2025年3月5日水曜日

安全と水はタダでない

P31
ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう。自己の安全に、収入の大部分をさかねばならなかった民と、安全と水は無料で手に入ると信じ切れる状態に置かれた民と、

P34
思いつめたからといって、自己の生存も、自己の安全も、自己の希求も確保できない。
これらすべては、自らの手で、高いコストをかけて、保存しなければならない、というのが、二千年の体験から割り出したユダヤ人の結論であり、日本人と根本から違う点なのである。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1971/09/30
  • メディア: 文庫


幸田 いまね、あばれ川とか、山くずれとかいうことに気がついて、見に行ったりしているんですけれども、それで県庁なんかの人にいろいろ聞きますとね、家庭での水をもっとセーブするしかたをよくしないと、しょせんはつらいときがくる。

辻(住人注;辻嘉一) ともかく畏れということを知らんですよってね。さいわい日本は雨が多かったり、雪が多かったり、雪が多いさかい、水はあるとはいうものの、もっと畏れて尊ばなければいけませんね。

(一九七九年 七十四歳)

幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P54

幸田文 台所帖

幸田文 台所帖

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/03/05
  • メディア: 単行本




P107
 聖書に出て来る「平和」という言葉にはヘブライ語「シャローム」が当てられている場合が多い。現代のイスラエル人の「こんにちは」に当たる挨拶も「シャローム」である。
 この「シャローム」の本来の意味は「欠けたことのない状態」だという。現実的に言えば、人間の暮らしには必ず苦労が伴う。病気、死別、経済的不安、地域抗争に巻き込まれることは常に考えられる。
そのような欠けたことのない人などまずいないだろう。
だから「シャローム」という言葉に含められた意味は「この世にあり得ないすばらしいもの」なのである。それを「あなたに贈ります」とイスラエルの人たちは言うわけだ。
その言葉の背後には「平和」「平安」というものに対する烈しい、そしてもしかしたら永遠に叶えられないかもしれないという悲しい希求がこめられている。
日本人のように、「皆が願えば必ず平和になる」などという甘さはどこにもない。
日本人は、水も電気も、緑も海も、与えられているから、こういう「たわごと」を言う。

P223
戦後、私たち日本人は、大きな幸運に恵まれてきた。地域戦争にも巻き込まれず、大旱魃(かんばつ)、大都市が呑み尽くされるような火山の大噴火にも遭わずに済んできた。 幸福と安全の配当は当然のことだから、感謝の対象ではなかったのである。
 人々は「安心して暮らせる」生活を求め、それが可能であると考え、一部の人はその安全と安心が実現されるのが当然と思ったようだ。
人間にとって現世で叶わないことが二つだけある。一つが「安心して暮らせる」生活であり、もう一つが死なないことである。
 このことは東日本大震災でこんなにも明確に実証されたにもかかわらず、その後もまだこの言葉を使い続けて平気な人たちがいる。

人生の原則
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)

人生の原則

人生の原則

  • 作者: 曾野 綾子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



熊本県 通潤橋

ダーティなエネルギー

 たしかに核反応は煙を出さない。ただその代わりに放射線を生み出し、煙より始末の悪いいわゆる核廃棄物を生み出す。
使用済み燃料だけでなく、放射能汚染された施設部品や衣類など、使い棄てられる付随的なあらゆる物品だ。そしてこれに関しては、安全な処分の方法がなく、棄てることもできない危険なゴミになる。
それが格納され蓄積され、特別のケースやドラム缶に詰めて年々積み上げられる。

 だから、核エネルギーが「クリーン」だというのはまやかしでしかない。
それだけでなく、原発を長期に稼動させるためには、つねに細部のメンテナンス必要であり、それは制御室からコントロールされる原子炉本体の外観とは似ても似つかぬ肉体作業に頼っている。
 その部分はいわば原発のブラックボックスとしてほとんど表に出されることはないが、この必須の作業に従事するいわゆる「原発労働者」たちの被爆の実情は、電力会社から広告収入を得ているメディアに黙殺されながら、少数の人びとによってすでに長らく問題にされてきた。
 「闇」に隠されているがゆえに労働環境や雇用条件もきわめて劣悪で、「協力会社」と呼ばれるこの業界の下請け企業に、日本の底辺労働者たちが吹き溜まっているという(堀江邦夫の古典的ルポ「原発ジプシー」[講談社文庫、一九八四年]など参照。またここに復帰後の沖縄出身者たちが多かったことも知られているが、これについては森崎監督の「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」[一九八五年]という卓抜な映画がある)。
~中略~

 だから実際、核エネルギーは「クリーン」どころか、物理的にも社会的にも二重にダーティーな、それも極端にダーティなエネルギーだといわなければならない。
極端だから、それは通常の「想定」の外に置かれているだけのことだ。

脳力のレッスン 109
緊急編 東日本大震災の衝撃を受け止めて──近代主義者の覚悟
  寺島実郎

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P84

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


養老 JCOの事故(住人注;「JCO東海事業所」の臨界事故(ウラン溶液が臨界状態に達し、核分裂連鎖反応が発生。作業員二名が死亡。被爆による健康被害のあった関係者や周辺住民は六百人以上と推定されている)はとてもひどいものでした。

作業していて被爆した人が東大病院に転院してきて、致死量をはるかに超える放射能を浴びているのに、なんとか延命させろと言われていたわけです。もちろん、助けられるなら助けてあげたいけれど、それは無理だったんですよ。
~中略~
細胞が再生されないから、古くなった皮膚はただれてはがれ落ちていく。体液が浸み出し、それが出血に変り、爪もはがれ落ちてゆく・・・・「朽ちていった命」(新潮文庫)という本にもなったけど、僕は、この実態は公表されるべきものだと思いました。

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)
P94

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本


福岡県糸島市 雷山千如寺大悲王院

豊かさ

友人たちに冗談で言ったことはある。-大震災でもあればオール電化生活は破綻する。だから半分は昔ながらの生活スタイルを維持しておいた方がいい―。

~中略~
 翌朝、水道は使い物にならなかった。車に大鍋、やかん、ポリ容器など、ありったけのものを積んで出発した。

~中略~
雑木林のふもとに一軒家が見えた。煙突から白い煙が立ちのぼっている。薪ストーブの煙だ。一軒家の前に、樹齢千年と言われれば思わず信じ込んでしまいそうな桂の巨木がそびえ立っている。
秋には燃えるような黄金色の葉群があたりを圧倒する。その根元から清水が湧き出ているのだ。
 一軒家の中川さん宅の薪小屋に積まれている薪の量は半端ではない。働き者の家だ。

戸口を開け、大声で、「神様の水をもらいにきた」と叫ぶ。すると、中川のおばさんが居間からふくよかな顔をみせた。
「 久しぶりだこと。山が揺れたから、少しは砂が混じっているかもしれねえよ」

幸ひ思ひ出立申すべし
  簾内敬司 (作家)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P232

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌

 (住人注;ドラマ「北の国から」は)美しく厳しい富良野の自然と、その中で生きる家族の物語。それだけで主題としては十分だけれども、この作品にはいくつかの「横糸」が巧みに織り込まれ、ドラマに奥行きを与えている。
 一つは「文明生活は私たちを本当に幸せにしたか」という問いかけだ。ある冬の夜、純が乗った車が道路で遭難する。路肩の新雪にはまり、抜け出せないまま車ごと雪に振り込められてしまったのだ。
 除雪車も出せない猛烈な嵐の中、お年寄りが出した馬ぞりが車を見つける。農耕馬が嗅覚で純を探し当てるのだが、その馬も農業経営の機械化でトラクターに仕事を奪われ、「エサ代がかかるから」と、やがて処分される。
 現代人も馬を飼え、と言いたいのではない。私たちは車や携帯電話や電気を使いこなしているけれど、いったんそれが使えなくなると、自然の猛威の前にいかに無力であるかということを考えるのだ。
 独り暮らしの母親が宮城の自宅で東日本大震災に遭遇したという男性の話を聞いた。彼は東京じゅうのスーパーをかけずり回って食料を確保し、ガソリンがなくなるのを心配しながら、寸断された道路を必死で車を走らせて自宅にたどり着いたが、そこには「いつもの暮らし」があったという。
生活用水は井戸、トイレはくみ取り、電気やガスがなくてもかまどで料理ができた。「裏の畑の野菜でお袋が作った ぬか漬けがうまくて、ほっとして、泣けました」

 ドラマに通底するもう一つの横糸は「貧しさと豊かさ」だろうか。
中学を卒業し上京する純を乗せた長距離トラックの運転手に、五郎はお礼として二万円を渡す。肉体労働で稼いだ日銭だろう、紙幣が土で汚れているのを見た運転手は「お父さんの気持を忘れるな」と、そのまま純に託す。
この二万円、純にとっては「ダメダメな自分が越えられない父親」の象徴でもあるのだが、汗と土にまみれて二万円を稼ぐ大変さは三十年経った今も変わらないどころか、長引く不景気の中でますます重みを増しているのではないか。
 一方で五郎は、やせた土地から掘り出した石と廃材で家を建てる。作業は近所の仲間が無償で手伝う。富良野では「手間返し」と呼ぶ助け合いだ。「困った時はお互い様。金のやりとりは嫌がられます」と五郎。
自分のために無償で働いてくれる人がいることの尊さはお金には換えられない。ところが、「金で買えないものはない」文明生活は、そういう仕組み自体をそうていしていないのである。

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社(2012/12/21)
P228

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

  • 作者: 元村有希子
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/12/21
  • メディア: 単行本


福岡県 英彦山

ブレーキをかける矜持と見識

P160
保険を支える基礎的な理論として「大数の法則」というものがある。
一人の人間がいつ交通事故に遭うかは予測し難いが、統計的には交通事故の発生率は一定の値が存在する。
試行の回数が少ないうちは結果にばらつきがあっても、繰り返していくうちに一定の値に近づいていくことを大数の法則と呼ぶのだが、この理論に基づいて保険は運用されている。
その基本は、できるかぎり多くの数の保険者を集めることによってリスクの確立を予測可能のものにすることであり、その予測によって合理的な保険料率を算定することである。
身近なところでは自動車損害賠償責任保険(自賠責)がその典型である。

P159
 原子力発電を推進してきた人々が言うように原発が「絶対安全」だというならば、そもそも保険は必要ないはずだが、今回の事態を見れば分るとおり、(中略)
仮にそれらをふくまずとも、原子炉災害にかかわる莫大な損失への補償を一社の保険会社でけで引き受けることは不可能であり、もし無理にそうしようとしたならば、今度は電力事業者が支払う保険料が膨大なものになり、とても支払いきれないであろう。

P162
私自身は、損害保険業とは、日本の全産業が成長に向かって走っているなかで、たった一つのブレーキ役であると考えている。
もちろん、いくら力を入れてブレーキを踏んだところで、全産業がアクセルを踏む力にはかなわない。
~中略~

 イギリスはテムズ川の河口にコンビナートなど作らないし、作らせない。
一方で東京湾はどうか。京浜工業地帯から京葉コンビナート地帯まで、見渡す限りのコンビナートである。
ある外国の損保関係者に、「首都の入り口に広大なコンビナートを建設し、大震災や飛行機の墜落などがあったらどうするのか」と忠告を受けたことがある。
保険会社として契約を引き受けるべきではないのではないか、と。
それが保険会社の見識であり、矜持というものなのだろう。

P163
このような巨大なリスクと膨大な出費をともない、事故が起きた際に取り返しの付かない結果を引き起こす原子力発電を、エネルギー供給の基盤に据えるということに合理性があるだろうか。
 一方で日本は原子力を重視するあまりに、再生可能エネルギーを軸にした産業再編をすすめる国際的潮流に大きく取り残されてきた。自らの核廃棄物の処理すら定まっていないにもかかわらず、国外に原子力発電を売り込むために首相までが取り組んでいた。
それがこれまでの日本の姿だったのである。

 

原子力と損害保険──ブレーキをかける矜持と見識
  品川正治 (経済同友会終身幹事)

世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


大分県 九重

ファシズムは不安を土壌に登場する

 気になることがある。関東大震災からわずか一四年後の一九三七年盧溝橋で日中両軍が衝突、日中戦争が始まり、四一年の真珠湾攻撃へつながる。
関東大震災前年の一九二二年にはワシントン海軍軍縮条約が結ばれ、「国際協調」と「大正デモクラシー」と言われた時代が存在した。それが軍靴の音に押し潰されていく転機となったのが大震災だったといえる。

 無力感と不安の中で醸成されるのは力への誘惑である。頼りなく迷走する状況への苛立ちの中で、束ねる力、統合力を求める心理が高まる。

今日軍部の台頭を懸念する必要はなかろうが、即時的同一化というやつで、「がんばろうニッポン」的なキャンペーンの繰り返しと「この際、救国大連立政権で」などという動きに救いを求めているうちに、思いもかけぬ方向に向かう可能性があることを肝に銘じなければならない。
ファシズムは不安を土壌に登場するのである。

脳力のレッスン 109
緊急編 東日本大震災の衝撃を受け止めて──近代主義者の覚悟
  寺島実郎

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P79

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


池田 今回の東日本大震災のあとも、挙国一致みたいな雰囲気になっているからね。
そこで、「死んでしまったもんはしょうがないよな」とか、そういうことって、思っていてもなかなか口に出して言いづらいし、「おれはボランティアはしないよ」とか、「義損金は出さないよ」とか、言いづらいでしょう。
そういう心理的圧迫、同調圧力というのはとても強くあって、実際、被災地以外で「自粛」の嵐が吹き荒れたでしょう。

ボランティアや義損金や自粛が悪いというわけじゃないんだよ。ただ、そうしなければならないんだとみんなが思う雰囲気というのは、やっぱり危険なんだよ。

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)
P69

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/13
  • メディア: 単行本
大分県 国東 両子寺

考古学者たちはサインを出していた


 いま思えば、考古学者たちは震災前からサインを出していた。仙台平野に沓形(くつかた)遺跡という約二〇〇〇年前の弥生時代の遺跡がある。
震災の五年前から本格的に発掘され、当時は二キロ(現在は四キロ)内陸のこの遺跡から津波の砂の層が発見されていた。砂は分厚いところで五センチを超えていた。
集落は津波で徹底的に破壊され、再び人が住みはじめたのは津波から四〇〇年後という衝撃的な事実もわかっていた。
 つまり、仙台平野は約二〇〇〇年前、約一一〇〇年前(貞観津波)、四〇〇年前(慶長三陸津波)、そして二〇一一年(東日本大震災の津波)と、はっきりしているだけで、二〇〇〇年間に四回もの大津波に襲われている。
いずれも内陸四キロ前後まで浸水。五〇〇年前後の周期性をもったきわめて反復性の高い自然現象であったことがわかる。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P191

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 新書

 

大分県 九重

「安全神話」をつくり上げる仕組み

 ここに電気事業連合会、略して電通連の行ってきた「報道統制」を思わせるおびただしい資料がある。
まず、さまざまな報道機関、メディアに送り続けた抗議書(「関連報道に関する当会の見解」との共通見出し)から一覧する。
~中略~
この一見、丁重にみえる記述につづいて、次段からは「記」と題した詳細な指摘がえんえんと展開される(以下、原文のまま)。
~中略~
 いずれも同じ形式をとって反論の記述がなされる。書いた人物の名はすべて伏せられ、組織の中に身を隠したままの匿名で通す。だが、その背後に控えるものの正体は明らかだ。

 「週刊朝日」だけでない。週刊誌では「サンデー毎日」「エコノミスト」、およそありとあらゆるマスコミが対象となっている。朝日新聞、共同通信、時事通信、毎日新聞、東奥日報、佐賀新聞、西日本新聞、各紙社説。さらにNHK教育TV、TBS、日本TV・・・。
 記事に対する「反論」を「事実関係」と自称する。当方の主張が「事実」であり、そちらはデマか誤認だと断じる。
あらゆるメディアへの巨大スポンサーとして君臨するものの発する「抗議」のブラフ(脅し)効果」は計り知れないものがあるだろう。

 だが、ここに示した報道に対する執拗なまでの警告だけでない。
「安全神話」をつくり上げる仕組みは学校の教育現場での教師、児童、生徒、学生への刷り込み、「
学習指導案」から「ワークシート」の作成、著名文化人の動員、さらに映像を駆使しての特別授業まで、実に広範囲に及ぶ。彼らが「事実」と呼んで社会に押しつけてきた記述の信憑性こそが、いま問われているのではないか。

巨大複合災害に思う
─「原発安全神話」はいかにしてつくられたか?
  内橋克人 (経済評論家)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P38

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌

P117
実際、今回のように津波によってすべての電源が失われてしまう状況は、市民グループがパブリックコメントを通して指摘してきたことです。
しかし、パブコメについては「聞き置く」という官僚文化の中で、市民側からの意見が検討もされず捨て置かれてきたといえます。これが今回の事故の構造的な原因の一つといえるでしょう。
~中略~

そもそも電力会社や原子力安全・保安院には、原子力発電所の安全性について、実質的な安全を考える文化が存在しないといっていい。
手続き論として、形式的に「安全」を整えていけばいいという発想しかないのです。
原発の安全審査のあり方は、喩えるならばロシアのマトリョーシカ人形のようなもので、実際に安全に関する報告書を作っているのは、設計・建設を請け負っている東芝・日立・三菱というメーカー御三家であり、東京電力は、彼らの作成した文書の表紙を「東京電力」に書き換えるだけです。
それを今度は、電力会社から原子力安全・保安院に文書を提出するのですが、保安院は官僚そのものです。
~中略~

電力会社や政府、原発推進派の学者などによる、いわゆる「原子力ムラ」は、そうやって都合の悪い意見には耳を傾けない姿勢で一貫してきました。
いつ破局を迎えてもおかしくない事故を繰り返しながら、本質的な批判にも耳を傾けずにきた結果として、歴史に残る大事故を引き起こしてしまったのです。

飯田哲也

対談 自然エネルギーの社会へ再起しよう
  飯田哲也 (環境エネルギー政策研究所所長)
  鎌仲ひとみ (映画監督)

P119
飯田
原子力安全委員会は、建前として行政庁から独立して国全体の原子力の安全を司るとされていますが、実質的には「原子力ムラ」の中でも文部科学省や旧動燃・旧原研という村を仕切る役割を果たしています。
その一方、原子力安全・保安院というのは経済産業省の「電力村」を仕切る役割です。それぞれに違う村を仕切る役割があるため、お互いに双方のことについては口も手もだしてはならない不文律があるのです。
文科省管轄の放医研も理研も、被爆者が出れば協力するという程度の姿勢です。逆に文科省の管轄である「もんじゅ」の事故のときは、経産省はさんざん馬鹿にして、文科省なんかに任せられないということでプルサーマルに突っ走っていった。

―戦時中の陸軍と海軍のようですね。
飯田 ただの喩えではなく、政治構造としてまったく同じ構図です。それに、戦艦大和と原発や再処理工場は、世界の現実を見ようとせず、過去の成功体験に浸って巨大技術に突っ走る点でも同じです。
参謀本部の無能さや思考回路も同じで、国民を平気で犠牲にする思考までそっくりです。

対談 自然エネルギーの社会へ再起しよう
  飯田哲也 (環境エネルギー政策研究所所長)
  鎌仲ひとみ (映画監督)

P126
 二〇〇八年一一月の科学技術社会論学会年次大会のワークショップ「柏崎刈羽原子力発電所地震災害の政策的意味」の後縁予稿のなかで、私はつぎのような主旨を書いた。

 「(前略)現代日本における原子力は、国策として莫大な人と金と組織が注ぎ込まれ、大多数の国民にとって絶対的な善である点において、敗戦前の帝国軍隊に似ている。その状況で、柏崎刈羽原発の地震被災は、大自然から発せられたポツダム宣言にも擬せられる。
これを無視すれば、ヒロシマ・ナガサキに次ぐ第三の大量被爆である原発震災が近づくかもしれない。
いっぽう、電力会社・政府・御用学者が大自然を客観的・真摯に見ようとせず、規定路線に固執して詭弁を弄し、マスメディアが無批判に「大本営発表」を報道し、芸能人が宣伝に動員され、国民のほとんどが原発は必要で安全と信じている現状は、アジア太平洋戦争中の狂気の日本に酷似している。
(中略)早急に行なうべきことは、前述の安全規制の欠陥を抜本的に改めたうえで既存原発の原発震災リスクを総点検し、リスクが高い順に段階的に閉鎖・縮小する実際的プログラムを考えることである。」
なお、ポツダム宣言と原爆投下の関係は単純ではないだろうが、ここでは「最後通牒」というほどの意味で使った。

P127
 半藤一利氏の「昭和史 1926-1945](平凡社)を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることに驚かされる。
「根拠のない自己過信」と「失敗した時の底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、さらなる失敗を重ねた。そして、多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした(落しつつある)。

原発主義の時代
P127
 全国各地の市民の中には、原発が地震で大事故を起こすのではないかと不安になり、少し勉強してみたら不安が確信に変わって、既存の原発の閉鎖を求めたり、新設計画に反対したりという活動に熱心に取り組んでいる人々が大勢いる。ところが日本社会は、彼らに「反原発」「原発反対派」というレッテルを貼って白眼視してきた。

「反」という文字には負のイメージが付きまとい、頑なな教条主義によって反対しているような印象を与える。それを狙って「反原発」と決めつける場合も多い。
 しかし、教条主義なのはむしろ原発推進派(「原発偏執派」といったほうがよい)のほうであろう。
彼らは、みずみずしい感性を失い、合理的思考を放棄して、地震列島における原発の危険性や、電力の使用と供給の多様な選択肢を考えずに、原発にしがみついている。

原発震災
P127
 私は、多くの市民や科学者に較べて遅かったが、一九九七年に雑誌「科学」一〇月号で「原発震災」という概念・言葉を提唱した。
そして、それを引き起こす可能性がいちばん明瞭なのは中部電力の浜岡原発(静岡県)なので、浜岡は廃炉を目指すべきだと訴えた。

 原発震災とは、地震によって原発の大事故と大量の放射能放出が生じて、通常の震災と放射能災害が複合・増幅し合う破局的災害である。

 最後に「全国の原発について、原発震災のポテンシャルが相対的に高い原子炉から順次廃炉にし、日本全体の原発震災の確立を段階的に下げていくというような道筋を真剣に考えなければならに」と結んだ。

 小文は静岡県では波紋を広げ、県当局が専門家の意見を求めた。その結果が、静岡県議会の委員会の資料に「石橋論文に関する静岡県原子力対策アドバイザーに見解」としてまとめられている。
そのなかで、例えば斑目(まだらめ)春樹氏(現在、原子力安全委員長)は「(外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しなくなる可能性について)原発は二重三重の安全対策がなされており、安全かつ問題なく停止させることができる」「(核分裂反応を止めても炉心の温度上昇は続くことについて)万一の事故に備えてECCSを備えており、原子炉内の水が減少してもウランが溶けないようにしている」と述べている。
私の他の指摘事項、原子炉建屋とタービン建屋の揺れ方の違いが配管に及ぼす影響、爆発事故が使用済核燃料貯蔵プールに波及してジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大になるおそれ、ECCSの問題、BWR(沸騰水型原子炉)では再循環ポンプがとくに問題であること等々もすべて大丈夫として、「石橋氏は原子力学会では聞いたことがない人である」と述べた。

 小佐古敏荘氏(現在、東京大学大学院教授、三月一六日付で内閣参与)も私の懸念をすべて否定し、「国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能の外部放出は全く起こり得ない」「石橋論文は保険物理学会、放射線影響学会、原子力学会で取り上げられたことはない」「論文掲載にあたって学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠なく言及している。

P130
そもそも、これほど激しい地振動を受けて「身体を張って」もちこたえた原子炉は、滑落した仲間を救って伸びた登山隊のザイルのように、二度と使ってはいけないはずなのに、規制庁である原子力安全・保安院(以下、保安院)と安全委は、いくつのの審議会をくぐらせて、現在四基が運転を再開している。
しかし、運転再開のために、安全委は改定指針の地盤に関する規定の解釈をにじ曲げ、また、存在可能性が指摘されている長大な活断層を無視するという「原発耐震偽装」をおこなった。
そして、今日の福島原発震災が発生したのである。

まさに「原発震災」だ──「根拠なき自己過信」の果てに
  石橋克彦 (神戸大学名誉教授)

P173
 政策の決定は上述したように原子力推進の仲間内だけで決められ、国民は規定の方針に合意させる対象でしかない。丁寧に説明すれば理解は得られると勝手に決め付け、多大な広告宣伝費を使いながら、上から下への合意形成が試行錯誤されている。
 こうしたことのすべてが、今回の事故の遠因であると筆者は考える。
~中略~

 最後に、故高木仁三郎氏が、遺著となった「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)の最後に記したメッセージで本稿をくくりたい。

 原子力時代の末期症状による大事故の危険と、結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。

原子力政策は変わらなければならない
  伴 英幸 (原子力資料情報室共同代表)

P58
 しかし、現在の状況を見ると、彼らが何の反省もしていないことがわかります。
レベル7だと公表して以降は、レベル7にも規模はいろいろとあって、今回の事故はチェルノブイリよりも規模は小さいなどと言い始めています。聞いているだけでも恥ずかしくなります。
 現在も進行中なのです。チェリノブイリは収束しています。私は今回の事故が収束してくれることを心から願っていますが、収束できない可能性、チェルノブイリ事故を越える可能性もあると思います。そこをきちんと認めて対応していかなければいけないと思います。

P58
アカデミズムといいますと、清廉潔白で科学的事実に忠実なものと思われている方も多いと思いますが、実際には、アカデミズムもまた社会的存在であり、とりわけ日本の原子力にかかわるアカデミズムの分野についていえば、それは、産官学が複合した「原子力ムラ」と呼ばれる、原子力から利益を得る共同体の一構成部分となっています。
原子力を推進しながら自分たちの利益を守ろうとする共同体であり、したがって、事故は小さく見せたいという思惑も働いてしまうのです。

 メディアの問題も非常に大きいと思います。なぜ、レベル7の事故が起きているなかで、「安全だ、健康に影響はない」などという「専門家」ばかり登場させているのでしょうか。

ブラックアウトは何故起きたか
  小出裕章 (京都大学原子炉実験所)

世界 2011年 06月号

岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)

 

世界 2011年 06月号 [雑誌]

世界 2011年 06月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/07
  • メディア: 雑誌


鳥取県 大山

生き方を変える

P194
 しかし、(住人注;都知事選挙の)候補者それぞれの主張を聞いて愕然とした。
ほとんどの候補者が「災害に強い町を作る」と力強く語っていたからだ。
災害に強い町とは、現行の仕組みの上に成り立つ町のことだ。彼らはまだ、湯水のように資源を使い、エネルギーを消費する社会を基盤として政治をしようとしている。そうじゃないだろう。

なぜ、「いま、この事態を機に、私たちの生き方を変える。そのために立候補した」と言えないのだ。
これでは原発の風下の悲しみはいつまでたっても終わらない。

風下の悲しみ、再び──プリピャチと南相馬
  高橋卓志 (神宮寺住職)

P248
 根本から考えてみようじゃないか―二〇世紀は原子力(核分裂エネルギー)の世紀だった。
核分裂を破壊的な戦争力に使ったのが<原子爆弾>、産業力に平和利用したのが<原子力発電所>だ。コインの裏表、もともとは同じ原子の火である。

それなのにわれら日本人は大東亜戦争でそのアメリカ<原爆>に敗れ、いままたこの大震災でアメリカ・モデルの<原発>事故に敗れつつある。
一度でもうコリゴリなのに二度も原子の火を浴びた。
わたしはこれほどお目出度い愚かしい国民・民族性は世界にないんじゃないかと思う。
だって八月一五日に、わたしたちは原爆慰霊碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と血涙の誓いをして戦後平和民主主義へと出発したのではなかったか。
ノー・モア・ヒバクシャ(被爆者)!とも叫んだ。

だがいまこの福島原発事故から発生しつつある放射能「ヒバクシャ」(被爆者)の出現に、ヒロシマの死者の霊は一斉に眠りからさめ、慟哭し怒り騒ぐだろう。死者に顔向けできない。わたしらは過ちを繰り返したのだ。

 だとしたら、これは単に福島原発「廃炉」、放射能浄化運動の復興物語だけで終わらせるわけにはゆかない。
戦後日本の「平和のかたち」=経済大国化の物語を再点検せねばならないだろう、なぜなら、日本経済繁栄の最大のインフラは日米安保軍事同盟の<核の傘の下>の平和産業ビジネスでありサラリーマン企業戦士であり、原子力発電による電力供給(総電力の三割)であったからだ。
戦後平和ニッポンの裏側はまるっきり”核漬け”だったのだ。
しかも、「福島第一原子力発電所にずらり並んだ原子炉でできた電気はみな、東京に送られています」(朝日新聞 三月二六日、前岩手県知事・増田實也)。

だからもし東日本の復興がそうした大東京中心主義=「核との共存」社会の復旧にすぎないのであれば、わたしたちはこの二一世紀の世の中に極めて古臭い二〇世紀的な国民国家を復活させることになる。時代錯誤という他はない。

西へ、南へ!──そして新しい反核平和の声を
  吉田 司 (ノンフィクション作家)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌




 

P90
東京など首都圏の人間は福島や新潟を犠牲にして電気を消費してきた。電気というのは、送電する距離が長ければそのぶん少しずつ減衰してしまうから、発電所と供給先はほんとうなら近いほうが効率がよい。
それでいうと福島は遠すぎる。にもかかわらず、福島や新潟から電気を送らせるようにしていたのは、危ない原発はできるだけ東京から遠ざけたいということでしょう。
~中略~

 双葉町みたいな小さな町なら、そこだけにカネを渡してまるめ込めばいい。国は、全国の他の地域では、市町村合併をどんどん進めて、へんてこな名前の市とかをいっぱい作っておきながら、一方で、原発がある町については合併させない。
そのほうがコントロールしやすいからだよね。
 それでわりを食ったのは、近隣の市町村だよ。原発が自分のところにできた町にはカネがいっぱい落ちた。
近隣の町は、カネももらえなかったし、それなのに原発事故の影響をもろに受けるしで、何もいいことがないんだよ。
池田 清彦

P97
池田 そういった放射性物質で汚染されてしまった福島第一原発の周辺の土地を、今後、どうするつもりなのだろうか。
人は住めなくなってしまうよね。原爆が投下された広島にその後も人がちゃんと住んでいるじゃないかという人もいるけれども、たとえば、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体一本で広島原爆でいえば約三十発分の放射能がある。
つまり潜在的には原爆よりも原発の方が放射能汚染の危険性はずっと高い。

P59
 日本の輸出入を活発にしなければならないという考えは、ほとんどノイローゼに近いと思う。
このノイローゼの根本にあるのは、やはりエネルギーですよ。石油を買わなければいけないという脅迫観念があるからです。
そうまでして無理に石油を買わなければいけないぐらいなら、石油を使わなければいいじゃないか。
石油を使わないってことは、働かないで済むってことなんだよ。そのほうが楽ではないのか。
養老 孟司

P123
 たしかに、「不景気になる」とか「産業がダメになる」という話が間違っているわけではなくて、相応の電力は要るでしょうから、それはわかる。
けれども、夏の暑い盛りにクーラーをみんなががんがん使ってテレビで甲子園の中継を見ているような状況に合わせてまで電力供給の義務云々言っているのはむしろエネルギーの事を本気で考えていないということなのではないですか。
養老 孟司

P124
養老 右肩上がりの経済をやってきたなかで、エネルギーをどんどん使っていかなければならないというのは、脅迫観念に近い。
でも、それは無限には続けられないんだということは誰でも少し考えればわかることでしょう。

P134
 いままでのモノサシで考えるから、日本が一流国から二流、三流に転落していくというふうに思ってしまうんですけど、明治以来やってきたそういう上昇・拡大路線をもういいかげんに変えたらいいんじゃないか。
僕は前から言っているように日本は何でも世界の六十分の一でいいとおもっているんです。
世界人口の六十分の一ほどの日本人だということを考えれば、世界における日本のコントリビューション(負担部分)は六十分の一より出張る必要も凹む必要もない。
エネルギー消費も、生産も、世界の六十分の一を基準に考えれば、それが「人類の当たり前」というラインに落ち着くことになるでしょう。日本が「大国」であってもそれと人間としての幸福は別でしょう。
養老 孟司

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本
大分県 九重

文明と災害

寺田寅彦は、「文明が進めば進むほど天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」
(「天災と国防」昭和九年一一月、「寺田寅彦全集第7巻」所収、岩波書店)
と書いている。文明の進展とともに世の中が一様化され集約化されるから、天災による一つの部分の破綻が全体に対して致命的となるということを指摘したのだ。
この七七年前の言葉が不幸にも現代日本において的中してしまった。

 この間、さらに科学・技術が発展し、高層建築、巨大ダム、高速道路、高速列車など、寺田寅彦の時代とは様変わりし、天災に対してより脆弱な社会構造としてきた。
科学・技術にによって自然が克服できると錯覚し、科学者・技術者はせっせと自然改造に勤しみ、人々もそれを歓迎して欲望を膨らませていったためだ。
同文章で、寺田が「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた」と書いている通りである。
無限の繁栄が続くと誤認して。

専門家の社会的責任
  池内 了 (名古屋大学名誉教授)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P54

 

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


ハリケーン「カトリーナ」(住人注:2005年8月末) の来襲を受けたアメリカの南部では、十万人が逃げ遅れ、犠牲者も数千人にのぼるという。ニューヨークの同時テロより規模が大きい。
行政の対応は後手に回って、責任の所在すらどこにあるのか分らない。

 なぜ災害対策が進んでいるアメリカで、こんなに大きい被害が出たのであろうか。米連邦緊急事態管理庁(FEMA)は、十万人が逃げ遅れても知らぬ顔をした。そればかりか、民間のレスキュー隊の入るのを阻止したという。後は略奪のみならず、レイプのような犯罪まで起こった。

 こうなると「カトリーナ」は自然災害ですまなくなる。人間の行動様式の問題となる。
危機的状況に直面して、人間はどう動くかを、あらためて考えなければならない。

 行政の作ったマニュアル通りに人は動かない。危機に際して行政がいかにあてにならないかは、今回の対応でも分かる。災害時には人間の本性が現れるのだ。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
PP204

 

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/07/16
  • メディア: 文庫


文人でもあった理学博士寺田虎彦は、地震と人間についての考察もおこなった。 関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かさから発していると述べた。過去の人間が経験したことを軽視したことが災害を大きくした原因であり、火災に対する処置などは、むしろ江戸時代よりも後退していると嘆いた。

関東大震災
吉村 昭 (著)
文藝春秋; 新装版 (2004/08)
P336

新装版 関東大震災 (文春文庫)

新装版 関東大震災 (文春文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/08/03
  • メディア: 文庫

 これまでに熊野を襲ったもっとも大きな変化といえば、一八八九年(明治二十二年)の大洪水であろう。それによって大斎原(おおゆのはら)に鎮座していた熊野坐(くまのにます)神社は大きな被害をこうむり、一八九〇年に流失をまぬがれた上四社の三棟を下祓所のあった現在の場所に移築して、翌年に現在の熊野本宮大社が正式に遷座されたのだった。
つまり、いまの熊野本宮大社は百年ちょっと前に移築されたものであって、それまではまったく別の場所(大斎原)にあったわけである。
熊野詣の人びとは、大斎原にたどり着いたその足で音無川を歩いて渡り(「ぬれわらじの入堂」)、夜になって改めて参拝するというのが正式な作法だったのである。
つまり、音無川を渡るという行為が同時に禊を意味していたのだった。
 湯の峰温泉にしても、一九〇三年(明治三十六年)の大火でそのほとんどが消失してしまい、現在の姿はかつてとはかなり大きく違ってしまっている~中略~。
しかも、一九四六年(昭和二十一年)の大地震などにより、しばしば温泉がとまって湯煙が消えたことも知られている。
自然の脅威を前にしては何もかもがかつてと同じというわけにはいかない。むしろ変化しないほうが奇跡だといえよう。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P14

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 作者: 植島 啓司
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書

大分県 九重

近代主義者の覚悟

P77
 一九二三年(大正一二年)の関東大震災から八七年、我々は当時と比べ物にならない等身大ではない技術に身を委ねて生きている。
超高速交通システムとしての新幹線にジェット旅客機、地上100mを超す超高層ビル、そして一基で100万KWの発電を可能にする原子力発電、どれも生身の人間が制御することもできないスピードと高さと効率性を実現している。
我々の生活はそのことを常態としているのである。

 我々はその実現を進歩であり発展だと考えてきた。そして私自身を含め、その便益を享受しているという意味において、紛れもなく我々は近代化を受容する近代主義者である。

脳力のレッスン 109
緊急編 東日本大震災の衝撃を受け止めて──近代主義者の覚悟
  寺島実郎

本当は、自分自身の足で歩くこと、自分の身の丈の目線で生きること、汗をかいて炭を作り煖を取り煮炊きすることが健全なのである。
こういう事態に直面すると、いかに近代化の光と影を抱え込んでいるのか思い知らされる。だが近代主義者はジタバタしてはいけない。
そのシステムに身を委ねている限り、その破綻に対しても粛々と結末を共有するぐらいの覚悟は必要である。
そして、その一方で近代主義者は自分たちが依存するシステムに関して、最大限の努力をしてその安全と安定を図り続けねばならない。その鍵をにぎるのが「技術」である。
~中略~

 中国は現在(〇七年度実績)八〇〇万KWの原子力発電能力を二〇三〇年には六〇〇〇万KWにまで拡大する計画があり、北朝鮮のような危うい国も含め、韓国・台湾も原子力発電を積極推進しようとしている。
今回の事態を受け、近隣諸国も慎重になる可能性もあるが、仮に日本が全面撤退しても、近隣に多くの原発が存在する自体は想定しておかねばならない。
その際、日本が原子力の安全性を確立する技術をしっかりと蓄積し、誇り高い専門家を継続的に育成していなければ、責任ある発言も交渉力も確保できないのだ。
今回の福島の事態も、苦しみぬいた経験をしっかり総括し、近隣諸国と共有する基盤を作ることがアジアの安全のためにも大切だと思う。
~中略~

 

例えば、新幹線は、あの時東北・上越・東海道などの激震地を八八本が運行されていたが、少なくとも負傷者一人出さず止まった。
教訓と課題を噛み締めながら改善を積み上げる意志、これこそが近代主義者が失ってはならない「魂の機軸」ではないだろうか。

世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


大人たちは「健全な経済があってこそ、環境問題の解決に投資できるのだ」と説明するだろう。
政府や企業はその行為が地球に少々負荷を与えるとしても、経済発展への努力を怠るわけにはいかないのだと。
しかしその「環境か経済か」の二者択一の考え方が、かつて公害や環境破壊を引き起こしてきた。

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社 (2012/12/21)
P84

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)

  • 作者: 元村有希子
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/12/21
  • メディア: 単行本




大分県 九重