(住人注;余命)「あと、どれくらいですよ」というのは、明らかに統計学ですから、何例中何例という話です。
これは大体、偏差値の高い人たちが好きなんですよ。たくさん集めて平均したらこのくらいだと。もちろん統計にも幅がありますから、短めのところはこのへんで、長めのところはここだと。
いま玄侑さんの話のように、家族に聞かれた時にお医者さんは、その話をしているわけです。
だけどガンの患者さんは、一人ひとりが全部違うわけですから、他人の集まりの、しかも気候も風土も生きてきた歴史も違うものを集めて統計で作ったものを、個人の患者さんに当てはめるというのは、尺度が違う場面のほうが多いわけですから軽々にいってはいけないところがあるわけです。
しかし、通常は家族などがある範囲の誤差を承知の上で聞きたいというケースもありますので、その時に医師の見識が大切になります。
だから私が常にいうのは、ガンの患者さんを統計学的に診てはいけない、一人ひとり全部違う病気を考えることが大切で、一人ひとりが、いつもすべて新しいわけですから、全力投球しないといけない。
だからといって、「先生、あとどのくらいでしょうか」といわれた時に「一例一例違うのに、分るわけないじゃないか」とはいえない。
それでは「統計学的にはこうですよ」という話をしたらいいのかというと、そうでもないですよね。
そこのところは、お医者さんの人間性というかね。
坪井栄孝
玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P127
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