2026年6月3日水曜日

金毘羅大権現

 金毘羅大権現というのはインドのガンジス川のワニの化身だといわれているが、仏教渡来後、どういうわけか、仏教と直接縁のないインドの古俗の神が、何かにくっついて日本に入ってきたものと思える。
仏教渡来後、日本人は、在来の神々よりも「異国の神、きらきらし」ということで、効き目は海を渡ってきた蕃神にあるとした。そういく古来以来の気分が、あやうく遭難しかける場合に、住吉の神に祈らず、金毘羅大権現を祈るというあたりに続いているともいえるかもしれない。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P154

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

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トチの実

 そこ(住人注:高室院の表口)に大きな桶があって、山より引かれている樋から、間断なく水がそそぎつづけられている。
桶のなかに、大ぶりの栗の実のようなものが填(つま)っていた。一個つまみあげると、栗の実に似ているが、頭がとがっていない。
「トチ(栃、橡)の実ですよ」
 と、勝山さんがいわれたので、目が覚めるような感動でそれを見直した。縄文時代の主要な食物のひとつなのである。~中略~
十津川郷にあっては、太古以来、ほんの三十年ほど前まで、これが主食のひとつだったのである。幕末の文久三年(一八六三)四月、上平主税ら一郷の有志総代七人が京にのぼって中川宮にさしだした「十津川郷由緒書」にも「・・・・・不毛の地にて、食に乏しく、土民ども、雑穀、木の実を食(くら)ひ」といっている木の実とは、主としてこのトチの実であった。
~中略~
 トチの実はにがい。その苦味はサポニンとかアロインによるものだというが、ともかくそれを去らなければ食物にならないのである。
「厄介なものですよ」
 と、老神職はいった。
 まずあの固い外皮をむいて中身を灰汁(あく)に数日もしくは一週間つけておくことからはじまるのである。そのあと流れの速い谷川の水で一週間さらす。その上で木の臼に入れて舂(つ)き、それへモチゴメを入れて蒸し、しかるのちにだんごにして食う、という。
 トチの実を食べるのは日本だけでなく、中国の華南の高地に住む少数民族の一部でそれが見られるらしいが、私はよく知らない。
日本には、栃とか橡、あるいは杤(とち)、杼(とち)の文字を冠した地名が多い。吉田東伍博士の「大日本地名辞書」の索引に載っているだけでも、三十三カ所ある。越後の橡尾、越前の橡泉、下野(しもつけ)の栃木、磐城の栃窪、陸中の栃内(とちない)、上野(こうずけ)の栃本、武蔵の栃谷、信濃の杤原といったぐあいである。
主として北陸、関東、奥羽に多いのは、九州から畿内に入った水田耕作があるいは北進し、あるいは東進し、平安後期になってようやくそのあたりに及ぶといった地方と偶然かどうか、かさなっている。水田耕作には自然の適地ならともかく、やや農業土木を必要とする地帯は、農業土木を興(おこ)すに必要な条件がととのってから水田化するわけで、それまでは縄文時代以来の食物に多くを頼らざるをえず、そういう暮らしの中では、トチの木の多い尾根、峠、谷が重要な意味を持ち、自然地名として呼称されがちになるのかもしれない。
 トチを冠した地名の印象は、暗く重い。
 植物としておなじ仲間であるマロニエが、明治大正の日本人にパリの華やかさの象徴として印象されたのとずいぶんちがっている。

街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)
P168

街道をゆく12

街道をゆく12

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/10/07
  • メディア: Kindle版

 

奈良県 十津川

魚島(うおじま)

 言葉でいうと、大阪あたりには魚島(うおじま)という言葉がある。陽春の季語でもある。
魚が内海の底で冬ごもりしているのが、海面が暖かくなるにつれ、明石から淡路あたりに出てくる。タイなどは、節分から八十日のあいだに日ましに色の紅さがあざやかになり、肉もついてきて、味がうまくなる。
魚島というのは島をあらわす地理的用語ではなく、魚が美味になるという季節をあらわす時間的な用語なのである。
私は魚が格別好きではないのが、春になって魚好きの連中から「魚島」という言葉を聞くと、自分の唾液までつられてしまうような豊かさを感ずる。その魚島の根拠地のひとつが明石の海浜なのである。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P97

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

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現場に行って感じる

P35
しばしば経験してきたことだが、その場に入るだけで一瞬にして空気が変わってしまうことがある。
沖縄本島や宮古島の御嶽(うたき)とよく似た感覚が甦ってくる。
ご神体は磐座(いわくら)といっても、ただの岩ではない。崖一面に広がる巨岩である。いまでも「日本書紀」に記されたそのままの神事(お縄掛け神事)が行われているというが、たしかにもっともプリミティヴなかたちででの信仰形態がいまなお生きているように思われる。
 そして、この花の窟をめぐる「日本書紀」(紳代巻一書)の以下の記述こそが、熊野が記紀にその姿を現した最初だったのである。
  伊弉冉(イザナミ)尊、火神(軻遇突智(かぐつち)、を生む時に、灼かれて神退去(かんさ)りましぬ。故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬(はぶ)りまつる。土俗(くにひと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以て祭る。
  又、鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用(も)て、歌い舞いて祭る。
 花の窟には伊弉冉尊という謂われが残されており、ご丁寧にもそのすぐ前には軻遇突智の墓(塚)まである。
しかし、そんなことはどうでもいい。ここにはもっと違ったものが隠されている。「古事記」「日本書記」以前から、すでにここが特別な場所であったことはほぼまちがいない。

P55
 神仏習合、本地垂迹、修験道などの言葉によって物事を理解したつもりになってはいけない。
つねに観念が先にあるのではなく、まずはそこで起こった事実を見つめようとしなければならない。観念はすぐに古くなるが、事実は色あせない。人間はいつか死ぬが、何かを媒介にしてはならない。熊野をじかに見ずしては、永遠に熊野を語ることはできないのである。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)

 

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書
 
 

 このように風土を媒介として時間的障壁が忽然として消えさり、歴史上の事件や人物の本来の意味があきらかになるもっとも鮮やかな例を、白川谷の赤尾道宗に見ることができる。
~中略~
 おそらく作家はいろいろな文献によって早くから同宗の存在を知り、なにか心に触れるものがあったのであろう。
しかしそれはまだ五百年余の歴史の距離をもったおぼろげな在りかたにすぎなかったが、この巻にあるように、一夜白川谷の旅館で、道宗が山のひしめきせまる「太古の景観のごとき」この地の人であったことを知ると、時のへだたりは一瞬にして吹きとんでしまう。
それまでまだ定着していなかった道宗の意味が、風土と人との一体化のなかでずしりと作家の胸に適応されてくる。 解説 牧 祥三

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P284

「赤尾道宗心得21箇条」
1.後生の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事。
2.仏法よりほかに、心にふかく入る事そうろはば、あさましく存じそうろうて、すなわちひるがえすべき事。
3.引き立つるこころなく、おおようになりそうろはば、心中をひきやぶりまいるべき事。
4.仏法において、うしろぐらき料心あらば、あさましく存じそうろうて、手を引くおもいをなし、たちまちにひるがえすべきこと。
5.心にひいきをもちそうろうて、人のためにわるき事、つかまつるまじき事。
6.冥の照覧と存じそうろうて、人知りそうろはずとも、あしき事をば、ひるがえし候べき事。
7.仏法のかたをば、いかにも深く重く信仰申し、我が身をば、どこまでもへりくだり候て、たしなみもうすべき事。
8.仏法をもって、人々に用いられ候はんと思い候事は、かえすがえすあさましき事にて候、その心出来そうろはば、仏法信は、ただこのたび後生の一大事を、たすかるべきため計にてこそ候へと思候て、ひるがえし候べき事。
9.理非をたださず、あしき事の出来候はん座敷をば、のがれ候べき事。
10.これほどの浅ましき心中を、持ちたるよと、おぼしめし候はん事こそ、かえすがえすも浅ましく、悲しく、つらく存じ候。今までのことをば、ひとすじに御免をあおぐといえども、斯様なる心中なる者よと、おぼしめし候はん事、かえすがえす身 のほどのつたなさ、悲しさ、あさましく存じ候。前生も、かかるつたなき心中にてこそ、いま、斯様に候はめと申かぎりなく、浅ましく存じ候。 もしもしついに御目にかかり候ても、ここを浅ましく存じ候。あらあら冥加なや、こんにちまで、うしろぐらきをば、ひたすら御免をあおぎ候。おおせ にまかせまいり候べし。
11.もし、こん、みょうにちも、ながらえ候て、のち、法義無沙汰になり候はば、あさましやと、ひきやぶり、たしなみ候べき事。
12.心中に、驚き、しみじみとなく、候はば、ああ、あさましや、もったいなや、今生は、飢え死に、 凍え死ぬとも、このたび後生の一大事を、とげまいらせ候はん事こそ、無始広劫よりの望み、このたび満足なれと存じ候て、思いきり我が身を責めて、 たちまち驚き候べき也。それにも、驚き候はずば、これはさて、この身はさて、御罰をこうむりたるか、と存じ候て、心中をひきやぶり、御同 行にあいまいらせて、讃嘆申し候はば、せめておどろき申べき事。
13.あやまっても、随意をはたらき、ねむりふせり候て、この一大事を思いまいらせず、いたずらに暮らし候まじき事。
14.ひもがなきなどと、我が身に、理をつけ候こと、あるまじく候。うちの人々にあい候て、心に思 い候はずとも、涯分たしなみ候て、まずこの一大事は、いかが候はんと申しいだし候て、心中をおどろき、たしなみ候はん事。
15.御道場のこと、本と、心に、涯分入り候はん事。
16.我を憎み候はん人を、憎み倒し候はんように、心中をもち候まじき事。
17.ただ、願わくは、この一大事に、心を深く入れ、油断なく候へがしと、存じ候。御同行の御なおしをば、やがてしたがいもうすべき事。
18.万事、心に執着せずして、ただ願わくは、わがこころ、この一大事ばかりに、ふかく心を入れ候へがしと存計候。
19.かように申し候は、あまりわが心中、思い知れも無く、あさましく候ほどに、斯様にこころを語 らい、定め候ても、そのしるしも候へがしと思い候て、斯様にいま、申し候。幾重にも幾重にも人の御なおしには、したがいもうすべき事。
20.願わくは、御慈悲を別してかけられ、ひがめるかたへ、やらずして、おしなおしてたまはり候へがしと、おもいまいらせ候事、他のことなく候。
21.あさましのわがこころや、後生の一大事をとげべき候ならば、一命をものの数とも思わず、おおせならば、いずくの果てなりとも、そむき申まじき心中なり、また、唐、天竺へなりとも、求めたずねまいらせ候はんと思うこころにてあるもの を、これほどは、思いきりたるわが心にてあるに、おおせにしたがい、うしろぐらくなく、法義をたしなみ候はん事は、さて、やすき事にてはなきかとよ、かえすがえすわがこころ、今生は一たんなり、いまひさしくもあるべからず、かつえても死に、凍えも死ね、かえりみず、後生の一大事、 油断してくれ候な、わがこころへ、かえすがえす、いま申ところ、違わず、身を責めて、たしなみきり候べし、かえすがえす御おきて、法度 を、そむかず候て、しかも内心には、一念のたのもしさ、ありがたさを、たもち候て、外相にふかくつつしめ申して、くれ候へ、わが心へ。
道宗(蓮如上人の入滅後3年、道宗40歳ごろ)
http://tonamino.jp/shiru/post_16.html より引用

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

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和歌山県 青岸渡寺

情けは人のためならず」のしくみの喪失

  二〇世紀の社会科学がやってきたことは、理性の力だけでダイエットを成功させようとするようなことでした。自然科学の急速な発展をよそに、経済学や社会学をはじめとする社会科学がほとんど発展してこなかったのは、こうした間違った信念のためだったと言っても、決して過言ではないと思います。
~中略~
自分の利益を犠牲にして他人の利益をはかる人たちは、利己的な人たちに淘汰されて、とっくの昔に消え去ってしまっているはずなのに、そうなっていないのは不思議な話です。
~中略~
つまり、利他的に行動すると、結局はまわりまわって自分に利益が戻ってくるしくみが人間の社会にはずっと組み込まれていた。
~中略~ 
その結果見えてきたのは、現代の日本社会が直面している倫理の喪失とは、実は、倫理の底にある「情けは人のためならず」のしくみの喪失の問題だということです。

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点
山岸 俊男 (著)
集英社インターナショナル (2008/2/26)
P2

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

  • 作者: 山岸 俊男
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2008/02/26
  • メディア: 単行本

 

「心から人の役に立とうとすれば結果として自分自身のためにもなるということは、人生における最も美しい報酬のかたちである」
哲学者・思想家 ラルフ・ウォルドー・エマソン

ハーバードの人生を変える授業
タル・ベン・シャハー(著), 成瀬 まゆみ (翻訳)
大和書房 (2015/1/10)
P34

ハーバードの人生を変える授業

ハーバードの人生を変える授業

  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2014/03/07
  • メディア: Kindle版

九重連山 大分県

無視するな

愛することの反対は、憎み合うことではありません。
無関心になることです。
永六輔「大語録」

大山 くまお (著)
名言力 人生を変えるためのすごい言葉 
ソフトバンククリエイティブ (2009/6/16)
P173

名言力 人生を変えるためのすごい言葉 (SB新書)

名言力 人生を変えるためのすごい言葉 (SB新書)

  • 作者: 大山 くまお
  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2009/06/16
  • メディア: 新書

 

 こころの病についてほとんど予備知識のない人が、初期に現れるさまざまな症状から、病気かどうか判断するのは確かに難しいかもしれません。
でも身近にいるあなたなら、大切な人の「いつもと違う」様子を察知できるのではないでしょうか。
~中略~

 身近にいる人の大切な役割は、「いつもと違う」「何かおかしい」と気づいてあげること。
そして躊躇せず、大切な人に「関わろう」とすることです。

大切な人の「こころの病」に気づく 今すぐできる問診票付
日本精神科看護技術協会 (著), 末安民生 (著)
朝日新聞出版 (2010/11/12)
P40

 

大切な人の「こころの病」に気づく 今すぐできる問診票付 (朝日新書)

大切な人の「こころの病」に気づく 今すぐできる問診票付 (朝日新書)

  • 作者: 日本精神科看護技術協会
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2010/11/12
  • メディア: 新書

あらかじめ自分が何を話すか決めておいて、その予定通りに授業することにいったい何の意味があるのか、僕にはさっぱりわかりません。というのは、たとえ教壇からの一方的な授業であっても、学生たちのわずかな反応で話す内容は大きく変化するからです。
 こんな心理学の実験をしたことがあるそうです。教師には内緒で、学生たちにあらかじめ「教師が教壇の右半分で何か言ったら、にこやかに頷き、つまらないジョークでも爆笑してみせる。逆に左半分に来たら、頷きも、笑いもしない」というルールを課しておきました。
すると、授業が始まって十五分くらいで教師は教壇の左半分には近寄らずに授業するようになったそうです。学生はそういうふうに無言のままでも教師をコントロールうることができるんです。
~中略~
 前にある大学で講演したときに、学生たちが表情を変えずに、黙って聴いているということがありました。まるで壁に向かって話をしているようで、がっくり落ち込んで控え室に戻ったら、呼んでくれた先生がしばらくして戻って来て、「いや、学生たちが「こんあ面白い話は聴いたことがない」と感激していました」と笑顔で伝えてくれました。
面白いと思ったら、頷くとか笑うとか、表に出してくれよ。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P5

 

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: 文庫
九重連山 大分県

ガンを飛ばす

P1
 アイの目を見ると、アイもこちらの目をじっと見た。これにはとても驚いた。
その前の一年間(住人注;一九七六年)、ニホンザルと付き合っていて、サルとは目が合わないことを知っていたからだ。
サルは、目を見ると「キヤァ」と言って逃げるか、「ガッ」と言って怒る。 サルにとって、「見る」というのは「ガンを飛ばす」という意味しかない。
それに、見知らぬ人にに出会ったニホンザルはまったく落ち着かない。

ところがアイは、こちらがじーっと見たら、じーっと見つめ返してきた。驚きだった。

 P47

 ニホンザルの親子は見つめ合わない。ニホンザルの親子の写真を見るとわかるように、子どもはお母さんの胸にぴったりくっついていて、見つめ合えない。
赤ちゃんとお母さんが少し離れないと顔と顔が合わないのだ。
人間と大型類人猿を合わせたものをホミノイドというのだが、ホミノイドだけが互いに見つめ合う。
 チンパンジーは、子ども抱くだけじゃなくて、ちょっと「高い、高い」をしたりする。わざわざ引き離して、顔と顔を合わせ、見つめ合う。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

  • 作者: 松沢 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本

 

北海道 旭山動物園

2026年6月2日火曜日

龍馬脱藩の道

P117
文久二(一八六二)年三月二十四日、高地城下を出奔した龍馬は翌二十五日、檮原の志士、那須俊平、信吾邸に宿泊。翌二十六日、村内の宮野々番所、松ケ峠番所を抜け、四国カルスト西端の韮ケ峠を越えて伊予国へ脱藩した。私たちは龍馬の足取りを追い、那須父子邸から旧街道を辿った。
「龍馬脱藩の道」と記された標識が所々に立てられ、無言で道案内をしてくれる。車を走らせながら「昨夜、資料を見ていると茶や谷というところで、民俗学者の宮本常一氏が「土佐源氏」の聞き取りをしているようです。地図を見てみると茶や谷には龍馬脱藩の道も通っています」と報告すると、「それは面白そうじゃないか。思わぬ発見に出くわすかもしれんぞ」と氏は目を剥いた。
「土佐源氏」は宮本常一氏の代表作「忘れられた日本人」に収録される作品で、宮本氏が戦前、檮原の老人に取材した逸話を戦後発表したものだ。

P129
 後日、私は茶や谷に「D'a Pan屋(だっぱんや)のオーナー、下元秀俊さんを訪ねた。
下元さんは地域活性化を目的に坂本龍馬や檮原出身の志士を顕彰する檮原龍馬会を立ち上げ、「龍馬脱藩の道」の標識を揚げてまわった張本人であった。
聞けば「土佐源氏」のモデルとなった、山本槌造氏の玄孫(やしゃご)になたるのだそう。
 下元さんの話によると、槌造氏はその橋のたもとの自宅に暮らしていた。土地に縛られることなく牛飼いとして各地を歩き、得た知識を老後、地域に還元したようだ。槌造氏が造った水車の跡はいまも川のほとりに残っていた。


山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)

山折哲雄の新・四国遍路

山折哲雄の新・四国遍路

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: ペーパーバック
愛媛県 四国カルスト

日本人の土地所有欲

P32
(住人注;奈良・平安朝の律令体制の土地制度で)土地はいっさい「公」のものというのが建前で、この場合、公とは明治以後の西洋輸入の概念の社会ということではなく、「公家(くげ)」という概念に即した公である。具体的には京の公家(天皇とその血族官僚)が「公田」に「公民」を縛りつけ、収穫を国衙経由で京へ送らせることのよって成立していた制度であった。
 この「公民」をきらった者が、逃散して浮浪人になり、関東などに流れて原野をひらき、農場主になった。
ただ律令体制ではそういう場合の土地所有の権利が不安定だったため、かれらは流人の頼朝を押し立て、京の「公家」に対抗し、ついに鎌倉幕府頼朝にひらかせることによって、自分たちの土地所有の権利を安定させた。
 私はそういう意味で、鎌倉幕府の成立というのは明治以前における最大の革命だった思うのだが、ただ、「公家」を潰さずにその権威や制度、あるいは官名といったものを政治的習俗として残したというところに、可笑し味がある。

P47
塵芥を非私有地に投げ散らかす光景はむしろいまの日本的風景の特徴というべきもので、亀田郷にかぎったことではない。例えば大阪府南河内郡というのは上田正昭教授のいう「河内王朝」の故地で、大和の飛鳥に匹敵するような丘陵と田園の美しい土地だった。ところがここ十数年来の土地ブームに翻弄され、農地が宅地や一般地に転用され、しかしいろんな事情で家も工場も建たぬ所がおおく、「何々々用地」という棒杭だけが立って空地になっている。そういう空地に塵芥が投棄されていて、亀田郷の鳥屋野潟どころでなく、この一億倍も荒涼としている。異常な国土といっていい。
 こういうすさまじさは、風景を公的なものとして見る伝統のなさとつながっている。さらには、稲作という、どういう狭い土地でも水と日光があれば生産化しうるという農業が伝統になってきたために土地所有欲が牧畜を基盤とする社会に比べて病的に強く、その私有感覚の苛烈さが、裏返って非私有地とみればそこへ何を投棄してもかまわないという気持になるらしい。
 まことに日本人の土地所有欲は苛烈である。かつての農民は、田のあぜが隣の田のぬしによって一ミリ削られているだけで、相手を殺しかねないほど昂奮したが、農村から出て都市化した地域に住んでも、この精神の濃厚な遺伝をもっている。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

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奈良 飛鳥大仏

如意輪寺 奈良県吉野郡吉野町吉野山

サイカ党

 戦国時代に、サイカ党という奇妙な武士集団があった。
 紀州雑賀(さいか)という。いまの和歌山市の南につながって、山地がいきなり海に没するミサキのあたりにむらがって住み、全員鉄砲に習熟していた。
~中略~
 日本の鉄砲の歴史は、たれでも知っているとおり、天文十二年(一五四三年)種子島に漂着したポルトガル船の船長が島の王様種子島時堯に一梃千両で二梃売りつけたところところからはじまる。
 それからわずか十二年後の天文二十四年の厳島合戦に、はやくもこの新兵器が戦場にあらわれ、六、七梃で敵をなやましたとある。
~中略~
 さて、話はもどって、サイカ党のことである。
 かれらは、もともと郷士団で、田畑のすくない土地だから、浦へ出て魚をとったり、山でイノシシを追ったりして、妻子をたべさせていた連中だった。
 この大田舎に早く鉄砲が伝わったのには、わけがある。種子島時堯の館でごろごろしていた旅の僧があり、鉄砲をみて、
「手前に一挺くだされませぬか」
 時堯はなにげなくあたえた。むしろ日本史を動かしたのは、長篠ノ戦いよりも、この瞬間だったかもしれない。
 僧は、紀州根来寺の男だった。根来の僧兵はこのために早くから火力装備をもったが、紀州雑賀は根来に近い。地理的に近いところから、雑賀衆が鉄砲に習熟することで、天下にさきがけた。土地では食えないのだ。
 自然、かれらは、技術傭兵になった。諸国に合戦があると、かれらは集団的に傭(やと)われて、大いに戦場で活躍した。きのうはA国にやとわれ、きょうはB国にやとわれるということもあったはずだ。
 いっさい仕官はせず、技術を売ってのみ生活していたという武士集団は、戦国社会では、鉄砲のサイカ党と忍術の伊賀者のほかにない。専属でなくフリーの戦闘タレントだったというわけである。
 戦国期を通じて、かれらはあくまでもフリーの職業精神に徹してきたのだが、最後になってそれが崩れた。ゼニカネでくずれたのではない。
 信仰でくずれたのだ。
 当時の新興宗教一向宗(真宗、いまの本願寺の宗旨)に集団入信してしまったのである。
 信長が摂津の石山本願寺を攻めたとき難攻不落だったのは、よくいわれるように城兵の信仰の固さだけではない。
 当時、最新鋭の火力装備をもつ織田軍でさえ、石山本願寺にこもるサイカ党の火力のまえには、手も足も出なかったのである。
(昭和36年11月)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10

司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P69

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫


根来寺 和歌山