2025年10月30日木曜日

解脱

 解脱の「解」は解くということ、「脱」は脱ぐということです。つまり、われわれは、いつも目に見えない何ものかによって縛られている。それは、あるいは名誉欲であるかもしれませんし、金銭欲であるかもしれません。しかしいずれにしても、われわれは何かつまらないものによって、いつもがんじがらめになっている。同時にわれわれは、つまらないものをたくさん着込んでいます。
すっ裸で生きておればよいものを、いっぱいよけいなものを着込んでいる。またそれが人間の生活というものでしょう。
ですから、そういう自分を縛る妙なものから自分を解き放ち、またいっぱい着込んだ変なものを脱ぎ捨ててすっ裸になるということ、それが解脱ということです。
~中略~
 解脱というものは、やはり、泣くときには泣く、喜ぶときには喜ぶ、というものでなければなりません。
死は、あくまでも死として悲しむのです。しかしながら、それがあとまで尾を引かない、つまり執着をもたない、というのが真の解脱です。
解脱とは決して世の中から離れてしまうことではありません。むしろその中に飛び込んで、それと混然一体となって、それから少しも離れることがない、というのがほんとうの解脱の姿なのです。

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)
P101

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

  • 作者: 立花 大亀
  • 出版社/メーカー: 里文出版
  • 発売日: 2011/03/15
  • メディア: 単行本

徳島県 12番焼山寺

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