2026年1月24日土曜日

前時代の階級的権威呼称

司馬 前略~
 東京ことばでいうおかみさん、これは戦後滅びましたね。いまはもう、八百屋の奥さんです。
奥さまという言葉も、一般化した。江戸期では大名旗本の夫人のことばでしょう。直参でも御家人の夫人のことは御新造、八丁堀の与力は食禄は旗本級ですが、その夫人は奥さんとは呼ばない。
明治の太政官時代に高級官員たちが、かつて大名や旗本の屋敷のあった山ノ手に住み、その夫人は当時、お屋敷の夫人ですから出入りの者から奥さまと呼ばれた。それが次第に一般化して、戦後、言葉をまもることに割合神経質な東京の下町までが総崩れになって奥さんになった。

 私は思うのに、日本人の心は古来一階級への指向があり、時世次節でその時代その時代の支配構造ができて、よび方なども階級化するのですが、それが次の時代に崩れると、前時代の階級的権威呼称は大安売りになる、そういうこともあるのかも知れませんね。  

新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P230

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

  • 作者: 海音寺 潮五郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12/14
  • メディア: 文庫


 言葉というのは、本来なりさがるものらしい。とくになまな現実感覚を超えてしまった尊称というのは、ひどく下落することがある。
 たとえば、聖(ひじり)という言葉である。
 室町期では、宗教を売りものにする乞食同然の者という語感をひとびとに持たせた。高野聖がその代表的なものであろう。かれらは「聖人(しょうにん)」ともよばれた。
聖人にうかうかと宿(やど)を貸すと娘の操を奪(と)られてあとで吠面(ほえずら)をかくことになる、というのは室町の乱世の在郷の者たちが互いにいましめあった心得であった。
言葉の下落も、ここまでくると痛烈というほかない。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P209

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

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