2025年6月6日金曜日

誰を国民とみなすのか?

 この問題はかなり普遍的に存在します。なにも、日本社会での日本人と在日朝鮮・韓国人の問題だけではありません。~中略~
 一つは、同じ血統を受け継ぐ民族が国民になるという考え方です。ヨーロッパでの代表はドイツです。日本もこのタイプです。
~中略~
ドイツは、二十世紀の後半に労働力不足から移民を受け入れましたが、長いこと、移民に国籍取得の権利があるとは考えませんでした。
国籍というのは、あくまで国家の裁量で与えるものであって、二世になろうと、三世になろうと、移り住んだ人間には「国民になる権利」があると考えなかったのです。
 もう一つは、肌の色が違おうとどこから来た人間であろうと、国民国家の構成員となる民族は、むしろ、共通の言語や社会規範を受け入れることによって決まるという考え方です。この典型はフランスです。
~中略~
 そして三つめは、共通の国語をもちますが、それ以外の宗教、思想、信条、などには、あまり深く干渉しないタイプの国です。
オランダ、ベルギー、イギリスなどヨーロッパにはわりあいとたくさんあります。アメリカやオーストラリアのように、最初から移民でできあがったのもこのタイプの国です。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P212

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: Kindle版

 

土居ヶ浜遺跡 山口県

国を捨てた人たち

P60
  朝鮮半島から外国(日本、中国東北部、ハワイ、北米)へ渡った韓僑は総人口の八パーセントを越えます。この朝鮮・韓族の国外離散は、割合からだけからいえば中国の華僑の国外離散よりも率が高い。
北米では寿司屋をはじめとする日本料理店も韓国人が開いているものが多い。アメリカでも韓国のロビー活動は日本よりも活発です。
韓国アイデンティティにこだわるため、エスニック・マイノリティーとして摩擦もよく起します。なお在外朝鮮・韓国人で一番日本に好意を持っているのは中国東北部の朝鮮族でしょう。これは漢族に対する反感の裏返しとして生じた感情です。

 また海外に住む中国系の人々の総数は三千万に近く、これはオランダとベルギーの人口を合わせたほどの数で総数としては多いが、しかしディアスポラ(民族離散)の割合としては中国の総人口比の二パーセント程度です。

アメリカで華僑や中国系アメリカ人のロビー活動は第一次世界大戦後から盛んとなりました。
 第二次大戦後は戦前と違って海外に預金口座を設ける日本人も出てきましたが、一族の何人かは外国に住まわせ、その一人は外国人と結婚させて、万一の際にはそれをたよりに海外で暮らそう、というような心づもりをして生きている人は、日本人にはまだほとんどいないでしょう。
しかし中国の特権階級や東南部の沿岸地域の富裕層はそういう準備を進めています。旅券も用意してあるでしょう。
読者の中にも、近所に新しく建った高級マンションが実は中国系の所有だという噂をお聞きの方もおられるはずです。
 一九一七年のロシア革命の後は白系ロシア人が日本にも亡命して来ましたが、中華人民共和国で「権貴階級」に反感を持つ民衆の間から大暴動が発生すれば、現在の共産党幹部の家族が「赤い貴族」として日本にも逃げてくるでしょう。

 

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書

P79
 佐藤 それと、国家の空洞化と並行して、ナショナリズムの新たな形態も生まれています。
とくにアメリカで大きな問題になるのは、遠隔地ナショナリズムです。アメリカが世界各地のトラブルの発生地になる可能性があります。
 現在、慰安婦が深刻な問題になっていますが、その追及の激しさを比べてみると、韓国国内よりもアメリカのほうが激しいのです。
 池上 アメリカでは、訴訟になって話題になったカリフォルニア州のグランデールほか各地に慰安婦像が建てられています。
 佐藤 それは、もはや韓国には帰らず、また韓国語よりも英語のほうがはるかに上手になり、子どもたちもアメリカ社会に同化させようと思っている在米韓国人たちがやっている運動です。
ふるさとの韓国で、その歴史について勉強したこともなかった韓国で、こんなことが行われていたんだ、と聞いて、自分たちの心の祖国を大事にしたいという、ナショナリズム論でいうところの「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」が働いている。ナショナリズム論のベネディクト・アンダーソンは、こう言っています。
「このナショナリズムは、生真面目なものではあるがしかし根本的に無責任であるような政治活動を生みだす。遠くの地から政治に割り込む人々は、活動の舞台としている国に税を支払うことはまずないし、その国の司法制度から責任を問われることはない。

P82
 佐藤 今回、ウクライナ情勢がこれだけ険悪化したことの背景にも、カナダのエドモントン周辺に住んでいるウクライナ人(約一二〇万人)の遠隔地ナショナリズムが関わっています。
~中略~
 こうなると、世界各地の地域紛争がアメリカから生じてくることになる。その第一号が慰安婦問題ではないか。ですから、慰安婦問題に関しては、日本がいくら韓国と交渉しても埒があかない。あめりか政府と交渉しても打開できません。在米韓国人ときちんと交渉しないと解決しないと思いますが、これが非常に難しいわけです。
 池上 彼らは、日本の歴代の首相が元慰安婦にお詫びの手紙を送ったことを知りません。「日本は謝罪を拒否している」と思い込んでいます。「日本は謝罪をしている」という事実を伝えることから始めるしかありません。「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とだけ言っていると、謝罪していないと誤解されてしまうのです。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本
土居ヶ浜遺跡 山口県

李朝による五百年の朝鮮人支配

  P149
日出(いづ)れば耕ヤシ日没スレバ憩(いこ)ウといったふうの上代以来の農耕生活が今も連綿としてつづいており、非人工の環境と自然の循環になずみきっている農民の貌(かお)には、いままで出遭ったどの農民も、資本主義的競争社会が生みだすあの険しさやいやしさがない。
 韓国の農村をそとからみて、これが資本主義社会の農村であるとはとてもおもえない。利潤を拡大するような努力―開墾をしたり換金性の高い作物を植えたり、電化によって生産性を高めたり―する風景は外側からみたかぎりではあまり接することがなく、さらには消費によって生産を刺激するといった風景も、せまい見聞の中では存在しなかった。
 韓国の農村は、悠然としている。李朝五百年が、まだつづいているという感じなのである。
 日本は大化ノ改新から奈良朝にかけ、中国式の律令体制(儒教的体制)をとり入れようとして四苦八苦したが、結局は看板だけになり、内実はまったく失敗した。~中略~
しかしながら、結局は日本の天皇は中国や朝鮮の王のように絶対専制権的な存在にはならずじまいで、歴史が進行してしまった。
 が、もし日本において律令的思想朝鮮の李朝五百年のごとく、ほぼ完璧にちかいかたちで実施され、それが明治までつづいていたとすれば、日本の農村もこの韓国の農村と同様、悠然たる停滞―もしくは詩的田園としての好ましい状態―をつづけていたであろう。
「それは暴虐なる日帝三十余年の支配によるものです」
 と、韓国の知識人は例によって千枚透(どお)しの錐のようにするどい怨恨的発想の政治論理でもって規定しきってしまうかもしれないが、日帝がいかに暴虐であろうとも―げんにそうだが―しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが三十余年であるにすぎない。
李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力の方がはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。

P151
韓国の農村を貧困といえるだろうか。
 その社会を測るために、貧富というあいまいな基準が二十世紀のある時期まで大いに用いられたが、いまは農村が荒れていないかというほうがより重要な基準であるように思われる。
その基準からいえば、日本の農村のほうがはるかに荒れている。

P156
 ついでながら、韓国の農家というのは家屋としての規模は日本の平均的農家よりずっと小さく、どの家もおなじ規格でできていて、一見、、日本の辻堂のような感じである。~中略~
しかしながら、李朝五百年というのは儒教体制という人間飼いならしの体制であるために、農村の家屋まで規格化したようにおもえる。「天が公有なるごとく地も公有である」という体制思想は、当然、公田を耕す農民の家屋に原則として大小をみとめない。
李朝体制というのは農民の競争本能をこうまでみごとに凍結させてしまったかということが、非個性的な朝鮮家屋にもよくあらわれている。それはそれで、みごとというほかない。


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: -


北海道 美幌

新羅

P82
「新羅」
 というこの妙なよみ方も、古来日本人が勝手にそう言いならわしてきたもので、その語源についてはいろいろおもしろい議論がある。が、いまはふれない。
 新羅国の歴史は、九百九十二年つづく。
 その始祖王といわれる王の存在が、紀元前一世紀、ヨーロッパではシーザー(カエサル)が活躍しているころだからじつにふるい。
 新羅は、高句麗、百済とともに併立して栄えたが、やがて他の二国をぬきん出るようになり、第二十九代武烈王のときに名宰相金庾信が出て百済の討滅をはかり、唐と連合してそれを実現した。
七世紀の半ば、日本の斉明・天智帝のときである。日本は百済を応援して、白村江において唐・新羅連合の水軍とたたかい、大いにやぶれた。おろかなことをした。
~中略~
 百済がほろんで、その亡命者が大量に日本にきた。日本は国家事業としてこれをうけ入れ、以後、かれらの力によって、飛鳥文化ができあがってゆく。
 その後新羅は二世紀半ほどつづいてほいろぶのだが、新羅がほろんだころには日本は平安期で、朝鮮半島文化にについての関心を失っていたから、たがいにほとんど無関心であった。
 話の年代をさかのぼらせる。新羅が百済をほろぼしたあとのことだが、妙なことに戦勝国であるはずの新羅からもどんどん人間が渡来してきて、飛鳥の日本の文化や生産に参加した。
 ―日本にゆけば優遇される。
 と、戦勝側の新羅人も考えたにちがいないが、かれらを動かして海に浮ばしめた直接の動機は政情不安やら内乱だったにちがいない。
朝鮮は半島国家であるだけにつねに政情不安がある。新羅は唐のたすけをかりたために唐の属領にちかいかたちになった。このため軋轢や政争というものが、日本への政治亡命者を間断なく出すはめになったように思える。
~中略~
日本の奈良朝以前の文化は、百済人と新羅人の力によるところが大きい。さらに土地開拓という点でも、大和の飛鳥や近江は百済人の力で開かれたといってよく、関東の開拓新羅人の存在を無視しては語れない。
百済・新羅から渡来したひとびとはたがいに敵国だったため、日本にきてからも仲がわるかったらしい。

P87
 さらに朝鮮史のおもしろさは(私が勝手に面白がっているのかもしれないが)この金庾信将軍は古代駕洛国の最初の王である金首露王のお子孫だという。
駕洛国については以前述べたように金海地方を主たる根拠地とし、別称として加羅、大伽耶、任那などという呼び名がある。
駕洛国は、新羅国と百済国のあいだで、サンドウィッチのハムのようにはさまっている小国で、古くから日本をたよりにしていた。
「駕洛国(任那)が日本国を頼りにしていたということは、状況として考えられない。日本側の「日本書紀」が勝手にいっていることである」
 という説が朝鮮側にあるが、大筋としては私も賛成である。
古代の日本列島には、外国に兵力を出せるほどの強大な統一国家がうまれていなかった。しかしながら駕洛国は古くから韓人とモトの日本人である「倭人」の雑居地であったことは、諸資料から推してまずまちがいない。
だから、―金海や釜山付近の連中は純粋の韓人というより倭人の血がよろ多くまじっているといってよい、

 という言いつたえが朝鮮側にある。 


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)

街道をゆく2

街道をゆく2

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版

 

北海道 上野ファーム

沙也可

P118
「慕夏堂記」(正確には慕夏堂文集)
 という朝鮮のふるい漢文がある。
 かつてそれを手に入れ、なんとなくながめているうちに、おどろくべきことが書かれていることを知った。
豊臣秀吉の朝鮮の役(朝鮮にあっては壬辰ノ倭乱)のとき、兵三千人をひきいる日本の武将が朝鮮側に降伏したというのである。
かれはのち武功をかさねて王寵をこうむり、武官ながら二品という大臣相当の官位にまでのぼり、土地をたまわってその族党や家臣が一村をなし、その子孫が無事泰平の世を楽しんでいるという意味のことが書かれているのである。
その漢文の文体は、
「余ハ即チ東夷(日本)ノ人ナリ」
という冒頭の文句からはじまっているところからみて、武将そのひとの手記の体(てい)をとっている。

P153
 やがて細流に達した。
 流れはやや涸れ気味で、大小の小石が白い背をみせている。道はその流れに沿ってわずかずつ登りになってゆき、やがて三方を山でかこまれた、日本の関東地方でいう「谷津」といった風景の入り口に達した。
「これはあれですね」
 と、私はミセス・イムに言いかけて、あとはのみこんだ。倭人がつくりあげた田園風景ですね、といいたかったのだが、言うことが物憂くなるほどに、この農村の風景は日本人くさい。
 その濃厚な特徴は、山がうまく利用されていることであった。
 むかしから朝鮮の特徴のひとつに禿山があげられる。事実としていっておかねばならないが、これは日本帝国主義が禿げさせたのではなく、日韓併合以前の文献にも出ている。
~中略~ 上古にも朝鮮の山々にはしげっていたにちがいなく、新羅の全盛期にはその王都の慶州の民家のほとんどが瓦ぶき(いまはかやぶき)であったという。それだけの瓦を生産するには豊富な薪が要るから山には樹があったであろう。
 その後、いつのほどからか冬季の燃料のために乱伐され、そのあと植林するされることがなかったにちがいない。
~中略~
 沙也可は壬辰倭乱(秀吉の朝鮮の役)がおわったあと、この友鹿洞にひきこもった。妻もめとった。~中略~ 彼の配下だった降倭たちの何人かがかれとともにここに住んだであろう。住むために山谷を開墾したにちがいない。
友鹿洞は、いまは七十戸。
 ことごとく金姓で、慕夏堂沙也可の子孫ということになっている。正しくは慶尚北道達城郡嘉昌面友鹿洞。
 その風景は他村とはちがい、山には樹があり、山の腰には竹藪をつくってこれを取り巻かせ、それらの高所の樹林から細流をながし、その水によって田畑をうるおす仕組みになっており、なにやらおかしいほどに倭人のやりかたである。

P157
 沙也可の子孫で構成されるこの友鹿洞(慕夏堂)の村は、全戸が「両班(やんばん)」なのである。
 両班は日本風に強いて翻訳すれば士族階級ということになるが、厳密には村落貴族とも考えられるし、ときには大官に付属する特権的家柄ということにもなり、いずれにしても常民階級や奴婢階級の上に立ち、李朝時代は言葉から生活規律まで常民とは違っていた。

P160
「 慕夏堂文集」
 には、そういう沙也可の功が強調されている。むろんその功は事実であったであろう。しかし「慕夏堂文集」そのものは沙也可六世の孫の金漢祚の偽作―事柄は事実であっても―だったにちがいなく、そのことはすでにふれた。

P169
 私はミセス・イムに、あの老人の名と齢をきいてもらえまいか、とたのんだ。
彼女は老人にじかにはきかず、他のものに聞いた。
金容熙(キム・イヨンヒ)先生、七十七歳です」
と、村の人は憚(はばか)るように、声をひそめていった。
老翁はひどく痩せていたが、丈はたかく、背筋もしゃんとしている。その相貌はいかにも漢学的教養がつくりあげたという感じで、威厳と快い軽みがあった。~中略~
 彼女は沙也可とか金忠善将軍とかいうような名前を出し、この村がかって日本武士の村であるというので、このイルボン・サラムたちはやってきたのだ、という意味のことをいった。
 それに対し、老翁ははじめて口をひらいた。低い声であった。
「それはまちがっている」
 と、老翁はゆったりとした朝鮮語でいうのである。それはというのは、そういう関心の持ち方は―という意味であった。
「こっちからも日本(むこう)へ行っているだろう。日本からもこっちへ来ている。べつに興味をもつべきではない」
と、にべもなくいったのである。
 ミセス・イムの通訳がおわると、私はのそのにべもなさが可笑しく、声をあげて笑ってしまった。

老翁がわれわれに語ったのは、それだけであった。言いおわると老翁は私の顔をみて、はじめて微笑した。 


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)

街道をゆく2

街道をゆく2

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版
北海道  風のガーデン

朝鮮の役

P93
「唐入り」
 と称して軍勢を渡海させ、朝鮮を攻め中国に入り、その首都に日本の首都を遷そうと妄想したこの時期の秀吉というのは、自己肥大が昂じてすでに精神病理学の対象である以外のなにものでもない。李朝の治下で平和に暮らしていた朝鮮人こそいい面の皮であった。
 ただ軍令だけはきびしくふれ出している。
「乱暴はいっさいしてはいけない。放火や人さらいをしてはいけない。地下人(庶民)に対して勝手な労働をさせてはいけない。右に違反した者は厳罰に処する」
 というもので、私が資料で知りうるかぎりではチョンジン(住人注;加藤清正)自身はそれをよく守ったようにおもわれる。

P94
 朝鮮でいう壬辰(じんしん)ノ役は、日本軍が二度来襲している。二度目は日本側では慶長ノ役というのだが、このころは諸大名この理由のない侵略戦争に倦(う)み、戦意がなかった。しかしながら最初の役よりも苦戦をしたのは相手に強大な明軍が加わっていたことであり、清正の有名な蔚山(うるさん)籠城戦もこのときである。
 明という中国の軍隊のことを、当時の朝鮮側の表現慣習として、
「天兵」
という。意味は天子の軍、官軍のことである。
その「天兵」が鴨緑江をわたって諸道をすすみ、所定の集結地に大会同したのは、慶長二(朝鮮の宣祖三十一年)年十二月十九日のことであった。所定の「集結地」というのが慶州である。
 このとき仏国寺はすでに焼け跡にすぎなかったか、それとも新羅時代のままの堂塔伽藍をなおとどめていたかどうか。私の力では調べがつかない。ただこの慶州の地が、明軍の総司令官である邢玠(けいかい)の大本営になっていたことだけはたしかである。
 ともあれ、慶州仏国寺は豊臣日本軍による名分皆無という侵略戦の中で焼けおちた。

P196
 秀吉の朝鮮ノ陣にはどういう名分もない。弁護の余地などすこしもないが、暴虐は暴虐を生むものらしく、朝鮮を援けるばくやってきた明軍もこの地で相当な乱暴をはたらいた。
明の大将は日本兵を斬獲したとして、そのあたりの朝鮮人の首を草のように刈り取って本国へ送り、功名の水ましをしたという。朝鮮史の悲惨さはこのあたりにも象徴されるであろう。

私がもし朝鮮にうまれれば外国人という外国人に対していっさい信を置けない気持ちをもつに相違なく、同時にこういう外因が内因をつくりだしてゆくという法則を適用すれば同国人をも、かれらが敵味方のいずれかに通じているかもしれないということで、つねに油断なく他の挙動を見張っておくという猜疑心を知恵としてもつにいたるにちがいない。 


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)

街道をゆく2

街道をゆく2

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版

 

北海道 ファーム富田

才は道具である

  要するに日本人は、
「儒教」
をさえ、自分の文明をつくるためのスキ・クワ同然の道具としてあつかってきたような気配があり、オランダ学もそうであった。これによって医学と兵学を中心とした西洋技術をとり入れる道具とした。

 ついでながら技術は技術として孤立したものではなく、技術を成立させているその背景や土壌つまりヨーロッパ人の思想、思考法、社会と生活の習慣ぐるみのものとして存在しているはずなのに、日本人の場合は技術のみをむりやりにひきはがしてとり入れようとし、人間までがオランダ人にはならない。
このふしぎなとり入れかたを自分で正当化しようとした言葉が、たとえば王朝時代に菅原道真がいった和魂漢才という言葉であり、明治の開化期和魂洋才ということであろう。
「才」
 とは、日本にあってはあくまでも右の意味での道具であった。

花神〈上〉
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P405  

花神(上) (新潮文庫)

花神(上) (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1976/09/01
  • メディア: 文庫

 

萩城趾 山口県

2025年6月5日木曜日

自然科学と宗教

P47
「心の分析」に力を注いだ釈迦の仏教だが、その分析のための手段は、「精神集中によってとぎすました自分の心」だけであった。
つまり、自分の心を使って、自分の心を見る、それ以外に方法はなかったのである。~中略~
おそらくこれからは、精神集中という、きわめてアナログな方法で仏教が推し進めてきた「心の構造解明」を脳科学の先端手法がバックアップする時代が来る。一五〇〇年間停滞していた仏教が、脳科学との連携によって再び動き出すのである。
物質と精神、その両面を、科学と仏教の連携プレーで読み解き、その結果を、最終的には我々自身の人生の拠り所とする、そういう総合的な視点が実現する時代が到来するかもしれないのである。
佐々木 閑

P163
釈迦は、時間にはじまりがあるか、宇宙の外側はどうなっているのか、人間は死んだらどこへ行くのか、などと尋ねられても、返事をしなかったそうである。
この釈迦の沈黙は、彼の死の数百年後に登場した大乗仏教の維摩の沈黙にも継承されている。
~中略~
ここでは、少なくとも仏教という宗教と科学は重なっているようである。

 この、解明できない現象、すなわち語り得ぬものに対しては沈黙すべきだという自然科学の態度は、20世紀前半に活躍した哲学者ルートヴィッヒ・ヴィントゲンシュタインも「論理哲学論考」の最後のところで述べている。
哲学も自然科学も論理土台上でしか議論することができないが、その外側に、論理でつかまえることができない広大な領域があることを認めるという態度が必要なのである。
斎藤 成也

P172
われわれ人間が駆使できる論理体系を用いて、とことんまで自然科学現象を解明しようというのが、自然科学のやり方である。そこには常に限界がある。
 その限界に到達したとき、自然科学者はぐっと踏みとどまり、沈黙を守る。安易に創造神を想像したり、それに頼ったりしない。そこが大部分の宗教者とは異なる点だろう。
結論として言えば、私の意見では、自然科学は宗教とはほとんど重ならないのである。
少しでも重なるところがあるとしたら、宗教というレッテルを貼られたものが実は宗教ではない、立派な自然科学であるのか、あるいは自然科学というレッテルを貼られた活動が、実は疑似科学だったということになるだろう。
斎藤 成也

P188
そういった人たち(住人注;全く役に立ちそうもない、単に知的好奇心の対象にしかならないような問題に人生を賭ける、純粋な探求者としての科学者)は、日常の雑務や、生活のための仕事を軽視し、自分が選んだ研究に没頭する。
それは世間の経済活動とは無縁な、「我が道を行く」生き方だから、社会からは何の報酬ももらえない。
したがって彼らは、原則的には、「何も生きてゆく術を持たない状態で、自己の目的を目指して日々努力を続ける存在」ということになる。
そしてそういう生き方が、仏教の修行者と同一線上にあることは明らかである。 ここに、実生活の面における、仏教と科学の共通性が現れてくるのである。
~中略~
世間からの布施が、科学者の生活を支え、科学という活動を維持していうのである。
佐々木 閑

生物学者と仏教学者 七つの対論
斎藤 成也 (著), 佐々木 閑 (著)
ウェッジ (2009/11)

生物学者と仏教学者 七つの対論 (ウェッジ選書)

生物学者と仏教学者 七つの対論 (ウェッジ選書)

  • 出版社/メーカー: ウェッジ
  • 発売日: 2009/11/01
  • メディア: 単行本

 二〇一一年十月中旬に開かれた日本地震学会の特別シンポジウムは、自己批判の嵐だった。
「こんな考え方もある、という話がいつの間にか科学的事実になっていた」「研究費をもらうために、防災に役立つと強調してきた」。そんな反省の弁が聞かれた。
一方で、「地球活動のダイナミズムを知ることが研究の本質であり、社会に貢献しようなんていう考えがおかしい」という意見もあったという。
~中略~
 地震学者たちは、自らの知的好奇心を満たすだけでなく、社会貢献も大切と考えてきた。すばらしいことだ。世間は彼らに期待し、その意向を受けた政府はかなりの税金を研究費として配分してきた。誰もが幸せになれる、はずだった。
 だが、現在の地震学が持つあいまいさ、不確かさが、そのプロセスの中でいつしか忘れられていった。

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社 (2012/12/21)
P223

 

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

  • 作者: 元村有希子
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/12/20
  • メディア: 単行本

徳島県 四国遍路 12番焼山寺

信頼関係

信、上下( しょうか )に孚( ふ )すれば、天下甚だ処し難き事無し。

               「 言志録 」第一五〇条


               佐藤 一斎 著

               岬龍 一郎 編訳

               現代語抄訳 言志四録

               PHP研究所(2005/5/26)

               P67

 

上下の人に信用があれば、出来ないことは無くなる

[現代語抄訳]言志四録

[現代語抄訳]言志四録

  • 作者: 佐藤 一斎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


信頼は日々の積み重ねによって生まれる。
相手の言い分に耳を傾け、自分の意見もしっかりと言う。
嘘をつかず、難局からも逃げない。そういう人が「頼りになる親方」となる。

若松 義人 (著)
なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか
PHP研究所 (2005/12)
P157

なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか (PHP新書)

なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか (PHP新書)

  • 作者: 若松 義人
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/12/01
  • メディア: 新書



 

P170
 社会の信頼関係は、基本的に二つの柱をもつ。一つは、共通の権威であり、もう一つは共有された過去である。
共通の権威は、政治的なものであったり宗教的なものであったり、場合によってはもっと哲学的なものであったりするだろう。 ~中略~
信頼というものは、多かれ少なからエモーショナルなものを含んだ紐帯の感情とつながっていることを考えれば、このこともまた当然であろう。
~中略~
 ついでに言えば、個人主義の確立とよく言われるが、個人などというものは、まさに共有された権威と経験という確かなコミュニティがなければ成立しないのではなかろうか。
確かな個人は、もっともベーシックなところで、相互の、あるいは社会に対する信頼によって支えられている。

P172
 民主主義がうまくいくには、まず、相互の信頼がなければならない。逆に言えば、相互の不信感と自己利益の追求を、自動的に調整できるようなメカニズムを、民主主義はもってなどいないのである。

現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか
佐伯 啓思 (著)
日本放送出版協会 (1997/01)


現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

  • 作者: 佐伯 啓思
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1997/01/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 信頼される人になるためには、どのような行動基準が求められるのか。
 一 相手の立場になって物を考える
 一 約束をきちんと守る
 一 いうことと行うことを一致させる
 一 結果をこまめに連絡する
 一 相手のミスを積極的にカバーする
 この五カ条はわかりきったことかもしれない。しかしわかりきったことが、なかなか行なえないのである。特に最後の一条、相手のミスをカバーすることは、信頼を超えて尊敬を産みだす。

経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P27

経営の行動指針―土光語録

経営の行動指針―土光語録

  • 作者: 土光 敏夫
  • 出版社/メーカー: 産能大出版部
  • 発売日: 2009/10/15
  • メディア: 単行本


上高地 長野県

2025年6月4日水曜日

専門家の社会的責任

 科学者・技術者の役割は、安全を保証したり、役に立つと強調したりすることではなく、科学・技術の限界を語り、それを超えれば科学・技術は災厄となりうることを常に語る習慣を身につけることである。

科学・技術の所産は二面性があり、人類の利得にも災厄にもなる。利得ばかり語る科学者・技術者は失格なのである。

専門家の社会的責任
  池内 了 (名古屋大学名誉教授)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P56

世界 2011年 06月号 [雑誌]

世界 2011年 06月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/07
  • メディア: 雑誌


P209
 「ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。漁民が漁業をする権利や、他の手段によって生活をする可能性をつぶしてしまう」
「巨大権力集中型のエネルギー社会システムを否応なしに生み出していく。人間と自然の関係も一方的になり、人間がなんの権利もないのに、動物や植物に対して絶大な危害をおよぼしていく」

「人間と他の生物が共有すべき二一世紀にむかっては、そういう人間の側の一方的な押しつけになる技術を減らしていくのが、われわれのなすべきことはないか」
(原子力資料情報室を創設した高木仁三郎氏の遺著、小説「鳥たちの舞うとき」工作舎)。

メディア批評 第41回
  神保太郎

鳥たちの舞うとき

鳥たちの舞うとき

  • 作者: 仁三郎, 高木
  • 出版社/メーカー: 工作舎
  • 発売日: 2000/11/20
  • メディア: 単行本


 しかし、原子力がかっての輝きを失い、さまざまな深刻な問題が見えてくるなかで、原子力を学ぼうととする学生は減りつづけていきます。七帝大からも原子力原子力工学科、原子核工学科は、すべて消えてしまいました。原子力を専攻する学生がいなくなってしまっています。これは非常に危機的だと思います。
~中略~

また、四〇年以上も原子力発電を続けてきたために、膨大な量の放射性廃棄物がすでに残されています。さらに、原子力発電所自体が廃炉になっていきます。
それらを安全に処理していかなければいけません。そのためには、必ず専門的な知識をもった人が必要なのです。後始末のために学問をやるということに希望はないかもしれません。しかし、どうしても必要なのです。

ブラックアウトは何故起きたか
  小出裕章 (京都大学原子炉実験所)

世界 2011年 06月号

岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)
P59

 

世界 2011年 06月号 [雑誌]

世界 2011年 06月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/07
  • メディア: 雑誌


 職業や専門職を意味する「プロフェッション(Profession)」という英語は、ラテン語で「公に確言した」を意味するプロフェッスス(Professus)からきている。
専門職は、ずっと昔に宗教の中で生まれ、やがて医療や法の世界に広がった。

秘密の知識を身につけた者は、その知識の実行を独占する権利を得るだけでなく、自分の力を賢く正直に使う義務を負ったとされる。
宣誓は―口頭であれ書面であれ―知識の使い手がみずからの行動を規制するための心覚えであり、専門職の義務を果たすさいに従うべき規則を示すものでもあった。

 こうした宣誓は長いあいだつづけられたが、一〇六〇年代に、専門職の規制緩和を求める大きな運動が起こった。専門職はエリート組織であり、日中の光にさらけだすべきだと非難された。
これは法律の専門職にとって、平易な英文で書かれた摘要書が増え、法廷にカメラがはいり、宣伝活動が必要になることを意味した。

医療や銀行業をはじめとするそのほかの専門職にも、同じようなエリート主義対策がとられた。
大半は有益だったが、専門職が解体されて失われたものもある。
厳格な専門意識は、柔軟で個人的な判断、商業の原則、富への欲求に取ってかわられ、それとおもに、専門職が基盤としてきた倫理や価値観の基準が消えてしまった。 

予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P365

 

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/10/22
  • メディア: ペーパーバック


プロの研究者に求められる態度とは
 現状で科学者としての立場で意見を述べるのであれば、「科学的な水準の研究論文がほとんどないので、関係についてあるのかないのかはっきりしたことはいえない」というのが誠実、ということになります。

つまり、ABO式血液型と性格の関係については、「科学的な根拠はほとんどないですよ」というと同時に「明確に否定する科学的な根拠もほとんどないですよ」ともいわなければいけないのです。

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
宮川 剛 (著)
NHK出版 (2011/2/8)
P166

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

  • 作者: 宮川 剛
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/02/08
  • メディア: 新書


マネジメントの立場にあるものはすべて、リーダー的地位にあるグループの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。すなわち責任の倫理を要求される。
 プロフェッショナルの責任は、すでに二五〇〇年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきり表現されている。
「知りながら害をなすな」である。
 プロたるものは、医者、弁護士、マネージャーのいずれであろうと、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。
しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となるものが、プロたるものは知りながら害をなすことはないと信じなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)
PP113

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2001/12/14
  • メディア: 単行本


P131
 専門家は特定のリスクだけを深く分析するという特権を(あるいは義務を)享受している.
そうでない一般の人びとは,日常生活で多様なリスクに遭遇し,立ちはだかるすべてのリスクに(できれば専門家なみに)対処しなければならない.
~中略~
 一般人は専門家のような知識はもたないし,またその必要もない.現実の問題に対して有効な決定を下すのに十分な知識があればそれでよいのである.
専門家と同様に,どのリスクから対処するかを判断するため,リスクの大きさがわかればよいし,また,そのリスクに対して何ができるのか(できないのか)を理解するため,リスクの発生原因がわかればよい.
しかし,そのような知識がない場合,一般の人びとは専門家の主張を鵜呑みにしたり,あるいは専門家の見解の不一致のため(たとえば,原子力発電や遺伝子組換え作物,電磁波の人体への影響についてそうであるように)混乱の中におき去りにされてしまうのである.

リスク 不確実性の中での意思決定
Baruch Fischhoff (著), John Kadvany (著),中谷内 一也 (翻訳)
丸善出版 (2015/4/26)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2015/04/26
  • メディア: 新書




 ぼくに限らず、ほとんどの科学者はものすごくクローズドな世界にいて、極端にいえば学者仲間とのコミュニケーションだけで仕事が回っていきます。
専門家に向けて専門用語を使って論文を書き、それを同分野の専門家に査読してもらって批判を受ける。
企業や国から研究費を得るときは、やっぱり専門家に審査してもらって「これはいいアイディアだからお金を出してあげたらいいでしょう」と評価してもらう。
つまり、ぼくらのコミュニケーション能力がもっとも発揮されるのは、専門家を説得する時なんです。
一般の人たちにアプローチするのは、せいぜいプレスリリースを出す時ぐらいだから、基本的には、専門知識のない人と対峙するということがほとんどありませんでした。
あとがき
早野 龍五

知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P170

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/27
  • メディア: 文庫