「華夷の弁」を明らかにするというのが、この「松下村塾の記」の主柱をなすものである。
もともと華夷思想は、儒教とともにわが国に渡ってきた。とくに江戸時代、儒学が全盛期を迎えると、中国礼賛の風が一部学者のあいだに高まり、日本そのものがいやしむべき夷狄の国土だと考える者さえいた。
このような先進国に対する拝外的な風潮を是正しようとするのが華夷弁別で、浅見絅斎らによってそれが強調された。
「夫れ天地の外をつつみ、地往くとして天を戴かざる所なし。然れば各々其の土地風俗の限る所、其地なりなりに天を戴けば、各々一分の天下にて互いに尊卑貴賤の嫌(きらい)なし」
自分の生まれた土地がどのような僻地であろうと、それに劣等感を抱く必要はなく、その場所で励めばそこが「華」だというのである。
松陰が松下村塾の教育理念としてかかげた華夷の弁とは、松下村という辺境に英才教育の場を興そうとする壮大な意図をうたったものだ。そして、長門国が天下を奮発震動させる奇傑の根拠地になろうという松陰の期待と予言は、彼の死後において、ついに実現されたのである。
吉田松陰 留魂録
古川 薫 (著)
講談社 (2002/9/10)
P188

吉田松陰 留魂録 (全訳注): 全訳注 (講談社学術文庫 1565)
- 作者: 古川 薫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/09/10
- メディア: 文庫
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