ロシアは、陸つづきの西方との永い交流や交易を考えても、本来、海の国ではない。
東方においてシベリアを領有してからは、航海が大きな課題になった。
ともかくも、ピョートル一世が、航洋船の造船と航海術の導入に力を入れるまでは、この広大な大陸国家にこの種の技術がないにひとしかったのである。
ロシアにおけるすべては(農業や牧畜をのぞいて)ピョートルからはじまったといってよく、とりわけ、造船術の導入が大きく、次いで大砲鋳造術の導入もきわだった業績であった。
~中略~ 日本史年譜と照合すると、遠いむかしではない。江戸期日本の元禄時代のことである。
ピョートルは当然、シベリア沿岸の海洋や未発見の陸地を知ろうとした。
オホーツク港はいまでこそさびれた漁港にすぎないが、一六七九年、コザックによって建設されて以来、シベリア東部から外洋に出るためのもっとも重要な港とされていた。
ピョートル時代、スウェ―デンはあらゆる意味でロシアと懸絶した技術国家であったが、ピョートルはこれと戦って、技術をもった捕虜を得ると、これをオホーツク港に移し、造船をやらせたといわれている。
ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P105
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