2008年10月6日月曜日

医師と医療行為

http://homepage3.nifty.com/dontaku/ijihou/CHAP1.htm

より



第1章 医師と医療行為

 医療は人間の生命や健康に直接関与するものであり,医師に無秩序に任されてよいとはいえない。ことに,医薬品の繁用,複雑で高度な医療器材の使用,多種の医療関係者のかかわるチーム医療など多様化する医療を適正に確保するためには,人と物に対する規制を必要とする場合も少なくない。 医療に関連する法としては,全市民が公平に医療を受けられる医療制度,医療事故の発生したとき適正な処理のできる法制度,さらに臓器移植,遺伝子操作などに対応する法規範などを必要とする。 また,規制は法規に頼るだけではなく,倫理的,社会的規範を基盤として,法はその上にあるものと考えるべきであろう。医療のように専門性の高い,医師と患者との信頼関係に依存する業務においては,ともあれ,まず倫理的,社会的コントロールが作動し,次いで法規範を問題とすべきものと思う。
1 医師と法律
 日本は法治国家である。したがって,医師の行動(医療)規範も法によって規制される部分が少なくない。しかし,法は抽象的であったり,限定された状況の範囲内でのみ適用されるものだったりして,具体的な行動規範としての指針に欠けることもある。その場合には,医師は法律を自分で解釈し,自己規制をしなければならない。そこで,医師には広い視野,深い洞察力が要求され,法の精神や意図を的確に認識し,それに基づき客観的な価値判断および行動を展開しなければならないことになる。 日本国憲法は,基本的人権の尊重を基本理念とし(第11条),生命権,自由権,幸福権(第13条),健康で文化的な生活(第25条)を維持する権利などを保障している。これらの権利を充足させるために諸制度は整えられることになる。そして,医療はそのうちの有力な一手段といえよう。 ここで特に触れたいことは医師の裁量権である。裁量権とは,医師が患者を診療するに当たって,考えられるいろいろな方法のうちからある方法を選択することのできる権利,そしてその選択について一定の範囲内では裁判所の介入をも許さない権利をいう。換言すれば,医師は専門家としての自分の行動を決定するに当たり,適正な手続きを経て,考慮しなければならない問題点に適切な対応をしておればよく,問題点の評価や勘案は自由であるということである。医師の裁量権は診療契約である委任契約とも絡んで広く認められている。医療のもつ高い専門性と緊急性のために,第一線の医師の判断が特に尊重されているのである。それゆえに医師の判断は的確でなければならない。
2 医師の定義
 医師とは,形式的には国によって医師免許を与えられた者であり,実質的には医療および保健指導に当ることを業とする者である。少し堅苦しい言葉で言い換えると,「人の生命および健康を管理する業務(医業)に従事するものとしての資格を国によって認められ,かつ,その旨を医籍と呼ばれる公簿に登載された者」と定義される。 このことをもう少し詳しく見てみよう。(1) 医師は,医師免許を受けた者である。 医籍は,医師という身分を示す公の台帳であり,厚生省に備えられている。医師国家試験に合格した後,医籍に登録されて医師の資格を得ることになる(医師法5条・6条)。この要件を満たさないものは医師ではない。したがって,いわゆるもぐりの医者がいかに優秀な技能を有していたとしても,それが医業を営めば無免許医業罪にあたる(医師法17条)。(2) 医師は,人の生命・健康を管理すべき業務(医業)に従事するものである。 生命と健康は人にとって最も大切なものである。そして医業は人の生命・健康に直接重大な影響を及ぼす危険な業務である。したがって,医業を行なう医師は高度の医学上の知識と技術経験を有する者でなければならない。(3) 医師は,高い倫理感を有する者である。 医師は,医療および保健指導を司ることによって公衆衛生の向上・増進に寄与し,もって国民の健康な生活を確保することを使命とする(医師法1条)。診療行為は患者の生命・健康の維持回復を目的とするものであるとはいっても,本質的には患者の身体に対する侵襲であることには違いない。したがって,高度の倫理性に医業が裏打ちされていなければ患者の精神や身体がどのように取り扱われるか保証されないということになる。
3 医療行為の条件
 医療行為は重大な危険を内包する行為である。このような危険は医療のすべての場面に潜んでいる。手術・麻酔はもちろん,日常的な検査,投薬,注射などいかなる場面でも,たとえ事故の起こる可能性は小さくとも,常に危険が伏在しているといっても過言ではない。この意味で医療行為は許された危険 das ealaubte Risko とよばれる。これは,ある業務が多少の危険性を内包していても,その業務の社会的な必要性や有用性が極端に高い場合には違法性はないとする法理である。つまり,医療は危険性をはるかに上回る有用性を持っているという理由で業務として成立しているのである。「医療は元来危険性を内包しているのだから,不測の事故が起こってもそれは許されるべきである」という意味ではない。 他人の身体を切開したり,劇薬を飲ませたりすると,刑法上の暴行や傷害の罪に問われる(刑法第204条など)。しかし,それを行うのが医師であって,それが業務であれば犯罪を構成しない。といっても自由気儘にそれが許されているわけではなく,それが医療行為として認められる場合にのみ合法なのである。医療行為がなぜ犯罪を構成しないか,については次の諸説がある。
(1) 医療行為は元来正当な行為であり,刑法でも問題にならない(正当行為説) (2) 医療行為は,患者の承諾があるから,傷害罪にならない(患者承諾説)(3) 医療行為が正当であることは慣習法がこれを認めているからである(慣習法説)(4) 医療行為は,国家が正当であると承認しているからである(国家承認説)(5) 医療行為は,小害で大害を排除するものであるから,犯罪にならない(必要行為説)(6) 医療行為は,人の身体に対する侵害を目的としないから,犯罪にならない(目的説)(7) 医療行為は,医師等当然の業務であり業務権に基づくものである(業務権説)
 いずれの説も医療行為を非行・犯罪であるとはしない。通説は,医療行為を法令による正当業務行為に相当する(刑法第35条)ものと解している。 医師の行為が医療行為と認められるためには,次の3つを充足していなければならない。
1. 治療を目的とすること 2. 医学上認められた手段および方法であること 3. 患者,保護者,代理人などの承諾のあること
 医師が善意であって,しかも過失もなく,目的が達成されても,前に述べた3点を充足していなければ原則的には違法行為である。逆に前記3点を充足していれば,患者に不幸な結果を招いたとしても医療行為であることに変わりなく,診療過程に過失の発見されない限りその責任を問われることはない。  ここで,医療行為が適法であるための3条件についてもう少し考えてみよう。
(1) 治療目的 つまり,行為の目的が治療でなくてはならない。ここでいう治療とは,疾病の予防や健康診断,アフターケアなどを包括する。なお,治療であるか否かは,医師の専門家としての判断に委ねられるもので,患者の一方的要求と合致しないこともありうる。患者からいかなる要求があろうと,医療目的以外に身体を侵襲することは医行為とはいえない。例えば,暴力団関係者の「指つめ」を手伝ってやることなどはそれに該当する。ところで,性転換手術は従来医行為ではないとされてきた。しかし,手術を望む者が性器の外形を変えることによって自己の性的同一性を取り戻すことができるのなら,それもある意味では治療行為と言えるとする見解もある。
(2) 医学上認められた手段および方法 これには以下の2つの要件が必要である。
1) 医学的適応性 : 疾病の治療手段がその当時の医学界で一般的に承認されていること。2) 医学的正当性 : 疾病の処置法が一般に承認されており,医学の準則(lege artis)に従ってなされていること。
(3) 患者の承諾 医療はあくまでも患者の利益のために行われるものでなくてはならない。したがって,どのような治療を受けるかは最終的には患者の決定すべき事柄に属する(患者の承諾権)。 患者(健康な人ではもちろん)の自己決定権は,生命権や健康権に劣ることのない高いものである。客観的に有効な治療行為であっても,患者の承諾のない場合,特に明示の意思に反したときは,違法とされる。手術の場合は術前に,また,胃の透視と手術の重なるようなときは別々に承諾を得る必要があろう。日常的な処置については,診療開始時の承諾に含まれていると解してよいとされている。 ここで患者の承諾と医師の説明義務との関連についてみておこう。 患者の承諾は十分に主体的判断であることを要する。処置の性質,危険性の程度,治療法,予後などを理解した上でなされた判断でなくては法律的に有効とはいえない。そのために医師の適切な説明が必要となる。説明義務は,医師法第23条の療養上の指導義務,あるいは診療契約としての委任における善管注意義務(民法第644条)および報告義務(民法第645条)などに基づくものと解されている。
4 例外的医療行為
 前に述べた医療行為としての3条件は常に完全に満たされなければならないわけではない。一つの条件が不十分であっても許されることもある。その場合には他の条件がより整っていることが望まれる。例えば,次のような例はそれに当たる。(1) 輸血用血液の採血 採血される本人にとっては医療ではない。しかし,延長線上には受血者の治療という明白な目的がある。したがって,他の2条件の揃うこともさることながら,事前の検診や採血した血液の性質などについて医師の責任は通常の医療行為に劣るものではない。(2) 実験的治療行為 新しい治療法の開発や新薬の治験の場合,前述の医学的適応性・医学的正当性の条件の不十分なこともある。すなわち,効果や安全性の点で必ずしも安定しているとはいえない。とは言っても,これらを全面的に禁止すると医療の進歩を阻害する。そこで,この様な行為も医療行為と認めざるを得なくなる。その場合は,次のような事項を厳格に守らなければならない。
1) 標準的治療方法を試みても効果のみられなかったこと。2) 効果や安全性について客観的なデータのあること。3) 患者に対して,治療行為,危険性,標準的(一般的,従来の)方法との相違や特異性などにつき十分説明し,患者の承諾を得ておくこと。
(3) 第三者の承諾 患者の承諾が直接得られぬことは医療の実際において少なくない。その場合,他の者の承諾をもってそれに代えることもできる。
1) 患者が幼児のとき,通常は親権者(両親)の承諾でよい。2) 理解力のある未成年者のとき,本人および親権者の一致した承諾が望ましい(12歳位以上)。3) 精神障害者のとき,原則としては本人の承諾を必要とする。しかし,精神保健法では特に保護義務者の承諾を求めることがある。(精神保健法第33条の医療保護入院)4) 患者が意識喪失状態のとき,配偶者など近親者が親しい順に承諾権を持つ。しかし,意識が回復すると承諾権は直ちに本人に帰属する。
 このように第三者の承諾を認める根拠は,第三者が本人の意思を推測して代弁している(意識喪失者),第三者の意思をもって患者の意思に代える(幼児)などがあるが,いずれも患者の直接承諾と比較して不完全である。したがって,承諾のとり方などにも十分の配慮が望ましい。特に幼児の場合,医療上または社会的に第三者の意思がきわめて不穏当なときは,それに従わなくてもよい状況も起こりうる。 患者の承諾を得られない強制措置によって治療を行いうることを法律は許容している。精神保健法上の医療保護入院・応急入院(第33条)がその例である。 患者の意識喪失の場合における診療は,いわゆる緊急事態に対する対応である。緊急を要する状況下では第三者の承諾を得る余裕のないこともあり,また医療施設の不備なところで治療を迫られることも少なくない。この場合にはいわゆる緊急避難の法理の適用となろう。緊急避難について刑法(第37条)は,次の3要件が整えば認められるとしている。
1) 患者の生命および身体に危険の存するとき2) 他に方法のないとき3) 患者の身体に侵襲を加えても,放置しておくより有益であるとき
 医療に《緊急避難》を適用しようとするとき,意思は諸般の事情を総合して的確に判断をしなければならない。 医療行為それ自体に対しては,医師の自由裁量の余地は広く認められる傾向にある。しかし,管理行為すなわち患者の近親者への連絡などについては,厳しい法的な判断が下されているのが実情である。医師のなかには管理行為に対して無責任に思える言動もあるが,チーム医療の責任者として医師の責任は重いことを銘記すべきである。
 
5 診療と契約
 患者が医師に診察と治療を依頼し,医師がこれに応ずることによって医療は成立する。この関係を法律的に表現すると契約ということになる。契約には,一般に雇用,請負,賃貸借,委任などの種類が知られ,それぞれに発生する権利と義務の性格は異なっている。 医師と患者の間にも,診療に際しては契約が成立している。しかし,診療契約においては,ことの性質上,契約書を作成することもなければ,履行期限を定めることもない。「傷病を治して健康体にして欲しい」という患者側の希望・目的は明らかであるが,その目的達成の可能性の有無・治療手段などの契約の具体的内容は個々の事例で異なり,一般的に論ずることはできない。 医師と患者の関係が順調なときには事態は問題なく推移する。しかし,患者と医師の間に齟齬が生ずると,両者間の権利と義務が問題となり,法的な紛争にまで発展することも少なくない。 診療契約には,一般の診療契約以外に,入院補装具貸与などの契約,また精神保健法などに基づく特別な対応もある。一般の診療と契約についても,どの種類の契約に属するのが適正であるか論議がある。ここでは通説として支持されている準委任契約について述べたいと思う。 1 委任契約 (民法643条) 委任契約とは,「一定の統一された高級な労務を,委ねられた者(受任者)がその意志と能力により,一定の裁量権をもって果たすことを約する」ことである。高級な労務が,法律行為でなくて,診療行為のような事実行為の場合の契約を準委任契約(民法656条)といっている。すなわち,委任者(患者)が受任者(医師)を信頼して労務(診療提供)を依頼するものとされている。
(1) 契約の成立 診療契約には一定の形式はなく,患者と医師の意志の合致だけで成立する。意志の表示は口頭でもよい。また診察室の中では黙っていても成立したものとみなされている。契約内容をどうするかは,原則として契約当事者の自由である。しかし,違法な堕胎のような刑法上の犯罪行為,無診察で処方箋を発行するような医師法に抵触するような行為を内容とした契約は,契約自体が無効であり,最初から権利や義務は発生せず,従って報酬の請求権も生じない。
(2) 契約の当事者 契約を締結する人は,通常は病院や医院の開設者(国公立病院の場合,国や都道府県)と患者とであり,この当事者間に権利と義務は発生する。患者が子供であったり,精神障害者のときは患者本人が契約当事者になり得ないこともある。この場合,親権者や保護者が患者に代わって診療を依頼し,依頼者が契約当事者となる。このような契約を第三者のためにする契約(民法537条)という。
(3) 無契約診療 (事務管理 : 民法697条) 交通事故の被害者で人事不省に陥っている患者を発見者が運び込み,医師が診察を開始する,という場面を考えてみよう。この場合は,契約関係は発生せず,医師が一方的に診療を開始したものと考えられている。これを事務管理(民法697条)とよんでいる。この場合でも医師は常に患者の利益に配慮する義務がある。
● 緊急事務管理(民法698条) 交通事故など緊急の場合,専門外の患者(内科医に外傷患者)運び込まれ,その診療を依頼されることがある。その治療が専門医としての医療水準に達していない場合であっても,故意や重大な過失のない場合には損害賠償の責任は免ずるとされている。
2 診療に伴うその他の契約 一定の業務を完成することを契約内容とするものは請負契約(民法632条)という。古くは,義歯の作成,正常分娩などが請負契約とみなされていた。ただし,医療契約を請負契約であるとする考え方には有力な反対意見もある。 差額ベッドは賃貸借契約に属するものである。医師に雇われ労働を提供する看護婦や検査技師などとの契約は雇用契約である。
3 診療を契約とみなすことの問題点 委任契約は経済活動上の契約であり医療上の契約にはそぐわないとして,新しく診療契約の法概念を構築すべきだという議論もある(無名契約説)。 また,医療契約の中に請負契約の考え方を持ち込むことは危険であり,すべて準委任契約として把握するべきだという意見もある。例えば分娩の場合,医師の責務は「妊産婦の妊娠および分娩が自然で正常な経過をとるよう助力すること,その間に発生するかも知れない病的過程に対処すること」であって,「必ず母児ともに健全な状態で出産に至らしめること」ではない。一般の疾患の診療でも医師は患者に対して「病気を診察治療すること」約し得るにとどまり「病気を治癒させること」までは約束できない。したがって,分娩の場合でも一般の病気の診療と同様に,請負契約ではなく準委任契約として捉えるのが適切であるとする。
6 インフォームドコンセントの原則
 インフォームドコンセントの原則(doctrine of informed consent)とは,患者が医師から治療・処置などを受けるに当たって,事前にその内容・目的・効果・リスク,またその他の異なる治療法のある場合にはそれらの説明を受けて,患者が納得した上でそれらの治療・処置を受けることが必要であるという原則のことである。換言すれば,患者の自己決定権を適正に行使できるよう,医師が助言指導をし,同意の上で医療行為を行うべきである,いうことになろう。この場合,医師の説明は,患者の理解できる言葉で,患者が理解できるまで行われなければならない。医師の説明が理解されて初めて,患者は主体的に判断し,承諾することが可能となる。したがって,インフォームドコンセントの前提となるのは患者の知る権利であり,その前提を満足させるために必要となる医師の説明義務を考えなければならない。 米国では,1950年代後半に医師の説明義務を法的義務とする学説・判例が出て医師の裁量権に一定の限定を与えるようになり,1972年にインフォームドコンセントの法理論が確立され,現在では当然のこととして捉えられている。わが国では1987年厚生省の国民医療総合対策本部「中間報告」の中にインフォームドコンセントという語が現われて以来,医療関係者の間でもよく議論されるようになった。 インフォームドコンセントの内容は具体的な個々の事例に即して判断されている。しかし,必ずしも各判例に共通した意義-要件-効果という基準は定まっていないようである。すなわち,誰が,いつ,何を,どの程度まで説明するのかに関しては個々の事例において医師の判断に委ねられている。医療行為は症状の客観的把握,医学的判断,取り得る措置の選択という連鎖的な行為であるから,予後内容,手術の危険性について不確定な要素が多い場合には,その不確定の部分にまで説明の範囲を広げる必要はないと思う。たとえば開腹術を予定するとき,腹壁からの感染によって敗血症を起こすことがあるとか,術前の導尿時に尿道損傷の危険があるとか,当該手術に直接関係のないことにまで言及する必要はないだろう。 実際の臨床の場で治療法の選択に困難を覚えることは多く,しかもそれらの治療法のそれぞれについて具体的な予後経過を正確に予測できる場合は少ない。また医学自体絶えず進歩しているものであるから,この手術の前にはこの形式で,といった固定的なフォーマットで説明を行うべきではない。あくまでも,個別の具体的な症例において,患者の自己決定権を尊重しつつ,自己の裁量権の範囲内でインフォームドコンセントは達成されなければならない。この意味では,説明の巧拙というのも医師の力量の1つといえるものなのかも知れない。