2025年2月28日金曜日

アルメニア人

   アルメニアとトルコというと、一九一五年から一七年にかけて、いまのトルコがあるアナトリア半島からシリアやギリシャに追放されたときの悲劇が今も政治問題となっています。
そのころに「大虐殺」があったとアルメニア人側は主張しています。「大虐殺」を世界に認めさせようと強く主張しているのは、コーカサス地方にある小国のアルメニア共和国ではなく、全世界に散らばったアルメニア人たちです。
 アメリカやフランスには、この第一次世界大戦のときの悲劇から逃れた多くのアルメニア人がいまも住んでいます。 彼らから見れば、トルコは憎んでも憎み切れない「虐殺」の加害者の末裔ということになります。
~中略~
 この問題、おもに第一次大戦の最中の事件(十九世紀の後半からアルメニア人が犠牲となる事件は多発)なのですが、その当時、トルコを統治していたのは、形式上はオスマン帝国政府でした。しかし、もう崩壊寸前(千九百二十二年に滅びた後、トルコ共和国が一九二三年に成立)でしたので、実際には、エンヴェル・パシャをはじめとする軍人が実権を握って、第一次大戦にドイツ側について参戦していました。
彼らが、ロシアと共謀してオスマン帝国の寿命を縮めようとするアルメニア人たちの策謀を封じることを理由に、彼らを一斉にシリア砂漠に追放しました。これは間違いなく事実です。
~中略~
しかし、トルコ共和国の人たちからみると、前身のオスマン帝国を侵略し、支配をたくらんでいたヨーロッパ諸国が、この地域の民族のあいだにくさびを打ち込み、共存の歴史を破壊して憎しみに変えてしまったことが原因なのです。
~中略~
そして、フランスやアメリカの議会が「虐殺」を認定するということは、この問題がいまだにフランスやアメリカで政治的な意味をもっていることを示しています。
政治的意味とは、アルメニア人たちの経済的、政治的支持を集めることです。実際、アメリカではカルフォルニア州でアルメニア系の団体が力を持っていますので、大統領選挙など、大きな政治的イベントでは、必ず、アルメニア問題が持ち出されます。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P199

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/06
  • メディア: 新書

 

ムスリムとの共存について

P197
   (住人注;イスタンブールの首席ラビ(ユダヤ教の指導者)の説で)いささか驚いたのは、イスラエルなどというユダヤ人国家をつくったのは時期尚早だったと断言したことです。
しかしそれもユダヤ教の教義に照らせば、ある種、当然の主張なのです。ユダヤ教では、この世が終末を迎え、最後の審判が神によってなされた後に、ユダヤ教徒たちの王国が地上に出現するといいます。 ラビもそのことを指摘し「考えてもみよ、いまだこの世の終わりなんぞ来ちゃいない。なのに、先走ってイスラエルという国家などつくるから、諍いが起こるんじゃ」というのです。
彼は、イスラエルという国家をユダヤ人にとって絶対的存在とは見ていないのです。それどころか、ユダヤ教の神聖な教えをねじまげた政治家たちがつくりだした国にすぎないとうのですから、私も驚きました。

P197
一度、イスタンブールの首席ラビ(ユダヤ教の指導者)と会ったことがあります。そのとき、彼は、ムスリムと共存することに何の問題もないと強調していました。
ラビはトルコで生まれ育っていますから日常会話はトルコ語でした。ユダヤ教のラビというと、何やらひどく堅物そうなイメージを持ちやすいですが、彼は、えらく威勢の良い人で、他の宗教との共存について、共存の歴史のほうがはるかに長く、共存のほうがあたりまえなのだと力説していました。

P198
2千年以上にわたって、西アジアに暮し続け、キリスト教やイスラームが誕生してくるのを横目で見ながら、一緒に共存してきたのです。中東の地に生きるユダヤ教徒は、ムスリムと同じように、異なる宗教との共存の智恵を持っていたのです。

P199
 トルコやシリアにいるキリスト教徒も、ムスリムとの共存について、まったく同じ見解をとります。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 新書

 

解熱剤で熱を下げると、治りは遅れる

 私の好きな学説に、「治療の根本は、自然治癒力を助長し、強化することにある」ということにある」という「治療の四原則」があります。
一、自然治癒の過程を妨げぬこと
二、自然治癒を妨げているものを除くこと
三、自然治癒力が衰えている時は、それを賦活すること
四、自然治癒力が過剰である時には、それを適度に弱めること

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P40

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者: 中村 仁一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書

 

  そもそも、センナやダイオウは、漢方の古典でも、長期に使わないように釘を刺されている生薬なのである。
二一世紀のわれわれが、大腸運動を実測してわかったこれらの副作用に、早くも古人が気づいて警鐘をならしていたのは驚くべきことだ。
短期的には良くとも、長期的にみると問題が生じる治療を漫然と続けるべきではない。
東北大学医学部の学生には、次のように教育している。
深く考えもせず、「咳が出たら咳どめ、熱が出たら熱さまし、便秘になったら下痢、下痢になったら下痢止め」、というのは最低の治療である。必ず「この人はなぜ、その症状を示すのか」をしっかり考えてから、患者の病態生理に沿った治療をせよ、と。

内臓感覚―脳と腸の不思議な関係
福土 審(著)
日本放送出版協会 (2007/09)
P147

内臓感覚 脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス)

内臓感覚 脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス)

  • 作者: 福土 審
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2007/09/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

犀の角のようにただ独り歩め

P18
四五 もしも汝が<賢明で共同し礼儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。
四六 しかしもし汝が、<賢明で共同し礼儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

P19
五〇 実に欲望は色とりどりの甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見てただ独り歩め。

P21
六七 以前に経験した楽しみと苦しみを擲(なげう)ち、また快さと憂いを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

P73
七三 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)

ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1984/05/16
  • メディア: 文庫

「自らの道を歩め。他人には好きに語らせよ」

超訳『資本論』
的場 昭弘 (著)
祥伝社 (2008/4/23)
P40

超訳「資本論」 (祥伝社新書)

超訳「資本論」 (祥伝社新書)

  • 作者: 的場昭弘
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2014/01/17
  • メディア: Kindle版

ひとりなら、人はいつでも出発できるが、誰かと連れだっていると、そのもうひとりの準備ができるまで待たなければならなくなり、出発までのかなりの時間を要してしまうのだ。―「森の生活」

ソロー語録
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(著), 岩政 伸治 (翻訳)
文遊社 (2009/10)
P99

ソロー語録

ソロー語録

  • 出版社/メーカー: 文遊社
  • 発売日: 2009/10/01
  • メディア: 単行本

 私は自分で実験した経験から、少なくとも次のようなことを学んだ。
もし人が自分の夢に向って自信をもってまっしぐらに進み、自分が想像したような生活をしようと努力すれば、普段考えもみなかったような成功にめぐり合うだろう。
なにかの用事を済まし、国境を通過しても気づかないであろう。新しく、普遍的で、さらに自由な法則が自分たちの周囲や、自分の中にも確立し始めるだろう。
あるいは、古い法則を発展させ、もっと自由な感覚で、自分のためになるような解釈をすることだろう。

森の生活
D・ヘンリー・ソロー (著), 佐渡谷 重信 (翻訳) (著)
講談社 (1991/3/5)
P464

森の生活 (講談社学術文庫)

森の生活 (講談社学術文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/03/05
  • メディア: 文庫

無智によって人生の方向が見えなくなった人間よりも、重荷を無理やり背負わされるロバやラクダの苦しみのほがまだ軽い、あなたはそう説きました。人生に目標をもたないことより大きな苦しみはありません。
私には実践の歩みを信じる心と、向うべき方向があります。混乱と恐れのうちに過ごさなくてもよい人生は、望める限り最大の幸福でしょう。
苦しんでいる人は世界にあふれています。信ずるものを進むべき道をもたないので、自らの身心を損なっているのです。

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P132

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド

  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 2015/04/03
  • メディア: 単行本

 関わりから愛情が生じる。愛情から苦悩が生じる。
 愛情からわざわいが起こることを理解して、犀の角のようにただ独り歩め。
                   ―スッタニパータ〈犀の角〉の節

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P143

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

  • 作者: 草薙龍瞬
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/07/29
  • メディア: Kindle版

 二〇 なんらかの意味において美しいものはすべてそれ自身において美しく、自分自身に終始し、賞賛を自己の一部とは考えないものだ。実際人間は誉められてもそれによって悪くも善くもならない。
一般に美しいといわれているもの、たとえば天然の物資や人工的な製作品などについても同じことがいえる。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P56

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

  • 作者: 神谷 美恵子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版

奈良県 室生寺

2025年2月27日木曜日

リバタリアン・パターナリズム

Pⅳ
 本人の選択の自由を重視するのがリバタリアンである。しかし、行動経済学が明らかにしてきたように、人間の意思決定が合理的なものから乖離することがあるのも事実である。
その場合に、本人の選択の自由を最大限確保したうえで、よりよい選択を促すような仕組みを提供することが望ましいという考え方が、リバタリアン・パターナリズムと呼ばれる考え方である。~中略~
 リバタリアン・パターナリズムで、人々の行動変容に用いられる手法の代表的なものにナッジがある。
ナッジとは、「軽く肘でつつく」という意味である。例えば、企業年金に全従業員を加入させておいて、制度からの退会の自由にしておくことは、デフォルト(初期設定)から変更しにくいという人の特性を使ったナッジである。~中略~ 加入や退会のための手間が非常に小さければ、十分に選択の自由が確保されていると考えられる。それにもかかわらず、私たちの行動はデフォルトに左右される。

P103
 政府やコミュニティなどの個人を越える存在が行う介入を正当化する考え方として、行動経済学では、「リバタリアン・パターナリズム」という概念がある。
リバタリアン・パターナリズムとは、望ましい選択の方向性が明らかな場合、その選択肢を選びやすくする設計を導入しつつも、それを選択したくない場合、その選択を拒絶する自由を与えられるべきであるという考え方である(2)。
がん検診の文脈で説明すれば、がん検診を受けたくないという意思をもつ人にがん検診を無理に受けさせようとは考えないが、がん検診を受けたいという人の行動をそっと後押しする政策はリバタリアン・パターナリズムの政策だと言える。
 がん検診の場合、その対象となる本人にとって、がんの不利益はがんに罹患して初めて認識される。そのため、がん検診を受ける前後の時点においては、がん検診を受診することの利得が、将来発生するために大きく割り引かれて小さくなってしまう。
逆に、仕事を休まなければいけなかったり、検診で、痛い思いしたりするといった不利益、すなわち損失は検診前後の時点で発生するので大きく認識されることになる。そのため、リバタリアンの考えに基づき完全に個人の自由意思での選択とすると、多くの人はがん検診を受診するということを積極的に選択しなくなる。
あるいは、がん検診を受ける価値があると思っている人であっても現在バイアスのために、受診するという選択を先延ばしすることになる。
 一方で、リバタリアン・パターナリズムの考え方に基けば、対策型がん検診において、「人々がより長生し、より健康で、よりよい暮らしを送れるようにするため」にがん検診を受診するという選択を、人々に積極的に働きかけ、選びやすくるという対策や制度の導入が正当化できる。
 ただし、リバタリアン・パターナリズムのもとでは「がん検診を受診したくない」という意思と「がん検診を受診しない」という選択は当然尊重されなければいけない。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本

なぜ皮膚はかゆくなるのか

P49
 アレルギーで最初に起きる反応は、「マスト細胞の脱顆粒」である。~中略~

 たとえば花粉のアレルギーのある人が、花粉に接触すると全身のどこにでも存在するマスト細胞に花粉の分子がくっつき、それに誘発されてマスト細胞中の顆粒が放出され、中にあったヒスタミンが組織中にばらまかれる。するとかゆくなる。これが「かゆみ」の始まりである。

P59
 皮膚の細胞のミクロの世界を覗いてみると、ヒスタミンレセプター(受容体)と呼ばれるごく小さな器官がある。これにヒスタミンが結合すると、かゆみをつかさどる神経を介してパルス(信号)が送られ、それを脳が受け取ることで、「かゆみ」を感じとるというしくみになっている。

 

P33
 皮膚感覚を伝えるのは、知覚神経である。そして知覚神経の中で、皮膚感覚を伝える神経線維には、Aβ、Aδ、Cの三種類がある。
~中略~
そしてCは内臓痛や皮膚の鈍痛を伝える。つまりC繊維が伝えるのは、鈍痛。打撲や捻挫をしたあとしばらく起こるあのズキズキした痛みや、内臓から来るシクシクした痛みである。
「かゆみ」はこのC繊維を伝わるので、同じようにじわじわとゆっくり伝わってくる。
~中略~
 つまり、かゆみには脊髄反射がないのだ。正確には、C繊維には脊髄反射がない、ということになる。「痛み」には、痛みから逃避する脊髄反射が存在するが、「かゆみ」にはない。瞬間的に逃げる反射、逃避する行動がないのだ。
 だからたとえば、虫に刺されたとき、痛みで手を引っ込めることはあっても、瞬間的にかゆみを感じて逃げる、ということはない。


なぜ皮膚はかゆくなるのか
菊池 新(著)
PHP研究所 (2014/10/16)

なぜ皮膚はかゆくなるのか (PHP新書)

なぜ皮膚はかゆくなるのか (PHP新書)

  • 作者: 菊池 新
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/10/16
  • メディア: 新書

 

2025年2月26日水曜日

歴史を書き換えるのは勝者の特権

P137
支那大陸において、歴史を書き換えるのは勝者の特権である。中華民国においても、中華人民共和国においても、元、明、清のすべてが自分たちの祖先である中華王朝として扱われている。

 中華人民共和国公式見解では、満州、モンゴル、新疆ウイグル、チベットは中国固有の領土である。いずれも、一度は中華帝国の版図になったことがあるからである。

P194
 最終的に、ヒトラーに対して米英ソの「大同盟」が勝利するのだが、しばしば「ファシズムに対するデモクラシーの勝利」という偽善的な価値観で語られる。ナチス一党に支配されたドイツが一国一党のファシズムであったのは間違いないが、同じく共産党一党支配のソ連はデモクラシーなのだろうか。
 ヒトラー最大の悪行とされるユダヤ人虐殺だが、では、他のヨーロッパではどうなのか。同じ時代のスターリンはどうなのか。ヒトラーよりもはるかに多くの人間を殺しているではないか。
 ナチスの悪魔化は戦勝国にとって都合がよい歴史観だが、特にヨーロッパ人にとっては、自らが封印した暗黒面そのものなのである。だから忌避されるのである。

P195
 そして、ナチスドイツの同盟国であった大日本帝国について、「日本は言われるほど悪い国だったのか」と主張するときでも、必ず、「日本の非道と残虐行為」について言及するのが欧米の学術書の暗黙の掟であることを、どれほどの日本人が知っているだろうか。  本来、第一次大戦に事実上の圏外の地位を守った日本は、ヨーロッパの大戦とは無関係のはずだった。ところが、第二次大戦ではわざわざ敗戦国の側につき、いまだにナチスと同類の悪魔国家として扱われている。
 現象面では、国策の誤りの一言で片づけられる。ではなぜ国策を誤ったのか。その本質は、総力戦に対する無理解にある。
自らが身につけたヨーロッパ的価値観が、アメリカ的価値観に取って代わられる時代に、適応できなかったのである。

P217
 日本がヨーロッパ人のつくったルールでうまくゲームをこなせるプレーヤーになったとたん、ルールそのものを破壊するアメリカが世界の覇権国家となった。
 これは人類の不幸であったと断言してよいだろう。拡大された決闘としての戦争にはルールがある。粉争はルール無用である。
 ベトナム戦争はフランスに対するベトナムの独立戦争だったが、いつの間にかアメリカが介入して主役になっていた。そして一方的な都合で撤退した。
 一九九〇年代のユーゴ紛争はさらに不幸だった。バルカン半島西北部のスロベニアのユーゴスラビアからの独立戦争に端を発して戦いは始まり、いつの間にか西部のボスニアや南部のコソボが主戦場となっていた。

P206
勝者であるアメリカは南北戦争と同じように、国体を破壊する憲法を強要し、事後法による復讐裁判を行い、歴史教育でそれらを正当(統)化した。
 これらの行為に対して、日本人はあまりに無自覚であった。昭和二十年八月十五日は、終戦記念日などではなく、アメリカ人にとっては総力戦の本番開始なのである。
 もちろん、これは吉田だけでなくほとんどの日本人が理解できていなかったし、占領軍のあらゆる国際法違反を何一つ咎め立てしていない。
 これも、講和条約が結ばれれば、政府として過去の戦争のことを持ち出さないという、ウェストファリア体制のパラダイムを遵守しているのである。しかし、日本の周辺諸国でその意味での近代文明を有している国がどれほどあるだろうか。
 アメリカが非ウェストファリア国家であることは何度も強調した。中国や韓国のような儒教国家は、近代国家とは異質である。ロシアは国際法を理解したうえで破る常習犯である。テロ行為を繰り返す北朝鮮は論外である。かろうじて台湾くらいだろうが、その台湾は世界の国の一割からしか国家として承認されていない。

P211
 ドイツ(当時は西ドイツ)のほうはよく言われるように、戦争責任をすべてナチスに押しつけ、ドイツ民族や国家としては補償しか行っていない。
重要な用語なので確認するが、補償とはあくまで「お悔み」であって、自らの非は認めていない。
ドイツ(人)もまたナチスの被害者であるが、行為そのものはヒトラーに操られて迷惑をかけているので、その補償はして善意を示すということである。非はナチスだけにある。
 その代わり、ナチスを否定する教育を行なうことを事実上の国際公約にしている。
そうしなければヨーロッパでは生きていけないからだ。ドイツもその他ヨーロッパでは生きていけないからだ。ドイツもその他ヨーロッパ諸国の双方ともに、このフィクションを胡散臭いと思いながら、現実政治の都合上、そうした建前で外交関係を続けてきた。

 

P212
平成五年(一九九三年)の「従軍慰安婦に関する河野談話」と「侵略戦争に関する細川談話」、二年後の植民地支配と侵略に関する村山談話」と、「過去の侵略と戦争犯罪」を謝罪する政府声明を出し続ける。
 これらはすべて、サンフランシスコ講和条約以降の条約に上乗せされる約束である。敗戦国の側から過去の戦争に関する謝罪を申し出ているのである。
補償と違い、謝罪は自らの非を認めている。戦勝国に拒否する理由はない。なんの労もなく、日本を国際社会に受け入れる条件を釣り上げることに成功したのだ。
~中略~
 中国や北朝鮮、あるいはロシアが大日本帝国の復活を望むはずがない。アメリカや韓国も同じである。
~中略~
 日本が敗戦国のままでいてくれたほうが、国際社会にとって都合がよいのである。
 日本が歴史問題を解決しようと真剣に思うなら、もう一度戦争を行なって勝つ覚悟が必要なのである。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)

日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)

日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)

  • 作者: 倉山 満
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/04/03
  • メディア: 文庫

名医も治療法も人それぞれ

P109
 重要な医療上の決断をするときには、患者はセカンドオピニオンをとるようにしばしば勧められる。実はリサも別の高名な整形外科医にセカンドオピニオンを求めて受診していた。
「先生に何がベストかと聞くと、彼は「あなたの希望は何ですか?」って質問し返してきたんです。だから私は、「もし私が先生のお母さんだったら、先生はどの治療法を勧めますか、って聞き返しました」
 リサがこの整形外科医にした質問を私たちもしばしば受ける。
「もし私が先生のお母さんや妹さんだったら、あるいは先生ご自身だったらどうされますか?」という質問だ。
この問いの意味するところは「あなたが本当に「ベスト」だと思うものを教えてください」ということだ。
患者は、医療過誤や皮様、職業的な関係、病院間の連携、そして治療の勧めに制限や影響を与えるその他全ての因子を忘れて答えてほしい、と期待しているのだ。
しかし、現実的にはたとえ同じ疾患を抱えていたとして、もしの医師の母にとってベストであるものがリサにとってもベストであるとは限らない。

P161
 私たちはしばしば患者や、家族、友人に「ベストの」外科医は誰か、「ベストの」皮膚科医は誰か、「ベストの」小児科医は誰か、といった質問を受ける。そんなとき私たちも同じように、たった一人の「ベストの」医師がいるわけではない、と答える。
どの分野にも多くの経験豊かで、臨床能力に優れ、コミュニケーションスキルの長けた医師が存在するのだ。

P298
 ある病気の治療について、誰が「ベストの医師」か、と聞かれることがしばしばある。
一つの判断基準として、その病気と治療に関する知識、科学的なデータの用い方、いわゆるエビデンス・ベースと・メディシンを行っているか、ということが挙げられる。しかし私たちが考えるベストの医師とは、さらに一歩踏み込んで「ジャッジメント・ベースト・メディシン」、すなわち使用可能なエビデンスを考えに入れることはもちろんだが、それを個々人にどのようにあてはめるかを慮った医療を行う医師である。
 患者の中には自分と同じ考え方の医師を求めるひともいる。最大限主義者は最大限主義者の医師を好み、最小限主義者は最小限主義のアプローチをとる医師を選ぶといった具合だ。~中略~
自分自身の好みを患者に押しつけるような医師もいただけないが、患者の決定に唯々諾々と従うだけの医師から得られるものも少ないだろう。
選択の過程でその後押しをするだけでなく、あえて問いを投げかけてくれるような医師のほうが時としてより自分のためになることもあるのだ。

P290
全ての患者は、自分のなかに自分自身の医者を持っている。

             アルバート・シュバイツァー 

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)

決められない患者たち

決められない患者たち

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/04/05
  • メディア: 単行本

 

決められない患者たち

P2
 毎日、多くのひとびとが薬を新しく始めるかどうか、医療処置を受けるべきか頭を悩ませている。
それは健康でいるための予防的な治療をどうするかという問題のこともあるし、病気の治療に複数の選択肢があってそのうちどれかを選ばなければならないという悩みのこともある。
こうした決断をするのはかつてないほど難しくなっている。だが、情報が足りないわけでは決してない。
医師、インターネット、テレビ、ラジオ、雑誌、自己啓発本、とソースには事欠かない。~中略~
いったい自分にとって誰の言うことが正しいとどうしたら判断できるのだろう?多くの場合、その答えは専門家の側になるのではなく、あなた自身の中にある。

P204
 ポールは言う。「臨床医学というのは透明性からはほど遠い領域で、私に言わせれば非常に不確実性の高い分野です。
本当に合理的な決断をするなんんてこの領域に関しては無理です。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)

決められない患者たち

決められない患者たち

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/04/05
  • メディア: 単行本

Pⅱ

 かつての医者は、患者には医学的知識がないことを前提に、医者がよいと思う治療法を選択していた。

つまりパターナリズム(温情主義)に基いて医療行為が行われてきた。患者も医学知識がないので、医者に治療法の選択を任せてきた。かつてなら、がん患者に対して、がんであることを告知しないということは普通であった。

 しかし、医学知識が患者にも普及し始めたことなどから、メリットとデメリットの両方が存在する複数の治療法の中から、いずれか一つを選ばなければならないという医療者側の意思決定の内容が患者側にも知られるようになった。

もし、患者側も治療法についての情報提供を受けていたならば、患者は自分の好みを反映したよりよい選択ができた可能性がある。

つまり、患者が合理的であれば、自分で治療法を選択した方が、満足度も高くなるはずだ。例えば、がんの告知を受けていたならば、残りの時間でやりたいことをするために副作用が少ない治療の方法を患者が選択したかもしれない。ただし、情報提供の仕方によっては、患者が本当に患者本人にとって望ましい意思決定ができない場合もあることは注意すべきである。

 現在の医療現場では、インフォームド・コンセントという手法が一般的になっている。

インフォームド・コンセントは、もともとは、医者が患者に医療情報を提供して、患者が治療の内容や後遺症・副作用の可能性について十分に理解したうえで、医者と患者が治療の方針について合意して意思決定をしていくというものである。歯を抜くような場合であっても、手術の前に、後遺症や副作用の可能性について知らされて、その上で、同意して署名をする。医療訴訟を予防するという意味もあるだろう。

しかし、患者の方からすれば、「x%の確率で○○という後遺症が発生する可能性がある」という説明を受けても、なかなか理解することは難しい。

~中略~

行動経済学では、人間の意思決定には、合理的な意思決定から系統的に逸脱する傾向、すなわちバイアスが存在すると想定している。そのため、同じ情報であっても、その表現の仕方次第で私たちの意思決定が違ってくることが知られている。 ~中略~ また、医療者自身にも様々な意思決定におけるバイアスがある。

P13

 正確な医学情報さえ与えられれば、患者は合理的な意思決定ができるという前提で、多くの医師は患者に情報を与えているのではないだろうか。しかし、先に示した事例からもわかるように、多くの患者は、必ずしも医学的に望ましいと思えるような意思決定をしているわけではない。

医療者は、患者の意思決定の特性をよく理解して、情報の提供の仕方を考えるべきである。また、患者は、医師から与えられた情報をもとに、適切な意思決定ができるように、陥りがちな意思決定のバイアスを理解しておく必要がある。

P48

これまでに、数々の研究から、せっかちな人や先延ばし傾向の強い人ほど積極的な医療健康行動を取らないことがわかってきた。

 例えば、せっかちな人ほどタバコを吸ったり、肥満になったりしがちのようだ。(8)。また、様々な種類の検診や予防接種(歯科健診、乳がん検診、子宮頸がん検査、インフルエンザワクチンなど)に参加しにくい、という結果も報告されている。

さらに、近年では、食餌制限や運動療法などの医師からの指示をなかなか守れないということも、せっかちさが影響していると言われている。(10)

 物事を先延ばししがちな人ほど、同じようにタバコを吸ったり(11)、BMI値が高く、肥満傾向にあったりすることがわかっている(12)。また、自前の歯の本数が少なかったり(13)、乳がん検診を受診する可能性が低かったりする(14)。これらの傾向は、特に、自分が先延ばし傾向をもつことを理解していない、”単純”な人たちの間で強く観察されてきた。

P95
先にあげた筆者らの研究では、あわせて「この説明を読んでどう感じたか」という印象についても尋ねていた(23)。

その結果、「残念ですが、がんに対する治療をこれ以上行うことができません」と治療中止をデフォルトとして設定するような説明や、「以上の話をまとめると、残念ですが、私としては、これ以上の治療を行わないないことがあなたにとって最善の選択だと考えます」と医師が直接的な表現で治療中止を推奨する説明を示された場合、「見捨てられたように感じた」「つらいと感じた」という回答の得点が高かった。

医学的によいと考えられる方針を医師が勧めるということは、有効な場合もあるだろう。また社会的負担に言及することは、この調査においても「治療を中止する」という医学的に望ましい選択を増やす傾向にあることが示された。

しかし、これらの説明を行うことそのものが、患者にとって心理的に負担を与える可能性がある、ということには注意が必要であろう。

 また、ナッジが、患者の意思を誘導するものであって、倫理的でないという反論は多い。確かに、科学的根拠に乏しく、倫理的な考察の手順が全く踏まれていない手法や結論をデフォルトに設定して、選択する側が無知であるのをいいことに、選択させる側に有利な条件のもとで、ナッジによる意思決定支援が行われるとしたら、それは、歴史の批判にさらされた、かつてのパターナリズムに逆戻りしてしまうことになる。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)



医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本

2025年2月25日火曜日

脳梗塞は血圧の低いときに起こる

 脳梗塞は高血圧が原因といわれるが、そうではない。むしろ、血圧の低いときに起こる疾患である。
 脳の血管が詰まりかけたとき、体は懸命に血流を勢いよくし、血のかたまりを吹き飛ばそうとする。血圧を上げて、脳を守ろうとしているのだ。
「高血圧だから、脳梗塞になった」のではなく、「脳梗塞だから、血圧を上げて治そうとしている」のだ。原因と結果を取り違えているのである。
 このとき、血流が弱く、血のかたまりを押し流すことができなければ、簡単に脳梗塞になってしまうだろう。これは少し考えれば、わかることである。
 薬で血圧を下げることは、命取りなのだ。「脳梗塞は(降圧剤を処方した)医師によって作られる」と言っても過言でない。
 東海大学医学部名誉教授・大櫛陽一氏の研究によれば、
「降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいない人に比べて脳梗塞の発症率が2倍になる」という。
~中略~
 実は、戦後1950年代までは、脳卒中のうち、約90%が「脳溢血」だった。時代を下るにつれ、脳溢血は減り、脳梗塞が増える。70年代に入ると逆転し、90年代に入ってからは、脳溢血が10~20%で横ばい、脳梗塞は80~90%で90年代半ばから急に増加している。
 なぜ昔は、これほど脳溢血が多かったのか?
 それは戦後の日本は、非常に栄養状態が悪かったからである。~中略~
 血管がもろいうえに、強い肉体ストレスが加わって、たやすく血管が破れていたのである。そのため、脳溢血が多発していたのだ。
こうして、「高血圧=脳卒中で倒れる」というイメージが医者や国民の間に広まったのである。


高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)
P53

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

  • 作者: 松本光正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/06/06
  • メディア: Kindle版

 

アメリカは日露戦争直後には対日戦争計画を練っていた

P127
 そもそも、はっきり申しますと、残念ながら日本人には、大局的視野に立って長期戦略を組み立てる、という能力があまりありません。本当はそういう能力のある人が少しはいた方が良いのですが。 「世界最終戦論」をぶち上げた石原莞爾のような人は例外です。
 この能力はアジア人にもなく、ラテン民族やスラブ民族も得意ではありません。最も得意なのはアングロサクソンです。

P128
 一方のアメリカは日露戦争の終わった翌年あたりから、テオドア・ルーズベルト大統領の指示で対日戦争計画を練り始めました。オレンジ計画です。対英戦争のレッド計画など他にもありました。

 十九世紀末に西海岸まで到達し、ハワイ、フィリピンを獲得したアメリカにとって、次のフロンティアとしての目標は巨大都市中国でした。そしてすでに満州での利権を独り占めにし、中国への道に立ちはだかるのが、強力な海軍力を持つ小癪なイエローモンキー、日本だったのです。
~中略~
日露戦争での日本の強さを見るや、対日戦争に向けて三十五年間も準備していたのです。
~中略~

 

 その後も日米戦争だけはどんなことがあっても避けたい日本に対し、アメリカは太平洋の覇権をめぐって日本との激突を必然視し本気で準備しました。
第二次世界大戦で英ソが窮地に陥ってからは日本に先に手を出させようとありとあらゆる努力を重ねました。日米戦争に限って言えば、共同謀議で告発されるべきはむしろアメリカだったのです。 人間というものは、他人を攻撃する際に自分が言われるともっとも痛い言葉を用いる、という心理的傾向があるのです。国も同じです。

日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)

日本人の誇り (文春新書)

日本人の誇り (文春新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/04/19
  • メディア: 新書

 

 フランクリン・ルーズベルト大統領が米国議会に抗日戦争を促した演説など、日本を悪者に仕立てた修辞は見事なものです。
ルーズベルトは日本に手を先に出させることにより、米国民を奮い立たせ、それによって対独。対日の戦争へアメリカ合衆国を参戦させたにもかかわらず、そこには「日本が不意打ちを仕掛けた昨日は汚辱の日として残るであろう」a date which will live in infamy とか「いわれのない卑劣な日本による攻撃」 the unprovoked and dastardly attack by Japan on Sunday,December 7 とか、歴史に刻まれることになった表現の数々が並んでいます。  アメリカの国論を引っ張ったルーズベルトの政治家としての力量は大したものです。
日本が受け入れるはずのない「日本軍の中国全土、仏印よりの全面撤退、重慶政府以外の中国における他の政府政権の非承認、日独伊三国同盟の事実上の廃棄」などの悪名高き要求を一九四一年十一月二十六日にハル国務長官は日本側に手渡しました。
 日本側はこのハル・ノートが日本を戦争に追い込んだと主張しますが、敵もさるもの、国際社会では何枚も上です。そのハル国務長官は一九四五年にノーベル平和賞を授けられています。
軍事的な勝負でも、外交的な駆け引きでも、国際的な世論の戦いでも、表の工作でも裏の工作でも、日本は多勢に無勢でした。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P145

 

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書

日本の官僚システム

 アスモロフ氏は熱物理学の専門家で、一九八六年チェルノブイリ原子力発電所の事故では現地対策本部に派遣され、事故による周辺地域の汚染と原子炉の除染、石棺建設などに携わった。
日本の原子力業界にも親友の多いアスモロフ氏はロシア側の助言と提案を携えて訪日しようとした。日本が未曾有の大震災と原発事故の中で国際協力を求めるものと考え、チェルノブイリ事故で学んだノウハウを日本側に提供する考えであった。
またその中で日本側から福島第一原発の状況について迅速な情報提供を得られると考えていた。しかし当初、日本側の入国許可は下りず出発は遅れ、さらに三日間の訪日中も東電の責任者との接触は許されなかった。
~中略~

 日本にいる間は、アスモロフ氏はマスメディアとの接触を制限され、残念ながら接触できなかったが、ロシアに戻り、私の電話取材に答えてくれた。
彼が一番問題としていたのは、日本の官僚システムによる意思決定の遅れである。
「日本の複雑で硬直的な官僚システムによって事故への対応が遅れてしまったのです。
 問題を検討する場所が現場から離れれば離れるほど政策決定が遅くなり、運営状況が悪化します。ロシア人にとっては五分で済んでしまうようなことでも、日本ではまず委員会を立ち上げて会合が必要でした。

原子炉は水が欲しい水が欲しいと三日間泣いていたのです。それなのに独自の官僚システムで意思決定が長引いている間に原発が燃えてしまったのです。

世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P184

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


P185
 日本から情報が得られない中でアスモロフ氏らロシアが東京で接触したのはアメリカであった。
「私も東京で、アメリカの同僚と連絡をして、情報交換を約束した。アメリカのシミュレーションを我々とほぼ一緒だ。事情をより正確に予測できるように米ロのチームが情報を交換している」。

P187
ロシアは日本が求めるのであれば、核大国としてそしてチェルノブイリの事故を通じて多大な犠牲を払って得た核災害に対処するノウハウを教える用意はあった。
また国家に命令されなくても、アスモロフ氏やスマグーロフ氏は日本に喜んでノウハウを提供する考えであった。ロシア以外の国々もそうであっただろう。

しかし肝心の日本の側は、こうした国際支援については消極的であったように見える。

原発事故 ロシアはどう見たか──核兵器保有国の苛立ちと思惑
  石川一洋 (NHK解説委員)

 しかし、被災の状況によっては、住民の「安全のため」と称して、居住禁止区域が設定される可能性がある。
国策による地域・自治体抹殺は、足尾鉱毒事件の谷中村などを始め、これまでにもあった。
そして、文句を言う自治体を消滅させるのは、国・事業者・「専門家」にとって都合がよい。
行き先のない放射性廃棄物の処分場や新規の原子力施設立地にも好都合である。また、国は、被災自治体を合併させて、被災自治体の声を希釈化するかもしれない。

原発「核害」と立地自治体
  金井利之 (東京大学)

世界 2011年 06月号

岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)
P89
 

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌


P78
 数年前に、池田君といっしょにラオスに虫採りに行ったとき、夜に酒を飲みながら、日本のロケット打ち上げが失敗続きなのはどうしてか、どうすれば失敗しないか、という話をしたのを覚えていない?
あのときの結論は、「開発担当者をそのロケットに乗せることにすればいいんだ」だったよね。
自分がそのロケットに乗るとなったら、担当者は必死になって取り組むでしょう。原発も同じです。
つまり、原子力安全・保安院や原子力安全委員会というのが原発の安全を監視・管理する立場であるとするならば、彼らは福島や新潟の原発のそばにすんでいなければダメだったんですよ。
現場で問題に接していなければ見えないものがたくさんあるんだから。それは懲罰的に住めということではありません。
~中略~

 考えてみたら、宇宙ロケットにしても、JALにしても、原子力発電にしても、国策として官庁が監督してやっているのはみんなどこか危なっかしい。もっとはっきり言えば、ほとんど失敗の連続です。
~中略~
役人というのは、現場の人間ではないから、頭で考えてものを決めるでしょう。ところが、問題は現場で起きるし、それを解決するのも現場なんですよ。

P84
養老 ~略、4月のはじめ頃に、いつの間にか二号機と作業用ピット付近の亀裂から汚染水が海に流出していると判明したことがあったでしょう。そのとき、あの水がどこからどのように漏れているかわからないようなことを言っていましたが、あれは、僕らでもすぐにぴんと来る話で、雨が降った後には地下浅層を水が流れるというのは虫屋の常識だよね。地面を現場にしている人ならみんな知っているはず。
ところが、そんなことも知らないような人が、判断をして、指示をだしていることがわかってしまった。
池田 そうなんだね。基本的なことさえ知らない人が最先端の科学技術を扱っている。

P89
養老 やっぱり昔の日本軍と同じだよね。
兵卒は一所懸命やったんだけど、指示する人間が駄目で、最悪なのは参謀本部だったというような。

P126
養老 ~略
 官僚は知恵者が多いから、どうにかして取り繕う理屈を考えていると思う。彼らがどういうかが興味深いところです。
だって、そこでわかるじゃないですか。どういう考え方をしているかが。

 世界の原発業界から見れば、「日本がこんな簡単なことで手を抜いたから、こういう事故になったんだ」という結論にしたいはずでしょう。
原発を今後も動かしていくためには、そういう結論にしたほうが絶対に都合がいいはずです。

ところが、それが日本では「誰が悪いのか」という話になってしまうでしょう。
すると、むしろそれは事実を糊塗してごまかす方向に作用するのではないか。ごまかさざるを得ないようなところに追い込まれていくのではないかという気がしているんですよ。
池田 あれが、防ぐことのできない、やむを得ない事故だったという話にすると、「そんな危険な原発はすべてやめましょう」という話のほうが当然強くなるからね。
養老 「安全だ」と言うためには、「これは単純なミスによる事故だ」「防ごうと思えば防げた事故だという結論にせざるを得ないんですよ。
国際的なパワーバランスもからんでくるから。  

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本


 真珠湾攻撃から約半年後の昭和17年6月5日[現地時間]のミッドウェー海戦で日本は惨敗し、主力空母四隻と重巡洋艦一隻を失った。これがこの大戦における日本の運の尽きとなる。
 その惨憺たる結果の真相を知らされた者は少数であった。日本の不利な戦況は東条首相に必ずしも正確に伝えられるわけではなかった。その首相が天皇に報告するのであるから、天皇に本当の情報が届けられるはずがない。

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
竹田 恒泰 (著)
小学館 (2005/12)
P100

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」

  • 作者: 竹田 恒泰
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本


 最近は官僚主導からの脱却が政治家の大命題とされている。選挙を経ていない官僚が政治家を操るなどというのはもってのほかだが、一方で、官僚組織は血税で運営されている日本最大のシンクタンクである。デモラルさせていいことはない。
その点、吉田は自らが官僚出身だったこともあって、彼らを自分の人脈に組み入れ、その能力を最大限に引き出した。 文庫版あとがき

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下>
北 康利 (著)
講談社 (2012/11/15)
P225

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下> (講談社文庫)

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下> (講談社文庫)

  • 作者: 北 康利
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/11/15
  • メディア: 文庫

2025年2月22日土曜日

病人はいなくなるのか

「医学が発達したというなら、病人が減らなきゃいけないのに、逆でしょ。事実は、増えている。病人だらけですよ。高血圧が3000万人とか4000万人。糖尿が2000万人いるとか。そんなバカな話はない。たいした証拠もないのに、上限が下げられている総コレステロール値。私が大学を卒業した頃は260以上だったのが、今は220。
血圧だって160以上だったのが140.糖尿の血糖値だって140以上だったのが今は126。学会が中心になって、下げてきている。下げてどうなるのか。病院ばっかり増えちゃう。
自覚症状はほとんどないのに、検診なんぞ受けるから、数値高いよと言われてしまう。誰だって異常だと言われると心穏やかじゃなくなるから、しょうがない病院いこう、となる。
中村仁一

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P139

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本

 

北海道 札幌 もいわ山

自立した患者

P112
リサのケースでは、二番目の整形外科医は最近の医療文化の中で特に重視されている患者の自律性に影響を受け過ぎているようだ。
 リサは医師の言葉を引用して言った。「「やってもいいし、待ってもいい」と言われたんです。全然助けになりませんでした。だって「全てあなた次第ですよ」と言い続けるだけなんですから」
 ミシガン大学のカール・シュナイダーが明らかにしたように、医師がガイド役としての役を放棄して選択の重荷を全て患者の肩にのせてしまうという、自立性の原則の行き過ぎともいえるケースもみられる。
リサの得たセカンドオピニオン、「やりたいようにやりなさい」はこれにあてはまるだろう。
アリゾナ大学のコノリーは患者が決断時に自立性を発揮すればするほど、将来の後悔のリスクは高くなることに言及している。つまり、もしも結果が悪ければ、自分自身を責める羽目になるかもしれない、ということだ。
もちろん、これは微妙なバランスの問題ではある。というのは、悪い結果が起ったとき、自分が十分自立的に動かなかったからだ、と後悔する可能性もあるからだ。

P168
乳癌を持つカナダ人女性一〇〇〇人以上を対象にしたある調査では、二二%のひとが癌の治療法を自分で決めることを望み、四四%のひとは主治医と相談して決めたい、と答え、三四%のひとは決断を完全に主治医に委ねたい、と回答した。
一方、経過を通じて意思決定の際に自分が望む程度の主導権を発揮することができなかった、と答えているのは半数以下だったことは興味深い。
 放射線治療をどうするか決める重要な局面に至ったとき、すでに腫瘍内科医に十分な信頼を培っていたジュリーは主導権を医師に委ねることに抵抗はなかった。~中略~
 ジュリーは私たちに語った。「腫瘍内科の先生は放射線治療を受けたほうがいいと確信していました。こうなったら、先生は自分にとって何が本当にベストか考えてくれているんだ、と信じようと思いました。そもそもそのために自分に合った先生を探したんですから」
「そういう意味では、自分の先生を信頼できた、というのは幸いなことでした」 
 ジュリーは主導権を医師にある程度譲り渡すことで、人生の非常につらい時期を何とか乗り切ることができた。

P185
 カール・シュナイダー(ミシガン大学教授。法律学)は著書「自立性の行使」で、私たちの文化圏では、病気にかかったときすべての局面で本人が自立性をみせないことそれすなわち悪、とうるかのような行き過ぎた風潮が時にみられる、と指摘している。私たちも彼に同感である。
私たちが考える真の自主性とは、自分がコントロールする範囲を自ら決めることにある。
さらに、自立性とは、自分がどう事態に対処するかを規定するものでもある。

 

P298
「全てのひとに合うフリーサイズ」の治療が存在しないのと同様に、このくらいの主導権を行使するのが正しい、という唯一絶対の答えは存在しない。
したがって、スタート地点でさしあたりどのくらいの自立性を行使するのかを決め、その後経過の中で自分が主治医にどの程度信頼を寄せられるかを見極めてから、もう一度自分の介入の加減が妥当かを考え直してみるのが良いだろう。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)

決められない患者たち

決められない患者たち

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/04/05
  • メディア: 単行本

 

北海道 風のガーデン

患者の分類


あるひとは自分の健康管理に関して積極的に手を打つことを誇る。こういうひとは「ほとんどの場合、多ければ多いほど望ましい」というのが信条だ。
このタイプの患者、そして実のところ一部の医師も、たとえそれを証明する確たる臨床データがなくても、血圧をきっちりコントロールしたり、「悪玉」コレステロールであるLDLを劇的に下げたり、あるいはBMIを推奨されるレベル以下に下げることで、より健康に、より長く生きられると信じている。
彼らは「大多数より抜きん出る」ことに情熱を燃やす。
それに対して最小限主義(ミニマリスト)のひとびとはできる限り治療を避けようとする。どうしても治療が必要となった場合でも、出来るだけ少ない種類の薬を最小限の量で飲んだり、もっとも控えめな手術あるいは処置を受けることを選ぶ。
最小限主義のひとたちは「少なければ少ないほど望ましい」、すなわちリスクと予想外の結果が起こる可能性の前には得られるであろう利益などいかほどでもない、という考えに固執する。
 さらに、信じる者と疑う者というカテゴリーが存在する。信じる者は、自分が抱える問題を解決する良い方法がどこかに必ず存在する、という気持ちをもって治療法の選択にあたる。
彼らはたいがいはっきりした方向性を持っている。一方疑う者は、強い懐疑主義を持って、全ての治療オプションを検討する。極めてリスク忌避的であり、薬や医療処置で起こりうる副作用やその限界に非常に敏感である。
治療を考えるとき、実際治療すればどのような利益が得られるのか、何らかの害がもたらされることはないのか、と彼らは問う。
 信じる者が強い自然主義志向を示し、自然の治癒力に信を置いて先端技術を用いた治療介入を避けることもあれば、同じ信じる者でも技術志向を示し、最新医療に期待をかけることもある。
最大限主義者かつ信じる者であれば、治療は徹底するべきで、治療を差し控えるのは近視眼的であると考える。一方、最小限主義かつ信じる者の信念は全く正反対である。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P292

 

決められない患者たち

決められない患者たち

  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/04/05
  • メディア: 単行本