P161
高杉の問いに答え、松陰はさらにつづけてこういっている。
「藩の役人になって、もし藩公のおそば近くに仕えるようにでもなれば、よく精励してその御心を得よ。御信頼を得てから、正義正論を主張せよ」 このことは松陰一代で骨身に徹して知っている。
「御心を得て正義正論を主張してもなおかつ、禍敗がやってくる。きっとしりぞけられる。
しりぞけられれば淡々として隠退せよ。そして隠退中は人に感謝する心をもち、学問をおさめよ。
そのようにして十年たてば、かならず時が来る。大忠を立つべき日がくる。
もし不幸にしてそういう時期が到来しなくても老兄は歴史上の不朽の人になりうる。
くれぐれも私をまねて、軽怱(かるはずみ)をするな」
P260
正論というものほど、時にとって妙なものはない。
この時期、長州藩の公式代表である長井雅楽の意見ほど、正論はなかったであろう。
かれの「航海遠略策」は、開国か鎖国攘夷かの両論で混乱しきっている時勢に対し、これほど卓越した鎮静剤はなかった。
さらにこの策は、日本の将来を展望して、それを薔薇色に予想してみせたが、志士たちには不満であった。
~中略~
坂本は時勢の魔術性というものをどうやら天性知っていたらしく、時勢の紛糾がぎりぎりのフクロ小路に入りこむまでこの意見を露わにしなかった。それ以前にこの「正論」を露わにしておれば、かれは自分の同志である攘夷家に斬られていたであろう。
長井雅楽は打ちだす時期をあやまった。文久元年(一八六一)年でなく、慶応三(一八六九)年か、四年にうちだすべきであった。
この時期、他播である薩摩の西郷隆盛までが、
「長井雅楽と申すは大奸物」
と言っていることに、後世からみれば目を瞠らざるをえない。
~中略~
さらにかれは長井の「航海遠略策」にひそかに賛同しつつも、気分としては単純攘夷家の壮気をこよなく愛し、かれらの狂気とエネルギーをもって時勢回転の原動力にしようとおもっていた。
「正論では革命はおこせない。革命をおこすものは僻論である」ということが、この時期の西郷の肚(はら)の中にいはあったにちがいない。
世に棲む日日〈2〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)

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