2008年10月6日月曜日

医の倫理と法

http://www.hirano-med.or.jp/Academy/Report_8.htm
より


第Ⅳ章 医の倫理と法 
本章では、規範の中でもとくに重要とされている倫理と法を中1L、に、どのような規範が医療の質を向上させるのに適しているかを考察する. なお、本文では、「倫理」を社会集団内で守られるべき道理とし、「法」を制定法(法律等)並びにその解釈や適用によってつくられる判例法を意味することとした.

1・倫理と法の性質 
倫理と法の両者の関係について、一般に非倫理的なことをすれば法律で罰せられると認識されている.そこで、この両者につき、従来から指摘されている性質の違いを確認したい.即ち、倫理は人の内面を対象にし、法は外面を対象にするといわれている.また、倫理は確定した評価規準とはならない.一方、法は確定的なものであり、そのため法に基づく裁判が可能であるのに対して、倫理に関しては非難という形の制裁しかなしえない.さらに、倫理には強制力がないが、法にはその力がある.しかし、これらの区別の基準には例外があり、完全な区別は不可能とされているが、両者は次元が異なる規範であること、したがって両者の優劣の関係を比較考量することは不可能である.

2.わが国の医療における倫理と法 
明治以降急速な近代化を迫られたわが国では、画一性、集権性、並びに実効性が求められたために、従来法的規範が優先されてきた.立法化しなければ何も始まらないという気風は現在もなお続いており、医療の分野でも問題の解決のために新たな法律を作るという傾向がみられる.とりわけ、医療過誤によって損害賠償請求訴訟を提起され、業務上過失致死罪等を科せられるという事態が最近とくに増えてきているため、どうしても医師の目は法の方に向きがちであり、欧米諸国と比べても、日本では医療への刑法の介入が著しいといわれる.近年、わが国でも病院内に倫理委員会を設けることが一般的となりつつあるが、規範としての倫理を諸外国ほど十分に医療の分野で活用していないのが現状である. 法は万能ではない。日本の医療にみられる法-の過剰な期待や怖れは.この点についての理解が不十分である。 とくに、医療の質を上げるといった局面では.法は不向きである。医療に携わる専門集団の日常的な問題意識に裏づけされた倫理規範によって、現場の事情に即した規制をする方がより効果的である。法が比較的得意なのは懲悪であり.勧善ではない。また.一口に医療といってもさまざまな部門があり.その複雑さも飛躍的に増大しつつある。したがって、その質の向上を法に委ねるのには無理がある。また、判例法はもともと該当事件の解決に向けられたものであり.医療の質を全体的に高める手段として適しているかどうかは極めて疑問である。医の領域には.歴史を経て培われてきた倫理原則が存在しており、その内容も洗練されている。したがって医師に質の向上を促す規範としては.法よりも倫理の方がより適しているといえよう。 法は全能な規範ではない。イェリネック(Georg Jellinek, 1851-1911)が端的に表現したように、法は「倫理の最小限(das ethische Minimum) 」にすぎない。たしかに非倫理的であれば法律が罰する場合が多いが.合法ということは一般には適格の最低線にすぎず、必ずしも倫理的であるとは限らない。法は.より道徳的に高い内容にはついていけない。医療の質の中には当然道徳的な側面が含まれているので.その質の一層の向上のためには倫理規範が法よりも適している。 逆に、このようにすれば法には触れないといった態度が、却って医療の質の低下を招くことがある。医療の質を向上させるためには、医師は最低線の道徳で満足するのではなく.高い理想像を追い求める必要がある。アメリカ医師会の倫理綱領が.患者の最善に反する諸要求が生じた場合、それらの変更に努める責務を会員に課しており.世界医師会理事会が、医の倫理に反する内容の法律には医師が改正を働きかけるべきであるという決議を2003年に採択したのも.今まで述べてきた理由による。 悪を排除するという場面ではたしかに法の方が効果的であり、その点に関しての法の支配の重要性にはいささかも疑問がない。しかし、法のレベルを超えて一層の向上を図ることができること、医療の実情に即した向上をもたらすことが可能である点、さらにわが国の医療では法の代わりに倫理を活用する余地が十分に残されている点を考慮すると、医師が誇りをもって医師職に邁進し、医療の質を効果的に向上させていくために、倫理規範がさらに広く活用されて然るべきである.

3・プロフェッションとしての倫理
 それでは、倫理規範の一層の活用に際して、内容的には今後どの点に注目すればよいであろうか.これまでの検討をふりかえってみると、倫理の内容をいくつかに分類することが可能である.即ち、人間社会で一般的に守られるべき道理、医療が行われる場で守られるべき道理、医師という職業集団内で守られるべき道理、の三つである.わが国で今まで主に想定されてきたのは一、二番目の道理であった.しかし、医療の質の向上を担う主体である医師の役割の重要性を強調するための道理は、職業倫理と呼ばれる第三番目の道理である. 職業といっても、とくに医師の場合は、弁護士等と同種のプロフェッション(専門職団体)であることに留意しなければならない.しかし、プロフェッションであることを強調すると、医師集団がいわゆる圧力団体となって自由や自益を損なう動きに反対し、却って医療全体の質を落とすのではないかという批判がある.本来、そのように外からの介入に反対を唱えるのがプロフェッションの姿ではなく、自らを律するのがプロフェッションのあるべき姿である.プロフェッションの特徴は、自律を通じた自治の継承にあるとされる.したがって、医師はフリーダム(消極的自由)を叫ぶよりも、オートノミー(積極的自由)を培うことに努めるべきであり、その意味でも職業倫理は極めて重要である.医師集団が職業倫理に基づく自律を実施することによって社会の信頼を勝ち取りながら、オートノミーを確立することが同時に医療の質の向上をもたらすと考えられる.プロフェッショナルオートノミーという概念は第2章でも検討されているが、このオートノミーが医療の質の向上を導く重要な鍵であることを強調したい.4.プロフェッション倫理の活性化をめざして 最後に、以上のような方向に進むための具体的な方策を述べ、本章の締めくくりとしたい.社会からの信頼を得るために倫理を培うといっても、確実な手段があるわけではなく、究極的には、ひとりひとりの医師が志を高くして自己の向上の道を生涯歩み続けるかどうかにかかっている.しかし、プロフェッション倫理ということを考えると、為すべき方策が少なくとも二つある. その中の一つは、自律の一環として、構成員に対する懲戒制度を整備することである.長期的には、日本医師会を強制加入団体にすることも考えられるが、現時点でもある程度その実施が可能である.たとえば医師会会員による自浄作用のより一層の活性化などもその例である. 次の方策は、自律の一環として、倫理教育を主体的に医師会が担うことである.例えば、現在一部の医科大学では医学部学生教育の段階で現場の医師らが教育を担当し、患者団体とともに医療の質について討論したり、法律家を加えて倫理、法、規範、責任などを事例ごとに取り上げることが行われているが、その活動をより活発化することなどが考えられる.