2026年4月15日水曜日

ムレ(牟礼)

古いころ、この玖珠盆地の防衛は、地図で察するに、森のそばに遺跡がのこっているはずのツノムレ城が果たしたかと思える。ツノムレは、角埋(つのむれ)または角牟礼(つのむれ)と書く。
 九州には、ムレ(牟礼)という地名が多い。多くは小さな山を指す。もしくは―勝手な想像だが―山城になりやすい山を指すようにも思える。
大分県に残っている城跡あや砦跡は八十ヶ所ほどあるといわれているが、ムレのつく城跡はこのツノムレ城のほかに、国東半島の於莬牟礼城、竹田市の矢原(やばる)にある津賀牟礼(つかむれ)城、または佐伯市の西郊にある栂牟礼城(とがむれじょう)などで、共通していることはいずれも山城であることと、最初の築城が戦国以前ということである。
ムレは地理に関する古代語だと思うが、九州以外の地方でも、わずかながら例はある。
 ムレは古い時代に、朝鮮半島から移ってきた―移住者とともに―言葉だろうと私は漠然と思っていたが、念のために「時代別国語大辞典」(上代編)(三省堂刊)の「むれ」の項をひいてみると、
 山。朝鮮語に由来する語か。
 という意見をとっている。
 文献例として幾つかひいている中で「日本書紀」「斉明記」四年の、
「今城(いまき)なる乎武例(をむれ)(小丘(をむれ))が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か嘆かむ」
 という例は、ムレが朝鮮語であることのにおいを強く持っている。
 斉明天皇の四年に、斉明の孫建王(たけるのみこ)が八つで死んだ。遺骸を今城谷(いまきのたに)(奈良県吉野郡大淀町今木)に葬った。
このとき斉明が右の引例の歌を詠んだのだが、今城は、この場合、地名である。「あらたに渡来して定着した」という意味で、地方によっては意味どおり今来と書く。
要するにイマキというのは朝鮮半島からやってきたひとびとの住む村をさす。 その村では、丘のことを、ヤマとかヲカとか言わず、ムレと言っていたことを、作者の斉明は知っていて丘のことをわざわざヲムレといったのである。

街道をゆく (8)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1995)
P151

街道をゆく8

街道をゆく8

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版

 

大分県国東市 両子寺

木にまなべ

何百年もの間の種が競争するんでっせ。
それで勝ち抜くんですから、生き残ったやつは強い木ですわ。
でも、競争はそれだけやないですよ。大きくなると少し離れてたとなりのやつが競争相手になりますし、風や雪や雨やえらいこってすわ。
ここは雪が降るからいややいうて、木はにげませんからな。じっとがまんして、がまん強いやつが勝ち残るんです。

西岡 常一 (著)
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美
小学館 (2003/11)
P23

法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。

木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)

木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)

  • 作者: 西岡 常一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/11/07
  • メディア: 文庫


薬師寺 奈良県

道具は得心がいくまで研け

時代が進歩した言いますけどな、道具はようなってませんで。
P40

得心が行くまでというのは、これ以上研げんということですな。
そうすれば、道具は、頭でおもったことが手に伝わって道具が肉体の一部のようになるということや。
わしらにとって、道具は自分の肉体の先端や。
P41

西岡 常一 (著)
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美
小学館 (2003/11)

法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。

木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)

木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)

  • 作者: 西岡 常一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/11/07
  • メディア: 文庫

P133
 先年、一年ほど大工さんのそばで暮らし、その研ぎを見ていた。はじめのうちは姿勢やら手の運動やらを見て、なるほどなあと思っていたが、あるときはっきり心に落ちるものがあった。
大工さんたちは心ゆくばかり研ぎあげていて、決して間に合わせということをしていない。
運針も研ぎも、私はずっと間に合わせでしていた。間に合わせとは、なんと愚劣なことかとしみじみ思う。

P121
(住人注;棟梁さんの話)大工は木を切り削り、刃物を研ぎに研いで仕事をする、いってみれば木も刃物も砥石もどれもみな、減らし痩せさせながら、自分もまた老いて一生を終わります。
だから、せめてその日その日、木にも刃物にも石にも、後悔の少ない付き合いをしていきたいと思います、と。

幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)


幸田文しつけ帖

幸田文しつけ帖

  • 作者: 幸田 文
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/02/05
  • メディア: 単行本
尾道市 浄土寺

文武両道

 忠孝の道を尽くそうとする天性を、徳性にもとづき道理に従って正しく導くのが文の道であり、その心を治め胆を練り、これを武技や政治でためしてみるのが武の道である。  

横井小楠―維新の青写真を描いた男
徳永 洋 (著)
新潮社 (2005/01)
P76

横井小楠―維新の青写真を描いた男―(新潮新書)

横井小楠―維新の青写真を描いた男―(新潮新書)

  • 作者: 徳永 洋
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/08/03
  • メディア: Kindle版

 

望雲台 英彦山 福岡県

自己嫌悪とは

自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ。
「現代文学の不安」4-17

新潮社 (編集)
人生の鍛錬―小林秀雄の言葉
新潮社 (2007/04)
P29

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/04/01
  • メディア: 新書


京都府 下賀茂神社

ノスタルジー

 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」。シチリアを旅立つ青年に、老映画技師は言う。もうここには戻ってくるな。ノスタルジーに惑わされてはいけないと。
そう。ノスタルジーは幻想なのだ。ノスタルジーに浸るとき人は自己愛に浸っている。それに足をとられるな。たぶん技師はそう言いたかったのだ。

~中略~
なつかしさとは、いとおしいペットのような自己の記憶なのだ。時に人はそれに足をとられ、しかし時にそれは解毒剤のように何かを溶かし慰撫してくれるものでもある。

福岡 伸一 (著)
ルリボシカミキリの青
文藝春秋 (2010/4/23)
P199

ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで (文春文庫)

ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで (文春文庫)

  • 作者: 福岡 伸一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/04
  • メディア: 文庫

 


 どの時代も、その前に時代を、自分たちのより元気がよく道徳的だった時代だと考える。

今の人間が昔の人間より劣っているという嘆きは、ヘロドトスの歴史書にも、ローマ共和国後期の文筆家にも、モンテーニュにも、現代の作家にも見出される。

(「作家の手帳」一九〇一年)

モーム語録
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P10


モーム語録 (岩波現代文庫)

モーム語録 (岩波現代文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/04/17
  • メディア: 文庫




 何かを行うことと、何かを思うこととは、両方とも人間的な行為です。
 未来を夢見て心を躍らせることと同じように、人は過去を振り返って思いにふけります。そのどちらにも優劣はありません。ともに私たちの人生のたしかな一部ではないでしょうか。
~中略~
 人は現実生活の中で傷つきます。心が乾き、荒涼たる気分を覚えます。そのガサガサした乾いた心をうるおしてくれるのが、郷愁です。

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
P199

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

百歳人生を生きるヒント (日本経済新聞出版)

  • 作者: 五木寛之
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Kindle版

京都府 祇園

脳始

P183
  しかし人の死の定義が簡単な問題でなかったように、人の生の定義も全く簡単な問題でない。今後必ず次のような論議が立ち上がってくるはずだ。
人の死を、脳の死ぬ時点に置くのならば、論理的な対称性から考えて、人の生は、脳がその機能を開始する時点となる。つまり「脳始」である。
 「脳始」論に立てば、明らかに、受精卵はまだ人でない。

~中略~
受精卵およびそれが細胞分裂してできる胚が、脳始以前の、まだ人でない、細胞の塊に過ぎないとみなされるなら、それを再生医療にいくらでも利用しうるからである。
 私たちが信奉する最先端科学技術は、実は私たちの寿命を伸ばしているのではない。両側から私たちの生命の時間を縮めているのである。

P187
一体いつヒトはヒトになるのか。日本の民法は「胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす」としか規定していない。

福岡 伸一 (著)
ルリボシカミキリの青
文藝春秋 (2010/4/23)

ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで (文春文庫)

ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで (文春文庫)

  • 作者: 福岡 伸一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/04
  • メディア: 文庫



 

京都府 永観堂

死の定義

 もちろん、心臓の停止、呼吸の停止、瞳孔の散大といった死の経過は、専門家として確認していきます。
しかし、その死の時間を機械の判断に任せるのではなくて、呼吸が止まったと周りの家族の人たちが納得した頃に、「診察をしてもよろしいでしょうか」と診させていただくようにしています。

 家族の人たちにとって、それはけっこう曖昧な時間で、一度呼吸が止まっても吹き返すのではないかと思ってじっと見守っている時間です。
実際に短時間息を吹き返すこともあるわけですが、このように見守るプロセスがあった方が、生体反応が終わったんだということをゆっくり穏やかに受け止めることができるようです。
~中略~

死の定義というのは、その人といちばん深くかかわった人が、「やはり終わったんだな」と思えたときなのかなと思うことが最近は多くなりました。
山崎章郎

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P90

多生の縁 玄侑宗久対談集

多生の縁 玄侑宗久対談集

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/03/24
  • メディア: 単行本

 

京都府 大原

哲学の動機

佐伯啓思
西田さん(住人注;西田幾多郎)の「哲学の動機っていうのは、人生の悲しみにある」という非常に有名な言葉があって。
どうして自分は哲学をやったかというと、別に哲学が好きだとか、ものを知りたいとか、本を読みたかったとか、そんなことじゃなくて、自分の哲学の動機は人生の悲しみだと。

住人注;
哲学の動機は人生の悲哀でなければならない
>>>http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/kindainisida1.html
>>>http://www.歎異抄.com/praise08.html

NHK「爆笑問題のニッポンの教養」制作班 (著), 主婦と生活社ライフ・プラス編集部 (編集)
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
主婦と生活社 (2011/1/7)
P188

名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)

名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)

  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2011/01/07
  • メディア: 単行本


京都府 法然院

追憶

 人間の脳裏の追憶というものは、事実として記憶されるよりも、詩として記憶されるものかもしれない。  

花神 (中)
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P322 

花神(中) (新潮文庫)

花神(中) (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1976/09/01
  • メディア: 文庫

 

京都府 下賀茂神社