2026年1月31日土曜日

死をどう捉えるか

玄侑 私たち坊さんにしても、毎日の死の現場の相手は個人です。けれども、大災害や戦争など、大量死の現象をどう受け止めるかは宗教が問われざるをえない問題です。
たとえば「ノアの箱舟」です。大洪水があって、みんな死んでしまったのに、ある一家だけが助かった。これはいったいなぜか。いわば、お隣は助かったのに、うちはダメだった、その理由ですよね。
キリスト教はそこにまで神の意思を見ようとする。かなりしんどい作業だとおもうのですけれども、キリスト教は神の意思を持ち出してなんとかこれを説明しようとしたわけです。
集団の中の一人の死は偶然に過ぎないとはキリスト教はいえなかった。どの宗教でも信者になかなかそうはいえませんよ。「偶然だ」とずばりと言い切ったのは、老子くらいでしょう。

山折 キリスト教の場合は神との契約によって選ばれた人間は生き残る、そうでない人は死ぬんだ、地獄に落ちるんだという選民思想がありますからね。
ところが老子もそうですけれども、仏教ではどのように考えるかというと、人類が滅亡するならば、自分も一緒に滅亡しようという感覚がある。一人だけ生き残ろう、そのための理屈を考えようという発送あまりない。
仏教的な無常観が根底にあると私は思います。

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P45

多生の縁 玄侑宗久対談集

多生の縁 玄侑宗久対談集

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/03/24
  • メディア: 単行本

 

  西洋のほうは、どこか怒りの思想がありますね。聖者を殺した人間に復讐しようとする怒りの思想がある。
東洋のほうはもっと安らかです。ある意味であきらめの思想、悲しみの思想があります。

 釈迦の涅槃というのは大事でして、釈迦が死ぬときのことを書いた「大般涅槃経」という本があります。この本には、実は静かな釈迦の死のありさまが書かれている。
クシナガラという田舎で釈迦は死ぬんです。釈迦の死は、すべての人間は死ぬ、生きとし生けるものはすべて死ぬ、その死の真理を人々に知らせるために自分も安らかな死につくという、実に静かな死です。

 ドイツの仏教学者オルデンベルグという人が、この釈迦の死のありさまを見て、こう言っています。
釈迦の死は素晴らしい、西洋のソクラテスの死もイエス=キリストの死も、おぞましい死だ。そしてソクラテスもイエス=キリストも、これから行くあの世、これから行く天国のことを説いて死んだ。
しかし、釈迦は天国のことも説かない。人生はこういうものだからと言って静かに死んでゆく。

梅原猛の授業 仏教
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2002/01)
P61

 

梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)

梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 文庫

 

 

 イエス・キリストは死ぬ前に神の国を説いた。死んでから三日後に自分は復活して、またこの世界にやって来る。次にやって来るときは、この世界は神の国になると言って死んでいった。

 ソクラテスは死の前に、自分はこの世において肉体から離れ魂の世界のことに従事していた、そういう人間は魂の人の行くべきあの世に行くに違いない、そこで昔の素晴らしい人に会えるのは楽しいことだと言って死んでいった。最後は死後の国を想像していたわけです。

 しかしイエス・キリストやソクラテスと違って、釈迦はそんなことを説かなかった。
この世のものは必ず滅び、人間は死ぬと言って死んでいった。その様は非常に理性的であると、オルデンベルグが誉め称えているんです。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P173

 

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: 文庫

 

 

 そもそも(釈尊もそう述べているように)生前や死後のことは、すべての人が納得する結論は出ません。科学が語ろうが、宗教が語ろうが、すべての人が共有できる答えはないのです。
つまり、「死んだらそれでおしまい」と考える人、「死んでも霊魂は残る」と考える人、「死んだら輪廻する」と考える人、どれが正解というわけではありません。
でも少なくとも、マジメに死と向き合うことは今をどう生きるかに直結している、ということは言えると思います。

いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P231

 

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

  • 作者: 釈 徹宗
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

人生の終わりになって、死を恐れる人は多い。宗教家の中にさえ死を怖がる人もいる、と非難する人もいるが、私は当然だと思う。
むしろ、「信仰があっても死は怖いですね」という人の方が、自然で正直でいいと思う。

人生の原則
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
P172

人生の原則

人生の原則

  • 作者: 曾野 綾子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 心を扱う多くの世界では、「確かめようのない」内容を真理として説きます。宗教も、オカルトも、占いも、「仏教」とひとくくりに呼ばれている思想の中にも、それはあります。
 しかし、ブッダの思考法―おそらくかつて実在したブッダ自身の立場―は、「確かめようのないこと」は、最初からとり上げません。
 その理由をブッダ自身が明確に述べています。  世界は永遠か、終焉があるか。有限か、無限か。霊魂は存在するか、しないか。死後の世界はあるか、ないか。私はこれらのことを、確かなものとして説かない。
 なぜならそれは、心の清浄・安らぎという目的にかなわず、欲望ゆえの苦痛を超える修行として、役に立たないからである。
 私は、これらの目的にかない、役に立つことを、確かなものとして説く。  それは、生きることは苦しみを伴う。苦しみには原因がある。苦しみは消すことができる。そのための道(方法)があるということ―四聖諦(ししょうたい)―である。
                           弟子マルンキャプッタへの教え マッジマ・ニカーヤ

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P133

 

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

  • 作者: 草薙龍瞬
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/07/29
  • メディア: Kindle版

 

 二四 マケドニアのアレクサンドロス(18)も彼のおかかえ馬丁もひとたび死ぬと同じ身の上になってしまった。つまり二人は宇宙の同じ創造的理性の中に取りもどされたか(19)、もしくは原子の中に同じように分散されたのである。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P102

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

  • 作者: 神谷 美恵子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版

 

不殺生

P91
  それほどおサルが好きな河合さん(住人注;河合雅雄)が、サルには同族を殺す性質がある、と言っています。同族同士が互いに戦って殺すのは、哺乳類ではライオンとかトラとかいう猛獣を除く とサルしかいない。
人類はサルのそういう性質を受け継いで殺し合いをするのではないかと言うんです。

 どこかで人間は、殺すことが好きなのかもしれない。人間の本能の中に、殺すことを好む本性が宿っているんじゃないかと、私は思うんで すね。
そうすると、人間が人を殺したり戦争が好きな性質は治らないということになります。しかし、治らないかもしれないからこそ、「殺してはいけ ない」という道徳が必要なのです。これは難しいことなんですが、仏教はこの戒律を第一(住人注;十善戒の不殺生)
に置いています。

P95
 仏教の殺生戒でもう一つ大事なのは、人間を殺してはいけないというのはもちろんですが、人間以外の生きものを殺すのもよくない。これ も大事な思想です。
 御釈迦さんは、虫をつぶしたらいけないと思って、下を向いて歩いていたという話があります。虫にも命がある。インドでは、おおよそ動物 までは有情、つまり生命あるものと考えます。植物は無情です。
しかし仏教が中国を経由して日本まで来ると、植物まで命があると考えたん ですね。山川草木悉皆成仏というのは天台本覚論の言葉ですが、山や川にも命があると言うんですね。だから、衆生を殺してはいけない、 動物ばかりか植物の命も大事にしろというわけです。

 これは実際には無理なことです。人間は動物も植物も食べる。植物まで衆生であるとしたら、人間は生きていけない。無理なんですけど、 生きていくために必要不可欠なところ以外で余計な殺生をしてはいけない。
御釈迦さんは、植物は命ないものと考えたから、植物は食べました。動物は命あるものだから殺さない。だから御釈迦さんはベジタリアン、 菜食主義です。
~中略~

 衆生をまったく殺さずに生きるのは無理ですから、自分が生きていくために必要な殺生するのはよろしい。自分が生きていくためには、や はりお魚も食べなければなりません。お魚をいただくと、その魚の命は自分の命になる。
ですから、「いただきます」「ごちそうさまでした」と 言って、お魚の命を頂くんですよ。日本人の中に、そういうかたちで仏教が入っているんです。
 今の日本は、そういう精神がなくなってしまった。

P98
 それに比べると、キリスト教の「殺してはならない」というのは人間だけです。
生きとし生けるものは含まない。しかもよく読んでみると、殺し てはいけないのは同じ宗教を信ずる人だけです。
他の宗教を信じている人を殺せとは言っていませんが、殺してはならないとは言っていな いような気がする。「旧約聖書」を見ると、他の宗教を信じている人間を殺した話がいっぱい出てきます。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)

梅原猛の授業 仏になろう

梅原猛の授業 仏になろう

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2022/07/15
  • メディア: 単行本

 

五木 たとえば、キリスト教にしても仏教にしても、殺すなかれということを説くのは、ある意味で、宗教の独壇場ですが、それを説かざるを得ないというのは、宗教というのが非常に鋭く、人間の根源的にある、存在論的な殺人意識というか、そういう悪が存在していることを、ちゃんと見抜いている。その上で、まず殺すなかれと説いているわけですからね。

仏の発見
五木 寛之 (著), 梅原 猛 (著)
平凡社 (2011/3/8)
P225

仏の発見

仏の発見

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/03/08
  • メディア: 単行本

 

兵庫県 一乗寺

古仏の微笑

P107
 古仏の微笑は云うまでもなく慈悲心をあらわしたものにちがいないが、これほど世に至難なものはあるまい。微妙な危機の上に花ひらいたもので、私はいつもはらはらしながら眺めざるをえない。
菩薩は一切衆生をあわれみ救わねばならぬ。だがこの自意識が実に危険なのだ。もし慈悲と救いをあからさまに意識し、おまえ達をあわれみ導いてやるぞと云った思いが微塵でもあったならばどうか。
表情は忽(たちま)ち誇示的になるか、さもなくば媚態(びたい)と化すであろう。大陸や南方の仏像には時々この種の表情がみうけられる。

P111
 芸術は常に恐るべき危うさに生きるものだ。この恐怖を自覚したとき、芸術の使徒は宗教の使徒ともならざるをえないだろう。
(住人注;中宮寺菩薩半跏像(寺伝如意輪観音))思惟像の微笑をみていると、そのことがはっきり感じらるる。仏師は実に危いところにいきている。一手のわずかな狂いが、微笑を忽ち醜怪の極へ転落さしてしまうだろう。その一手はいのちがけだ。空前にして絶後なのだ。仏師はおそらく満足というものを知らなかったであろう。
一軀の像を刻むことは、一つの悔恨を残すことだったかもしれぬ。多くの古仏の背後には、どれほど恨みが宿っているか。微笑のために死んだ仏師を私は思わないわけにはゆかない。

P114
 微笑を失った菩薩というものは本質的には存在しない。飛鳥仏にみらるる微笑は、白鳳天平(はくほうてんぴょう)となるにしたがって消え去っていくが、これは何故だろうか。 微笑は更に内面化し、菩薩の姿態そのものに弥漫(びまん)して行ったのだと私は思う。
白鳳天平の仏像が次第に人体に近づき、柔軟性を帯びてきたのは、ただ彫刻家意識の発達に由るのみではあるまい。
微笑を肉体化し、菩薩の口辺のみならず全姿に宿すまでに信仰は消化されたのだとみなすべきではなかろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)

大和古寺風物誌

大和古寺風物誌

  • 作者: 亀井 勝一郎
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2017/03/24
  • メディア: Kindle版

薬師寺 奈良県

キリスト教徒の理性

P280
橋爪 前略~
 キリスト教徒ははじめ、理性のことなんかあまり考えていなかったけど、イスラム経由でアリストテレスをはじめギリシア哲学を受け入れてから、あらためて真剣に考えるようになった。
キリスト教徒は、理性を、宗教的な意味で再解釈したんです。その結論は非常に重要。キリスト教の考え方では、神は世界を創造した。人間も創造した。神にはその設計図があり、意図があるんです。人間が神を理解しようと思うと、神の設計図や神の意図を理解しなければいけません。でも、どうやって?
その可能性を与えるのが、理性なんです。

  トマス・アクイナスに、自然法論というのがあります。「神学大全」の、ユダヤ法について書いてある「旧法」の部分をみると、法には「神の法があり、自然法があり、国王の法がある」と書いてある。キリスト教神学の教えるところによれば、法は、神の法/自然法/国王の法(人間のつくった法、制定法のこと)と、階層構造になっている。神の法とは、神が宇宙をつくった設計図のことです。
これは、神の言葉で神の書物に書いてあり、人間は目にできないし、理解することもできない。ただし、一部分であれば、人間も知ることができる。その一部分を、自然法といいます。自然法は、神の法のうち、人間の理性によって発見できる部分です。
立法者は神で、人間はそれを発見するだけ。理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです。人間は罪深く、限界があり、神よりずっと劣っているけれど、理性だけは、神の前に出ても恥ずかしくない。
数学の証明や論理の運びは、人間がやっても、神と同じステップを踏む。ゆえに、自然法を発見できる。こう位置づけるのが、キリスト教神学です。

P282
 理性にこのような位置を与えると、信仰をもち、理性をはたらかせるのが、正しい態度ということになる。理性は、神に由来し、神と協働するものなんです。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版

 

新約聖書は哲学というより文学

 キリスト教に限らず、宗教と呼ばれるほどのものはほとんど例外なく、世のはじまりについての神話をもっているが、そのはじまりに創造の主体として明確に神が登場し、創造ののちも、その神の世界支配がくりかえし強調されるという点で、旧約キリスト教はとびぬけて体系的といえる宗教思想だった。
 世界の中心にゆるぎなく位置を占め、世界の隅々にまでにらみをきかせる神ヤハウェの存在が、体系的思考をささえる核となっていた。
 くらべていえば、「新約聖書」のイエス・キリストは体系的思考の核にはなりにくい。イエスを神の子と考えようと、人の子と考えようと、そこから世界のすべてが流れてくるその中心としてイエスをイメージするのはむずかしい。この世に人間として生まれ、一人の人間として多くの人びとと交わり、随所で人の心を打つ愛と人格性と思想性を発揮しつつ、受難のうちに短い一生をおえた人物というイメージが強すぎるのだ。~中略~
 パスカルの「パンセ」のように、ありのままのイエス・キリストに近づこうとした思想の書もないではないが、その真情あふれるキリスト論は、やはり、哲学的というより、文学的というにふさわしい文章だと言わねばならないように思う。
 だから、イエスを哲学的に扱おうとする人びとは、「父なる神―子なる神―聖霊」の三位一体論へと傾いていく。

新しいヘーゲル
長谷川 宏(著)
講談社 (1997/5/20)
P73

新しいヘーゲル (講談社現代新書)

新しいヘーゲル (講談社現代新書)

  • 作者: 長谷川宏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: Kindle版

 

群れのおきてが絶対

 次に引用する中村元氏の文は大変示唆的である。
「一般的にいえば、日本人が外国の宗教を摂取する場合には、まず何らかの具体的な人倫的組織(住人注;日本人社会?)を絶対視していて、それをそこなわない限りにおいて、あるいはそれを助長し発展せしめると考えられる場合に、摂取採用したのである。宗教を心から信仰していた個々人の意識においては帰依随順であったにちがいないが、日本人の社会全体としてはやはり摂取採用したにすぎないのである。」
中村 元 「東洋人の思惟方法3」春秋社 昭和三十七年

「甘え」の構造 [増補普及版]
土居 健郎 (著)
弘文堂; 増補普及版 (2007/5/15)
P70

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]

  • 作者: 土居 健郎
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 2007/05/15
  • メディア: 単行本
奈良県 飛鳥大仏

「自己を考察し、思索する宗教」が仏教

  「今日の機械文明は神が創ったのではない。勝れた科学者の知識の然らしめるところである。
しかし、文明を開発したそもそもの張本人である人間そのものについては、科学者は十分に知ろうとはしなかった。
この不注意が人間崩壊と、ひいては文明の危機をもたらしたのである」
(「人間 この未知なるもの」渡部昇一訳・三笠書房刊)近代のすぐれた文明批評家の一人、フランスの医学者アレキシス・カレル

私は、「自己を考察し、思索する宗教」が仏教だと考えます。カレルは”人間の科学”が必要だと言いますが、もっと突っ込んで”自己を科学する”ことが肝要ではないでしょうか。

 科学は、対象をすべて経験的に論証し、それを検証しようとする合理的認識を原則とします。
仏教もまた、対象を経験的に認識し証明する方法を採りますが、仏教の場合、まず対象が自己そのものです。主体である自己を対象として経験的に認識するところに、一般の科学的方法とはおのずから別次の経験方法が必要となります。
これは、常識でもうなずけることで、この自分を経験的に認識する方法が、念仏・唱題・座禅・看経(読経)などの実践(修行)です。

松原 泰道 (著)
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵
祥伝社 (2003/01)
P301

般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3)

般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3)

  • 作者: 松原 泰道
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2003/01/01
  • メディア: 文庫

 疲れ、ストレス、不満、緊張、その他モヤモヤした雑念の粒子みたいなものが、漂っているように見えるかもしれません。どんな状態も「あってよし」です。
そのまんま、認めてあげましょう。「うむ、今、アタマの中はこんな状態である」と、客観的に観察します。
 その観察タイムを、三〇秒でも五分でも、自分で決めてやってみます。心が落ち着かないときは、「タイマーで一五分」をお勧めします。
 目を閉じて心を見つづけます。それだけで、心が浄化されて、落ち着いていくものです。こうして、ムダな反応をリセットしてください。心を静かでクリアな状態に持っていくのです。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P151

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

  • 作者: 草薙龍瞬
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/07/29
  • メディア: Kindle版

高野山 奈良県

泣きたい時には泣け

後悔、悲しみ、悔しさ、喜び、憤慨、さまざまなときに人は涙をながす。
感情に高まりは無理におさえない方がよい。
素直に泣けば、次のステップが開けてくる。

丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P78

幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝

幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝

  • 出版社/メーカー: 近代出版社
  • 発売日: 2001/11/01
  • メディア: 単行本

 

哀しい哉、哀しい哉、哀(あわ)れが中の哀れなり。
悲しい哉、悲しい哉、悲(かなしみ)が中の悲なり。
覚( さとり )の朝には夢虎(ぼうこ)無く、
悟の日には幻象無しと云うと雖も、然れども猶夢夜( ぼうや )の別、不覚の涙に忍びず。
遍照発揮性霊集 巻第八

哀しくって、哀しくって。
言葉で言い尽くせないほど、哀しくて哀しい。
悲しくって、悲しくって。
心で表し尽くせないほど、悲しくて悲しい。
さとりをひらけば、何ものにも惑わされないというけれど、愛する人との別れには、涙を流さずにはいられなかったのです。

空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
縁について八二

 

空海 人生の言葉

空海 人生の言葉

  • 作者: 川辺秀美
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2013/02/04
  • メディア: Kindle版

 

 

 五木 「ああ、だめだな、自分はこんな暗い気持ちになって。もっと前向きに元気にしなきゃいけない」と思っちゃいけないよ、と言っているんです。
 人生の重荷がどっと雪のように肩に覆いかぶさってきたら、背中を丸めて膝を抱えて、グーッとしなって曲がる。すると、重荷はいつかするっとひとりでに滑り落ちて、また元のように立つことができる。そうすれば、われわれはまた折れずに生きていけるんじゃないか。
望月 そうですね。重かったら、座ればいいし、泣きたくなったら、泣けばいい。我慢して、歯を食いしばるのが、いちばんいけないんです。そうすると、それが老廃物、邪気となって、気の滞りを起こすんだと思うんです。
五木 そう。ですから、いま、しなって、心萎えていたら、ぎゃくに、ああ、これでいいんだ。これでよかったんだと思ったほうがいい。これがあるから生きつづけていけるのだ。

気の発見
五木 寛之 (著), 望月 勇
幻冬舎 (2005/09)
P221

 

気の発見 (幻冬舎文庫)

気の発見 (幻冬舎文庫)

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2005/09/01
  • メディア: 文庫

 

 

仏教では「死」は、制することができるものだともとらえられている。
「心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう」(「ダンマパダ」―法句経― 三七)
 その死の束縛から解き放たれた状態を想像し、尊敬の念を感じながらも、やはりこの場所に生きる未熟な僕(たち)にとって、人と別れ死と出会うことは、想像をこえるような哀しみやさびしさ、苦しみを味わうことになる。弘法大師でさえも智泉という愛弟子の死を受けて、このような言葉を残しているのだ。
 「哀しいかな、哀しいかな、哀(あわれ)が中の哀なり。悲しいかな、悲しいかな、悲(かなしみ)がなかの悲なり」
(弘法大師 空海 「続遍照発揮性霊集補闕鈔(ほけつしょう)」巻第八)
 つづく言葉の中で弘法大師は、仏教のことわりを知ってはいるけど、涙を流さずにはいられない、悲しい、と重ねて言葉を発する。

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P157

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本

 私たちには何ひとつムダで不用な感情はありません。一見すると不用に思えるようなネガティブな感情にも役割があり、必要なものです。
 たとえば、「悲しい」という感情が何の役に立つかといえば、自分にとって何が大切なのかを知らせてくれる役割があります。

イラッとしない思考術
安藤 俊介 (著)
ベストセラーズ (2014/11/26)
P205

 

イラッとしない思考術

イラッとしない思考術

  • 作者: 安藤 俊介
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本

 

 

 白隠(一六八七~一七六八、禅僧。一四四頁参照)の許に参じていた有名な婆さんがいる。それと同参の居士が非常に親しくしておりまして、婆さんを尊敬していました。
ある時その老婦人の孫が亡くなって、身も世もなく嘆き悲しんでいた。そこに居士がお悔みにいって、この男まだあまり(人間が)出来ておらぬ人と見えまして、「あなたのように禅に参じて出来た人でも孫を失えばそんんなに悲しいか」と言った。するとその老婆は色をなして、
「孫が死んで悲しくないような禅なら止めてしまえ」と言った。まことにそのとおりである。
 世の中には相当の人でも、道徳とか宗教とかいうものを誤り解して、道徳や宗教を修めることは、悲しんだり、喜んだりせぬようになることと思っている人が少なくない。
これはとんでもないことでありまして、学問・道徳・宗教を修めるということは、人間が最も人間らしくなることである。

知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P17

 

人間学講話第6集 知命と立命 (安岡正篤人間学講話)

人間学講話第6集 知命と立命 (安岡正篤人間学講話)

  • 作者: 正篤, 安岡
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1991/05/27
  • メディア: 単行本

 

 

 何でも受け入れることができれば奇跡が起こると勘違いして、無理をして完璧な心の平穏を探そうとすれば、それがうまくいかないときに、かえってイライラがつのり、自己嫌悪に陥ります。
 全てを完全に受け入れることができる、そして完全に平穏な境地に至ることができるというのは幻想です。モナ・リザのような永遠のほほ笑みをずっと保てる人など存在しません。
 もう少しだけ自分に優しくしてみましょう。
 失敗も成功も充実した人生の一部として受け入れ、怖れや嫉妬や怒り、そしてときには自分を受け入れられないこと自体を受け入れてみましょう。
私たちはただ単に、そしてどこから見ても人間なのです。

ハーバードの人生を変える授業
タル・ベン・シャハー(著), 成瀬 まゆみ (翻訳)
大和書房 (2015/1/10)
P167

ハーバードの人生を変える授業

ハーバードの人生を変える授業

  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2014/03/07
  • メディア: Kindle版

 

高野山 奈良県

禅のすすめ


 科学というものはまことに結構なものである。~中略~ その点はまことに結構であるが、それと同時に人間がことごとく人形になってしまった。機械になってしまった。
これは私は近代文明の弊害であると思う。機械を使うというと、人間が機械になるのでないことはいうまでもないが、人間はまた妙にそれに使われる。
使うものに使われるというのが、人間社会間の原則であるらしい。人間が機械をこしらえて、いい顔をしている間に、その人間が機械になってしまって、その初めに持っていた独創ということがなくなってしまう。近代はますますひどくなってその幣に堪えぬということになっている。
この幣に陥らざらしめんため、宗教がある。宗教は常に独自の世界を開拓して、そこに創造の世界、自分だけの自分独自の世界を創り出して行くことを教えている。宗教によってのみ、近代機械化の文明からのがれることができると私は思う。~中略~

また、それと同時に、物を離れて物を見る、この機械となっている世界を離れて、別に存在する世界を見る、すなわち物の中にいて物に囚(とら)われぬ習慣をつけておかなければならぬと思う。
朝から晩まで慌ただしい、機械化した生活から一歩退いてその圏外に立って、この世界を見るということができねばならぬ、すなわち座禅をしてみるというだけの余裕ができればならぬと思う。

禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P100

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: Kindle版



福井県 永平寺

僧侶


僧といういう字は、梵語の「サングハ」すなわち僧伽(そうぎゃ)であって、僧侶は梵語と中国語とを兼ねたものである。
侶というのは、同行、同志、同伴の義で、その意義は、この字に籠っている。
すなわち僧は三人一緒に集団をして暮らす人々を指して言うことになっている。三人以上伴侶をなして暮らして行くというところから中国語の侶字と梵語の僧伽の僧だけが一緒に合して、僧侶という熟語になったのである。
ところがここにまた出家ということがあって、人が世を捨てて出家するということがある。そして、この出家したということが世間の苦しみから離れてしまった特殊の生活をするところの人間であるとしたらならば、なるほど修行するには、具合がよいであろうが、宗教というものが、ただある特殊の生活をする人間だけを救うということを、その目的としているものならば、それはそれでもよいことである。
けれども、今宗教というものはすべてのものをやはり救わなければならぬのである。
救わなければ宗教にはならぬのである。また、そういうものでなければわれわれの心が安まらぬ。自分だけで満足しておられぬということになったならば、出家、乞食という僧侶の生活は、どうしても在家の生活に転じて来なければならぬ。
それで仏教も出家の生活の宗教というものでなくして、これが転じて在家の宗教ということにならなければならぬ。

禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P67

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫 H 101-2)

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫 H 101-2)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2008/12/25
  • メディア: 文庫

 

兵庫県 一乗寺

2026年1月30日金曜日

人類の進化

P8
  現在は、われわれ人間(ホモ・サピエンス)しか人類がいないが、これは歴史上めずらしい事態で、人類はいつも複数いるのが普通だった。
 関連してもう一つ、よくある誤解を正しておきたい。猿人、原人、旧人、新人と教科書に書いてあるけれども、猿人が原人になって、原人が旧人になって、旧人が新人になったという、一直線進化を人類がとげたのではない。
猿人と原人は同時代を生きていたし、原人と旧人、さらには旧人と新人も、同時代を生きていた。
それぞれが同時代を生きた別の人類であり、それぞれが死に絶えたということなのである。

P55
 ここまでの話をまとめると、人間の親子関係の進化的基盤は次のようになる。
①哺乳類 母乳を与える
②霊長類 子が母親にしがみつく
③真猿類 母親が子を抱く
ホミノイド 互いに見つめ合う
⑤人間  親子が離れ、子が仰向けで安定していられる
~中略~
 そこから、人間らしい他者とのかかわり、人間らしい物とのかかわりが生まれた。

P78
 チンパンジーでは、こうした互恵的な役割分担をするという事実は見つかっていない。
利他的行動までは、チンパンジーにも色濃く認められる。誰かのために、何かをしてあげる。
しかし、それが相互に交代しない。せいぜい、毛づくろいのお返しをする程度だ。
~中略~

 

 人間は、進んで他者に物を与える。お互いに物を与え合う。
さらに、自らの命を差し出すまで、他者に尽くする。
利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方だといえる。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

  • 作者: 松沢 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本

 

北海道 旭山動物園

文化の伝播

  最後に、学習の臨界期(住人注;習得に最適な時期→適齢期)と関連して、チンパンジーの文化を伝えるメカニズムについてお話ししたい。チンパンジーは男性が群れに残る。女性は生まれた群れを離れて近隣の群れに移籍する。
 だから、石器使用を知らないままボッソウにやってくると、学習の臨界期を過ぎているので石器使用のできない女性としてその群れにいることになる。
 ただし、ちょうど逆のケースを考えることもできる。
つまり、学習の臨界期を過ごした自分の群れで石器使用を学んだ女性がよその群れへ出て行けば、彼女がモデルになって、その新しい行動が伝播することになる。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P147

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

  • 作者: 松沢 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本

 

北海道 旭山動物園

想像するちから

P177
人間を他者と区別するもっとも大きな特徴はなんだろうか。
究極的にいえば、それはイマジネーション、想像するちから、ではないかと思うようになった。

P181
 チンパンジーは、「今、ここの世界」に生きている。だからこそ、瞬間に提示された目の前の数字を記憶することがとても上手だ。
しかし、人間のように、百年先のことを考えたり、百年昔のことに思いを馳せたり、地球の裏側に住んでいる人に心を寄せるというようなことはけっしてしない。
~中略~

 今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。
「自分はどうなってしまうんだろう」とは考えない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。
 それに対して人間は容易に絶望してしまう。

 

でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望を持てる。
どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。
 人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

  • 作者: 松沢 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本

 

 しかし、最近、どうもこの想像する力が弱い若者が増えているように思えるのです。
あらゆる道具が発達し、情報化も進み、便利で豊かな世の中になったのに、心の器は小さくなり、柔軟で謙虚な発想も乏しくなっているように感じます。
 その原因はどこにあるのでしょうか。  あくまで私見であり極論かもしれませんが、それは身の回りから「不便、不満、不足」の状態が消えたことではないかと考えています。

一流の男は「気働き」で決める
高野 登 (著)
かんき出版 (2014/4/23)
P147

一流の男は「気働き」で決める

一流の男は「気働き」で決める

  • 作者: 高野 登
  • 出版社/メーカー: かんき出版
  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

北海道 旭山動物園

モンゴロイド流子育て

P 184 
いちばん言いたかったことは、とにかく、ヒト社会全体でもそうですけれど、なかでもモンゴロイドは子どもを長くていねいに育てるのが特徴なんだ、ということです。

ヒトは本来、ネオテニー化した未熟なサルであり、モンゴロイドはその戦略をさらに進めた。
未熟だからこそ、いつまでも脳が柔らかくて多くを学べる。未熟になったのは、そのためなんです。
未熟さのメリットを生かすためには、子育てをキチンとしなければならない。そのためのしつけ、教育、社会の”仕掛け”は必要で、それを失うと未熟性のマイナス面が出てきてしまいます。
~中略~
南さんは、もうおわかりだと思います。いままでの話で未熟になった原因はわかってますから、そこを直せばいいんです。

伸坊 モンゴロイド流子育てに還ることですね、子育ては長くていねいに。しかも群れの中で社会性を身につけさせて、食事は魚を、DHAをとるト。

澤口 素晴らしい答えです。満点です。
①ネオテニーを生かす幼年期の適切な脳教育。
②大人になっても知性を伸ばすのをあきらめない。
③食生活を見直す。

P217
 澤口 子育てにとっての普通の環境は、一夫多妻型の社会です。別にハーレムをつくれという意味じゃなくて・・・
つまり多様な人間関係に囲まれた環境です。
母性と父性に見守られて、少し成長したらギャング集団をつくって、もみくちゃにされる。そのとき、違った年齢の子どもたちと自由で自発的な関係があって初めて普通の環境といえます。そんななかでは、ちょっとしたけんかやイザコザ、はっきり言ってしまえば多少のいじめなどはあって然るべきなんです。そういうネガティブな関係と、仲良く遊ぶといったポジティブな関係が入り交じって初めて、社会的知性は発達します。

それはヒトどころかサルの社会の基本であって、痛みを覚えるなんていうのは本来、子ども同士で情動体験的に覚えていくもんなんですね。それをぜんぶ止めてしまおうとするのは、子どもたちから「普通の環境」を奪うことと同じです。
~中略~

でも、その多重する知性を統合する前頭連合野の知性は、絶対に「普通の環境」がなければ発達しません。人間関係だけは、英才教育が効きません。
~中略~

澤口 ガキ大将がいてタテ社会のルールを覚えて、おせっかいだけど頼りになる近所のオバサンがいて、口うるさいガンコ親父みちなのが常識を振り回してて。
でもみんな同じ長屋の一員として子どもに愛情をもっている・・・

 

 ヒトは目的志向性があるから、今はツラくても将来を見こして我慢できる。そこをうまくクスグるのがヒトとしての進化に合った脳教育法なんです。スポ根なんて、まさにそうです。
また想像力があるから、時間と空間を超えて情動体験ができる。こうなればきっといいだろう、と感動を先取りできるから、夢をもち目的をもって、がんばることができるんです。
好奇心が強いから、次から次へと目標を持つこともできます。それを維持すれば、「理想」になるはずです。
 目的志向性も想像力もチンパンジーにはありません。

平然と車内で化粧する脳
澤口 俊之 (著), 南 伸坊 (著)
扶桑社 (2000/09)

平然と車内で化粧する脳

平然と車内で化粧する脳

  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2000/09/01
  • メディア: 単行本