鎌倉仏教の開祖・一遍上人は、いってみれば”遅れてきた青年”である。ほかの宗派がほぼ影響力を固めたあとに、時宗を興した。
「我というは煩悩なり」と、その語録にいう。
すなわち、人間は己を頼み、自己本位の執着を離れえない。念仏をも自らの修行と思いこんでいる。
そのような我執が、人間の迷妄の根源である。こうした己を頼む心の一切を捨て去り、南無阿弥陀仏の名号を唱えるときに、はじめて名号の力が往生させてくれる。
つまり、彼の教義とは、他力念仏の極致を示すことにあった。
~中略~
この一遍が享年五十で、和田岬(神戸市)の観音堂(のちに真光寺)で没したのが、正応二年(1289)八月二十三日である。
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P95
人間が社会に完全に適応するということなど、ありうるだろうか。
あからさまな生存競争は終わるかもしれないが、それで完全な適応が達成されるだろうか。
強者もいれば弱者もいるという事実は消えない。肉体的な欲求は人によって異なる。
美しい人もいれば醜い人もいるだろう。才能に恵まれて大きな収入を得るものもいよう。
失敗者は成功者を妬むだろう。人間は年をとるが、老人は年を忘れて、若い時の特権にしがみつこうとするだろう。
(「作家の手帳」一八九六年)
モーム語録
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P36
モーム語録 (岩波現代文庫) (岩波現代文庫 文芸 163)
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/04/17
- メディア: 文庫








