境を整える
・信頼関係の構築
P13
2.How to deliver the bad news (悪い知らせの伝え方)
目標
・患者に対して誠実に接する
・患者の納得が得られるように(例えば,単なる情報提供にとどまらず,気持ちを整理できるように促し,患者の意向を踏まえて受け入れられる状態にあるかどうかを確認しながら)説明をする。
P14
additional infomation (付加的な情報)
目標
・今後の治療方針に加えて患者個人の日常生活への病気の影響など患者が望む話題を取り上げる。
・患者が相談や関心事を打ち明けることができる雰囲気を作る(そうすることによって,病気だけでなく患者本人への関心を示すことができる)

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2007/10/19
  • メディア: 単行本

長崎市

2025年4月12日土曜日

糖質中毒

P28
コーラなどの甘い清涼飲料水が糖分を多く含むことはわかるとして、注意が必要なのはいかにも健康に良さそうな商品です。

 代表的なところをあげたただけで、ウイダーinゼリー・エネルギーに45グラム(角砂糖11個分)、C.C.レモンに50.5グラム(角砂糖12個分)、デカビタCに28.3グラム(角砂糖7個分)といった具合に大量の糖が含まれています。
 本来、健康な人間の体内には約4.5リットルの血液であり、その中のブドウ糖濃度(血糖値は空腹時90mg/dlです。
つまり、その血液中には4グラム前後のブドウ糖が存在します。それだけあれば十分だから、この数値なのです。
 では、4グラムでいいところに、コーヒー飲料などを飲んで、いきなり大量の砂糖がドバーッと入ってきたらどうでしょう。人間の体がまったく想定していなかった、ばかげた事態が起きるのです。

P35
 液体の糖質は口にしてすぐに血糖値が上がり始め、30分後にはピークに達してしまいます。缶コーヒーを1本飲めば、糖尿病のない健康な人でも30分後には血糖値が140くらいまで急上昇します。これを「血糖値スパイク」と呼びます。
 このときに、体の中で起きている変化について簡単に説明しましょう。
 血糖値がぐんと上がると、セロトニンやドーパミンといった脳内物質が分泌されて、ハイな気分になります。だから、「仕事前に気合を入れるには缶コーヒーがぴったりだ」と誤解してしまうわけです。
このハイな気分になるところを「至福点」と言います。
 一方で、血糖値が急激に上がったことを察知した体は、それを下げるために慌てて膵臓から大量のインスリンというホルモンを放出します。そして、血糖値が急激に下がります。
 血糖値が大きく下がると、ハイな気分から一転、イライラしたり、吐き気や眠気に襲われたりと不快な症状が出ます。
 すると、「またあのハイな気分になりたい」とばかり、血糖値を上げる糖質が欲しくなり、同じことを繰り返してしまうのです。
 これは、「糖質中毒」という脳がおかしくなってしまった非常に深刻な症状です。しかし、中毒に陥っている本人には、その自覚がまったくありません。
 実は清涼飲料水などのメーカーは、人の至福点について計算し尽くし、商品を設計しています。言ってみれば、糖質中毒患者を増やすことで利益を得ているのです。

 

P52
 もともと清涼飲料水は、アメリカでトウモロコシが生産過剰に陥ったことがきっかけで生まれたと言われています。~中略~
 しかし、税金をたくさん納めている企業に対し、国や自治体が本気で規制に乗り出すことはできません。アメリカでは買収された学者が「肥満を呼ぶのは糖質ではなく脂肪だ」という説を垂れ流し、いまもそれを信じている人が世界中にいます。

 

P64
コロラド大学デンバー校のリチャード・ジョンソン博士は腎臓病の研究が専門ですが、「ナショナル・ジオグラフィック」誌でこのように述べています。
「病気を研究し、その根本原因をたどると、必ずそこには砂糖があります」
「なぜ米国人の肥満は加速する一方なのか。その一因は砂糖だと考えています。
 かつて、アメリカでは糖尿病や心臓病の増加は、肉などの脂っぽいものを多食するためだと考えられてきました。
そのため、人々は摂取する脂肪の量を減らしてきたのに、相変わらず肥満は増えています。
彼らは、清涼飲料水、ピザ、ハンバーガーなどを多食し、糖質を過剰摂取しているからです。
 そして日本でも、同じことが起きています。

医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68
牧田 善二 (著)
ダイヤモンド社 (2017/9/22)

医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68

医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68

  • 作者: 牧田 善二
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2017/09/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

京都府

Good Death

P182
 空海は死を予期してから、死の恐怖を超え、やるべきことを優先的にやり、目標に達した。ここから現代人は学ぶ必要がある。

~中略~
 そして最後の2年間、空海は穀類を断った。しかし、その中でも平安京に向かって朝廷への上奏と弟子への指示を繰り返した。承和1年(834年)5月には弟子を集め、自分がまもなくこの世を去ると告げる。これは、なかなかできることではない。
 空海は承和2年(835年)正月から水分も断つようになり、上記の懸案事項はすべて空海の希望通り2月末に解決した。そして3月21日入定した。
 空海とスケールこそ違えど、緩和医療の場で人の死を見ていると、人は死を前にして気になることを解決したり、その方向性だけでも明確にしようと努力すると、死を受け入れやすいような印象を持っている。
 空海は「吾れ永く山に帰らん」と言い、あたかも眠るがごとき入定したと思われるが、見事に完璧で理想的な死を成就した。ここで空海の「即身成仏」が完成したのである。
 空海は生命の長さではなく、生命の質(QOL,Quality of Life)を重視したのだろう。現代の終末期医療の在り方への示唆に富む。  

P198
今後どのくらいの余命期間が残っているのかを伝えるのは、究極の「バッドニュースを伝える」ことである。医師の多くは、その余命期間が短かければ短いほど、患者本人に伝えることは抵抗感を感ずる。当然であろう。「あと長くて6ヶ月」とか「治療をしなければあと3ヵ月」ということを患者本人に伝えるのは確かにつらいが、伝えられる患者のほうが、はるかにつらいだろう。
もしも、患者本人に伝えずに、家族だけ伝えたとしたら、患者本人には秘密にしながら、嘘をつきながら最後まで看取ることになり、家族は一生の間、後悔したり、罪悪感を抱き続けることになるだろう。
 あまり症状がなかったり、あるいは症状があっても否認し続けた場合、「治療をしなければあと3ヵ月」と伝えられる状況は、誰にでも起こりうる。そんな時「伝えてほしくない権利」も患者には保証される。しかし、伝えて欲しいのに伝えられない場合には、患者にとって短い余命期間を医師や周囲が奪ってしまうことになる。その余命期間は短ければ短いほど、患者や家族にとっては大切な時間であり、人生が「濃縮された」時間ということになり、やはり誰もそれを奪う権利はないのである。
 患者の死生観にもよるが、「もう一度会いたい人に会っておきたい」とか、「お世話になった方にお礼を言いたい」とか、「家族に感謝したい」と思っている患者は多い。その意味では、自分にとって「良い死に方(Good Death)」とは何かを、できれば周囲に話しておいたほうがよいことになる。

 

P202
 末期がんの患者にほぼ正確な余命期間も伝えずに、だんだん衰弱していき、麻薬性鎮痛剤を使い始めると眠ることが多くなり、家族も「今生の別れ」に際して、言い忘れたことや思い出話や、感謝の気持ちを伝えるきっかけを失ってしまうことが多い。
家族の希望とは言え、本人に余命期間の伝えない時の、取り返しのつかない弊害であると、、私は疽直に思う。
 患者の意識がはっきりしている時、自分自身のことがまだ出来ている時期(これを「自律性が保たれている」という)に、別の患者の場合の弊害を思い出し、家族の方に「やはり話しておいた方がいいのでは?」と呼びかけ、それに頷いてくれた家族のほうが、患者と濃縮した時間を共有することが多い。そんな時、「良い死に方(Good Death)」という言葉が頭をよぎる。
「良い死に方」の絶対条件のひとつに「自分の余命期間を知っていること」があげられることは確かだ。

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

  • 作者: 隆, 保坂
  • 出版社/メーカー: 大法輪閣
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 単行本

P243
 だとしたら「尊厳ある死」と「尊厳なき死」のちがいはなんでしょうか。「尊厳ある死」とは、「死んだほうがまし」な「尊厳なき生」の維持を中止させることをいうようです。
 日本尊厳死協会設立のきっかけになったアメリカのカレン裁判は1976年。回復不可能な持続的植物状態に陥ったカレンさんの状態を「尊厳ある生とはいえない」と、延命中止を求めた家族の要求を、最終的に裁判所が認めました。
 日本尊厳死協会が「不治かつ末期」と認める状態には、回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)、苦痛を伴う末期がん、認知症、老衰、人工透析を必要とする腎不全患者、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経性難病があります。
「尊厳死」とはそれらのひとが「消極的選択」をさすとされますが、いったい誰が「不治かつ末期」を判断するのでしょう。昏睡状態に陥ったお年寄りが息を吹き返した例は枚挙にいとまがありませんし、「死期」を判断するのがむずかしいいことは多くの医療関係者知っています。
それに世の中には「不治だが末期でない」重症の難病患者や重度の障害を持ったひとたちがいます。~中略~
それに「不治とは現在の治療水準の上での「不治」医学の進歩に伴って、死病だったはずの結核もAIDSも、いまでは生きていられる病気に変わりました。がんだってALSだって、近い将来、治療法が開発されないともかぎりません。

P248
 この本(住人注:「逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)」川口有美子(著))のなかで、川口さんは神経難病の専門医、中島孝医師と尊厳死について語り合っています。
中島医師は、ナチスが「生きるに値しない生命」に「良い死」を与えることを正当化したのが「安楽死」であり、「尊厳死」から「安楽死」へは「滑りやすい坂」がつながっていると言います。~中略~
 災害医療で知られるようになった「トリアージ」という概念がありますが、もとは限られた医療資源をいかに優先的に使うかという冷徹な選別の原理であり、戦争医学から来ています。中島医師は「『(生きる)意味のない人たち』に対する無駄な分配、医療・福祉費をどうやってうまく減らすのか」という課題を、「意味のない医療や福祉をしないように、無駄を省き、効率のよいものに」すると言い換えるのが「尊厳死」だと指摘します。
 中島医師によれば、「末期」とは「後世概念」。後世概念とは、社会的に構成された考え方のこと。つまり何を「末期」とするかは、複数の関係者の相互交渉の過程で決まり、けっして一義的かつ客観的に専門家が定義するようなものではない、ということです。~中略~
 「尊厳死」という概念がこわいのは、いつでも「尊厳なき生」より「死」のほうがまし、という考え方にスリップしていくことです。
 日本尊厳死協会の長尾和弘医師は、「長尾和弘の死の授業」(ブックマン社、2015年)のなかで、死に積極的に介入する安楽死と、延命を差し控える尊厳死とはちがう、と主張します。
安楽死は英語ではeuthanasiaですが、これを認める安楽死法は英語ではDeath With Dignity Act、日本語だと「尊厳死法」と訳されます。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 文庫
室戸岬 高知県

自分は、死ぬところに向かって生きている

  戦国時代なり江戸時代の場合は、現代のように医学というものが発達していないから、死ぬ人が多い。

~中略~
だから当然感覚的に、
(人間はいつか死ぬものだ・・・・)
ということがわかっているわけですね。

  ところがいまは寿命が延びて、なかなか死ななくなったということは結構だけれども、
人間は死ぬということをかんがえなくなっちゃったわけだ。

池波 正太郎 (著), 柳下 要司郎 (編集)
新編 男の作法―作品対照版
サンマーク出版 (2004/05)
P232

新編 男の作法―作品対照版

新編 男の作法―作品対照版

  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 2004/05/01
  • メディア: 単行本

仏教は、今生きているこの場この時間だけが真実だと語ります。そしてその今を最大限生かすのが仏教です。
歩くときは全身全霊で歩く。ごはんを食べるときは、ごはんと自分との境目がなくなるほど食べることに集中する。念仏するときは念仏に成りきる。
それだけです。それですべてです。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P329

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

セネカは暴君ネロの師でありながら、千利休と同じように、のちに主君の不興を買い、失脚し、自殺をしました。
 彼は言います。
 「どんなところで、死が待ち受けているかわからない。だから、君はいたるところで死を待ち受けよ」と。
 「死は背後よりきたれり」と吉田兼好は書き、「後生の一大事をいま考えよ」と蓮如は語りました。
 いまあらためて、死の側から生を語る、セネカの声に耳を傾ける時代がきたのではないでしょうか。

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
P203

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Kindle版

 四九 自分の目方が何貫目(45)かで、三百貫ではないといって君は嘆くだろうか。それと同様に、君の寿命が何年かで、それより長くないといって嘆くべきではない。
君に割りあてられた物質の量だけで満足しているように、時についても同じく満足せよ。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P113

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

  • 作者: 神谷 美恵子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版

吉野ケ里遺跡 佐賀県

うつと向き合う

P70
 「うつとは”人が疲労しきった状態”のことである」
近年増加しているうつについて、私の答えはこのひと言に尽きます。
性格の問題ではありませんし、ましてや気合や根性の問題でもありません。ただひたすら疲労している。
下園壮太

P72
 これは私の長い経験から断言できることですが、うつになりやすいのは「心の弱い人」ではありません。
むしろ「心の強い人」こそ、うつになってしまうのです。
 心の強い人は、少しくらい苦しいことがあっても休もうとしません。自分お強さを信じて、気合や根性で乗り越えようとします。
~中略~

また、心が強い人は他者に助けを求めるのが苦手です。
~中略~
 ところが、そうやって自分で自分を追い込み、蓄積疲労が限界に達すると、緊張の糸がプツッっときれるようにして、うつ状態になってしまいます。

P85
うつは(住人注;「心の風邪」でなく)「心の骨折」であり、再び全力でプレーできるようになるには1シーズン単位でのリハビリが必要になります。骨がくっつかないままグラウンドに出ても、また周囲に迷惑をかけるだけですからね。
下園壮太

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




 

 メンタル休職者への家族の対応の一例として夏目漱石の場合を紹介したい。
ただし、これは漱石のエピソードから何か教訓めいたものが学べるというわけではない。また「悩む力」(姜尚中 集英社新書)などで描かれた立派な漱石像とも少し異なる。
漱石は近代小説の先駆者であるが、その一方でメンタル休職においても日本の先駆けであった。
夏目漱石が心の病で休職したのは今から約100年前のことである。
~中略~

漱石の妻は、漱石が病気になってもそれまでの生活を変えず、漱石を支え続けたということぐらいである。
 しかし、うつ病患者を持つ家族にできることは、それぐらいのことしかないというのが実情だし、それで十分なのではないだろうか。
 普通の家族にできることは、衣食住で本人を支え、本人の話を聞くことぐらいである。そうしたことを数ヶ月続けているうちに、うつ病はいつの間にか回復していくことが多い。

うつ病患者に家族はどう接すればよいのかとは非常によく聞かれる質問である。
地味な答えで申し訳ないのだが、家族はあまり心配し過ぎず、かといって冷たくもせず、本人が回復していくのを焦らず待つしかないのではないだろうか。

冨高 辰一郎 (著)
なぜうつ病の人が増えたのか
幻冬舎ルネッサンス (2009/7/10)
P242

なぜうつ病の人が増えたのか

なぜうつ病の人が増えたのか

  • 作者: 冨高 辰一郎
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2009/07/10
  • メディア: 単行本


 がん罹患後の抑うつ(大うつ病・適応障害)の有病率は10~40%3-6)と非常に高く、がん罹患後5年の自殺率は一般人口の2倍,がん告知後3~5ヶ月の間に限ると4.3倍と非常に高いことが報告されている7)。

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)
P1

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2007/10/19
  • メディア: 単行本

室戸岬 高知県

研修医とは医師における思春期である

 統合失調症の患者が幻聴対策として耳に線を詰めることがあると知識のうえでは心得ており、しかし実際にそのような患者に接したときに綿が真っ黒(住人注;患者の苦悩や苛立ちや思うにまかせぬ暮らしぶりを我々に突きつける。真っ白な面ではなく、黒く汚らしい綿こそが臨床におけるリアリティを裏打ちしている)であったことを目の当たりにして衝撃を受ける―すなわち臨床のリアリティに接して気持ちを動揺させている真っ最中の人たちこそが研修医であるとわたしは理解している。
 だから研修医の感性にはみずみずしさと素人っぽさとがあって、そこが魅力でありまた困ったところでもある。
早晩、耳に詰まっていた綿が真っ白であろうと真っ黒であろうと何も感じなくなる。うろたえなくなる。ただしそれが医師として成熟であると思わない。むしろ感情が鈍麻したというべきだろう。ただし鈍感さと図々しさ若干の恥知らずさがなければ、日々の臨床はこなしていけない。
 まあそんな次第で、研修医とは医師における思春期である。思春期をソツなく過ごす奴はろくな人間にならない。
研修医諸氏には、自己嫌悪と正義の怒りと的外れな義侠心とでたっぷりと苦しんでいただきたのである。ただしあまりに煮詰まってしまったり袋小路に迷い込んでしまうのも、いささか悲しいものがある。

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P192

「治らない」時代の医療者心得帳-カスガ先生の答えのない悩み相

「治らない」時代の医療者心得帳-カスガ先生の答えのない悩み相

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 単行本


2025年4月11日金曜日

世間虚仮 唯仏是真

  「真実不虚」で、思い出されるのが、聖徳太子のご遺言の「世間虚仮 唯仏是真」のお言葉です。
 その意味は「人間が住むこの世の中は、無常と無我の移ろいの現象にすぎない。この現象をつらぬく因縁の道理だけが真実である」との教えです。 

 浄土真宗を開いた親鸞にも、聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」のこころを受け継いだ「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は よろずのことみなもてそらごとたはごと まことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておはします」
(「歎異抄・後序」)があります。

松原 泰道 (著)
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵
祥伝社 (2003/01)
P290

般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3)

般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3)

  • 作者: 松原 泰道
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2003/01/01
  • メディア: 文庫

 

奈良県 法隆寺

十善戒 -宗教と道徳-

P48
 仏になるというのは高い山に登るようなものでして、自分で登るのが自力、ケーブルカーで行くのが他力と考えてもいいんですが、そのためにはどんな仏教でも共通の道徳を守らなくてはなりません。
 まず十善戒 というものがあります。
これは、守るべき十の戒律です。それと同時に、六の徳を備えなければならない。それが六波羅蜜。 十善戒を守って、六波羅蜜という徳を備えなくてはならない。ですから仏教は道徳を大変に大事にしているんです。
 ところが、現代の仏教は道徳から離れてしまった。だから坊さんは仏教を説きますが、本当に十善戒を守っているか、六波羅蜜の徳を行っているかというと、あまり守り、行っていないのではないでしょうか。
~中略~
ヨーロッパの社会は、だいたいキリスト教です。
ということは、ヨーロッパ人の道徳はキリスト教を基本にしている。
もしキリスト教がだめになれば、道徳もだめになる。キリスト教を信じなかったら道徳も信じられないということになるのではないかと思います。
そういうことを誰よりもはっきり語ったのが、ロシアのドストエフスキーという作家です。

P54
 聖徳太子が、晩年、常にいっていた言葉が「諸悪莫作、衆善奉行」  です。いろんな悪をしてはならない。いろんな善をしなさい、ということですね。聖徳太子はこの仏典の文句をしょっちゅうつぶやいていたというんです。

 P86
仏教には、十善戒、 十の善き戒というものあります。~中略~十善戒というのは、全部「不」がついている戒ですから、悪を禁止する道徳です。~中略~もう一つ、六波羅蜜というのがある。こちらは積極的な道徳を説いています。

十善戒は次のような戒です。

 不殺生(ふせっしょう) 人を殺してはいけない。
 不偸盗(ふちゅうとう) 盗みをしてはいけない
 不邪淫(ふじゃいん) よこしまなセックスをしてはいけない。
 不妄語(ふもうご)   嘘をついてはいけない。
 不綺語(ふきご)    きらびやかな言葉をつかってはいけない。
 不悪口(ふあっく)   人の悪口を言ってはいけない。
 不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使ってはいけない。
 不慳貪(ふけんどん) 物惜しみをしてはいけない。
 不瞋恚(ふしんに)  怒ってはいけない。
 不邪見(ふじゃけん) よこしまな見解を抱いてはいけない。

これをモーセの十戒とくらべてみましょう。
~中略~

一、あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
二、あなたはいかなる像も造ってはならない。
三、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
四、安息日を心に留め、これを聖別せよ。
五、あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
六、殺してはならない。
七、姦淫してはならない。
八、盗んではならない。
九、隣人に関して偽証してはならない。
十、隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

十戒の一から五までは、ユダヤ教、キリスト教の宗教的な掟のようなものですね。だから、すべての人類に当てはまるものではないでしょう。
特に一の、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」というのは一神教の主張です。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫 う 10-5)

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫 う 10-5)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: 文庫

 

奈良県 法隆寺

清浄な仏国土の建設

P33 
   リッチャヴィの若者たちはブッダに最上の敬意を表したのち、おのおのが手にした七宝の傘をうやうやしくブッダにささげます。
すると威神力と呼ばれるブッダの法力によって、一瞬のうちに五百本の七宝の傘はただ一個の巨大な傘となり、あらゆる世界(三千大世界)をもとの大きさのままで、すべて覆ってしまいます。

P34
「維摩経」にかぎらず、すべての大乗仏教経典においては、いまの私たちの観念からすれば、奇跡的、あるいは不思議な出来事がよく説かれます。
この場合、それらをそのまま「ブッダの神通力によって示された奇跡」としてとらえるとしたら、その経典の教えはまったく理解できません。
一見すると不思議な出来事があっても、それがなにを表すか、それによって経典作者がなにを言おうとしているのか、と考えるのが大乗仏教経典を理解する第一歩です。

P36
 一つの傘の中に、この全世界が表し出されたということについて、聖徳太子作といわれる「維摩経義疏」は「如来の慈悲があまねくすべての世界に生きている人々をつつみこむこと」と注釈しています。
~中略~
 この傘の比喩には、もう一つ重要な意味があることを見落としてはならないと思います。それは、「維摩経」のうちで、いま読んでいるのが「仏国品」という章で、「清浄な仏国土の建設」ということが当面のテーマであって、このテーマとの関連で傘の比喩を考えなければならない、ということです。
 すべての人々が民族・部族・宗教などのちがいや対立をこえて、ただ一本の傘のもとに「共生」することのできる社会、それが「維摩経」の説く「ブッダの清浄な仏国土」であるといってよいと思います。

P47
菩薩の清浄な仏国土とは、大乗仏教の利他行が行われる場であり、経典によれば、直心(じきしん)・深心(じんしん)・菩提心などをおこして利他の行を積み、衆生が完全なものとなれば、仏国土そのものが浄らかになります。
仏国土が浄らかになるにしたがって、説法・智慧が浄らかになり、智慧が浄らかになるにしたがって、その心が浄らかになり、心が浄らかになるにしたがって、一切の功徳が浄らかになります。そこで、 

  是の故に、宝積よ、若し菩薩にして浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄むべし。

 其の心の浄きに随いて、即ち仏土浄し。 

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)

維摩経をよむ (NHKライブラリー 102)

維摩経をよむ (NHKライブラリー 102)

  • 作者: 菅沼 晃
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1999/06/01
  • メディア: 単行本

 

 

愛する母よ、地上を歩きながら、約束の地をどこか遠くに求め、あなたこそが今ここに存在する不思議に満ちた浄土であることを知らない人たちもいます。神の王国が自分自身の心の中にあることも見えません。
彼らには、心が静かで安らいでいれば、自分が今歩いているその大地がそのまま浄土になるということが理解できないのです。
 私たちは、洞察と心安らかでマインドフルに今ここにとどまる実践のおかげで、この浄土の上で毎日遊び楽しむことができます。神の王国を手にした私たちは、それをほかに求めることはありません。

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P24

 

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド

  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 2015/04/03
  • メディア: 単行本
奈良県 法隆寺

2025年4月9日水曜日

五十、百は自ら五〇、百の四時あり

一、今日死を決するの安心は四時(しじ)の順環に於いて得る所あり。
蓋し彼の禾稼(かか)を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功なるを悦び、酒を造り醴(れい)を為(つく)り、村野歓声あり。
未だ曾て西成(1)に臨んで歳功の終わるを哀しむものを聞かず。
吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼(かか)の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。
然れども義 卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。
何となれば人寿は定りなし。禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。
五十、百は自ら五〇、百の四時あり。
十歳を以て短しとするは蟪蛄(けいこ)(2)をして霊椿(れいちん)(3)たらしめんと欲するなり。
百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。
義卿三十、四時は己に備はる、亦秀で亦実る、その(しいな)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり。同志其れ是れを考思せつ。
(1)西成 秋に植物が熟成することをいう。五行説で秋は西にあたるといい、「書経」尭典に「西成を平秩(へいちつ)せしむ」とある。
(2)蟪蛄 夏蟬のこと。「荘子」逍遥遊篇に「蟪蛄は春秋を知らず」とある。蟬の命が短いことを言っている
(3)霊椿 長生する霊木。(2)に関連して「荘子」逍遥遊篇につぎの言葉がある。  「小知は大知に及ばず、少年は大年に及ばず。何を以てその然るを知るや。朝菌(ちょうきん)は晦朔を知らず。 これ小年なり。楚の南に冥霊(めいれい)なる者あり。五百歳を以て春となし、五百歳をば秋となす。上古に大椿なる者あり。八千歳を以て春となし、八千歳をば秋となす。しかも彭祖(ほうそ)は乃ち今、久しきを以てひとり聞こえ、衆人これに匹せんとするは、また悲しからずや」  

吉田松陰 留魂録
  古川 薫 (著)
  講談社 (2002/9/10)
   P97

吉田松陰 留魂録 (全訳注): 全訳注 (講談社学術文庫 1565)

吉田松陰 留魂録 (全訳注): 全訳注 (講談社学術文庫 1565)

  • 作者: 古川 薫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/09/10
  • メディア: 文庫

 

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