二四七 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえって彼らを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、―これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P55
人はものがあまりないほうが、大事に使うような気がします。「これしかない」と思うと、おいそれと使えないから大切に考えながら使いますよね。トイレットペーパでも、「安いから」といって買い込みすぎると、逆に価値が薄れて大切にしなくなる。その結果、必要以上に「ムダ使い」してしまい、ちっともお得な買い物をしたことにはならなくなってしまうのです。
~中略~
私自身を振り返ってみると、お金がない時の方が何事にも貪欲だったし、ものを大切にしていた気がします。十分なお金がないから「買いたい!」と思った本もなかなか満足に買うことができませんでした。けれど、なけなしのお金で買った1冊は「せっかく買ったのだから、きちんと読もう!」と、じっくりきっちり読んでいました。~中略~
それが今は同でしょう。ある程度、本を自由に買えるようになったら、買うばかりで読まない本が増えました。いわゆる「積ん読」が増えたのです。
「貧乏老後」に泣く人、「安心老後」で笑う人
横山 光昭 (著)
PHP研究所 (2015/10/3)
P153
昨の非を悔ゆる者は之れ有り、
今の過を改むる者は鮮( すく)なし。
「 言志録」第四三条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P33
未だ就( な)らざるの功を図るは、已( すで)に成るの業を保つに如かず。
既往の失を悔ゆるは、将来の非を防ぐに如かず。
洪自誠
守屋 洋 ( 著), 守屋淳 ( 著)
菜根譚の名言 ベスト100
PHP研究所 (2007/7/14)
P201
見通しの立たない計画に頭を悩ますよりも、すでに軌道に乗った事業の発展をはかるがよい。
過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい。
刺を投じて空しく労するは原(も)と生計にあらず。裾(すそ)を曳(ひ)いて自ら屈するは豈に是れ交遊ならんや
名刺を差し出して、大臣の所へ日参するとか、官僚の所へ、あるいは某大会社の社長さんとか重役さんとか、あっちへ名刺を持っていき、こっちへ名刺を持っていって、それこそ功名を図り、生産を治める。 こんなものは元を尋ねれば、突きつめて言えば、人間の生きる計りごとではない。
「生計」とは「人生の五計」でも詳しく説明しているが、単に日常の暮らし、金をこしらえる、生活の道を立てるという生計ではなく、もっと根本的・本質的な生計、われらいかに生くべきやという人生至極の問題であります。
~中略~
「裾を曳いて自ら屈する」とは、昔の礼装で、礼服を着て、腰を低くしてご機嫌をとってまわるということ。それが「豈に是れ交遊ならんや」である。
こんなことが本当の交際と言えるかどうかというわけだ。~略
酔古堂剣掃「人間至宝の生き方」への箴言集
安岡 正篤 (著)
PHP研究所 (2005/7/1)
P22
酔古堂剣掃(すいこどうけんすい) 「人間至宝の生き方」への箴言集 (PHP文庫)
たいていの人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。
第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。例えば、仏典にお辞儀ということを説いて、「吾を以て汝を敬し、汝を以て吾を敬す」と言っている。つまりお辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すると同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。
鳥獣はお辞儀をするとういうことを知らない。ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。まだ精神生活が発達していない。人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。
お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。
この頃は人間が人間味というものをなくしてきたからお辞儀をしなくなった。
知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P155
夫の職業や地位がまるで自分の手柄であるかのように言いつのる妻がいる。彼女らはさらに、子供の通う学校の特徴、飼い犬の賢さ、庭の木々の見事さ、住 んでいる都市の美しさまでが自分の功績であるかのように言い立てる。
~中略~
このように彼らは、物や知識について言っているようでいて、本当は自我とその所有欲がどこまで肥大しているかを示しているのだ。
それどころか、人は過去や未来までをも持とうとしている。
「曙光」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
142
自分がどれだけがんばったかということや、
自分が成し遂げたことや、
自分が有名人と知り合いであることや、
自分の立派そうな職業について質問されてもないのにしゃべる人。
君がそんな生意気な人になるのなら、
優れた人々から君は、「浅ましい」と敬遠されるだろう。
経集782
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
〇二六
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。
自ら見る者は明らかならず、自ら是とする者は彰(あら)われず。
自ら伐(ほ)むる者は功無く、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。
其(そ)の道に在(あ)っては、餘食贅行(よしょくぜいこう)(住人注;余分の料理や無用の付着物)と曰う。
物或は之を悪(にく)む。故に道有る者は処(お)らず。
老子
小川 環樹 (翻訳)
中央公論社; 改版 (1997/03)
P61
挨拶とは、ことばでありマナーである。だが、その源は心ばえである。心がからっぽじゃ、ことばも、ことばを添えるマナーもない。
だから、挨拶が入り用なときは、その事柄へ心こまやかにするのが先決で、自然にことばは心に引っぱられて出てくる、とわたくしは思う。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P148
大手衣料チェーンでも大手雑貨チェーンでもドラッグストアでも、店に行ったときに、雰囲気がよくなっている、あいさつがよくなっている、品切れは少ないといった傾向が表れると、必ず数字も上がります。
お客様は正直ですから、雰囲気が変われば、来店頻度が増えていきます。すぐには売り上げが上がらなくても、いずれ如実に表れます。
利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!
大久保 恒夫 (著)
ビジネス社 (2007/08)
P22
利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!
あいさつは仏教の言葉の「一挨一拶」が語源となっています。禅宗では弟子の僧たちの悟りが、どの程度なのかを知るための禅問答をすることを一挨一拶と言うそうですが、これを縮めてあいさつとなったとされています。
「挨」は自分の心を開きながら相手の心を開く、迫る、押しすすむなどの意味があり、「拶」は迫る、近づく、押しつけるなどの意味が含まれています。ですから、あいさつとは「相手に押し迫って、相手のことを考える」ということになります。
~中略~
「あいさつ」はそれぞれの文字をとって「明るく、いつも、先に、続けて」と言われますが、まさにその通りだと思います。無表情だったり、暗い顔であいさつをされるより、やはり明るく笑顔で元気に「おはようございます」と言われる方が、いい気分になります。
あいさつは相手とのコミュニケーションのきっかけをつくる最初のアプローチです。
リッツ・カールトン - 「型」から入る仕事術
高野 登 (著)
中央公論新社 (2014/3/7)
P70
リッツ・カールトン 「型」から入る仕事術 (中公新書ラクレ)
実際に社会に足を踏み入れてみる、観察する、そういうことをしなければ、せっかく得た知識も生きてはこない。
それどころか、誤った方向へ進んでしまう。
部屋のなかで、世界地図を広げてじっとにらんでいたところで、世界のことは何もわかりはしないのだ。
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P129
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)
みんなの中で、大勢の人の中で、きみはもっとなめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。
孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだらしなくしてしまう。
孤独は人間を腐らせてだめにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へでかけよう。
「デュオニュソスの歌」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
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最初の一歩を踏み出しなさい。階段全体を見る必要はない。
ただ、最初の一段を上りなさい。
[マーティン・ルーサー・キングJr.] 米国の牧師 1929-1968
するべきことを先に延ばすのは、
もっとも情けない自己防衛である。
[シリル・ノースコースト・パーキンソン] イギリスの歴史学者 | 1909-1993
始めさえすれば、もう八割は成功したのと同じだ。
[ウディ・アレン] 米国の俳優・映画監督 | 1935-
人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)
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人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ
僕たちは、どこかで完璧主義者を気どって、「まだまだ」の自分に躊躇して、途中提出を拒むことが、本当はよくある。少なくとも、僕はそうだ。
~中略~
「若い人」にかぎらず、「その時だからできること」というのが、誰にとってもあるように思う。「今は待つ時期だ」。そういう心の持ち方が大切な時期だって、とても多いだろうけれど、今、「途中でもいいから、提出できることってないかな、すこしだったらあるんじゃないか」というような想いを巡らすことを大切にしたい。
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P246
京都嵯峨の天竜寺管長を務められた滴水禅師の逸話を紹介しましょう。
禅師が修行僧のころの経験です。夏の暑い日でありました。
托鉢からもどられた和尚が縁側に腰を下ろしてわらじのひもを解いておられました。
若い雲水(修行僧)であった自分が井戸端にとんでいって、つめたい水をたらいに汲んできて和尚に差し出しました。
和尚が気持ちよさそうに足を洗い終わって自分の部屋へ向かわれたのを見て、使い終わったたらいの水を何気なく庭に捨てました。
そのとき、和尚が振り返って「ばか者、殺生するな!』と言って部屋に入っていかれたというのです。
一喝された雲水は、いくら考えても叱られた理由が分かりません。まだ修行が浅いからその意味を理解することができないのだと考えて、恐る恐る和尚の部屋を訪ねて、「先ほど、お叱りを受けましたが、どうしてもその理由がわかりません。
さぞ深いお考えがあってのことと思われますので、ぜひその訳を教えていただきたい」と申し上げたところ、
和尚は「足を洗った水を庭先に無造作に捨てたからだ。たとえ用がすんで捨てる水でも、植木にかけてやれば植木も喜び水をもう一度生かせるではないか。一滴の水でも生かして使え」
と諭されました。これを縁として「滴水」という名をつけてもらったというのです。
見真
龍谷総合学園 (著)
本願寺出版社; 第三刷版 (2003/03)
P18