一九 子曰わく、譬( たと )えば山を為( つく )るが如し、未だ一簣( いっき )を成さざるも、止( や )むる吾止むなり。
譬えば地を平らにするが如し、一簣を覆( ふく )すと雖も、進むは吾往( ゆ )くなり。
~中略~
先生がいわれた。
「 ちょうど山をつくるようなものだ。最後にもうひと簣(もつこ)というところをやりとげないのは、やめた自分がわるいのである。
ちょうど土地をならすようなものだ。最後にひと簣をあけるだけでも進行したのは、自分の手柄である。 」
*この解釈は新注によった。古注は「 止まるような君主のところには、自分はゆかない、進む君主のところには自分はいって仕える 」という意味にとる。
子罕編
論語
孔子 ( 著 ), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P251
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