2025年9月1日月曜日

いやしろち

五木 室生寺に行って感じるのは、地のエネルギーです。あそこはむかし、火山帯だった。休火山帯で岩肌が露出していて、いまでも、下から地底のマグマがふつふつと噴き上がってくるような印象を受けるんですよ。
望月 そうですね。日本の言葉で「いやしろち」というのがあるんですね。そこは気が出ていて、そこに育つ植物も元気で、いるだけでいい気持ちになる場所なんですね。家を建てると、住む人は病気もせず元気でいられる。そこにお店ができると、人が集まって商売もうまくいくと。
五木 ええ。
望月 反対に「けがれち」とか「きがれち」といって、木が枯れるという土地もあるんです。そこは植物もあまり育たない。
家を建てればその家の人が病気ばかりしてしまう。商売してもあまり人が寄ってこない。むかしの人は、土地によって、なにかを感じたんですね。

気の発見
五木 寛之 (著), 望月 勇
幻冬舎 (2005/09)
P125

気の発見 (幻冬舎文庫)

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  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2005/09/01
  • メディア: 文庫

 

奈良県 室生寺

歩歩是道場

P70
心と体はつながっていますから、体を動かさない分だけ心も淀(よど)んでしまい、不満や迷いがふっ切れず、煮詰まってしまう人も増えているのではないでしょうか。
 雲水の修業を徹底的に体を使います。掃除や畑仕事、あるいは、炊事洗濯、備品管理など、寺の運営に関する一切の仕事を「作務」と呼び、修行の一環と捉えて全員で真剣に取り組みます。座禅や読経とは違う雑事だからといっておろそかにするっことは決してありません。
そうやって体を動かすことで煩悩を払い、一心不乱に作務に取り組む雲水たちの姿は、実に清々しいものです。
 体を使うために、わざわざジムへ行く必要はありません。
P86
 やるべきことが決まっていて、それに集中している時、一日はまたたく間に過ぎてしまいます。夕方「あ、もうこんな時間か」と気づいた時は、心地よい充実感に満たされ、集中度に比例して満足できる成果が上がっているものです。
 禅の修行を修める雲水の一日は、まさにそんな毎日です。
「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」という言葉があるように、禅では一日のすべてが修業の場。朝四時の起床後すぐに、座禅と読経。その後、掃除をして朝食・・・・・という具合に、夜九時の就寝まで、スケジュールがみっちり決まっています。~中略~
 それが肉体と精神の鍛練となり、修行が完成していくのです。禅の修業とは、座ることだけではなく、黙々と体を動かし、目の前のことにひたすら無心に取り組むこと。つまり「行いを修めること」なのです。

怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)

怒らない 禅の作法 怒らない禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 怒らない禅の作法 (河出文庫)

  • 作者: 枡野俊明
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: Kindle版
奈良県 山上ヶ岳

肉山

 坊さんの仲間では、収入のいい寺のことを「肉山」という。肉がたっぷりついているという意味で。たとえば東京の浅草寺や、大坂の四天王寺は、肉山である。
 しかし、浅草寺や四天王寺へ行っても、なんの詩的感興もおこらないであろう。肉山だからだ。
 それよりも、大和の唐招提寺や秋篠寺、法華寺などのような死山(というようなコトバはないが)に、人は美と歴史への涙をながす。妙なものだ。
(昭和36年11月)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P59

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

 

奈良県 唐招提寺

長養

 この「長養」ということばは、禅特有のことばです。それは、わが大徳寺の開山・大燈国師が、鎌倉の建長寺において悟りを開かれたときに、その師大応国師よりいただいたことばの中に見いだされるものです。
 そのとき大燈国師は弱冠二十六才でありました。「雲門の関」という難題中の難題である一つの公案をみごとに打開した大燈国師は、その喜びを次のような詩に託して大応国師に示しました。
「私は、あなたからいただいた「雲門の関」という一つの課題に対して、ついに今朝、かような解答を得ることができました。こんなにうれしいことはございません。事ここに至っては、もうこれ以上修業を積む必要はありませんし、またあなたのもとにいる必要もございません。つきましては、私はこれをお土産として、ふるさとへ帰りとう存じます。
ですから、どうか、もしも私の解釈に悪いところがあれば、それをご指摘いただき、もしもそれでよいというのであれば、その証明を賜りたいと思います」
 すると、それを受けとった大応国師は、「わしが与えた難問をそこまで解決するとは、もうお前はわし同然である。わしはお前であり、お前はわしだ」と言って弟子の進境をともに喜んだあと、次のようにつけ加えた。
「しかしながら、そのことを人に示すのは、二十年間の長養ののちでなければならない。すなわち、お前は、きょうより二十年たたなければ、人に、わしから印可を得たこと、つまり法を伝えられたことを告げてはならぬ」
 これが、長養ということばのよってきたるところです。
~中略~
人は、たとえ悟れても、また俗事に追い回されているうちに、その悟りがひょっとして薄れやせんか、という憂えがあるのです。きょう悟ったからといって、あすから人格も風格も全部変わってしまうかといえば、断じてそうではない。
 むしろ、うっかり「おれは悟ったんだ」と思い込んでしまうことで、大きな勘違いをおかすことになる。悟りという狭い畑の中に閉じこもって、普通の凡人生活になじめない人間ができてしまう危険性があるのです。
 真の悟りの生活とは何かということは、これはなかなか口で説明できるものではありません。長い時間をかけて、自己というものを眺め尽くす必要があるのです。それが長養ということの意味です。

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)
P117

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

  • 作者: 立花 大亀
  • 出版社/メーカー: 里文出版
  • 発売日: 2011/03/15
  • メディア: 単行本

鳥取県 大山寺

統帥権

P162
統帥権とは、軍隊の最高指揮官を表し、大日本帝国憲法の一一条に定められています。
統帥権は、天皇が持っている陸軍と海軍を指揮する権限で、具体的には、陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が直接天皇とつながって、軍隊を運用する権限のことです。  前述のように、日本軍はドイツから参謀本部というシステムを輸入しますが、そのために「軍の統帥は国家の外側、君主の体外にある」という統帥権が自己増殖し、手が付けられない国家内国家をつくり、ついには日本を崩壊させてしまった―というのです。司馬さんは「この国のかたち」で次のように語ります。
~中略~
腐敗の原因は、明治にあったのです。日本を「鬼胎」にした正体―それは、ドイツから輸入して大きく育ったもの、すなわち「統帥権」でした。
 要するに「統帥権があるぞ」と言い立てることで、軍が帝国議会や一般人を超越した存在となり、統帥権がひとり歩きをして、軍が天皇の言うことさえも聞かなくなって行くという仕組みです。軍の統帥権の実際の運用にあたっては、当然のことながら、政府と議会がチェックをする必要がありました。

P165
明治憲法下で、軍をおさえられるのは法による支配=法治ではありません。人による支配=人治をやっていた維新の功労者=明治国家のオーナーたち=元老でしたが、彼らが次々と世を去り、昭和になって、西園寺公望(きんもち※6)という元公家の老人ひとりになると、元老による軍統帥権の統制も利かなくなっていきました。
 明治国家の基本姿勢は、議会の意見は聞くが、最終決定権はない、というものです。軍の統帥に関する決定権はすべて天皇にあると軍部は主張しました。ところが、実際には、天皇自身が決められるわけではありません。軍の中枢をさく部課局が決定します。軍はその結果を天皇に上奏(報告)するだけで、天皇の意思をしばしば無視して押し切りました。
 このように統帥権は、昭和に入ると、やがてバケモノのように巨大化していきました。そして日本は迷走をはじめました。

P167
 統帥権は、天皇が軍隊を率いる権利なので、解釈次第で無限に何でもすることができました。帷幄(いあく)上奏という特権が、陸軍参謀本部、海軍軍令部という、統帥を管轄する機関に与えられます。
帷幄というのは、天皇の前に垂れている御簾(みす)=すだれのことで、帷幄上奏権は、直接天皇に会いに行って、すだれを通して意見を述べたり、相談したりする権限のことです。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史
磯田 道史 (著)
NHK出版 (2017/5/8)

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 NHK出版新書

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 NHK出版新書

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2017/06/25
  • メディア: Kindle版

大分県 九重連山