2025年8月1日金曜日

中国の禅とは違う

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五木 前略~ そういう意味では道元の禅は、僕が見てきた中国の禅とはちょっと違うような気がする。
立松 全然違いますよ。僕は中国の天童寺でも座禅をさせてもらったんです。そうしたら、緩やかでね。
五木 何宗禅を見てたら、団扇を片手に座っていて、すこぶるカジュアルな座禅だった。
立松 肩をこうやって上げ下げしたり、本当に緩やかなんです。ある意味で楽ですよ。ところが道元禅、永平寺の座禅は、ビシッと、姿勢が一回決まったら、ずっと動いちゃいけないんです。そこまではなくても、日本の禅堂はどこも厳しいですよね。
~中略~
五木 たとえば永平寺に行って食事をするでしょう。「五観の偈」という食事訓を最初に唱えますね。そして食事の間、音をたてちゃいけないという。それで僕がタクアンをパリッと嚙んだら、キッとにらまれたことがありましたけれど(笑)。
中国の韶関(しょうかん)というところへ行って、南宗禅の根拠地として知られた南華寺で食事もしたし、座禅も一緒にしたんです。でもあちらの人たちは、食堂でもってボリボリ音たてて食べてますよね。
立松 ピチャピチャ食べてますよ。
五木 「五観の偈は?」って聞いたら、「いや、心の中で唱えているからいいんだ」と澄ました顔でいう(笑う)
~中略~
立松 前略~ 
 たぶん道元の時代は、本当に貧しかったんだと思います。
「正法眼蔵」の中にも中国の僧堂の話として書いているんですが、弟子が師に「お米がありません」って言うんです。「正法眼蔵」になるとおりに言いますと、「粥を炊きなさい」
「粥にも足りません」「じゃあ重湯にしなさい」「重湯にもなりません」「湯を飲んで、座禅していればいいではないか」と、そういう世界なんです。
五木 道元の語録の中には、学ぶものは、学ぶ者は貧しくあれ、「学道の人衣糧(えりょう)を煩うこと莫(なか)れ」(「隋問記」一-一六)と、もう徹底的にそう言っていますよね。そういう面もありますが、それでもやはり、中国の禅の緩やかさというか、のんびりした雰囲気は、やっぱり日本とは違いますね。

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五木 黄檗宗は、日本の中で唯一、中国色を色濃く残している宗派なんですね。
それで、食前に「いやー、永平寺でも大変叱られたんですけど、何かおたくのほうの食事の作法はありますか」とうかがったら、一笑して「和気藹々と(あいあい)とやってください」と言ってくれた。
食べている間は笑顔を絶やさずに、和気藹々とやってくださいと言われたので、同じ禅でもこんなに違うかと思いました。

立松 永平寺は三黙道場といって、僧堂とトイレとお風呂では黙っていなくちゃいけない。食べるときも決められた作法どおりに食べるんですけれど、慣れない人間にはつらいですね。 

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)

親鸞と道元 (祥伝社新書)

親鸞と道元 (祥伝社新書)

  • 作者: 五木寛之 立松和平
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 新書

 

京都府 万福寺

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