2026年5月11日月曜日

勝鬘経

P75
 「勝鬘経(しょうまんぎょう)」の重要な点は、女人の説法であるということです。在家仏教、家にある人々が仏教を実践するという、そういう仏教の動きの理想は「維摩経」のところで述べましたが、それより後代にあらわれた「勝鬘経」のなかにもはっきり出ています。
 この経典は、釈尊の面前において国王の妃である勝鬘夫人(ぶにん)が、いろいろの問題について大乗の教えを説き、それにたいして釈尊はしばしば賞賛のことばをはさみながら、その説法をそうだ、そうだと言って是認するという筋書きになっています。
当時の世俗の女人の理想的な姿が「勝鬘経」のなかに示されています。
 「勝鬘経」の原名は「シリーマーラー・デーヴィー・シンハナーダ・スートラ」(略(住人注;表記できません))というのですが、「シリーマーラー」というのは、めでたい花輪という意味です。それを漢字で勝鬘と訳しました。すぐれた花飾りということです。「デーヴィー」というのは王さまのお妃のことですが、それが師子吼(獅子吼とも書く)をした経典ということです。
つまり、勝鬘という王妃が獅子のほえるように偉大な教えを説いた経典ということです。大乗仏教の精神を華麗な芸術的・哲学的表現をもって鼓吹したものです。

P78
 この経典は二重の意味において注目されるべきでしょう。
 第一には、説法している主体が在家の人で、出家修行者ではないことです。ふつうは、出家者が在家の人々、信者にたいして教えを説くというのが通例です。~中略~
 それから第二には、在家の人のうちでも、女人が教えを説いています。古い時代のインドでは女性が哲学的な思索を述べ、議論に加わることは珍しいことではなかったようですが、他の国々では女性が公開の席へ出ることは一般にはまれでしたでしょうし、しかも堂々と国王のお妃が難しい教えを述べるということがあったかどうか、それはわかりませんけれども、ここでは国王の妃が難しい哲学説を述べるということが当然のこととして受け取られています。
 そして人びとを救おうという偉大な誓願を立てているのですから、当時北インドの上流夫人のあいだには、このような理想をめざす動きがおこっていたのでしょう。
 この経典が作成される以前にも、女人をテーマにした、あるいはそれに関連して説かれた経典というものはいろいろあります。たとえば、「感無量寿経」のようなものです。しかし、女人がみずから姿を現して、自分から積極的に教えを説くという点では、「勝鬘経」は例外的です。
この点で「勝鬘経」はまったく独自の経典であるということがいえます。
~中略~
「勝鬘経」は、日本の仏教にとってひじょうに重要な意義をもっています。それは、日本に仏教がとりいれられた初期のころに、聖徳太子がこの経典を選び出して講義をし、また注解書を書いたからです。
その注解書は、めんどうな注解ではなくてむしろ趣旨を明らかにしたものですが、その書物を「勝鬘経義疏」といいます。しかしこれは、先に述べたように日本最古の書と思われる「三教義疏」のうちでも、いちばん早く書かれたものです。
 一つには、当時の天皇は推古天皇で女帝でしたから、そのためにますますこの経典が重要視されたのではないかとも考えられるのですが、とにかくそこには太子独特の解釈が示されており、「勝鬘経」は後代の日本の仏教の特徴を規定するにいたった一つの重要な経典であって、今日までの仏教の背骨を提供してくれたといえるでしょう。

 

P94
 ここに注目すべきこととして、勝鬘夫人という女人が未来に仏になるのであって、「男子に生まれ変わって、のちに仏になる」ということは説かれていません。「変成男子(へんじょうなんし)」ということは説かれていないのです。「変成男子」ということは、しょせん仏教の一部の思想であったということがわかります。

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典)
中村 元
(著)
東京書籍 (2003/06)

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典) (現代語訳大乗仏典 3)

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典) (現代語訳大乗仏典 3)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2003/06/01
  • メディア: 単行本

 

京都府 神護寺

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