2008年10月6日月曜日

わが国の医療を考える

http://www.yano.co.jp/lifescience/japan/health/think_2001.o1.08.html

より



第1回 思惑とバイアスを排除する医療の実現に向けて
Evidence-Based Medicineの役割 医療の目的は、患者にとって適切と思われる治療・ケアを提供することによって患者のアウトカムを最適にすることにある。医療行為の適切性を向上し、その時点で最も理にかなった診療を行うために、 Evidence-Based Medicine(以下EBMと略す)が提唱され、わが国でも注目されている。 臨床意思決定には、経験によって生じる先入観、固定概念などが深く関与する。現実の臨床の場では、新しい研究の成果を考慮に入れず、このような経験や勘による短絡的な意思決定がなされ、結果として、医師により同じ疾患・病態に対しても治療法・アウトカムが異なること、また、それらにより適切といえない医療が提供される可能性があると指摘されている。  EBMは、「個々の患者のケアに関する臨床決断のために、現在ある最良の(臨床科学的)根拠を良心的で、明示的(explicit)で、妥当性のある用い方をして使用すること」と定義されている。ここでいうEvidenceとは、患者の情報をもとにする臨床研究結果を意味する。そして、バイアスが少ない臨床研究に高い価値をおき、権威ある専門家の意見・総説、教科書であっても、患者の情報をもとにしていない場合には、あくまでも専門家の参考意見として位置づけされる。 具体的には、1)解決すべき臨床問題を明確にすること、2)それらの問題を解決するためにベストと思われる臨床研究を Medilineなどで効率的に探し出すこと、3)探し当てた論文を批判的に吟味し、根拠の質を評価すること、4)研究が行われた診療施設の特徴、対象患者の生理的特徴と個別性の評価を行い、この研究が目の前の患者に応用できるかどうか判断すること、5)臨床応用の結果を評価すること、という一連のプロセスである。 臨床医が EBMに則った診療を行うためには、1)基礎研究による理論より再現性がありバイアスのない体系的に行われた臨床研究を利用すること、2)正確な文献の解釈のためには、臨床疫学などの理解が必要であること、3)科学的根拠を理解・評価するためには、複数の専門家にコンサルトしながら総合的に診療を行うことが必要となる。 臨床上の問題を解決するための意思決定には、臨床的な技能 (exertise)、研究結果からのエビデンス、患者の意向・現場の状況の3つを同時に考慮しなければならない。この観点からするとEBMは、Evidence-based medicine、experience-based medicine、 及びethics-based medicineを包含するものであることが理解できる。すなわち、患者アウトカムを最大化するためには、患者の意向と臨床研究からえたエビデンスの理解、そしてそれらを適切に使用できる臨床経験が必須となるのである。患者の個々の状況や自分の臨床経験を無視して、盲目的にエビデンスに従うのは、むしろEBMの理念に反するものと言える。 EBM に則った診療ガイドラインやクリティカル・パスは“医師の裁量権”を奪うものであると批判される方もおられる。“医師の裁量権”とは何であろうか。日本医師会総合政策研究機構の桑間氏は、「“医師の裁量権”とは、医師が、その専門知見を用いて、医学的問題を処理し判断する権限であり、専門知見をもたずに勝手気ままに何をやってもよいとなどという裁量権ではない。・・・・真のEBMは“医師の裁量権”がエビデンスを自由に使いこなすことで、個々の患者の医学的問題に対応していくことを最終目的としている。・・・この技術を使いこなせる高遠な“医師の裁量権”が期待される」と述べている。医師免許があれば、なんでも医師の裁量権を認める時代は過ぎ、専門知見が少ない“医師の裁量権”は狭いと考えるのが当然であろう。 EBM の理念であるバイアスの回避の必要性については、1~2世紀前から述べられてきており、必ずしも新しい考え方ではない。ジギタリスの薬効を発見し強心剤として治療に活かしたWilliam Witheringはその成果を「An account of the Foxglove and Some of Its Medical Uses; with Practical Remarks on Drpst and Other Diseases」(1785)にまとめた。その書の一説に、「薬が効いて治療が成功し、私の(医師としての)評判を高めるような症例だけを選んで記述するのは容易なことです。しかし事実と科学とはかかるやり方を罰するでしょう。ですから、私がジギタリスを処方した症例は適切だった場合もそうでなかった場合もまた成功した場合もそうでなかった場合も、全部を記述しました。そのようにしますと、初めから非難をしてやろうと決めている人々の非難に私自身をさらすことになりましょう。しかし、最善の判定を下そうとしている人々には心から是認されることでしょう。」と明記している。これは、バイアスを避けるというEBMの理念そのものであり、2世紀も前からその考え方が提唱されているのである。 William Osler は「医学は不確実性の科学であり、確率のアートである」と述べている。どんなに科学が進んでも、100%に効果がある医療技術がないため、より適切な医療技術を選択するためには、臨床疫学などの考え方を取り入れた意思決定が必要であり、意思決定するための医師の技能(アート)が必要であることをほぼ1世紀前に説いている。 “ EBMはわが国で定着するのか?”危惧を持つ方も多い。公的研究費の配分や医学博士の論文をみると、わが国では、臨床研究よりも基礎研究に価値をおいている傾向が強い。また、製薬企業を見ても、開発臨床治験には熱心であるが、phase IV(outcome research)などには熱心ではない。 現在、 EBMとタイトルが付いた医学書がかなり多くなってきているが、内容をみると随分かけ離れたものも多い。EBMは、これまで述べてきたように、患者アウトカムを最適にするためのツールであり、バイアスが入った意思決定を回避するという行動哲学でもある。すなわち、実践しなければ意味のないものである。流行病のようには総論的に取り上げるが、具体的な臨床成績を持たないというわが国の特徴があるが、EBMは具体的に展開しなければ、絵に描いた餅と同じであり、医療関係者の屁理屈の道具になると危惧される。 臨床治験だけでなく一般診療の場でもインフォームド・コンセントが要求される時代になり、今後、ますます情報開示と accoutability(説明責任)も要求される時代になる。 EBM の実践に際しては、意思決定に使用された根拠のバイアスがどの程度あるかを理解し、医師にも、コメディカルにも、患者にも、その議論の基礎となる情報を等しく共有できるように、意思決定の透明性を高めることが重要となるであろう。そのためには、提供する治療・ケアの根拠を明確にするEBMの必要性は大きくなり、基礎理論だけでなく、臨床の場でEBMを実践するための医学・薬学教育が必要になるであろう。