P112
リサのケースでは、二番目の整形外科医は最近の医療文化の中で特に重視されている患者の自律性に影響を受け過ぎているようだ。
リサは医師の言葉を引用して言った。「「やってもいいし、待ってもいい」と言われたんです。全然助けになりませんでした。だって「全てあなた次第ですよ」と言い続けるだけなんですから」
ミシガン大学のカール・シュナイダーが明らかにしたように、医師がガイド役としての役を放棄して選択の重荷を全て患者の肩にのせてしまうという、自立性の原則の行き過ぎともいえるケースもみられる。
リサの得たセカンドオピニオン、「やりたいようにやりなさい」はこれにあてはまるだろう。
アリゾナ大学のコノリーは患者が決断時に自立性を発揮すればするほど、将来の後悔のリスクは高くなることに言及している。つまり、もしも結果が悪ければ、自分自身を責める羽目になるかもしれない、ということだ。
もちろん、これは微妙なバランスの問題ではある。というのは、悪い結果が起ったとき、自分が十分自立的に動かなかったからだ、と後悔する可能性もあるからだ。
P168
乳癌を持つカナダ人女性一〇〇〇人以上を対象にしたある調査では、二二%のひとが癌の治療法を自分で決めることを望み、四四%のひとは主治医と相談して決めたい、と答え、三四%のひとは決断を完全に主治医に委ねたい、と回答した。
一方、経過を通じて意思決定の際に自分が望む程度の主導権を発揮することができなかった、と答えているのは半数以下だったことは興味深い。
放射線治療をどうするか決める重要な局面に至ったとき、すでに腫瘍内科医に十分な信頼を培っていたジュリーは主導権を医師に委ねることに抵抗はなかった。~中略~
ジュリーは私たちに語った。「腫瘍内科の先生は放射線治療を受けたほうがいいと確信していました。こうなったら、先生は自分にとって何が本当にベストか考えてくれているんだ、と信じようと思いました。そもそもそのために自分に合った先生を探したんですから」
「そういう意味では、自分の先生を信頼できた、というのは幸いなことでした」
ジュリーは主導権を医師にある程度譲り渡すことで、人生の非常につらい時期を何とか乗り切ることができた。
P185
カール・シュナイダー(ミシガン大学教授。法律学)は著書「自立性の行使」で、私たちの文化圏では、病気にかかったときすべての局面で本人が自立性をみせないことそれすなわち悪、とうるかのような行き過ぎた風潮が時にみられる、と指摘している。私たちも彼に同感である。
私たちが考える真の自主性とは、自分がコントロールする範囲を自ら決めることにある。
さらに、自立性とは、自分がどう事態に対処するかを規定するものでもある。
P298
「全てのひとに合うフリーサイズ」の治療が存在しないのと同様に、このくらいの主導権を行使するのが正しい、という唯一絶対の答えは存在しない。
したがって、スタート地点でさしあたりどのくらいの自立性を行使するのかを決め、その後経過の中で自分が主治医にどの程度信頼を寄せられるかを見極めてから、もう一度自分の介入の加減が妥当かを考え直してみるのが良いだろう。
決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
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