2026年2月5日木曜日

土民

重要な問題である「百姓」についてお話しする前に、もう一つ挙げておかなければならない言葉が「土民」です。
今や完全に差別語とされて、一般的には使われていませんが、「土民」も実は「平民」「百姓」とほとんど同義の言葉として、かまくら幕府の法律などに用いられているのです。たとえば「土民の習」という表現がありますが、これはその土地の普通の人々の習慣を意味しています。
~中略~
 今でもみやげを「土産」と書くことからもわかるように、「土」には「その国の」「その土地の」といった意味が込められています。ですから、その国の特産物が土産になるわけです。
「土風」は「くにぶり」といわれており、この「土」も同様です。先ほどの「平民名」は「土名」と書かれることもありましたが、それもまったく同じ理由だと思われます。
~中略~
 明治以後、北海道のアイヌのことを「旧土人」と呼んでいましたが、これも本来は決して侮辱的表現ではありませんでした。本州から北海道に渡った人を指す「新土人」という言葉に対して、元からいる人をそう呼んだのです。、

歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)
P64

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

  • 作者: 網野 善彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/08/27
  • メディア: 文庫

 

北海道 美幌

四知

天知る、地知る、我知る、人知る 四知。後漢の楊震(ようしん)が賄賂を断るときにいった言葉。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P144

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2016/09/29
  • メディア: 単行本

 

高知県 四万十川

日本国は、自分の支配下にはいった地域に国・郡・郷(最初は里)という行政単位を設定しましたが、東北北部はついにその枠組みに入らず、そこにある集落は日本国からは「村」と呼ばれていました。
「村」は中世まで公的な国制の外にある集落の呼称だったのです。
津軽・下北に郡ができて陸奥国の中に入るのは十二世紀以降のことです。ただ、日本国全体としては国・郡の制度は九世紀前半には確率・固定したとみられています。
そして、現在の東京・埼玉のあたりを武蔵国、主に神奈川県を相模国と呼ぶような、「国」の名前もその頃には確定していきました。

歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)
P28

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

  • 作者: 網野 善彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/08/27
  • メディア: 文庫

 

北海道 タカトシ牧場

備長炭

P22
ビンチョウ炭は良質の無煙炭割れ肌のような金属的な光沢をもち、たたきあわせると音までが金属的で、いかにも火力がでそうである。
そのくせ、松炭などよりはるかに低温で、六〇〇度しか出ない。低温であるということも温度にむらがないという特性のために、日本料理には欠かせないものとされてきた。

P23

ビンチョウ炭というこの奇妙な名称は、物の本によると、元禄年間に紀州田辺の商人備後屋長右衛門(略称・備長)が江戸へ売りだしたからこの名ができたということになっているが、べつに備長が創案したものではなく、土地に長く伝わっていた知恵を備長が商品化しただけのことなのであろう。 

街道をゆく (8)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1995)

街道をゆく8

街道をゆく8

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版

熊野那智大社 和歌山県

潟(かた)

「潟(かた)」
 という日本語はよほど古いものらしく、「万葉集」にも紀州の和歌の浦の潟を読んだ歌として「若(わか)の浦に潮満ち来れば潟を無(な)み葦辺さして鶴(たず)鳴き渡る」というのがある。
 潟とは、この歌がその地理的特徴を的確に言いあらわしている。河川の河口などで海が、河川が流す土砂のために遠浅になっており、そこに潮が満ちてくる、「潟を無み」でもって海に化してしまうが、潮が干(ひ)ると洲になって現われる場所をいう。
 いまの新潟市付近の地図をみると、潟の文字のついた地名がひどく多い。私の知人の新潟県人は、
「北、中、南の三つの蒲原(かんばら)郡は、ほとんどがかつては潟か沼だったといってもいいです」  という。かつて潟だった土地が信濃川や阿賀野川の活動で潟がうずまって自然に野になってしまった土地―たとえば新潟市のように―もあるが、新潟市の南郊の亀田郷ように、人間が他から泥を運んできた水中に投げ入れ、永年それを繰りかえしているうちに陸も沼ともいえぬ異様な水田耕作地になったというようなところもある。
 要するに新潟県というのは、大河の大河口にちかい野は、新潟市をふくめてかつては潟であった。満潮のときには、いまの新潟市などは海底にあったかと思える。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P13

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

里山

 ちなみに、自然の遷移と伝統的な人間活動の重なりがつくり出してきた林は「里山」とよばれ、人と自然の持続可能な共存のモデルと考えられている。
通常、里山には風や光がほどよく入りこみ、植物の種類も、動物の種類も豊富である。

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学
小林 朋道 (著)
築地書館 (2007/03)
P87

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!: 鳥取環境大学の森の人間動物行動学

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!: 鳥取環境大学の森の人間動物行動学

  • 作者: 小林 朋道
  • 出版社/メーカー: 築地書館
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本

 

京都府 宇治川

土芥寇讎(どかい こうしゅう)


土芥寇讎」とは聞きなれない言葉だが、「孟子」にその出典がある。
「君の臣をみること、土芥のごとければ、すなわち、臣の君をみること寇讎のごとし」
 という一文、江戸時代には「四書五経」をそらんじているのが、教養人の規準になったから、「孟子」のなかの「土芥寇讎」という言葉は江戸の士人にとっては、ごくありふれた言葉であった。
「殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のようにみる」
 そういう意味である。
この土芥寇讎記には、水戸黄門も出てくれば、浅野内匠頭(たくみのかみ)も出てくる。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P6

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
  • メディア: 文庫

 

奈良県 奈良町

滝ノ口


そもそも「滝ノ口」とは何かということになるのだが、その背景に水神(水分(みくまり))信仰があることはまちがいないように思われる。
「竜(龍)」という語はその一つの表れではないか。久保田展弘は次のように書く。「吉野山はそもそも水神を祀る聖域であった。そして金峯山の信仰が、吉野川の水源を司る青根ヶ峰における水分神に発するのだとすれば、この金峯山の山上であるところの山上ヶ岳一帯は、水神の支配する境域と言っていい。したがって、現在の大峯山寺の湧出石に現れた蔵王権現は、当然ことながら水神信仰のなかから生まれた尊格と考えてよいのではないかと思う。
~中略~
 水源が特別な聖地となるのは万国共通のことで、そこはすべての生命の発端として昔から多くの人びとによって尊び祀られてきたのである。室生寺における室生龍穴、長谷寺における瀧蔵(たきのくら)、日光東照宮に対する瀧尾(たきのお)など、その例は枚挙に遑(いとま)がない。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P65

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書
龍穴神社 奈良県

区は、明治の太政官政府が、明治五年につくったものである。全国津々浦々に区制を布き、かつての村々を区でまとめて中央の行政を流れやすくし、区長を任命して行政の最末端の責任を負わせた。
この区制はわずか六年のいのちで明治十一年に廃止され(大都市のみに存置されたが)、替って町や村が最小単位になった。区は今は制度上、存在しない。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P28

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

京都府 宇治神社

ユタ


身内に別れて寂しい不幸の日を送った者は言うにおよばず、富栄えて眷属の多い人々でも、田舎では、つれづれなる夜の物語などに、この世の始めとわが家の始めを、もっと精彩に知らねばならぬと、考える折りが多かったことと思う、しこうしてこの要求に対しては、村々には物知りと称する女性がいた。
 物知りは沖縄の方では、ユタと呼ぶのがふつうである。
大島加計呂麻などでは正神、またホゾンカナシとも言っていた、本尊と頼む神仏の力によって、ただの人の目には見えぬ者を見る。
ゆえにその言うことが信ぜられた。今まで不明であった高祖の名でも事業でも、これに聞けばたちまち闇の園の灯火であった。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P62

海南小記 (角川ソフィア文庫)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫

 

京都府 宇治神社