2025年8月30日土曜日

播州人

 時代小説の中で、兵庫県とくに播州をもし除いたとすれば、ちょっとこまるのでないかと思う。この県は、上方に隣接していながら、じつに壮快な人物を多く出している土地だからである。
 播州出身の英雄豪傑を思いつくままにあげると、別所長治、黒田如水、後藤又兵衛、母里太兵衛、宮本武蔵、大石内蔵助ほか赤城浪士、といった具合で、極端にいえば、かれら播州人が、日本の男性の理想像を作ってきたようなものであった。播州平野には、そういう風土的な秘密があるのだろうか。
 足利時代には、この土地は、赤松家の所領だった。足利の大名の中でも、赤松氏の武士集団は、主従関係がもっとも緊密で、戦国時代の三河徳川家に比することができる。
 その赤松氏が、戦国時代には多くの分家に分立し、そのなかで三木の別所家がもっとも栄えた。別所長治の代になって秀吉に亡ぼされたが、その二年にわたる三木の籠城戦は、日本戦史のなかでもその美しさの点で白眉とされていい。裏切りもなく、混乱もなく、整然と戦い、食尽きて開城した。開城のとき、長治は秀吉に対して城兵の命乞いをし、その条件として別所一族は自殺する、と申し出、許されて屠服した。
戦国時代の豪族には、自分の部下の命に代わるという犠牲的な精神はほとんどみられなかっただけに、私は「別所記」をよむたびに異様な感動にうたれる。
播州には、男の清潔さと潔癖さを育てるなにかがあったのだろうか。この精神の系列は、徳川時代に入って赤城浪士のものとなっている。
 後藤又兵衛の家は、たしか、この別所家の支族で、かれの父はもと長治に仕えていたし、伯父は三木籠城戦に加わった。宮本武蔵の生母は、別所滅亡後、山林にかくれた一族で別所林治(しげはる)という者の娘である。この二人の男性は、血族的にも播州武士の正系といっていい。
 黒田官兵衛如水は、はじめ播州姫路の城主小寺政職(まさもと)につかえた。小寺家も、別所の血族で、この籠城戦には別所方についた。
 家老であった官兵衛のみは反対し、ついに秀吉のもとに走って、播州攻略の参謀になった。
官兵衛が豊臣家の大名になったとき、多くの別所の残党を召しかかえている。
 黒田家はのち、筑前福岡五十余万石の領主となり、その男性的な家風は、いまも「黒田節」を通して知られている。「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を、飲みとるほどに」という歌詞は、いわば播州から起ったといっていい。~略
(昭和37年3月)


司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P125

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

 

兵庫県 圓教寺

別所温泉

P273
 この別所温泉を持つ野は、塩田平(しおだだいら)とよばれる。信州らしく文字どおり高燥の地で、降雨量はすくなく、標高は温泉あたりで六五〇メートルだという。
~中略~
 常楽寺は、丘陵の中腹の台上にある。台上までは、石段を登る。のぼりつめると、本坊がある。きれいなわらぶきの屋根をかぶっていた。
 寺域は緑につつまれ、あたり一面に蝉しぐれが降りつづけて、もうそれだけで十分な感じがした。  この寺は、本坊だけである。本坊は坊さんの住まいだから、参詣者は来ない。参詣者はこの寺が持っている観音堂(北向観音)のほうへゆく。観音堂は、本坊からすこし離れている。

P278
 この常楽寺に付属する「北向観音」の観音堂伝説では、この円仁が登場する。
 天長二(八二五)年に、この常楽寺の丘陵の一角で、毎夜、光明が射し、地鳴りをともなった。 朝廷がおどろき、天台座主円仁を派遣した(実際には、円仁が天台座主になるのはそれから二十九年後)。
円仁が現地で修法(すほう)を営むうち、空中から声があって、自分は観音である、わが像を刻み北向きに安置せよ、といった。
円仁はこの像を刻み、いわれるとおりに北向きにし、観音堂にまつった。
 おそらくこの伝説は、観音堂にあつまっていた聖たちが創作したのであろう。
「そういうありがたい観音さまだ」
 と、ひとびとに触れまわったにちがいない。別所温泉の湯元の一つは、古い時代、大師ノ湯とよばれた。この大師は空海・弘法大師ではなく、円仁・慈覚大師であるらしい。~中略~
「善光寺だけお詣りしていてはいけない。北向観音に詣らなければ片詣りになる」
 と、善光寺とワン・セットにして売り出すということを考えたのも、観音堂の聖たちに相違ない。
かれらが湯聖をも兼ね、ひとびとに観音堂の参籠をさせて仏果を得させる一方、湯治(とうじ)をさせて神経痛などを癒させるということにしていたのかと思える。
そうでなければ別所という地名ができるわけがないと思うが、どうであろう。

P281
絵馬に葛飾北斎の真筆らしい馬の図がある。また吉原の三浦屋の店頭をえがいた浮世絵の絵馬もある。~中略~
北斎の絵馬も三浦屋の絵馬も、当人もしくはたれかが北向観音に寄進したもので、これだけの絵馬が寄進されるというおとからみても、北向観音の江戸期における盛大さがほぼ察せられる。
 このおなじ丘陵に、安楽寺もある。
 境内は禅寺らしく清雅で、檜皮(ひわだ)ぶきの本堂がとくに美しい。本堂の横手から裏山への道をのぼると、有名な八角の屋根をもつ塔がある。
 中国には、磚(せん)(れんが)積みや石造の八角の屋根の塔が多いが、鎌倉末か室町初期に中国へ渡った僧がそのイメージを持ちかえって、木造でつくったものだろうが、由来が十分にはわかっていない。
鎌倉・室町期における禅宗の流行は、建物その他僧院の生活様式にいたるまで、モダニズムとして中国風が好まれた。この時代から戦国までの禅と念仏は、こんにちのわれわれの文化の原型を決定したものといえるし、いまなおわれわれのさまざまな意識の底に息づいているように思える。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち (1979年)

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  • メディア: -

長野県 北向観音

中世の日本

P70
 中世の日本の社会は、土地所有の矛盾の激化で幾度も動乱がおこり、幾度もその矛盾を解決しようとする政権ができ、できては土地の現実にあわず、在郷の期待から外れてしまい、無力化した。
 奈良・平安期の律令制というのは、京の公家が土地を公(この場合の公とは公家の公というにちかい)のものとし、人民を公民としたが、本質的には法によって農民を土地にしばりつけ、農奴にしたに等しい。
ぬけみちとして荘園という私有地もあったが、それをもつことは公家や寺院にのみゆるされた特権だった。荘園農民はむろん、律令農民と同様、農奴的であったことにかわりがない。
 平安末期に、各地でさかんに開墾がすすむ。律令制の束縛からにげだす者は「浮浪」といわれたが、かれらはべつに流転していたわけではない。かれらを召しかかえる親方が各地にいて、多くはその傘下に入った。
かれらはその親方のもとではあらたに「郎党」などというかっこうのいい呼称でよばれたりした。かれらの平素のしごとは河川から水をひく灌漑工事に従事することで、親方のために新田を開墾した。その親方たちがやがて「武士」と称せられるようになるのだが、しかし「武士」には土地所有権がなかった。
京の公家や寺院にそれらの土地を献上し、その名義上の所有者になってもらうことによって荘園として公認された。
「武士」は自分が開墾した農場の管理人としてしか存在できず、所有がきわめて不安定であった。その安定を希求して公家と対立し、源頼朝をかついで成立するのが、鎌倉幕府である。親方たちは、頼朝の「御家人」になることによって、その所領の所有権を安定させることができた。
 ところが、その後もなお開墾が進み、あらたな親方が成立してゆくのだが、これらは京都体制(公家の律令制)のなかにも入らず、あらたな体制である鎌倉の御家人帳にも名が載らず、どの権威からも庇護されなかった。鎌倉・室町のことばでいう「悪党」などというのは、この種の新興地主が多く含まれる。
~中略~
 この自作農・新興地主たちは、恃(たの)むべき勢力がないために、はじめは集落(あざ)単位で自衛し、次いで村単位となり、さらに広域化して幾つかの村が連合し、集落からの年寄りを選び出し、その年寄りたちが広域の場にあつまって広域の自治行政をやり、内外のことを決めるようになった。そういう新興の広域連帯村落のことを、惣村というのである。所によっては惣荘ともいう。

P72
 鎌倉幕府が頼朝の死後、急に弱体化するのは、関東を主とした記述の意味での、「開墾農場主」の利益団体でありすぎたということであろう。かれらを鎌倉体制の守護・地頭という栄爵にのぼらせ、全国を支配したが、かれらよりも遅れて山野を開墾し小地主化した連中をすくいあげず、むしろこれを「悪党」として差別し、その利益の保護をしてやろうとはしなかったところにある。
頼朝の死後、北條氏が執権するがやがて右の全国的不満をおさえかねるようになる。
 その潜在的動乱につけ入ったのが、後醍醐天皇(一二八八~一三三九)を中心とする武家以前の古い律令勢力であったというのは、歴史がときに見せる奇妙な力学現象である。~中略~
すでに土地に関する不満が充満していた時代だったために、この事変が起爆剤になって津々浦々が動乱状態になり、新興勢力は宮方(後醍醐方)に結び、旧勢力は鎌倉の命をうけ、以後、室町期の南北朝の対立までつづき、なお安定せず、戦国期に入り、はるかなのち、秀吉の統一と太閤検地でもって、そういう形での落着をとげるのである。

 

P112
「安堵」
という。中世の日本人にとってもっとも重要な法律用語のひとつであった。京都の天皇と公家たちをもって「公」とし、公の名で日本国の土地と人民を独占したのは奈良・平安朝の律令体制で、最初から無理があった。この体制の前提は社会は発展せぬものとし、農業生産は増大せぬものとし、人間は機械的に労働しその結果を収奪されても物のように無感情であるとして成立しているもので、当然ながら大崩れに崩れるときがくる。
自家の開墾田についての所有権を認めるという運動が、平安後期の武士の勃興というかたちでおこり、京都とは縁を断ちきって武力でもって土地所有を守り、その所有権をそのいちいちを確認してやるという勢力として鎌倉幕府が成立した。室町幕府が、同様の機能をひきついでゆく。その所有の変質のなかで、
「安堵」
 という概念と内容が成立する。
~中略~
「壬申ノ乱、保元ノ乱、南北朝ノ乱、大坂ノ陣といったように幾度か中央の争いに兵を出してきたが、一度も恩賞をもらったことがないし、さらには恩賞をめあてに出兵をしたということも一度もない」
 というのが、この郷(住人注;十津川郷)の誇りになっている。
 そのことは鎌倉幕府成立前後の武士の意識に酷似している。かれらは後世の技能的な武士のように恩賞をめあてに働くのではなく、法的に根拠あいまいな自領の所有権を安堵してもらうために働くのである。

街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)

街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/10/07
  • メディア: 文庫

 

京都歯 仁和寺

異様(ことよう)の者

 吉田兼好の「徒然草」に謎の段があります。
「因幡に国に、何の入道とかやいふ者の娘 容(かたち)美しと聞きて、人数多(あまた)言ひわたりけれども、この娘、唯栗をのみ食ひて、更に米の類を食はざりければ、斯(かか)る異様の者、人に見ゆべきにあらずとて、親、許さざりけり」
(第四〇段・全文)

~中略~
「個性を尊重しましょう」という考え方がでてきた現代でも、集団の平均から外れた性質や能力、違いを持っていると仲間外れにされたり、白い目で見られたり、場合によっては村八分のような目にあわされたりすることがあります。
~中略~
 日本では、他の人と違っている、「変わっている」ということは、それ自体がネガティブな意味を持つ傾向があり、そう見なされることに対して極度の警戒心を持っている場合が多いようです。

「栗が好きなくらいで、結婚を禁止してしまう」というナントカ入道の行きすぎとも感じられる行動が、日本人のこの傾向を象徴的に表している。
吉田兼好はこのことについて慨嘆してみたのではないかと思ったわけです。

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
宮川 剛 (著)
NHK出版 (2011/2/8)
P228

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

  • 作者: 宮川 剛
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: Kindle版

真乗院に盛親(じょうしん)僧都とてやんごとなき智者ありけり。
芋頭というものを好みて多く食ひけり。
  「徒然草」第六十段

~中略~
 兼好は、盛親を「世を軽く思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大方人に従ふといふことなし」と書いている。朝廷や大貴族の家などの法会の席に出て、料理を食する段になると、全員の席に料理が行き渡るのを待たずに一人で食べ始め、食べ終わって帰りたければ一人でつっと立って帰ったという。
~中略~
 しかし盛親は、「世の常ならぬさまなれども、人に厭はれず、よろず許されけり」。なぜか。 彼は「見目よく、力強く、大食にて、能書、学匠、弁舌人に勝れて」、仁和寺の寺内でも中心的な存在であった。抜群の能力を持つ「やんごとなき智者」だったのである。
 そして、わがままではあっても、欲張りではない。この人の好物は、「芋頭」である。~中略~
 「よろづ自由」はほめ言葉ではない。しかし既存の価値観に囚われない精神は、いつの時代にも魅力的であろう。
鉄野 昌弘

からだ (人生をひもとく 日本の古典 第一巻)
久保田 淳 (著),佐伯 真一 (著), 鈴木 健一 (著),高田 祐彦 (著),鉄野 昌弘 (著),山中 玲子 (著)
岩波書店 (2013/6/19)
P80

からだ (人生をひもとく 日本の古典 第一巻)

からだ (人生をひもとく 日本の古典 第一巻)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/06/19
  • メディア: 単行本

 

京都市

抗がん剤治療

P38
小野寺(住人注;小野寺時夫) 前略~ (住人注;抗がん剤治療を)受けたことを後悔している人はたくさんいますが、「受ければよかった」と後悔している人はひとりもいない。
~中略~
小野寺 私は、若いころは抗がん剤療法をやったんですけど、延命効果のある人がたまにいることを経験したんです。 それは化学療法の効果だったと信じています。でも、いることはいるけれども、まことにすくない。30人にひとりぐらいの割合ですから、全体の統計には有効と出てこないはずなんです。しかも、ある程度以上にがんが進行すると、明らかに延命効果はないですからね。 やはり抗がん剤には、非常に抵抗感があります。
~中略~
近藤(住人注;近藤誠) 日々の診療に加えて、データを山ほど読みこんでいくと、はっきり見えてくるものがあります。 抗がん剤で生存率が向上するのは急性白血病、悪性リンパ腫、小児がん、睾丸腫瘍など、がんの中でわずか1割程度です。
~中略~
小野寺 前略~
 抗がん剤を使っても、がんが治るわけではないこと、延命するといってもせいぜい数か月が多いということ、延命効果のある率は非常に低いこと、副作用で大変苦しむこと・・・医者は正直に患者に話して、患者に判断をゆだねるべきです。
それから、抗がん剤は、効く場合は劇的に効くんです。だから、効かなかったらすぐやめる。早期の判断が肝心です。
近藤 でも、効かなかったらすぐやめることにすると、抗がん剤を使う患者はほとんどいなくなって、医者は「おまんまの食い上げ」になるから、そういうことはやらないでしょう(笑)。

P73
 イレッサはQOL(Quality of Life、生活の質)も上げるし生存期間も 延ばしますので、「がんとうまく長くつきあう」という目標にかなったお薬で、現在、標準治療として、多くの患者さんに使われています。約2%の方が副作用の間質性肺炎で命を落としてしまうという事実は、承認された当初も今も同じですが、効果の得られる人のは、1年以上の延命効果があります。

取材・文/北健一(ジャーナリスト) 

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)

 

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本
 
 
 
兵庫県 浄土寺

2025年8月29日金曜日

ケジメなさい

P185
 近代になると儀式が形骸化し、ハレの日と日常の区別がつかなくなりました。初詣をする人の服装を見れば五〇年前との違いがよくわかります。それだけわれわれは生活のケジメをつけなくなっているのです。
日常生活と晴れの日のケジメのなさは、心と物質、現実と非現実の境界もあいまいにしています。

P186
 心の問題で、いちばんたいへんな境界例といわれる人たちは、自他の境界があいまいで、本来ならば母子一体感の時期に獲得しておくべき、基本的安定感(人間信頼の基礎)が確立しておらず、人間不信が底にありながら、誰かれに対しても、母子一体感的な甘えを求めます。

これらの人びとの特徴は、極度のわがままと相手も立場からものごとを見る視座に欠けていることです。ケジメと社会常識の作法に欠けるのです。 

プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

  • 作者: 東山紘久
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: Kindle版

 

島根県 出雲大社

辛いことを辛抱したから褒められる

 辛抱強くする教育なら、子供の頃から嫌いなことを多くさせた方がよい。
だから、学校は面白くてはいけない。学校は辛いことを辛抱した末に褒められる。
 授業では不得手なことを長時間する苦痛に耐える習慣をつける。これが日本の教育の重要なポイントである。
「あるべき明日」

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る
堺屋 太一 (著)
PHP研究所 (2004/12/7)
P234

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る

  • 作者: 堺屋 太一
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2004/12/07
  • メディア: 単行本

 

63番吉祥寺 愛媛県

日本人の動物化

 言葉と論理があるか、本能以外の自己抑制力を持つかが、人間と動物とを区別する基準であろう。
戦前派が後者の意味での人間であり、戦後派が前者の意味での人間であったなら、人間としての親子関係はなんとか成立の余地がある。
しかし、戦後派は欠損状態以外のなにものでもない。そこに人間関係は成立しないだろう。
親不孝などというものではなく、人間としての親子関係は死滅するとわたしが予測する所以である。

会田 雄次 (著)
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (講談社現代新書 293)
講談社 (1972/01)
P173

 

日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (1972年) (講談社現代新書)

日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (1972年) (講談社現代新書)

  • 作者: 会田 雄次
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1972
  • メディア: 新書


現代日本の「不幸」

つまり、わたしには、現代日本の「不幸」はデモクラシーが成立していないからなのではなく、むしろ、そのデモクラシーがあまりに規律をもたず、いわば無責任な言論の横溢をもたらしているところにある、と思われるのだ。
~中略~
 だから民意を「世論」という名で定立したり操作したりするマス・メディアこそがデモクラシーのカギを握ることになる。現代社会ではマス・メディアこそがデモクラシーの死活を握っていることになる。
そして、私の判断では、まさにこのマス・メディア、ジャーナリズムといった広い意味での言論知識層における言論の乱れ、時には無責任、あるいは確信の喪失こそが、現代日本の漂流の重要な原因ではないか、と考えたいのである。
この言い方は少々強いとすれば、マス・メディア、ジャーナリズムを含む知識人の言説こそが、漂流する現代日本の思考様式の象徴だと言ってもよい。

現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか
佐伯 啓思 (著)
日本放送出版協会 (1997/01)
P9

現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

  • 作者: 佐伯 啓思
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1997/01/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

日本の高校生

 日本青少年研究所は2011年に日本・アメリカ・中国・韓国の高校生を対象にして「高校生の生活意識と留学に関する調査を施行し、その結果を公表している(http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/index.html)。
それによれば極めて興味深い日本の高校生像が浮かび上がってくる。
 まず、ポジティブな項目全般で日本の高校生の肯定率が低いようだ。特に、「自分を価値ある人間と思う自尊感については、米中韓の半分以下である。逆に、ネガティブな性格項目について、日本の高校生は「自分はダメな人間だ」「自分の将来に不安を感じている」そして「人並みの生活ができれば十分だ」といった項目での比率が、他の3国に比べて際立って高い。
 また、1980年、2000年のデータに比べて、「現状を変えようとするより、そのまま受け入れ方が楽に暮らせる」「自分はダメな人間だ」という肯定率も高くなっている。
~中略~
 日本人高校生の自己像(self-esteem)は著しく低いことがわかる。そして、その結果として、将来への目標に関しても、日本の高校生の将来への展望が弱いようである。将来、「高い地位に就く」「社会に役立つ」「お金持ちになる」に関しては、非常に低い値であった。
 さらに日本の高校生は留学への関心が4ヵ国中最も低いこともわかった。

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
P70

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

  • 作者: 保坂 隆
  • 出版社/メーカー: 大法輪閣
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 単行本

2025年8月28日木曜日

道徳というもの

P86
道徳について、私がいつも気になることは、どうも道徳ということを、一般的には、何か我々の生活上の特殊な問題のように考える癖がついている。
特殊なこと、不自然なこと、無理なこと、強制しなければできないことのような、そういう先入観念があります。これを先生たる者、教育者たる者は、まず直さなければならないと思う。
 人間が禽獣的・動物的段階からだんだん発達してくるにつれて、善であること、美であること、真実であること、神聖ということ、つまり価値観というものができてきました。
そして現実の上に理想が考えられるようになってきて、だんだん動物と違うようになってきた。
そこに自然に生じてきたものが道徳というものであって、道徳とは、一般概念と違って、最も自然なものなのです。
道徳とは特殊なもの、不自然なもの、何か作為的なもの、強制的なものだと考えることが根本的な間違いで、逆に、道徳というものが一番自然なもの、最も真実なものであるということは、はっきりわきまえなければいけない。また、わきまえさせなければいけない。これをなくしたら、元の禽獣にはね返ってしまう。
 早い話が飲食をするということ、飲んだり食ったりするということが、これからして実は道徳なのです。人間ともなれば、犬や猫のようにはできぬ。飲食の仕方が違ってくる。

P88
 西洋でも物のわかった学者は、宗教と道徳とを区別したのは、人間のとんでもない間違いだと言っておるが、その通りで、広い意味において、人たることは道徳なのだ。すべて、人間はいかに生くべきかということなのであって、これを間違えたら人間は破壊してしまう。

P90
 つまり道徳というものは、小なり大なり人間のあり方、人間の行動をいかに自然にするか、いかに真にするか、美にするか、人と人との間をいかに良くするかです。これが道徳です。

安岡正篤
   運命を開く―人間学講話
  プレジデント社 (1986/11)
  

人間学講話第2集 運命を開く (安岡正篤人間学講話)

人間学講話第2集 運命を開く (安岡正篤人間学講話)

  • 作者: 安岡 正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1986/12/02
  • メディア: 単行本


道徳と法律とは、社会の秩序を保つためにどちらも欠くことのできないものであるが、同じ内容の責任にしても、強制的にこれを守らせるのが法律であるのに対して、道徳上の責任となると、自分でそれを自覚し、自らすすんでそれを実行してゆくところにねうちがある。
しかも、法律上の責任も、国家から強制されるまでもなく、国民がすすんで行うようになることが必要であり、道徳上の責任も、どうしてもそれを守らない者があれば、法律的な強制に訴えるほかはなくなる。
だから、法律も道徳によって基礎づけられなければじゅうぶんに行なわれないし、道徳も法律が伴わないと力が弱い。
 たとえば、電車の運転手は、いつも信号に注意し、責任を持って運転に従事しなければならない。友だちとの話に気を取られて事故を起こしたり、不注意で人をひいたりすると、法律によって罰せられる。
しかし、多くの運転手は、法律上の処罰を恐れてではなく、たくさんの人命をあずから責任の重大さを感じて、自らすすんで注意に注意を重ね、いやしくもあやまちが起らないように気をつけて電車を運転しているだろう。それらの運転手は、法律上の責任を道徳的に守っているのである。
また、たとえば、人から借りたものを返すのは、道徳上の義務である。友だちから本を借りたならば、忘れずに返そうと思うであろう。困ったときに金を用だててもらったならば、さいそくされないでもつごうのつき次第に返済するだろう。
けれども、中には、言を左右にして借財を踏み倒す者もある。そういう場合には、法律によって弁済を強制する必要が起る。すなわち、道徳上の義務を法律的に強く行わしめることが必要になってくる。
 このように、道徳と法律とは、車の両輪のように密接に結びついて、秩序正しい人間の共同生活を維持しているのである。しかし、日常の社会生活では、法律に訴えるまでもなく、道徳の力によって正しい秩序が保たれているに越したことはない。
 ところで、日本では、昔から人間の間の「縦の道徳」がひじょうに重んぜられてきた。下は上を敬い。上は下をいつくしむ、というようなことが、縦の道徳である。
特に、君に対する忠と、親に対する孝とが、国民道徳の根本であるとされてきた。
これに対して国民相互の対等の関係を規律する「横の道徳」は、その割にいっこう発達していなかった。「旅の恥はかき捨て」などと言って、だれも知っている人のいない所へ行けば、不道徳な行いをしても平気だというような態度があった。「免れて恥なし」と言って、法律で罰せられられる心配がなければ、どんな悪いことでもやってのけると言った連中もあった。
そのために、日本人は、ややもすれば、見ず知らず人にぶあいそで、非社交的で、公衆道徳を守らないという不評判をとるきらいがあった。
 このように、縦の道徳だけが重んぜられて横の道徳が軽んぜられたというのは、日本の社会にまだ封建的な要素が残存していることの一つの証拠である。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P184

民主主義 (角川ソフィア文庫)

民主主義 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 文部省
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/10/24
  • メディア: 文庫

上高地 長野県

”快”を増やせ、”不快”を減らせ

P121
「心の状態を見る」というブッダの考え方にてらせば、幸か不幸かは、”快”か”不快”かという心の状態で定義することになります。

P123
 生き物が”快”を感じるのは、欲求が満たされたときです。だから、欲求を素直に、否定することなく、満たしてあげることが、幸せへの近道ということになります。
 たとえば、食べたいものをおいしく食べる、快適な睡眠をとる、家族と楽しく過ごす、趣味や娯楽など五官の快楽を大切にする「おいしい」「楽しい」「心地よい」という反応を、積極的に行なう、と考えることになります。
 こう言うと、「仏教は禁欲を奨励する厳しいものと思っていました」と言う人がいます。
 たしかに、「心を清浄にする修行」をつきつめて、究極の安らぎ―心の反応が滅した”涅槃”と呼ばれる境地―にたどり着こうとすれば、快も不快も含めて、一切の反応をしてはいけません。仏教には、そういう厳しい世界がたしかにあります。
 しかし、そういう境地を目指すというのは、一つの方向性ではあっても、すべての人に共通する目標とはいえませんよね。みんなをそこに向かわせようという発想は、「宗教」です。しかし私たちに共通するのは、一人ひとりが苦しみを抜けて、それぞれの幸福にたどり着くという目標です。その方向にてらして考えれば十分です。
そもそもブッダの教えというのは、そういう開かれた目的を掲げていたものです。

P126
 心の反応は、「心がけ」次第で、強くもなり、弱くもなります。もしあなたが毎日の「快」を大切にして、楽しい時は「楽しい!」心地よい時は{心地よい!」と、素直に感じ取るように努めていると、「快」は、もっとはっきりと、鮮明に感じ取れるようになります。
 幸福も、心がけ次第で増やすことができるのです。

 

P149
「改善」とは、仏教的にいえば「快を感じられる工夫をする」ことです。
仕事の進め方、小道具、BGM、環境、カラーリング(配色)、パソコンのソフトや携帯のアプリ、人付き合いなど、なんでも、「快を感じられるように」改良していくのです。
 すでにお伝えした通り、心は快か不快かの二者択一の反応をしています。”不快”を感じた心は、その場から逃避しようとします(それが「ストレス」です)。
 他方”快”を感じれば、心はその対象に執着します(それが「やる気」です)。その心の性質を活かすなら、”快”を感じられるように環境を改善していけばいいのです。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

  • 作者: 草薙龍瞬
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: 単行本

戸ノ上山 北九州市

柔軟性が必要

 免疫も、あるときは異物に対して容赦ない排除を、またある時は寛容と共存を選んで、個体を生物生態系に適応させていることがわかります。最近の民族紛争などをみると、免疫系に比べてなんとおろかな一本調子の反応しかできないのかと、なさけなく思います。

多田 富雄 (著), 南 伸坊 (著)
免疫学個人授業
新潮社 (1997/11)
P124

免疫学個人授業 (新潮文庫)

免疫学個人授業 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/12/26
  • メディア: 文庫

P134
人間のからだは実に精妙にできていますが、
たとえ複雑な脳や免疫の働きでさえも、分子と遺伝子の作用で説明できる高級な分子機械なのです。
しかし、それが通常の物理的機械や工学システムを「超」えていることも確かです。
~中略~
からだはエラーを犯し、危険をはらみながらも複雑な情報処理と調整を行い、生命の全体性を保っています。
私はそれを「超システム」と呼びました。そのひとつの原理は、ここに現れたあいまい性(アンビギュイテイ)です。
あいまいであるからこそ、しなやかで強靭な生命活動ができるのです。

m

「惣而(そうじて)太刀にても、手にても、いつく(居着く)という事をきらふ。
いつくはし(死)ぬる手也」
「一、太刀の持やうの事」

谷沢 永一 (著)
宮本武蔵 五輪書の読み方
幻冬舎 (2002/10)
P133

宮本武蔵 五輪書の読み方

宮本武蔵 五輪書の読み方

  • 作者: 谷沢 永一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: 単行本

 

 西郷と陸奥(住人注;陸奥宗光)を比べれば、陸奥は小人だとか、人徳がないという評価も当てはまるでしょう。
ただ、「実際問題として、どちらがお国のためになったのか」という問いに対しては、陸奥といっても十分理屈は通ります。これが徂徠の学が経世済民の学たるゆえんです。

 私は、西郷たちが西欧の合理主義とどうしても相容れなかったいちばんの罪は陽明学にあると思っています。
陽明学は、儒学の行き着いた極致であり、あまりにもうまくでき過ぎています。
 個人の人格を完成する努力が社会全体の幸福にまでつながるということを理路整然と説明されれば、それを実践する人には何の迷いも生じません。

物質的な貧乏(後進性)も何の苦にもならず、大衆の毀誉褒貶もいっこうに構わないわけです。
全部に失敗しても、天の道を踏んでいるのですから、志は天に通じていると思っているのですから、そんな理論に凝り固まって、しかも忠実に実践している「立派な人」に、それ以外の考え方を説得しようとしても無理でしょう。

岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P153

教養のすすめ

教養のすすめ

  • 作者: 岡崎 久彦
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: 単行本

一時期、カナダやオーストラリアのような移民から成り立つ国では、文化多元主義ということが理想のようにいわれ、複数価値を許容することによって共存共栄がはかられました。
ところが、文化なるものはおおむね宗教に起源します。それで、文化多元主義から一歩進めて宗教多元主義は可能か、というと、神仏が共存する日本のような形態は一神教の地域では無理のようです。信仰が熱烈であればあるほど他宗教を排除するからです。
祟りをおそれる神道では善き人も悪しき人も神として祀るから、それで慰霊はでき平安も回復されるように私たちは感じますが、一神教では敵を祀ることを許さない。
 仏教が伝来したとき神道との対立が破壊的な抗争に及ぶことを危惧した聖徳太子は、十七条憲法の第一条で「和を以て貴しとなす」と宣言しました。
政治や唇紅の原理を説くよりも、複数価値の容認と共存という寛容の精神を優先されました。
太子は今の言葉でいえばファンダメンタリスムと呼ばれる自己の信ずる原理の絶対的正しさを前提とすることの危険性を察知していたのでしょうか。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P44

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書

「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」
 アインシュタイン

脳と言葉を上手に使う NLPの教科書
前田 忠志 (著)
実務教育出版 (2012/3/23)
P165

脳と言葉を上手に使う NLPの教科書

脳と言葉を上手に使う NLPの教科書

  • 作者: 前田 忠志
  • 出版社/メーカー: 実務教育出版
  • 発売日: 2012/03/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

大分県 道の駅くにみ

共感をつくる土壌

  「共感」は人の考えや行いを変えようとする試みではない。人それぞれいろいろな脳回路があるわけですが、それがどうであれ、ただ共感してくれればよいわけです。そして「共感」に基づく行いは、常に自発的なものです。

小阪裕司 (著)
リーダーが忘れてはならない3つの人間心理
フォレスト出版 (2010/3/10)
P148

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)

  • 作者: 小阪裕司
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: 新書


  自分を賞賛してくれるのは、自分と似たりよったりの人々だ。自分もまた、自分と似たりよったりの人を賞賛するものだ。
 自分と同類の人間でないとうまく理解できないし、よしあしもよくわからない。
「悦ばしき知識」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
083

 

超訳 ニーチェの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

超訳 ニーチェの言葉 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/01/12
  • メディア: 単行本




 研究結果によれば、人の説得にはある単純な事実が効果を発揮するという。
「似ていること」だ。
~中略~
 服装の好み、話し方、経歴、年齢、宗教、支持政党、酒や煙草の習慣、食べ物の好み、意見、性格、しぐさ・・・・
共通しているのがどんな点であれ、私たちは自分と似ている相手を好きになり、ほかの人より説得しやすいと感じる。

その科学が成功を決める
リチャード ワイズマン (著), Richard Wiseman (原著), 木村 博江 (翻訳)
文藝春秋 (2012/9/4)
P71

 

 

その科学が成功を決める (文春文庫)

その科学が成功を決める (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/04
  • メディア: 文庫


宮崎県 南郷

究極のマイナス思考はプラス思考

マイナスの勇気、失うことの勇気、あるいは捨てることの勇気。
現実を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考がでてくるのです。

五木 寛之 (著)
他力
幻冬舎 (2005/09)
P94

他力 (幻冬舎文庫)

他力 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 五木 寛之
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2005/09/01
  • メディア: 文庫


 最近読み返したばかりの「コヘレトの言葉」の中の一節が浮かんできます。
「なんという空しさ、すべては空しい。・・・・私は太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれも空しく、風を追うようなものである」(コヘレト一・二、一四)。
 「コヘレトの言葉」のような文書が聖書の中に入っているのは、一見、不思議にも思われます。これは、古来、シニカルな懐疑主義者やペシミストに愛されてきたものです。
~中略~

 しかし、この文書は、「懐疑の書」でもなければ、諦観的ニヒリズムの告白でもありません。
この短い文書には、暗いトンネルをくぐり抜けるときに点在する信号灯のように、三十数回も「神」という名前がでてきます。
コヘレトは、地上的な人間がさまざまの形で―富や地位や権力を求めて―苦しみ喘ぐ営みを冷徹に見通し、厳しい言葉を発しています。
それは、<空しい>日常性から、いっそう<高次の次元>へと人間が目を開くことを促しているのです。

 大震災のただ中で、改めて関東大震災の折に内村鑑三が、「聖書之研究」誌に書きつづった文章を取り出して読み直してみました。
「大地と共に地上の万物は震い動く、しかし、震いつつあるこの地に住みながら、震われざる国の民であることができる」と語っています。
その訴えに私は旧約預言者の言葉のような力強さを覚えさせられました。彼は、大震災に「末日の模型」を見ながら、なお、それを通して「より善き、より潔き日本が現れんとしている」と励ましと希望とを伝えています。

 日常性を超えるいっそう<高次の次元>というのは、宗教的に言えば神への<祈り>であり、終末論的希望にたいする根源的信頼の表明です。
この信頼と希望に支えられるがゆえに、なおこの地上に踏みとどまり、新しい将来を形成するために働く勇気をもちうるのです。
~中略~

電力消費の問題一つとってみても、いわゆる豊かさを追い求めるのではなく、たとえ貧しくなろうとも、日常生活の不便さを忍んでも、人間らしく生きるとはどういうことか、真に生きることの意味を、いまこそ深く問いつづけなければなりません。そのことなくしては、<いま人間であること>そのものが成り立たなくなっているのです。

いま人間であること──大地震の災禍の中で考える
  宮田光雄 (東北大学名誉教授)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P51

 

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


兵庫県 浄土寺

2025年8月27日水曜日

医療サービス


  医療サービスというのは、たいへんむずかしいことです。たんに、頭をぺこぺこさげたり、言葉つかいをていねいにすればいい、というものではありません。
そのサービスには、底の深い、医学や心理学、さらに社会学的な裏付けが必要です。患者さんが何を求めているか、どこに問題があるかを、的確に引き出すことがだいじなのです。
 私も、看護の教育を担当したことがありますが、看護とは何か、というとき、いちばん大切なのは、患者さんのニーズ(求めているもの)を正しく知ること、それに誠実に応えていくこと、これに尽きると思います。
患者さんがいま、何をして欲しいと思っているか、何を求めているか、それを正しく知ることだと思うのです。 

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P19



患者本位の病院改革 (朝日文庫)

患者本位の病院改革 (朝日文庫)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: 文庫


少し前の話になるが、奈良県で、38歳の妊婦が救急車で運ばれた。しかし、受け入れる病院がなかなか見つからず「死産」となった事件で、マスコミはこぞって「たらい回し」「態勢の不備」と批判したことは記憶に新しい。
~中略~
  ※医療関係の事件や事故を扱う際に、メディアはつい「メディア対病院・医師」という対立構造で報じることが多かった。医療や病院の隠ぺい傾向を暴いていく国民の味方のようなスタンスをとっていたのだが、正しい中立的な医療記事かというと、そうでないことも多い。~中略~
 しかし、その後、病院での産科医療の問題点が指摘され、さらには妊婦側にもそれまで受診歴がないこともわかり、メディアの病院への非難記事は静まっていった。 ~中略~
 やや話は逸れるが、病院勤務医らの健康を考えることはこれまで話題になることが少なかった。
しかし、日本医師会は2008年から「勤務医の健康支援に関するプロジェクト委員会(委員長:保坂 隆)」を発足させ、勤務医の健康調査から対策に至るまで活動中である。
それによれば、病院勤務医の12人に1人は抑うつ状態にあり、医師の抑うつは勤務時間に相関し、睡眠時間に負の相関があることがわかった。

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
P26

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う

  • 作者: 保坂 隆
  • 出版社/メーカー: 大法輪閣
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 単行本

 

徳島県 剣山

新しいニーズは店の中でなく外にある

P47
  とかく、われわれは売り手側の発想で、どれが一番多く売れたかに関心がいきがちで、多く売れた商品をまた揃えようとします。それは、昨日までの売れ筋商品であり、”昨日の顧客”に対する商売の仕方です。
 今は変化が非常に激しい時代です。”昨日の顧客”と”明日の顧客”は同じではない。

~中略~
顧客はほしい商品がなければ、その日は仕方なく、すでに飽きていてもほかの商品を買うという消極的選択をするかもしれません。
しかし、それが続くと二度とその店には足を向けなくなるでしょう。
鈴木 敏文

P209
今来ている顧客だけを相手にしたら、よくて現状維持、たいていは飽きられて縮小均衡になるでしょう。
 大切なのは、これまでコンビニに来ていただけなかった顧客にも、新たにコンビニで商品を買っていただく機会を提供することです。
鈴木 敏文

勝見 明 (著), 鈴木 敏文, 野中 郁次郎
セブン‐イレブンの「16歳からの経営学」―鈴木敏文が教える「ほんとう」の仕事
宝島社 (2005/10)

セブン‐イレブンの「16歳からの経営学」―鈴木敏文が教える「ほんとう」の仕事

セブン‐イレブンの「16歳からの経営学」―鈴木敏文が教える「ほんとう」の仕事

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2021/03/25
  • メディア: 単行本

 

顧客だけを見ていたデパートの失敗

デパートは新しく登場した消費者層、とくに豊かな新しい世代が顧客になっていないことに関心をもたなかった。
80年代も終り近く、そのノンカスタマが買い物傾向を左右する層となった。自らの顧客だけを見ていたデパートは、この変化に気づかなかった。
こうしてデパートは、ますます数の少なくなる顧客についてのみ、ますます多くの情報を手にするようになった。
「ネクスト・ソサエティ」

P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
経営の哲学 (ドラッカー名言集)
ダイヤモンド社 (2003/8/1)
P70

 

経営の哲学 (ドラッカー名言集)

経営の哲学 (ドラッカー名言集)

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2003/08/01
  • メディア: 単行本

 

 

 

 最大のシェアを誇るものにとってさえ、ノンカスタマーの数は顧客よりも多い。今日市場シェアが三〇%を超えるものはまれである。

逆に言えば、ノンカスタマーが七〇%を越えないものはまれである。ところが、そのノンカスタマーについての情報を持つ者が同じくまれである。

ノンカスタマーについての情報どころか、ノンカスタマーの存在さえ知らない。自分たちにとってのノンカスタマーが、なぜノンカスタマーのままでいるのかを知る者はさらに少ない。


しかるに、変化は常にノンカスタマーから起こる。

 それは第二に、もはや自らの製品やサービスを中心においてはならないことを意味する。

自らの供給する財やサービスの市場、あるいは使い道さえ中心においてはならない。中心とすべきは、顧客にとっての価値である。


マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)

ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)


P292

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2001/12/14
  • メディア: 単行本
徳島県 剣山