2026年2月6日金曜日

老入れ

P18
  「ハッピーリタイアメント」という言葉もあるように、欧米、特にアメリカ人は、リタイア後は人生を目いっぱい楽しもうという思いを温めながら、その夢に向かって働いているようだ。
 私は、アメリカ留学中に年配の人々との交流もあったが、老後が不安だとか老後はさびしいなどというような、ネガティブな言葉を聞いた記憶はない。もともと明るく楽天的な国民性もあるのだろうが、彼らにとって、老後は人生の楽しみが凝縮した時期で、ひたすら待ち遠しいというイメージが強いのだろう。
 一方、日本では、「老後」という言葉には不安や心細さ、あるいはさびしさ、わびしさなどがついてまわる。ややもするとネガティブで、厭世的な考え方が勝るのは日本人の性格と考えがちだが、実はそれは思い違い。日本でも少し前までは大いに老いの日を楽しみに生きていたようだ。

P20
 ちなみに、江戸時代には「老後」という言葉はあまり使われていない。家業を息子に譲り、老後に入る日は「老入(おい)れ」といった。
 老後というと人生の残りという感じがあるが、「老入れ」といえば、「老い」という新しい人生のステージに入っていく、前向きで積極的な姿勢が感じられる。ハッピーリタイアメントのDNAは、日本人のなかにもちゃんと刻まれているはずなのである。

 

P61
 前章でも触れたように、江戸時代の人々は、老後を楽しみに生きていた。家業を譲り渡した後は好きなように生きていい、という発想が広く浸透していたのである。
「楽隠居」という言葉があるように、家業を守る責任から解放された後に好きに暮らせるのは人生の黄金期だった。夫が引退すれば、妻も、しゃもじを嫁に渡す。つまり、家のなかを取り仕切る権限も嫁に譲り、重荷から解放される。夫の老入れは妻にとっても黄金期だったのである。
 だが、ただ遊び暮らすだけではつまらないと考えられていたようで、引退(老入れ)の後は、男も女も”ロクを磨く”ことに熱中したという。
 ロクとは五感を超えた感。稽古ごとなどで感性を磨くだけでなく、豊富な人生経験をさらに成熟させて、若い人の知恵袋といった存在になることも含まれていた。

精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)

50歳からの人生を楽しむ老後術 (だいわ文庫)

50歳からの人生を楽しむ老後術 (だいわ文庫)

  • 作者: 保坂隆
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: Kindle版

 

久住高原 大分県

顚倒

 仏教では、本来「ない」ものを「ある」と思ってしまう心理を”顚倒(てんどう)”と呼びます。
「勘違い」のことです。
 誰かを苦しめている「こうでなければ」という判断、期待は「勘違い」です。
「勘違い」は、抜けるに限ります。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P59

 

 
奈良県 元興寺

長袖者


長袖とは、公家や僧侶など長袖を着る文官を馬鹿にして、武人が発する蔑視の言葉である。
この国には、昭和の軍人まで、さかんにこの言葉をつかって、テロを行った歴史がある。文化血統への劣等感をはじきかえし、ひといきに暴力を正当化する忌わしき呪文といってよい。

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P36

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/09/30
  • メディア: 文庫

 

京都府 南禅寺

地獄

  地獄とは梵名で Narakaといい、これを音訳して捺落迦と書き、略して奈落という。
われわれの住む世界の地の下の最も深い所にある世界で、大別して八熱、八寒、弧の三種の地獄があるという。いずれも楽しみも福徳も全然なく、苦しみだけの所であるから非道ともよんでいる。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P151

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

仏像〈続〉―心とかたち (1965年) (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

九重連山 大分県

大死一番


 自力というのは、自分が意識して、自分が努力する。他力は、この自分がする努力はもうこれ以上にできぬというところに働いて来る。他力は自力を尽くしたところに出て来る。
窮すれば通ずるというのもこれである。意識して努力の極点に及ぶというと、もうこれ以上はできぬと思うところがある。ここを突破する、いわゆる百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)一歩を進めるというか、とにかくも一歩を踏み出すというと、ここに別天地が拓(ひら)けてくる。
そこに自分の意識していなかった力が働き出る。それを真宗の人は他力と名づける。禅宗の方では大死一番ということになる。

禅とは何か
鈴木 大拙

角川書店; 改訂版 (1999/03)
P118

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: Kindle版
 
京都府 東福寺

閑古錘

 禅にはまた老境を讃える言葉がいろいろある。たとえば「閑古錘」。
 これは古くなって先の丸まってしまった「閑(のど)かなキリ」だというのだが、長閑(のどか)なキリなど役にたたないと思うのが普通だろう。しかし役にたたないと思うほうの工夫が足りないだけだ。
どだい「役にたつ」かどうかという価値観だってかなり偏ったものだろう。

禅的生活
玄侑 宗久 (著)
筑摩書房 (2003/12/9)
P186

禅的生活 (ちくま新書)

禅的生活 (ちくま新書)

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/12/09
  • メディア: 新書

 

福井県 永平寺

道場

 道場の「道」は「さとり」です。「道」は「場所」の意味です。もとは釈尊がさとりを開かれてた所をいいましたが、一般的にはさとりを得る場所、それを道場といいました。それから転じて修行する場所、それからやがて剣道の道場とか、柔道の道場というように使われるようになったことばです。

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典)
中村 元
(著)
東京書籍 (2003/06)
P26

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典) (現代語訳大乗仏典 3)

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典) (現代語訳大乗仏典 3)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2003/06/01
  • メディア: 単行本

 

福井県 永平寺

攘夷

「攘夷」、すなわち夷を打ち払うというのは、本来武士の仕事でした。武家の棟梁である「征夷大将軍」とは、天皇に従わない「夷」を攻め滅ぼし、あるいは服属させるのが本来の職能です。しかし幕末の日本では、もう武士だけに任せてはいられないという気運が高まります。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史
磯田 道史 (著)
NHK出版 (2017/5/8)
P105

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 NHK出版新書

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 NHK出版新書

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2017/06/25
  • メディア: Kindle版

京都府 南禅寺

風流

 日本の戦国期は、単に乱世ということでとらえるのはまちがっている。経済、文化などの面で新興のエネルギーが沸騰しはじめていたころであり、政治の面でもかならずしも治安が悪かったわけではない。
戦国中期以後はよき大名の領内などは、平安期や室町期よりも治安がよかったようにもおもえる。さらには戦争といっても敵味方千人が合戦してせいぜい死ぬのは二、三十人ほどであり、近代戦の残虐さからみれば、とるにも足りない。ことさらにこういうことをいうのは、昔は野蛮で残虐だったという見方が多分に錯覚だということをいいたいためである。
「風流」
 という言葉が流行した。その意味は時代によって変遷するが、この時代では非正統のあそび意識と遊びの型のことをいう。 服装を伊達にして傾いている(歌舞伎の動詞・当時の流行語)ことも風流であったし、贅沢な記事で移装の風をこらし異風な踊りを集団で踊ることも「風流」であった。
京都、奈良、堺がその風流の三大中心地で、とくに応仁ノ乱後は風流の情報源は、京よりも堺になった。

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P181

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

  • 出版社/メーカー:
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京都市

鮭の子

  かつて田中清玄氏が「山本さん、こういうことを知っているか。会津は朝敵だったから秩禄公債はもらえなかったんだ。
松平家から勢津子妃が秩父宮家に嫁入りされるとき、はじめてもらったんだ」と。
「ヘエー、そんなことが・・・・・」と私は驚いたが、これでは士族という意識が逆に強く残るであろう。そうでなくとも戊辰戦争の敗戦藩の方が士族意識は強く残り、それは明治以後まで尾をひき、奇妙な形で終戦時まで明確に残っていたものも少なくない。
「負けて禄を取り上げられた」という怨念が勝者より強く残ったからであろうか。~中略~
村上出身の家内の話を聞いたとき、田中清玄氏の言葉を聞いた時のような驚きを感じた。
「そうじゃないのよ、小藩の士族ってそれくらい貧乏だったってことよ。有名な堆朱(ついしゅ)だって士族の内職よ」「ま、そりゃ確かにそうだろう。村上は内藤藩五万石か。城を持てない陣屋大名、いや小名だな。あの地方を調べた人が言ってたなあ。豪農の家の方が陣屋よりはるかに立派なものも少なくないってね。~中略~
内藤藩は財政に苦しみ、そこで三面(みおもて)川の鮭漁を藩営にし、その収益を武士の子弟の教育費とした。そしてこれが廃藩置県後もそのまま残り、終戦まで士族の子孫は鮭漁の収益で学費免除となったが、農工商はその特権がなかった。
そこで「鮭の子」という言葉が生まれたのだが、それが何と私の義妹の時までつづいていたわけである。

「御時世」の研究
山本 七平 (著)
文藝春秋 (1986/05)
P54

「御時世」の研究

「御時世」の研究

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1986/05/01
  • メディア: ハードカバー
北海道 旭山動物園