2025年3月31日月曜日

吉田松陰

(この当時の長州藩の)こういう空気の流通と陽あたりのよさが、松陰の人間のなりたちに大きく影響している。  むしろ影響しすぎた。松陰はのちひろい天下に出るが、出たとき、幕府もまたこのように物分かりがいいであろうという人のよさが心のどこかにすわっており、そういう楽天性が、百の挫折にも撓(たわ)まなかった生涯をかれにおくらせたともいえる。

世に棲む日日〈1〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P40

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/03/10
  • メディア: 文庫

P35
(住人注;密航を企て、ペリーの黒船に乗り込むために)磯までおりて闇を見すかすと、なんと砂の上に二そうも舟があった。
「天は、ようやく、我等に味方してくれたようだ」
 闇の中で、松陰は可憐なほどの声をあげた。この時代、読書人たちはみな天という概念の信者であった。天とは絶対者というべきであろう。さらにいえば、松陰らの教養である朱子学にあっては宇宙の原理そのものを天と言い、人生もまた天という大いなる原理のなかにつつみこまれていた。松陰はようやく天の意志を感じた。うまくゆくかもしれなかった。

P163
「僕(住人注;江戸で吟味をうけた松陰)は去年の冬以来、死というものが大いにわかった。死は好むべきものにあらず、同時ににくむべきものでもない。やるだけのことをやったあと心が安んずるものだが、そこがすなわち死所だ、ということである
。 さらにいまの私の心境は死して不朽の見込みあらばいつでも死んでいい。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」

P243
松陰は晩年、 「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」
と、ついに思想の本質を悟るにいたった。思想という虚構は、正気のままでは単なる幻想であり、大うそにしかすぎないが、それを狂気によって維持するとき、はじめて世をうごかす実体になりうるということを、松陰は知ったらしい。 

世に棲む日日〈2〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)

新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/03/10
  • メディア: 文庫

P158
 一人の藩士が亡命の罪を得て禄を失うというのは、平穏だった藩内に波紋を投げかける事件であり、、しかもその本人は藩主に兵学を進講するほどの立場にある人物だ。
重臣をはじめ多くの人々が、どうしても理解できないのは、友人との約束を守るために、あえて藩の規則を犯し、自己の身分をなげうつというその奇矯な行為であった。彼らはそのことを「本末転倒」だと考えるのである。
 しかし、大次郎(住人注;吉田松陰)の主意的世界では、それは決して矛盾しないのである。以後の彼の行動すべてが、常人の理解を超えたところで展開されたといってよい。だが、第三者の目には、奇矯であり、狂的にさえ見えた。   

P172
”下田踏海”の失敗を、松陰は嘆いている。しかし、松陰が無事海外に渡り、数年後に新しい知識を身につけて帰るよりも、踏海に挫折した彼が、萩に押し込められ、松下村塾に英才を育てたことの方が、よほど歴史を動かす力にはなり得たということである。
教師としての松陰に与えられる使命は、倒幕の戦列に奔走する戦士の養成であり、革命の遺志を彼らに付託することであった。

P173
(住人注;萩の上牢の)野山獄での松陰は、「獄舎問答」に記録されているように、囚人たちを相手に外交問題、国防、民政などを中心に対話を進め、さらに「孟子」の講義へと発展した。
また、「獄中俳諧」と称する句会を催し、獄内の空気は松陰の入獄によって一変した。
あたかも学校の観を呈したといわれるほどである。宿命的な教師であった松陰の生き方は、時と場所を問わず不思議な力をもって展開され、そこにいる人々をひきつけずにはおかなかった。

P181
 松陰は言う。「僕は毛利家の臣なり。故に日夜毛利に奉公することを練磨するなり、毛利家は天子の臣なり。故に日夜天子に奉公するなり。
吾等国主に忠勤するは即ち天子に忠勤するなり」。そして毛利家や幕府に非がある場合は諫主・諫幕のために、「一誠兆人を感ぜしめ」ようというのであった。
誠を尽くしてそれに感じない者はいないというのだ。至誠とは死ぬまで松陰が貫いた態度だった。

P215
 吉田松陰は、門弟高杉晋作に教えた「死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよし」という死生観そのままに、三十歳で不朽の死をとげた。
それは殺されることによって、不朽の死を得たのであり、さらにいえば、受難者像を確立することで、生前の叫びに強い説得力を付加したのだ。
 もともと悲劇とは、受難とそれへの果敢な闘いをとらえる厳粛な演技によって、悲壮崇高な人生をえがこうとするものである。
 かつて松陰は間部要撃策をとがめられ萩で下獄したとき、自分から離れていく門下生たちをながめながら「我が輩、皆に先駆けて死んで見せたら観感して起るものもあらん」と悲痛な文言を吐いたが、まさにその厳粛な演技を意識した言葉であろう。
「留魂録」の冷静周到な達意の遺言は、それに対応するものだといってよいのかもしれない。処刑されて死んでみせることは、教師としてのア・プリオリな資質を備える松陰の、最後の垂訓であり、「留魂録」は松陰につづこうとする志士たちの聖書として作用した。

吉田松陰 留魂録
  古川 薫 (著)
  講談社 (2002/9/10)
 

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

  • 作者: 古川 薫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/09/10
  • メディア: 文庫

 松陰は一一歳のときにはもう藩主に御前講義をするところまで知的成長を遂げるわけですけれど、学問を始めてわずか数年でそのレベルに達するというのは、勉強したコンテンツの量の問題ではありません。どれほど想定外の情報入力が流れ込んできても、まるごと受け止めて、自分自身の知的スキームを組み替えることができるような恐るべき知的柔軟性を松陰が身につけていたということでしょう。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P234

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: 文庫

山口県萩市

ヤクニン

P220
クーパーはサトーに、
「幕府の役人より、はるかにいい」
 と言い、サトーもこの点は前からの持説であったので、つよい同感を示した。サトーは、日本の人材は薩摩藩と長州藩にあつまっているということを、かねてオルコック公使にもいっていた。
オルコック公使ら列強の公使は幕府の役人と接触するつど、その態度の煮えきらなさと面従腹背のうそつき外交に業をにやした。

ところが、イギリス艦隊は昨年鹿児島の錦江湾において薩英戦争をやり、勝敗の点では互角であったが、結果としては講和になった。このとき鹿児島城下ではじめて薩摩藩士と接触し、その態度の歯切れのよさと、約束はかならずまもるという点において、幕府役人とくらべ、これがおなじ日本人種かと思うほどにおどろいた。
サトーは、幕府役人の立場上のつらさに同情的でなく、むしろそれを第一に無能によるものと解釈し、さらには幕府役人が肚と言葉のちがう日本の伝統的外交法のみでやってくるのに対し、薩摩人はきわめて態度が明快で、その言葉はヨーロッパ人のことばのごとく信用できる、とみた。
サトーはこんど長州人にはじめて接し、鹿児島城下でもった感想と同じ感想を持った。

P223
「ヤクニン」
 という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。
ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚(ビューロクラシー ) ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと、
「上司」
 ということばをつかい、「上司の命令であるから」といって、明海に答えを回避し、あとはヤクニン特融の魚のような無表情になる。
 ―上司とはいったいたれか。その上司とかけあおう。
 と、外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と姓名をもった単独人ではなく、たとえば、「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実態がないということがわかる。
~中略~

 一八五三(嘉永六)年、アメリカのペリーとおなじ目的で日本にきたロシア皇帝の代理者プチャーチン提督も、長崎で日本の役人に接触した。
プチャーチンのこの日本航海記を執筆すべく官費でその随員となっていた作家ゴンチャロフは、日本のヤクニンのこの責任回避の能力のみが発達した特性に驚嘆し、悪口をかいている。
当時のヨーロッパの水準から言えば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。そのロシア人ゴンチャロフさえ(かれは大蔵省役人の前歴をもっていた)日本のヤクニンにおどろいたのである。

 さらにこの物語の筋から離れていえば、この徳川の幕藩官僚の体質は、革命早々の明治期にあまり遺伝せず、高等文官制度が軌道に乗った大正以後に濃厚にあらわれてきて、昭和期にはその遺伝体質が顕著になった。
太平洋戦争という、日本国の存亡を賭けた大戦でさえ、いったいたれが開戦のベルを押した実質的責任者なのか、よくわからない。
ペリーとプチャーチンがおどろいた驚きを、東京裁判における各国の法律家も三度目におどろかざるをえなかった。

 

P225
 ヤクニンにもっとも絶望していたのは英国のアーネスト・サトーであり、かれは、
「幕府役人よりも、雄藩の役人の方がはるかに責任ある態度をとり、頭もいい」
 として、意識的に薩長土の雄藩に接近し、結局それがいわゆる維新回天の事業を遂げたために、英国は明治政府に対して他国を圧する位置を占めることができた。
~中略~
 アーネスト・サトーの対日本人接触法は、単純であった。要するに保身だけを配慮するヤクニンを避け、危機意識をもった志士的政治家を信頼しただけのことである。

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 文庫


 個人的には、日本の現状を憂える良心と先見性に満ちた役人は各省庁に数多い。
だが、そんな人々も、自分の所掌の問題となれば、所属の省庁の権限拡大と組織増加のほうを優先する。それが、その人物の現在の評判と将来の出世を決定するからだ。

 普通の人間である官僚たちに、自分の所属する組織内での可能性を放棄して、国家国民全体のことを考えよというのは、余りにも酷である。
「日本革質」

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る
堺屋 太一 (著)
PHP研究所 (2004/12/7)
P247

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る

  • 作者: 堺屋 太一
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2004/12/07
  • メディア: 単行本




  近年、幕府の政治力は次第に衰えてきたとはいうものの、未だ国民を理由なく苦しめしいたげる、過酷な悪政を行ったというわけではありません。
幕府の衰えと最近の失態は、要するに諸役人に有能な人物のおらないことによるもので、将軍自身には何のあやまちもないはずであります。
書簡

啓発録
  橋本 左内 (著)
  講談社 (1982/7/7)
   P122

啓発録 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ12)

啓発録 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ12)

  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2016/06/30
  • メディア: 単行本


 江戸期にあっては大名は領国の租税徴収権のもちぬしであって、地主ではなく、地主というのは町人や百姓身分の者であった。藩官僚も自分の屋敷の敷地いがいに土地はもっておらず、さらには藩官吏が商人とむすびついて商業による利益を得るということもない。
 江戸期において貧乏なのは武士で、金持といえば商人や百姓であった。長州藩でいえば吉田松陰の実家の杉家も藩の行政官の家であり、薩摩藩でいえば西郷隆盛の家も地方役人の家であったが、かれらの生家の貧窮ぶりは日本では当然なこととしてうけとられている。同時代の他のアジア人がこれをみれば、
「それだけの利権を持ちながら、杉家も西郷家もなぜ貧乏だったのか」
 ということで、理解することができなかったにちがいない。
 明治という日本の開化時代は、前時代のこういう体制を原型として成立した。
明治の官吏は井上馨が江藤司法卿に弾劾されたというようなほんのわずかな異例をのぞいてきわめて清潔であったし、ひるがえっていえば明治官吏の清潔さを土台にして、はじめて明治の資本主義が成立したわけであり、これをもうひとつ裏返せば、多分に国家の面倒見を必要とする近代的産業というのは、官僚の清潔さの上にしか成立しえないものだといえる。

街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P188

街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/08/07
  • メディア: 文庫


山口県 下関市

長州藩

P43
明治維新の規定がどうであれ、幕末の長州人集団というのが、日本史ではめずらしいほどに革命意識と革命の行動性をもっていたということを、こまかくみればみるほど、そう思わざるをえない。
その後の日本史に、この時期の長州人たちほど革命団体というにあたいするものがあったかということにあると、フランス革命以後のフランスと同様、たいしたことはなさそうである。

P44
 この(住人注;「蛤御門の変」という名称で知られる元治元年ノ変)長州藩の京都討ち入りというのは、どの国の革命にもある段階発生し、存在する革命観念の暴発で、現実的な政略計算など一切見られない。
そういう計算は、むしろ敵であった。高杉晋作や桂小五郎といった革命の玄人暴発に反対したが、しかし押し流された。
この時期、長州藩の反幕運動は厚い壁にとりかこまれて、絶体絶命の窮地にあった。そのくせ集団の意識だけは極度に昂揚し、はけ口を求めねば内部の統制がとれなくなるところまできていた。
ついに船団を組んで三田尻港を出発し、大阪湾に入り、京都を包囲し、やがては御所を目標に乱入して激烈な市街戦を演じたすえやぶれた。
どうみても勝ち目のないこの集団行動をなぜやったかということは、そのころの長州藩の追いつめられた事情や空気を見ることなしには理解できない。

P47
 元治元年ノ変のあと、長州藩は反幕体制という国家体制からはじき出された私設藩になってしまった。
幕府がそのようにした。佐幕化した朝廷に要求して、在来勤王好きの長州藩毛利敬親の官位をとりあげ、いわば平民にした。むろん朝敵でもある。
さらに将軍と大名という主従関係も、幕府側から断ち切った。
長州藩は法的には徒党集団にすぎなくなり、政治的には日本における一独立国になった。長州は戦国の毛利氏にもどった。

高杉晋作が好んで使った言葉でいうと防長二州(山口県)に「割拠」せざるをえなくなった。長州人が政略的になるのは、この窮地に追いこまれてからである。 

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

山口市 瑠璃光寺 五重塔 

2025年3月29日土曜日

ホスピス

   緩和ケアの考え方が、がんの早期からとり入れられるようになったとはいえ、現実問題として、がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やった挙句、刀折れ矢尽きた果てに到達する場所が、ホスピスになっているのではないでしょうか。いわば”尻拭い施設”です。
 別に、これは、ホスピスを貶めていっているのではありません。結果的にそういう位置づけになっているのではないかといっているだけです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P121

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者: 中村 仁一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書

独立行政法人 国立がん研究センター

 緩和ケア病棟(ホスピス)は、がんなどの病気に伴う痛みや不安など心身の苦痛の緩和を専門に行う病棟だ。
緩和技術に精通した医師や看護師がおり、薬剤師、宗教家、ボランティアらとチームを組んで、患者や家族を支える。
国立がんセンター・がん対策情報センターによると、二〇〇九年一二月現在で全国二〇八の病院に開設されている。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P61

P88
国が一九九〇年に基準を満たした施設を緩和ケア病棟として認可し、定額入院料の給付を始めたことで、多くの病棟が開設された。
国立がんセンター・がん対策情報センターによると、二〇〇九年一二月現在で全国に二〇八施設。年々増えてはいるものの十分とは言えず、地域的な偏りも大きい。
 世界保健機関(WHO)は一九九〇年、緩和ケアを「治療不可能な患者のためのケア」と定義したが、二〇〇二年には、「生命を脅かす病気によっておこる問題に早期から対策するケア」と改訂した。

P87
 広島県は、緩和ケア病棟が八カ所計一四一床と全国トップクラス。整備の発端は一九九八年に市民団体が集めた一五万人余の署名だった(→解説18)。
「広島・ホスピスケアをすすめる会」(広島市)の石口房子代表は、こうアドバイスする。
「一人一人が最後にどんなケアを受けたいか考え、周囲に伝えること。もし地域で実現できないなら自ら声を上げて動くことが大事です。医療を動かすのは市民の力。やればできるのです」

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

 

P66
末期の患者というのは枯れ木が朽ちるように穏やかに衰えてゆく・・・・のではない。
その状態には大きな波があり、必要に応じて対処していくことが求められる。
 たとえば、心臓のまわりを取り巻いている膜で仕切られるスペース(心嚢)に、癌の浸潤または播種(はしゅ)(癌病巣がばら播かれるようにひろがること)によって水が貯まることがある。
一定以上貯まると心臓を圧迫し、心臓がうまく血液を送れなくなる。こうなると、生命も危険に晒されるが、患者さんも一種独特の苦悶症状に陥る。この診断は案外難しく、頬部レントゲンなどでは見落としてしまうことも多い。
対処法は、心嚢に針を刺して貯まった水を抜くことで、症状は劇的に改善する。「どうせ末期」の状態でこの診断を行い、治療をすることはそれなりの知識と技量を要求されるが、「どうせ末期」の状態であっても症状緩和はその処置でないと不可能で、酸素を投与しようがモルヒネをいくら使おうが枕元で賛美歌を歌おうが役に立たない。
 ところが、多くのホスピスでは、あえてしないのかできないのかは別として、そのような、ばたばたした診療行為はやらないと決めているかのようである。
そういうところでは、患者が入所を希望する時に、「とにかく一切の癌治療はしない」ことを何度も何度も患者および家族に確認を要求し、それに従わなければ受け入れない、ということが多い。

P68
 ホスピスケアをする医療者は、「やりすぎる」現代医療のアンチテーゼのようなところもあって、とにかく抗癌剤もしない、手術もしない、手術も放射線もしない、輸血もしない、それが嫌なら受け入れないという施設が非常に多い。特にナースサイドにそういう教条主義的なのが結構いて、医者がコントロールできないところではそれが施設の方針になっている。私はこういうのをタリバンホスピスと呼んでいる。~中略~
 一方、一般の病院でも、末期の患者に一律にホスピスを勧める傾向があるが、相手を見てものを言うべきである。現時点で積極的治療の適応なく、対症療法のみになっていても、たとえばさしあたって全身状態が良好で日常生活や仕事ができる人がホスピスへ行けと言われても、ふつうはハイそうですかとはならない。~中略~ ホスピスがすべての「末期」患者の解決策であるかのような誤解を与えるべきではない。

偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)

偽善の医療 (新潮新書)

偽善の医療 (新潮新書)

  • 作者: 里見 清一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書


P144
 おカネの問題だけではありません。ホスピスに入るには条件があります。
 現行では厚生労働大臣または都道府県知事から認可を受けたホスピス棟への入所条件は、がん末期かAIDS患者のみ。他の疾患の人は入れません。
それに加えて「治療の見込みのない」という条件がつきますので、いったんホスピス棟へ入ったら、いっさいの治療的な医療行為は(緩和ケアを除いて)行われません。たとえ末期といえども、患者さんはあきらめがつかないもの。最後の最後まで抗がん剤治療を求める患者さんは、ホスピス棟に入ることができません。
 こういう場所へ移る患者さんの気持ちに、抵抗感があることは想像にかたくありません。ホスピス棟に入ることは、生きるのぞみをすべて断念するようなもの。~中略~
日本人にとってホスピスは「死を待つ家」のイメージ。そこに牧師や僧侶がいたら、スピリチュアルケアどころか、ますます絶望にうちひしがれる患者さんだっていることでしょう。
 ヨーロッパの福祉先進国で見たホスピスは、日本以上に徹底したものでした。デンマークで訪れたホスピスには、ナースが勤務しているだけ、日本と違って常駐の医師もいません。近くの病院からバリアティブチーム(緩和ケアの医療チーム)が通ってくるだけ。基本医療行為をしないので、それですんでいるのです。平均滞在期間は2週間。日本の在院日数は40日ほど(2009年)。
~中略~
ここには安楽死の思想につながるドライな死生観があります。各国のケアの制度には、その社会の死生観が色濃く反映していますから、制度だけ抜き出して日本に移植することは、かんたんにはいかないのです。

P146
前章で触れた山崎医師はホスピス病棟医に転じたあと、ホスピス病棟ともいえども病棟の一種、と考えるようになり、さらに在宅ホスピス医に転じます。患者さんにとってはホスピス病棟は非日常。
人生の最末期に日常からひきはなされて非日常の時間と空間のなかへ移行しなければならないくらいなら、そのまま日常の時間と空間のなかで死を迎えることができないだろうか?・・・・・・それが在宅ホスピスです。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 文庫

 

 癌の教科書は非常に多い。そのなかでも、国際的に広く医師や医学生に読まれている癌のバイブル的な教科書を調べてみると、癌の診断学、病態生理学、症候学、治療学については詳細な記載はなされているが、痛みについての記載はゼロに等しい(表37)。痛みについて記載されているまれな教科書でさえも「鎮痛薬の投与」という一行の文章ですまされているのが現実である。
 死を目前にして、痛みにもだえ苦しみぬいている癌末期患者に対して、誤った概念での根治療法なるものを錦の御旗のごとく振りまわす現代の医学は、苦しむ患者になんら救いの手をさしのべていない。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
P207

痛みとはなにか: 人間性とのかかわりを探る (ブルーバックス 748)

痛みとはなにか: 人間性とのかかわりを探る (ブルーバックス 748)

  • 作者: 柳田 尚
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/09/01
  • メディア: 新書

富山県 立山

看取り難民

P132
1950年代までは8~9割を占めていた自宅死を病院・診療所での死亡が逆転したのは、1977年のことだ。
以来、病院死は増加を続け2000年以降は8割近辺で推移。一方の自宅死は1割強にとどまっている。(図1)
 50年代後半から始まる高度経済成長は生産拠点での労働力の確保のために両親と子どものみという核家族を必要とし、結果的に日常生活から死を遠くに追いやっていった。
 それでも70年代あたりは都市部でもかろうじて、祖父母を家で看取る文化が残っていた―脳卒中や老衰などについては。

P133
80年代の終わり頃から、「家に帰りたい」という終末期がん患者の切実な願いに応じ、自宅での療養を支える病院・診療所がぽつりぽつりと出始める。がんの痛みを治療の誕生も「家に帰そう」とする医療者の背中を押した。
 再び家庭が療養・看取りの場とされ始めたのは、65歳以上人口が1割を超えた90年代初頭。迫りくる「多老・多死時代」の足音を聞きながら医療費削減と看取り場所の確保を睨んだ厚生省(当時)の策だった。
 まず92年の第二次医療法改正で「居宅」が医療提供の場として位置づけられた。~略~
次第に在宅医療は「治療手段がない」と宣言され、がん専門病院からの退去を余儀なくされた患者たちの受け皿として機能するようになっていた。
 ただ、一方で、「患者」を治すことに馴れた病院勤務医の視線は在宅医に冷淡だった。
当時からがんの看取りを実践している在宅医(仮にA氏としよう)は苦笑交じりに「変わり者、とよく言われた」という。第一、当時の医学教育のカリキュラムには在宅医療やがんの痛みを取る緩和ケアの項目などは皆無だった。
~中略~
 2006年以降、がんの終末期をいかに過ごすか、の選択肢はかなり増えた。しかし、その変化を遙かに凌駕するスピードで迫ってくる影がある。それは「がん死50万人」という試算だ。
 厚生労働省が2006年までのデータを基に算出した恐るべき予想によると、2010年に101万9000人だった総死亡者数は、わずか20年後の2030年に1・5倍の161万人に増加する。しかも、医療機関、介護施設、自宅での死亡数をのぞく「その他」、つまり、「死に場所」が定まらない「看取り難民」が、死者の3割にあたる47万人も出るというのだ。
取材・文 野瀬悠平(ライター)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本

 実際には、いちばん医療の手を差し伸べる必要があるのは、手術に成功して、治ってしまう「勝ち組」ではなく、こうした「負け組」の人たちなのです。
激痛に苦しみながら亡くなっていく彼らに、居場所すらありません。手術をした大病院では、もう治療法がないといわれ、市中病院に転院したあとも、長期の入院は無理(長期入院は、保険収入が減るため)と、たらい回しにされている患者さんは少なくありません。
 まさに、「がん難民」です。
(住人注;中川恵一)

自分を生ききる -日本のがん治療と死生観
中川恵一 (著), 養老孟司 (著)
小学館 (2005/8/10)
P115

自分を生ききる -日本のがん治療と死生観-

自分を生ききる -日本のがん治療と死生観-

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/06/06
  • メディア: Kindle版

P21
 お正月は家族の時間。ひとりものには「魔の時」です。家族持ちはそれぞれ家族と共に過ごします。そのお正月に三日間誰にも会わないで過ごす・・・・・・そりゃ、孤立していると考えてよいでしょう。
最近では元旦にもコンビニは開いていますが、コンビニに行っても口をきかずに買い物をすることができます。これは「人に会った」うちに入りません。この質問になんと前期高齢者の独居男性の10人に6人(61.7%)が「はい」と回答しました。女性になると26.5%と半分以下。男性の孤立度はあきらかです。
男性の孤立度はあきらかです。この割合は後期高齢者になるとかえって46.8%と低下します。推測するにその理由は、前期高齢者の独居男性に非婚・離別がじわじわ増えているからでしょう。

P27
「在宅ひとり死」([コピーライト]Chizuko Ueno)と聞いただけで、縁起でもない、という反応をするひとがいます。「おひとりさまの最後」を「おひとりさまの末路」と読みたい人もいることでしょう。誰にも看取られずに家でひとりで死ぬと、即「孤独死」と呼ばれます。
 ひとり暮らしをしている高齢者が、やがて家でひとりで死ぬのはあたりまえのこと。行路死という死に方もありますが、しだいに弱って出歩けなくなれば、そのまま家で死ぬことになります。孤独死というのは、それ以前から孤立した孤独な生を送っていたひとの話。たとえひとり暮らしでも、孤独でなければ、孤独死ではありません。だから「在宅ひとり死」なのです。
~中略~
 ひとり暮らしの高齢者は、たんに同じ家に家族が同居していない、というだけで、家族がいないわけではありませんし、友だちがいないわけでもありません。独居高齢者はそれだけで撲滅しなければならない疫病のように扱われますが、同居家族いることはそんなによいことでしょうか?
同居家族がいるばかりに周囲から家族ぐるみ孤立するケースもありますし、夫婦でいるばかりに「さし向かいの孤独」という地獄を味わうことがあります。~中略~
 それにひとり暮らしの高齢者が息を引き取る瞬間だけ、遠くに離れていた家族・親族が「全員集合」するのも、妙なもの。この看取りコンプレックス(と呼びたいと思います)も、そろそろ「卒業」してもよいのではないでしょうか。
「全員集合」できるのは、もともと家族・親族が同じ地域にかたまって暮らしていたから。遠くに離れて住んでいるなら、そうかんたんに集合することもできません。めったに会わない親族が臨終に間に合いたいと駆けつけるのは、今生のうちにお別れをいっておきたい、という気持ちから。昏睡状態になってからでは手遅れです。それならもっと早くからお訪ねして、別れも感謝も伝えておきましょう。

P59
 病院にも行けないし、施設にも入れない・・・・・このままでは介護難民、看取り難民になる、というのが前章の予測でした。
 とはいえ、世の中で起きるどんな変化も自然現象ではなく、ひとが引き起こす社会現象です。看取り難民になりかねないのは、現在の政治が病床は増やさない、施設建設は抑制する、と決めているからです。そういう意思決定をした政権を選んだのは有権者です。うらむなら政治をうらみましょう。というより、われとわが身を呪うしかありませんね。
 政府は代わって在宅誘導にシフトしました。死に場所は何も病院や施設と決ったものではありません。日本の高齢者の持ち家率はもともと高いのだから、それに日本人の大半は最近まで家で死んでいたのだから、在宅で死んでいただきましょう、というもの。 
 が、しかし。政府の在宅誘導には、「家に家族が同居していること」が前提とされています。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

おひとりさまの最期 (朝日文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 文庫

富山県 立山

終末期医療

P22
 日本救急医学会は2007年に策定したガイドラインで、脳死など不可逆的な全脳機能不全、生命維持が人工装置に依存、など4条件のいずれかを満たせば「終末期」と定義し患者・家族の意志を基本として延命治療の中止を選択肢として認めた。
しかし、どんな状態を終末期と定義するかは個々の患者や病気ごとに異なり、一律の定義は難しいため、この定義は必ずしもコンセンサスを得ていない。
尊厳死の法制化を目指す日本尊厳死協会の研究斑は、がん、呼吸不全、心不全、持続的植物状態などの病気ごとに終末期の定義を示し、延命治療の中止の判断基準を提案したが、患者団体などからは「弱い立場の患者を死に誘導しかねない」などと反論も出ている。

P18
終末期医療については、ほとんどルールのない状態が続いてきた。現場の医療者に判断が委ねられた結果、殺人罪に問われたケースもある。
医師は訴追を恐れ身動きがとれなくなり、患者・家族にも不幸な状況が生じている。
 国内で唯一ルールらしきものとして存在したのが、一九九一年の東海大学安楽死事件を受けて横浜地裁が出した判決。薬の投与などで意図的に死を招く「積極的安楽死」と、人工呼吸器など延命治療を中止する「消極的安楽死」について、許容される要件を示した。
 積極的安楽死は、①耐え難い肉体的苦痛がある。②死が避けられず死期が近い。③生命の短縮を承諾する明らかな本人の意思表示がある。④苦痛を除去・緩和する方法がない。―の四点。
 消極的安楽死は、①不治の病に冒され死が避けられない末期状態。②治療中止を求める本人の意思表示が中止を行なう時点で存在する(事前意志や家族の意志推定でも可)―の二点。
 これらは一定の指標にはなったが、現場の混迷は続いた。
~中略~
 日本集中治療医学会は二〇〇六年「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」で、治療の中止や差し控えの手順をまとめた。
日本緩和医療学会は同年、人工的な水分・栄養補給を対象にした「終末期がん患者に対する輸液治療のガイドライン」を作成。日本救急医学会も二〇〇七年「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」で終末期の定義や中止できる項目まで踏み込んだ基準を示した。
 ただし、学会ごとにガイドラインを作っても食い違いが出てしまう。
~中略~
 一方、「ガイドラインは医師の免責という意味合いが強い。患者の死にかかわるからには、それに頼るのでなく、患者ごとに最善を求めて悩むべきではないか」と、ガイドラインという考え方そのものに批判的な声もある。

 

P17
 終末期患者の治療方針を決めるのは難しい。ただひとつ確かなのは、「答えは医師の頭の中ではなく、常に患者の中にある」ということ。
いま医療現場は国の医療費抑制政策や医師不足で余裕を失っている。それでも会川医師は、強く心に決めている。「患者ごとに四苦八苦しながらでいい。関係者と対話を重ね、一人一人の思いに寄り添う医師になりたい」と。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

養老 僕はホスピス専門のお医者さんから聞いたことがありますけど、患者さんが治療を拒否して、このままでやってくれというときに、その意見に味方すると、それは医療の放棄だという議論が起こるというんですね。
 ホスピスの中ですら、医者が何かをしなくてはいけないという気持ちを一方で持っているんですよ。
中川 そうですね。そのように養育をされてきているんですが、患者さんからすると、場合によってはありがた迷惑というところもあると思いますね。
養老 そうそう「生と死」というギリギリのところにくると、ほんとに大きな論争になりうるのですよ。医者中でも。医者がどこまで手をつけなければいけないか、つけてはいけないか。
中川 なかなかむずかしい問題ですね。
養老 世間的にいえば、一生懸命に治療してくれるお医者さんは、良いお医者さんですよね。だけどがんの場合、いちばん大きな問題は、どんなに一生懸命に治療しようとしても、その治療がもはや有効でないという患者さんが半分くらい発生してきちゃうということですよね。
中川 ~中略~ つまり、がんが再発した場合、基本的には治癒があり得ないというわけです。
 これはなかなかいいにくいことでもあるんですが、つまり患者さんがいま受けている治療行為がどういう意味なのかを知らないところがあって、そこが非常に問題だと思うんですね。
だから、そこを十分理解されたうえで、1日でも長く行きたいという権利はあると思うんです。
 ただ、そこを知ったうえで私はやらないという方もいるはずで、そのへんはやはり患者さん側の勉強もある程度、必要なのかもしれません。

自分を生ききる -日本のがん治療と死生観
中川恵一 (著), 養老孟司 (著)
小学館 (2005/8/10)
P48

 

自分を生ききる: 日本のがん治療と死生観

自分を生ききる: 日本のがん治療と死生観

  • 作者: 中川 恵一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/07/15
  • メディア: 単行本





 終末期は一般的に治癒の可能性がなくなり,予後が概ね6ヶ月の時期と定義されるが,Kastenbaumは「死」は主治医がもはや効果的な治療法がない,と判断した時点から始まるとするのが最も適切だとしている8)。
積極的抗がん治療の中止を患者に伝えることは非常に難しいコミュニケーションのひとつである。
治療法がないことは患者に伝えられていなくても,死に望んでいる患者は,周囲の状況から自分の状況についてよく感じとっている2)。
終末期には愛する人との関係を失うこと,自律性を失うこと,身体機能を失うために生じる自立性の喪失など,多くの喪失が待ち受けている。
ここで注意したい点は,患者は「死」そのものというよりも,「役に立たないから周囲の重荷になっているのではないか,自分は価値がないから見捨てられているのではないか」という精神的苦痛を抱きやすくなっていることである。

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)
P41

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

がん医療におけるコミュニケーション・スキル[DVD付]―悪い知らせをどう伝えるか

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2007/10/19
  • メディア: 単行本

胃ろうの医学的根拠

P52
国内で胃ろうを作った人の予後の追跡調査はほとんどなく、生存率やQOL(生活の質)を改善するという医学的根拠はない。
欧米では、回復するまでのつなぎとして評価する声がある一方、必ずしも期待した効果が得られるとは限らないとする調査結果も多い。
米国のメディケア(高齢者対象公的医療保険)を受給する胃ろう患者8万人余を対象にした調査では、術後30日の死亡率が約24%、1年が63%と高く、早期死亡が多いことが判明、「高度認知障害の人に胃ろうをつくっても生存率やQOLは改善しない」 「嚥下障害の人を胃ろうにしても誤えんを防げない」との報告もある。国内と欧米ではケアのあり方が異なるため、国内の実態調査を求める声は根強い。

P53
 患者が高齢の場合、脳血管障害で胃ろうにして再び口から食べられるようになる人は20%前後にすぎない。病状やQOL(生活の質)の改善が少なく、むしろ長期介護が必要になる場合も多いため、高齢者に胃ろうをつくる際は慎重な判断が必要とされる.
長寿科学振興財団(愛知県)が2006年度に行った実態調査の結果では、「医学的適応」ではなく、在院日数短縮や転院・退院といった「社会経済的適応」で胃ろうをつくる場合が86%を占めた. 「本人・家族に意思確認していない」「適切なインフォームドコンセント(十分な説明と同意)がなされていない」など多くの課題が浮かんだ.

P26
二〇〇四年四月。長野県内に住む隆司さん(住人注;55・仮名)の九〇代の母親が在宅医療に入って、間もなく六年位なる。 脳梗塞の後遺症で寝たきりになり、既に意思表示はできない。
嚥下障害で口から食べることも難しくなっていた。それでも栄養状態が良好だったのは、「胃ろう」(→解説6)のおかげだった。
 その胃ろうが隆司さん夫婦を混乱させていた。
 母親に1分でも一秒でも長く生きてほしい。でも六年が経過したいま、胃ろうで「生かされて」いる母親の表情を見ていると、「早く楽になりたい」と訴えているようにも思えた。

P32
 患者が認知症などで意思表示できないとき、もし家族が胃ろうの注入を中止したいと希望しても、多くの医師は二の足を踏む。殺人罪など刑事責任を問われかねないからだ。
~中略~
「延命治療の中止は批判を受けやすいし、胃ろうをつくってしまうほうが医師にとってストレスは少ない。それでも医療者が患者・家族の思いを察してあげることが必要だと思います。
~中略~
脳血管障害で食べる力を失い、胃ろうをつくったものの、患者は声を出すことはなく、表情も失っていた。「本当に幸せなのか」。
訪問看護師らスタッフ約一〇人と話し合ったが、「自分がこの状態でも胃ろうを望む」と答えた人は誰もいなかった。 「いい医療」ではない、という認識を強くした。「寝たきりで知的能力も荒廃した人に胃ろうをつくっても、本人が幸せを感じることはほとんどない。逆に合併症を起こしたり、栄養剤が逆流して肺炎を起こしたりして、苦痛を長引かせるばかりです」

P47
「水を差すようですが、アルツハイマー病の終末期の患者は胃ろうの「適応外」だと考えています」
壇上の大沢誠医師(54)が短い講演をそう結ぶと、医師や看護師ら約二〇〇人で埋まった会場が一瞬、静まり返った。

P48
 「胃ろうは食べる力が回復するまでの「つなぎ」として始まった。それがいつの間にか「ゴール」になっている。しかも倫理的検討は置き去りのまま」

 

P51
解説6 胃ろう
 腹部に穴をあけて、体外から直接胃の中に栄養剤を入れる栄養法.19世紀半ばから開腹手術でつくられてきたが、1970年代に米国の医師が胃カメラで位置を確認しながら少ない麻酔と切開でカテーテル(細管)を入れる手法(経皮内視鏡的胃ろう造設術=PEG)を開発.手術室に入る必要はなく、10分ほどでつくれるため、1990年代後半から日本でも急速に広まり、2008年現在国内の患者数は25万人ともいわれる.
胃に直接栄養剤を入れる手法には、鼻から管を入れる経鼻経管栄養もあるが、患者が自分で引き抜いたり、鼻や食堂に潰瘍ができたりするなど課題があるため、長期に栄養をとる手法として胃ろうが選ばれることが増えている.

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


富山県 立山

2025年3月28日金曜日

我々の事業は何か

P29
  企業の使命と目的を定義する時、出発点は一つしかない。顧客である。
顧客を満足させることが、企業の使命であり目的である。
したがって、我々の事業は何かとの問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。
「マネジメント」

P63
企業の目的が顧客の創造であることから、企業には二つの基本的な機能が存在する。
すなわち、マーケティングとイノベーションである。この二つの機能こそ起業家的機能である。
「現代の経営」

P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
経営の哲学 (ドラッカー名言集)
ダイヤモンド社 (2003/8/1)

経営の哲学 (ドラッカー名言集)

経営の哲学 (ドラッカー名言集)

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2003/08/01
  • メディア: 単行本

 

 企業とは何かを決めるのは顧客である。なぜなら顧客だけが、財やサービスに対する支払いの意志を持ち、経済資源を富に、モノを財貨に変えるからである。

したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。


マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)

ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14) >
P16

 

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2001/12/14
  • メディア: 単行本


 

 

P94
 不思議なことに、生き方と働き方が一致している人の口から「もうかる」「お金を稼ぐ」という言葉を聞きことは、あまりありません。
もちろん、お金の大切さの認識、お金に関係した約束事への厳しさ、金銭的な目標達成のための努力などは人並み以上ですが、お金自体のことを話題の中心にはしません。

 それは「お客さまに喜んでいただくことが商品であり、仕事」と捉えているからです。

小さな会社のブランド戦略
村尾 隆介 (著)
PHP研究所 (2008/12/10)

小さな会社のブランド戦略 「生き方」と「働き方」が一致するビジネスモデル

小さな会社のブランド戦略 「生き方」と「働き方」が一致するビジネスモデル

  • 作者: 村尾 隆介
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: Kindle版

 

P142
だから僕は、いつも「儲けるんじゃない、儲かるんだ」と言っています。

P144
 会社にとっての利益とは、お客さんの満足度なのです。

正垣 泰彦

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
島根県 出雲大社

体力勝負

P24
  40歳くらいになると、体力が衰えてくるよね。これって気持ちの問題というより、体力の問題なんだよ。体力が衰えれば集中力もなくなるし、せっかくの技術も発揮できない。
そして、技術が出せなけりゃ気力も萎えるし、心も乱れる。根っこにあるのは、いつだって「体力」の問題なんだ。
~中略~

 さっきの話もそうだろ?まずはとことん体をつくって、技を磨く。
メンタルな話がでてくるのはその先だよ。
 とくに、年をとってきたら弱音を吐いちゃいけない。
 言葉ってのは恐ろしいもんでさ、少しでも弱音を吐くと、本当に気持ちが弱くなるからね。
青木功

P66
 くり返しますが、40歳や50歳で脳の衰えばかりに目を向けるのは、もうやめましょう。
 それよりも、まずは体の衰えに目を向けること。
そして健康を保ったうえで、なんでも体当たりで経験してみること。
ユウェナリス(古代ローマの詩人)の「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉がありますが、いつも「脳より体」の意識を心にとめておくことが大切なのではないでしょうか。
池谷裕二

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 

大分県 九重

ホットハート・クールマインド

 先ず「ハートは熱く」(ホットハート)とは、ポジティブ・イリュージョンによる「自分だまし」のことと考えてください。
自分のポジティブな心に忠実であること。あくまでも楽観的に現実を自分の都合のいいように解釈していくこと。
~中略~

 また、ひたすら身勝手で、自分に都合よく、物事を思い込みで考える人ほどやっかいな人はいません。
無反省なポジティブ・シンキングは、周りの人に迷惑を撒き散らします。
 そこで登場するのが、もう一方のキーワード「頭の冷静さ」(クールマインド)です。
ホットなハートは大切にしつつも、常に冷静に物事を正しく判断しようとするクールで批判的な頭も忘れてはなりません。
 大切なのは、これらは両立しうるものだという点です。
菊池聡

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)
P116

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


大きに笑い、大きに喜び、
極めて忿( いか )り、極めて哀しむ。
此の如きの類、各々損ずる所多し。
三教指帰 巻の中
私たちは人生に対して、
大いに笑い、喜び、怒り、悲しむ。
しかし、このような態度は、私たちの心をすり減らしているだけなのです。

空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
心について一二

空海 人生の言葉

空海 人生の言葉

  • 作者: 川辺 秀美
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/12/11
  • メディア: 単行本


私が子供だったとき、月に憧れるあまり、足元の6ペンスに気づかない人物を嘲笑うように教えられた。
でも、大人になるにつれて、その人物は教えられたように馬鹿馬鹿しいかどうか、確信が持てなくなってきた。
六ペンスを拾い上げたい人はそうしたらいい。だが、月に憧れるのも、とても面白い気晴らしに思えるのだ。
(スタンフォード大学出版「モーム著作展示会」パンフレット、一九五八年)

モーム語録
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P35

モーム語録 (岩波現代文庫)

モーム語録 (岩波現代文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/04/17
  • メディア: 文庫


 2014年、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二教授は受賞会見で、「研究の原動力は怒り。怒りがなければ今日の私はなかった」と述べました。
 怒りの感情というと、一般的にはネガティブな感情のように思われます。確かに人間関係やキャリアを壊したり、自分自身の心や身体に悪影響を与えることが得意な感情です。
 ただ、その一方で怒りの感情は人間にとって生まれた時から備わっているごくごく自然な感情の一つです。上手に活用すれば大きなメリットにもなるのです。

イラッとしない思考術
安藤 俊介 (著)
ベストセラーズ (2014/11/26)
P186

イラッとしない思考術

イラッとしない思考術

  • 作者: 安藤 俊介
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本

長崎県 平戸

2025年3月27日木曜日

中途半端な経験は、感性を鈍化させる

  ピーター・パンを読めば、まるで自分が空を飛んでいるような気分になり、シンデレラを読めば、自分が運命の王子様と結ばれたかのような恍惚を味わう。
 ところが、大人になってから童話に接しても、そこまでの感覚は得られません。せいぜいできのいいおとぎ話だと感心する程度で、自分とピーター・パンを一体化させるには至らない。ましてや、空を飛ぶことなどできない。
 これらの変化は、人生のさまざまな場面ででてくるはずです。

 中途半端な経験は、人生の感性を鈍化させる。世界と新鮮に向き合うことを困難にさせる。
 我々はもっと、この事実に自覚的であるべきだと思います。 それでは、どうすれば経験の罠から抜け出すことができるのでしょう?
答えはただひとつ、自らをリセットすること。すなわち過去を忘却することです。

一般に忘却は悪いことのように思われがちですが、我々は忘れるからこそ新鮮な心を保ち、新たな気持ちで世界と向き合うことができるのです。
~中略~
すなわち忘却とは、経験の中で蓄えられた余計な情報を削ぎ落とし、魂のコアにあるものを研ぎ澄ませていくプロセスでもあるのです。
亀山郁夫

40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)
P177

 「最近、年をとったせいか、記憶力が衰えちゃって」―これは間違っています。
 右の論文では、記憶について重要なポイントを二つ明らかにしています。
ポイント①は、海馬の性能そのものは、歳をとっても、衰えていないということです。若者と同じだけの能力を、歳をとってもちゃんと発揮できるのです。
ポイント②は、では歳をとって何が変わっているのかというと、シータ波です。
 シータ波は、面白いなと感じているか、知的好奇心を持っているか、探究心を持っているか、などといった注意力や興味に関係しています。シータ波がないと、見かけ上の脳の機能は低下します。結局は、脳装置の性能というよりも、装置を使う側の問題になるわけです。
 私たちにとっての最大の敵は「マンネリ化」です。
~中略~

 子どもは、一見、記憶力が優れているかのように見えます。確かに”特定”の記憶力については優れているという面はありますが、それよりも、好奇心が大人よりも強いという点が重要でしょう。見るもの、聞くもの、触るもの、すべてが子どもにとっては新鮮です。
生きることに慣れてしまった大人とは、まったく違います。
~中略~
 もちろん、これ(住人注;マンネリ化は脳の)は欠陥ではありません。マンネリ化は必要なのです。
~中略~

 ですから、初めて見たときには興味を示して、「何だろう」と探索するけれども、それを一回済ませてしまったら、あとは当たり前のこととして、次の別のものごとに専念するというステップが大切になってきます。
脳は処理を迅速にして、事務的な効率を高めるために、「慣れ」というメカニズムを用意しています。それが、マンネリ化ということです。

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P220 

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)

  • 作者: 裕二, 池谷
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/05/28
  • メディア: 文庫

 

子ども心を失っていない者は、偉大である。
[孟子] 古代中国の思想家 | B.C.372頃-289

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)
30

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法

  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2012/12/11
  • メディア: 単行本

 

孟子は「大人(だいじん)はその赤子(せきし)の心を失わざる者なり」と言うている。いわゆる赤子の心とは純一にして偽りのない、子供らしいことである。

修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P48

修養 (タチバナ教養文庫 23)

修養 (タチバナ教養文庫 23)

  • 作者: 新渡戸 稲造
  • 出版社/メーカー: TTJ・たちばな出版
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 新書

私は文学的論議というものにはどういう関心もないが、ただ作家にとって知識は敵であるということだけは、どうもそうらしいと思っている。
年をとって知識がふえればふえるほど、物事に感動することがすくなくなるが、それだけのぶんだけ創造力がなくなってゆく。
知識は、人間の不幸の一つとして年齢とともにどう防ごうとも殖えてゆくものだが、できればそれを棚の上にあげておいて、素の身は湯に浸り、Tさんが湯気の中でおどろいたように驚く工夫をしてゆかねばならない。
むろん作家や詩人でなくとも、そうあるべきであろう。

街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P219

街道をゆく〈1〉長州路ほか (1978年)

街道をゆく〈1〉長州路ほか (1978年)

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  • メディア: -

  我々の一番悪いこと、不健康、早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。
精神に感激性のなくなることにあります。物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に感激性を持たなくなる、これが一番いけません。

安岡正篤
 運命を創る―人間学講話
プレジデント社 (1985/12/10)
 P209

新装版 運命を創る (安岡正篤人間学講話)

新装版 運命を創る (安岡正篤人間学講話)

  • 作者: 安岡正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2015/03/31
  • メディア: 単行本

 古寺を巡るごとに、諸仏に対する私の感慨も次第に変わってくる。はじめての日のような素直な感動は少なくなって、へんにいらだたしくなったり、或いは不安を覚ゆるようなことが多い。
どれほど美しく尊いものも、度重ねてみているうちには日常茶飯事になってしまうのだろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P71

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

大和古寺風物誌 (新潮文庫)

  • 作者: 勝一郎, 亀井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/12/16
  • メディア: 文庫
愛媛県 石鎚山