2026年7月31日金曜日

介入は控えめに

P226
 いつも介入の技術を向上させて、極めていかなきゃいけないけれど、自分の介入を控えて、止める判断力を持って、なろうことならそれを使わないで、できるだけ少ししか介入の技術を使わないで、自発的なものが出てくることに期待する。
手遅れになっちゃいかんけどな。「期待する」という見極めがまた、ケアの精神から来ているわけです。
~中略~
 小野寺先生(住人注;九大の第三内科の初代教授、小野寺直助先生)は「どこがこの病態のポイントか。そこだけ処方しておけば、そこがよくなると生命体全体の機能がよくなって、残った部分は全部、自分で治っていく。だからいちばんのポイントを探して処方すれば、薬は少しでいい。
少しというのは量ではなくて種類のこと。一つか二つかでできるはずだから、少なくともそれを目指すべきだ」という話をなさっていました。
「介入をできるだけ控えて、そして生命体の持っている自然によくなっていく力に、いつも介入者のほうが一歩譲るということが大事だ」とおっしゃっていたんですが、それもさっきから言っているケアの精神から来ているわけよね。

P228
 面白いのは、謙虚になるためのいちばんの近道は、技術がすごくうまくなることなんですね。下手くそなうちはやり過ぎるの。
 たとえば剣術で言うと、すごく技術が上に行くと「無刀取り」とか言って、自分は刀を抜かないで向こうから切ってくるとパッと刀を取り上げちゃう。テレビによく出てくるじゃない。その人は刀を振り回すことができないのではなくて、刀を振り回すのは上手になり過ぎて、卒業して、もうせんの。
技術はうんと上手になれば、あんまり使わないようになるの。そこで謙虚がうまれてきます。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)

神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: Kindle版

 

 

長野県 北向観音

人間に関心がないのでしたら、援助者には向きません


世の中には一定の割合で性格に問題を持った人が存在します。そんな人から「不意打ち」を受けるよりは、ある程度覚悟したうえで人間の多様性に触れることのほうが精神衛生上はベターでしょう。~中略~
 援助の仕事は、振幅が激しいのです。嫌なことが山ほどある。が、そのぶん、ときには充実感や感動に接することがある。人生のいろいろな側面を目にする機会にも恵まれる。
人間に関心がないのでしたら、援助者には向きません。無難で平坦な毎日が望みなら援助者には向きません。

はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P238

援助者必携はじめての精神科 第2版

援助者必携はじめての精神科 第2版

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本

 

長野県 清水寺

生きる意味

P26
そこ(住人注;人生になにも期待できないと思い、生きる意味がないと思ったとき)で大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂げることでした。
それはものごとの考え方を一八〇度転換することです。

P27
 ここでもうお分かりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから過っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

P29
 私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。ところで、人生が私たちに出す問いは、たんに、そのときどきに応じてちがったものになるだけではありません。その人に応じてもまたちがったものになるのです。
人生が出す問いは、瞬間瞬間、その人その人によって、まったくちがっています。

P37
 私たちはさまざまなやりかたで、人生の意味をあるもにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。
苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現できなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。
~中略~
 ですから、困難に対してどのような態度をとるかということのうちに、その人本来のものが現われ、また、意味のある人生が実現されるのです。

P39
私たちは、どんな場合でも、自分の身に起こる運命を自分なりに形成することができます。「なにかを行なうこと、なにかに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」とゲーテはいっています。それが可能なら運命を変える、それが不可避なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです。どちらかの場合でも、私たちは運命によって、不幸によって精神的に成長できます。

P43
人生はたえず、意味を実現する何らかの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています。
人生は、「最後の息を引き取るまで」意味のあるものに形づくることができるといってもいいでしょう。 人間は、息をしているうちはそもそもまだ意識があるうちは、人生が出す問いにそのつど答えていくという責任をになっているのです。それは、人間存在とは意識存在、責任存在にほかならない、という人間存在の重要な根本事実を思い出せば、なんの不思議もないことですが。

P44
 そうしますと、確実にわかることがあります。つまり、あるひとつのことは、確実に無意味であり、それにはまったく意味がないということです。
そのひとつのことというのは、命を捨てることです。というわけで、自殺はけっして、なんらかの問題に対する答えではないのです。自殺しても、問題の解決にはならないのです。

P57
 生きるとは、問われていること、答えること
 ―自分自身の人生に責任をもつことである。
ですから、生はいまや、与えられたもの(ゲゲーベンハイト)ではなく、課せられたもの(アウフゲゲーベンハイト)であるように思われます。生きることはいつでも課せられた仕事なのです。このことだけからも、いきることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があるということが明らかです。
~中略~
ここで明らかになった見解は、もしかすると、ヘッベルの言葉でもっとも適切に表現できるかもしれません。彼はいいます。
「人生それ自体がなにかであるのではなく、 人生はなにかをする機会である!」

それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: Kindle版

 

 

人生のいきがいをつきつめてゆくと、結局、「人間らしく、よく生きる」ことになろうか。そうだとすれば、健康も、財産も、地位や名声、さらには仕事そのものも、生きるための目的であるというより、むしろ手段ではなかろうか。このような手段が目的と見なされるところに、さまざまな悲劇が生まれることになる。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P236

 

セルフコントロール 交流分析の実際

セルフコントロール 交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: Kindle版

 

 

 

薔薇はなぜという理由もなく咲いている。
薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。
人が見ているかどうかも問題にしない。
[シレジウス] ドイツの詩人 | 1624-1677

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)
30

 

人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ

人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ

  • 出版社/メーカー: ミズノオフィス
  • 発売日: 2013/07/05
  • メディア: Kindle版

手を尽くして祈る

 (住人注;人は常にP:親的な自我状態、A:大人の自我状態、C:幼児的な自我状態の全体で反応することの)たとえば、外科医が手術をするにあたって、それまで得られたデータに基づいて、冷徹で精密な機械のような態度で臨むという点だけをみると、精神的にはAの理性そのもののように思われる。
しかし、外科手術の世界的権威であるわが国の一教授がくしくも言われたように、「手術は祈り」なのである。ここでいう祈りとは、全身全霊をあげて手術に臨むという含みをもっている。
外科医は、手術中に予想だにしなかったような事態に遭遇し、それに対処できるためには、常に、その創造的なAの働きと、それを支える深い人間愛Pがなければならないであろう。また、手術をうまく進めるには、Cに属する本能的な直観力が絶えず目覚めていることも、欠かせない条件であるといえよう。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P53

セルフコントロール:交流分析の実際

セルフコントロール:交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 1998/11/01
  • メディア: 単行本


 医師には明晰な頭脳と温かい心が必要である。その仕事は骨の折れる複雑なものであるから、最高度の頭脳の働きを必要とし、それと同時に、絶えず感情や繊細な感覚に訴えてゆかねばならない。

平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P174

平静の心―オスラー博士講演集

平静の心―オスラー博士講演集

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本


八角三重塔 長野県 安楽寺

2026年7月29日水曜日

臨終ビジネス

ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。人間が自然に死んでゆく姿を、見たことがありません。
だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、言いだすのです。
「死」という自然の営みは、本来穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P5

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者: 中村 仁一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書

中村(住人注;中村仁一) 今の保険制度は、なだらかな変革ではおいつきませんからね。もう若い世代が支えきれないから、一気につぶれるでしょう。そしたら今度は、今までと同じようにはいかなくなる。年寄りがちょっと具合が悪いと病院に行く、弱ったら病院に行くというのが難しくなってきますよ。
『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の読者も、そこを予感しているのかもしれませんね。それと「長寿社会」っていうけど、実は「長寿地獄の社会」でしょ。 いい状態で長生きできるとしたら、けっこうな話だけど。
近藤(住人注;近藤誠) 長命地獄だし、医療地獄ですよね。~中略~
 死ぬ前は特にひどい。日本人が一生に使う医療費の2割が、死ぬ直前に使われるんだから。それがなければ、医療産業っていうのは成り立っていかないんですよ。
中村 だから「香典医療」と言われるんです(笑)。
近藤 もし死ぬ前の医療がストンとなくなったら、医療界の売り上げが2割落ちるわけでしょ。ある産業でいきなり2割、売り上げが減ったらつぶれますよ。

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P122

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本

島根県 荒神谷遺跡

発達障害

P3
  発達障害はけっして珍しいものではありません。ある統計では、一五歳未満の子どもの一割以上が何かしらの発達障害の症状を示すという結果も出ています。そして、その多くが、発達障害であるとは気づかないまま大人になっていくのです。
 「障害」という日本語が誤解を与えがちですが、この症状は知能の発育にのみ関係するものではなく、勉強の成績がトップクラスの子の中にさえ、発達障害の子はいます。

P29
 具体的に言うと「中枢神経系(脳)の発育・発達が、なんらかの理由(遺伝、妊娠中・出生時の異常、乳幼児期の病気など)で、生まれつき、または乳幼児期期に損なわれ、言葉、社会性、協調運動、基本的な生活習慣、感情や情緒のコントロールなどの発達が、未熟、アンバランスになるために起こる」と考えられています。
中略~ごく大雑把に言えば、脳機能の発達の凸凹(偏り)が原因であり、一次的には家庭環境や本人の性格などは関係ありません。あくまで本質的な原因は脳であり、心の問題ではないのです。

P152
 発達障害の詳細の病態は、実はよくわかっていません。
 しかし、発症のメカニズムとしては、家庭の養育環境や心的外傷体験(トラウマ)などの環境要因や心理的要因で起こるのではなく、明らかに生まれつき、もしくは出産前後に脳機能損なわれることによって発症することが確認されています。
 ただし、本来の(一次的)原因はあくまで脳の障害ですが、二次的にはしばしば心理社会的要因によって悪化したり、二次障害や合併症を示すことがあります。

P84
 大人の発達障害者が、交通事故や産業事故、水難事故などを起こしやすいのは臨床的によく知られた事実です。
~中略~
 近年、日本では飲酒運転で死亡ひき逃げ事故を起こすなど悪質な交通事故が増え、さらなる厳罰化を求める声が少なくありませんが、事故の背景に発達障害があるとすれば、いくら厳罰化を進めたところで、事故の抑制効果には自ずと限界があります。
~中略~
発達障害者は一般に睡眠効率が悪く、七~八時間寝たと思っても、実際には眠りが浅く、四~五時間しか睡眠が取れていません。
~中略~
 発達障害者に交通事故や産業事故が多いのは、身体症状の特性に加え、睡眠障害が大きく影響しているのです。

P106
 そもそも成人女性にはADHDやASは存在しないとされ、医師が診断することもほとんどなかったのです。女性にも大人の発達障害が少なからず存在することがわかり、世の中の注目を集めるようになったのは一九九〇年代に入ってからです。
~中略~
 彼女たちは、不注意傾向が強く、家事や雑用―つまり、掃除、洗濯、炊事、整理整頓、買い物、電話や来客の対応、育児、親の介護など―を順序だてて、要領よくこなすことができません。
 また、金銭、時間、書類などの管理も苦手です。

P172
ほとんどすべての発達障害者は、自分のさまざまな問題行動や精神疾患は、自分の性格や努力不足、家庭環境やトラウマのせいだと思っています。
 このため、「どうせ自分はダメな人間だ」と著しく自己評価や自尊心を低下させたり、「自分がこうなったのは親のせいだ」とか「いじめたあいつらのせいだ」などと周囲の人に怒りや憎しみを向けてしまいがちです。
その結果、ますます周囲との軋轢がひどくなり、二次障害や合併症を発症する悪循環に陥り、いっそう問題を深刻なものにしていきます。

P228
 発達障害のある人は、磨かれていない原石です。
 彼らは、脳の発達がアンバランスで、物を片づけたり、約束の時間を守ったり、メールをもらったら折り返し返事を出すなど、ふつうなら誰でもできることができずに職場や家庭などでしばしば大変な苦労を強いられます。
 しかし、その一方で彼らは、多くの素晴らしい長所も持っているのです。
~中略~
 実際、歴史に名を残す偉人や天才には発達障害を抱えていたとされる人物が多く、音楽家のベートーヴェンやモーツァルト、科学者のエジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、画家のピカソ、ダリなどはその典型と言われています。

>>>発達障害  

発達障害に気づかない大人たち
星野仁彦 (著)
祥伝社; 新書判版 (2010/1/30)

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)

  • 作者: 星野仁彦
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 新書


 偉人と呼ばれる人が、偉人であると同時に人間的にも立派であったと断定する根拠などどこにもない。
 その偉人はひょっとしたら、世間一般の大人になりきれなかった人間、ただの子供のままだったがゆえに偉大な業績を残すことができたのかもしれない。
 あるいは、時代の流れや年齢ごとにころころと色を変えるカメレオンみたいな変幻自在の人間だったから、時代に沿った仕事をなしたのかもしれない。
 あるいは、魔法にかかった少女のように、途方もない非現実的な夢の中に行き続けたからこそ独特であったかもしれない。
「悦ばしき知識」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
116

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/01/12
  • メディア: 単行本


P027
 ですから、過去の偉い人、歴史に残るような立派な人と言われている有名人が、実は境界型だったという論文は、必ずしも正しくない。むしろ才能がとても豊かだったために、センスがよすぎたために、その人が理解してほしいと思ってだすコミュニケーションが、向こう側から誤解されて、何か訳分からんようになってしまっていたのかもしれない。対人関係も多数決だから、「自分は誰からも理解されない」というようになると、この才能豊かな人は朽ち果ててしまう。
~中略~
 今言ったこともそうですが、境界例の人の治療で、ボクはいつも
「あなたは周りとセンスが合わんのよ。もう諦めんね。周りの世界とは嘘のつながりにして、自分のほんとの世界というのを内側に作っていくようにしたらどう?あちこちいっても、なかなか分かってくれる人はおらんがね」
というようなことを言うようにしています。
 それは境界例の人たちの不安定、厄介さの原因は、自分とピタッと通じあえる相手を求めているからだと思うからです。

P029
〔二〇一三年追想〕
 最近ボクは「境界例」というラベルを使わなくなった。これまでの「厄介な人々」を、「発達障害」「軽症の双極性感情障害」「医原症」あるいはその三つの複合状態と診断するようになった。すべて、治療方針を内包する診断ラベルであり、これで診療がしやすくなっている。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)

神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 作者: 神田橋 條治
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2013/09/03
  • メディア: 単行本


藍島 北九州市

2026年7月28日火曜日

読書

  (住人注;安岡正篤曰く)本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読むと言っても、そうかそうかと本から終始受ける読み方です。これは読むのではなくて、読まれるのです。
書物が主体で、自分が受身になっている。こちらが書物から受けるのである、受取るのである。つまり吸収するのです。
自分が客で、書物が主。英語で言えばpassiveです。もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。
しかしこれだけではまだ受身で、積極的意味に於いて自分というものの力がない。
そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。
今度は自分のほうが本を読むのです。
虎関禅師は、「古教照心、心照古教」と言っておるが、誠に教えられ考えさせられる、深い力のある言葉です。
自分が主体になって、自分の心が書物のほうを照らしてゆく。

岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P187


教養のすすめ

教養のすすめ

  • 作者: 岡崎 久彦
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: 単行本
 古い本を読むことで、私たちは今の時代から大きく遠ざかる。まったく見知らぬ外国の世界に行くこともできる。
 そして現実に戻ったとき、何が起こるか。現代の全体の姿が今までよりも鮮明に見えてくるのだ。こうしてわたしたちは、あたらしい視点を持ち、新しい仕方で現代にアプローチできるようになる。
行き詰った時の古典は、知性への特効薬だ。
「人間的な、あまりに人間的な」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
185

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/01/12
  • メディア: ペーパーバック

  [第一三段] ひとり、灯の下で書物をひろげて、昔の人を友とするのは、格別慰められるものである。
その書物は、文選の感じの深い巻々、白氏の文集、老子の言葉、荘子の諸篇などで、またわが国の学者たちの書いたものも、古い時代のものには、趣きのあるものが多い。

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P195

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

  • 作者: 吉田 兼好
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1971/12
  • メディア: 文庫
文は執見に随って隠れ、義は機根を逐(お)って現はるのみ。
辯顕密二教論 巻上

言葉は、読む人の偏見によって、真意が隠れてしまいます。
その本当の意味は、読み手の技量に応じて現れてくるのです。

空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
聖なる言葉一六五

空海 人生の言葉

空海 人生の言葉

  • 作者: 川辺 秀美
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/12/11
  • メディア: 単行本
 次のセネカの言葉は平凡であるが、真実をついている。
「書物の好きな人間は、この世の退屈さを逃れることができるだろう。その日一日の仕事をにうんざりして、夕方を心待ちににして溜息をつくこともなく、自分に不満を抱いたり、他人に不満を抱かせるような生活を送らなくてもすむ」。 
平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P227

平静の心―オスラー博士講演集

平静の心―オスラー博士講演集

  • 作者: ウィリアム・オスラー
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本
 学校で教ゆるのは短時日の間である。いくら充分に教えたとしても高が知れておる。
ゆえに学校は学生に知識を詰め込むよりも、学校を出てから、伸びのきく力を授ければよいのである。 さすれば学校を出てからも、各自に勉強し進歩する。
いまの学校は講義の筆記でひととおりのことを教え、それを読みさえすれば試験に及第するに差し支えなく、別に読書して勉強する必要のない組織になっている。
すでに学校で読書せぬからして、卒業後にも書物を読もうとせぬ。社会に出てから、何か講義にない新しい問題に出逢うときは、たちまち閉口して始末におえぬことができる。

修養 
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P275


修養 (タチバナ教養文庫)

修養 (タチバナ教養文庫)

  • 作者: 新渡戸 稲造
  • 出版社/メーカー: たちばな出版
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 新書

 古本は、たいてい、東京の神田の「高山書店」という店で買うことにしている。たれそれのことを知りたいと思えば、電話をかけるだけで、高山は懸命に本をさがしてくれるからだ。そのかわり、短編などの場合、本代のほうが稿料よりもうわまわることがある。
そういう話を知人にすると「商売でいえば、モトを切ったことになるな」と笑われるのだが、それではミもフタもない。考えてみればへんぺんたる私の作業よりも資料のほうがはるかに重い。
私の小説は読みすてられてそれでしまいのものだが、資料は後代にまでのこってゆく。むしろ私は短編を書いて資料を買っている、と自分で考えている。それだけに、私にとって資料は大事な宝物のようなものだ。
~中略~
 海音寺潮五郎氏は、 「本をよむ楽しみにくらべれば、私にとって小説をかく楽しみなどはその半分にもあたらない」
 といわれたが、このかたのばあい、それが極端で、シメ切りのせまっているときでも、資料を読みはじめると、わっとあふれるように読み続けてしまい、奥さんがときどき書斎に入ってきて、
「あなた」
 としかられなければ、雑誌社にめいわくをかけてしまうという。海音寺さんはあるとき、
「私は小説を書くのが苦痛なんです。本だけよんで一生すごせる身分ならどんなによいかと思います」
といった。
~中略~
 なぜ昔の資料などがおもしろいのか、といわれるが、なんでもないことだ。 そういう本を面倒を忍んで読みすすめるうちに、粛然としてそこに人生をみつけることがあるからだ。
ある男女の人生が、また人間が、いきいきと、そのきたない紙のなかからおどりでてくるのである。これは、息のつまるようなたのしみである。
その人間や人生をさまざまに創造しつつ読みすすめ、また関連した資料をさがして想像の肉づけをするうちに、まるでかれらは、私の友人や恋人のような相貌を帯びて、書斎の横にすわってくれる。もうこういうだけで、この瞬間は悲しくなるほどのよろこびをあじわう。
さらにその人間の来歴や背景などを調べたり読んだりするうちに、もはや、かれは、私にとって、現実の人間以上に現実的になる。
~略
(昭和37年4月)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P145

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

文字(もんじ)を目に見、おぼえることはならざれども、聖人(せいじん)の書のほんいをよく得心(とくしん)してわが心の鏡とするを、心にて心をよむと云って真実の読書術也(なり)。 心の会得なく只(ただ)目にて文字をみ、おぼえるばかりなるをば、眼にて文字をよむと云って真実の読書にはあらず。(下巻之本)

中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P52

中江藤樹人生百訓

中江藤樹人生百訓

  • 作者: 中江 彰
  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本

書物を読むことは、確かに学問である。しかし、書物を読んでも、文字の背後にある「心」まで理解しないと真の学問とはいえないのだ。
聖人の書には、おのずと心が宿っている。その心を知ることを学問というのである。
それなのに、文字面だけを目で追って、それでわかったような気になってしまうのは、単なる”一芸”にすぎない。
だから私は、”文字芸者”といったのだ。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P215

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2016/09/29
  • メディア: 単行本

 

愛媛県今治市

扶氏医戒之略

 緒方洪庵の「医戒」についてはすでに触れたが、洪庵がフーフェランドの著書を読み、洪庵自身の倫理的解釈をもとに要約したもので、洪庵がその文章につけた題名は「扶氏医戒之略」ということになっている。
 ~中略~
「医師がこの世に存在している意義は、ひとすじに他人のためであり、自分自身のためではない。これが、この業の本旨である。ただ、おのれをすてて人を救わんことをのみ希(ねが)うべし」
「病者に対しては、ただ病者を視よ。貴賤貧富で視てはいけない」
「病者を弓矢にするな」
ということは、試験台にするなということである。病者ヲモッテ正鵠(せいこく)トスベシというのが洪庵の原文であった。正鵠とは弓のマトの中央の黒点のことである。~中略~
「医師というものはあまり変人であってはいけない。世間に対し衆人の好意を得なければ、たとえ学術卓越し言行厳格なる医師であっても病者の心を得ることができず、従ってその徳をほどこすことができない」
というくだりになったとき、蔵六はふと、
「この項にかぎって、わたしは医たる者にむいておりません」と、小さくつぶやいた。  

花神〈上〉
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P394  

花神(上) (新潮文庫)

花神(上) (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1976/09/01
  • メディア: 文庫

P376
 学問好きは経歴にとって(67)「さまたげの石」になる、と学究的開業医が考えたとしたら、それはおかしなことだと言わねばなるまい。
本の虫のような開業医は決して成功しないかもしれない。書物に精通するするあまり、得た知識を実地に応用できないかもしれない。
あるいは、彼の失敗の原因は本を読みすぎたからではなく、それ以上に人間について学ばなかったからかもしれない。
彼は、私がすでに警告した例の気おくれ、内気さを克服していないのだ。

P392
(67) さまたげの石(stumbling-block):旧約聖書、イザヤ書、八:十四:新約聖書、ローマ人への手紙、九:三三。その他、聖書にはこの語がたびたび引用されている。

平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)

平静の心―オスラー博士講演集

平静の心―オスラー博士講演集

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本

ナトリ博士は同著書(住人注;「日本医療へのアドバイス」(注1)という本を書いた、米国ハワイ大学臨床教授(産婦人科学)シゲオ・ナトリ博士)のはじめに「よい医師を、さらに良くする4C」というのを書いています。つぎの、四つの心がけです。
Competence 医師はまず有能でなければならない。十分な医学知識を身につけ、手が器用であるうえに、方法が確かでなければならない。
Communication 医師が患者をよく理解するだけでなく、患者にも、医師の説明がよくわかるようにする。患者と医師の、お互いの理解がたいせつである。
Concern     医師は、患者の疾患に対する関心と同時に、人間的な思いやりをもつこと。
Credibility    患者から信頼されるようにつとめる。個人的秘密や約束はよく守ること。
と、じつに簡単なことですが、これを日々実行していくのは、なかなかたいへんです。
藤田 真一(著)

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P238

患者本位の病院改革

患者本位の病院改革

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1987/03/01
  • メディア: 単行本

大山祇神社 愛媛県今治市

伊達正宗

 創業の政宗(一五六七~一六三六)は遅くうまれすぎた人といっていい。かれが奥州統一をすべく活動しはじめたときに中央で秀吉の政権ができ、それが次第に確立し、秀吉の小田原攻めのときにその傘下に入らざるをえなかった。
 東北地方がもし戦国期に統一していれば(むろん政宗意外の存在によってでもかまわないが)さらにそれによって東北固有の共通文化が熟成し、独自の広域経済の原型が十六世紀ごろにできていれば、江戸、明治期の東北はよほどちがったものになっていたにちがいない。
 ともかくも正宗の生涯は、東北が未成熟段階のまま―多分に中世的な経済段階に置かれたまま―中央政権に屈服し、それに隷属せざるをえなかったといううらみをのこしている。
政宗は東北へ直接ヨーロッパ文明を導入(支倉常長のローマへの派遣)しようとさえしたが、そのこともつかのまの夢になり、江戸期には多数の大小名の領地に細分され、経済的後進性のまま明治期に入った。
 政宗の第二子忠宗が仙台伊達家を嗣(つ)ぐ。第一子である秀宗が仙台を出てはるかに宇和島まできて初代藩主になる。~中略~
 政宗は多分に政略ながらも秀吉に対し従順のかぎりをつくした。秀宗(幼名・兵五郎)が三歳の文禄二年(一五九三)にも入洛し、聚楽第で秀吉に謁したとき、奥州から連れてきた秀宗をも拝謁させた。この時代の慣習ではその幼児が正式に主人に拝謁した場合、その家の世継ぎにあるのである。しかも政宗は、
「お手元にてお育てくださいませんか」
 と、たのんだ。その意味の一つは人質ということであり、べつの意味として、ゆくゆくの秀吉の子飼いの大名にしてほしい、ということである。
 秀吉のよろこびはひととおりではなかった。~中略~
 秀吉はこの兵五郎に自分の秀の一字をあたえて秀宗(秀弘という説もある)と名乗らせ、猶子(ゆうし)とした。ナホ(猶)子ノゴトシ、という意味で、養子よりやや軽いが、尋常なあつかいではない。
 以後、秀宗は竣工早々の伏見城で養われ、のち大坂城で育つ。
 秀吉の子秀頼よりは二つ上で、近習―この場合は遊び相手―として大きくなった。
~中略~
 慶長五年(一六〇〇)関ヶ原で徳川の天下が成立する前後から、政宗はそのほうへ参じたが、豊臣家へ行ってしまっている少年の秀宗の始末にこまった。
 結局、正夫人が生んだ次男虎菊丸(のちに忠宗)を家康と秀忠に拝謁させたのである。秀宗がいつ嗣子からおろされたかよくわからないが、虎菊丸が元服するのは、慶長十六年十二月、異例なことに二代将軍秀忠の前においてであった。仙台伊達家が時代の変遷のなかで生き残るには、ここまでの配慮が必要だった。
 当然、次男虎菊丸に対し将軍秀忠が名付け人になり、自分の忠の字をとって忠宗とつけてやるのである。将軍が名付け人になった以上、伊達家の相続人は忠宗に決まった。
 秀忠は、あわれなものであった。かれはすでに大坂を去り、江戸に居住していたが、ともかくも豊臣秀吉の猶子だったということは、徳川氏の治下ではまずいことだった。
 慶長十九年冬、徳川氏は諸大名を動員して、豊臣秀頼を攻めた。大坂冬ノ陣である。その直後、徳川氏は、
「伊達秀宗には、別家をたてさせ、伊予宇和島(当時、板島とよばれていた)十万石をやろう」
ということで、仙台伊達家と切り離した。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
 P97

街道をゆく14

街道をゆく14

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/10/07
  • メディア: Kindle版

訪問看護

 訪問看護は、専門の看護師が患者の過程を訪ね、主治医などと連携して看護サービスを提供する。定期的な訪問のほか二四時間の緊急対応もする。
「在宅ケアの要となる存在」と、長野赤十字訪問看護ステーション管理者の中村妙子さん。
~中略~
増えない原因の一つは、訪問看護の報酬の低さ。全国訪問看護事業協会の二〇〇七年の調べでは、事業所の三割以上が赤字に苦しむ。二〇〇八年度の診療報酬改定と二〇〇九年度の介護報酬改定で多少引き上げられたが、「微々たるものでしかない」と中村さんは言う。
もう一つの原因は全国的な看護師不足だ。
~中略~
 大北医師会会長の横沢厚信・横沢内科医院長(長野県大町市)は、「在宅の患者や家族からかかってくる緊急電話の九割は、訪問看護が対応してくれています。
すべてが医師が来たら、とてもこなせない。訪問看護が倒れたら在宅ケアは崩壊します」と心配を隠さない。 実際、大町市のステーションが担当する患者の在宅死は減っている。一九九六年度の四二人ンから二〇〇八年度は一八人と約4割まで激減した。
 横沢院長は「経済的基盤を整えるため十分な報酬が必要」と訴える。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P116

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

高齢者の場合は、もっと話はかんたん。ほとんどの高齢者は、すでに住宅を持っている場合が多いからだ。その家をバリアフリーに改装するのはそんなにむずかしいことではない。
 それに在来の日本家屋だって、わるくない。~中略~ 畳の部屋はちょうどいざって歩くのにラクで、ドアで仕切られていない襖の部屋は移動が自由。雪見障子やテレビなど、すべてが座卓の生活に合わせた目線の高さに統一されていて、車いすがなくても室内では暮らしに不自由はなさそうだった。
 在宅の高齢者を規格サイズの建物に集めて、施設でお世話するのが「進歩」だろうか。

男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)
P166

 

男おひとりさま道 (文春文庫)

男おひとりさま道 (文春文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/12/04
  • メディア: 文庫

 

 

 在宅緩和ケアにおいて、大岩氏は住み慣れた家が鎮痛剤になることも感じてきた。 「病院は団体生活です。食事や起床、就寝の時間も決められ、外出も自由にできない。その反動もあるでしょうが、わが家に戻ると痛みや吐き気が治まる。表情が明るくなる、と元気になる患者さんが多いのですよ。わが家は鎮痛剤、なんです。誤解のないように申し上げておきますが、私は病院での医療を否定しているのではなく、病院医療と在宅緩和ケアは補完しあう関係が理想的と位置づけています」  同時に、患者にとって家族が心地よい存在として機能できれば、こんなに心強い存在はない、と言う。家族という鎮痛剤だ。  「終末期の在宅医療でご家族の介護負担と言えば、多くの人は肉体的疲労を想起すると思います。実際は衰え、日常の生活動作が緩慢になり、食べられなくなる変化を直視する精神的な辛さの方が大きい。その中で、ご家族が攻撃的になる場合もある。患者さんが食べられなくなっているときに『食べて!食べて!』と促す、受け応えがはっきりしなければ『しっかりして!』と注意する、などです。これは患者さんには大変辛い。したくてもできない苦しさは患者さんが一番わかっていますから」  では、病院がいいのか、という比較論も浮かぶ。 「ご家族が病院に行っても、自宅に帰ってくれば、リラックスして、患者さんのことは一時的にも忘れられる。患者さんにとってみれば、これも辛いのです。 私たちスタッフがご家族と関わるのは、患者さんにとって肉体的にも精神的にも落ち着ける状態を創る目的から。ご家族は大変な面もありますが、うまく機能して『ちゃんと支えられている』『自分たちが役に立っている』という実感を持てると、亡くなるまで側にいて、見てあげることに喜びと責任感も見出すのです」 ~中略~  がんの終末医療では、患者も家族も医師も看護師も「がんの最後は痛くて苦しいもの」という考えが根強く残る。その先入観を捨て、痛みを覚え、痛み止めで痛みが緩和されない時には、薬の更なる増量だけを考えるのではなく、痛みが強くなったり、鎮痛剤が効かない理由が、何らかの情動に由来しているのではないか、と考慮して対策を講じる発想の転換が求められている、と言えよう。 取材・文 小林照幸(ジャーナリスト)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P131

 

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本

 

 

 

真の病気のほかに、昔の病人は罹らなかったような、家庭から隔離されたために起る余病が併発している。あなた方(住人注;看護師)は、他人には譲渡できない病人の権利を奪い、病人にとって大切な人達を追い払ってしまった。いわば、侵入者であり、変革者であり、強奪者である。そして母、妻、姉、妹達は、あの優しい愛の務めが果たせなくなってしまったのである。
冗談はさておいて、あなた方の出現で生じた病人の心の痛みを軽視してはならない。
 かけがえのない大切な命の世話(ケア)を赤の他人に委ねることは、この世の最大の試練の一つだと言えるかもしれない。病人は、神聖冒すべからずものを犠牲にして、あなた方の技能や手順に身を委ねる。
  現代の複雑な社会のもとでは、看護と慈善行為は、余り正面切って行わないほうがようであろう。

平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P186

 

平静の心―オスラー博士講演集

平静の心―オスラー博士講演集

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本