新潟地震は一九六四年六月十六日にマグニチュード七・五でおこった地震で、亀田郷の揚水ポンプなどが破壊され、亀田郷だけでなく信濃川や阿賀野川ぞいの埋立地で被害が大きかった。
上杉川のひとびとも里に降りて土工などの仕事をし、いい賃金をとった。贅沢もおぼえた。人間はいったん現金が手軽に入って手軽に消費できる暮らしの中にまぎれこんでしまうと、山に帰る気がしなくなるのであろう。
山では何もかも自分の手と足で生活の必需品をつくらねばならないし、燃料も山へ入ってシバを刈らねばならず、そのシバで風呂をわかすにしてもまず谷から家まで何度となく上下して水を汲み上げることから始めねばならない。
(里というのは、こんなに体が楽なものか)
と知ってしまったために離村したというのが、どうやら実情であるらしく、上杉川の場合、その以外には理由も考えられないようである。
街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P95
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