事故を起こした原発はこれまで数え切れないほどの事故を起こしていた、とすっぱ抜いたのは米経済誌のウォール・ストリート・ジャーナルだった。
~中略~
自分の国で起きていることを知るために外国の新聞の電子版を毎晩チェックしなければならないというのも情けない。
~中略~
公開されている公文書をこのように調べた日本のメディアがあっただろうか。同誌(住人注;ウォール・ストリート・ジャーナル)はまた別の日に、日本では電気事業者と監督官庁が癒着していると指摘し、天下りの人数まで報じていた。
メディア批評 第41回
神保太郎
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P204
P3
2011年3月11日、東日本大震災と大津波が東北地方に壊滅的な被害をもたらした。そして、福島第一原発で続けざまに爆発事故が起きた。この国家存亡に関わる一大事に際して、新聞は国民のために何を報じたか、本書を手に取った読者が一番ご存じのことだが、3・11前と変わらず、当局の記者発表やプレスリリースを横流しする報道に終始した。
結果的に日本の大手メディアは、当局の隠蔽工作に加担することになってしまった。
P62
日本のメディアの報道は実に不思議だ。電力会社が活断層の存在について触れるまでは、メディアは島根原発の安全性を疑う記事をちっとも書こうとしなかった。
そもそも知らなかったのか、ニュースにならないと判断したかはわからない。それが、電力会社が活断層の存在を認めた瞬間、新聞に記事が出る。裁判で原発の危険性が言及された段階で、ようやく記事を書く。
自らが疑問を抱き、問題を掘り起こすことはなく、何かしらの「お墨付き」が出たところで報じる。これでは「原発ジャーナリズム」と言われても仕方がないと思う。
P78
「日本のメディアはまるで官僚制度の番犬のようだ」という私の意見は、あちこちのメディアで紹介された。ニューヨークタイムズの記事が、何度も日本のメディアに引用されたのだ。
日本の若い記者は、私と同じような違和感を抱いていたようだ。
~中略~
心のなかでは「東京地検特捜部と記者クラブのやり方はおかしい」と思っていながら、自社の媒体では自由な意見を言えない。だから私にインタビューしたり、ニューヨーク・タイムズを引用する形で、自分たちが本当に言いたい意見を代弁させていたのだろう。
P168
メディア業界内でも、非正規雇用者を低賃金で働かせようとするいびつな構造がある。自分たちの足元で起きていることに目をつむってはならない。身近なことに敏感にならなければ、社会全体に蔓延する深刻な問題にまで目が届くはずがない。
P220
福島第一原発事故の教訓が活かされないまま、再稼働が決定された福井県の大飯原発がいい例だ。 抜本的な対策が取られていないのに、「電力の安定供給」という錦の御旗のもと、野田総理は再稼働を推し進めた。
もし再び大地震や津波に襲われたとき、福島と同じような事故が起きないと言えるのか。なぜ日本の大手メディアはもっと怒りの声を上げないのだろう。
報道を見ていると、批判はしていてもどこか他人事だ。メディアが権力を批判し、社会に議論を起こさなければ、健全な民主主義は絶対に生まれない。
「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)
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