P160
保険を支える基礎的な理論として「大数の法則」というものがある。
一人の人間がいつ交通事故に遭うかは予測し難いが、統計的には交通事故の発生率は一定の値が存在する。
試行の回数が少ないうちは結果にばらつきがあっても、繰り返していくうちに一定の値に近づいていくことを大数の法則と呼ぶのだが、この理論に基づいて保険は運用されている。
その基本は、できるかぎり多くの数の保険者を集めることによってリスクの確立を予測可能のものにすることであり、その予測によって合理的な保険料率を算定することである。
身近なところでは自動車損害賠償責任保険(自賠責)がその典型である。
P159
原子力発電を推進してきた人々が言うように原発が「絶対安全」だというならば、そもそも保険は必要ないはずだが、今回の事態を見れば分るとおり、(中略)
仮にそれらをふくまずとも、原子炉災害にかかわる莫大な損失への補償を一社の保険会社でけで引き受けることは不可能であり、もし無理にそうしようとしたならば、今度は電力事業者が支払う保険料が膨大なものになり、とても支払いきれないであろう。
P162
私自身は、損害保険業とは、日本の全産業が成長に向かって走っているなかで、たった一つのブレーキ役であると考えている。
もちろん、いくら力を入れてブレーキを踏んだところで、全産業がアクセルを踏む力にはかなわない。
~中略~
イギリスはテムズ川の河口にコンビナートなど作らないし、作らせない。
一方で東京湾はどうか。京浜工業地帯から京葉コンビナート地帯まで、見渡す限りのコンビナートである。
ある外国の損保関係者に、「首都の入り口に広大なコンビナートを建設し、大震災や飛行機の墜落などがあったらどうするのか」と忠告を受けたことがある。
保険会社として契約を引き受けるべきではないのではないか、と。
それが保険会社の見識であり、矜持というものなのだろう。
P163
このような巨大なリスクと膨大な出費をともない、事故が起きた際に取り返しの付かない結果を引き起こす原子力発電を、エネルギー供給の基盤に据えるということに合理性があるだろうか。
一方で日本は原子力を重視するあまりに、再生可能エネルギーを軸にした産業再編をすすめる国際的潮流に大きく取り残されてきた。自らの核廃棄物の処理すら定まっていないにもかかわらず、国外に原子力発電を売り込むために首相までが取り組んでいた。
それがこれまでの日本の姿だったのである。
原子力と損害保険──ブレーキをかける矜持と見識
品川正治 (経済同友会終身幹事)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
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