2025年1月16日木曜日

厚労省はここまでやる

P141
   私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう五年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。 

 ところがこの二〇〇六年三月末、突然医師から今回の診療報酬改訂で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後百八十日を上限として、実施できなくなったと宣告された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。
~中略~

そういう人(住人注:それ以上機能が低下しないよう、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流している)がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るより明らかである。
今回の改定は、「障害が百八十日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。

実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落すのか」と二〇〇六年三月二十五日の朝日新聞東京本社版・声欄に書いている。ある都立病院では、約八割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。
~中略~

 身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら、逆行した措置である。
それとも、障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である。 

 何よりも、リハビリにたいする考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。
社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気づいて欲しい。

 今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落すことになるか。
そして一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。

P265
 それなのに小泉改革は、無常にもこうした障害者リハビリを、最長でも百八十日に制限する「診療報酬改定」を二〇〇六年に開始した。改革の名を借りた医療の制限である。
私は、ある会で厚生労働省の医療課長が、私を指して「あれはできる」と発言したことや、主治医の特別な計らいでリハビリを継続できたが、都立病院などでは約七割の患者が治療を打ち切られた。リハビリを打ち切られた患者の中には機能が落ちで寝たきりになり、実際に命を落とした人もいる。
多くの障害を負った患者が、希望を失い、「再チャレンジ」を諦めざるを得ないという非常事態に陥った。
~中略~

 私は新聞に投書したり、総合雑誌に書いたりして、この非人間的暴挙を告発した。
社会では最弱者の、障害を持った患者が窮地に陥っていることを訴えた。同じ苦しみを実感していた関西のリハビリ科の医師グループと、「リハビリテーション診療報酬改定を考える会」を作って、反対の署名を集めることになった。目的はこの乱暴な日数制限の白紙撤回である。
~中略~
 締め切り後も、署名は増え続け、最終的には四十八万人にも達した。
~中略~
 ところが受け取った厚労省は何の反応も示さなかった。四十八万の国民の声は無視されたのである。
 私は暮れも正月も、精魂こめてこの冷酷な制度を世に訴える論文を、総合雑誌等に書き続けた。新聞もこれに呼応したように、厚労省のやり方を批判した。二十紙にあまる地方新聞は社説で非難した。
朝日新聞などの大新聞は無視しようとしたが、地方紙には気骨がある論調が多かった。地方自治体も、反対の議決を相次いで可決した。運動は燎原の火のように広がったが、厚労省は無視し続けた。
~中略~

その後厚労省は、限られた疾患の上限日数の緩和や、当分の間という条件付きで、介護保険では対応できない例の維持期リハビリを、いやいやながら認める異例の通達を出した。
~中略~

 維持期のリハビリが一部解禁されたといっても、介護保険のリハビリが対応できるまでの当分の措置に過ぎない。
もっと許せないのは、診療報酬の逓減制を持ち込んだことである。上限日数を超えて治療を行う場合は、報酬を安くするというものである。診療を受け付けない医療機関が出るのを防げない。

 これでは医療をやりたくてもできない。まるで、やれるものならやってみろといわんばかりではないか。そのほかに「リハビリテーション実施計画書」という面倒な書類を医師に作らせ、三カ月おきに厄介な基準で状態改善の記載を申告させるとか、診療をやる気を起こらなくするようないやがらせをしている。
~中略~

厚労省の官僚は、ここまでやるのである。
 長期にわたるリハビリを、なんとしても介護保険に強制的に追いやろうとする厚生省の魂胆に、私は深い疑問と不安を持っている。
今行われている比較的安価な医療保険のリハビリを捨てて、高額な設備や人的予算のかかる介護保険のリハビリ施設を新設することの意味は何だろうかそうでなくても、破綻寸前といわれる介護保険に、リハビリ難民が押し寄せて、対応できるはずがない。
医療保険と違って、地方自治体の管轄の介護保険に丸投げして、国は医療費も責任も逃れようとしているのだ。
~中略~

結果的には、合法的な治療切り捨てになって、生命の危険を招く。
そんなところに厚労省がもっていこうとしているならば、これは立派な国家犯罪である。私はまだ戦わなければならない。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/07/16
  • メディア: 文庫


 日本語が使える私は、荷物を下ろすわずかな時間を利用して波伝谷の人(住人注;南三陸町の被災した避難民)に「いま一番必要なものは何ですか」と尋ねてみた。すると「クスリです。二番目にほしいのが燃料です」と訴えられた。
~中略~ 一方、クスリはたくさんもっているが、米国製のため、厚生労働省の許可が下りない限り自由には配れないというのだ。
~中略~
 せめてカゼのクスリくらい届けられないのかと思い、厚生労働省に問い合わせてみた。
すると担当者は「日本で許可されているクスリであったとしても、日本語の説明書がついていなければ配ってはいけない」というのだ。
あまりにくだらない説明にしばらく怒りが収まらなかった。震災という非常事態なのだから、ルールを多少破ったとしても、臨機応変に対応するべきではないか。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)
P35

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

  • 作者: マーティン・ファクラー
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2012/07/04
  • メディア: 新書


 リリタンは中枢神経興奮剤「塩酸メチルフェニデート」の商品名。難治性・遷延性のうつ病や、日中に過度の眠気が生じる睡眠障害ナルコレプシーの治療薬として承認されていた。 オピオイド鎮痛薬による眠気の防止には、便宜的にうつ病と病名を付け、適応外で処方されてきた。
 ところが、覚せい作用や気分を高揚させる効果から、二〇〇〇年に入ると不適切な処方やインターネットでの売買、乱用、薬物依存などが社会問題化。 効果的な抗うつ薬は他にもあることから、製薬会社はうつ病を効能から外し、厚生労働省も承認した。ナルコプレシーに処方する条件も厳格化され、がん患者が病名を使うことはできず、眠気には処方できなくなった。
 リリタンは緩和ケアで一般的に使われている薬だ。世界保健機関(WHO)や日本緩和医療学会は指針で使用を推奨している。
~中略~
 厚生労働省医薬食品局審査管理課は「緩和ケアも含めさまざまな事情を勘案したが、まず乱用を防ぐ必要があるという苦渋の決断だった」と説明する。一方、日本緩和医療学会理事長の江口研二・帝京大学医学部教授は「悪用した人に合わせて必要な人も使えなくしてしまった。厚生労働省の対応は配慮に欠ける」とこの対応に批判的だ。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P90

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




2025年1月15日水曜日

東方礼儀ノ国

 P125
儒教というのは、日本にあっては紙で木版印刷された書物というかたちをとりつづけてきたが、中国ではもっとおそるべきものなのである。
漢以来、統治の原理であり、多分に体制そのものであり、これを統治されるものからいえば、人間関係の唯一の原則で、人間であるかぎりこれ以外の習俗はない。
李朝五百年間、中国的儒教体制の模範生であった朝鮮は、中国の歴代王朝から、
「東方礼儀ノ国」
 とほめられつづけてきたように、習俗として礼儀を重んじつづけてきた。むろんそれは形式主義であってもかまわない。むしろ形式主義こそ国家と人間の秩序にもっとも大切なものだというのが儒教的な思考法である。
礼とはつまり形式のことで、この形式がいかに煩瑣(はんさ)であれ、これを命がけでまもってこそ人間と社会が成立するというのが、儒教の祖とされる孔子の考え方であった。

P126
朝鮮は、李朝五百年だけでなく、新羅の後期や高麗朝あたりからすでに、
「東方礼儀ノ国」
 であった。つまり中国的原理―礼教―をもって国家・社会・家庭体制の原理としてきた。
という意味であり、中国をもって儒教的宗主国としてきた。
 つまり国家として礼教の秩序をもっているから同原理の中国としては、
「朝鮮は安全である」
 という感じだったにちがいない。宗主国である中国への礼を紊(みだ)す―たとえば侵略―などということは朝鮮はしない。
朝鮮もまた、儒教原理をもって中国を本家として立てているかぎり「中国が攻めてくることはない」という安心感があった。
防衛のむずかしい半島国家としてはこれが最良の生き方であったろう。そして礼教という絶対原理(とくに李朝)で国内を順化しておくと内乱のおきる可能性がすくなく、これほどいいことはなかった。

P220
つまり朝鮮にとって、政治的地震の震源はつねに中国にある。中国大陸に強大な統一帝国がうまれると朝鮮の独立はおびやかされ、中国大陸が四分五裂すると、朝鮮は息をつく。朝鮮半島に、政治的には劇的な、そして文化的なきらびやかな「三国鼎立時代」が現出するにいたるのは、中国が統一されていなかったからであった。


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: -


P180
佐藤 韓国の朴槿恵大統領からすれば、ロシアやアメリカや日本は、中国の本当の恐ろしさを知らない。朝鮮民族が中国のすぐ傍にいながら同化されずにやってこれたのは、決定的な喧嘩をしなかったからなんだ、と考えているはずです。歴史をふり返ると、日本と朝鮮が単独で戦争したことはないのです。
 池上 その通りだ。元寇のときだってそうです。
 佐藤 元と高麗の連合軍ですから。これは元韓国大使の小倉和夫さんの「日本のアジア外交」の指摘を読んで初めて気づいたのですが、日本が戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も、朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。
「過去二〇〇〇年近くの間に、日本と中国は、五回戦争を行った。唐と日本の戦争(白村江または錦江の戦い)、元寇(蒙古の日本進攻)、明軍との戦い(秀吉の朝鮮進攻と明の介入による戦闘)、一九世紀の日清戦争、一九三〇年代以降の日中戦争の五回である。
 これらの戦争の背景を分析してみると、現在の世代が教訓として学ぶべきことが、すくなくとも三つあることにきづく。
 一つは、いずれの戦争も、その始まりは、朝鮮半島における勢力争いだったことである。
一九三〇年代の日中戦争は、満洲(東北地方)の権益の問題が、導火線であるようにも見えるが、その背後には、日本の朝鮮半島支配の安定化(朝鮮独立運動の阻止と日本における革新勢力の台頭阻止)という、歴史的流れがあった。
 このことは、朝鮮問題についての日中対話が、現在及び将来において、いかに重要であるかを物語っている」(「日本のアジア外交―二千年の系譜」藤原書店、二二三~二二四頁)
 そう考えると、やはり中国といかにうまくやるかということが、韓国の生き残りにとって死活問題になります。朴槿恵はそう気づいているのでしょう。
 池上 中国が経済力においても軍事力においても強くなる一方、アメリカの力は弱くなっています。きたちょうせんの核開発も結局、アメリカには止められなかった。韓国の安全保障は、アメリカでなく中国に頼んだ方がいいと思っているかもしれません。
 二〇〇九年、日本と韓国は安全保障上の関係強化のための軍事協定を結ぶ方向で協議を進めていましたが、調印のわずか一時間前に韓国がキャンセルしました。中国から「日本と新たな軍事協定を結ぶな」と脅されたのです。
朝鮮戦争では、多くの韓国人が中国軍によって殺されています。本来なら中国に謝罪要求や責任追及してもいいはずですが、中国に対してそんな感情を抱いていない。これが韓国の「事大主義(小が大に事(つか)える)」ですね。
韓国は、歴史上、長い間、中国に「事大」し、中国の臣となることで生き延びてきましたから、今も大国・中国の懐に抱かれているのが、心地よいのでしょう。

P182
佐藤 つまり東アジアの秩序が、冷戦よりもはるか昔に戻っているのです。歴史になぞらえると、南北朝鮮は、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできます。あるいは、北朝鮮が渤海だと考えたほうがいいかもしれません。
新羅は中国に朝貢していましたが、渤海は日本に朝貢していました。朝鮮半島に統一王朝がない状況で、渤海がなぜ日本に安全保障を求めてきたか。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/12/19
  • メディア: Kindle版


熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ) 大分県豊後高田市田染平野

2025年1月14日火曜日

抗不整脈薬

 不整脈を治療する抗不整脈薬には非常に多くの種類があって、お医者さん、場合によっては循環器のお医者さんでも不整脈を専門としない人は苦手とするところです。分かりやすくするために、抗不整脈薬を5つのタイプに分類してみましょう。
~中略~
心臓の興奮で重要となるイオンは3つ、ナトリウムイオン、カリウムイオン、カルシウムイオンです。したがって、心臓の興奮に重要なチャンネルはナトリウムチャンネル、カリウムチャンネル、カルシウムチャンネルの3つになります。
これらを抑制(ブロック)する薬物がそれぞれあります。このような薬をそれぞれ、ナトリウムチャンネルブロッカー、カリウムチャンネルブロッカー、カルシウムチャンネルブロッカーと呼び、抗不整脈薬の5つのタイプのうち3つに相当します。
 こう不整脈薬には、もうひとつ重要なタイプがあります。~中略~ 運動したり興奮した時、鼓動が速くなることからも分かるように、交感神経が不整脈と深くかかわっています。
この交感神経の働きを抑制する薬を、「ベータブロッカー」と呼びます。交感神経の受容体にはアルファ受容体とベータ受容体という2種類がありますが、心臓で重要なのがベータ受容体の方なのでこれを抑制(ブロック)する薬をベータブロッカーと呼ぶのです。これが4つめの抗不整脈薬です。
 これ以外に、以上の4つには分類されない抗不整脈薬があります。~中略~ 第5のタイプ()住人注;その他の抗不整脈薬)に属する薬で心房細動の治療で使われるのは、「ジギタリス」と呼ばれる薬です。

心房細動のすべて ――脳梗塞、認知症、心不全を招かないための12章
古川 哲史 (著)
新潮社 (2018/12/14)
P95

心房細動のすべて ――脳梗塞、認知症、心不全を招かないための12章 (新潮新書)

心房細動のすべて ――脳梗塞、認知症、心不全を招かないための12章 (新潮新書)

  • 作者: 古川 哲史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: 新書

2025年1月11日土曜日

代替医療を疑え

P184
ひとことでいうと、これまでの治療成績のデータに基づいておこなわれている医療が標準医療で、それ以外のものが代替医療です。
「がんにおける代替医療とその生存に対する影響」と題された論文が、エール大学の研究チームから発表されました。(JNCI,2018)。
JNCIというのは、米国国立がん研究所によるがん研究分野での一流雑誌です。けっこう大きく報道されたその内容は、代替医療だけを受けた人の死亡リスクは、標準医療を受けた人の2.5倍というものでありました。
~中略~
 ただし、少し注意が必要なのは、その論文は、代替医療だけを受けた人についてのデータとの比較である、というところです。
標準医療に代替医療を組み合わせたものは「統合医療」、それから標準医療に組み合わせて使う代替医療は「補完医療:と呼ばれます。こういったケースと、代替医療の単独治療のケースは区別して考える必要があることはいうまでもありません。
ひっくるめて考えると、少なくとも代替医療だけに頼るのはやめといたほうがよろしい、ということになります。

P186
 標準医療と代替医療の違いは、医学的な裏付けがあるかどうか、すなわち、治療についてのエビデンスがあるかないか、です。研究が進んで、代替医療とされていたものが標準治療に格上げされることは、当然ありえます。
なので、すべての代替医療が絶対に効かない、と断定するのはきわめて困難です。しかし、がんのように放置すると死に至る可能性が高い病気において、エビデンスのない治療法に身をゆだねるのは、あまりに危険すぎるとは思われませんか?
ほかに治療法がないと診断されたので代替医療を、という人もおられるかもしれません。その心情が理解できない訳ではありません。しかし、ほとんどの医師は、たとえ自分がそのような状況になったとしても、代替医療に大枚をはたいたりしないでしょう。

P187
その本(住人注;アルトゥール・ガワンデというハーバード大学教授の「死すべき定め―死にゆく人に何ができるか」(みすず書房))では、末期のがん患者の場合、緩和ケアをしっかりうけるようにした方が、抗がん剤などの治療を中止するタイミングもホスピスに入るタイミングも早くなった、そして、臨終の苦痛が少なかった、という研究が紹介されています。
でも、そんなことをしたら寿命が短くなってしまったのではないかと思われるかもしれません。わたしもそんな気がします。しかし、実際は逆で、平均25%も長生きしたというのです。
末期がんで代替医療に身をゆだねるよりも、心の平穏が得られるし、この方がはるかにいいと思うのですが、いかがでしょう。

(あまり)病気をしない暮らし
仲野徹 (著)
晶文社 (2018/12/6)

(あまり)病気をしない暮らし

(あまり)病気をしない暮らし

  • 作者: 仲野徹
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2018/12/06
  • メディア: 単行本

2025年1月10日金曜日

自己決定権は自己責任

考えてみると、こういう患者発信の本が、現代ほど必要な時代はありません。
なぜなら、現代の医療は、以前の「先生にお任せ」といった医者中心の医療ではなく、患者が自分で治療法などを選択しなくてはならない変革期だからです。
患者の自己決定権を大切にする医療へと変化してきているからです。
でも、私たち日本人は、長い間「お任せ」医療の中にいましたから、「自分で決めなさい」と言われても、おたおたするばかり。

 市場に出回っている医者の側から発信されたガン関係の本の多くは、病状や治療法であり、知識の吸収にはすこぶる有益。
でも、患者は実はそれらとは次元の違う実際的なことで悩んでいるんですね。
病院はどうやって決めたらいいのか?手術ってしなくちゃいけない?手術するとしても、執刀医の腕は信じられる?看護師の態度に傷ついちゃうけど、仕方ないの?
手術する入院の時の病室は個室にしたほうがいいのか?
 患者は、こういう現実的な問題で困惑しているのです。

大学教授がガンになってわかったこと
山口 仲美(著)
幻冬舎 (2014/3/28)
P9

大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)

大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)

  • 作者: 山口 仲美
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2014/03/28
  • メディア: 新書

2025年1月9日木曜日

医師の見識

(住人注;余命)「あと、どれくらいですよ」というのは、明らかに統計学ですから、何例中何例という話です。
これは大体、偏差値の高い人たちが好きなんですよ。たくさん集めて平均したらこのくらいだと。もちろん統計にも幅がありますから、短めのところはこのへんで、長めのところはここだと。
いま玄侑さんの話のように、家族に聞かれた時にお医者さんは、その話をしているわけです。
だけどガンの患者さんは、一人ひとりが全部違うわけですから、他人の集まりの、しかも気候も風土も生きてきた歴史も違うものを集めて統計で作ったものを、個人の患者さんに当てはめるというのは、尺度が違う場面のほうが多いわけですから軽々にいってはいけないところがあるわけです。

しかし、通常は家族などがある範囲の誤差を承知の上で聞きたいというケースもありますので、その時に医師の見識が大切になります。
だから私が常にいうのは、ガンの患者さんを統計学的に診てはいけない、一人ひとり全部違う病気を考えることが大切で、一人ひとりが、いつもすべて新しいわけですから、全力投球しないといけない。
だからといって、「先生、あとどのくらいでしょうか」といわれた時に「一例一例違うのに、分るわけないじゃないか」とはいえない。
それでは「統計学的にはこうですよ」という話をしたらいいのかというと、そうでもないですよね。

そこのところは、お医者さんの人間性というかね。
坪井栄孝 

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P127

多生の縁 玄侑宗久対談集

多生の縁 玄侑宗久対談集

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/03/24
  • メディア: 単行本

 

2025年1月8日水曜日

イヌ

イヌがヒトを咬んだりすれば飼い主が責任を問われる。
だから紐でつなぐ。イヌは外からの危険を知らせたり追い払ったりする存在だったが、おかげでなんのためにヒトがイヌを家畜化したのか、わからなくなった。
だから中山間地域では鳥獣害が問題になる。イヌがいないんだから、当然であろう。クマもイノシシもサルも、あるいはタヌキもアナグマも、畑に喜んで出てくる。作物のほうが野生のものより栄養価が高く、美味に決まっている。そこにヒトと動物の違いはない。
 イノシシが来ないように、電気柵を設ける。シカはそれを跳び越すので、二メートルを超える金網を張る。それでもサルが上るので、漁網の古いのを横全体に張る。子ザルが網に引っかかって、動けなくなるらしい。あとは上空から侵入してくるカラスだけである。そこも網を張るしかないであろう。
ヒトがなぜイヌを飼うようになったのか、現代日本社会、たとえば鳥獣害を見ていると、しみじみわかる。そこでイヌを放すと、保健所が捕獲に来ることになる。ご苦労様というしかない。

遺言。
養老 孟司 (著)
新潮社 (2017/11/16)
P185

遺言。(新潮新書) 「壁」シリーズ

遺言。(新潮新書) 「壁」シリーズ

  • 作者: 養老孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: Kindle版

2025年1月7日火曜日

朝鮮民主主義人民共和国


佐藤 北朝鮮に送金できるようになると、その金で何をやるか。北朝鮮は安全保障をリアリズムで考えています。
リビアのカダフィ大佐の教訓から学んでいる。それからイランやイラクの教訓からも学んでいます。
要するに、下手に出ても、核を持たなければ、つぶされるということです。
アメリカに到達する弾道ミサイルをもつことが、アメリカからの安全保障をとりつけるための唯一の方策だというのが、今の金正恩政権の発想です。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P157

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本

2025年1月6日月曜日

日本での茶

 日本での茶の資料の初見は、弘仁六年(八一五)の「日本後記」で、崇福寺の大僧正永忠が嵯峨天皇に茶をたてまつったとある。
また日本に将来された茶は宮廷儀礼のなかでわずかに命脈を保ったが、まさに消滅しようとしたとき、栄西禅師によって茶の種が日本に蒔かれたとされる。
 そして明恵上人によって宇治に茶畑の開園を行ったという。ところで、、栄西は九州の今の佐賀県神埼郡東背振村にある背振山に茶を蒔いたという。この背振とは、修験活動の一拠点で、茶の伝播は修験者たちの動的行動性に負うところが大きいであろう。
 求菩提山では、永禄六年(一五六三)には京都聖護院に進物として送っている。「芳茗五十御進上尤珍重云々」とあり、「芳」とは香り高い、「茗」は茶で、珍重されたことがわかる。
 また当時の戦国大名、大内、大友、黒田、細川氏なども茶を進物として送っている。大名たちへの進物の時期が、ほとんどが年頭の新年あいさつのとき、必ず御祈祷の巻紙を一枚そえて、茶を五〇袋、または三〇袋を送っている。これをみたとき、茶が単なる珍重ということだけにとどまらず、長寿的な正月の寿をもつものであったことが分かる。したがって、まだ茶は薬呪的な要素がみうしなわれちなかったものと思われる。

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる
重松 敏美(著)
日本放送出版協会; 〔カラー版〕版 (1986/11)
P151

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

  • 作者: 重松 敏美
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1986/11
  • メディア: 単行本


世界遺産 栂尾山 高山寺 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町
求菩提山 福岡県豊前市求菩提と築上郡築上町寒田

2025年1月5日日曜日

出雲民族

P224
  話は枝葉へゆくが、その一例をあげよう。いまから数年前に、私は島根県の地方紙の元旦号を読んだ。その新聞の元旦号もそうであるように、全面広告の欄がある。
しかし、私のみた欄は、ありきたりな商品広告ではなかった。年賀広告なのである。
県知事および地方自治団体の首長が、県民のみなさんおめでとう、と呼びかける年賀あいさつなのだ。

 ことわっておくが、これも新聞広告の慣例として、めずらしいことではない。どこの新聞でもやることだが、島根県の新聞のばあいはすこしちがっていた。
たしか、紙面の上十段のスペースに正月らしく出雲大社のシルエットがえがかれ、「謹賀新年」と活字が組まれ、そこに、ふたりのひとの名前が出ていた。

ひとりは、とうぜんなことだが島根県の知事田部長右衛門氏の名前である。それにならんでもうひとつの名があった。「国造、千家尊祀(せんげたかとし)」という。われわれ他府県人にとって、これは「カタリベ」の存在以上に驚嘆するべきことである。

 これは化石の地方長官というべきであろう。出雲では、他府県と同様、現実の行政は公選知事が担当するが、精神世界の君主としてなお国造が君臨しているのである。

 

P229

話の解釈はどうでもよい。いずれにせよツングース人種である出雲民族は、鉄器文明を背景として出雲に強大な帝国をたて、トヨアシハラノナカツクニを制覇した。

その何代目かの帝王が大己貴命(おおなむちのみこと)(以下大国主命という)であった。
そこへ、「高天ガ原」から天孫民族の使者が押しかけてきた。国を譲れという。いったい、天孫族とはナニモノであろう。おそらく出雲帝国のそれをしのぐ強大な兵団をもつ集団であったにちがいあるまいが、ここではそれに触れるいとまがない。とにかく、最後の談判は出雲の稲佐ノ浜で行われた。
天孫民族の使者武甕槌命(たけみかずちのみこと)は、浜にホコを突きたて、「否(いな)、然(さ)」をせまった。
われわれはここで、シンガポールにおける山下・パーシバルの会談を連想しなければならない。

出雲民族の屈辱の歴史は、この稲佐ノ浜の屈辱からはじまるのである。出雲人の狷介(けんかい)な性格もこの屈辱の歴史がつくった、とW氏はいう。

 話は枝葉に多すぎるようだが、しばらくがまんしていただきたい。
 この国譲りののち、天孫民族と出雲王朝との協定は、出雲王は永久に天孫民族の政治にタッチしないということであった。
哀れにも出雲の王族は身柄を大和に移され、三輪山のそばに住んだ。三輪氏の祖がそれである。
この奈良県という土地は、もともと、出雲王朝の植民地のようなものであったのだろう。神武天皇が侵入するまでは出雲人が耕作を楽しむ平和な土地であったに相違ない。
滝川政次郎博士によれば、この三輪山を中心に出雲の政庁があったという。
神武天皇の好敵手であった長髄彦(ながすねひこ)も出雲民族の土酋(どしゆう)の一人であった。~中略~
 むろん、長髄彦の年代(?)は、古墳時代以前のものであるから妄説に過ぎまいが、大和の住民に、自分たちの先祖である出雲民族をなつかしむ潜在感情があるとすれば、情において私はこの伝説を尊びたい(現に、わが奈良県人は、同じ県内にある神武天皇の橿原神宮よりも、三輪山の大神(おおみわ)神社を尊崇して、毎月ツイタチ参りというものをする。
かれらは「オオミワはんは、ジンムさんより先きや」という。
かつての先住民族の信仰の記憶を、いまの奈良県人もなおその心の底であたためつづけているのではないか。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫


大神神社 (おおみわじんじゃ) 奈良県桜井市三輪

P82
 出雲おんなというのは、性的魅力がある点で古来有名である。京の公卿は、平安時代から、女は出雲、として、そばめとして京へ輸入した。いわゆる京美人は出雲おんなが原種になっている。
 出雲おんなは、美人というよりこびが佳(よ)い、と古書にある。歌舞伎の元祖といわれる出雲のお国が、出雲女性の舞踏団をひきいて、戦国中期の京にあらわれ、満都の男性を魅了したのも、出雲おんなの佳さが、すでに天下の男性の先入観念にあったからだ。
~中略~
 彼女らは、ひと革の眼が多い。
 顔の肉がうすくて、ややおもながであり、男好きがする。
 彼女らの顔は、出雲の地下から出土する弥生式の土器と同じ系列のものだ。それらの土器は、朝鮮、満州、蒙古から出土するものとほぼおなじものとみられている。
出雲女性の血には、ツングースの血がまじっているのであろう。

P84
 この神武天皇が、葦原中国を征服したとき、さっそく女房をもらった。
 その女房の名は、媛蹈鞴五十鈴姫というのだが、名というより美称だろう。
~中略~
 この姫は、出雲王朝の皇帝事代主命(ことしろぬしのみこと)のむすめで、天孫族と出雲族の融和のためにはるばる出雲の地から大和へとついできた。政略結婚である。
 とはいえ、古代的英雄である「神武」という征服王が、その男性的気質からみて、たんに政略だけで女房をえらぶまい。やはり当時から、男どものあいだで、「おんなは出雲」という定説があったように想像する。
(昭和36年12月)


司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)

 

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫


P254
 出雲飯石郡吉田村は、地図の上では虫眼鏡で見てやっとわかる程度の地名にすぎないが、この村に、中国山脈のほとんどを所有しているといわれる大山林地主の田部(たなべ)長右衛門家が存在することで、その方面の学者の世界では高い知名度をもっている。
 出雲―というより中国山脈―は古代から中世、近世にかけて、さらには明治期に及ぶところの砂鉄王国であった。 
 中国山脈は、良質の砂鉄を蔵しているが、山陽側よりも三陰側のほうが質が良く、とくに出雲国がよい。田部家は中世末期に紀州田辺から出雲に移り、やがて最大の砂鉄業者になった。
 ~中略~ 田辺家は江戸期から明治にかけて大いに稼働した。その結果として中国山脈のほとんどを所有するはめになった。戦後の農地解放では山林が除外されたから、田部家は日本最大の山持ちになった。(もっとも田部家をはるかに凌ぐ山林地主は天皇家のはずであったが、こんにち国有林のうちのどのくらいがいわゆる「御料林」なのか、それについて公表された数字を私は知らない)。
 田部家の当主の長右衛門氏が、昭和二十年代から何期か、島根県知事になった。自分でなりたいと思ってなったものではなく、適当な人がなかったために、推されてほとんど無競争で選出されたちというのが実情だったらしい。
 出雲は古い国である。神代から途中の中間がなくていきなり現代がある、というような言い方をする人もある。こういう土地だから、田部家より古い家系が幾軒かあって、たとえば神話の国譲りの家系伝説をもつ出雲大社の千家家(せんけけ)・」北島家などはその最たるものとされている。
~中略~
出雲を古代に支配した家と、新憲法下の公選知事が連名で県民にあいさつしているというのも、なにやら
縹渺(ひょうびょう)としていて出雲的だが、その知事さんが中世以来の砂鉄の家で、中国山脈を山脈ぐるみ持っているというのも、中世がそのまま続いているみたいで、これも出雲的といえるかもしれない。

P258
 田部氏は、おっとりとしたその風貌にすれば意外なほど早口である。さらに話されているうち、どこか凄味があって、とても殿サマや公卿サンのような感じではない。
そのように言うと、我が意を得たりといったふうに笑って、
「出雲には、私の家だけじゃなく、こういう仕事の家が十指を超すほどありました。それらは普通、タタラモンとよばれていまして、決して上品なもんじゃない」
 といった。
 田部家が宰領してきたような採鉱冶金の現場は「山内(さんない)」とよばれ、鉄師(かねし)である田部家を首領とする一国のようなもので、江戸初期から幕府公認による独特の法と慣習がおこなわれていて、犯罪者なども鉄師の裁きによって断罪された。
~中略~
「タタラはアラシゴトでしたよ だからぼくなんぞは、山賊の親玉のようなもんで」
 と、田部氏は笑わずに言った。


P260
「シマリアイというのをやかましく言いましてね、田部の家はとても節倹な家風で、たとえば私の子供のころなどは昼に茶を用いない、ということになっていました。茶のかわりに御飯の釜底の焦げに湯をかけてのむのです」
 さらに、
「(田部家が)長く続いたのは、こんな不便なところに本拠を据えていたことと、それに、シマリアイで、万事質素にやってきたからでしょう」

P264
 田部家がこの菅谷に製鉄(タタラ)場をすえたのは大阪夏ノ陣のあった元和元年(一六一五)年であった。
菅谷タタラは江戸期いっぱい稼働し、明治後もつづき、一般に砂鉄製鉄が西洋式の製鉄にとってかわられたあとも独りここだけは稼働していて、大正十二年にその長すぎるほどの歴史の幕を閉じた。その間三百余年である。工場の歴史としては日本でもっとも古い。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)



 

街道をゆく (7) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (7) (朝日文芸文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1979/01/01
  • メディア: 文庫


出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東