2025年6月28日土曜日

登山力

P002
不快になるために山に登る人はいません。確かに急な上りはきついし、苦しい局面もあるし、危険もひそんでいます。でも、それらを全部ひっくるめて「身持ちがよくて楽しい」から山に向かうのですよ。

こんなふうにいえば、山登りをする人なら大方分かってもらえるのではないでしょうか。もしも、ただただきつくてつらいだけだったら、誰も山登りなんかやらないと思います。きつさやつらさを超える爽快感や達成感、心がどこまでも広がっていくような解放感を味わえる。だから、昔から人気があるのですよ。

P003
 遭難しようと思って山に入る人はいません。しかし、山に100%安全はない。だから、身につけないといけない技術は身につけ、知識として学ぶべき点は学ぶ。 それが安全で快適な山登りへの近道なのですよ。
私の持論は、「山登りは体力・技術・知識の総合力がものを言う」です。つまりそれが「登山力」。

P021
登山口で「さあ、登るぞ!」と気持ちは意気込んでいるにもかかわらず、歩き始めはなんとなく体がだるい、きつく感じる・・・・。そんな経験はありませんか。
 これは、最初に血液中の糖(炭水化物)を取り出して運動エネルギーとする現象で、血糖値が下がるからきつい、だるいと感じるのです。体がまだ有酸素運動モードに切り替わっていない状態です。
 山登りの技術の一つに「歩き始めはごくゆっくり」というのがありますが、これは「あっ、私の旦那様は今から有酸素運動を始めるんだ」と身体に教えるためなのです。
それを無視して、歩き始めからガンガンすっ飛ばしたらどうなるか。あなたの体は無酸素運動と勘違いすることでしょう。無酸素運動は100メートル走のような「太く短く」の運動ですから、長続きしません。つまり、バテるというわけです。疲労物質の乳酸は出て、その日はきつい、きついの連続になってしまいます。
 講習会でそんな話をすると、「歩き始めは血液中の糖を使うからだるい、きつい。ならば前の晩に甘いものをたくさん食べて、血液中の糖分を増やしておけばいいじゃない」なんてツッコミを入れる人がいます。
 でも、さにあらず、あまりにも血糖値が高くなると、脳は危険な状態と判断し、体に休息を取らせようとします。できるだけ動くな、安静にしろと指示をだすのです。したがって、山登りの前の晩に甘いものを過剰に摂取するのは禁物です。

P023
 糖=炭水化物の弱みは、貯金ができないこと。肝臓のグリコーゲン、血液中のブドウ糖のおほかは、脂肪に変えて身体に貯蔵します。(肥満の原因がこれ!)。
登山の前日に糖をいくら大量に摂取しても、翌日になると体内に残っていません(ゼロではありませんが)。朝、しっかりご飯を食べなさいというのは、そのためなのです。

P023
行動中に糖を摂取しないのもいけません。というのは、糖がなくなる(いわゆる低血糖状態)と、脂肪の燃焼も停止するからです。
歩きながら飴をなめたり、チョコレートを食べたりするのはいい方法なのです。登山用語でこれを行動食と呼ぶことはご存知ですよね。
~中略~
脂肪を使うと1週間もエネルギーを出し続けられるのですが、炭水化物は3時間ほどでなくなってしまいます。つまり、登山をすれば炭水化物のほうが先になくなり、なにも食べずに歩くと、疲労するだけで脂肪も燃えない。要は炭水化物の補給がポイントなのです。

P026
 カロリーでいうと、1日8時間山を歩いた場合、大方、3000~4000カロリー消費していることになるのです。それくらいのレベルの運動を行なっている割には、身体のことを大して意識しないでやっているのが現状です。
野球にしろサッカーにしろ、はたまたトライスロンにしろ、スポーツの前には100%必ずウォ―ミングアップを行ないますよね。それを考えると、山登りににもウォ―ミングアップは必要だということが分かっていただけるのではないでしょうか。
 ウォ―ミングアップの目的は、今から行う山登りに対する筋肉的な準備や体温を上げることで、関節や筋肉の動きを滑らかにして、その能力を引き出すことにあります。
また、筋肉をほぐして緊張を取り除くことで、心の緊張も自然と取れて余裕のある動きができるようになります。

P027
特に寒い時季は、体温が下がっており、筋肉がガチガチになっていますから、まずしっかりストレッチを行なって体を温めることをお勧めします。  大ざっぱにいって、ストレッチには二つの大きな効能があります。
一つは、各部位のい筋肉を伸ばすこと。それによって、間接の可動域が広がり、身体をじゅうなんにしてくれます。これはけがの予防になります。~中略~
 もう一つは、血液中に大量の酸素を供給することです。これは案外見落とされがちですが、大変重要です。「足は第二の心臓」という言葉をご存知でしょうか。

P029
クールダウンは決しておろそかにできません。運動を行なっている最中は血液の流れが盛んで、心臓は激しく動いて血液を送り出していますが、同時に筋肉も収縮を繰り返してポンプの役割を果たし、血流をよくする仕事を手伝っています。
この状態で急に運動をやめると、心臓が仕事を一手に引き受けることになり、大きな負担を強いてしまいます。そこで、筋肉を動かしながら、徐々に血液の流れを落ち着かせることが必要なのです。
 クールダウンを行なえば、自宅に帰ってからも翌日も疲れ方がまったく違うし、なにより筋肉の質を高めてくれるのです。

P052
暑い夏は冷たい飲み物がほしくなります。そこで、凍らせたペットボトルを持っていく。そんな人をたくさん見かけます。賛否両論あるかとおもいますが、私は賛成しません。
理由は体を冷やすからですよ。しかも、ハイドレーションシステムを使ってこまめに喉を潤す程度ならまだしも、小休止や大休止の際に一気にゴクゴク飲んでしまうと、急激に内蔵を冷やしてしまいます。
 そうなると、身体は疽の冷えた部分を暖めようとして、熱エネルギーを消費します。 そのぶん歩行に使うべき運動エネルギーを奪われるだけで、結果としてバテてしまうことになりかねません。これって、冷たいものを飲みすぎて夏バテするのと同じですね。従って、私は夏でも常温の水を持っていくのですよ。

P098
下りで爪が痛いという人がおられますが、そういう人は大方足首の部分をきつく締め、甲の部分をしっかり締めて、靴の中で足が動かいようにするのが基本です。足首の締め具合は木の実でいいと思います。

P178
 今、8時間という具体的な数字を挙げましたが、富士山や北アルプスの山々は、九州・山口の山に比べて、1日の行動時間が長く、基本的により体力というか、持久力が必要です。
普段登っている九州・山口の場合、日帰りの山行が主体ですから、特別なケースを除いて、1日に7時間も8時間も歩くことはめったにありません。長くあるいても5時間ほどでないでしょうか。
 ところが、富士山なら最低でも登りだけで5、6時間。北アルプスなら最低でも1日8時間は歩きます。厳しい上りに加えて、激しいアップダウンもあります。8時間というのは正味の行動時間で、休憩や食事の時間は含みません。つまり、体力的に最低でも1日8時間ペースを保って歩けるかどうか。これがキーポイントにあるわけですよ。瞬間的なパワーではなく、持久力があるかどうかです。

P180
要するに、こと体力面に限っても、山の実力は山でしか分からないということなのですよ。昔から「山のトレーニングは山に登るのが一番」といわれているのかもしれませんね。
 理由の一つは、祖母・傾山系縦走のように山には大方標準コースタイムというものがあって、それを目安として自分の体力を測ることができるからです。~中略~
 もう一つは、技術や知識の蓄積という側面も見逃せません。ウオーキングやジムにおけるトレーニングでは、山で必要な技術や知識は養えないからです。平地のウオーキングで8時間歩くのと、山道を8時間歩くのとでは、自ずと質が違いますよね。

P186
 山登りは「上りは心肺機能、下りは筋力」ですから、足の筋肉を鍛えれば下りに強くなりますよ。中でも重要な働きをしているのは、最も太くて大きい大腿四頭筋です。この筋肉が強いか弱いかで歩く力が格段に変わるといっても過言ではありません。また、大腿四頭筋は膝を包む筋肉でもありますから、鍛えれば膝痛の予防にも効果があるといわれています。/p>

P188
 大ざっぱに説明すると、筋トレとは、負荷をかけて筋肉を壊すこと。壊れた筋肉は適度な休息と栄養を与えることによって修復されます。その際、筋肉は前より少しだけ強くなろうとするのです。これを「筋肉の超回復」と呼びます。つまり、筋肉を強くするには、筋トレと筋トレの間に適度な休息が必要ということ。個人差はありますが、その目安が中2日です。

 

P190
 山登りをスポーツというカテゴリーに含めるかどうか意見の分かれるところではありますが、仮にスポーツとして見た場合、明文化されたルールブックはなく、すべてはプレイヤーに一任されています。よくいえば、これほど自由な者はない。
それとの関連でもう一つ、敷居が低いのも特徴です。並外れた身体能力や運動神経も、特別な才能も普通は必要ありません。ルールを知らなくても、誰もが気軽に始められ、それなりに楽しめるのです。
それは決して悪いことではないのですが、裏を返せば自由で敷居が低い点に落とし穴があるように思います。なぜならば、山という大いなる自然がフィールドだから。
 自然が人間の都合に合わせてくれることは一切ありません。下山の途中、西に傾き始めたお日様に向かって、「もう少し待ってくれ!」と叫んでも無駄です。お日様は淡々と西の空へ沈み、やがて漆黒の闇が訪れます。自然というフィールドでは、人間の都合とは無関係に事は起き、事は進む。そこに山登りの怖さがあるのですよ。  

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

  • 作者: 哲哉, 徳永
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2017/06/19
  • メディア: 単行本

愛媛県 石鎚山

富士山噴火

P39
最後の大々的な噴火は一七〇七年。旧暦一〇月四日に宝永地震がおきて激震と大津波が太平洋岸を襲い、その直後、一一月二三日に富士山が噴火した。
~中略~ 一七三八(元文三)年に今の浜松市西区雄踏町山崎にいた豊田腔九右衛門という男が、子孫に自分の人生経験を語り残したものだった。~中略~
「宝永四年亥の十月四日、昼の九つ時(正午頃)に大地震。高山がさけ、大地が避け、自分の屋敷、上の山組屋敷、土蔵が押しつぶされたが、家内の者に一人もけがはなく前の畑へ逃げ出した。しばらく過ぎ、津波が打ち上げて来たので山へ逃げ上がった」
~中略~
 それから四九日後、富士山が大噴火した。九右衛門は書いている。〔同月(翌月の誤り)二十三日、富士山が焼け、おびただしく、こくう(虚空)鳴り響き、その夜、五つ時(八時頃)、東の方に火出で空を飛び散り、何とも知れず、ただ火の雨降り、世界も今滅するかと、女・わらんべ(童)なき騒ぎ申し候」。~中略~
富士山噴火はたくさんの史料が残されているが、江戸人の観察眼はたいしたものである。とくに感銘をうけるのは愛知県田原市で書かれた「金五郎日記歳代覚書」である(「新収日本地震史料」第三巻別巻所収)。
「富士山と足高山(愛鷹山(あしたかやま)の間に、須走(すばしり)と言う所に、火穴(噴火口)があき、それより火炎が吹き上げた。富士山より三倍の高さに見えた」
~中略~
「この火炎に土砂が混じり、西風が毎日吹き、これにより、東国へ砂が降り、富士より東七ヵ国が潰れた(甚大な農業被害が出た)。江戸も砂の厚さ四、五寸(一二~一五センチ)も積もった。
火穴近所の村里は砂の厚さ一丈(三メートル)も積もり田地はもちろん村里が潰れた」
 江戸の降灰を金五郎は一二~一五センチとするが、環境防災学の故・宮地直道氏の研究では三~四センチ。火山灰は南関東一円を覆った。~中略~
 一度、富士山が噴火すれば、我々は半月間、火山灰の闇を覚悟せねばならない。大量の空気が要るガスタービン式の火力発電所の電力をどのように安定供給するかなど、金五郎の話は我々に重い課題を突き付けている。

P42
トラフが動いて東海地震や関東地震がおきた場合、どれくらいの確率で富士山が連動して噴火するのか。
小山教授が明らかにした富士山の過去の噴火パターンから、ある程度は推測できるかもしれない。つまり、東海地震や関東地震がおきる時には、一三回中五~六回=四割前後の確率で、前後二五年以内に富士山の噴火がおきるという心積もりは必要なようである。

 

P43
宝永の富士山噴火の前兆現象については代表的な史料が二つばかりある。
 一つは、御殿場市山之尻の滝口家に残された「元禄十六(一七〇三)年大地震及び宝永四年富士山噴火覚書」(「御殿場市史 二」)。
もう一つは、裾野市須山の富士山資料館で保管されている土屋伊太夫「富士山噴火事情書」(「裾野市史 第三巻」)である。
富士山は信仰の山だから、御師といって参拝・宿泊をガイドする登山旅行案内人がいた。
土屋伊太夫はその御師の一人で、富士山噴火について克明な記録を残している。これらの史料によると、富士山は前触れなく噴火したのではない。
 実は、富士山噴火の四年前、一七〇三年に相模トラフが動き、元禄関東地震があった。
この大地震以来「地震は、軽くはなれども(宝永噴火の)亥年(いどし)まで、五年間、揺り止む事がなかった」。富士山周辺では軽い地震が五年間続き、噴火に至った。噴火直前、富士山では火山性地震が絶え間なく続いた。
~中略~
 富士山が噴火する時は五年前から軽い地震が増え、二ヶ月前から富士山山中だけの火山性地震が毎日続く。前回の宝永噴火の時は、そうであったと、古文書からうかがえるのである。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史
(著)
中央公論新社 (2014/11/21)

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 新書

 

ゆっくり歩く者は遠くまで行ける

九州の山を歩くと、脇目もふらずといった感じでさっさと登っている人が多い。時速でいえば、4キロくらい?
 これは、大人が平坦な街中を歩く際の平均的なスピードです。この速度で北アルプスの山を縦走なんかしたら、よほど体力に自信がある人でない限り、途中でバテて歩き通せないのでは・・・と思うのです。
九州の場合、日帰り山行が主体で、登山口から山頂まで片道2、3時間という山がほとんど。だから、前述の歩き方で通用するのでしょうね。それが悪いとは言いませんが、山登りはスピードを競うものではありません。
~中略~
 で、「ゆっくり」の具体的な解答としては、ハアハアゼエゼエ息を切らさない程度の速さというふうに理解してもらえば幸いです。ついでにいえば、ハアハアゼエゼエとは、私としてはかなり疲れた状態、いわばバテる一歩手前くらいのニュアンスを込めているのですが、こういう感覚的な部分は、やっぱり表現が難しいですね。

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)
P054

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

  • 作者: 徳永哲哉
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2017/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

長野県 上高地

登りつめたらあとは下るしかない

 日本は高齢社会で、人口も減って行く。これからはもう、購買力を増やすのは無理かもしれない。
それに、地球全体は大きいといっても、有限な人たちしか生きていない。
経済拡大が資本主義では大切だといっても、購買力のある人たちは、有限な人数しかいない。
適度なインフレーションが大事と考えたり、購買力の拡大がいつまでも続くと考えたりするほうに無理がある。

世の中の罠を見抜く数学
柳谷晃 (著)
セブン&アイ出版 (2013/3/1)
P99

世の中の罠を見抜く数学

世の中の罠を見抜く数学

  • 作者: 柳谷晃
  • 出版社/メーカー: セブン&アイ出版
  • 発売日: 2018/10/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

P73
 登山とは、文字どおり、山の山頂をめざすことです。ルートは違っても、頂上は一つです。
 しかし、考えてみると、登山という行為は、頂上をきわめただけで、完結するわけではありません。私たちは、めざす山頂に達すると、次は下りなければなりません。頂上をきわめた至福の時間に、永遠に留まってはいられないのですから。
 登ったら下りる。つまり、非日常の世界から、日常の世界にもどるのです。これは、しごくあたり前のことです。登頂したあとは、麓(ふもと)をめざして下山するのです。  永遠につづく登山というものはありません。

P74
 登ることについては熱中できても、下りること、下ることにはほとんど関心がない。それが私たちの普通の感覚です。
 しかし、私はこの「下山」こそが、本当は登山のもっとも大事な局面であると思えてならないのです。

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Kindle版

 

鳥取県 大山

いてまえに落とし穴が潜んでいる

P079
―冷たい雨に打たれながら前進している。風も強く、体が冷えてきて寒い。フリースを1枚着込み大河たいが、あと30分も辛抱したら避難小屋に着きそうだ。立ち止まってザックを下すか、それとも歩き続けるか―

 もしかしたら、歯を食いしばって前進し、一刻も早く避難小屋へ到着したほうが結果としてよかったという場合があるかもしれません。でも、私なら30分後の避難小屋よりも今の寒さをなんとかするために、ザックを下してフリースを着ます。
体が発しているシグナルを大切にして、寒いと感じたら着る、暑ければ脱ぐ、そうシンプルに行動する方が好結果を生むと経験的に知っているからです。その30分の間に低体温症で行動不能にならないとも限りませんね。
 実をいうと、立ち止まる、ザックを下す、フリースを取り出す、着るという一連の動作は、とても面倒なんものなのです。
好天時ならなんともないのに、雨や雪や強風など状況が厳しくなればなるほど一つ一つの動作が億劫になるんですね。そこに落とし穴が潜んでいるような気がします。小さな穴ですが、ときには生死を左右するかもしれないと認識すべきです。
~中略~
 ゴー、ステイ、バックという三つの選択肢があるとき、どれが正解かは一概には言えません。天候、ルートの難易度、装備、そのパーティなりう個人なりの力量といった要素が複雑に絡んでくるからです。しかし、一つ言っておきたいのは、ステイやバックを選ぶには決断と勇気がいるということ。そのため、厳しいと分かっていながらも、ひたすらゴーとなってしまう。
そうした遭難事例が多いように思えてなりません。
 山登りにおいてゴー(前進)は、ある意味前提ですからね。ゴーを選択したというのは、決断を先送りしたのと同義とも言えるわけですよ。たとえていえば、車にタイヤチェーンを装着するケースとよく似ています。

P081
 で、ここからは二つの教訓を導き出すことができます。
 一つは、小さなことでも面倒臭がらずこまめにやることの大切さです。
行動食を食べる、水分を補給する、ウエアで温度調節をする、地図とコンパスで現在地を確かめるなど山登りで重要なことすべてに当てはまります。
 もう一つは、山登りに限ったことではありませんが、決断しないで先送りにするのは、よりよい結果をもたらさないといことです。ソロであれパーティであれ、山登りでは決断しなければならない局面が大なり小なり幾度か訪れます。換言すれば、分岐点があるあとうこと。
 私たちプロガイドは、状況が芳しくないときほどこの分岐点を必ず意識します。稜線に出る前に風が強くなったら引き返そうとか、鞍部までは行ってみるけど、状況が悪化していたらステイしようとか、いくつかのポイントを頭に入れ、次善の策を練って行動するわけです。

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

登山力アップの強化書 (のぼろBOOKS)

  • 作者: 哲哉, 徳永
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2017/06/19
  • メディア: 単行本

由布岳 大分県

2025年6月27日金曜日

相手を理解できたと考えてはならない

 「理外の理」「法外の法」「言外の言」を考えれば、日本語が少々わかるから、日本の小説などが少しは読めるからといって、日本が理解できるなどと考えてはならないことは、異論の余地なき事実であろう。
このことは逆もまた真なりであって外国語がペラペラだからといって、外国が理解できたと考えてはならない。
ただこの場合の障壁は「言外の言」でも「法外の法」でもない。いわゆる聖書の民(ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒)への障害は、黙示文学、黙示文学的表現、および聖書の引用である ~中略~

前記の引用を外国語に訳すことが非常にむずかしいように、聖書の句や黙示文学的表現が縦横かつ無意識に使われている外国文学を正しく日本語に移すことは、はっきり言って不可能である。
こまったことに聖書の句が、いつの間にかまったく反対の意味で日本で通用してしまう場合もあるので、ことがさらにややこしくなる。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)
P155

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1971/09/30
  • メディア: 文庫

 

 もう一つ大切なのは、「理解し合うこと―理解を共有すること―が大事」という前提に立っておくことです。
 自分自身の感情、思い、考えを、相手に理解してもらうこと。これほど大切なことはありません。
「わたしはこう感じている」「こう考えている」ということを、伝えること、相手に理解してもらうこと。それを目的にすえるのです。
 もし相手が理解しようとしない、聞こうとしないのなら、それはもはや、関わる意味のない相手なのかもしれません。どのような関係であれ、一方的な苦痛に耐えなければいけない関係は、存在しないはずだからです。
 ただ、伝えることで相手が理解してくれる可能性があるなら、「理解してもらう」ことを目的にすべきです。伝えること。説明すること。
「こういうことはやめてほしい」と思うなら、「やめてほしい」と伝えることです。そこまでが自分自身にできること。それを相手がどう受け止めるかは、相手の領域です。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P118

島根県 須佐神社

ムスリム

P16
イスラームというのは、「唯一」の「絶対者」である神(アッラー)に全てを預け、アッラーの定めたとおりに従うことを言います。唯一神であるアッラーに全面的に服従する、あるいは帰依すると言ってもかまいません。
そして、イスラームする人のことをムスリムと言います。
 ムスリムになるには、この一点だけを信じればよいのです。実際、イスラームに入信するときに行う信仰の告白は、「アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」と心の底から唱えるだけです。
面倒な戒律のたぐいを知っている必要もありませんし、コーランを読んでおく必要もありません。
 ただ、一点、アッラーが唯一の全能の神であること、そのアッラーに全てをゆだね、その教えに従うと誓うだけのことです。

P63
ムスリムは、国境線で仕切られた領域の中に生きているわけではありません。国境をまたいで、隣の国にも暮らしていることなど、いくらでもあります。どこにいても、ムスリムとしての絆があり、それはしばしば民族や帰属する国の国民としての絆よりも強くなります。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: Kindle版

 

P120
 佐藤 ~前略 
 一連の「アラブの春」では、ほとんどの国で、「ムスリム同胞団」という反政府勢力の名前が聞かれました。これはエジプト出自の組織です。新聞は、穏健派だと書きますが、この種の組織の性格上、穏健派と過激派の線引きはむずかしい。
 池上 創始者は、エジプトの中学教師ハサン・アル=バンナです。彼が一九二八年に創始した組織です。
 彼はアメリカに留学中、自分がイスラム教徒であることに目覚めます。そして預言者ムハンマドの頃の古き良き時代に戻ろう、みんなが平等なイスラム国家を建設しよう、とムスリム同胞団をつくりました。~中略~ 一九八一年、ムスリム同胞団は、エジプトのサダト大統領暗殺事件を起こし、跡を継いだムバラク大統領に非合法化され、徹底的に弾圧されます。それ以降、同胞団は、地域の医療活動や慈善活動の団体として生き延びてきました。それが、アラブの春で一気に表に出て来たのです。

P220
佐藤 キリスト教のイエス・キリストのような媒介物がなくて、イスラム教は、神様と直結している。
すべてはアッラーと自分の関係なので、たとえば、約束の時間に遅れても、ムスリムは「ごめんなさい」とは言いません。
「アッラーを恨むな」と言う。「私が遅刻したのは、アッラーが遅れるようにしたからだ。「アッラーを恨むな」。こんな感じになります。
 池上 なりますね。「明日午前八時にね」「オッケー」と約束しても、最後に「インシャラー」と挨拶されたら、「本当に八時に来るかどうかわかんない」と思わなければいけない。インシャラーというのは「アッラーが望むならば」という意味ですから。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)

 

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/12/19
  • メディア: Kindle版
島根県 須佐神社

イスラム原理主義

 池上 ~前略
イスラム教の創始者ムハンマドの時代、ムハンマドを指導者にして、ムハンマドが伝える「神の言葉」に従って人びとは敬虔な暮らしをしていた、と考える人たちが、その理想の社会を現代に取り戻そうとしているのです。
この考え方を「イスラム原理主義」と呼びます。イスラムの理念を復興させようというものですから、必ずしも過激な武装闘争と結びつくものではありません。平和裡に行動しているイスラム原理主義者も多いのです。
 しかし、武力を用いてでも理想社会を実現させようとする組織があって、テロなどに走るため、「イスラム原理主義者=テロリスト」というイメージが定着してしまいました。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P74

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本

 

島根県 島根県立美術館

「スンニ派」と「シーア派」

P117
 池上 ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、予言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。

 ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、予言者の代理人です。
 このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があった方の後継者が続きました。
 四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。
アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
 一方、血統にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。
全世界のイスラム教信者の八五パーセントをスンニ派が占め、シーア派は一五パーセント。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。

P135
佐藤 スンニ派大国サウジアラビアを理解するためにも、われわれはまずスンニ派の大枠を知っておかないといけません。
 スンニ派は四つの法学派から成り立っています。まずハナフィー法学派。これはトルコの多いです。次にシャーフィイー法学派。これはインドネシアと、ロシアの北コーカサスにいる。それからマーリキ法学派で、エジプト、チュニジア、リビアにかけての地域にいる。しかしこの三つは忘れてもいいのです。
各社会の慣習や祖先崇拝と適宜折り合いをつけているからです。過激にはなりにくい。
 過激な運動が出て来るのは、四番目のハンバリー法学派です。これは原理主義そのもの。
コーランとハディース(ムハンマドの伝承集)しか法源として認めない。だからお墓に一切価値をおかないし、聖人を認めない。アメリカが「オサマ・ビン・ラディンの墓ができるとそこが聖地になる危険性がある」と言ったことがありますが、彼らは教義からして、あり得ません。墓に何の価値も認めないからです。
 このハンバリー派の中のかなり急進的なグループがワッハーブ派です。ただしこれは他称で、自分たちでワッハーブ派とはいいません。サウド王家のサウジアラビアの国教が、これなのです。そしてちょっと乱暴に整理すると、ワッハーブ派の中の最大の過激派で武将集団であるのがアルカイダや「イスラム国」です。
~中略~
 問題なのは、今、世界的にハンバリー法学派が増える傾向にあることです。

 

P147
池上 コーランの中にも、最後の最後には自分の身を守りイスラムを守るためなら嘘をついてもいい、というニュアンスの文言が出てきます。
 佐藤 とにかくこの世は暗黒だ、だから嘘をついてもいいという話。嘘もついてもいいというのがルールに入ると、外交も政治もものすごく複雑になる。約束をしたら守る、「合意は拘束する」というのがローマ法の原則として決まっているでしょう。それが西側社会の原理になっている。しかし、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束していない」というのが含まれると、メタ理論が入ってきて、ものすごい複雑系になります。
 だからシーア派とつきあうと大変です。常に戦時、非常時だという認識でいるのがシーア派です。シーア派が主流で権力を握っているのは、国家としては、イランとアゼルバイジャンだけです。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 作者: 池上 彰
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本


鳥取県 植田正治写真美術館

2025年6月26日木曜日

水産物の流通

P97
 まず漁業者が漁獲物を漁港に水揚げします。それを漁協が受け取り、漁港内にある荷捌(にさば)き所で競売(セリか入札)を行います。
競り合うのは「買受人」と呼ばれる業者たちで、干物や缶詰などの原料を仕入れる加工業者、地元の消費者に販売する小売店、他に転売する「仲買人」などがいます。セリでは他の業者よりも高い価格を提示しないと欲しいものが買えないので、彼らの競争はシビアです。
 漁業者はセリで売ったお金をもらい、そのうち5%程度を手数料として漁協に支払います。~中略~ ここまでが「産地卸売市場」になります。
 さて店売目的で水産物を購入した仲買人のうち、消費地に水産物を出荷していく業者を特に「出荷業者」と呼びます。出荷業者はセリで落札した水産物を「目利き」し、それが一番高く売れそうな全国の「消費地卸売市場へと出荷します。彼らは全国各地の消費地卸売市場における相場情報を常時収集し、その魚をどの市場に出荷すれば一番高く売れそうか、を的確に判断します。
 出荷された魚を消費地卸売市場で受け取るのが「荷受」(卸売会社)です。荷受は全国の出荷業者から、消費地で食べられる大量かつ多種多様な水産物を毎日集めています。例えば築地市場は、東京都民のために魚を集める国内最大の消費地卸売市場です。
 そこで二回目の競売が行なわれます。出荷業者はセリで決まった売上金額を手に入れますが、そのうち5~7%程度を、セリの手数料として荷受に支払います。~中略~
 消費地卸売市場での競売に参加する業者の多くは「仲卸」と呼ばれる業種です。仲卸は卸売市場内に小さな店舗を構え、競り落とした水産物をそこで販売します。一般人がそこで買うことは禁じられていて、許可を与えられた「買出人」(小売業者や寿司屋などの飲食店)だけが、仲卸の店舗で水産物を買うことができます。
~中略~
 各業種の中で厳しい競争があることで高い品質と公正な価格が守られ、経路全体としての効率性が高められています。漁師と個々の消費者の双方にとって信頼できる公共インフラと言えるでしょう。多くの食品流通研究者に「近代の傑作」(例えば秋谷重男「中央卸売市場」、日経新書)と称される所以でもあります。

P103
中抜き流通や場外流通は、実際には水産物の豊かさを犠牲にすることで、経営的に効率化を果たそうとするののです。決してそれが優れているわけではないのです。それに対応できる大型産地にはメリットを与えますが、卸売市場流通に依存しないと存立できない零細な沿岸漁業にとってはデメリットとなります。

 

P107
 卸売市場流通では日常的にサンプル検査が行なわれ、衛生的に基準を満たさないものは排除されてきました。またどの業種・業態においても専門知識と的確なハンドリングのノウハウ、高いモラルとプライドを持った魚の専門家が水産物を扱い、刺身で食べることを当然の前提とした迅速な流通と適切な品温管理を行っています。彼らはまた、豊富な知識と柔軟な技能によってどんな魚でも的確に扱うことができます。
 だから、これだけいろんな魚種が刺身で食べられていますが、お腹をこわす人は全国的にも年間を通してほとんどいないのです。これ自体が奇跡的で、世界中ここまで柔軟で高度な流通システムは他にありません。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

ファストフィッシュ

P137
  ファストフィッシュ(Fast Fish)は「現代の魚のファストフードを目指す。ファストファッションのように、気軽に楽しめるおいしい魚食という意味」と定義されています。
「ガイジン」化する若者に焦点を合わせた消費拡大策は正しいし、そこを何とかしなければなりません。
 しかし、「ファスト○○」というのは、そんなに持てはやされるべきものなのか。グローバル化・大規模化・効率化を徹底的に追及することで低コスト化と企業利益の最大化を図るというのが、ユニクロに代表されるファストファッションでした。それと同じような発想で、水産物の消費拡大を考えるのはどうなのか。
本当に「魚の国のしあわせ」にたどり着けるものでしょうか。
 すでにスーパーの水産物売り場では、「ファストフィッシュ」のロゴマークが付いた商品がたくさん並べられています。これらの中には、「安価な輸入魚を骨取り加工し、冷凍・解凍を経て失われた旨味をチーズやガーリックなどのスパイシーな洋風ソースで補った、電子レンジ加熱用のレトルト食品」などもみうけられます。魚本来の旨味が抜け、骨抜き作業で形崩れしたものを結着剤で形を整えているから、魚には合わない濃いスパイシーなソースやタレが必要になるのです。
 複雑な加工や国際的な物流にはコストがかかります。しかし「ファスト」であるためには、安く売らなければなりません。当然、原料費は余計に低く、抑える必要があります。多くが安価な輸入物を原料としており、国産で質の高いものはなかなか使えません。コストの低い海外での加工も見られます。

P142
大手スーパーの担当者に聞いても、ファストフィッシュは一度は売れるがリピートがない、とこぼしていました。やはり魚は美味しくなければ売れないし、結局は儲からないのです。
「魚の国のしあわせ」を消費者の立場で考えれば、それは輸入魚を安く大量に消費することではありません。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

ブランド

 ブランド研究の世界的権威、アメリカの経営学ディビッド・A・アーカーは「ブランドとは、歯止めのない価格競争に陥らないための唯一の選択肢である」と述べています。
「ブランド」とは、市場が急速に成熟化する現代の工業製品市場において、信頼感によって差別化と非価格競争が可能となったマーケティング活動の到達点なのです。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P124

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

食育

P180
  給食という食のシーンが、魚を美味しく食べさせるのに適していません。給食には厳しい予算的制約があり、そもそも安い魚しか利用できません。~中略~
 給食で食中毒を起したりすると大問題になります。鮮度劣化が一番怖いので、安心な冷凍品が望ましい。さらに徹底的に加熱すればなお安心です。しかし、加熱し過ぎると水産物は過剰に脱水され硬くなります。冷えた状態ではさらに硬くなります。
 水産物の調理は火加減や食べる温度が重要です。表面はカリッと焼いて、ギリギリのところで火を止め、なるべくジューシーで温かいうちに食べるのが美味しい。しかし何百食も一気に作るのに、そんな細かいことは気にしてはいられません。やはり揚げ物がまとめて大量に調理できて、確実に火を通せるので好まれています。
 冷えて硬くなった魚の揚げ物を、プラスチックや金属の皿の上に載せて、牛乳と一緒に食べる。

P182
 フランスの小学校では、低学年の頃から継続的かつ計画的に味覚教育を行っていると聞きます。何がおいしくて何がまずいか。既存の評価を押しつけるのではなく、経験を重ねて舌を鍛えるのです。
最後の仕上げは全員が正装で本格的なフレンチレストランでフルコースを食べるのだそうです。言葉で教えなくても子供たちはフォーマルな「食」のシーンから勝手に何かを感じとるのでしょう。
理屈ではなく、体育と同じように頭ではなく身体で覚える食育という考え方に私は強く共感します。
 本物を体験させ、その意義を理解させることが真の教育であるなら、骨なし魚や魚ハンバーグなどを食べさせるのは逆効果です。

P190
 いろんな魚の味を自由に楽しむ。それができるのが日本の水産物の良さなのです。未知の味を知りたい、新しいものに触れたい、という好奇心があれば「魚食」は学びの場となります。「魚食」はこうした創造的、教育的なものでもあります。
こうした「学び」はファストフード、ファミレスやコンビニでは絶対に経験できないものです。

 

P187
 マハゼや小アジのような雑魚は、河口や防波堤から簡単に釣ることができます。細い糸一本で自然の生物とつながる興奮、命を獲り自然から食べ物をいただく感覚も知ることができる。
そして自然や環境について真摯に学ぶ身持ちを膨らませます。
釣って遊び、調理して食べ、そして学ぶ。雑魚とは何ともありがたい存在ではないでしょうか。

日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)

  • 作者: 佐野 雅昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/03/14
  • メディア: 新書

 

2025年6月25日水曜日

巧言令色少なし仁

子曰わく、巧言令色、鮮( すく )ないかな仁


学而篇


        論語

           孔子 (著), 貝塚 茂樹

          中央公論新社 (1973/07)

           P11

 

 

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫

二七 子曰わく、剛毅木訥( ごうきぼくとつ )は仁に近し。


~中略~


先生がいわれた。
「 無欲と果敢と訥弁( とつべん )、この四つの性質は仁の徳にかよっている。 」
子路篇


         論語

           孔子 ( 著 ), 貝塚 茂樹

           中央公論新社 (1973/07)

           P379

 

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫

 「巧言令色少なし仁」とはよくいったものです。優秀なセールスマンは、誠実で寡黙であるとすでに述べました。
本当のことは強調しなくても自然に現れてくるのです。宗教家でも、占い師でも、セールスマンでも、雄弁な人の言葉ほど、あまり信じられないものなのです。他人には現実と事実はみせるだけでいいのです。
饒舌に売り込まねばならないのは、事実が言葉より劣っているからです。

プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)
P114

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

  • 作者: 東山紘久
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: Kindle版

関門海峡 北九州市

不遜ならんよりは寧ろ固しかれ

三五 子曰わく、奢れば則ち不遜、倹なれば則ち固( いや )し、その不遜ならんよりは寧ろ固しかれ。


~中略~


先生がいわれた。
「 ぜいたくな暮らしをしていると、態度が自然に尊大になる。つつましすぎる暮らしをしていると、態度が自然と野卑になる。 だが尊大なのより野卑なほうがましだ 」
述而篇


           論語

         孔子 (著), 貝塚 茂樹

         中央公論新社 (1973/07)

         P209

 

 

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫
 
北九州市門司区 和布刈神社

知者は動き、仁者は静かなり

二三 子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。


知者は動き、仁者は静かなり。


知者は楽しみ、仁者は寿( いのちなが )し。


~中略~


先生がいわれた。
「知の人は水を愛し、仁の人は山を愛する。知の人は動的であり、仁の人は静的である。知の人は楽しく生き、仁の人は長命である」
雍也篇


           論語

         孔子 (著), 貝塚 茂樹

          中央公論新社 (1973/07)

          P169

 

 

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫
 
北九州市 関門橋

鍋島斉正


 日本史上最悪のシーボルト台風に襲われた佐賀藩は、一八三〇(天保元)年、満一五歳の新藩主・鍋島斉正を擁立して、藩の立て直しをはじめたが、容易でない。
~中略~
 ただ、困れば、考えもするし、覚悟をきめて行動もする。斉正は、儒者の古賀穀堂と一族の鍋島茂義の二人をブレーンにして必死に改革に乗り出した。
 佐賀につくと、施政方針をだした。根本理念に掲げたのは「論語」の「節用愛人」という言葉であった。「用を節して人を愛す」とよむ。財政を節約して人をいたわる。
年貢収入でやっていけるよう、無駄遣いをやめ、武士と領民に負担を掛けないようにしたい。「少しずつ四民(士農工商)が安堵できるよういしたい」ともいった。被災後に国の立て直しを迫られた時、この少年播種は「四民が安心して暮らせるように」、これが自分に課せられた課題だと、はっきり意識し宣言したのである。
~中略~
なにしろ、斉正を育てた学者古賀穀堂が変わっていた。「西洋諸国は天文・地理・器物・外科等に唐土万国よりも詳しい・・・・治国の制度にも色々面白いことがあって、経済の助けにもなる。肥築両国(佐賀・福岡両藩)は長崎(警備)のお勤めで万国の抑えをなされるから、いずれ蘭学の人がいなくてはかなわない」(「学政管見」)という思想の持ち主。天文・地理など技術的な面はともかく、国を治める統治にも西洋の制度を利用して経済の助けにするなどという、当時としては過激な考えを持っていた。
さらに鍋島の武雄領主の鍋島茂義という蘭学好きがいて、斉正はこの二人をブレーンに改革をすすめていた。
~中略~

 藩主みずからが西洋帆船に乗りその構造をみた段階で、佐賀藩は日本中どこにもない異常な藩になった。
鍋島茂義は火縄でなく火打ち石で点火する西洋銃を購入。オランダ式の銃陣の研究をはじめ、兵の洋式化をすすめた。
以後、戊辰戦争まで佐賀藩は他のどの藩よりも軍事技術で最先端を行った。最新式銃はまず佐賀藩が採用し、佐賀藩で旧式化した銃を他藩が買った。
 一八二八年のシーボルト台風の被害から立ち直るために、佐賀藩に西洋文明を重視する改革派勢力が登場。これが日本国内に佐賀藩というミニ西洋工業国家を誕生させ、この権力体が、のちに東芝の祖となる田中久重(からくり儀右衛門)を雇い、大砲製造を命じるなどあらゆる西洋文物の国産化を試させた。日本中の藩も佐賀藩にならって大砲を鋳造する反射炉(溶解炉)の建設をはじめたのである。未曾有の台風は日本の近代化に絶大な影響を与えた。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史
(著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P120

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 新書
佐賀県 祐徳稲荷