マス・ジャーナリズムが、あるいは官僚組織と化し、あるいは市場主義に侵され、また無意識の主観性を色濃く浸透させ、取材、報道という名のもとで暴力を行使し、ある種の情報操作を行うといったことに通じて、その内部から崩壊してゆくという危険と常に隣り合わせだということなのである。
~中略~
多くのジャーナリストが、ジャーナリズムの良心や倫理を持ち出すとき、その意味は、国家権力や社会的圧力に屈するべきではない、報道の自立と公正を守るべきだと言われる。しかし、今や、マス・ジャーナリズムは権力や圧力からの被害者であるというよりも、時には、それ自体が世論を動員して、権力を発動する機構ともなっているということなのである。
現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか
佐伯 啓思 (著)
日本放送出版協会 (1997/01)
P145
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現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)
- 作者: 佐伯 啓思
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 1997/01/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
では安部首相の再登場にによって、かつて安部叩きに生き甲斐を感じたジャーナリストは前非を悔いたか、自己の判断の誤りを認めたかというと、そうは見えません。
新聞というメディアを政治権力と心得、紙面を政治的に操作することに自己満足を覚える新聞人たちです。彼らは選挙に打って出て、そこで政見を述べて戦おうとはせず、マスコミを使って政治をしようとする。そんな姑息なまねをする連中です。いまも政敵を陥れる機会を狙っています。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P 249
基本的に新聞には、誰かがアナウンスしてほしい情報」だけが載っている。新聞やテレビで公開された情報は、誰か声の大きな人間が、世間を自ら望む方向に誘導するために流している情報だと考えるべきなのだ。
真に価値ある情報と言うのは、みんなが知った瞬間に、その価値がなくなってしまう。つまり、本当に儲け話につながる話は、いっさい新聞には載っていないのである。
僕は君たちに武器を配りたい
瀧本 哲史 (著)
講談社 (2011/9/22)
P240
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