2026年4月30日木曜日

大和古寺の塔

 大和古寺には様々な塔がある。法隆寺の塔の持つ巍然(ぎぜん)たる威容は、上宮太子の御人格そのままと申していいほど立派なものである。
鳥仏師の釈迦(しゃか)三尊にみられるような、絶対帰依(きえ)に由(よ)る厳格さを偲(しの)んでもよかろう。
また法起寺と法輪寺の三重塔は飛鳥の小仏のごとく古僕(こぼく)で可憐な一面を持つ。二上山を背景に、中腹に立つ当麻寺の東西両塔の典雅な有様、あるいは室生寺(むろうじ)の大杉の間に立つ五重塔の華麗な姿も忘れられない。
しかし私は結局、薬師寺の東塔に最も関心するのである。~中略~ 西塔はすでに崩壊して、わずかに土壇(どだん)と礎(いしずえ)を残すのみであるが、東塔はよく千二百年の風雨に耐えて、白鳳の壮麗をいまに伝えている。
某という僧が定(じょう)に入って夢みた竜宮の塔を、うつつに現出したものといわれるが、かような様式はわが国にも唯(ただ)一つこの東塔あるのみ。
         ―昭和十七年秋―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P160

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

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法隆寺
法起寺
法輪寺
當麻寺
室生寺
薬師寺

唐招提寺

法隆寺や薬師寺や東大寺に比べると格式もちがうし由緒(ゆいしょ)も深いとはいえない。しかし唐招提寺には他のどんな古寺にもない独特の美しさがある。伽藍配置のかもしだす。整然たる調和の美しさであって、私はそれをみたいためにやってくるのだ。
奈良朝の建築の精華はここにほぼ完ぺきな姿で残っていると云(い)ってもよかろう。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P163

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

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唐招提寺

東大寺

P176
 天平の美は、正倉院御物と万葉集と仏教美術によって代表されることは周知のところであろうが、とくにこのみ代の仏教を語るものにとっては、聖武天皇ならびに光明皇后の御名は、忘れ難いであろう。東大寺―わけても今日「奈良の大仏」として親しまれている毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)鋳造や、法華滅罪時の建立は御二方の名を不朽ならしめた。
御二方なくしては天平仏教の開花はありえなかったであろう。何故かくも信仰が深かったのだろうか―。
~中略~
すでに仏教はわが国の上層にあまねく行きわたり、また唐との交通も益々繁(しげ)くなったので、優秀な僧侶(そうりょ)や博士やその他様々の専門家が渡来し、皇室に重用されたことはここに一々挙げるまでもない。
とくに隣邦僧侶の、芸文あるいは政治経済にも及ぶ指導力はこの時代一層つよいものがあった。聖武天皇が幼少の頃より、未曽有(みぞう)の「文明開化」の影響のもとに生育されたことは申すまでもなかろう。
 しかし御信仰を、ただ外部よりの影響とのみ断ずるのは不当である。まことの信仰は、必ず内奥の苦悩より発する。天平仏教が単に唐文化の模倣であり、東大寺建立が国富の大浪費であるとなすのは正しい見解ではない。 あの豪華荘厳の背景ふかく、ひそかに宿るであろう天皇の信仰をまず考えないわけにはゆかない。
天皇の御生涯(しょうがい)を偲ぶとき、私は一層その感を深くする。小野老朝臣(おののおゆあそん)が「あをによし寧楽(なら)の都は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」と詠じたように、天平のみ代はたしかに稀有()けう)の黄金時代であったろう。
飛鳥白鳳(あすかはくほう)を通じて興隆し来(きた)った文化の、更なる昂揚(こうよう)があったであろう。だがそういう開花の根底には、必ずしも天国のごとき平和が漂っていたわけではない。
 私は日本書紀や続日本紀を読みつつ、後代より慕わるる美しい時代が、その底につねに暗澹(あんたん)とした苦悩を、悪徳の深淵を湛(たた)えているのをみて驚く。
平和とはそもそも何だろう。平和とは内攻した地の創造の日々である。対外的には静謐(せいひつ)であろうと、一歩国内の深部に眼をむけると、そこには相変わらぬ氏族の嫉視と陰謀と争闘があり、煩悩(ぼんのう)にまみれた人間の呻吟(しんぎん)がある。ひそかに流された血のいかに多いことであるか。歴史は私に平和の何ものであるかを教えた。飛鳥のみ代がそうであったし、天平といえどもこの例に洩(も)れない。
そして激烈な信仰や美しい詩歌(しいか)や絢爛(けんらん)たる美術は、すべてこの暗黒を土壌として生育しているようである。

P180
その他日本紀を読むと、この時代には盗賊や殺人や掠奪(りゃくだつ)も多く、人心不安だったことがうかがわれる。~中略~
要するに天平時代は、今日考えられているような平穏の日ではなかった。仏陀(ぶっだ)の教えを真に学び信じた者は、当時の一部上層の人々に限られ、一般国民には未だその感化及ばなかったのである。聖武天皇の御念願はそういう事情から発せられたのである。
私は徒に天平の暗黒面を指摘しているのではない。かかる暗黒の裡(うち)にこそ信仰の光りは輝き出(い)ずるのであり、聖武天皇と光明皇后の信仰も、泥中(でいちゅう)の蓮華(れんげ)のごとく咲き出でたのである。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/04/23
  • メディア: 文庫

東大寺

比叡山

 叡山というのは、ゆらい、政治的現象に敏感でありすぎたようである。すくなくとも、越前永平寺にくらべればこれはわかる。
中世末期までの宮廷政治の裏面にはかならず叡山の黒い影がみられた。そうした延暦寺の政治への過敏さに対して総決算を強いた人災は、元亀二年の織田信長の延暦寺焼討であったように思われる。
 信長という人物が日本歴史に果たした役割は、なんといっても中世の体系と中世的な迷妄を打破して歴史を近世に導いたところにあったろう。
この人物は、不条理や不可知なるものを並はずれて憎悪した。その点ではあるいは異常性格者であったかもしれない。
彼は叡山が、仏法の精舎たることをわすれて武力を貯え政争に容かいする不条理を憎み、火を放ち衆徒を殴殺して地上から延暦寺のすべてを抹殺することを考えかつ実行した。
この時以来、叡山は半ば衰退し、そのまま数世紀を経てこんにちに至っている。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P104

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

 

延暦寺

2026年4月28日火曜日

鳥仏師

 鳥仏師は決して独創的な仏師ではなかったし、飛鳥時代の代表的彫刻家というような意識で造仏したのでもなかった。
彼は驚くほど誠実に勅願を承(う)け、また太子の御心に服従した人である。御悲願を正しく心にとめて、北魏伝来の形式にそれを刻まんとしたのである。
鳥の偉大さは、彼の全き畏敬(いけい)と服従にあると私は思っている。
像においてはひたすら先人の作を模倣した。厳格に一つの手本を学び、自己の何ものをもつけ加えようとしなかった。彼はただ御悲願の完璧に盛られることを念じつつ創(つく)ったのであって、あらゆる点で絶対服従のみが彼の最大美徳だったのである。

P87
 これによって明らかなように、鳥は帰化人司馬達らの孫にあたるが、祖父より代々朝廷に仕えて仏法のためにつくした家柄である。
~中略~
金堂の釈迦像もかような心情を無視しては真に解することは出来ないであろう。推古天皇と上宮太子、及び鳥仏師との間の信仰に結ばれた君臣の情が、あの無比の畏敬となってあらわれたのであろう。しかし、釈迦像には感傷的な何もない。おそらく鳥の、「私」を滅却した全き帰依が然らしめたのである。
                    ―昭和十七年秋―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P85

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

大和古寺風物誌―写真版 (1953年) (創元選書)

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奈良県 法隆寺

丹霞焼仏

  九世紀の初めに唐に丹霞天然(住人注;たんか・てんねん)とよぶ禅僧がいた。ある寒い朝に蒔割りで木造の仏像を割り、それを燃やして身をあたためていた。
それを見た信者は驚いて、「もったいないことをしている」となじった。
天然和尚は、「なんの、あなた方が大切にしている舎利を取るために荼毘に附しているいる所だ」と答えた。
舎利とは八十才で入滅した釈尊の遺体をインドの風習として荼毘(=火葬)に附し、その遺骨を弟子どもが分けて、これを礼拝した。その遺骨のことを舎利というのである。
天然和尚は木仏像を焼いて舎利を取るのだと答えたところ、信者は、「木の仏を焼いても舎利は出ませんよ」という。
和尚はすかさず、「舎利の出ないような木のはしくれを焼いて何がもったいないか」と答えたという話がある。
~中略~
従来の礼拝の対象としての偶像は禅門ではさまで重要性を認めず、そのほかにもっと重要なことがあると説く。
たとえば、「自仏是真仏」というように考える自分または自分の心の完成が先決問題であり、仏像や仏画を拝んだり、経文を読んだりする様な従来の宗派の在り方には飽き足らなかったものにほかならない。
「直指人心、見性成仏」が最初であり、同時に最後の問題なのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P180

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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九州国立博物館

虚空蔵菩薩

P50
 仏教の菩薩としては、上述の四尊(住人注;弥勒・観音・普賢・文殊)の他に重要なものといえば、大地と空との恵みを象徴した地蔵と虚空蔵の両菩薩がある。~中略~
虚空への信仰は星宿、日月の信仰とも関係をもつものであり、大日如来の信仰とも関係をもつものである。そのために虚空蔵菩薩の性格は理性的な面を多分にもっているといいうるのである。
 この虚空蔵菩薩は既に奈良時代から知恵のほとけとして信仰されており、既に奈良時代には僧道鏡も虚空蔵求聞持法を修していたことが知られている。また弘法大師も入唐以前にこの法を修していたことが伝記によって知られる。
弘法大師の虚空蔵信仰は深かったものとみえ、金剛峰寺講堂にその像を安置していたことが知られ、またその思想を体系化した五大虚空蔵菩薩図を弘仁十二年に描いているのである。神護寺の五大虚空蔵菩薩像(→四八ページ)は弘法大師の歿後あまり時代を経過していない時期の作品として著名であり、東寺(教王護国寺)山内の観智院には恵運が請来した五体の尊像が本尊として安置されている。
 広大にして、無辺な虚空に対する哲学的解釈はインドにおいてはさまざまに考えられている。
又、その考えを根底としたほとけも成立するのである。それが虚空蔵菩薩である。
蔵とは大宝あり、自在にこれをとり、貧乏を受けざらしむ」といっている。そのために、この尊は大日如来の福智の二徳を司るとされている。又他の経典では虚空蔵菩薩を金剛界の大日如来、地蔵菩薩を胎蔵界の大日如来の変化身とすると説く説くものもある。

P51

地蔵菩薩は大衆の信仰のなかに入っていったが、虚空蔵菩薩信仰は両界曼荼羅図における虚空蔵菩薩の信仰によったものではなく、虚空蔵求聞持法を修することによって、叡智を得る信仰である。この法は、大安寺道慈律師が受法して帰ったもので、善議・護命・勤装・空海と伝えられたものである。 

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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京都市 神護寺

律院

   「律」というのは僧侶の生活規範のことで、その律をもって専門的に成立している寺をどの宗旨(天台宗、真言宗、浄土宗)でも律院という。
カトリックにおける修道院のようなものである。修道院がそうであるように律院というのは寺の建築にも余計な装飾がなく、建物の規模も小さい。
ただ境内が嵐気を帯び、ちりひとつとどめず、全体が凛然としていて、むろん観光料はとらないという点でいずれも共通している。
たとえば浄土宗の律院は谷崎純一郎氏の墓のある京都の法然院で、法然院に入れば山内の空気が緊張していていかにも律院というにふさわしい。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P235

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

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京都市 法然院

邪鬼

 私は、仏教芸術の単調さをやぶるものは、むしろ邪鬼にあるのではないかと思う。
邪鬼の「痛テエヨォ、痛テエヨォ」という声により、本堂にただよう、神秘的で厳粛で、単調な静けさが破られ、そこから芸術に欠くことの出来ない自由とユーモアとが出現するのである。しかめ面の詩人、島崎藤村でさえ、「ユーモアのない一日は耐えがたい」といったそうであるが、われわれが、仏教芸術における唯一のユーモアの源である邪鬼を所有しなかったら、われわれは仏教芸術の単調さに耐えがたかったかもしれない。
邪鬼をふみつける四天王にも、この邪鬼の自由とユーモアがいくらか伝染しているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P131

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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奈良県 安倍文殊院

新しい時代を望む弥勒菩薩


 広隆寺の弥勒菩薩は何を考えていられるのであろう。深く世界と自己を見つめているようなうつむいた眼、明晰な知性を示しているかのようなすじの通った鼻、そして慈悲と喜びにあふれた口もとの微笑、仏像全体から何ともいわれぬ清潔感と神秘感がただよってきて、多くの人を詩人か哲学者に化すのである。
~中略~
 いったい、何を思惟し、何を考えていられるのか、われわれは、すでに望月先生から、弥勒の本質について話を聞いた。
それは五十六億七千万年の未来に、この世に出現して、釈迦によって救済されなかった衆生を救済する仏なのである。
この未来の仏、弥勒は、現在では兜率天という浄土にいて、未来の理想の世界について思いをこらしているのであるという。
してみるとあの弥勒菩薩は、五十六億七千万年の未来に来たるべき理想の社会を、兜率天という所で、じっと考えていられる姿なのである。
 未来の仏、弥勒菩薩。仏教では未来を示す仏はこの弥勒だけであろう。
阿弥陀も、われわれが未来にゆくべき極楽浄土を支配する仏であるが、阿弥陀は死者を迎えに来るのみで、この世に王国を作ろうとする野心はない。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P28

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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P35
 このように弥勒信仰は、阿弥陀信仰と比べて、はるかに困難で、絶望的な信仰であるかに見える。しかし、弥勒信仰は依然として、人びとの心に大きな魅力を投げかけるのである。
なぜなら、阿弥陀のように、極楽浄土へ行きっきりではなく、再び、この世の中に帰ってきて、しかもそこでは、理想の国が実現されているというわけである。この世の中に帰ってくるという思想の方が、行きっきりの思想よりはるかに魅力ある思想のように思われるからである。
 たとえば道長、われわれは先に、弥勒浄土、五十六億七千万年後に、弥勒が現れる所であっると考えられた吉野の金峰山に、道長がうずめた経筒の話を聞いた。その経筒に道長は自らの地でもって、法華経八巻を書いて入れたのである。
五十六億七千万年後に再び生き返ろうとする道長の悲願、恐らく日本歴史においてもっとも幸福な人物であるかに見える道長にとって、あらゆることが可能であった。
かれはどんな財宝をも、どんな地位をも、どんな美女をも、たちどころに手に入れることが出来た。しかし思うにまかせぬものは死だけであった。
死の運命は、乞食も大臣も同じように人を襲う。この死の不安からの解放の方法が、道長にあっては、一つは阿弥陀信仰であり、もう一つは、弥勒信仰であった。われわれは道長が、二つの救済の方法に同じように期待をかけたのを知る。
~中略~
 われわれはこのような道長に現れた弥勒信仰の名残りより、もっと明白な、もっと生々しい弥勒信仰の名残りを見るのである。
それは主として、東北、出羽三山を中心として地方に残存するミイラなのである。このミイラは、自発的にミイラを志願した弥勒信者の遺体なのである。
このミイラは鎌倉時代から江戸末期まであるけれど、ミイラの前身は、多くは武士や金持ちというめぐまれた階級の出身ではなく、人足、百姓などの下層階級の出身であり、現世において罪を犯したりした人が多いのである。
現世に罪を犯した彼にとって、出家が唯一の安全な生の場所である。こうして現世に希望を失った彼は、来世に弥勒の世界に希望をつなぐ。
~中略~
弥勒信仰には、このような永世への願望がふくまれる。もしも五十六億七千万年という時間を文字通りに取るならば、われわれは皇円阿闍梨のように蛇となるか、道長のように経筒を弥勒浄土にうめるか、出羽三山のミイラ志願者のようにミイラになって兜率天へ行き、そこで弥勒下生の時をまつかより仕方がないように思われる。

P38
 日本最大の変動期、それは古い氏族制度の日本が崩壊し、新しい統一国家として日本が出発するときであろう。
恐らくこのような時期に日本の礎石をきずいたのは、聖徳太子であったろう。
広隆寺の弥勒菩薩、中宮寺の如意輪観音と称せられてきた弥勒菩薩、野中寺の弥勒菩薩、聖徳太子に関係のあるお寺に弥勒の像が多いのへ決して偶然ではない。
それは変革の政治家、聖徳太子の理想の反映なのである。

P39
 変革期の仏、弥勒は、同時に変革を望む民衆によび求められる仏ともなる。~中略~
この新しい時代の到来を望む傾向は、ずっと日本の民衆の中に生き続け、天理教や大本教、観音経など、

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

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京都市 広隆寺