この国に生きていて、一番の権威は国家の言質(げんち)ですが、それを鵜呑みにしてはいないか。
じつは、このことに対して、私は中学一年(十三歳)の朝鮮半島からの引き上げ体験から学んだことがあります。国の言うことに従って生きていたら、大変なことになる。つまり国に寄りかかっていたら、生き延びられないということでした。
当時、父が現地の師範学校に奉職していたため、私は昭和二十年の夏を平壌(ピョンヤン)で迎えました。八月十五日、天皇の玉音放送がある前から、現地の日本人社会の上層部の家族たちは、インサイダーのニュースとして、ポツダム宣言の受諾をしっていたのでしょう。平壌駅は荷物を山積みして南下する家族でごったがえしていたといいます。
敗戦直後、現地の日本人の一般市民には、ラジオ放送でくり返し、お上(かみ)からの声が流されました。
「治安は維持される。一般人は軽挙妄動(けいきょもうどう)することなく現地に留まるように」
情報をもっている政府要人の家族や、利口なグループは、ここにいては危ないといち早く察知して、さっさと列車に乗って、ソウルの方に南下していきました。あとに取り残されたのは、政府の言うことに従っていれば間違いないと、愚直に信じたふつうの日本人だけです。
国家にひたすら寄りかかっていた私たちは、やがて進行してきた。ソ連軍にすべてを奪われて、難民となり、地獄の日々を体験したのです。私が、そのお体験からつくづく思うことは、国という権威は、何でもできるということです。
人の命を、紙切れ一枚で戦地に引っ張り出すこともできるし、植民地に残された国民が、悲惨な状況に陥(おちい)ることが当然わかっていても、大丈夫だと言って放置する。
百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
P82

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