P178
(もっとも日本陸軍は海軍とちがい、装備で世界第一流だったのは日清日露戦争前後だけで、あとは明治三十八年制式の歩兵銃を最後まで主力兵器とした世界第二流の軍隊だった。それを国家が国民をいつわって世界一と信じこませていたのである)
なにぶん戦車は、値段がたかすぎた。
P180
ソ連のBT戦車というのも大した戦車でではなかったが、ただ八九式の日本戦車よりも装甲が厚く、砲身が長かった。戦車戦にstyle="font-size: 12pt;">ノモハンでの日本戦車の射撃はじつに正確だったそうだが、実際は相手に命中してもタドンを投げつけたように貫通せず、タマは敵戦車にあたってはコロコロところがった。ところがBT戦車を操縦するモンゴル人の大砲は、命中するごとにブリキのような八九式戦車を串刺しにして、ほとんど全滅させた。
ノモハンで生きのこった日本軍の戦車小隊長、中隊長の数人が、発狂して廃人になったというはなしを、私は戦車学校のときにきいて戦慄したことがある。
命中しても貫徹しないような兵器をもたされて戦場に出されれば、マジメな将校であればあるほど発狂するのが当然であろう。この一事だけでも、日本陸軍の首脳にはろくな戦争指導能力もなかったといえる。
おもしろいことには、ノモハンの下級指揮者を狂人にしたおなじ軍部が、その前年に、その日本戦車の示威運動としての西住戦車長の戦死を大きくとりあげ、「軍神」として宣伝したことである。
昭和の日本軍閥は軍神をつくるぐらいが能で、その本業である戦車の装甲や火力を大きくすることを怠ったといわれてもしかたがなかった。
P465
この誇るべき戦車(住人注;九七式中戦車)は、車の性能こそよかったが、武装は相変わらず貧乏根性の思想をまるだしに表現したもので、ノモハンであれほどひどいめに遭っていながら、砲は相変わらず八九式式時代とおなじタドン玉(五七ミリ砲)、装甲の厚さもひどく薄かった。
~中略~
大東亜戦争の末期では、どの国の戦車よりも劣るようになり、廃品以下の価値にさがったが、それでも軍部は南方の各戦場にこの戦車部隊を投入し、敵になんの損もあたえず、「一台三十五万円」をことごとく無意味に全滅させてしまった。
硫黄島における元オリンピック馬術選手の西中佐が、裸身で自殺をした、というのは、象徴的な日本戦車兵の最後である。
~中略~
日本製の自動車用ディーゼル・エンジンが優秀だと折り紙がつけられているのは、日本の不幸な戦車がのこしてくれた唯一の遺産なのである。
(昭和39年9月)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)
- 作者: 遼太郎, 司馬
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/12/22
- メディア: 文庫
0 件のコメント:
コメントを投稿