日本の戦国期は、単に乱世ということでとらえるのはまちがっている。経済、文化などの面で新興のエネルギーが沸騰しはじめていたころであり、政治の面でもかならずしも治安が悪かったわけではない。
戦国中期以後はよき大名の領内などは、平安期や室町期よりも治安がよかったようにもおもえる。さらには戦争といっても敵味方千人が合戦してせいぜい死ぬのは二、三十人ほどであり、近代戦の残虐さからみれば、とるにも足りない。ことさらにこういうことをいうのは、昔は野蛮で残虐だったという見方が多分に錯覚だということをいいたいためである。
「風流」
という言葉が流行した。その意味は時代によって変遷するが、この時代では非正統のあそび意識と遊びの型のことをいう。 服装を伊達にして傾いている(歌舞伎の動詞・当時の流行語)ことも風流であったし、贅沢な記事で移装の風をこらし異風な踊りを集団で踊ることも「風流」であった。
京都、奈良、堺がその風流の三大中心地で、とくに応仁ノ乱後は風流の情報源は、京よりも堺になった。
街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P181

0 件のコメント:
コメントを投稿