P70
南方がよい協力者に恵まれた秘訣は、発見に名札をつける方法であった。
他人の発見やアイディアを、自分の手柄のように発表し、かれらを踏み台として利用だけする、という方法をとらなかった。
南方は、「子分」とか「親分」とかいうことばをよく使ったが、学問上の創造性における個人の貢献に対する、異常なまでの厳格な識別性があったといける。そのことがかえったかれをめぐるアマチュアの研究者共同体の中で、相互に知的刺激を与えあい、共同研究を持続させたのだと思う。
進講の時の粘菌標本の「献上者」を小畔四郎とし、南方は標本「撰定者」として自己を位置づけているところにも、このような細かい配慮がうかがわれる。
P175
南方は、註は用いなかったが、どんな小さなことを引照する時にも、また一般向けの読みものを書く場合でも、必ず、原典にあたってたしかめ、出所を本文中で明らかにしている。
この厳密な出典明示は、南方の学問への態度を示すものとして重要である。一つには、かれが大英博物館で学究としての自己形成をしたということと結びついている。
南方は、註は用いなかったが、どんな小さなことを引照する時にも、また一般向けの読みものを書く場合でも、必ず、原典にあたってたしかめ、出所を本文中で明らかにしている。
この厳密な出典明示は、南方の学問への態度を示すものとして重要である。一つには、かれが大英博物館で学究としての自己形成をしたということと結びついている。
もう一つは、かれ自身の独創性への自負とむすびついていると思う。情報および思想に名札をつけて、それを自分より先に、誰が発見し発表したを明らかにすることによってはじめて、それらに触発され、またそれらを駆使して、自分だどれだけ先に進み出ることができたかを示すことができる。 ~中略~出典記載は、博識のひけらかしではないのである。
南方熊楠 地球志向の比較学
鶴見 和子 (著)
講談社 (1981/1/7)

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