2025年6月24日火曜日

情報社会

 情報社会においては、情報があふれているがゆえに直観がますます重要になる。
未来学者 ジョン・ネスピッツ

ヤンミ・ムン (著), 北川 知子 (翻訳)
ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業
ダイヤモンド社 (2010/8/27)
P175 

ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業

ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2010/08/27
  • メディア: 単行本

 

個人の生活でも社会的な変化を読み取るためには、常に新しい知識の吸収につとめていなければなりません。
これが情報化時代の特徴です。

地政学入門―外交戦略の政治学
曽村 保信 (著)
中央公論社 (1984/01)
P8

 
地政学入門 改版 - 外交戦略の政治学 (中公新書)

地政学入門 改版 - 外交戦略の政治学 (中公新書)

  • 作者: 曽村 保信
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/07/19
  • メディア: 新書

 

 

  分かりやすくいえば、「釣り情報」は「過去に釣れた情報」であり、決して「今から釣れる情報」ではないという事実です。~中略~
 これらの現象は常に魚の動向を観察していれば当たり前のことです。
 季節の変化や水温の変化と共に、海岸線で釣れる魚種は入れ替わり入ってきますが、無限に群れが入ってくるわけではありません。

アジング・メバリングがある日突然上手くなる
LEON加来 匠 (著)
つり人社 (2011/06)
P120

 
アジング・メバリングがある日突然上手くなる (釣力UP!壁を破る超常識シリーズ)

アジング・メバリングがある日突然上手くなる (釣力UP!壁を破る超常識シリーズ)

  • 作者: LEON加来 匠
  • 出版社/メーカー: つり人社
  • 発売日: 2011/06/01
  • メディア: 単行本

皇統の一系

  「我が国に世界無比の幸福がある、皇統の一系がこれである。
加えておくれて開く、これまた幸いである。他日大いに成る事があろう。
 ただ君徳を輔翼(ほよく)し奉り条理のあるところに任ずれば、開明無比の域に達せんことは、あえて疑いを容(い)れない」

横井小楠―維新の青写真を描いた男
徳永 洋 (著)
新潮社 (2005/01)
P150

横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書)

横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書)

  • 作者: 徳永 洋
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/01/01
  • メディア: 新書


ユダヤ人には、出生による特別な人間(いわば神の子なるもの)が存在するとは絶対に考えられなかった。処女降誕なき民である。
~中略~

 一方、それではなぜ日本人に処女降誕がないのか。理由はおそらくユダヤ人とはちがうであろう。
この、神話時代から連綿とつづいた万世一系の国では、一つには氏素姓が何よりも大切であったことと、もう一つには性と生殖に関する考え方が、牧畜民とは全然ちがっていたためであろう。われわれが何よりも興味深く感ずるのは、ただに政治・経済だけでなく、芸術・技芸・宗教に至るまで現在もなお一種の相伝であることである。
家元制度というのは非常に面白いが、ユダヤ人の目から見れば、日本のすべての機構は家元制度である。
~中略~

いわばイスラエルでは、神の召命ということで、その人間の系図や出生と関係なく一つのことが始まるがゆえに処女降誕はありえないし、一方日本では全くこの逆で、すべては系統をたどって相伝されるがゆえに処女降誕の余地がないといえる。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)
P180

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

  • 作者: イザヤ・ベンダサン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1971/09/30
  • メディア: 文庫


詩人のエルンスト・モーリッツ・アルントは、一九世紀の始め頃に、「たまたま地理的にみて一国の自然な限界が、同一の民族と同一の言語とによって満たされた場合、その国家はあらゆる神々に感謝を捧げるべきである。 ここに市民的な幸福と同時に、人間的な発展への胚芽があるからだ」と言った。
 しかし日本人にとってはなんでもない当たり前のことが、ドイツ人にとっては、ほとんど無い物ねだりに近く聞こえる。
~中略~
ドイツ民族の全歴史を書こうとすると、いきおい現在は外国の領土となっている所の歴史を書かなければならない羽目になる。

地政学入門―外交戦略の政治学
曽村 保信 (著)
中央公論社 (1984/01)
P94

地政学入門―外交戦略の政治学 (中公新書 (721))

地政学入門―外交戦略の政治学 (中公新書 (721))

  • 作者: 曽村 保信
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1984/03/22
  • メディア: 新書


外宮 三重県

2025年6月23日月曜日

つながりの喪失

P7
 言うまでもなく、私は周りの世界につながっているためには、見たもの、聞いたこと、喋ったことを記憶しており、ここが何処で、いまは何時なのかなど見当がついていなければなりません。
このつながりの喪失が、認知症の人に「不安」という根源的情動を抱かせることになります。怒りや妄想などは、存在を脅かすその不安が形を変えたもののように見えます。

P8
しかし今の日本では、記憶力は良くとも世界とつながることに失敗している若者が「ひきこもり」として増えているように見えます。
わたしは、その原因は日本人が代々受け継いできた「つながりの生存戦略」を放棄したことに関係していると思います。なぜなら、現在子どもたちは競争の場に置かれ、自立した人間になれと言われますが、そこには、一見するよりもはるかに深刻な心理的ダイナミズムが働いているからです。
それは、私(自己)が他者とつながって存在するのか、それともアトムのようにバラバラな存在としてあるのか、という深層心理での認識の修正を迫られることなのです。自分では意識できないその混乱の中で、子どもは行き場を見失い、世界とのつながりをも失うように見えます。

P126
 記憶力低下による新しい情報というつながりの不在、月日や場所の見当を失うことからくる、時間と所在とのつながりの喪失は、「私」の存在感覚を支えている「基本的つながり感」が失われることを意味します。
多彩な周辺症状―夜間せん妄、妄想、幻覚、徘徊、攻撃的性格変化など―を現しているお年寄りと接して、例外なく認められるのは、この不安という情動でした。

P126
五分おきに同じことをたずねる老女に、最初は答えていた息子がついに堪忍袋の緒を切って、「お母さん、さっきから何回同じことを聞くの!忙しいんだから、いい加減にしてよ!」。
 五分前のことを記憶していないから質問するわけですが、それ自体が、彼女の内的世界を不安という情動が支配しているのを示しています。
しかし息子の怒りに遭い、不安はさらにつのり、混沌へと発達する。なぜ息子が怒るのか、理由が判らないこともあるでしょう。
こういうやりとりが度重なると、不安な情動だけは残りますから、外部の情報を求め、環境とつながりをつくる努力そのものを断念してしまうのです。
 しかし、不安という苦痛な状態に長く耐えつづけるのは困難です。外界とのつながりを断念した人が、過去の記憶の世界につながりを求めようとするのは、自然な心理作用であると思います。
「痴呆病棟」のナースが見出したように、老人たちが過去の楽しい時期を思い出していたりするのは説明がつきます。
 老人が不安そうにしているのを観察する機会は、「夕暮れ症候群」が現れるときです。
夕刻、老母は落ち着きをなくし、家に帰ると言いだす。半世紀も住んでいる自分の家からどこの家に行こうとしているのか介護者はいぶかりますが、どうも「家」とは彼女が生まれ育った田舎の家らしい。
「今日はもう暗くて寒いから、明日の朝一緒に行きましょう」などというと落ち着きます。しかし彼女が落ち着く理由は、介護者のことばによって、もう一つのつながりを得たためと思われます。
 そればかりではありません。石井殻氏や阿保順子氏が観察した仮想現実世界の現象にも、類似した心的プロセスがあることを思わせます。
「私」は、現在の情報にせよ、過去の記憶にせよ、なにかに「つながっている」必要があるようです。

 

P199
「つながりの自己」はアジア、アフリカ、南米などの大部分で見出されますが、日本人には、伝統的に強い「つながりの自己」的感覚があるのです。
 日本という風土・文化で「つながりの自己」的心性がどう形成されてきたか。結論からいいますと、その形成要因として稲作を行う共同体意識の保持と、完全な閉鎖系で巧みに循環型文明を展開させてきたことがあります。そして「ひきこもり」は、こうした日本的心性の典型でもあるようです。
 優しい、真面目、おとなしい、几帳面、正直、内気、神経質など「ひきこもり」の性格的特徴は、国際社会で日本人から普通に受ける印象とも一致します。
カウンセラーたちが見るように、彼らは日本人の代表的性格特性を持つにもかかわらず、繊細過ぎて、今の社会につながるのが難しいのです。
彼らに共通する性格は、「つながりの自己」に性格的特徴でもあり、伝統的日本社会では肯定的に受け入れられてきたものいです。
~中略~
 高塚雄介氏は、「ひきこもり」を自律に失敗した場合の自己防衛的反応として捉え、わたしも基本的に賛成しますが、「ひきこもり」のは、他者とつながろつという深層意識レベルでのダイナミズム(あるいは希求)が、特に強く働いているようであり、それが妨げられると本人は周囲が驚くほどの怒りや苛立ち、悲しみなどの情動を経験します。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

  • 作者: 大井 玄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/01/15
  • メディア: 新書

 

 無縁社会という言葉がマスコミをにぎわしているが、人間関係は草木と同じ。種をまかなければ芽生えないし、芽生えた後も、水や肥料をやるなど、メンテナンスしなければ成長しない。
それも自分でやらなければいけない。誰かが声をかけてくれるだろうと放っておけば、無縁社会が進むのは当然の結果ではないだろうか。
~中略~
「親戚以上」とまでは言わないが、何かあったときには気軽に助け、助けられる関係になっていたい。

 

精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P105

 

精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術 (だいわ文庫)

精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術 (だいわ文庫)

  • 作者: 保坂 隆
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2011/06/10
  • メディア: 文庫

長野県 安楽寺

心を通わす

P56
「先生は認知症の老人とどう心を通わせているのですか」と、研修医に質問されたことがあります。わたしはある精神病院へ短期実習生としてくる彼らに、痴呆状態にある人とのコミュニケーションのとり方を手ほどきしています。
彼らの出来は不揃いですが、「心を通わす」という表現をした研修医は筋がいいと思いました。話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である、と私は思っているからです。
 では、その老人とどういうコミュニケーションを図るのが「心を通わす」ことになるのでしょうか。認知症は記憶を中心とした認知能力の低下にはじまり、コトバを理解し、自分の考えをコトバで表現する能力が次第に衰えていき、最後は、コトバ自体が失われてしまうのが自然な経過です。その中ではコトバによる彼らのコミュニケーション、理解、表現という働きも、常識的にみると変容していくように見えます。

P59
 グループホームの居間で、幾人かの女性が和気あいあいと談笑しています。アルツハイマー型の認知症と診断された方々で、どうも会話の内容がバラバラです。
「主人なんてやっかいなまんです。でもいないと困るし・・・・・」
「そうそう、うちの息子が公認会計士になりましたんで忙しくてね」
「あら、いいじゃないとっても、浴衣を着ればステキに見えるよ」
「○○さん辛かったろうに。いつも△△さんって言ってましたよ」
  話は快調に進んでいるようでも論理のつながりはなく、相手の話を理解するより、子どもたちがゲームをしながら勝手におしゃべりをしているみたいです。
 認知症のケアにあたる人の間でよく知られた「偽会話」、つまり[会話」であっても情報共有という働きが失われたコミュニケーション形態ですが、「共に楽しむ」という情動レベルでは、コミュニケーションはりっぱに成立しています。
偽会話の成立は、彼女たちが喋られた内容を論理として理解できないし、また直ぐに忘れてしまうことを考慮すれば了解できます。
 しかし、楽しい情動を共有するという経験を重ねると、理屈を超えた親しい関係が成立します。
~中略~
 こういう事例は全国の施設で観察されており、コミュニケーション成立の働きが、心の深奥の情動領域において営まれること物語っています。

P68
 痴呆状態にある人と「心を通わす」とは、記憶、見当識など認知能力の低下によって彼らに生ずる「不安を中核とした情動」を推察し、それをなだめ、心おだやかな、できれば楽しい気分を共有することです。

そのためには細かい行動学的観察に基づく個別化された接近方法が必要ですが、しかしまず、自分は彼らと連続した存在であり、彼らは、実は「私」であるということを確信しなくてはなりません。 

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)

  • 作者: 大井 玄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/01/15
  • メディア: 新書

 

長野県 安楽寺

敬意を払って

P72
 ベッドに横臥(おうが)している人に対して、上から見下ろすような接し方ではコミュニケーションはとれません。顔を相手の頭に近づけ、耳もとに語りかけるような気持ちで、ゆっくり、おだやかな口調で名乗り、具合をたずねます。
難聴の人が多いこともありますが、耳が遠くない人では声をひそめて囁いたほうが通じやすいことがあります。その際、常ににこやかにそしてゆっくりした態度であるべきです。
 研修医には、まったく言葉も風習も知らない異国の人と接する場合、どのように意思疎通を図ったらよいかを考えさせます。しかも、そこの人々はかつて侵略された経験があり、見知らぬ人に対して不安と警戒心を抱いていると仮定させる。
とすれば、言語的コミュニケーションの比重は小さく、穏やかな態度と笑顔でこちらに害意がないことを知ってもらうしかありません。
 老人に質問するときは、「夜はよくお休みになりましたか」「痛いところはございませんか」など、原則として「はい」「いいえ」で答えられるような事項からから始める。
そして患者さんとの初めての接触では、日本語の敬語体系の利点を十分活用します。敬語を用いるのは、日本の言語文化において生きていた、そして現在は認知能力低下によって不安を感じている人に対して、自然な治療的効果があるように思います。

P78
 研修医が痴呆状態にある人の「世界」を推察するには、認知症がどこまで進行しているかを知らなくてはなりません。
知力低下が進むほど、その人の「人格」は若い時分に戻っていき、当然、その世界も複雑な構成から幼児期を思わせる単純なものへ遡っていきます。~中略~
 長期入所が可能な施設では、入所者の経歴に応じて多様な「世界」の存在が窺われると同時に、その「世界」をこころの拠りどころとして、周囲に適応していくことが判ります。
~中略~
このような観察例からは、いずれも、人間が人格的まとまりを保ちながら生きるために、「自信」「誇り」「自尊心」といった、現在の「自我」を支える心理作用あるいは「自我防御規制」が働いているのが窺われます。それは通常は意識されない深層心理に属する働きであると解釈することもできましょう。

したがって研修医には、認知症の人に接する場合は、最大限の敬意を払って近づくのが、もっとも「自然」で、実際的な態度であることを繰り返し話すのです。 

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)

  • 作者: 大井 玄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/01/15
  • メディア: 新書

 

長野県 安楽寺

認知症の最初期の人への対応

家族によっては、失敗したお年寄りに向かって「また忘れたの?」「ぼけたんじゃない?」などと言う人もいますが、これは禁句です。
そうでなくても「何か変」な自分に不安を抱いているのですから、追いつめてはいけません。
 むしろ基本は静かに見守りつつ、もし声をかけるなら、傷つかないように、否定しないように注意しながら、「こちらのほうがいいのでは?」と別の選択肢を示してはどうでしょう。あるいは、本人の気持ちの状態に応じて、フォローする程度にとどめたほうがいいと思います。
 もうひとつ、認知症の最初期に特有の問題として、本人に認知症である(あるいはその疑いがある)ということを伝えるか否かという、「告知」の問題があります。言わなければ前へ進めない、だが伝えることで相手を傷つけるのはためらわれる―介護者はこのようなジレンマに陥りがちです。
~中略~
 認知症と言っても、いきなり何もかも忘れてしまうわけではありませんし、先に書いたとおり、原因疾患によっては物忘れが比較的軽い認知症もあります。「何か変だ」と不安を感じている人にとって、やたらと告知するのは危険をともないかねません。病名を伝えるかどうかよりも、その人の不安感・恐怖感に寄り添って見守ることを、第一に考えた方がいいのではないでしょうか。

P147
 ほかに、認知症の人は行動にも特徴が出やすいので、介護者は注意して見てください。たとえば、認知症の初期の人は人前ではしっかりしていて見分けがつかないとよく言われますが、私の経験では30分もたつとそわそわし始め、畳を触ったり、座布団の端をいじったりと、落ち着かなくなることが多いように思います。  いわば長時間”いい子”状態でいるのに耐えられなくなるのでしょう。

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ
右馬埜 節子 (著)
講談社 (2016/3/23)
P81

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

  • 作者: 右馬埜 節子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/03/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 記憶障害が現れ、今までできてきたことができなくなってしまった認知症の人に、つい「しっかりしてよ」「それは違うでしょ」「どうしてできないの」と言いたくなるのは当然です。
「がんばって」と励ますつもりで、もとの状態に戻ってほしいという願いがあって、つい口調がきつくなってしまう。認知症介護の現場で起こりがちなケースです。
 しかし、そうした「つい」は、ひとつ間違えると、認知症の本人に「叱られている」「バカにされている」と受け取られてしまいます。そしてそのストレスがネガティブな感情を引き起こし、妄想や暴力、暴言といった周辺症状の表出につながる恐れもあります。
 認知症が進むと理解力や判断力は次第に低下していきますが、「楽しい」とか「嬉しい」、「怖い」、とか「悲しい」といったそのときに覚えた快・不快の感情は変わらず、その記憶も長く残っていきます。
 つまり怒鳴られたり、怒られたり、否定されたり、無理に説得されたりすると、「何を言われたか」「何と言って怒られたか」は覚えていなくても、「この人は怖い」「あの人は私を嫌なヤツだと思っている」といった感情は覚えているのです。
 反対に、やさしく親切に接してくれる人のことは「良い人」「私のことを守ってくれるやさしい人」と感じて、その感情を忘れることはありません。たとえ、その「やさしい人」が自分の娘であることを忘れてしまったとしても。
 さらに記憶力や認知能力は低下しても、本人の自尊心は変わりません。人としての尊厳は決して失われません。

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護
板東 邦秋 (著)
ワニブックス (2017/1/24)
P97

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

  • 作者: 板東 邦秋
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2017/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 高齢者が「あれよ、あれ。ほら、ベランダにあるパンジーに差してある・・・・、なんだっけ? えっと」と言いつつ、「植物用液体肥料」がほしいとなっている。
このように明確に何かはわかっているけれども名前が分からない時は、単なる物忘れですので、あまり気にしなくてもいいです。年齢にかかわらずよくあるからです。
 一方で、高齢者が「あれって言ったらあれのこと。しつこく聞かないで!」と怒ってしまうことがあります。この場合は問題です。認知症の前兆かもしれないからです。3)
 なお、怒ってしまうのは、自分でも「あれ」が何だかわからなくなっており、そのことを指摘されるのが嫌だからです。
「せっかく聞いているのに、怒るなんてひどい人だ!」と思ってしまいますが、防衛反応として怒っているのです。誰でも自分がいろいろ忘れてしまっているというのは、受け入れたくないものです。
だから他人と会話する上で、一見成立するかのような取り繕いをします。よくあることで、「取り繕い反応」や「場合わせ反応」という名前までついています。4)
 決して高齢者は、「わからないから、ごまかしてやろう」というように意図的にやっているわけではないのです。無意識に取り繕ってしまうのです。「あれ」「これ」が増えて、空虚な会話が続くこともあります。外来の現場でもよくあることです。

老人の取扱説明書
平松 類 (著)
SBクリエイティブ (2017/9/6)
P98

老人の取扱説明書 (SB新書)

老人の取扱説明書 (SB新書)

  • 作者: 平松 類
  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2017/09/05
  • メディア: Kindle版

兵庫県 圓教寺

2025年6月21日土曜日

価格の向こう側

P4
   モノの価格とは不思議なものだ。その高さを自慢する場合もあれば、いかに安く買ったかを競うこともある。まさに評価はその時と場合による。

~中略~
「お客様のために」を旗印に、価格競争を競う流通。その裏で、命の糧を生産する一次産業に後継者がいない最大の理由は、食べ物を作る人が食えない状況にあるからだ。「外国と仲良くしておけば、いつでも買えるさ。」という考え方もあるが、将来日本に米を作り、魚を捕る能力、すなわち「自給力」がある人々がいなくなれば、農地はただの地面であり、海はしょっぱい水にすぎない。国力は衰え、量の安心・安全は確実に揺らぐ。

P10
上肉が高くなれば、量を減らしたり、並肉に変えて調理を工夫した。それが節約の技だった。変わって今は、加工食品を中心とするパック買いの時代。チェックするのは単価だけ。値上がりを吸収するため、中身が低質化、少量化しても気づけない。「安いものを見つけて賢く食費を削ったつもりが、口に入れるものは知らぬ間に”貧しく”なっていた・・・。今の食卓では、そんなことが起こり得ます。

P11
「そうした「減らせないもの」の出費(住人注;家族レジャー、洋服、自分や子どもの習い事、通信費、インテリア,etc.)に押されて、食費は底値買いで削られていく」(岩村)
今、そんな「家計の都合」を背景に、生鮮食品までが、まるで家電製品かのような激しい底値競争に巻き込まれている。
「その構図が、正直な生産者やメーカーを追い詰め、ますます偽装を生みやすくするんじゃないかしら」
現代家族の食卓から見える「日本の行く末」を岩村は危惧する
岩村洋子;広告会社「アサツーディ・ケイ」(東京)200Xファミリーデザイン室 室長

P13
「豆腐に占める豆代は売値の10~15%」(ある大手メーカー)といわれる業界で激安豆腐が成り立つのは安い輸入大豆を使うからか、大量生産や機械化によるコスト削減か、あるいは安い豆腐を客寄せにして、他の商品で儲ける作戦かー。
「豆腐自体を増やすやり方もあるとです」。荒木は言う。
それは豆腐を固めるとき、にがりよりも凝固力の強い硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤を使うやり方。薄い豆乳でも固まるから、同じ大豆の量で大奥の豆腐が出来る。ある生協では、同じ木綿豆腐でも、高いものと安いものによって使う大豆の量を使い分けている。形は同じでも、含まれる栄養成分の割合が違ってくるわけだ。

P16
「よく売れる相場」(全国チェーンのスーパー)で試算すると茶わん一杯分の米は約29円
その価格で変えるものー。「ポッキー」だと約6本。「カップヌードル」は約1/5個。「リポビタンD」は約1/5本「ぜいたく」に見えた無農薬米も、茶わん一杯約43円。特売の缶コーヒーより安かった。
他の食品なら「安い」と買い込む価格でも、米なら「高い」とそっぽを向く。私たちは、茶碗一杯の価格をしらないまま、農家にいっそうのコストダウンを迫ってきたことになる。

 

P89
昔ながらの製法で作られた1丁百五十円の豆腐と、ドラッグストアーで買える1丁三十円の豆腐。
包装を隠し「百五十円の方はどっち?」と質問すると、記者一人を含む七人全員が正解。「大豆の味ですぐ分った」という福岡県筑後市の給食調理員田中ひろみさん(54)は「安い豆腐ばかり食べていたら、本当の味が分らなくなるかもしれませんね」と続けた。

食卓の向こう側〈第12部〉価格の向こう側
西日本新聞社 (2009/09)

食卓の向こう側〈第12部〉価格の向こう側 (西日本新聞ブックレット)

食卓の向こう側〈第12部〉価格の向こう側 (西日本新聞ブックレット)

  • 作者: 西日本新聞社「食くらし」取材班
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2023/08/26
  • メディア: 単行本

 

P155
図32は最新の「商業統計」から作成した、小売り業態別の食料品販売額に占めるシェアを示したものです。
大手の総合スーパー(イオンヤイトーヨーカドーなど、衣食住に関わる生活用品すべてを販売する業態、GMSと略される)のシェアは9%程度しかなく、近年伸びていません。
また、全体の売り上げも二〇〇七年には一九九九年の84%まで低下しており、客離れが進んでいる傾向が見られます。
 一方、これまで大手に押されてきた、地方を中心に展開するスーパー、つまり食品スーパー(食品を中心的に扱う小規模な地域的スーパー、SMと略される)が息を吹き返しています。地域密着型の売り場作りで人気を取り戻しつつあるのです。

P158
北九州市に本社のある「ハローデイ」も、鮮魚販売では全国的に名高い食品スーパーです。地元卸売市場から仕入れる品揃えには目を見張るものがあります。
さらに特筆すべきは調理加工度の高さで、一つの素材を幾通りにも加工し、メニューを提案しています。好きな魚をその場で寿司や天ぷらにしてくれるサービスもある。
鮮魚を右から左へ流すことで儲けようとするのではなく、お客様の望むサービスを店頭で行うという付加価値を売りにしているのです。
 やはり人件費は高くなりますが、大手スーパーが徹底的に人件費を削減することで利益を高めようとしてきたのとは逆に、あえて人件費をかけることで消費者の食卓に近づき、付加価値を高めようとしています。
同社も増収増益を続けており、近隣の大手スーパーに少しも負けていません。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書
長崎市 新地中華街

日本が乗っ取られるかも

P138
2050年の日本の姿を描く国土交通省の「国土のグランドデザイン2050」(2014年)を丹念に読んでみると、寒気すら覚える。

~中略~
 人の目が届きにくくなる場所が増えれば、治安だけでなく、国防の危機にも直結する。
端的な例が離島だ。 ~中略~
 言うまでもなく、国境離島や外洋離島は排他的経済水域の重要な根拠となる。エネルギーや鉱物資源確保、漁業や海上輸送の自由と安全な航行など、海洋秩序を守るための大きな国家的役割を担っているのだ。
だが、そうした期待に応えられるのも、そこに住民が住んでいるからである。より多くの人が住み、主権が明確なほうがよいということだ。
 ~中略~ 無人島が増えれば、それだけ自衛隊や海上保安庁が目を光らせなければならないエリアも増え、その分、日本の防衛力自体が低下する。

P142
 政府内に、外国人労働者の大量受け入れや永住権付与の緩和を推し進めようとの動きが強まっているが、日本人が激減する状況においていたずらに外国人を受け入れたならば、日本人のほうが少数派となる市町村や地域も誕生するだろう。
「反日」の国が悪意を持って、自国民を大規模に日本に送り出す事態も想定しておかなければならない。いまだに外国人参政権の付与を主張する政治家もいるが、これを安易に認めれば、議会や地方行政を外国人に牛耳られかねないということである。
 かつて、対馬市議会や長崎県壱岐市議会、沖縄県与那国町議会といった国境の島の自治体が参政権付与について反対の意見書を可決したことがあったが、リアルな危機として感じたからであろう。人口減少社会において、外国人に参政権を認めることは、国防上の致命傷となりかねない危険性をはらんでいるのだ。

P143
 たとえば、自衛隊の場合、2016年の自衛官数は23万人弱であるが、少子化が進むとこの規模を維持することすら難しくなる。
若い自衛官がすでに減少し、全体の年齢構成が高齢化していることに、防衛省は危機感を募らせている。 ~中略~
 たしかに、(住人注;東日本大震災)当時の日本は非常事態の中にあり、半数近い自衛隊員を投入したのはやむを得ない判断ではあった。が、結果として国防はギリギリの態勢を迫られることになった。
国際社会の現実であるが、こういう非常時の日本をまるで試すがごとく、周辺国からは戦闘機が飛来し、日本列島を一周したことを覚えている人は少なくないだろう。
P151
 当然ながら、排外主義になってはならない。高度の知識や技能を有する人材と交流することで新たな発想が生まれ、技術も進歩することだろう。だが、日本の生産年齢人口は2015年から2040年までの25年間で、1750万人近く減ると推計される。そのすべてを外国人で穴埋めするというのは無理だろう。
「外国人の受け入れ=開かれた国」といった理想論を語るだけでは済まされない現実があることも忘れてはならない。
 たとえば、多くの国民が不安を感じる治安の悪化だ。大規模に受け入れたヨーロッパ諸国ではテロや暴動、排斥運動が起こるなど混乱を来している。
~中略~
 他方、伝統や文化の変質も避けられない。天皇への敬意や地域に伝わる祭り・伝統行事の継承への不安を口にする人は少なくない。これまでも、ゴミ出しルールを守らないとか、騒音といった地域のトラブルが問題となってきたが、毎年多くの外国人がやってきた場合、こうした問題の深刻さは想像以上だろう。

 

P154
 人口減少で移民を大規模に受け入れる政策は、人口規模を維持することと引き替えに、日本人が少数派になることを許すものだと認識すべきである。「国のかたち」は変容し、我々が認識する日本とは全く違う「別の国家」となるだろう。 

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司 (著)
講談社 (2017/6/14)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

  • 作者: 河合雅司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: Kindle版

浅草

2025年6月20日金曜日

魚食文化の崩壊

P14
そこまでして、ウナギを食べなければならないのか。「食べられなくなる」と騒ぐ前に、そもそもの前提を考える時期ではないでしょうか。

 もともとウナギは自然の川の賜物で、希少な天然資源でした。美味しかったので、値段も高かったのは当然です。しかし高価格に惹かれて、日本で養殖が開始されました。~中略~
 食文化を守るために、養殖業者は規制を順守する。私たち消費者は、厳しい状況で踏ん張っている業者を応援するために、すこしぐらい高くても国産ウナギを選んで食べる。
行政は、早急に河川環境の回復に努める。未来にウナギという食文化を遺すには、そうやってみんなが少しずつ努力するしかないのです。

P16
 こんなバブル時代の贅肉みたいな食材(住人注;マグロやウナギ)に頼らなくても、日本の沿岸には多様な水産物がいくらでも存在しているし、アジやサバでも鮮度さえよければこの上なく美味しいものです。
しかもはるかに安く、大量に供給できる。金持ちでなくても楽しめるこうした近海の鮮魚こそ、日本にとって真に重要な存在なのです。

P18
 大西洋クロマグロの輸入が無事だったとしても、日本から漁業者がいなくなってサバやアジサンマなどが食べられなくなるとしたら、日常生活でははるかに大きな問題です。
未来の日本人の食生活が根底から壊れ、残るのは冷凍輸入魚ばかりの食卓でしょう。まさしく「魚食文化の崩壊」です。

P135
 図28のように、二〇〇九年以降は肉に完全に追い抜かれ、日本人は魚よりも肉を多く食べる、文字通りの「肉食系」民族となっています。
「魚離れ」の傾向は、年齢層で大きく異なります。総務省の調査では、生鮮魚介類の消費量はこの一〇年間で六〇代以上の高齢者世帯ではそれほど減少していませんが、五〇代以下の世帯では三割近くも減少している。また二〇代世帯では全体平均の半分程度で、六〇代以上の高齢者世帯と比較すると、実に四分の一以下にとどまります。

P146
日本という小国が食料を安定的に確保していこうとすれば、国産水産物を食べ続けることが不可欠です。~中略~
 そのためには国内漁業の経営がきちんと自立すること、つまり十分な漁業所得が必要ですが、それを可能にするのが消費者です。私たちだけが、国産魚を買うことで漁業者に所得をもたらすことができるのです。
水産物の栄養価や機能性だけを考えれば、輸入品でもいいのでしょうが、それでは日本の漁業を守っていくことができません。新鮮な美味しい魚を食べようとすることがそのためには必要です。
 こうした文化的な価値を大切にしようとすると、ある程度は、効率の悪さを覚悟しなければなりません。
価格もサーモンのような輸入品と比較すれば高くなる。しかしこのような伝統的水産物こそ、将来に残すべき魚食文化を担うものなのです。

P185
 値段が付かない雑魚でも、よく知られた魚より美味しいものがたくさんあります。しかし、養殖の餌になるならまだいい方で、多くがそのまま捨てられている。雑魚つまり「未利用魚」の有効利用は水産業にとって大きな課題となっています。
~中略~
 一般に雑魚と呼ばれる魚たちはサイズが小さく、処理に手間がかかります。大きな魚も小さな魚も捌く手間―ウロコを取り、三枚に下ろして骨から身を外す―は大して変わりません。一尾は一尾なりの手間ひまかかります。手間はすなわち人件費、コストです。小型魚の利用は現代社会ではコストが高いのです。敬遠される所以です。
 手間ひまをコストと考えなかった時代には雑魚も美味しく食べられ、資源も有効に利用されてきました。結果、無駄のない供給と需要が実現していたのです。これも食文化の一つでしょう。
しかし現代では小型の魚がきちんと食べられる機会が社会から消失してしまいました。

 

P189
 例えば輸入サーモンばかりを食べるのではなく、国産サケの旨さを味わってみることから始めてみるのはどうでしょうか。
 春には道東のトキシラズがあります。脂の乗った天然サケの旨さを味わってしまうとチリ産ギンザケやトラウトの塩蔵品などは、この足下にも及びません。
初夏には三陸の養殖ギンザケを刺身で食べてはいかがでしょうか。刺身用の輸入サーモンと比べても、鮮度は抜群です。秋には鉄板にバターを溶かし、アキサケの切り身をチャンチャン焼きで食べる。~中略~
 日本には四季季節感あふれる折々のサケがいて、それぞれに適した料理があります。輸入サーモンは、その端境期に食べれば十分でしょう。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書


 


魚は一匹で買って、家で刺し身にする、自分でおろすものだ、と(住人注;筆者は母からきいて育った)。
タイを一匹おろせば、頭からしっぽまでほとんど食べられます。一匹のタイが、いろんな料理になって、でてきます。

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P48

患者本位の病院改革 (朝日文庫)

患者本位の病院改革 (朝日文庫)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: 文庫

 なぜ、日本の漁師はこのような非合理と思えるような行動をとつのだろうか。
それは、漁業では獲れるだけ魚を獲ってもいいのではなく、漁業資源を守るための規制が存在するからだ。具体的には、魚種ごとに総漁獲可能量(TAC)が決められて資源管理が行われている。
オリンピック方式では、漁期と漁獲量の上限が決められているだけである。漁民は、漁期が始まると一斉に漁をはじめ、漁獲枠が一杯になると漁期が終わってしまう。みんなが一斉に魚を獲ると値段が下がることがわかっていれも、漁師は誰よりも早く猟場に行くことを目指し、漁期の最初の頃に集中して獲るのである。
そのために、船の本体がぼろぼろであっても、スピード狂のように高性能エンジンを積み、GPSを装備するのだ。スピードさえ落とせば、原油の値段が上がっても十分に漁をすることができるにもかかわらず、スピードを落とすことができない仕組みになっている。
~中略~
 奇妙なインセンティブ(誘因)をかけられている漁民も、その結果高い魚を食べさせられている消費者も、オリンピック方式という規制の犠牲者なのである。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
Pⅸ

競争と公平感 市場経済の本当のメリット (中公新書)

競争と公平感 市場経済の本当のメリット (中公新書)

  • 作者: 大竹文雄
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/04/03
  • メディア: Kindle版

一本釣り

P132
 その(住人注;「宮本常一著作集」(未来社刊)第八巻の「海をひらいた人びと」の序文に、

「・・・・・この書物を書いていて、日本の海をひらいたのはまったく無名の人びとがあったのだということに気がついた」 
 と、ある。~中略~
 この書物のなかに、「一本づり」という章がある。
 一本づりはむろん、古代からあった。しかしそれを技術として高度に発達させたのは、徳島県の堂ノ浦の漁師である、と書かれている。
 阿波の堂ノ浦というのは播磨灘と鳴門海峡を漁場としてきた古い漁村で、代々よほど賢い漁師の系譜がつづいていたらしく、宮本氏の右の著作によれば瀬戸内海の漁師たちはよくここへ一本釣りの進んだ技法をならいにきたものだという。  

P135
 氏の言われるところでは、一本釣りの漁師は魚の多くあつまる沖に近い所に村をつくったという。
それまでの漁法は、夜の漁が多かった。古代から漁火(いさりび)ということばがあるように、舟の上で火をたいて、アジやサバをあつめた。
このため、家族がみな船にのって生活したりせねばならなかったが、テグスの発見とともに一本釣りは昼漁でなければならなくなり(山をみて船の位置をきめるため)昼だけで十分暮らしがたつだけの水揚げを得るようになった。
漁民は、船上生活をして魚をもとめてさすらわなくても済むようになった。つまりは、漁業にも漁村のくらしにも、大きな変化がおこったというのである。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

漁業権

 大陸国アメリカやロシアでは一般的に海は身近ではなく、海の利用をめぐるトラブルなどはあまり起らないようです。しかし、海で遊び、自分で魚や貝を獲って食べたいという欲求は、日本人にとってごく自然な感情で、健全なものです。
 その欲求を制限する日本独自の制度が、漁業法、そして漁業権です。これら海の利用についてのルールを定めた制度については、ほとんど理解されていないためにトラブルが多発し、漁業者と市民が幾度となく対立してきました。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P22

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

山口県

食料自給率

 農林水産省の「食糧需給表」によると、二〇一二年度の国民一人一日当たりの動物性たんぱく質摂取量は、鶏卵5・6グラム、牛乳・乳製品7・8グラム、畜肉15・1グラム、魚介類は15・5グラムです。
二〇一二年度の「水産白書」によると食用水産物の自給率は約六割ですから、自給できている水産物由来のたんぱく質は約9・3グラム。
 もし、これをすべて畜肉で賄うとすれば、おそらく200~300万ヘクタールの飼料用耕地がひつようで、現在の国内の全耕地面積の二分の一から三分の二に相当します。三〇〇万ヘクタールなら岩手県二個分の耕地、牛肉だけで賄おうとすれば、さらにその三倍、北海道ぐらいの耕地が要る計算になります。
 肥料もいらない海が広大な耕地に替わる役割を果たしていて、十分な動物性たんぱく質を海から供給できるということは、国際的なストロングポイントなのです。
 日本の畜産品(牛乳や卵を含む)の自給率はカロリーベースで約83%ですが、その飼料の八割以上を輸入に依存しているため、実質的な自給率は16%にすぎません。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P33

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

佐賀県 吉野ヶ里遺跡

2025年6月19日木曜日

引き算の世界

私たちは記憶を知識や体験として積み上げていく「足し算の世界」に住んでいます。逆に認知症の人は、病気によって知識や体験をだんだん忘れていく「引き算の世界」に住んでいるのです。
 この「引き算の世界」では、私たちの常識や理屈はほとんど通じません。認知症の人たちの世界に合わせた言葉がけをしたほうがうまくいくのです。
そのような、引き算の発想にもとづいた言葉のかけ方や接し方を、私は「引き算する」と呼んでいます。

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ
右馬埜 節子 (著)
講談社 (2016/3/23)
P4

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

  • 作者: 右馬埜 節子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/03/23
  • メディア: 単行本

足立山 北九州市

施設どき

P152
”施設にお年寄りを入居させる”と言うと、「かわいそうだ」とか、「つらくてとてもできない」という意見が出てくることがあります。

そのような見方を全面的に否定するつもりはありませんが、こと認知症介護について言えば、情や世間体に構っていられない場合もあると思います。
 その意味で、どんな介護にも施設に頼るべき「施設どき」というものがあります。

P155
認知症介護はどこかで「これでよし」と思い切ることも必要です。施設を利用しなかったがために不慮の事故が起こったり、家族共倒れになったりすれば、”大きな後悔”が残ります。
介護者が、とりわけ家族が「もう十分やった」と心の底から思えるなら、そfれで十分ではないでしょうか。”小さな後悔”ですんでいるうちに切り替えるという考え方も必要なはずです。

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ
右馬埜 節子 (著)
講談社 (2016/3/23)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

  • 作者: 右馬埜 節子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/03/23
  • メディア: 単行本

 ずっと家にいて、家族以外の人と顔を合せない生活は、患者さんの意欲を低下させ、孤独感や精神的な不安定感を生む恐れがあります。
そして何よりも、脳の活性化に欠かせない他人とのコミュニケーションや知的活動の機会を持てなくなってしまいます。
 デイサービスやデイケア、ショートステイのような介護サービスは、患者さんが家から外へ出て、家族以外の人と触れ合うチャンス。患者さんにとって社会に参加するための絶好の機会になるのです。
ただ、相性の悪い場所などへ、むりやり行かせるのは禁物です。

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護
板東 邦秋 (著)
ワニブックス (2017/1/24)
P129

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

  • 作者: 板東 邦秋
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2017/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

望雲台 英彦山 福岡県

患者さんを笑顔にする5つの”魔法のコトバ”

P104
 1「大丈夫、だいじょうぶ」

~中略~
 2「いっしょに、~しましょう」
~中略~
 3「そうですね」
~中略~
 4「お願いしますね」「ありがとう」
~中略~
 5「ゆっくり、ゆっくり」
~中略~

P116
 介護するうえで何より大事なのは「介護者の笑顔」だと、私は思っています。
介護する人が笑顔なら、介護される人も笑顔になれる。自分がニコニコしながら介護できたら、相手もニコニコしてきます。
 逆に、介護する人が眉間にしわを寄せたり、目を吊り上げたりと厳しい顔で接すれば、相手も警戒するし、怯え、笑顔が失われてしまいます。
 認知症の人は、ある意味で、”介護する人の心を映す鏡”です。

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護
板東 邦秋 (著)
ワニブックス (2017/1/24)

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

  • 作者: 板東 邦秋
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2017/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

宮崎県 国見ヶ丘

認知症の「中核症状」と「周辺症状」

 もの忘れ、徘徊、妄想、日時や場所がわからない、失語、暴言、失禁、―どれも認知症の症状ではありますが、これらは「中核症状」と「周辺症状」に分け荒れます。
 認知症の直接的な原因は、「脳の神経細胞が壊れて、脳の機能に障害が出る」ことですが、中核症状とは、脳が機能しなくなったことで直接的に引き起こされる症状ののことです。
~中略~
②中核症状から派生する「周辺症状」
「BPSD]とも呼ばれる「周辺症状」とは、中核症状から派生して生じるさまざまな症状のこと。中核症状によって患者本人に不安がつのり、そこに不快感や焦り、体調不良、周囲の不適切な対応といったストレスが加わることで本人が混乱し、さまざまな症状が引き起こされます。
 たとえば、頻繁にもの忘れが起こり、自分で片づけてもそれを覚えていないために混乱して「誰かが盗んだ」と妄想して周囲を疑い出す―このケースでは「片づけたことを忘れる=中核症状」、「盗まれたという妄想=周辺症状」になります。
~中略~
 主な周辺症状は、暴言や暴力、興奮、抑うつ、不眠、昼夜逆転、幻覚、妄想、せん妄、徘徊、もの取られ妄想、弄便(排泄した便をさわる行為)、失禁など。
 家族による認知症介護では、中核症状よりもこうした周辺症状への対応に苦慮するケースが圧倒的に多くなっています。

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護
板東 邦秋 (著)
ワニブックス (2017/1/24)
P41

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

家族と自分の気持ちがすーっと軽くなる 認知症のやさしい介護 (ワニプラス)

  • 作者: 板東 邦秋
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2017/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
望雲台 英彦山 福岡県

在宅介護が第2の患者を作っている

 P8
 介護をする家族の心と体の負担がどれだけ大きくて重いか想像に難くありません。  実際に、認知症の在宅介護をしていて「介護うつ」になる人が増えています。介護をしている人の4人に1人が介護うつになっており、しかも年々増加傾向にあるという厚生労働省の発表もありました。
 家族の介護をしながら、”自分が壊れてしまう”介護者が増えているのです。

P12
認知症に限らず、在宅で介護をするにあたって何よりも重要なこと、それは「介護をするあなた自身の心体の健康を守り、大事にする」ことです。
 介護をしている人は、自分が想像する以上に大きな負担を心と体に抱えています。
日々の生活に追われ、疲れ切っていることすら気づいていない人が多いのです。介護が中心の生活になると、どうしても患者さんが1番で、自分のことは2番、3番と後回しになってしまいがち。それも状況的にある程度は致し方のないことかもしれまでんが、何もかもを後回しにしていたらあなたはあなたでなくなってしまします。
 自分の健康を後回しにして、自分が自分であることえを犠牲にして、何もかもひとりで抱え込んで耐え忍ぶような介護では、どこかに歪が出てきて当たり前です。
 そうした苦行のような介護を休みなく続けて、あなたがもし倒れてしまったら、親や連れ合いを誰が看るのか―。

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ
右馬埜 節子 (著)
講談社 (2016/3/23)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ (介護ライブラリー)

  • 作者: 右馬埜 節子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/03/23
  • メディア: 単行本


在宅介護者の4人に1人は、中等度以上の抑うつを合併している。抑うつの症状として希死念慮があるが、65歳を超える介護者は介護に疲れて(おそらくうつ病を発症して)「もう死んでしまいたい」と思うのである。
しかし、目の前の被介護者(多くの場合は配偶者)を見ると、「私が自殺してしまったら、この人は誰が見てくれるんだろう」と1人で思い悩み、それならいっそのこと、「この人を先に殺してしまい、後追い自殺をしよう」と思うのである。
それが完遂されれると「無理心中」と言い、被介護者を殺めてしまいその後後追い自殺ができなかった場合には「殺人事件」となり、被介護者を殺めることができなかったら、それは「自殺」ということになる。
新聞などで、「老老介護の末に・・・・・」という不幸な記事をみることがあるが、その裏にはこのような心理的な背景が推測できるのである。
 この抑うつは、専門的に言えば、終わりのない精神的・身体的負荷が持続した結果の「消耗性うつ」の形態をとっている。薬物療法と休養が必要であるが、それ以前に医療機関を受診して正しい診断を受けなければならない。
 うつだけでなく、身体的な健康度が損なわれているという指摘をしたが、いずれは患者になったり、入院患者になる予備軍をつくっているという意味である。高騰する医療費抑制策のひとつとして、入院から外来へ、病院から在宅へ、と急速に動き始めたはずだが、それが「第2の患者」をつくっているとは何とも皮肉な結果である。

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
P139

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

  • 作者: 保坂 隆
  • 出版社/メーカー: 大法輪閣
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 単行本


 前に紹介した「未来の年表」という本の中で、著者・河合雅司(かわいまさし)さんは、二〇二一年には、介護離職が大量発生するとしています。
 これは団塊世代が七十五歳を超え、介護認定を受ける人の数が、圧倒的に増えると推測されるからです。そうなると、介護保険財政が悪化します。政府もそれを見越し、制度を大幅に見直し、自己負担額を引き上げたり、介護政策も「施設」から「在宅」へと移行していく方針を打ち出しました。そこで問題になるのが、介護サービスを受けられない「介護難民」が大量に出現することです。
 施設にもはいれない、在宅でもヘルパーなどの十分なサービスが受けられない。そうなると親の介護は、すべて子供がみることになります。その人たちが、団塊ジュニアという、人口ボリュームが大きい層なのです。
 五十代にさしかかった彼らは、会社では働き盛りの大黒柱であり、家では介護の責任者となるわけです。~中略~
 ある時期、私の周囲の人たちが、親の介護で心身をすり減らし、壊れかけている例をいくつか見たため、「子供は親の介護をしてはいけない」という法律を作るべきだなどと、暴言を吐き、顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあります。

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
P116

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Kindle版

涸沢 長野県