他方、津波で流されなかったものもある。今回、私にとってもっとも印象的だったのは、被災地における地縁コミュニティの強さだった。
~中略~
家族・地域・企業すべてがそうであるように、コミュニティには構成する諸個人の生活を支えあう側面と同時に、異質な諸個人、また諸個人の異質性を排除する側面がある。
コミュニティ内部の信頼の高さは、コミュニティ外に対する信頼感の低さと比例する。
~中略~
「無縁社会」と言われながらも日本社会の地方全般に見られるこの対照的なあり方が、発災以後のこれまでのプロセスを決定付けている。
復旧と復興 ──「生活」の連続性
湯浅 誠 (内閣官房震災ボランティア連携室長)
世界 2011年 06月号
岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)
P125
現在も、日本人は自分の生活する地域、あるいは生まれた地域に対する特別な意識を、それぞれ持ち続けていますが、その基盤が作られた時期は当面、戦国大名が出現した十五、六世紀に求められるでしょう。NHKの大河ドラマの多くは、そうした地域意識に支えられることを期待して作られているとも言えます。
私の郷里は山梨県ですが、武田信玄がドラマになった時、山梨県の道という道に「風林火山」の旗が立てられたのには驚きました。
毛利元就の時には、中国地方が大騒ぎしていましたし、大河ドラマの誘致合戦が行われているなどという話も耳にします。
私が申し上げたいのは、我々の中にそのような地域意識があり、それにはそれなりの歴史があることを、日本人は深層まで掘り下げて認識できていないのではないかということです。
歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)
P51
P208
閉鎖系社会が長期に存続するために重要な条件は、社会の構成員の多くが満足して生活することです。幕末に日本を訪れた欧米人は、「民衆が生活にすっかり満足しているという事実」に驚嘆しました。
渡辺京二氏は名著「逝きし世の面影」で、江戸時代後半から明治初期に日本を訪れた欧米人による膨大な報告・見聞記・日記・考察を分析しています。そこで見出された事実は、彼らが日本では専制政治が行われ個人の自由が一切存在しないと教えられていたにもかかわらず、日本人大衆は幸福であり礼節と親切がゆきわたっていることでした。
この一見矛盾する現象は、江戸時代にはわれわれの理解する「近代市民」としての自由(たとえば国政において投票する権利と自由)がなかったにもかかわらず、「村や共同体の一員であることによって、あるいは身分ないし職業による社会的共同体に所属することによって得られる自由」があったからだと説明されています。
つまり幕藩権力は年貢の徴収や、一揆の禁止や、キリシタンの禁圧といった国政レベルの領域では強権を振るったが、民衆の日常生活の領域にはできるだけ立ち入りを避けていました。
武士は城下に集められていたため、農村部では実際には百姓による自治が営まれていました(註⑪)。幕末、長崎海軍伝習所の教育体長カッテンディーケは、「日本の下層階級は(中略)むしろ世界の何(いず)れの国のものよりも大きな個人的自由を共有している。そして彼等の権利は驚くばかり尊重せられている」と報告しています(註⑫)。
P210
したがって共同体の構成要因は江戸時代、士農工商という役割分担の違いはあるものの、その一員としては平等だという意識がありました。
P212
J・ダイアモンドがまとめた閉鎖系社会の崩壊要因から、逆に存続条件を抽出してみると、①平和である、②環境とくに森林が保たれている、③極端な経済格差がない、④世代を超えた環境政策を実施する、⑤人口過剰を防ぐ、⑥異常気象が続かない、となります。最後の異常気象を別にして、江戸時代の日本は、他の全ての条件を満たす生存状況を作り出していました。
幕末に訪日した欧米人が驚いたように、庶民は貧しくとも幸せで礼節に富んでいたのです。 幸せだった理由の一つは、彼らには祖先、子々孫々、自然、共同体などが構成する世界とつながっているという(深層心理的)感覚があったことです。
P214
「つながりの自己」も「つながりの倫理意識」も、江戸時代という完全な閉鎖社会での生存を通じて、完成させられました。もし江戸時代の日本が、完全な閉鎖系におけるすぐれた「適応」を実証し代表するものならば、「封建的」と戦後なんの価値もないかのごとく棄てられてしまったわれわれの祖先たちの思想や生存戦略に込められた知恵を、学びなおす必要がありましょう。
「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
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