2025年6月4日水曜日

宗教のリミッター

 どの宗教体系においても、反社会的行為へと暴走する可能性は秘めています。それは間違いありません。しかし、実践と思想と歴史によって鍛え上げられてきた制度宗教の体系は、そのようなトラップに躓(つまず)かないよう、きちんと逆方向へと引っ張る力が働くような構造をもっているのです。
 前出の、瞑想や禅においてしばしば起こる神秘的体験を単なる生理現象として切り捨てるという態度は見事なリミッターです。実際、不眠・過労・食制限などによって、生理的な負荷を増大させれば、通常では得難いイマジネーションを体験できます(オウム真理教のように薬物を使用すれば、もっと簡単に実現できますね)。
しかし、それは宗教体験の副次的産物でしかないことを知らしめる仕掛けが、鍛え上げられてきた体系にはきちんと内臓されているんです。もし、その体系を順に辿ることなく、理念のつまみ喰いをすれば、己の体験を必要以上に評価し、結果として自我肥大を起こすのも無理はないと思うのです。

「消費される宗教」や「情報としての宗教」の問題点はここにあるのではないでしょうか。それは自我を守るための道具であり、自我防衛反応としての霊性ではないか、と問いかけたいわけです。
このあたり、イスラム歴史学者のイブン・ハルドゥーンが言う、「ある程度制度宗教に精通せねば宗教が内包している毒を避けられない」という指摘は重要だということがわかります。どのような「宗教」においても、その体系をきちんと順序よくたどっていかねばうまく機能しないのではないでしょうか。
   禅では、瞑想による神秘体験が智慧の獲得だとは考えません。仏教の智慧とはあくまで、ものごとの本質をありのままに見通し、あたり前のことをあたり前として引き受ける態度のことです。
現代の霊性論では、瞑想による生理現象と仏教が説く智慧とをごっちゃにしているのをよく見かけます。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P192

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


山口県 龍蔵寺

シリアのアサド政権

  シリアの場合ですが、「社会主義」「アラブ」を名乗るバース党が、どうして今まで続いてきたかというと、結局のところ、社会主義でもアラブ民族主義でもなく、単にアサド家とその取り巻きによる独裁恐怖政治で乗り切ってきたからです。
 ただし、アサド政権は、前にも書いたように大変賢明ですから、根っからの商売人であるシリアの人たちの経済活動だけは邪魔しませんでした。いくらでも好きなように商売させて、上りの一部を上納金として政府が巻き上げればよかったのです。ですから、アルメニア人であろうと、キリスト教徒のアラブ人だろうと、クルド人だろうと、そして多数を占めるスンナ派のムスリムだろうと、商売の自由だけはかなり保障されていました。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P111

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/06
  • メディア: 新書

 

P119
 佐藤 シリア問題もこの(住人注;イスラム教の)宗派対立が根底にありますが、今回のキーワードは、「アラウィ派」です。今のシリアのバッッシャール・アル=アサド政権は、アラウィ派によって成り立っている。~中略~
アラウィ派がシーア派だとされはじめたのは、一九七四年くらいのことにすぎず、イスラム教の長い歴史のなかでは、つい最近のことです。それもアラウィ派がレバノンのシーア派に認証を強いた結果です。
 そもそもアラウィ派は、輪廻転生説が中心です。シリア北西部に神殿があり、そこにキリスト教崇拝も加わっていますが、何よりも特徴的なのは、基本的に同族結婚であること、あの地域の被差別民だということです。
 シリアは、第一次大戦が終わった一九一八年、それまでの植民地支配から国際連盟のもとでフランスが委任統治をすることになりました。
するとフランスは、現地の行政、警察、そして秘密警察までを、アラウィ派に担わせたのです。すなわち、政治をすべて被差別民に任せたということです。多数派に統治させると独立運動など起しかねない、少数派ならば、フランスへの依存から逃れられないだろう、という計算があったことは疑う余地もないでしょう。
 池上 シリア問題の初手でアラウィ派に注目するとは、佐藤さんらしい切り口ですね。
 補足すれば、アラウィ派というのは、「アリー」、つまり第四代カリフだったアリーに従う者、という意味です。いうなれば、「自分たちアラウィー派はアリーに従う者なのだから、シーア派として認めてほしい」という理屈が立つのです。
 しかし、イスラム本来の教義においては、人が死んだらこの世の終わりが来るまで地下で眠って待つ。そして終末のときに、死んだ人は、みな土の中から蘇り、神の前で最後の審判を受けて天国へ行くものと地獄へ行くものとに分けられます。
 ところが、アラウィ派は輪廻転生を認めていて、現世で悪いことをすると犬畜生に生まれ変わることもあるという、ヒンズー、仏教的な、いかにもアジア的な要素が入っている。
 だからスンニ派からしてみれば、イスラム教として認めがたい。

P122
 佐藤 ~前略
 そもそも現大統領のバッシャール・アル=アサドは、本来は、イギリスに留学経験もある眼医者で、インテリです。ところが兄バーセルが一九九四年に事故死したため、無理やり父親の後継大統領にされた。宗教対立をのりこえて、国民和解の必要があると、夫人をスンニ派からもらいました。スンニ派の金持ちたちを味方につけ、軍の要職にも少しスンニ派を入れました。
ですが、こうした努力もむなしく、やはりうまくいかなかった。

P123
 池上 シリアでは少数派であるアラウィ派のアサド政権が、多数派のスンニ派住民を抑圧してきましたから、スンニ派住民が自由を求めて決起した形です。アサド政権がこれを弾圧すると、政府軍の幹部の中にも、自国民を殺すのは嫌だ、という人たちが出て離反し、「自由シリア軍」をつくって内戦状態になりました。
 そこにスンニ派国家のサウジアラビアやカタールが大きく支援を入れて、反政府勢力が豊富な資金と軍事物資を持つようになった。
その自由シリア軍と政府軍がぶつかり合っているところに、レバノンからシーア派の過激組織ヒズボラ(神の党)がアサド政権の支援に入って、一気に政府側が盛り返すのです。

P124
 池上 そこに付け込んだのが、「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」、今の「イスラム国(IS)]です。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)

 

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本
土居ヶ浜遺跡 山口県

イスラーム法

P177
 イスラームというと、よく「眼には眼を、歯には歯を」の宗教だから野蛮だと言われますが、完全に意味を取り違えています。殺人事件というのは、イスラーム的には刑事事件ではなく、民事の事件なのです。日本や欧米では、刑事事件では、当事者(被害者や遺族)が報復することは許されません。すべて司法の場で裁判を通じて裁かなければならないことになっています。  しかし、イスラーム的にはこれはおかしなこととなります。なにゆえ、国家権力が、個人対個人の争いとその結果としての傷害や殺人に口を挟めるのか?という疑問のほうを重視するからです。
~中略~
 その法律は、国家がつくったものであり、言い換えれば人間がつくったものです。人間がつくった法律ですから「人の法」です。そのため、国家が殺人の裁きと刑罰を代行して行っていることになります。
 一方、イスラームはこれを認めません。イスラームというのは、ムハンマドを通じて神(アッラー)が下したのですから、さまざまな規範は「神の法」なのです。先ほど書いたように、殺人というのは個人対個人の事案ですから、私たちの感覚でいう「民事」なのです。
~中略~
 ただし、現実のイスラームの国では、イスラーム法で定められたとおりの刑罰を科すとは限りません。それは、世界で力をもっている西欧諸国との関係で、イスラーム世界といえども、西欧の法体系とイスラーム法とを接ぎ木している国が圧倒的に多いからです。

P194
イスラーム法では、ムスリムから租税を徴収できません。ムスリムが差し出すのは、原則的に喜捨です。もうけの一部を神に差し出すというのが喜捨ですが、これには、一定の割合で収める定めの喜捨(ザカート)に加えて、任意・随意喜捨(善行)となるサダカがあります。
一方、他の一神教徒は、ジズヤと呼ばれた人頭税を支払うことで、ムスリムとの共存を認められたことになります。 征服した地域からの税収をあてにしていたオスマン帝国は、暴力的に異教徒を滅ぼしては元も子もありませんでした。

P117
 ふだんの生活が、どんなにイスラームの規範からかけ離れていようと、彼らをムスリム以外の人間として見るのは間違いです。
イスラーム自体も、信仰に関して強制は禁物としていますから、イスラームの規範の何をどこまで守っているかを他人が評価するようなことはできません。
これは、聖典コーランに繰り返し、神の命令として「無理強いはいけない」と出てきますので、いかなるムスリムも従わなければなりません。
しかし、西欧の社会は、この点でもイスラームをひどく誤解していて、何かと押し付けがましい宗教だと信じ込んでいます。 おそらく、イスラームに規範がたくさんあるから、そう思い込んだのでしょうが、実際には信仰の強要は禁じられています。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 新書


橋爪 前略~
 法律をつくるのに一番抵抗があるのは、イスラムなんです。それは、イスラム法があんまり立派すぎるからです。イスラム法に抵触しそうな法律を作るには、うんと言い訳をしないといけないし、だいたい議会がある国とない国があったりする。
サウジアラビアみたいに、そもそも民主主義でもなんでもないという国があったりする。
イスラム法と、近代化に必要な議会の立法行為との関係が、整理がつかない。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P336

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 作者: 橋爪 大三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 新書


土居ヶ浜遺跡 山口県

2025年6月3日火曜日

家系の連続をねがう

日本の古いしきたりでは道具類を購入したとき、その目だたないところに「何年何月何日」と購入の日を墨くろぐろと大書しておくことになっている。
私の家など雑駁(ざつばく)な分家ですでに父親の代にそういう律義な習慣が絶えてしまっているが、家内の家ではタライの裏にまでそういう文字が書かれていて、小さな劣等感をもったことがある。
こういう習慣は、家系の連続をねがうという祈りの一形式なのであろう。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P116

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

街道をゆく〈3〉陸奥のみちほか (1978年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

 家系がつづくというのは、農業がもっとも持続力がある。もっとも、江戸期など、将軍・大名以下下級武士にいたるまで武家の家系というのは二百数十年の封建の世を持続しつづけた。
しかしこれは門地と禄という権利が家に付属していたからで、絶えそうになると養子でつなぎ、ときに夫婦養子でつないだ。逆にいえば養子が来るのは門地と禄があるからで、その養子制度がなければ、封建時代の武家の家系など、平均すれば四、五代で絶えているはずである。大名の家など、幕末ごろには藩祖の血をまったく享けていない殿様が多く、また、七、八割以上が養子を入れることにより家系の補綴をしてきたように思える。 自作農もまた、いまなおどの村々でも大ていの農家が江戸期以来の過去帳をもっているのは、田畑という持続のためのエネルギーがあるからである。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P282

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

街道をゆく〈7〉大和・壷坂みちほか (1979年)

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出雲大社 島根県

世襲

P176
 では、太宗は政務多忙で、子供の教育に無関心だったのであろうか。決してそうではない。彼は、「二代目」でうまくいかなくなることを知っていた。ここにも、反面教師煬帝があったであろう。

従ってむしろ、一種の危機感を常に持つ「教育パパ」だったといってよい。
「貞観十年、太宗、房玄齢に謂いて曰く・・・・・」(教誠太子諸王第一・第五章)につづく太宗の言葉は、その基本的な理由をよく理解していたものと思われる。
「前代の乱世を治めた創業の君主を次々に観察すると、民間に成長し、皆、情(真)も偽もよく知っているから、破亡に至る者はまれであった。世つぎの守成の君に及ぶと、生まれながらにして富貴で、世の苦難を知らず、そのため時には一族皆殺しにされるまで至る。
私は若い時から、経営多難という経験があり、くわしく世の中のことを知っているけれども、それでもなお、及ばない所あろいうかと恐れる。
わが子の荊王やその弟たちに至っては、奥深い宮中に育ち、識見が遠くに及ばない。そうして私が経験したようなことを、思うことができようか。
私は一食ごとに耕作の苦難を思い、一衣ごとに紡績の辛苦を思う。しかし、諸子弟は私に学ぶことができない。いまよい補佐を選んで、諸王の輔弼(ほひつ)とする。
願わくばこの善人の近くで習い、多くの罪過を免れることができるようにしたい」と。
~中略~
そこで魏徴に命じて、古来の帝王の子弟の成功と失敗の例を記録させ、「諸侯王善悪録」と名づけて諸王子に賜わった」と。
 その一部を引用しよう。
確かにさまざまな例があるが、「其の盛衰を考え、其の興滅を察するに、功成り名立つは、咸(ことごと)く始封の君に資(よ)り、国喪(ほろ)び身亡(ほろ)ぶるは、多く継体(後継者)の后(きみ)に因る。其の故は何ぞや」。
一体理由は何であろう。「始封の君は天下がまだ定まらない時に直面し、王業の創業の国難を見、父兄の辛苦を知った。それゆえ上にあっても驕慢にならず、早朝から夜中まで精励して倦(う)むことなく、常に細かい配慮を怠らなかった。たとえば、楚の元王は酒を好まぬ賢人のためには特に甘酒を用意し、周公旦は食事中に来客があると口中の食物を吐き出して賢士を出迎えた。
このようにして、耳に逆らう忠言を喜んで受け入れ、人民の歓心を得、生前に功徳を立て、死後にまでその仁愛は伝わった。
だが、その子孫である後継者となると、多くは太平の世に宮殿の奥で生まれ、女官たちに育てられ、位が高いことは危険を招くことだという配慮が全くない、またどうして農業の辛苦を知っていようか。
そのうえ、小人と親しみ賢人君主を遠ざけ、いわゆる利口な女にまといつき、明徳の人には威張って逆らい、義を犯し礼に悖(もと)り、淫荒に限度なく、法律を尊重せず身分を越えて上をしのぎ、権力と寵愛をたのんで嫡子を廃しようとする野心をもち、わずかな功労を誇って、ついにあくことなき野望をもち、忠実貞純の正道を捨て、姦邪の迷える横道を踏み、諫言にそむき卜占を無視し、迷って正しきに返ることを知らない・・・・・」と。

P179
いいかえれば、世襲制度は制度として基本的に無理があるということである。そして、後述するように最終的には一種の制限選挙のような形で後継者を選んでいる。
幸い現代では、政権にも企業にも世襲制度はない。太宗から見れば実に有難い制度のはずだが、その中にあって、何とわが子に社長を譲ろうとあらゆる無理を重ねている人もいる。

帝王学―「貞観政要」の読み方
山本 七平 (著)
日本経済新聞社 (2001/3/1)

帝王学 「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)

帝王学 「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 2001/03/01
  • メディア: 文庫

出雲大社 島根県

天皇制

日本の上代天皇制というのは弥生式農耕が西から東へどんどんひろがってゆくにつれ、それと表裏一体になって教勢が自然にのびて行ったとういう宗教的存在で、べつに戦国時代の英雄たちのように攻伐によって版図を斬りとって行ったものではなかった。
いわば上代の天皇制とは農業の同義語かもしれず、より的確にいえば農業の権威的象徴というべき存在で、たとえば、ヨーロッパでのアレクサンダー大王のような英雄王は必要でなく、英雄が出る条件も皆無だったのである。
~中略~
要するに農業が日本列島にゆきわたるにつれて天皇制がひろがって行っただけで、そういう弥生式の天皇制が大化の改新以後、中国に興った統一帝国(随・唐)に対抗するためににわかに中国体制をとり入れざるをえなくなり、中国風にまるで征服王朝のような「皇帝」の称号を称するようになっただけのことである。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P13

街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1978/11/01
  • メディア: 文庫


 鳥羽天皇というのは、日本的な意味での悪王である。
 中国史や西洋史にみるというようなすさまじい悪王というのは、日本には存在しなかった。
上代は知らず、歴史の可視的範囲ではそのことははっきりしている。日本の天皇というのは奈良朝・平安朝でさえ中国史や西洋史の皇帝や王の生活にくらべると拍子ぬけするほど質素で、政治的存在としても人間的存在としても、ぜんたいにははかなげである。
はかなげというのは、とびきりの善事(たとえば隋の煬帝の大運河掘鑿のような)をするだけの権力もなく、王者にふさわしい贅沢(ルイ十四の建築道楽のような)をしようにも、それだけの富力もなかった。
いま日本に観光資源として残っている一大造営物や一大土木事業で、天皇もしくは上皇・法皇がそれをやったというのはひとつとしてない。
クレムリンもなく大阪城もなくヴェルサイユ宮殿もなく、万里の長城も紫禁城もないのである。
なにやら人間の住まいというより神社と言ったふうな京都御所が遺っているだけであり、あとはあちこちの寺だけで、明治後でさえ天皇の居住区はあらたに設定されず、徳川家がつくった居城が襲用されているにすぎない。
 そういうなかで、平安末期の鳥羽天皇は、精いっぱいの贅沢とわがままをした。
 院政時代の天皇は、隠居して上皇にならなければ権力者としての自由がない。天皇は規定以外の人間に会えないし、外出の自由もなく、また御所の塀は防壁用というより神道の結界として考えられているから、この浄域の司祭者である一面を持つ天皇は御所を出て他のたとえば別荘のような場所に住むことはふつうゆるされない。
鳥羽天皇もそうであった。かれは「鳥羽院」とよばれる上皇になってから日本的美学の範囲内でのけんらんたる芸術生活の日々を送った。
上皇や法皇になるとそのことは自由である。このため、歴代の天皇たちは上皇になりたがった。

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P35


街道をゆく (4) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (4) (朝日文芸文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1978/11/01
  • メディア: 文庫



P109
近代日本の歴代天皇は「政治支配者ノ暴虐」のイメージからおよそかけ離れた存在です。
大正年間、日本大使だったフランスの詩人クローデルは、ロシアの皇帝(ツアー)やドイツの皇帝(カイゼル)と違う日本の天皇の特色に気づき「天皇になにか特別の〔国政上の〕行為があると考えるのは不適切で不敬であろう。天皇は干渉しない」と政治学的に判断し、ついで「天皇は、日本では、魂のように現存している。天皇はつねにそこに在り、そして続くものである。天皇がいかにして始まったのかは誰も正確に知らないが、天皇が終わらないだろうことは誰もが知っている」(「朝日の中の黒鳥」)と述べています。
 天皇とは何か。その定義は判断する時と人で異なります。クローデルは大正デモクラシーの時代、日本精神史の中での天皇を考えました。今の新聞の多くは「一九四六年憲法の文面をめぐり論じている。「国政に関する機能を有しない」天皇は「内閣の助言と承認」により国事行為を行なうとします。
 しかし、私は占領下に制定された憲法の定義よりも、日本人の心の中で歴史的に形作られた天皇にまつわる見方を大事にしたく思います。
クローデルがいうように、そんな天皇家は卑近な国政の外にあって、万世一系という永続の象徴性によって、日本人の永生を願う心のひそかな依存りどころとなっています。
皇室外交も大切でしょうが、あくまで第二義的なことで、わが皇室は続くことに第一義的な意味があります。民族の命の象徴だからです。

P111
 被災者は天皇皇后のお見舞いに心慰められます。国のために殉じた人の遺族は陛下のご参拝によってはじめて安らぎを覚えます。それは被災者や遺族に物質的な救援が届いたからではありません。「有難い」と感ずる精神的な慰藉(いしゃ)が尊いのです。
天皇は敗戦後の憲法の定義では国民統合の象徴ですが、歴史に形作られた定義では民族の永続の象徴です。個人の死を超え、世代を超え、永生を願う気持ちこそ天皇と国民を結ぶ紐帯です。
祈りを通じ国民と共にある陛下であればこそ国民は感動するのだと思います。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書


外宮  三重県

農家=地主+農業者+労働者

  自分の菜園を使って自分の手で栽培する園芸家は、地主、農業者、労働者という三つの異なった性格を、その一身にかねそなえている。
したがって、かれの生産物は、第一の者の地代と、第二の者の利潤と、第三の者の賃金とを支払わなければならない。それなのにかれの利得の全体は、ふつうには、かれの労働の稼ぎだしたものだと考えられている。
地代と利潤の双方が、この場合には賃金と混同されているのである。
 文明国では、その交換価値が労働だけから生じるような商品はほんの少数であって、圧倒的大部分の交換価値には、主として地代と利潤が寄与している。


国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P92

国富論 1 (中公文庫 D 20)

国富論 1 (中公文庫 D 20)

  • 作者: アダム スミス
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1978/04/10
  • メディア: 文庫

 

北海道 美幌

2025年6月2日月曜日

仕事も遊び

P115
  仕事に興味を抱くことは、「遊びや休息と同じくらい自然」である。クリエイティビティや工夫の才は、すべての人に広く備わっており、適切な条件のもとなら、誰 もが責任を感じ、責任を求めさえする。
ダグラス・マクレガー
「The Human Side of Enterprise」(邦訳「企業人の人間的側面」産能大学出版部)  

P180
「プロフェッショナルとは、自分が心から愛することをするということだ。たとえどんなに気乗りがしない日であっても」
Dr.Jことジュリアス・アービング

P186
「仕事とは関連性のない「遊び」だけを楽しめて、人生で取り組む真剣な仕事を耐えがたい重荷として耐えなくてはならない、と信じる理由はもはや存在しない 。

仕事と遊びの境界が人為的なものだと気づけば、問題の本質を掌握し、もっと生きがいのある人生の創造という難題に取りかかれる」チクセントミハイ 

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
ダニエル・ピンク (著), 大前 研一 (翻訳)
講談社 (2010/7/7)

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/07
  • メディア: 単行本

 

人間は人生の大半は仕事にかかわっていくのです。毎日少なくとも八時間、場合によってはもっと多くの時間を、ただ生活の糧を得るためでけのために費やすのだとしたら、その人にとっても不幸です。
 どうせ仕事をするのなら、楽しみながら仕事をした方がいいに決まっています。いろいろなことに挑戦して、自分を成長させていくことは誰にとっても望ましい生き方のはずです。お客様に喜んでもらうことが自分の満足になり、仕事を通して人間的に成長してゆくことが自分の喜びとなるのです。

利益を3倍にするたった5つの方法―儲かる会社が実践している!
大久保 恒夫 (著)
ビジネス社 (2007/08)
P72

 

利益を3倍にするたった5つの方法: 儲かる会社が実践している!

利益を3倍にするたった5つの方法: 儲かる会社が実践している!

  • 作者: 大久保 恒夫
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2007/08/01
  • メディア: 単行本

 

 

 

 最悪なのは、仕事にまったく興味が持てず、その分野のスキルもなく、いまやっていることを活かせる市場もない場合です。古典的なジョークに、エスキモーに雪を売るセールスマンの話があります。雪が嫌いだし、セールスの腕もないのに、その仕事をやっているのです。これは最悪です。
 情熱とスキルと市場が重なり合うところ。それが、あなたにとってのスウィート・スポットです。そんなスポットを見つけられたら、仕事がただ生活の糧を得る手段で、仕事が終わった後趣味を楽しめるのではなく、仕事によって生活が豊かになるすばらしいポジションにつけることになります。こんなに楽しんでいてお金をもらっていいのかと思えることを仕事にする―これが理想ではないでしょうか?
中国の老子は、こんなことを言っています。
 生きることの達人は、仕事と遊び、労働と余暇、心と体、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指す。仕事か遊びかは周りが決めてくれる。当人にとっては、つねに仕事であり遊びでもあるのだ。

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ (著), Tina Seelig (原著), 高遠 裕子 (翻訳)
CCCメディアハウス (2010/3/10)
P121

 

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: ハードカバー
京都府 仁和寺

近代化とは合理化の過程だ

 ところで、近代化とは何か。ヴェーバーは合理化にその本質を見ましたよね。
合理化(あるいは合理性)とは何かという哲学的な問題はさておき、とりあえずヴェーバーにならって、近代化とはさまざまな分野における合理化の過程だと考えてみます。
そうすると、イスラム教のほうがキリスト教より合理化されているように見えるわけです。それなのに、どうして近代化においてはキリスト教(カトリック)圏が主導権を握ったのか。
 歴史をふりかえれば、中世くらいまではイスラム圏のほうがカトリック世界よりずっと先行していました。技術の面でも哲学や思想の面でも、たいていイスラム圏のほうが先んじています。
中世の後半に、アリストテレスの哲学がイスラム圏からカトリック世界に言わば逆輸入されて、キリスト教学の水準を大幅に引き上げたという事実など、イスラム圏がいかに先行していたかを示している。逆転の兆しが出てくるのは十六世紀頃、つまり大航海の時代です。あるいは、宗教に即していえば、宗教改革の頃です。
 どうして、きわめて首尾一貫性が高く、合理的な宗教であるイスラム教が、しかも中世までは断然優位に立っていたイスラム教が、近代化の過程では、結局、キリスト教に主導権を奪われてしまったのか。非常に不思議な感じがします。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P273

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版

P102
 西欧の近代化とは、キリスト教の穏健化による世俗主義の確立である。
これは法治主義(英米法では、法の支配と呼ぶ)の原初である。主(God)による支配から、人の定めた法による支配、そしていかなる権力も個人の心の中に介入してはならないとする原則の確立により、文明を築いていくのである。

P160
 ナポレオン戦争時代のプロイセンの軍人、カール・フォン・クラウゼヴィッツは「戦争論」において、「戦争とは政治の延長である」と説いた。
~中略~
 クラウゼヴィッツの世界観においては、戦争とは政治目的に基づいて正規軍によってなされる国家と国家の衝突である。もちろん不正規軍は存在するし、国際法違反や政治目的からの逸脱も存在することを前提に彼の理論は説明される。
~中略~
 軍人の本分を遵守するクラウゼヴィッツは、国策の手段としての戦争においてどのような戦闘方法が合理的であるかを考察したのみである。「戦争の目的は異民族の殲滅である」とは十字軍の思想であり、これを曲がりなりにも克服してきたのがヨーロッパ近代なのである。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)

日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)

日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)

  • 作者: 倉山 満
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/04/03
  • メディア: 文庫

京都府 嵐山

政治的緊張期の日本人統御

  「売国」ということばが、日本においてその政敵に対して投げられる慣用後(フレーズ)としてできあがったのは、記録の上ではおそらくこのとき(住人注;井上聞多・伊藤俊輔が開国主義に変節して帰国した)が最初にちがいない。
 井上らは、やぶれた。
 次いでこの藩の藩主と重臣たちがとった手段は、その後の日本において繰りかえしおこなわれるようになった事柄にきわめて似ていた。
藩主以下重臣たちは井上のいうことがよくわかっていながら、三十日には、
「攘夷はあくまで断行する。決戦の覚悟肝要なるべき事」
 という大布告が発せられた。
発した政治の当務者はこの大布告の内容をもはや信じてはいない。しかしこれを出さねば、井上帰国によっておこった藩内の疑惑と動揺と沸騰がしずまらないのである。
国際環境よりもむしろ国内環境の整備の方が、日本人統御にとって必要であった。

このことはその七十七年年後、世界を相手の大戦争をはじめたときのそれとそっくりの状況であった。
これが政治的緊張期の日本人集団の自然律のようなものであるとすれば、今後もおこるであろう。

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)
P181

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 文庫

一九六七年一〇月には第一次羽田闘争がありました。僕はその時にテレビを観ていて、ほんとうに足が震える思いがしたのです。佐世保と羽田が三派系全学連の華やかな政治的デビューだったわけですけれど、どちらも舞台は「港」なわけです。
佐世保にはエンタープライズ、アメリカの空母が来るというので、若者たちが追い払いに行く。羽田は佐藤栄作がベトナムの米軍をいわば激励するために出かけるところだった。そんな真似は許さない、と。これどう考えても「攘夷」です。
 学生活動化と言ったって、ほんとうにわずかな数なんですよ。むこうは空母ですから、二〇〇〇、三〇〇〇の学生が行って、追い返せるわけがない。「品川沖に黒船が来た!」と言って鎧着て、槍かついで行くようなものです。そして、学生の扮装はヘルメットにゲバ棒。それと旗なんです。
~中略~
その後、「内ゲバ」の時代になると、「鉄パイプ」という凶器が出てきますけれど、最初の反米闘争はあえてヘナヘナな木材が武器に選ばれた。
武具としての有効性がきわめて低いものがあえて選ばれたということは、ゲバ棒というのは記号だったということです。「蟷螂(とうろう)の斧」的ふるまいというのを、記号的に表象するとあれになる。上陸してくる米軍戦車を竹槍も以って防ぐという「果たされなかった本土決戦」の記号的再演なわけです。
 そして、旗。党派ごとに巨大な赤旗、黒旗を掲げていましたけれど、あれは紛れもなく「旗指物」ですね。~中略~
 佐世保、羽田闘争のとき、日本の学生たちは「黒船」を攘(はら)うために兜をかぶって、竹槍と旗指物掲げて出かけたんです。
~中略~
 安保闘争も反基地闘争もベトナム反戦闘争も、さきの戦争で死んでいった青年たちに対する「供養」だったと僕は思っています。供養が果たせたかのかどうか、それはわからない。
多分果たせなかったんでしょう。 でも、日本中の何十万と言う若者たちが、その数年間、供養の儀礼に参加したことはたしかです。
そして、「ベトナム反戦」という当面の政治課題がなくなったところで、何をしていいかわからなくなった。新左翼の連中がその行った先は、宗教、ニューエイジ、ブドウ、有機農業、エコロジー、だいたいそっち方面でしたね。「大地と触れ合いたい」とか、「日本の文化の神髄に出会いたい」とか、「霊的深みに達したい」とか、だいたいそっち方面に行ってしまった。
でも、そういう選択が際だったという理由が今になるとよくわかります。僕自身そうだったから。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P296

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: 文庫
京都府 三千院