2026年4月9日木曜日

ワーカホリックと労働時間規制

 P177
長時間労働の問題を考える上では、労働者がワーカホリック(仕事中毒)になっているか、そうでないかが重要である。ワーカホリックとは、長時間労働をすると労働それ自体が苦痛でなくなってくるというアルコールや喫煙と似た依存症である。

P178
 まず、労働者がワーカホリックでない場合に、労働時間規制が必要かどうかを考えてみよう。
労働者がワーカホリックでない場合、もし競争的な労働市場が成立していたのなら、意に反して長時間労働させられる会社があれば、その会社をやめて他の会社に勤めることができる。
 長時間労働で高賃金である正社員と、短時間労働で低賃金である非正規社員との間で働き方を選択することも可能である。誰でも短時間労働で高賃金の仕事を選びたいが、それほど現実は甘くない。逆に、低賃金労働だからこそ長時間働きたいという労働者や、高賃金が一時的なものだと知っているからこそ長時間働く労働者もいる(「プロローグ」での述べた人気タレントがその例)。
そうした人たちが長時間働くという選択を制限する必要性はどこにもない。
ワーカホリックの問題がなく、自分で労働時間を選べるだけの競争的な労働市場が存在しているのであれば、労働時間規制の必要はどこにもない。
~中略~
 もし、ワーカホリックの問題がなければ、労働市場を競争的にすれば、労働時間規制の必要性は小さくなる。
競争的な労働市場があれば、労働者の健康を守るためには、職場の健康情報を開示させるか、労働による健康悪化の費用を企業に負担させることが直接的な対応策である。
 労働者がワーカホリックになる可能性がある場合に、労働時間を抑制するような政策は正当化できるだろうか。ワーカホリックになって本人が健康を害してしまう場合には、その健康リスクを企業に負担させることが直接的な解決方法である。
~中略~
ワーカホリックになった本人が健康を害してしまうと問題を生じるが、周囲はワーカホリックの社員が健康を害さない程度に長時間働いてくれることを一番歓迎する。ワーカホリックになった本人は、仕事が苦にならないのだから問題ない。 この場合、ワーカホリックを減らすべき必要性はない。
 問題になるのは。ワーカホリックになった人が昇進して、職場全体を長時間労働させる権力をもった場合である。
この場合、部下の多くは長時間労働を望んでもいないのに、ワーカホリックの上司のために残業させられ帰宅できない、という負の外部性が発生する。これが多くの職場で観察される現象ではないだろうか。
 家庭におけるワーカホリックの外部性も、プラスの効果とマイナスの効果がある。プラスの効果は、夫(妻)がワーカホリックになった妻(夫)にとって、その分所得が増え、より多くの消費ができることである。マイナスの効果は、配偶者と余暇を共有できないこと、配偶者が家事をしてくれないことである。
~中略~
ハマメッシュ教授とスレムロイッド教授は、高所得者ほどワーカホリックになりやすいのであれば、累進所得税をかけることがワーカホリック対策として有効であると主張している。
累進所得税は、高所得層の労働意欲を削ぐことになり、彼らがワーカホリックになる比率を引き下げる。そうすると、高所得である管理職のワーカホリックが減って、部下が望んでいない職場での長時間労働も減るということになる。
 日本の所得税制の累進度は九〇年代後半から低下してきた。長時間労働が問題になりだしたのも九〇年代からである。
ひょっとすると所得税がフラット化したことが、日本の管理職のワーカホリックを増やして、その部下たちの長時間労働問題が深刻化したのかもしれない。

 

P188
 長時間労働することは、所得の上昇につながる可能性があることもあって、それを規制することに対する拒否反応は強い。実際、すでに紹介したように日本の九〇年代の不況が労働時間規制によって発生したという研究もあるくらいだ。
ところが、長時間労働が他人に迷惑をかけているのであれば、何とかして対策を考える必要がある。~中略~
 長時間労働が必ずしも生産性を高めていない上に、他の社員に迷惑をかけている場合には、残業をしにくくするような仕組みを作ったり、残業時間を管理できない管理職の評価を下げたり、責任を明確にして不必要な会議を減らすことが必要ではないだろうか。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)

競争と公平感: 市場経済の本当のメリット (中公新書 2045)

競争と公平感: 市場経済の本当のメリット (中公新書 2045)

  • 作者: 大竹 文雄
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/03/25
  • メディア: 新書

平等院 京都府

生産年齢人口と失業率

(住人注;社人研の将来人口推計(出生中位、死亡中位)を)ざっくり見てみると、生産年齢人口は、毎年66万人ずつ減っていくことになります。
~中略~
 たとえば、この後、失業率が上がっていたら、それは、生産年齢人口よりももっと速く労働需要が減ったということを意味していますから、不況が深刻だということになります。
逆に、失業率があまり下がらなかったとしても、生産年齢人口が減っているためにもともと労働需要が高いわけですから、不況が解消したと手放しで喜ぶわけにはいきません。

不透明な時代を見抜く「統計思考力」
神永 正博 (著)
日本経済新聞出版社; 改訂版 (2013/11/2)
P210

不透明な時代を見抜く「統計思考力」

不透明な時代を見抜く「統計思考力」

  • 作者: 神永 正博
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

平等院 京都府

出生率の減少

 おそらく問題は、政府が考えているように身体的・時間的・金銭的な負担なるのではないと私は思う。
むしろ、心理的な要因が、子を持つことを控えさせているのではないだろうか。

 乱暴な表現だが、若いカップルにとってそれは「誰かについて全面的に責任を引き受けることへの恐怖」とでも表現できるのかもしれない。あるいは、「自分たちが依存される対象となることへの嫌悪」と言いかえても差支えないだろう。
自分たちは実に長期間にわたり、親のスネをかじってきた。単に経済面ではなく、心理面でも親子のきずなを頼りに生きてきた。
そういう者たちにとって、自分たちが誰かに関する責任を全面的に引き受けると言うのは、とてつもない心の重荷となる。その重荷が、子を産むことをためらわせる最大の原因なのだと推測される。

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊
正高 信男 (著)
中央公論新社 (2003/09)
P173

ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

  • 作者: 正高信男
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版

 

P119
どんな国でも、その繁栄の最も決定的な指標はその住民数の増加である。
大ブリテンと他の大抵のヨーロッパ諸国では、住民数が五百年以内に二倍になるとは考えられない。ところが北アメリカの大ブリテン植民地では、住民は二〇年ないし二十五年のうちに二倍になる、ということが明らかにさえれている。
現在でも、こうした増加は、新しい住民がたえず流入することに主としてもとづくものではなく、その地の人口の大きい増殖にもつづくものである。
同地では老年まで生きている人々は、自分の身体から生まれてきた五〇人ないし一〇〇人、ときにはそれ以上にものぼる子孫を生存中に見ることがしばしばある、といわれている。
そこでは、労働の報酬がたいへんよいために、子供が多いということは親たちにとって重荷であるどころか、富裕と繁栄の源なのである。

P123
だが、労働の維持にあてられる基金(ファンド)が目立って減退しつつある国では、事情は異なるであろう。そういう国では、使用人や労働者にたいする毎年の需要は、すべての職業を通じてその前年よりも少なくなるだろう。
高級な種類の職業を仕込まれた多くの人たちは、自分たち本来の業務では雇用を見出すことができなくなって、最下層の中でも雇用の道をよろこんでさがすようになるであろう。この最下層の種類の職業も、それに属する職人で供給過剰となっているばかりか、他のすべての種類の職業からあふれ出てきた職人で供給過剰になっているのだから、雇用をもとめる競争は、そこでは非常にはげしくなり、その結果、労働の賃金は、労働者の最もみじめで乏しい生活水準にまで引き下げられるであろう。
多くの人々は、こういうひどい条件でさえも雇用を見出すことができなくて、餓死するか、さもなければ乞食をするなり、おそらくは最大の非行をしでかすなりして、生存の道を求めざるをえなくなるであろう。
困窮、飢餓、死亡がたちまちのうちにその階級のなかにひろがり、そしてそこから上流の階級全部にまで波及して、そのあげく、その国の住民数は、そこに残った収入と資本(ストック)によってやっと維持される程度にまで減少してしまうであろう。

P136
市場は一方の場合には、労働がそれだけ供給不足であり、他方の場合にはそれだけ供給過剰であって、この過不足は、社会の事情が必要としている適当な率にまで、労働の価格をまもなくひきもどすであろう。
このような仕方で、人間にたいする需要は、他のすべての商品にたいする需要と同じように、人間の生産を必然的に左右する。 すなわち、それがあまりに緩慢に進む場合にはこれを速め、またそれがあまりに迅速な場合には、これを停止させるのである。 世界のすべての国々において、すなわち北アメリカにおいて、ヨーロッパにおいて、シナにおいて、人間繁殖の状態を左右し決定するものは、人間にたいするこの需要なのである。
そしてこの需要こそが、北アメリカでは繁殖を急テンポで進ませ、ヨーロッパではそれを緩慢で漸進的なものにし、またシナではそれをまったく停滞ものにしているのである。

国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)

国富論 (1) (中公文庫)

国富論 (1) (中公文庫)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1978/04/10
  • メディア: 文庫

平等院 京都府

肩車型社会

 2065年の生産年齢人口は4529万人と現在の約60%ほどに減る一方、高齢化率は40%近くにまで増える(社人研の推計)。
いよいよ「肩車型社会」が現実味を帯びてきた。
 この問題の本質は、支えて手の数が減ることだけにあるのではない。「肩車」の上に乗る高齢者の”体重”がずしりとのしかかるのである。高齢者の総数が増えるぶん、年金や医療・介護にかかる総費用も上昇する。
今後も高齢者は増加傾向にあるが、中でも同じ調子で増え続けるのは75歳以上だ。75歳を超えると大病を患う人が増え、1人当たりの医療費が、74歳以下の5倍近くもかかるというデータもある。 ~中略~
 一方、「肩車」を下支えする若者はといえば、人数が激減するだけでも大変なのに、その足腰は弱い。非正規労働者が増大し、就職できずに親の支援を受けている人は珍しくなく、親が亡くなった途端、生活保護という人もいる。
「肩車型社会」というのは、やせ細った若者が顔を真っ赤にして丸々と太った高齢者をかつぎあげている姿なのである。
~中略~
 政府が追い求めるような、社会保障サービスを充実させながら、負担はある程度までで抑える「中福祉中負担」は幻想にすぎない。それなりの社会保障の水準を求めるならば、「超高負担」を受け入れなければならないし、あまり負担したくないのであれば「低福祉」で我慢しなければならないということだ。
社会保障サービスの縮小も、増税などの負担増も、経済成長も行政改革も、すべて同時にやらなければならないというところまで日本は追い詰められているのである。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司 (著)
講談社 (2017/6/14)
P63

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

  • 作者: 河合雅司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: Kindle版

平等院  京都府

多死社会

P104
 人間は誰しも、遅かれ早かれ、いつかは最後の時を迎える。日本は高齢社会にあるが、次にやってくるのが「多死社会」ということになる。

2016年の年間死亡者数は130万7765人で戦後最多を更新した(厚生労働省の「人口動態統計月報年計」)。
 社人研の推計では、2030年に160万人を突破し、2039、2049両年の167万9000人でピークを迎える。その後ももしばらくは160万人レベルで推移する。
 その一方で、「多死社会」への備えはいまだに十分とは言えない。死亡者数の増大で懸念されることといえば、斎場や火葬場の不足だが、とりわけ逼迫(ひっぱく)しそうな地域が、高齢化が急速に進むとみられる東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)である。  

P107
 大死亡時代には、もう1つ大きな社会問題が横たわる。こちらも、その予兆が見え始めているが、無縁遺骨の増大である。
 近年、ひとりっ子同士の結婚が増え、極端に親族が少ない結婚式に招待された人も多いと思うが、それは葬儀においても同じである。
家族葬などが増えたことでも分かるように、近親者が少ない人が多く、会葬者は減る傾向にあるのだ。
 それどころか、子供がおらず、頼れる親戚もいないというひとり暮らしの高齢者は少なくない。こうした高齢者には火葬費用の負担を捻出できない人も含まれる。親族があっても関係が希薄だったり、残された身内は超高齢者だけという例もあったりと、「人が亡くなれば、親族が引き取り、弔う」というかつての”常識”が崩壊し始めているのだ。

 

P108
 かつての多くの地方コミュニティは、主に長男が親元に残って自宅やお墓を受け継ぐことで成り立ってきた。ところが、後を継ぐ子供がいなくなったり、子供が1人か2人となったりした今、コミュニティ自体が維持できなくなっている。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司 (著)
講談社 (2017/6/14)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

  • 作者: 河合雅司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: Kindle版

平等院  京都府

大河ドラマも政治がからむ

  NHKのドラマの視聴率は朝の連続テレビ小説は好調だが大河ドラマは厳しい。それで、以前、私はNHKの関係者と話す機会があったので、こんなことをいってみた。
「大河は有名な歴史人物は紹介しつくした。視聴者は信長・秀吉などの人生のあらすじを知ってしまってワクワクしない。一方、朝ドラは無名・架空の女性の生きざまを描く。
先が読めずハラハラしながらみられるから視聴率が高いのは当然。思い切って大河を朝ドラ化してみては。大河は戦国物が当たる。戦国時代、女性で城主や武将だった人も少ないがいる。ここにリストがある」
~中略~
 近年、大河ドラマの誘致運動が過熱気味だ。大河ドラマの舞台になるとその県の観光客は一割前後増える。観光産業の国内総生産(GDP)比は約五%。県の総生産をその年だけでも〇・五%上げる効果があるとみてよい。それで地元の政治家が必死になる。

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2017/10/18)
P106

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで (中公新書)

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで (中公新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 新書

福岡県豊前市 求菩提(くぼて)資料館

コストの外部化

日本の株式会社は九〇年代から露骨に「コストの外部化」を始めました。本来であれば、自分たちがコストを自己負担しなければならないことを次々と「外部化」してきた。
人材育成はそれまで社内教育して手作りしてきたものを次々と「外部化」してきた。人材育成はそれまで社内教育して手作りしてきたものを、その分のコストを削減するために大学に外部化した。
同じことをすべての社会活動について行った。公害規制の緩和を要求するのは環境保護コストを外部化するためです。高速道路や鉄道の施設を要求するのは運輸コストを外部化するためです。~中略~
 原発事故がその適例です。東電という一民間企業が安全確保のためのコストを削れるだけ削ったせいでシリアスな事故が起きた。それによって周辺住民は住む場所を失い、仕事を失い、拠るべき共同体を失った。それだけではありません。これから先、土壌の除染や廃炉にかかるコストも国民の税金から支払われる。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P343

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: 文庫

関門橋

公共機関不振の原因

 公共機関不振の原因は、まさにそれが企業でないところにある。公的機関において企業のようにマネジメントするということは、単にコストの管理を意味するにすぎない。
公的機関に欠けているものは、成果であって効率ではない。効率によって成果を手にすることはできない。
~中略~

  公的機関は予算によって運営される。成果や業績に対して支払を受けるのではない。

収入は、活動とは関係ない公租公課による収入から割り当てられる。
~中略~
 予算から支払いを受けるということが、成果と業績の意味を変える。予算型組織では、成果とはより多くの予算獲得である。 業績とは、予算を維持ないし増加させることである。したがって、成果という言葉の通常の意味、すなわち市場への貢献や目標の達成は二義的となる。

 

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)
P44

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2001/12/14
  • メディア: 単行本

 

下関市

公務員の無謬性

 ちなみに、医者や看護婦が医療過誤を犯して患者さんが死亡すると、業務上過失致死に問われるが、こういう過失を刑事罰として扱うのは先進国では日本だけであるというのも、上記小松(住人注;小松秀樹)先生や本田(住人注;本田宏)先生初め数多くの識者が指摘している。私がそれに重複することを書いても仕方がないのでそれはしないが、一つ、どうしても分からない疑問があるので、ここの本筋から外れるがお聞きしたい。
豪憲君殺害事件で秋田県警は、また桶川ストーカー事件で埼玉県警は、捜査ミスによって、防げたはずの被害者の殺害を防げなかったことが、もちろん客観的事実によっても立証されているが、県警自ら認めている、すなわち「白状」しているはずである。どうして彼らが業務上過失致死に問われないのか?この場合、「過失」と「致死」は証明されている。
犯罪を防ぐのは警察の「業務」であると私は思っていたが、違うのか?それとも、警察に限って過失をしてもオッケーと、刑法の上位にある日本国憲法のどこかに書いてあるのか?

偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)
P17

 

偽善の医療 (新潮新書)

偽善の医療 (新潮新書)

  • 作者: 里見 清一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書


下関市

評価コスト

P329
自己評価委員長のとき、「教育評価システム」を導入しました。教員一人一人の個人的な能力を査定して、数値的に格付けして、それによって教育資源を傾斜配分する。そういう仕組みです。
立派な業績をあげ、多くの学生院生を指導し、煩琑な学務を担っている教員と、ろくに授業も持たず、論文も書かず。学務もさぼる教員とが同じ待遇を受けているのは不合理である、能力業績に応じて合理的に資源を分配しようではないかと、成果主義的な教員査定システムを考案し、それを教授会に提案しました。
 もとろん、教授会から批判の十字砲火を浴びました。でも、そのときは文部省も大学基準協会もそう言っているんだから、これがトレンドなんだと言い張って、むりやり採決に持ち込みました。
今日の「グローバリスト」の言い分そのままの「選択と集中」のロジックを駆使したのです。結果的に神戸女学院大学は日本のリベラルアーツ系の詩学では初めて、教員個人についての評価システムを導入する学校となりました。  しかし、自分が旗振り役をして鳴り物入りで導入したこのシステムがまったく失敗であることに気づくまで、たいして時間はかかりませんでした。最大のミスは「評価コスト」を過小評価していたことです。

P332
結局、評価制度を導入したことのもたらした成果は、会議の時間が増え、読まなければならないドキュメントが増え、書かなければならないほうこくしゃが増えただけでした。 もちろん、僕が目の敵にしていたような「動かない教員」に対する恫喝という効果は多少はありました。でも、それがもたらす最大限は「せいぜい給料分働いてもらう」ことに過ぎません。その結果を得るために、それまでもらう給料の数倍のオーバーアチーブをこなしていた教員たちをバーンアウトさせてしまった。差し引き勘定してみたら、大損害です。
 でも、九一年の大学設置基準の大綱化から始まった「大学改革」の流れの中で、僕たちは教養を改組したり、学部学科を新設したり、評価制度を導入したり、シラバスを書かせたり・・・・・・という作業の中で、同じような「大損害」を生み出し続けて来たのでした。
 特に独立行政法人化という大きなタスクを抱え込んだ国立大学の教員たちの苦しみは想像を絶するものがありました。
九〇年代、二〇〇〇年代にこの仕事を押し付けられたのは、三〇代、四〇代の、「仕事のできる」若手教員たちでした。彼らの多くはそのような事務作業に押しつぶされて、研究者として最も脂の乗る時期を五年、一〇年と空費しました。それが日本の学術のアウトカムにもたらした被害はどれほどのものだったでしょう。
それが教育改革がもたらしたメリットよりもはるかに大きいものであったことは確実です。それはデータ的にもわかっています。
独立行政法人化の直前から、つまり会議とペーパーワークの「大波」が日本の国立大学を呑み込み始めた時から、日本の学術論文の点数は減少し始め、かつてはアメリカに次いで世界二位だった論文数が、中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、イギリスに抜かれ・・・・さらに急坂を転げ落ちるように減少し続けている。この学術的アウトカムの劣化が「大学改革」と無関係であるとは、よほど厚顔な文科官僚でも言い抜けられないでしょう。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: 文庫

門司港 北九州市