2025年12月11日木曜日

PA戦略

 強烈なのは、ほとんどあらゆるメディアのスペースを買いとって繰り広げたパブリシティの壮大さである。
東大・京大教授、男女キャスター、脳科学者、スポーツジャーナリスト、将棋名人、俳優、元文部大臣、ヒット続出の漫画家・・・挙げていけばキリがない。
「原子力の問題は論理的に考えよう」とご託宣を下した、名の知れた男性キャスターもいる。数々のもっともらしいデータがふんだんに付加されている。なかに「日本のエネルギーを支えるふるさとXX」と各地原発基地を故郷とするスポーツキャスターまで。

「パブリック・アクセプタンス(社会に受け入れられ、認知を求めるための働きかけ)」、略してPA戦略と呼ぶ。見事な動員力に唖然とするほかない。いま彼らは何をもって弁明とするのであろうか。

~中略~
昭和五六年六月にまとめられた日本原子力文化振興財団による「PAに影響する社会的ならびに心理的要因に関する調査研究」(全文100ページ)などは、原子力に関する専門家・ジャーナリスト1000人を対象として選び、実施した調査結果から対マスコミ戦略をひねり出した。
 同財団の企画委員会(委員長・田中靖政学習院大学教授・当時)によって展開され、累積されたそれらの調査結果は、専門家グループのなかでもとりわけ評論家、ジャーナリストが原子力に対して「最も強い不信感をを抱いているグループである。
との結論を導き出したうえで、今後の”PA戦略”では、何よりもその評論家・ジャーナリストを見方につけることが重要であると強調している。

巨大複合災害に思う
─「原発安全神話」はいかにしてつくられたか?
  内橋克人 (経済評論家)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P42

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌

54番延命寺 愛媛県

アクセス・ジャーナリズム

ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺(ただ)してゆく。
ジュディス・ミラー記者のように近づきすぎたジャーナリズムのことを、アメリカでは批判的に「アクセス・ジャーナリズム(access jounalism)と呼ぶ。
~中略~
 日本の記者クラブが生みだす一連の報道は、私から見るとまさしくアクセス・ジャーナリズムそのものだ。当局や大企業との距離を詰めれば詰めるほど、記者クラブメディアでは高い評価がなされる。取材対象と身内のように仲の良い関係を築いた者ほど、「情報が取れる記者」として会社組織から重宝される。  当局や大企業と近い距離を保ちながら書く記事は、有形無形のバイアスがかかってしまう。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)
P130

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

  • 作者: マーティン・ファクラー
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2012/07/04
  • メディア: 新書
53番圓明寺 愛媛県

デマ

煽動政治家が民衆を扇動することを、英語でデマコギーという。
日本では、略してデマという。日本語でデマをとばすといえば、いい加減な、でたらめなことを言いふらすという意味である。デマがデマだとわかっていれば、弊害はない。まことしやかなデマには、よほどしっかりしていないと、たいていの人はのせられる。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P133

民主主義 (角川ソフィア文庫)

民主主義 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 文部省
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/10/24
  • メディア: Kindle版

52番太山寺 愛媛県

認知バイアス

 人間は、論理的に導かれた結論よりも、根拠のない、「オレはついている」「私だけには(住人注:宝くじが)当たるかも」という考えを信じてしまいがちです。「オレだけは事故に遭わない」「私だけは助かる」という思い込みも、その典型的な例と言えるでしょう。
 この、根拠のない思い込みを「ヒューリスティック(仮説思考)と言い、正しい結論からそれを遠ざけてしまう先入観や偏見のことを「認知バイアス」と言います。
 もしかすると、自分には当たるかも・・・・・というのは、認知バイアスのうちの、「感情バイアス」にあたります。心理的なバイアスには、ほかにも、「正常性バイアス」「同調性バイアス」「確証バイアス」「集団性バイアス」などがあります。
 正常性バイアスというのは、東日本大震災後でも話題になりましたが、どんなに緊急を告げる警報やアナウンスがあっても「たいしたことはないに違いない」「どうせ誤作動だろう」と、何の根拠もなく、勝手に解釈してしまうという認知バイアスです。これに、「みんな普通にしてるし」「ひとりだけ慌てたらカッコ悪いな」などの同調性バイアスが加わると、さらに、逃げ遅れる人が多くなってしまうことになります。
~中略~
 さて、確証バイアスというのは、自分の根拠のない先入観をたよりに、それにそう情報、だけを集め、そうやって集められた情報から、特定の人の性質を決めてしまうような認知バイアスのことです。
 たとえば、「○○出身の人はやっぱり粗暴で仕事が雑なのよね・・・・・」といったような具合です。ここに集団性バイアスが加わると、さらに話がややこしくなってきます。
集団性バイアスというのは、個人では常識的判断が働くのに、集団のなかに入ると、どんどん意見が極端になってしまう傾向のことを言います。「リスキー・シフト」とも呼ばれます。
 かつての欧州では、キリスト教とユダヤ教の教義の違いに由来した、ユダヤ人に対するある種の確証バイアスが働いていました。第二次世界大戦中のナチス・ドイツにおける反ユダヤ主義がその極端な典型例です。「ユダヤ人はずる賢い守銭奴で悪党」というイメージです。
 冷静に観察すれば、ユダヤ人だって普通の人と変わらないし、非ユダヤ系ドイツ人にだってずる賢い人もいることくらい、すぐにわかるはずなのですが、集団性バイアスにより、市井の人の意見もどんどん過激になっていきました。

脳はどこまでコントロールできるか?
中野 信子 (著)
ベストセラーズ (2014/8/19)
P102

脳はどこまでコントロールできるか? (ベスト新書)

脳はどこまでコントロールできるか? (ベスト新書)

  • 作者: 中野 信子
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2014/08/19
  • メディア: 新書

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51番石手寺 愛媛県

マインドフルネス

P11
 マインドフルネスとは「今、ここ」に生きることでネガティブ思考を手放し、ネガティブ感情を癒す素晴らしいスキルです。

P149
 傾聴してもらうと自分の心の声を聴くことができると述べました。  ところで、マインドフルネスとは、自分と自分を取り巻く「今、ここ」の現実にリアルタイムかつ客観的に気付いていることです。
とりわけ自分がなにを考え、感じているのかがその気付きのもっとも重要なポイントになります。
つまり、マインドフルネスとは自分自身の心の声を聴くことにほかなりません。

P167
 怒りや悲しみ、苦しみなどのネガティブ感情にとらわれている時に、ふと我に返ること、すなわち「マインドフルになること」はとても得難いチャンスです。怒りや悲しみなどのネガティブ感情のパワーは半減し、手放すことができます。

 

P173
 マインドフルネスと言えば英語ですから、欧米発かと思いきや、そのルーツは意外に古く、発祥の地はインドです。
 お釈迦様が悟りを開いた時の心の状態、それがマインドフルネスなのです。  お釈迦様と言えば、王子様として生まれたのちに、人生のあらゆる苦しみを滅する方法を求めて出家した方です。最初は苦行に活路を見いだしましたが果たせず、瞑想によって苦しみの原因を突き止め、苦しみから解放される方法を確立されました。
北方から日本に伝わったのが禅(禅宗)であり、南方へ伝わったのがヴィッパッサナ瞑想です。
 のちに欧米に伝わり、マインドフルネスという名前がつきます。
 マインドフルな心の状態を保つからマインドフルネス瞑想ですね。やがてマインドフルネスのメンタルヘルスへの効果が注目され、心理療法の一部である認知行動療法に組み込まれました。それがマインドフルネス認知療法です。

マインドフルネス 「人間関係」の教科書 苦手な人がいなくなる新しい方法
藤井 英雄 (著)
Clover出版 (2017/5/25)

マインドフルネス 「人間関係」の教科書 苦手な人がいなくなる新しい方法 (スピリチュアルの教科書シリーズ)

マインドフルネス 「人間関係」の教科書 苦手な人がいなくなる新しい方法 (スピリチュアルの教科書シリーズ)

  • 作者: 藤井 英雄
  • 出版社/メーカー: Clover出版
  • 発売日: 2017/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

マインドフルネスは、自己を切り離して世界をながめ、しかも偏った判断を加えずに刹那的にそうすることで、ものごとにわずらわされなくなるという考え方にもとづいている。めまぐるしい人生に穏やかさと静けさをもたらすための人気の手法として広く取りざたされている。今日では、生産性や効果をあげるための手段としてビジネススクールや企業や軍隊でも推奨されている。
 しかし、マインドフルネスは自己の克服を目的としていた。仏教は無我の教理であり、仏教徒の実践は全体として、そんなものであれ個として自己が存在するという観念を排除することを意図している。
ところが、仏教のこの側面の多くは放棄され、かわりに、内面をのぞき込み、自己を受け入れる方法としてマインドフルネスはしばしばゆがめられてきた。異国風の自己啓発の一形態、すなわち、自分自身にもっと満足できるようにするために利用される無我の教理となった。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)
P234

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: Kindle版

50番繁多寺 愛媛県

バンドワゴン効果


 書籍の帯に、「たちまち増刷!」「10万部突破!」なんて書いてあったりすると、なんとなく目について、時には、手にとってしまったりしませんか?また、家電量販店に行って、店員に「この製品が最近流行っているんですよ」なんて言われると、つい、必要もないのに買ってしまって、奥さまに怒られてしまったり・・・・・。
 そして、これが一番有名な効果だと思いますが、選挙などで、自分の票を死に票にしたくないという心理が働き、優勢が伝えられる候補者に投票する、という現象もあります。
~中略~
 これが、「バンドワゴン効果」と呼ばれるものです。
 ただ、日本では伝統的に、判官びいきの傾向も根強く存在します。これは「アンダードック効果」と呼ばれ、劣勢の側や落ち目の人を応援したいという気持ちが強く働くことを指します。
 さて、バンドワゴンというのは、パレードの先頭で音を鳴らす楽隊車のこと。
 みんなが買っている、みんなに支持されている、というだけで、自分がしっかりその製品を調査したり、その人物や政策を検証したりしたわけではないのに、「みんな」の評判を信頼して買ったり、心情的に味方になったりしてしまうのです。

脳はどこまでコントロールできるか?  

 

脳はどこまでコントロールできるか? (ベスト新書)

脳はどこまでコントロールできるか? (ベスト新書)

  • 作者: 中野信子
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2015/07/17
  • メディア: Kindle版
49番浄土寺 愛媛県

2025年12月10日水曜日

教育の受益者は本人ではなく、社会全体

かの国(住人注;アメリカ)は基本的に「自助の精神」を重んじる国です。アメリカ社会における理想的な人格とは「self-made mann」です。
他人に依存せず、誰からも支援されず、独力で地位も、財産も、威信もすべて築き上げた人間を敬する伝統があるわけです。「開拓者の国」ですから。  ですから、この国では「弱者の支援」というアイディアがほんとうの意味で根づいたことはないのかも知れません。
例えば、アメリカ教育史上の大問題は、公教育の導入に多くの市民が反対したことです。

公教育の理念自体はコンドルやルソーなど、一八世紀のフランスでできたものですが、行政的に公教育が導入されたのはアメリカが最初です。
アメリカは公教育の先進国なのです。ただ、この公教育制度に対して、つまり「税金を使ってすべての子どもたちに初等中等教育を施す」という仕組みに猛然と反対した市民たちがいた。
 彼らは教育の受益者は「教育を受ける本人」であると考えた。子どもたちが学校に通い、そこでしかるべき教育を受けて、有用な知識や情報や技術を身につけて、資格や免許をとり、社会的上昇を果たすとするならば、教育の受益者は子どもたち自身だということになる。
だとすれば「受益者負担」の原則を適用して、教育経費は受益者たる子どもたち自身が、あるいはその扶養者である親が負担すべきではないのか、そこにわれわれの納めた税金を投じるのはアンフェアである、そう言って反対する人たちが出現してきた。これは反論のむずかしいロジックでした。彼らはたしかに刻苦勉励して税金が払えるような身の上になった。だから、自分の子どもたちにそれなりの教育を与えることができるようになった。
けれども、自分ほども努力していないし、才能もない貧乏人たちの子弟のためになぜ教育機会を提供しなければならないのか、その理由がわからない。彼らが教育を受けて、それなりの社会的能力を獲得すれば、自分の子どもたちとポストをめぐって競合することにもなりかねない。 なぜ、自分の懐を痛めてまで他人の子どもに自分の子どもに自分の子どもを蹴落とすチャンスを提供しなければならないのか。
教育の受益者は教育を受ける本人である。それなら、教育を受けたいものはまず働いて、金を貯めて、それを自己投資すべきである。~中略~
 それでも公教育が実現したのは、公教育論者たちが納税者たちを「短期的には損だが、長期的にはお得」という利益誘導のロジックを用いて説得したからです。~中略~ どう転んでも、こどもたちに教育を施したほうが長期的に見れば「金になる」んです。そういうふうに説得した。
 でも、僕は今でも、こういう経済合理性のロジックで公教育の導入に成功したという歴史的事実そのものがアメリカの根本にある種の「ねじれ」を呼び込んだのではないかと思います。
「学校教育」というのは、それで誰かが「金を儲ける」ことができるから有用であるというような理屈で基礎づけてはならないものだからです。
 学校教育の受益者は教育を受ける子どもたちではありません。誤解の多いことなので、繰り返し強調しますが、学校教育の受益者は本人ではなく、社会全体なのです。
われわれが学校教育を行う理由は、一言で言えば、われわれ共同体を維持するためです。集団として生き残るためです。次代の共同体を支えることのできる成熟した市民を育成するためです。自余のことは副次的なことにすぎません。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P316

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/07/03
  • メディア: Kindle版

48番西林寺 愛媛県