例えば、むし歯による痛みがあるとする。この痛みは純粋な意味で、からだに起因した痛みであるから、むし歯を治療することにより、完全になおすことのできる痛みである。むし歯が痛いということは、気が重く、決して晴ればれした「心」にはなれないものである。
しかし、むし歯が完全になおって痛みも完全に消えれば晴ればれとした「心」になるのはきわめて自然の経過であり、ほとんどの人たちは、このような経過をたどるはずである。
しかし、むし歯になる以前から、心に起因する痛みを、からだのどこかに訴えていたり、あるいは、精神疾患に起因する痛み、さらには人間性に起因する痛みをたえず訴えつづけているような人であれば、この人は、むし歯の痛みと心の痛み、精神疾患の痛み、それに、この人の人間性による痛みとが混然一体となり、それぞれの痛みが、それぞれの痛みを増強させる結果となる。
この人にすれば、「歯が痛い」と訴えているつもりではあるが、歯以外の痛みも同時に、次々と訴えるために、結果として、焦点がしぼり切れず、とりとめのない訴えとなってしまう。
例えば、歯の痛みを治療している時は手の痛みを訴え、手の痛みを治療しているときには腰の痛みを訴え、腰の痛みを治療しているときには頭の痛みを訴える。
さらに厄介なことには、むし歯に対して行った適切な治療それ自体を新しい痛みとして訴えることである。このようなことは、むし歯だけにかぎらず、手でも足でも、からだの中いかなる部位であっても、そこに加えた治療上の処置が引き金となって、その部位の痛みを訴えることもある。
むし歯の治療や口腔内手術の後に、二次的に出現する痛みも時には存在する。したがって、訴える人の痛みは、治療上の処置によって二次的に発生したからだの異常に起因する痛みであるのか、本来この人が有する「心」「精神疾患」、あるいは「人間性」に起因する痛みであるのかを見分けることは非常に重要なことである。
この意味でも、このような人の訴える痛みに対しては、もつれにもつれた糸を、一本一本ときほぐすような対応が必要になってくる。
このように、本人の訴える痛みのなかで、四つの原因、すなわち、「からだ」「心」「精神疾患」「人間性」が、どの程度の割合で混在し、それぞれがどの程度影響し合っているかによって、訴える痛みの内容は異なってくる。そして当然のことながら治療法も異なる。
痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
P42
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