2008年10月6日月曜日

診療ガイドラインとプロフェッショナルオートノミー

http://www.hirano-med.or.jp/Academy/Report_6.htm
より




第Ⅱ章 診療ガイドラインとプロフェッショナルオートノミー

1.一般臨床医からみた診療ガイドライン

 EBMを従来から重視してきた欧米諸国では、各種疾患に対するガイドラインが数多く作製され、わが国の医師の中にはそれらのガイドラインを参照しているものが少なくない.一方、わが国でも日本医師会や各学会から様々なガイドラインが作製されている.前章の表1に示したガイドラインは厚生労働省がわが国の各学会に依頼して作製したものである.臨床医にはこれらの診療ガイドラインの内容を自らよく理解した上で、その内容を患者によく説明し納得してもらう努力が要望される. 本来、EBMは典型的な病態に対する医学的対処法として、文献情報などに基づくエビデンスを重要視し、従来よりさらに科学的、合理的であろうとするものである.EBMの中で診療ガイドラインは、EBMに基づく診療上の大枠の指針として提供されたものであり、臨床医にはその指針を参考にして千差万別な問題に対応することが望まれる.
そこでは、第Ⅰ章のEBMの項でも述べた如く、最良の医療を追究する個々の医師の裁量性は当然保証されている.医師は臨床的な判断をする際、患者のもつ個人的価値観、人生観などを当然考慮しなければならないし、医学的エビデンスと医師の裁量とを車の両輪の如くバランス良く利用することが重要である. 診療ガイドラインは、専門家たちが文献的情報を綿密に検討し、それをエビデンスとして日常診療に役立っよう意図したものである.しかしそれはあくまでも診療上の指針である.これを金科玉条とするのではなく、各患者の特性に応じて柔軟性をもって利用すべきである.医学知識・医療技術の進歩に対応するために臨床医には継続的な研鋒が要求されているが、診療ガイドラインの習得も医師の生涯教育の一つと考えるべきである.しかも診療ガイドラインは、医学知識の進歩とともに改定されていく.したがって、医師会にはその生涯教育の中に診療ガイドラインをとり入れることが要望される.

2.プロフェッショナルオートノミーとは 

オートノミー(autonomy)とは、自治、自律、自主性を意味する.自律とは「自分の気ままを押さえ.または自分で立てた規範に従って自分のことは自分でやっていくこと(岩波・国語辞典)」である.そもそもこの言葉は、カントの『実践理性批判』の中に出てくるが、「人間は何をなすべきか」という問いに対し、カントは理性、良心、善意志を説明し、人間の意志は善意志(道徳律)として働くときにおいてのみ意志の自律性が保たれると述べている.つまり自己が自己を律してはじめて人間理性は善なる意志の実践を確立できると考え、これを実践理性の自律とした.カントほど「理性、良心」という問題を深く掘り下げて思索した人はいないと言われるが、彼は人間の良心の自律性を強調している. プロフェッション(profession職業)とは、専門性をもった職業をさす.職業人らは一つの集団を形成するのが常である.それは組織と呼ばれ、規約を作って、それを尊守し自らメンバーを教育して高めあい、自主的に運営されていくという意味で自律的autonomicである.この自律性こそが、プロフェッションと非プロフェッションとを区別する鍵であり、プロフェッションの本質は自律、オートノミーにあるといえる.その意味で、プロフェッショナルオートノミーは、まさに自ら選んだ職業的責任を果たすために、他ならぬ自分が自己の決定を支配するという積極的自由positive freedomに他ならない.オートノミーの源泉は、カントの言う人間としての「良心、理性、善意志」ということになる.プロフェッショナルオートノミーは、専門職として医師が良心を基盤として自らを律し、積極的自由の精神をもって診療に従事することである. 一方、プロフェッショナルフリーダムという言葉もよく用いられている.この用語は、日本医師会武見太郎元会長によって提唱された言葉として有名である(日本医師会編 国民医療年鑑 昭和54年版).それによると、「聖職者・弁護士、医師ら古典的プロフェッションは、外的制約、干渉を受けないという意味で自由でなければならない」としながらも、「現代プロフェッションは・積極的・創造的活動を自由に行う姿勢をとることが必要である」と述べられている.その意味において武見元会長が提唱されたプロフェッショナルフリーダムは、消極的・受動的自由ではなく、積極的自由を指していたものと思われる. しかし現在、プロフェッショナルフリーダムというと、「干渉されたくない」というエゴイズムの烙印を一般社会から押されかねない.そうした誤解を避けるためにも、医師としての責任を果たすために理性に裏打ちされたプロフェッションとしての積極的活動を意味するプロフェッショナルオートノミーという用語を用いる方がよいと考えられる. 第39回世界医師会総会(1987年、 Madrid)では、 「Professional Autonomy and Self-Regulationに関する宣言」が採択され、医師が誇りをもって自己を律し.医療の質を向上させることの大切さを譲っている.



3.プロフェッショナルオートノミーからみた診療ガイドラインと医師の裁量 

プロフェッションとして積極的に行動するためには、干渉.束縛から逃れる消極的自由のみにこだわるのではなく、自らの理性によって自己の責任を果たすために意志決定をする積極的自由が大切であることは既に述べた.このことは、行動の主体が自己の理性によって自由に選択するという原理に基づいているo プロフェッショナルオートノミーは、こうした積極的自由を基盤としてその職業に固有の倫理規範を自主的に作成し、遵守するという意味で自律的ということである.診療ガイドラインを干渉・締めつけとして捉えては、プロフェッショナルオートノミーは作動しない.診療ガイドラインを作成したのも医師ならば、それを使うのも医師である.同じプロフェッションとして誰もが診療ガイドラインに積極的に関わって、自らがプロフェッションとしての意見を述べ、診療ガイドラインをよりよいものにすることが肝要である. 診療ガイドラインは、限られた専門家たちによって作成されるが、それを臨床の現場で使うのは一般臨床医である.前項のEBMと診療ガイドラインでも述べられているように、診療ガイドラインを実際に使った現場の医師からのフィードバックが最も重要である.診療ガイドラインの質の評価はこのようにして行われていく. 診療ガイドラインの将来の鍵を握っているのは、まさに作成するプロフェッションと利用するプロフェッションとの協力、コミュニケーションであり、そこにプロフェッショナルオートノミーが認識される. 診療ガイドラインを使用する際に医師の裁量ということが常に問題となる.裁量とは、「自分の意見によって裁断し処置すること」とある(広辞苑).医師の診療行為を診断、検査、治療に三大別すると、裁量は検査と治療のステップで関わってくる. わが国では、患者と医師の間の診療契約は.準委任契約であるとされているが.受任者たる医師は、ある程度の裁量をもって診療を行うことができる.ある程度とは医師としてのプロフェッションの範囲内で.裁量を発揮できる権限である.それは委任者たる患者の利益になることが大前提であり、患者もそれを期待している. したがって.医師には個々の患者に対して最高の医療を提供するために.自信をもったプロフェッションとしての意志決定をする権限が与えられている.そのためには、 ①医師としての良心 ②医学的知識・技術の妥当性 ③保険診療の範囲内などが裁量の要件となる. 診療ガイドラインの使用は.医師の裁量と何ら矛盾するものではない.むしろ医師の裁量に基づいた臨床判断(opinion-based decision making, OBDM)を発拝して、診療ガイドラインを利用することが望まれる.