2025年11月19日水曜日

支配者目線

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 畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉、現在の京都、奈良、大坂)というのは当時の日本国の支配層の出身地であり、そこだけが特別な行政区になっていました。
つまり、畿内こそ、ヤマトの国家の中心地であり、ほかは「外国(げこく)」といって待遇がまるで違っていたのです。
現在使われている近畿という地域名も、その「畿内」の幾をとっていることは言うまでもありません。そして、当時の国家の基盤となったのは畿内から西の地域であり、東の方「東国」は異質な人びとの住む地域と捉えられていました。

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 いずれにせよ、坂東や奥羽といった地域名は、日本国の中心である畿内や京都に視点を置いた呼称でした。
それが、十二世紀末の鎌倉幕府の誕生によって大きく変わっていきます。
鎌倉幕府はやがて奥州藤原氏を滅ぼし、現在の中部・関東・東北一円を直接の統治権が及ぶ範囲にしますが、その範囲が「東国」と呼ばれるようになります。
 そして、やがて幕府が自らのことを「関東」と呼ぶようになるのです。決して畿内からの視点によるのでなく、非常に誇り高く、そう呼ぶようになります。

そのあたりから、日本全国の地域呼称にも変化が見られ、具体的には関西、中国、四国、九州といった呼称が使われるようになるのです。 

歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)

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周防国分寺 山口県防府市

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