たしかに核反応は煙を出さない。ただその代わりに放射線を生み出し、煙より始末の悪いいわゆる核廃棄物を生み出す。
使用済み燃料だけでなく、放射能汚染された施設部品や衣類など、使い棄てられる付随的なあらゆる物品だ。そしてこれに関しては、安全な処分の方法がなく、棄てることもできない危険なゴミになる。
それが格納され蓄積され、特別のケースやドラム缶に詰めて年々積み上げられる。
だから、核エネルギーが「クリーン」だというのはまやかしでしかない。
それだけでなく、原発を長期に稼動させるためには、つねに細部のメンテナンス必要であり、それは制御室からコントロールされる原子炉本体の外観とは似ても似つかぬ肉体作業に頼っている。
その部分はいわば原発のブラックボックスとしてほとんど表に出されることはないが、この必須の作業に従事するいわゆる「原発労働者」たちの被爆の実情は、電力会社から広告収入を得ているメディアに黙殺されながら、少数の人びとによってすでに長らく問題にされてきた。
「闇」に隠されているがゆえに労働環境や雇用条件もきわめて劣悪で、「協力会社」と呼ばれるこの業界の下請け企業に、日本の底辺労働者たちが吹き溜まっているという(堀江邦夫の古典的ルポ「原発ジプシー」[講談社文庫、一九八四年]など参照。またここに復帰後の沖縄出身者たちが多かったことも知られているが、これについては森崎監督の「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」[一九八五年]という卓抜な映画がある)。
~中略~
だから実際、核エネルギーは「クリーン」どころか、物理的にも社会的にも二重にダーティーな、それも極端にダーティなエネルギーだといわなければならない。
極端だから、それは通常の「想定」の外に置かれているだけのことだ。
脳力のレッスン 109
緊急編 東日本大震災の衝撃を受け止めて──近代主義者の覚悟
寺島実郎
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P84
養老 JCOの事故(住人注;「JCO東海事業所」の臨界事故(ウラン溶液が臨界状態に達し、核分裂連鎖反応が発生。作業員二名が死亡。被爆による健康被害のあった関係者や周辺住民は六百人以上と推定されている)はとてもひどいものでした。
作業していて被爆した人が東大病院に転院してきて、致死量をはるかに超える放射能を浴びているのに、なんとか延命させろと言われていたわけです。もちろん、助けられるなら助けてあげたいけれど、それは無理だったんですよ。
~中略~
細胞が再生されないから、古くなった皮膚はただれてはがれ落ちていく。体液が浸み出し、それが出血に変り、爪もはがれ落ちてゆく・・・・「朽ちていった命」(新潮文庫)という本にもなったけど、僕は、この実態は公表されるべきものだと思いました。
ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)
P94
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