寺田寅彦は、「文明が進めば進むほど天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」
(「天災と国防」昭和九年一一月、「寺田寅彦全集第7巻」所収、岩波書店)
と書いている。文明の進展とともに世の中が一様化され集約化されるから、天災による一つの部分の破綻が全体に対して致命的となるということを指摘したのだ。
この七七年前の言葉が不幸にも現代日本において的中してしまった。
この間、さらに科学・技術が発展し、高層建築、巨大ダム、高速道路、高速列車など、寺田寅彦の時代とは様変わりし、天災に対してより脆弱な社会構造としてきた。
科学・技術にによって自然が克服できると錯覚し、科学者・技術者はせっせと自然改造に勤しみ、人々もそれを歓迎して欲望を膨らませていったためだ。
同文章で、寺田が「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた」と書いている通りである。
無限の繁栄が続くと誤認して。
専門家の社会的責任
池内 了 (名古屋大学名誉教授)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P54
ハリケーン「カトリーナ」(住人注:2005年8月末) の来襲を受けたアメリカの南部では、十万人が逃げ遅れ、犠牲者も数千人にのぼるという。ニューヨークの同時テロより規模が大きい。
行政の対応は後手に回って、責任の所在すらどこにあるのか分らない。
なぜ災害対策が進んでいるアメリカで、こんなに大きい被害が出たのであろうか。米連邦緊急事態管理庁(FEMA)は、十万人が逃げ遅れても知らぬ顔をした。そればかりか、民間のレスキュー隊の入るのを阻止したという。後は略奪のみならず、レイプのような犯罪まで起こった。
こうなると「カトリーナ」は自然災害ですまなくなる。人間の行動様式の問題となる。
危機的状況に直面して、人間はどう動くかを、あらためて考えなければならない。
行政の作ったマニュアル通りに人は動かない。危機に際して行政がいかにあてにならないかは、今回の対応でも分かる。災害時には人間の本性が現れるのだ。
寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
PP204
文人でもあった理学博士寺田虎彦は、地震と人間についての考察もおこなった。 関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かさから発していると述べた。過去の人間が経験したことを軽視したことが災害を大きくした原因であり、火災に対する処置などは、むしろ江戸時代よりも後退していると嘆いた。
関東大震災
吉村 昭 (著)
文藝春秋; 新装版 (2004/08)
P336
これまでに熊野を襲ったもっとも大きな変化といえば、一八八九年(明治二十二年)の大洪水であろう。それによって大斎原(おおゆのはら)に鎮座していた熊野坐(くまのにます)神社は大きな被害をこうむり、一八九〇年に流失をまぬがれた上四社の三棟を下祓所のあった現在の場所に移築して、翌年に現在の熊野本宮大社が正式に遷座されたのだった。
つまり、いまの熊野本宮大社は百年ちょっと前に移築されたものであって、それまではまったく別の場所(大斎原)にあったわけである。
熊野詣の人びとは、大斎原にたどり着いたその足で音無川を歩いて渡り(「ぬれわらじの入堂」)、夜になって改めて参拝するというのが正式な作法だったのである。
つまり、音無川を渡るという行為が同時に禊を意味していたのだった。
湯の峰温泉にしても、一九〇三年(明治三十六年)の大火でそのほとんどが消失してしまい、現在の姿はかつてとはかなり大きく違ってしまっている~中略~。
しかも、一九四六年(昭和二十一年)の大地震などにより、しばしば温泉がとまって湯煙が消えたことも知られている。
自然の脅威を前にしては何もかもがかつてと同じというわけにはいかない。むしろ変化しないほうが奇跡だといえよう。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P14

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- 作者: 植島 啓司
- 出版社/メーカー: 集英社
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